スマイリングタイガーでいる必要がなくなり、サムは服を着替えた。シャロンに提供された服もサムが好んで着る系統ではないが、断然こちらの方が落ち着く。
─ピピ
ハイネックに頭を通したタイミングで僅かな電子音が耳に入った。プロテクターのバッテリーが切れかけている。
半ば究極の選択だったが、背に腹は変えられない。サムは席を外したシャロンの後をこっそり追った。ボディーガードなのか取り巻きなのか、男たちの視線が痛かったが両手をあげて何もしないとアピールする。
広い廊下に出てシャロンを呼び止めた。
「なあ、バッテリーないか?」
首をトントンと叩いて、何の、とは言わせない。シャロンの眉間に今日一番の皺が刻まれた。
「あるけど
…あなたβでしょ?」
サムは即答できず、それが答えになった。声を顰めてくれるのは彼女もΩだからだろう。
「
…いつから?軍に登録したとき嘘ついてないわよね」
「俺も知らなかったんだ、発症してなかったみたいで、1人の人間にあったら急にドカン。誰も知らない」
1人の人間に出会ってΩと発覚するイベントだなんて、本来は相当ロマンチックなものだ。Ωが運命のαに出会った時に強く惹かれる現象。運命の番。
けれどサムの様子から違うと察したのか、シャロンは昔に戻ったみたいに優しさでサムの腕を引いた。
「こっち」
ジモとバッキー、シャロンの部下たちが待機している部屋からさらに一つ離れたところに呼ばれる。机とドレッサー、巨大なクローゼットのある、女性が支度をするシンプルな部屋だ。
「一つでいい?」
「あぁ、ありがとう」
引き出しからバッテリーチップを取り出して、こちらに手渡してくれようとしたシャロンが固まった。
張り付く力も無くなったプロテクターがと地面を転がる。都合の悪いことに、サムの後ろにも鏡があった。これでは頸が丸見えだ。発情期の抑制目的だと思っていた彼女は血相を変える。
「
…ちょっとサム
…それは
…!」
ハメられたのか偶然なのかは分からない。
見せて、と強い口調で言われてサムはおとなしく後ろを向き、高くて見えないと言われたので膝をついた。一応「ロマンチックなものじゃないぞ」とワンクッションを入れておく。
必要以上の力で歯を沈めた鬱血しているような痣が未だ治らずそこにある。
フェロモンがバッキーを呼び寄せる前にプロテクターを付け直した。
「痕が深すぎる
…レイプされた?」
「いや、噛まれただけ。理性飛んでるαに」
「
……そんな奴があなたの運命?相手は知ってる人?」
「
……」
「
…サムから甘い香りがするって私に聞いてきたお馬鹿さんがいたけど」
「あいつ
……」
なんてことを人に聞いてるんだ、そうだ性教育が中途半端なんだった、などと頭に巡るがシャロンは何故か驚いた顔をしていて、とりあえずといったように「ごめんなさいね」と言った。
サムは自分の失態に気づく。
「シャロン
…勘弁してくれ」
「バッキーと私が2人で話す隙、なかったでしょ。安心して?100年前の男と運命なんて十分ロマンチックよ」
初めて人に見せたから動転していたのかもしれない。こんな簡単なことに引っ掛かるなんて。
サムは立ち上がりムッとした顔を向けたが彼女には効かない。
「確かにあいつだけど
…違うんだ、悪くない。あれは事故みたいなもんだ。
…あいつは忘れてる。腹立ったけど、今は俺も冷静だよ」
「その痕、相当前なんじゃないの?ネタバラシするタイミングくらいいくらでもあったでしょ」
サムもそれは薄々気づいていた。何かと理由をつけて先に伸ばしてしまう。Ωにとって番の存在は絶対らしいから、無意識に見送っていたのかもしれない。
…まあ実際、忙しすぎたのは事実だが、、
「どう?好きになってきた?」
「馬鹿言うなよあんなサイボーグ」
「サム」
場を和ませようとしたシャロンの冗談だと思ったのに、瞳は思いのほか真剣だった。
「Ωは番に振り回される生き物よ。あなたよりよく知ってる。好きだなと思った人とは違う人が運命だったりもする」
バッキーを見て恋に落ちた感覚に襲われることはあった。胸が熱くなったり、顔を見るだけで惹き込まれたり。でもこれがΩのせいだということはサムも分かっている。
「ちゃんと自分の心は大切にしないとダメ。性別と心は別物よ」
「もしあいつを好きになっても騙されるなって?」
「見極めろって話。場合によったら応援してあげる」
高そうな絵画が飾られた壁をチラリと見る。壁と部屋を挟んで向こうにいるバッキーは呑気にジモとだんまり比べでもしてるんだろうか。
「まだよく分からない」
「嫌いじゃないのね」
「放っておけないなとは思うよ、それも分からない。俺そういう性格だし」
あらやだあなたと恋バナする日が来るなんてとシャロンが笑った。
「楽しそうだな」
「ええ、あなたの困るところ見れて楽しい」
すっかり『嫌な女』の顔に戻ったシャロンはサムに先に部屋から出るよう促した。
◆
シャロンが情報を集めに来たのは騒がしいダンスホールだった。ここから出たら何も聞こえないんだろうなと思うほど耳をつんざく大音量、サムは何が楽しいのかわからない。が、フロアは大盛り上がりである。
「シャロンと何を話してたんだ?」
聞こえないふりをしたかったがちょうど曲の切れ目にバッキーが首を傾けた。タイミングをうかがっていたらしいがまた騒々しい音楽が流れる。
耳打ちするような距離で囁かれて勝手に身体が熱くなった。
「特に」
「サム」
人の波が激しくなって、はぐれないように腕を握られる。掴まれた場所とバッキーを往復して見つめたが手が離れることはなかった。
「そんなことより、こういうの好きなんじゃないのか?踊ってきていいぞ、ロボットダンス」
「相変わらず口がよく回るな」
諦めて視線を逸らしてくれたが、腕はバッキーに捕まったままだ。
「行かないよ、お前をこんなとこで一人にできるか」
動いたバッキーの瞳を追うとプロテクターをした集団に話しかけるαや、自分からモーションをかけるΩが見えた。Ωに話しかけるαは皆悪い意味で押しが強そうだ。
言わんとしてることがわかって呆れた声が出た。
「
……俺そこまでか弱くないぞ」
「知ってる」
いつのまにか壁際に追いやられたが、Ωのせいで音楽と同じくらい心臓がうるさい。同時にこんなにも優しい男なのに、いまだに眠れないなんてひどい話だなとそのまま手を振り解かずにシャロンを待った。
誰かに頼ってもいいかなと思えたのはいつぶりだろうか。バッキーの存在で、サムは安心するようになっていた。
◆
最悪最悪、本当に最悪。
このナルシスト自称神の研究者にいくら注ぎ込んだと思ってるの。特に好きな男でもないのにショックすぎてジモが撃ったところがスローモーションに流れたじゃない。
シャロンはパワーブローカーとしてこの男に血清の研究を出資していた。だから顔を合わせることはできず外の敵を一掃する力仕事を買って出たのだが戻った瞬間これだ。ジモを抑えたとき、思わず「なんてことするの」と声に出てしまったシャロンだったがロケットランチャーが放り込まれてことなきを得た。
…いや状況は好転していない。
「ぅ
…」
とにかく空気は熱いし耳が麻痺してて、息を吸えば薬品を体内に入れてしまいそうで、でももがくしかなくて、ようやく視界にサムを入れて、互いの無事を確認してシャロンは手と足で立ち上がった。
バッキーが支えてくれてやっと数歩歩けて、その勢いのまま外へひたむきに走った。バッキーは途中で手が離れたからサムを迎えに行ったのだろう。
シャロンは外の空気が入り込んでいる暗いコンテナでひといき、ふたいきと肩を揺らす。
ふと、サムより先に自分を助けたことが気になった。どう考えても番を助けるはずなのだ。
サムの発言を疑っているわけではないが本当に相手はバッキーなのだろうか。
「シャロン無事か!」
「ええ、わかったでしょ。なんでもありの連中が集まってるの、ジモは後よ」
「バッキー、銃持ってるか」
「小型ならな。行こう、2発目きたらやばい」
今度はシャロンを後ろに庇って外に出ようとした騎士二人の様子を見て、急いでるとは言え思わず引き止めてしまった。
「待って?」
パッと振り返ってくれたのはサムだ。足元から上をサッと確認して「怪我したか?」と優しく問うてくれる。
爆発のなか一番に助けてくれる男と急いでていても怪我を気にしてくれる男、その辺の女ならときめいたであろうこの状況にシャロンは苛立ちを隠さずに伝えた。
「こういうとき普通男女がくっつくんだけど?」
シャロンの声の棘に驚いた二人はすぐに視線を追って自分たちの手を見た。
おそらくバッキーが助けにきてサムを引っ張ったのだろう、二人とも銃を片手にいまだに手を繋いでいる。
そして同時にお手上げポーズをとりようやく離れた。
「くっついてない、こいつが遅いから引っ張らないと焼け死んでた」
「はあ?」
シャロンは昨晩のサムに少しの同情はしたのだがアドバイスごと不要だった気がして、隠さずに大きくため息をする。経緯はどうあれ先行きは明るいらしい二人にかける言葉も勿体無い。本人たちは全くの無意識のようだが。
「余計な時間取らせないで」
うってかわってシャロンが先を歩いた。飛び出す際はサムが先陣を切ってくれたが礼を言う気はない。
この数秒後、今度は二人で左右逆に進み喧嘩をして苛立つのだが、シャロンは知る由もないのだった。
100年前の君とハッピーエンドを
第五話 ジモ
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