あがさ
2026-01-06 21:12:36
15161文字
Public
 

投桃報李





太山庁。
人は死後、あの世で四十九日かけて生前の行いを裁かれる。その道のりの最後にたどり着く、第七裁判所。再審の必要がある場合は例外となるが、基本的にはこの太山庁が多くの亡者にとっての最後の審判場所となる。
六道のいずれかへの転生か、はたまた解脱し天国逝きか。
それ以前の裁判で出た判決をもとに真の判決が下され、最終的な逝き先が決まるのだ。

さて、そこの裁判官の第一補佐官殿は大層なご高齢で、そろそろ隠居を考えているから、次の補佐官候補を育て始めることにしたらしい。その候補者として白羽の矢が刺さったのが、シロ、柿助、ルリオの三匹だった。かつて桃太郎のお供として鬼ヶ島で鬼退治を成し、何の えにしか今度は地獄の鬼に雇われ、獄卒として罪人たちを呵責する業務に日々励んでいた犬猿雉たちである。
この選任にはなんと、三匹の元主たる桃太郎も少なからず関わっていた。
三匹を獄卒として採用したのは、閻魔大王第一補佐官たる鬼神、その名を鬼灯と言う。彼と桃太郎一行との出会いの詳細は省くとして、鬼灯が三匹に仕事を斡旋したのは、留まるところを知らない堕地獄する罪人のせいで人手不足に喘ぐ労働環境を少しでもましにするためであった。しかし今では三匹ともに立派な仕事人となっており、三者三様の才能を鬼灯はきちんと評価している。その中でも特に能力を買っていたのが、真面目で理知的、三匹の中で縁の下の力持ちとしての役割を果たすルリオだった。鬼灯は彼の人事育成に目を掛け、一時的に閻魔大王第五補佐官も経験させるなどして着実に管理職へのキャリアを積ませていた。だからこそ、太山王第一補佐官の後任を誰にするかが本格的に話し合われた際、少々早いかもしれないがルリオを推薦しようと鬼神は考えた。だが鬼灯としては、かの雉の優秀な面は、他二匹の相棒と共に行動する中でこそ最大限に引き出されるとも踏んでた。彼がいつも冷静な判断を下せるのはシロと柿助のおかげであり、三匹全体で均衡が保たれているのだろうと。故に異例ではあるが、三位一体で太山王第一補佐官見習いとしての選任を鬼灯は思いつく。
とは言え、十王の第一補佐官の後任となると、流石に地獄の人事長としての権限を持つ鬼灯であろうと一存で決めることはできない。三匹が働く現場での直属の上司や、他庁の裁判官及び補佐官の意見も聞く必要がある。特に今回は、件の現太山王第一補佐官の意向も大きく関わってくる。そうして実務を担う者達が協議した内容に対し、最終的な判断を下すのは勿論、十王庁並びに地獄全体を統括する閻魔大王。此度の件は、少なからず大掛かりな人事異動案となるのだ。
そこで正式に事を動かし始める前に、鬼灯はまず、彼らのことを誰よりも知っている桃太郎に意見を求めたのである。

主人である桃太郎と三匹のお供たち。
それは周りから見た一人と三匹の関係性であるが、彼ら自身は決して互いのことを「主人とお共」という乾いた主従関係で捉えてはいなかった。鬼ヶ島での鬼退治、そしてそれ以降の彼らの生涯及び死後、数百年間ずっと一緒に過ごしてきた。片や薬剤師見習い、片や獄卒として天国と地獄と別々に職に就いて離れて暮らすようになっても、気の置けない親しい関係は続いている。そこには、盟友とも家族とも言える絆があった。彼らの間柄を間近で常々感じていた鬼灯は、だからこそ三匹一緒での補佐官候補としての推挙について、桃太郎の意見をまず重視したのである。

鬼神から相談を受けた際、桃太郎は驚いたが、すぐに我がことのように喜んだ。
まず、お供の中でも昔から優秀なルリオが、あの他人に厳しすぎることで有名な鬼灯に高く評価されていることは有難いことであり、そのように地獄の実質トップに認められている彼を誇らしく思った。傍から見れば、フリーダムとお馬鹿が脳内ルームシェアして愛嬌だけで突っ走るシロと、頭の回転は速い方だがお調子者な部分と多少の怠け癖、そして過去のトラウマが弱点となる柿助に苦労させられていそうな印象を受けるルリオだが、本当にそれだけの関係ならここまで長い間好き好んで一緒に居はしない。三匹が互いの能力や性格、全ての良いところ悪いところを認めた上で、それらを自然と補い合うように接していること。そして、それを苦なく行えているということ。目を見張るほどの、咄嗟の連携行動の鮮やかさと息の合わせ具合。改まって口に出すことないが、桃太郎は元お供たちのことを、誰が欠けてもいけない最高の三匹組だと心から思っていた。
彼らのことを一番理解しているのは自分だなんて自惚れたことを言うつもりは桃太郎にはない。それでも一番近くで三匹と共に過ごし、その関係性を見てきた時間の長さだけは誰にも負けないとも思っていた。そんな自負があるからこそ、自分と同じように三匹のことを理解し評価してくれていた鬼灯に対しても、桃太郎の胸は温かくなった。
勿論、桃太郎はなるべく贔屓目は除いた客観的な意見として、三匹一緒に行動することの合理性と実利性を鬼灯に伝えた。その回答に満足げに頷いた鬼神は、本格的に三匹の人事異動に向けて舵を切ったのである。


◆◆◆


そう言う訳で、桃太郎のかつてのお供たちは現在、太山王第一補佐官見習いとして日々を過ごしている。今日はそんな彼らに久しぶりに会いに、桃太郎は太山庁へ来ていた。

三匹が不喜処地獄で働いていた時、わざわざ会おうとしなくても桃太郎と彼らは意外にも顔を合わせる機会が多かった。勤め先の漢方薬局の得意先である閻魔庁に、頻繁に配達に来ていた桃太郎。事あるごとに閻魔殿に来ては鬼灯から色々教わったり──主にシロが主体となって──ちょっかいを掛けたりしていた三匹。純粋に獄卒の一匹 一人として食堂を利用する為や仕事の報告の為にも、シロ達は庁舎を訪れていた。それが理由で、一番よく彼らが出くわしていた場所は閻魔殿だった。他にも、桃太郎が地獄の他の場所への配達や生薬の原料採取に来た際に、閻魔殿以外の場所で三匹と偶然行き会うこともあった。そのため、生前も死後も数百年来共に過ごしていたところいきなり住まう地や生業が別々になってしまっても、案外寂しくないものだと笑い合っていたものだった。
ところが、シロ達が太山庁勤務になってから諸々のサイクルがかみ合わなくなったのか、そのようなことはぱたりと無くなった。こうなると以前は感じなかった寂しさも不思議と感じるようになる。
だったら互いに休みを合わせて会えばいい、それだけの話ではある。とは言え、三匹の異動直後は慣れるまで何かと忙しい。丁度その頃桃太郎も、独立して自分だけで薬剤師としての生計を立てていく夢を実現すべくせわしなく過ごしていた。桃源郷の師匠の許での通常業務に加え、修行と資金集めを兼ねた移動薬店をやりつつ、独立後の店舗のための物件探し、などなど。
そんな日々が暫く続き、やっと都合をつけることができたのが今日だったのだ。
もう互いにいい大人──天寿を全うしあの世に来てから半千年紀以上経っている身としては、大人の概念すらよく分からないものになりつつあるが──なのに寂しいなど、桃太郎としてはこっ恥ずかしい気もする。だが結局のところ、人間関係しかり動物関係しかり、お互いがお互いの関係性に納得していて大切に思えているならそれで十分であり、他人からどう見られどう評価されるかなどをとやかく考える必要はないだろう。更には、こうやって環境が変わることで、今まで当たり前のように享受していた物事が、いかに自分にとって意味のあるモノだったのかを見つめ直すことができる良さもある。
そのようなことをしみじみと考えつつ歩いていると、いつのまにか桃太郎は太山庁の寝殿前に辿り着いていた。

───折角だし、俺たちの新しい職場を見に来てよ!───

新しい環境にそれぞれが落ち着いてきたのでそろそろ久しぶりに会おうかと矢文交換 文通の中で話題が上がった時、シロがそう提案してきた。確かに、以前の職場で働き始めた際にもまずは互いに顔をのぞかせに行ったし、それが自然な事に思えた。
桃太郎の職場、師匠である白澤の経営するうさぎ漢方極楽満月の客層は幅広い。基本的には、顧客に対し個々の症状を診察して、その都度必要な薬を調合し処方する。その際は桃源郷の店舗で直接やり取りすることが多い。一方で、都度都度の診察を必要としない配置薬を、個人から事業主にまで幅広く販売もしている。その場合には調合した薬をこちらから配達しに行くこともある。更には、地獄の毒薬を使った危険な薬の依頼があることも。これらの最たる取引先が先述した通り、閻魔庁である。
規模が小さくなるとは言え、十王庁の残りの九つの庁とも取引することがないわけではない。しかし、どの庁でも裁判官と第一補佐官は共に途切れぬ亡者の対応に日々追われているため、薬を配達しに行っても彼らと直接やり取りをすることはほぼなかった。ましてや、裁判の間での裁きの様子を見ることもない。よって桃太郎は今まで太山庁に配達しに訪れたことがなく、敷地に足を踏み入れるのも今回が初めてだった。───そう考えると、閻魔大王第一補佐官殿は一体何なのだろうか、と桃太郎は首をかしげる。桃太郎が閻魔庁に薬を配達しに行くと、大抵は発注者である鬼灯自身が薬の受け取りに応じたり、そのまま雑談に興じたりするのだ。改めてかの鬼神の、仕事と趣味の境界が曖昧になっているワーカーホリックぶりに苦笑を禁じ得ない。
各庁の建物の規模や造りは千差万別。その中で一番広いのは勿論閻魔庁である。就業人数も庁としての規模も地獄一大きく、獄卒のための食堂や寮、記録課やお迎え課などの部署なども含まれているから当然である。しかし内装の雑然さと入り組み具合で言えば、変成庁が上を行くだろう。何たって、絡繰り好き...を通り越して絡繰り狂いの域に達している裁判官と第一補佐官のせいで、庁内全体が、歯車と管が張り巡らされた機械工場の様相を呈しているのだ。

それに比べると、太山庁はかなりこじんまりとした造りながら、それでいてひしひしと威圧感を感じる。それが桃太郎が受けた、最初の印象だった。
迷いようのない一本道を歩いていくと、そのどん詰まりに件の寝殿は佇んでいる。最初は何の変哲もない地面を歩いていると思っていたのに、途中から地を這う大小の木の根が目立つようになり、それらは先に進むごとに密度を増していく。よく見たら道の両脇に等間隔で並び立ち煌々と燃え盛る篝火の支柱も、切り出したものではなく地面から直接生えている木である。そのことに桃太郎は驚いた。寝殿の正面には木目が浮き出た無塗装の威厳ある扉が構えており、扉に直に描かれた花を咲かせた樹木の絵には簡素枯淡の美しさがある。下を覗き込むと、本来あるはずの地面は建物の下にはなく、代わりに無数の樹の幹が雲海に阻まれ終わりは確認できないが遥か下まで伸びているようだった。視線を屋根の方へ上げ、瓦を覆うように生い茂る木を捉える。まさかこの樹は建物を下から突き破って生えているのだろうか。───いや、樹がずっとずっと前から先に在り、それを囲むように後から建物を建てたのかもしれない。水面に波紋が広がるように、そのような考えが自然と桃太郎の中に浮かんだ。
ひとしきり庁舎の外観を観察したところで、そろそろ中に入ろうかと外扉を開けようし、伸ばしたその指先が冷えていることに桃太郎は気がついた。柄にもなく、元お供たちの新しい職場を前にして多少なりとも緊張していたのだ。太山庁を初めて訪れる桃太郎は、勿論太山王にも第一補佐官にもお目にかかったことはない。普段から親しくさせてもらっている閻魔大王や鬼灯との関係に慣れてしまっているが、日ノ本で生まれ死んでいった人間全てを裁く十王とその補佐官など、通常だったらそんなに気軽に接していい存在ではないのではないか。三匹───主にシロだが───が迷惑をかけていないか、ちゃんとやっているのかと気を揉んでもしまう。更には、十王の第一補佐官見習いになったということは、いずれあの鬼灯と同僚になると言うことでもある。かつてのお供達がそんな立場にいるのかと考えると、何とも重々しい気持ちになる。勿論、太山庁と閻魔庁では、第一補佐官の業務の内容や量は異なるだろう。しかし、生きていた人達を裁くという重大な責任を伴う行いに携わる事には変わりない。ましてや真の判決を決める第七裁判である。本当に三匹はここでやっていけるのだろうか。もう彼らの主ではないのに、桃太郎は未だに彼らの保護者のような、長男が弟たちを案ずるような気持ちを時折抱いてしまうのだ。結局彼にとってシロ、柿助、ルリオは、苦楽を共にした頼れる仲間であると同時に、手のかかる分だけ可愛げも一入な存在なのだった。


「桃太郎おお!!」
カシカシと爪が地面に当たりながら駆ける音と、よく通る人懐こい声が桃太郎の耳に飛び込んできた。少し遅れて、テケテケという軽快な足音と、力強い羽ばたきと滑空音も聞こえる。どれも桃太郎にとっては自然と笑みをもたらしてくれる染み深い音だった。最初の足音が扉の向こうでとまったかと思うと、歴史を感じる赴きのある扉が見た目に反して滑らかに開いた。
「お〜久しぶり!お前ら元気にやってたか...ってうお!?」
扉の隙間から覗く三匹の姿を視界で捉え声を挙げたところで、白い毛玉が勢いよく鳩尾に突っ込んで来て、桃太郎は派手に尻もちをつく羽目になった。大殿筋が非常に痛い。
「ねえ桃太郎!俺エライ!?エライ!?」
そんな彼の様子に気づかない白い毛玉ことシロは、桃太郎の顔を覗き込みながらそりゃもうご機嫌いっぱいに尋ねてきた。
「くそお、やっぱり犬の鼻には敵わないなぁ。桃太郎、久しぶり!」
「悔しいが今回のシロはクリーンウィンだな。桃太郎、大丈夫か」
ようやく追いついた柿助とルリオがそれぞれ何やら悔しそうな声色を発する。
「いてて...お前らどういうことだ?」
「あのね!桃太郎が来たら誰が一番に気づいて真っ先に迎えに行けるか、俺たち勝負してたんだ!勿論俺が勝ったよ!桃太郎の匂いなら2里先からでも分かる自信あるもんね!!」
褒めて褒めてと尻尾をちぎれんばかりに振ってシロが声高に主張した。
「ははは、なんだよ嬉しいことしてくれるじゃんかよ~」
覆い被さる勢いのシロに応えるように、ワシャワシャと密度のあるしっかりとした毛皮を撫でくりまわしながら、やわらかな温もりが胸に広がるのを桃太郎は感じた。自分が彼らとなかなか会えないことを寂しいと感じていたように、彼らもまた、桃太郎のことを恋しく思っていてくれた。そのことが伝わってきたからだ。
柿助の手を借りて身を起こし立ち上がると、ルリオが右肩に止まる。シロと柿助が両脇にそれぞれ立ち、元主人を見上げた。いつもの彼らの立ち位置に収まると、寄木細工のかけらがぴたりと合わさったかのような心地になる。そのことになんともこそばゆい気持ちになった桃太郎は、三匹にはにかんだように笑いかけた。動物の表情は人間に比べるとわかりにくくはあるが、その瞳が満ち足りた色を帯びているのを見て、彼らも自分と同じ感情なのだと桃太郎には分かった。
「それじゃあ、お前らの新しい職場を案内してもらうとするかな」
「「「まかせろ!」」」


◆◆◆


「次はね!いよいよ太山庁 ここの法廷に案内するよ!」
そう広くはない庁舎の案内はさくさくと進み、直ぐに寝殿の中央部に辿り着く。そこは第七裁判所としての、亡者の裁きの間だった。それを聞いて桃太郎は一瞬入るのをためらった。シロ達が休みの日だからといって、裁判が行われていないわけではないだろう。邪魔にならないだろうか。躊躇なく扉を空けて入っていく元お供に続いておずおずと中を覗くと、予想に反してそこには誰もいなかった。桃太郎の心境を読み取ったらしいルリオが、丁度今の時間帯は昼時の休憩時間ということを伝えてくる。24時間働いているように見える鬼灯をここでも基準に考えてしまっていたが、確かに普通は昼休憩くらい存在しているだろう。あの世の労働基準法には詳しくないが。
広間を見渡すと、サイズ感は一回りも二回りも小さくはあるが、閻魔庁光明院で見慣れた大王が使うものと似通った演壇と椅子が置いてある。どうやら今太山王は席を外しているらしい。また後ほど挨拶をしなくては。そんなことを頭の片隅で思いながらも、もっと他の存在に桃太郎は視線を奪われていた。


広間の中央に、巨大な樹が鎮座している。


桃源郷には、桃太郎の死後も含めた年齢を余裕で超えるであろう樹齢の木が、そこらかしこに生えている。日々それら仙桃の世話を任されている桃太郎としては、現世だったら確実に人によって祀られていそうな立派な木などは見慣れたものだと思っていた。だが今目の前にある樹は、桃太郎が出会ったことのない領域の古木だということが肌で感じられた。一般的な体格の成人男子が四、五人ほど腕を回してやっと一周できるかと思われる太さの幹は圧巻で、苔むしごつごつとした樹皮にところどころ茸を宿している様には、老いた木特有の寂寥の趣きと泰然たる風格を感じる。天に上る龍のように伸ばされた枝は、首が痛くなるほど見上げてもその先を確認することができない。桃太郎の背の8倍は裕にありそうな高さの天井へ難なく届くどころか、外からの様子を鑑みるに天井を超えて屋根の上まで枝を伸ばしているのであろう。足元に視線を下げると、地を這うように根が太く細く波打っており、周りには誘発されたかのように草花が生えていた。そのため、樹の付近は地面なのか敷瓦の床なのか見分けがつかない有様となっている。

──こんにちは、桃太郎さん。お会いできるのを楽しみにしておりました──

異様な存在感に圧倒されていた桃太郎は、突如聞こえた、脳に直接語りかけるかのような声で我に返った。
「え!今の誰!?」
桃太郎の動揺を見て取った連れの三匹は、何故か悪戯が成功したかのような、してやったりという顔つきで元主人を振り返る。
「それ、御柱様の声だよ!」
「最初は吃驚するよなぁ」
「よく見たら耳元に何かしらの蟲がいる筈だぜ。その蟲たちが御柱様の声を伝達してる。以前手紙に書いただろ?」
立て続けに言われ、桃太郎はそう遠くない記憶を掘り返した。三匹が太山庁勤務になったばかりの頃、新しい職場のことを文で教えてくれていた。確か、現在の太山庁の第一補佐官たる天の御柱は木の神であり、高齢の身ゆえなかなか自由に動くことができない上に地声が小さいから、蟲を介して意思を伝達することが多いとのことだった。なるほど、このことか。というか、鬼灯から元お供たちの人事異動に関する意見を求められた際も、ここの第一補佐官はかなりのご高齢だということは聞いていたが──
「木の神...ご高齢...まさか太山王第一補佐官って、この樹!?」
こりゃ確かに高齢だわ!
桃太郎は、たった今自分の中で繋がった情報に目を白黒させた。
生を全うし天に召し上げられてから、何をしていたかはっきりとは思い出せないほど無為な数百年を桃太郎は過ごした。その後、鬼灯の紹介により桃源郷の師匠の許で過ごすようになってからは一転、それ以前の空虚な日々とは比べ物にならないほど濃密な時間を過ごしている。その中で、生きていた時には知りえなかった世界の様々な理について、ある程度知識を得たと桃太郎は思っていた。現世の妖怪、地獄の民、天界の神々、様々な存在と知り合いにもなった。しかし、巨大な神木と相まみえるのはこれが初めてであった。
「御神体はこの樹だが、魂は精霊姿を形どられているんだぜ。木霊さんと同じだな」
ほら、あそこ。ルリオが羽で指示した方に顔を上げると、中腹あたりの枝にちょこんと腰かける小さな童の姿が目に入った。その佇まいは本体同様に清閑としており、言われるまでその存在に気が付かなかったほどには気配が樹と同化している。確かに容姿はどことなく、金魚草の花見会で知り合った花粉症気味の精霊を彷彿とさせた───余談だがあれ以降、彼は花粉症の症状を抑える薬を求めにちょくちょく極楽満月を訪れるようになり、馴染みの客となっている───。
まじまじと巨木の精霊を見つめていると視線が合い、桃太郎は慌てて会釈した。すると、かの人の頭上近い枝たちがみしみしと軋み始め、その体が頭から持ち上げられたかと思うと、桃太郎の目線の高さまで優雅に降りてきた。どうやら人で言うところの頭髪部分は枝として本体と繋がっているようである。木から伸びた枝々の先に、クレーンで吊るされているかのように幼子姿がぶら下げられている様子に、桃太郎は少し気圧されてしまった。
「昔は本体から完全に離れて自由に動き回ることもできましたが、今は御覧の通り。初めてお目にかかる方は、少々驚かれるかもしれませんね」
桃太郎の様子を見て取ったのか、御柱は穏やかながらも茶目っ気ある口調で言った。囁きのように小さくはあるが、直接本人の口から声が発せられている。
「えと、天の...御柱様ですか。初めまして。既にシロたちから俺のことを聞いていたかもしれませんが、桃太郎と言います。いつもこいつらが世話になってます」
「名前は好きなようにお呼びください。桃太郎さんのことは昔からよく存じていますよ。お連れのお三方は、とても真面目に見習い業務に励んでくれています」
「俺たち褒められちゃった!やったね柿助、ルリオ!」
シロが御柱の言葉に反応し声を上げたことにより、彼女の視線がそちらへ逸れる。桃太郎はその時初めて、自分が知らずと息を止めていた事に気がついた。シロたちは慣れたからなのか、なまじ神獣なだけあって元から何も感じていないのかは分からない。だが一介の亡者だと己のことを自認している桃太郎にとって天の御柱は、例え幼い姿であろうとその御神体と同様に、無条件に畏怖の念を抱かせた。目の前の相手を見ているようでその背後にある全てを見透かしているような、ここに存在していながらその魂は世界を俯瞰しているような、そのような浮世離れした雰囲気が彼女にはあった。桃太郎の師匠たる白澤だって、一応中国妖怪の長にして推定年齢一億歳前後の神獣ではあるが、二日酔いになっては便座に謝り倒していたり、浮気がばれては女子に引っぱたかれていたりする普段の姿からは、威厳のかけらも感じたことがないのに。やはり、醸し出されるオーラというか、人徳...ならぬ神徳がなせる業なのだろうか。それとも、白澤は女子にモテる為に人型をとっていると公言しているくらいだから、もしや他を威圧しかねない神気を意図的に隠しているのか。
しかし、桃太郎が御柱から感じたことはそれだけではなかった。彼女を目の前にしたとき、何とも懐かしいような不思議な気持ちになったのである。桃太郎が彼女に出会ったのは間違いなく今日が初めてであり、何故そのように感じたのかはわからない。天の御柱に、というより樹の神という存在に、自身ですら把握できない無意識の部分が郷愁に駆られたような感覚だった。そして先程彼女が言った「昔から」という言葉も気になる。シロたちから話を聞くより前から桃太郎のことを知っていたような口ぶりではないか。
「あの...もしかして俺、以前どこかでお会いしてるんスか?昔からって...」
桃太郎が疑問を投げかけると、柿助が代わりに答えた。
「ああ、蟲達がこの世とあの世のあらゆる情報を御柱様に教えているんだってさ。だから何でも知ってるんだよ」
「俺たちのことも最初に会った時から知ってたよ!吃驚したよね!」
シロも後に続ける。
そうだったのかと納得しかけた桃太郎だったが、それならば自分が感じたこの感覚の所以は何なのかと思う。その様子を静かに見守っていた御柱が口を開いた。
「確かに私は蟲たちのおかげで、世界に起きるあらゆる事柄を知り得ています。しかしそれとは別に、桃太郎さんのことは個人的に存じ上げていましたよ。貴方は、私の旧友の御子息ゆえ」
「ええ!?」
御柱による発言に、一人と二匹と一羽は思わず一斉に声を上げた。
「御柱様って桃太郎のおじいさんかおばあさんとお友達だったの?全然知らなかった!」
直後、シロによる発言に一人と一匹と一羽は脱力する。
「馬鹿シロ、そんなわけないだろ」
「あの...それってまさか」
柿助がシロに突っ込み、ルリオが言い淀む。桃太郎はその続きを口に出した。

「オオカムヅミ...様のことですか」

蟲愛づる姫は、微笑みを浮かべ頷くことで桃太郎の問いを肯定する。
それを見て桃太郎は息をのんだ。

───遥か昔、妻であるイザナミと共に国産みと神産みを成したイザナキは、黄泉の国に去ったイザナミを連れ戻そうとするも逆に追われる身となる。「見るなの禁」を犯し、取り返しがつかない怒りをイザナミから買ってしまったからである。そして、彼女が放った追手から命辛々逃げていたイザナキを救ったのが、桃だった。桃はその功績によりイザナキから神名を授けられ、〈オオカムヅミノミコト〉となる。オオカムヅミにイザナキは「お前が私を助けてくれたように、今後地上世界で人々が困った時には、助けてやれ」と役目を与えた。これによりオオカムヅミは厄払いの神となり、桃はその象徴となった────

桃太郎は己の出生について、川で流れていた桃から生まれた、ということだけしか確かなことは分からない。
ただ、知り合いの鬼神曰く、桃の申し子である桃太郎には本人は自覚していないながらも邪気を払う力があると言う。そしてそのような能力があるのも、その不思議な誕生の経緯も、オオカムヅミが現世に遣わした存在だからこそなのではないかと彼は言っていた。残念ながら鬼灯もオオカムヅミとは面識がなく、あくまで彼の推測とのことだが。桃太郎としては、鬼灯に指摘されるまでそんなこと思いもよらなかったし、生まれてからも死んでからも一度も会ったことがない神が自分の生みの親だと言われても、ぴんと来てはいなかった。
そのことを受け、白澤に何か知らないか聞いてみたこともあった。桃源郷で仙桃の管理を永く行っている彼ならば、日本の桃木の神と交流があり、桃太郎のことも聞き及んでいるのではないかと。しかし彼曰く、そもそも桃源郷の仙桃はもとは崑崙山生まれの苗や種を持ってきて繁殖させた子たちなので、日本由来の桃とは少々違う存在であるとのこと。それ故現在に至るまで、オオカムヅミとも特別交流することもなく、無論それ以外のところでも会ったことはないとのことだった。更に白澤からしてみたら、桃太郎は唯々桃太郎であり、平穏な日々の中普通に接しているだけでは他の神との接点は見出すことはできないらしい。つまり、例え本当に鬼灯の考えるような出自だったとしても、結局は人の子として生まれ落ち死んだ桃太郎は、オオカムヅミの眷属としての神気を纏っているわけではないということだ。
───ま、もともとピンチになった時に覚醒する破邪の力でしょ?その時になってみないと桃タローくんの存在の本質は分かんないのかもねぇ───
森羅万象を知るとされる神獣は愉快気に目を細め、そう弟子に伝えた。

そんな経緯があったので、桃太郎にとってオオカムヅミとは、もしかしたら自分の誕生に関わるかもしれない神として、普段は意識に上らないにしても、多少なりとも気になる存在であった。それがまさかここに来て、他の神てに関係を知る機会が来るとは!
「じゃあそのオオカムヅミ様が、桃太郎の本当の親ってこと?」
「オオカムヅミ様の息子ってことは、やはり桃太郎は人間とは違う存在ってことなんでしょうか」
桃太郎が口を開くより前に、元お供たちが矢継ぎ早に質問した。彼らも元主人についての新情報に浮足立っているようである。
「息子や娘と一口に言っても、人間や動物で言うところの親と子と、我々のような神にとってのそれは、少し感覚が違うかもしれませんね。それでも彼が生み出した存在が、桃太郎さんであることには変わりません。ただし、桃太郎さんがあくまで人間として生を受けたことも、また事実です。古来より神・妖・人間・動物は相互に交わり子孫を残し、栄枯盛衰を理とする信仰の在り方も相まってその輪郭は流水のように不確かな場合も多いのですよ。桃太郎さんも、ご自身の御霊の真髄を知る時が来るかもしれないですし、来ないかもしれません」
元お供の問いに対する御柱の答えは、禅問答のように掴みどころがない。
「え~と、つまり...?」
シロたちは困惑し首を傾げていたが、桃太郎としては分からないながらも腑に落ちるものがあった。
死んでからは殆ど気にしなくなったが、生前はやはり、桃から生まれた自分は異形の者なのかと己の存在についてそれなりに悩んだ。同時に、他人より少し頑丈なくらいで他に特質するものはない凡庸なニンゲンである自分を恨めしくも思った。鬼ヶ島での鬼退治は成功したが、一時が万事その調子だったわけではなく、護りたいモノが手から零れ落ちる事もあったから。
自分は一体何者なのか。
そのことがはっきりと分かる時がいつか来るのだろうかと漠然と期待していたが、御柱の言葉を嚙み砕くに、どうやら明確な答えは端から存在すらしていないのかもしれない。
そう思うと、目の前の霧が晴れたようだった。生まれのどうこうで自分を定義づけるより、過去の自分が何を学んできたか、今の自分が何を大切にしているか、未来の自分が何処へ進みたいか、それらを寄す処として己と向き合っていれば、それで十分な気がした。
「う〜ん、よく分かんないけど、桃太郎が桃太郎ってことは変わらないってことだよね!」
シロがいつものように呑気にそう結論づける。
柿助とルリオは飽きれたように半目で相棒を眺めたが、桃太郎は思わず声を上げて笑い、白い毛並みの頭をくしゃりと撫でた。自由が過ぎるシロには困らされることも多いが、同時に、頓狂なようで時々真理を突いてくるシロに救われることもあるのだ。彼の発言に背中を押される形で、ずっと思っていながらも言葉にすることを躊躇していたことが、桃太郎の口から自然と零れた。
「俺、いつかオオカムヅミ様に会ってみたいです...。あ、いや、気軽に会える方ではないのかも知ンないですけど」
なぜ現世に遣わしたのが自分だったのか。もっと力のある奴でも良かったのではないか。或いは、役目を託して送り出した存在が、一応鬼退治は成したとしてもこんなパッとしない奴で、失望してはいないか。自分との繋がりの可能性を知ってから、時折桃太郎の頭をよぎる数々。会って話して確認したい気持ちはあっても、それをしてしまうと自身の中の何かが崩れてしまうのではないかという考えが、桃太郎を臆病にしていた。

でも今なら、胸を張ってかの神の前に立てるような気がする。

「え〜〜俺も会いたい!」
「桃太郎は兎も角、お前が会ってどうすんだよ」
「だってさ、俺たち桃太郎の一番の盟友として挨拶しなきゃ!それに俺、桃太郎と会えてすっごく嬉しいよ!産んでくれてありがとって言わなくちゃ!」
シロの言葉に、柿助とルリオが顔を見合わせ目を瞬いた。
「それもそうだなぁ」
「シロ、お前たまには良いこと言うな」
「たまにはって酷い!」
足元で繰り広げられるいつもの調子のやり取りを見下ろしながら、桃太郎は鼻の奥がつんとしてくるのを感じた。その様子を、天の御柱は穏やかな笑みを浮かべて見守る。
「桃太郎ぉ!いつ行く!?今日このあと行っちゃう!?」
「はぁ?突然押しかけたら迷惑だろ!」
お気楽すぎるシロの言葉に桃太郎は流石にツッコむ。
「彼も私と同じく自由に動き回る質ではないですし、桃太郎さんが会いに来たとなれば喜ぶことでしょう」
「...さいですか」
にこにこと告げる御柱に、そういうものなのかと桃太郎は拍子抜けした。
「そう言えば、オオカムヅミ様は桃太郎以外にも子ども?眷属?っているのかね」
柿助がふと思いついたことを口に出す。
「あぁ、それ俺も気になったぜ」
ルリオが言葉をつづけ、確かにとシロと桃太郎も頷いて、一行は答えを知るべく目前の神を仰ぎ見た。
「遥か昔、彼にとって最初の息子となる子がいました。しかし訳あって長らく会えていません。その子に今一度相見えることを、彼はずっと望んでいます」
「え〜何で会えてないの?息子さん反抗期で家出中?盗んだ牛車で走り出しちゃった系?」
「お前なぁ...」
「親子のデリケートな問題かもしれないだろ、あまり首突っ込むな」
ここでもやはり猿と雉が犬のことを窘める。
「いえ...寧ろ彼はヒトの声によく耳を傾ける、とても真面目で誠実な子でした。ただしヒトの願いを聞き入れすぎるというのは、時に神とヒトとの関係、更には神が定めた世界の均衡までをも崩しかねません。彼はその禁を犯してしまったのです」
凪いだ顔色はさほど変わらないものの、御柱の声が僅かに憂いの陰を帯びる。重々しいその内容に、桃太郎は戸惑いながら尋ねた。
「彼は今、どうなっているんですか?」
「神格を剥奪され、人間道に堕とされました。されど人として死ぬことも許されず、人間からしたら永遠にも近い月日を耐える日々を送る刑を課されています。とある条件を達成し、高天原に再び足を踏み入れることを赦される時まで」
「...その条件はかなり厳しいんですか?」
「彼が、彼たらしめる性質を捨て去らない限りは」
それは、罪は赦されることはないも同然なのではないかと桃太郎は眉をひそめた。神はどうかわからない。だが人間に限って言えば、三つ子の魂百までという言葉が表す通り、持って生まれた性格や気質をそうそう変えることはできない。
現世の人間として生まれ育った桃太郎は、あの世の住人と自分の価値観の差異を思い知る場面に、これまで幾度となく遭遇した。件の彼が犯してしまった、同族である神々によって断罪された罪の重さ。それが果たして如何程のものなのか、桃太郎には想像することはできない。それでも、終わりの見えない悠久の時を独りで耐え続ける、彼の身の上に想いを馳せる。
そして自分について考えてみた。自分だって、今までに出会えた色んな人たちのおかげで、ここまで来れたようなものだ。例え己の性質を変えることはできなくても。傍にいてくれる、自分と関わってくれる人たちのおかげで物事が良い方に進むことはある。そのことを桃太郎は身をもって知っていた。
ふと視線を落とすと、足元にいるシロ、柿助、ルリオと目が合う。三匹の目線の高さに合わせてしゃがみ、万感の思いを込めて彼らを撫でると、それぞれのぬくい体温が毛皮越しに桃太郎に伝わってきた。


「俺がこいつらと出会えたように。そんで鬼灯さんに根性叩き直してもらって、白澤様に導いて貰えたように。そのひとにも、そういう出会いが訪れていたらいいスね」


故郷である天界からは追放され、尽くした現世の人間からは忘れ去られた、元神様。
どうか彼の罪が赦され、こちらに戻れる日が来ますように。
その暁には、オオカムヅミに連なる後輩として、酒でも酌み交わして話をしてみたい。


そんなことを思う元英雄を見つめる いにしえの神の眼差しは、慈しみ深き色を湛えていた。



あとがきへ