僕の一等星
絶対的な道標。
店の窓から零れる明かりと軒先に吊るされたランタンが、夜の石畳に光の道を作り出している。
頭上には月のない満天の星空。まるで空で輝く星々が、地上まで零れ落ちてきているようだった。
「星でできた道みたいだ」
そう零すと、隣から控えめな笑い声と共に「詩人だなあ」なんて揶揄うような言葉が返ってくる。視線を向けると、白い頬をほんのりと朱に染めた親友が、常よりも随分と緩い笑みを浮かべていて、マゼルは無性に嬉しくなった。
隣には他愛のない話で笑いあえる親友がいて、空も道もきらきらと輝いて、酒の入った身体はぽかぽかとして
――ああ、なんて素敵な夜だろう! マゼルは踊り出したくなる衝動を耐えて石畳に落ちる光だけを選んで跳ねるように歩いた。
『勇者』スキルを見出され、家族と離れて王都に連れてこられた当初は、右も左も何もわからなくて不安ばかりだった。王都も学園も人であふれているのに、ひとり暗闇に放り出されたような気持ちで日々を過ごしていた。それが遠い昔に思えるほど、今は充足感に満ちていて、毎日が楽しい。
それは隣にいる親友のおかげなのだと、マゼルは誰に対しても断言できる。
隣国のご令嬢に毒を盛られたあの日、まだ親友どころか顔見知りにさえなっていなかった彼が手を差し伸べてくれたから、今のマゼルがあるのだ。
王都に来てから初めて、マゼルを『勇者』としてではなく「マゼル・ハルティング」という一人の人間として接してくれた。運び込まれた救護室で、黒とも紺とも言い難い、澄んだ星空を閉じ込めたような不思議な色の瞳が、真っ直ぐにマゼルを映したあの時から、暗闇ばかりだったマゼルの世界は鮮やかに色づいた。
マゼルは親友
――ヴェルナーを、星のような人だと思っている。
全てを燃やし尽くすような太陽の光ではなく、柔らかく包み込むような月の淡い光でもない。
控えめながらも暗い空で輝いて、マゼルが迷いそうになるとこっちだと道を照らしてくれる。ひときわ強く輝く、一等星のような人。
船乗りが星を目印に航海をするように、マゼルにとってしるべの星は、ヴェルナーだ。
ヴェルナーがいなければ何もできないほど、マゼルは幼い子どもではない。
けれども、彼がいれば何でもできるような気がした。『勇者』への羨望と嫉妬の視線にさらされても、所詮平民と侮られても、ヴェルナーがいれば不安など何もなく、マゼルは自分らしく振舞えた。
マゼルにとって、ヴェルナーは親友であり恩人であり道標であり
――希望だ。
ヴェルナーがマゼルを助けてくれたように、マゼルもヴェルナーを助けたいし、マゼルができることならなんだってしたかった。(残念なことに、平民のマゼルが貴族の彼にできることなどほぼないに等しいのだが。)
そんなことをつらつらと考えながら歩いていると、隣の気配が消えていた。気がつくと同時に、背後からぽつりと零れ落ちた小さな声。
「何か言った? ヴェルナー」
振り返り、どこかぼんやりとした様子で立ち尽くしている親友の姿に息をのんだ。
茫洋とした空気を纏う瞳がマゼルを映して、静かに佇んでいる。宵闇を背負い、店から零れる光を纏うヴェルナーは
――美しかった。
光の加減で藍にも碧にも色を変える黒髪が。手入れの行き届いた白い肌が。同じものを着ているはずの制服が。そして、初めて言葉を交わした瞬間から、マゼルを捕らえて離さない星空の瞳が。
ヴェルナーを形作るすべてが、人工の光を浴びてきらきらと輝いていて、マゼルは嗚呼と胸中で感嘆した。
(ああ、やっぱり君は星なんだ)
彼は、ヴェルナーは。マゼルだけの美しい星だ。
ならば、捕まえておかなければ。流れ星になって、手のひらから零れ落ちて行かないように。
「どうしたの? 気分悪い?」
ヴェルナーが好いてくれている、無邪気で優しい親友の顔で、マゼルはきらきらと光る星へ手を伸ばす。きめ細やかな頬に触れても、ヴェルナーは身じろぎもせずに受け入れてくれた。
警戒のない瞳に宿るのはマゼルへの信頼で、それが酷く心地良い。
酒で紅潮した肌はしっとりと吸い付き、潤んだ瞳は熱に浮かされたようにマゼルを映していて、ぞわりと背が粟立った。
「ヴェルナー、大丈夫?」
「
……大丈夫。少し酔っただけだ」
爪の先まで手入れされた、細く節の少ない美しい手が、頬に添えたマゼルの手に添えられた。
剣とは持ち方の違う槍を操るためか、マゼルの手とは違う個所に凹凸のあるその手は、酒のせいか常よりも温かい。触れるだけの緩い力で掴まれた手は、少ししてからそっと頬から離された。
一度受け入れられてからの緩やかな拒絶にマゼルは酷く驚いて、離されようとした手を握り返す。
「
……マゼル?」
どうした、と問いかけるヴェルナーの声が震えていた。
「ヴェルナーこそ、どうしたの?」
「
……」
ヴェルナーが理由なくマゼルを拒絶するはずがないと、マゼルは確信していた。
だって、マゼルに関わってきたのはヴェルナーなのだ。不愛想に見えて面倒見が良く責任感の強い彼は、一度懐に入れてから突き放すようなことはしない。そんな中途半端な態度を取るくらいなら、最初から関わったりはしない。
決して長い付き合いではないけれど、ヴェルナーがそういう人だと、マゼルはよく知っていた。
「なにか、辛いことがあった?」
「
……そんなんじゃ、ねえよ」
微かに動揺を伝えるヴェルナーの声。逸らされた視線はうろうろと彷徨い、珍しく感情を隠せていない。苦しい、と訴えられているようだった。
マゼルは握った手を両手で包み込み、美しい星空を真っ直ぐに見つめる。
「ねえ、ヴェルナー。言えないことなら、言わなくていいよ。けど、覚えていて」
――僕は、いつだって君の力になりたいと思っているんだ。
「マゼル
……?」
潤んだ瞳が驚いたように見開かれる。零れ落ちそうな星空に、マゼルは穏やかに笑いかけた。
「ヴェルナーみたいに上手くはできないかもしれないけど、君のためならなんだってするよ」
「マゼル、それは
――」
顔色を変えたヴェルナーに、分かっているよとマゼルは頷いた。『勇者』スキルを持つ者として今の発言が許されないことは、当事者のマゼルが一等理解している。
「けど、僕はまだ『勇者』じゃないから」
『勇者』は人々の為、世界の為にその力を使うのだと、何度も何度も教えられた。民の為、国の為、世界の為に戦うのだと。
何も知らなかった子どもに、それだけを信じて行動するように教えられた理念。おとぎ話の中の清廉潔白な勇者像そのものであれと
――そんなものはクソ食らえだ。
だって、ヴェルナーが苦しんでいる。たったひとりのマゼルの親友が、マゼルにさえ吐露できない何かを抱えているのだ。
まだ『勇者』が必要とされる凶事は何も起こっていない。何の実績もないマゼルは『勇者』である前に、ヴェルナーの親友である「マゼル・ハルティング」だ。ただの平民が、親友を案じて何が悪い。
「だから、そんな苦しそうな顔しないで」
ヴェルナーは、マゼルを導いてくれる星だ。だから
――。
「君の憂いは、僕が全て断つよ」
2022.12.18
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