三日月が浮かぶ良い夜だ。緩みはじめた北風は冬の終わりが近づいていることを伝えている。もっとも着込んでいるとはいえ、このペラペラな浴衣には寒すぎるくらいだが。
こんな日は野球拳で温まるに限るというもの。最初のターゲットは誰にしようかとふらふら歩いていると、敵陣ギルドの近くまで来てしまった。最近はついついこの方角へと歩いてきてしまうが、まあいい。この間のように退治人たちに勝負を仕掛けてみるのも悪くないだろう、やつらと遊んだあとにはVRCに泊まれるし。そう思い商店街の片隅に差し掛かった俺の視界に映る、見慣れた黒服の後ろ姿。
「よぉ、お嬢ちゃん、ここであったが百年目!よよいのよい!」
結界術を使う間も惜しんで娘に駆け寄り拳を突きだすと、振り向きざまに小さな手のひらがパッと差し出され「こんばんは」と挨拶される。
……やはりこの娘の野球拳反射能力は中々のものだ。だからこそ勝負を仕掛ける意義があるというもの。
「くっそ……奇襲したのに、やっぱ強えなぁ」
真剣勝負への期待感にウキウキしつつ頭に巻いた布を取り去る。よくよく見ると、娘は大きな花束に埋もれていた。丸っこくて小さい、黄色い花々が胸元から上を隠すように揺れている。花越しに俺の視線に気づいたらしく、店の飾りつけに使うために買ってきた帰りだと話す娘。重くねぇのか?と問えば「へっちゃらです!」と明るい声で返される。張り切っていることは伝わるが、お使いでこの量は中々無理があるんじゃねえか?
「あー、持ってやるよ、ここから大した距離じゃねぇだろ?」
この後ギルドに乗り込もうとも思っていたし、丁度いい。単なる親切心ではなくて、油断した所で野球拳を仕掛けてやろうという作戦だ、そう作戦。
一瞬意外そうな表情を見せた娘は、ありがとうございますと微笑みながら俺に花束を渡してきた。枝付きの花はずしりと重くよろけかけるが、何とか踏みとどまり娘と一緒に歩き出す。退治人の血を引いているだけあって、その辺の人間よりも逞しいことは分かっているはずなのだが、どうもこの娘にはつい口出ししたくなってしまう。
楽しげな嬢ちゃんの世間話に短い言葉で相槌を続ける。こんな時間も案外悪くねえなと思い始めた頃、暖色系の灯りが漏れるゴール地点が数メートル先に姿を現した。ここまでありがとうございましたとお辞儀をして俺から花束を受け取った娘は、ふと思いついたように「この花、お裾分けします!」と言って枝を一本引き抜く。
「お裾分けって……花なんてガラじゃねぇしいらねぇよ!」
お嬢ちゃん、いくらお礼だからといってもそんなことをしたら「俺が」お前の親父に殺されてしまう。思わず後ずさりすると、娘はむぅと頬を膨らませた……かと思ったら突然「じゃんけんぽん!」と叫んで勝負を仕掛けてきた。反射で出してしまった手のひらに、ピースサインが突き刺さる。嗚呼畜生、また負けた。不意打ちなんて卑怯だぞと言いかけたが、さっき自分が犯したばかりだからぐうの音も出ない。口元の布を取って娘の方を見ると「私の勝ちです、だから貰ってください!」と誇らしげな顔がそこにあった。
やれやれ、今日はお嬢ちゃんに負けっぱなしだ。諦めて枝葉のついた花を受け取ると、ほのかに甘い香りが鼻をくすぐる。……こんな花を持っていちゃ、闘う気も失せてしまうじゃねえか。今日のところは退散だ、ひとまず弟たちの元へと帰ろう。あいつならこの花に似合う花瓶の一つや二つ持っているだろ。
「ありがとな、嬢ちゃん……気を付けて帰れよ」
娘に背を向け歩き出そうとした刹那、浴衣の袖がぐいと引っ張られる。振り返ると眼前には黄色い花畑、そしてその中心にいた娘は悪戯っぽく笑って四つ折りに畳まれた紙を袖の下に突っ込んでくる。
―――あの、これ……ぜひ来てください。でも野球拳は禁止、ですよ?
そう言い残したかと思うと俺の返事を待たずにパタパタと走り去ってしまった。独り残された俺は受け取った花を落とさないように脇に挟んで袖の下を漁る。
「……あ!?なんだこれ……シンヨコダンスパーティーのお知らせ?日時、三月二十日……?」
その紙に踊る文字は、吸血鬼も人間も無礼講の祭の開催を告げていた。なるほど確かにこんな楽しそうな祭、見逃すわけにはいかねぇ。弟たちも誘って乗り込んでやろう。それに……この花のお礼参りもしなくちゃいけないからな。
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