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sisimi
2025-12-29 00:12:28
14049文字
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関係の変わる時
目水未満からの父水成立まで
目玉であった父をかわいいかわいいと好き勝手愛でていたところ、体を取り戻した父にこの姿でもかわいいか?と迫られる話です。
もしかするとまた後日、この後のまぐわい部分を追加するかもしれません。
1
2
年の終わりまでもうすぐという
時分
じぶん
、夜が更けてだいぶ経つが明日が休みだというので飲み続けている男がふたり。
虫も寝静まる頃合いであるから生き物の動く音はせず、隣近所の家々からも当然何の音も響いて来ることは無く、お互いが話す声だけがふたりの間を行き交っていた。
ぼやりと光度の弱い明かりが灯るこぢんまりとした畳敷きの部屋には引戸と抽斗のある背の低い棚と古い卓袱台、小さな石油ストーブがある。他の部屋に繋がる襖や硝子窓のある引戸は全て締め切られており、小さなストーブの火力は油量を絞った一番弱いものであったが部屋は十分に暖められていた。
卓袱台には丸々とした形の酒瓶と猪口、数時間前まではつまみの入っていたであろう空の皿が乗っている。
それを前に座っているのは顔に大きな傷痕を持つ黒髪の男で、緑がかったくすんだ水の色をした
藍鼠
あいねず
色の着流しの上に
濃紺
のうこん
の綿入れ半纏を羽織っている。
顔にある左目を縦に裂くように走る傷痕とぱっくり割れたように欠けた左の耳殻上部は人目を引く。しかし
一度
ひとたび
、男が外向きの笑顔を張り付けその口を開けば人当たりの良い表情と巧みな弁舌によって人々は男の顔にある目立つ傷痕など気にならなくなるのであった。
鍛えられて厚みのある安定した体躯に精悍な容姿、世間一般に男前だと評される男である。しかし今は酒が入って上気した頬に緩んだ目元を恋する乙女のように薄く染め、重たげな瞼の下で青い瞳を潤ませていた。
気の置けない友とふたりきりで好みの酒を味わう。それに加えて明日の心配も無い、となれば少々羽目を外して呑み過ぎてしまうのは仕方がないというもの。男は手にした猪口を口元に添え、嘗めるように酒を口にした。
とろ、と喉を滑り落ちていく香り高いそれを味わうように息をつく。夢見心地のまま薄く開けた口から肉厚の舌をちろりと覗かせて唇に残る酒を舐め取る。
心を許した友の前でのみ剥き出しになる無防備で幼い表情、大好物を目の前にした子供のような瞳の輝き、健康で豊かな体から放たれる果実の熟したような色香。男も女も振り向くであろう魅力と、よからぬ者が引き寄せられそうな危うさを孕むものへと仕上がっていた。
そんな男が親愛と言うには些か熱と甘さが多分に含まれた視線を注ぐのは傍らで酒を啜る友である。
男が身内に見せる顔は外向きのそれとはまた全く違い、柔らかく温かいものであることを男の友であるゲゲ郎は知っていた。
ゲゲ郎とその実子である鬼太郎にだけ向けられる笑みも甘くなる声も男自身が特別に意識しているわけではない。しかしゲゲ郎側からしてみれば、それが自分たちにだけ与えられる特別なものであることは間違いなく明らかであった。
男に妻や子がいれば、その深い愛情が注がれる先は変わっていたのかもしれない。しかし男は結婚をしておらず、妻や子どころか近しい親族といえば実母のみであったのだがそれすらも今となってはもういない。
家庭を持つべき働き盛りの年齢でありながら、独り身であるだけで世間からの目は厳しくなる。それに加えて親友の実子と共に暮らし、血の繋がらないその子供を我が子のように慈しみ一生懸命に養い育てている。
世間の奇異の目に晒されることは必至。けれどもそのような中で男は女性たちのそれを同情に変えて味方につけ、男性たちのそれを笑いや冗談で躱した。男が一人で子を養うには些か厳しいはずであった世間の目は少しずつ確実に温かいものへと変化していった。そうやって男は周囲の環境を上手く整えてきたのだ。
「のう、水木」
卓袱台の上、猪口を抱えるような形で座っている“目玉に人の形をした体と手足を生やした小さな生き物”が男を見上げる。
水木と呼ばれた男は酒の小さな水面から目玉へと視線を移した。糖蜜のように甘く蕩けた視線を受けるこの目玉の妖怪こそが水木の友、ゲゲ郎である。
「ありがとうなぁ
……
お主が居ってくれて良かった」
目玉に浮かんだ涙が言葉と共にぽろぽろと落ちていく。落ちた雫が猪口を満たす酒の水面に波紋を作る。
「ワシは、ほんに幸せじゃ
……
」
水木は目をぱちくりと瞬かせた。そうしてふっと吐息を零すようにほんの少し笑うと指を伸ばして目玉の涙を掬い拭ってやる。
「俺の方こそ、お前たちと一緒にいられて幸せだ」
「うう
……
っ、水木は良い男じゃあ
……
!」
目玉の妖怪は小さな腕で己の涙を拭うと水木の人差し指を抱き締めた。
その小さな体全体でぎゅうぎゅうと抱き付いてくる目玉を見ていると水木は落ち着かない気分になる。胸がそわりと震え、目玉の妖怪が動く姿がどうにも可愛く見えて仕方ないのであった。
大事な友で可愛い目玉のゲゲ郎。その高くなった声もまた可愛いもので、小さな手足で大きな身振り手振りをして動くのが健気で一生懸命に見えてしまう。
今もこうして水木の指にしがみつく姿はあまりにも可愛い。水木の手に乗ってくれるのも、肩口に乗っている時に耳元を擽る声も、ふたりきりで呑んでいる時はこちらだけに笑いかけてくれるのも全てが水木の胸を甘く締め付ける。
ゆっくり眺めていられるこの時間が至福となり、擽ったくて甘い、重さの無い温かい空気のような何かでいっぱいになる心地がした。
これが『癒される』ということなのだろう、そう水木は思った。
水木は目玉の可愛さを改めて噛み締めるように一度深く息を吸って吐き、きゅんとする胸を宥める。友は良くこうして水木を褒めてくれる。水木からすれば自分などより目の前のこの男の方が何倍も何十倍も良い男だというのに。
「お前さんの方が良い男だよ」
心から思う言葉を返す。水木はゲゲ郎より良い男などこの世にいないとさえ思っている。
それに対して目玉はおそらく口があるのだろう辺りに可愛らしく手を寄せてうふふと笑った。
「そうじゃのう
……
では、良い男の水木にそう言われるワシはとびきり良い男だということじゃな!」
目玉の妖怪は表情豊かであった。顔は目玉だけであるのに喜怒哀楽がはっきりしているから水木にも目玉の感情が読み取れる。
水木は出会った頃の友の姿を思い出す。ゲゲ郎のあの鼻筋の通った涼やかな顔、柔らかな白い髪に隠れがちな大きな目が印象的だった。見上げるような長身で均整の取れたしなやかな体躯を持ち、静かでどこか妖艶な雰囲気のある男であった。
再会した際には驚いたがあの大男が目玉だけの姿になっても中身は全く変わっていなかった。聡明で思慮深く、許容する優しさと強さがあり妻と子への愛情がとても深い。水木が友として好きになったゲゲ郎という男のままである。
水木がそう言うのだから、と得意げに己を良い男だと自信満々に言うその顔は確かに目玉であるのに得意な様子がはっきりと分かって、水木にはそれがひどく可愛らしく見えた。湧き上がる愛おしさのままに笑って肯定する。
「ははっ、いやうん、確かにそうだなぁ!」
ゲゲ郎は水木の言葉に乗っただけかもしれないが、水木は知っている。この男がいま己で言ったようにとてつもなく良い男だということを。
家族を愛し大切に思い、広い知識と深い洞察力を持ち、争いを好まずあるがままを受け入れる懐の広さがある。深い傷を抱えても歩いていく強さ。そんなところにどうしようもなく惚れ込んでいる。
水木にできることなどはきっとほとんどないのだろうが、できることは何でもしてやりたかった。この男が望むなら全てを叶えてやりたいと思うほど、その存在が水木の中の大部分を占めている。そしてそれはこの男の子供である鬼太郎に対しても同じであった。
もっとも、この男が水木に対して望むことはさして多くはなく、それも日々の小さなことに過ぎなかった。
水木の吸いかけの煙草、ゲゲ郎と鬼太郎と一緒に散歩に出ること、夏の氷菓子、秋の月見酒、冬に 水木が作る鍋、春の花見。何か欲しいものはないかと聞くとそんなことをねだるのだった。
「まあ今はこんなに可愛い姿になっちまったが
……
」
そう言いながら水木は猪口に抱きつくようにして 少しずつ 酒を飲んでいる目玉を目を細めて見る。ほんのりと赤く染まった白目がつるりと陶器のように
滑
なめ
らかに見える。何とはなしに触れたくなって指を伸ばし、つんと指先で軽く押した。
特に温度は無く、どちらかといえばヒヤリと冷たい。見た目には分からないが湿っているような表面を丸い形に沿うように指を滑らす。
目玉が不思議そうに水木を見上げた。
「水木?」
どうしたのだと言いたげな顔で水木を見上げてくる目玉に、ただ触れたかったのだということを正直に話しても良かった。しかし潤んだ赤い瞳で見上げてくる目玉が可愛く、少し意地悪をしたい気持ちが頭をもたげた。
「ちょっと飲み過ぎじゃないのか、真っ赤だぞ」
だから茶化すようにそう言って水木は目玉を指先で弾いた。
指先で軽く弾かれただけでも小さな目玉はよろける。
「いてて!急になんじゃ!?止めよ、水木は乱暴じゃあ」
水木の指が当たったところをこれまた小さな手で さすりながら目玉は文句を言った。むっと膨れっ面をしているのがよく分かる。
「ふふっ」
悪かったよ、そう言って水木は唇を寄せた。
ちゅうという僅かな音を立てて唇が触れて離れる。
「ひょわっ!」
驚きで目玉が飛び上がった。みるみるうちに白目が薄い赤に染まっていく。明らかに酔いではない朱色に染まる目玉の妖怪を見て水木が笑う。
「くっ、くくくっ、かわいいやつ
……
」
酔いで蕩けた思考では思ったことがそのまま口から出てくる。
「本当に良い男で、可愛いやつだよ」
いま目の前に見える親友の姿は目玉であっても、水木の中にはあの時の姿がくっきりと焼き付いていて、重なるように目の前に映し出される。
水木は目玉を覆うように両手をそっと添えると人差し指でゆっくりとその丸い形をなぞった。
壊れ物に触れるように、繊細なものを扱う手つき で触れる。猫の喉元を擽るように親指で目玉とそれに繋がる体の付け根をなぞる。
「お前は鬼太郎の父親としてすごく頑張ってるし、友としても最高なやつだよ」
水木の手のひらの中で目玉はふるふると小刻みに震えていた。恥ずかしがるように朱に染まった白目がこれまた可愛いと思う水木は目を細める。
汗か涙かわからないが滲み出たそれが球体に沿ってつるりと落ちた。水の玉がキラリと光って真っ赤な瞳が水木を見上げ、視線が合わさって。
あぁ「美しいな」と思った。
幼い子供がぬいぐるみに鼻先を埋めて顔をすり寄せるように水木は目をつむって目玉に鼻先を寄せた。鼻先がツンと目玉に触れ、また目玉がビクリと跳ねたがそっと小さな手が水木の鼻に添えられる。
ふわりと香るのは記憶にある男の匂いだ。白檀のような深い草木の繁る山の奥のような静かな香り。それが目玉からもして、この可愛い目玉はあの男なのだと改めて感じる。水木が香りに浸っていると目玉がちゅんと付き出したとても小さな口で水木の鼻先に口づけた。
とてもとても小さなちゅうという音は水木の耳にしっかり届いた。薄く目を開くと焦点の結ばれない距離、視界いっぱいがそれで埋まる距離に目玉がいるのがぼやけて見える。それを確認して水木はまた目を閉じた。
少し頭をずらして今度は額を寄せる。水木は祈るような気持ちであった。水木は心から友の幸福を願っている。たくさん傷付けられてきたこの男が、これから先はたくさん幸せになってほしいと思うのだ。
勝手な祈りの後で水木が額を離して目玉を見ると目玉はぼろぼろと涙を溢していた。
「また泣いてる」
泣く姿はやはり愛らしく、ふはっと笑いを溢した水木は目玉の涙を指先で拭い取る。
「ううう~~みずきぃ
……
」
「おい、本当にどうしたんだ?今日は特に泣き虫だな」
「ワシは、ワシは
……
お主のことが、どうしようもなく好きじゃ
……
」
「
……
おれも好きだよゲゲ郎」
一等大事で大切な友から好きだと言われるのは嬉しい。この男は素直で正直で、心根の優しいやつだからこの言葉は本心からのものだとよく分かる。
水木はこの男の一番の友であると自認しているが、それは独り善がりな思い込みではないとはっきりと言えるだろう。
ああ、嬉しいなぁ、と水木は噛み締める。ゲゲ郎と鬼太郎、ふたりと共にあれる今がどうしようもなく幸福であると感じる。
この男もまた水木を友として大切に思ってくれているのが伝わってくるのだから俺は本当に幸せだ。頭も胸の中もふわふわとして体が浮いて飛んでいってしまいそうな、そんな心地であった。
「水木がワシと同じ気持ちで嬉しい」とゲゲ郎が泣くのをどこか遠くに聞きながら水木の意識は落ちた。
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