自分が子供の頃、十二月二十五日といえば祝日であった。大正天皇祭といって、大正天皇が大正十五年のこの日に崩御されたことから、毎年この崩御日に相当する十二月二十五日は祝日だったのである。それが変わったのは、今から八年前の昭和二十三年のことだった。国民の祝日に関する法律の施行によって、二十一年にわたり祝日であった十二月二十五日は、何の変哲もないただの平日へと変わり果てたのだった。と言っても、新木場探偵社の繁忙期は冬。特にことクリスマス前は依頼が殺到するので、祝日などあってないようなものだった。浮気をする人々は、たとえ既婚者であってもこの聖なるタイミングで浮気相手との接触を試みる。どうにかこうにか、日付をずらしてまで浮気相手と特別な一日を過ごそうとするのだ。まったくもって理解できない心理だが、浮気調査の依頼の多さと実際に目にする浮気現場の多さから、どうやら悪い方向に浮足立ちやすいのは事実のようだった。朝刊も夕刊も大騒ぎする人々に対して苦言を呈し、警察が盛り場の警戒を強化する旨はもはや風物詩である。浮気でなくとも、この日は羽目を外しやすいようだ。
店頭にぽつぽつとクリスマスツリーが飾られ始めたころ、新木場探偵社では依頼の電話が毎日のように鳴っていた。実際に社まで足を運ぶ依頼人もいるため、電話は品川君が、来客対応は自分と新木場さんが分担して行っていた。しかし、増える書類の山、連日の浮気調査、眼前で繰り広げられる痴話喧嘩や不貞行為……。そのどれもが喧騒を作り出し、まさしく忙しさに殺される――忙殺と呼べる日々を織りなしていた。自分は食への興味がないこともあって食事を抜くこともままあるが、こうも忙しいと食べないとやっていけない。常であれば食べない菓子類も、この時期だけは無性に手が伸びた。
自分が浮気調査に圧倒されている頃、新橋さんの所属する劇団プルートもまた繁忙期を迎えていた。劇団プルートでは毎冬、クリスマスにあわせて特別公演を行っている。十二月は既に稽古期間に入っているため、演出家も兼ねている新橋さんは連日演技指導に追われているのだろう。十一月の下旬にそのことを説明され、ついでに自分も繁忙期を迎えることを告げれば、お互いの仕事が落ち着くまでは毎週日曜日の逢瀬はやめておこうという話になった。帰宅時間もまちまちであるから、電話で声を聞くことも叶わない。寂しいのはお互い様であるとわかってはいるのだが、舞い込んでくる浮気調査の依頼は、自分を不安にさせるには十分すぎるほどだった。自分は不貞を疑われていないだろうか。愛想をつかされていないだろうか。今すぐにでも会いたいが、新橋さんの仕事の邪魔になるようなことは決してしたくない。それに、自分の仕事を疎かにするようなこともしたくない。そうやって悶々と日々は過ぎていった。
十二月二十四日。世はクリスマス・イーブであった。探偵社からの帰路、冷え切った空気がツンと鼻を刺した。まだ十七時だというのにすっかり暗い。今朝の新聞では今年最低の寒さだとか言っていた。零下三度だったか。吐く息の白さに一つ、体を震わせた。それでも往来の人々の顔は明るく、仲良さげな二人組がそこかしこに歩いている。どこかからの帰りなのか、小さな子供の手を引いた親子も歩いている。
「サンタさんくるかな~」
「良い子にしてたならちゃあんと来るわよ」
「さっちゃんいいこだったよ!」
「ならあとは早く寝るだけね」
楽しそうに笑う子供がそんな会話をしている。
――自分は、良い子のもとにだけ来るというサンタクロースのことが好きではない。祖母が死んだあの日から、自分のことを良い子だなんて思ったことは一度もなかった。それは近親相姦という事実をもってより強く強く自分へとのしかかった。自分はこの世に生まれ落ちたその瞬間から悪い子だった。そんな自分を、サンタクロースは救ってはくれない。自分は良い子なのだと、肯定してはくれない。だからサンタクロースは嫌いだった。
でも、こうやって浮かれている世間を見ていると、恋人と楽しそうに過ごしたり、反対に恋人のせいで悲しむ人々を見ていると、新橋さんもきっと同じ気持ちなのだろうと思えた。自分と同じようにサンタクロースに嫌気が差しているのに、どこかこの特別感に羨望の眼差しを向けている。今でも、自分自身が良い子かはわからない。希死念慮は薄れているとはいえ、自身の出生を肯定することはできない。だが、たとえ自分の善性はわからずとも、新橋さんが良い子であることはわかる。確かにつっけんどんではあるし、そのせいで誤解を招くこともある。素直じゃないところもある。被害妄想が酷いときは自分にペンナイフを向けてくる。それでも、自分にとって新橋さんは良い子だ。サンタクロースは知らないかもしれないが、自分は新橋さんの良いところを沢山知っている。良い子にはサンタクロースが来る。サンタクロースが知らないのなら、自分がサンタクロースになってしまえばいい。
探偵社の最寄り駅、自分は下宿のある方面から歓楽街の方面へと番線を移動した。良い子の新橋さんにプレゼントを用意しなくては。明日はクリスマス。劇団プルートのクリスマス公演も千秋楽を迎える。観劇したら、関係者用の通用口で待たせてもらおう。そうして、とびっきりのプレゼントを渡すのだ。――サンタクロースとは、自分でなるものだったのかもしれない。誰かの存在を、肯定するために。
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