水樹咲夜
2022-03-07 17:47:33
24822文字
Public 笙主
 

見てみぬフリして寄り添い合う(笙主3)

一応、笙主です。男部長固定、自分の所の部長設定。
原作にはないけど、笙主の部長のキャラエピ3くらいのイメージ。
笙悟と話したり、男子会?したりしてる話。
笙悟キャラエピ5、踏み込む前辺りの進行度。

2025.10 加筆修正


 色んな人と交流し、帰宅部のメンバーとも上手くやれているようにしか見えなかった帰宅部の部長である奏。そんな彼が、実は人間の事がわからないなんて真顔で言ったり、現実ではいつも独りでいたのだと笙悟は偶然知る事になった。
 彼は基本的に何でもソツなくこなし、帰宅部も含めて多くの人と関わり、支えているようにしか見えなかったというのに。そんな部長本人が実は全然交流に慣れていないなんて、最初に聞いた時は何の冗談かと思ってしまう程だった。

 笙悟が奏の過去について聞く事になったのは、本当に偶然でしかなかった。もしそれを聞いていなかったら、彼が人と接する事に慣れてないなんて全く思わなかっただろう。それだけ彼はほぼ完璧に『優等生』であり『皆の頼れる部長』として振る舞い、自分の弱さを隠して皆にそう見られるように行動していた。
 彼は問いかけた事には素直に答えるが、問われなければ特に自分の事や現実の事は何も言わない。そしてメビウスでは基本的に、そういう事を踏み込んで聞く者も少ない。そういう意味では、奏は無防備なようで、話してもいい部分と話さない部分を決めて、自分の心の奥底には強固な壁を作っているとも言えるかも知れない。
 偶然知らなければきっと、笙悟も含めて帰宅部のメンバーは奏の事を何も知らないままだったろう。笑顔と頼れる部長としての彼の仮面を信じ切って、彼の現実を知る事もなく。そう考えると、偶然でも知れてよかったのかも知れない。

「笙悟、男子会してもいいって。鍵介と鼓太郎、それに維弦もいいって言ってくれた」

 どうやら奏はその事を忘れていなかったようで、後日いつの間にかしていたらしい説得の結果を部室で報告された。しっかりと男子メンバー全員と話して、参加させる事に成功したようだ。

「峯沢の説得も出来たのか、流石だな部長」
「何かよくわからないけど、俺が現実ではあまり人と関わってなかったのと少食なのが意外だったみたいで?」
「まぁ、確かに意外ではあるけどよ。俺も聞いた時はかなり驚いたし」
「鍵介と鼓太郎は、俺の事を話したら何かこう、複雑そうなというか。何となく哀しい顔してて……いいって言ってくれたのはよかったんだけど」
「その二人はまぁ、そうなる気がしてたよ」

 鍵介も鼓太郎も口では色々言ったりしているが、突っかかったり対抗したがるのは何だかんだ奏の事をかなり気にしているからだろう。そんな彼が現実では独りだったとか少食だとかそんな事を聞けば、きっと放っておけないだろうとは思っていた。

「俺はまさか、帰宅部男子全員参加してくれると思わなかったよ。みんな優しいんだな」
「まぁ、お前の日頃の行いだろ、多分な」

 それだけではなく鍵介や鼓太郎は奏を気にかけたんだろうし、維弦も彼のどこかに興味を持ったんだろうけれど。みんな優しいなどと言って嬉しそうに微笑む奏には、流石にそんな事は言い辛い。

『男子会なら、アタシは遠慮しとかないとだねぇ』
「そう?アリアなら別に紛れ込んでもよさそうだけど。俺の胸ポケットにいる事が多いし」
『いいのいいの、女子がいると話しにくい事とかあるかも知んないし?』
……そういうものなの、笙悟?」
「俺に聞くなよ」
「だって俺、現実で友達なんて全然いなかったから。そういうのって、正直よくわからなくて」
「いや、俺もお前とそんな大差ねぇから聞かれても困るんだけどなぁ……まぁ、そういう事もあるかもな」
『何か二人に余計な事まで言わせちゃってごめんね……じゃなかった、とにかくそんな訳でアタシは遠慮しとくよ』

 バーチャドールなのに意外と人間の事に理解のあるアリアは、そんな風に気を利かせられるらしい。もしかしたら男子メンバーだけの方が、奏があまり気にせず気負わず過ごせると思ったのかも知れない。
 アリアはμとは違う方向ではあるけれど、μと一緒に傷付いた人間の為にメビウスなんて作るくらいだ。隠していた心の傷が実はかなり深そうな部長の事も気遣っているんだろう。

「一応男子メンバーの予定も聞いたら、いつでもいいって言われたんだけども。笙悟は数日以内に何か予定あったりする?」
「いや、特にはねぇよ」
「なら明後日とかでも大丈夫かな。休みの日はみんなそれぞれ自由に過ごしたいだろうし。平日の週末の方が多分気楽でいいよね」
「割とすぐにするんだな」

 思っていた以上に彼は行動が早い。男子メンバーの説得を終わらせただけでなく、この分だと店選びなども既に終えて、ある程度候補を決めていそうだ。
 彼が真面目な性格なのもあるだろうが、もしや男子会をやるのがそんなに嬉しかったんだろうかと思うと、何とも言えない気持ちになる。

「うーん、いつ楽士の方に動きがあるかわからないし、早めにしとかないとみんな忘れちゃうかも知れないから」
「確かに相手の出方次第で動かなきゃならねぇし、期間が空くとうっかり忘れそうではあるな」
「それに、もしかしたら急に色々と上手くいって、μを説得してさらっと現実に帰れちゃうかも知れないだろ」
『まぁ、確かにそういう可能性もなくはないかも?』
「だからね、早めにしておきたいなって思ったんだ。もし心残りがあるまま別れる事になったら、きっと辛いからね」

 そう言ってどこか寂しげに微笑む奏は、帰宅部の中でも帰る事に消極的で、今も現実に帰る理由を探している人間だろう。それでもそうして、皆を帰すために自分も帰る事を前提として常に考えているようだった。
 自分に言い聞かせるような言葉は、もし帰る理由が見つからない間にその時が来たとしても受け入れる為だろうか。彼の事を少しずつ知ってくると、それは現実と向き合おうとしているというよりは、帰る事を静かに受け入れ諦めているように思えた。
 ここから逃げ出したいという理由で帰ろうとしている笙悟には、そんな奏に何か言う事も出来ない。けれど、ただ静かに諦めて受け入れるようなその姿は、どこか危うく見える。虚ろな目で空を見上げていた彼が落ちていく、そのありえないはずの幻が、いつか本当に……

「どうした、笙悟?何か用事あるの思い出したりした?」
「いや、大丈夫だ。特にはねぇよ、帰宅部の活動でもあれば別だけどな」
「活動はすぐにはなさそうかな。一応複数の知り合いに色々聞いてみたけど、今の所どこかでμがライブやるかも、とかの情報もなさそうだからね」
「お前の交友関係で情報が何も出てこないなら、今は特になさそうだな」
「俺、情報に強い知り合いって、そんなにいないんだけどな……鳴子はもう帰宅部のメンバーだし」
「いや、お前の『知り合い』の数を考えろよ。かなり多いだろ……まぁ、あまり自覚なさそうか」

 そっと人の心に寄り添い、いつの間にか自然と心に入り込みその存在を意識させ、けれど近付いたかと思えばスルリと遠ざかる。こちらから捕まえようとすると捕まらないのに、何食わぬ顔をして微笑んでいつの間にか傍にいる。親しくなったように感じても、懐いてくれたような気がしても、本当にはなかなか心を開いてはくれない。本人が意図しているのかいないのか、奏はいつもそんな感じだった。
 帰宅部のメンバーにだけでなく、多くの人と関わりながらも、聞かなければ自分の事を誰にも言わず掴み所もない。けれど少しずつ話を聞いてその心に多少触れたつもりになっても、彼の心の奥底は今も隠されたまま、そんな気がした。
 アリアはそんな彼の事を威嚇しない野良猫などと言っていたが、その行動と顔立ちは確かにそんな雰囲気はあるかも知れない。

……え、何、俺の顔に何かついてる?」
「いや、笑ってる時は全然気にならねぇんだが、真面目な無表情でひたすらじっと見てくると、意外と迫力あるんだよな、お前」
「き、気にしてるのに……だからなるべく笑顔を保つようにして、じっと相手を見続けないようにしてるんだけど。何か目つき悪いらしくて、見てると現実では怖がられたりしてたから」
「目つきは悪くねぇだろ。ただ何というか、心の奥底まで鋭く見透かされるような、真っ直ぐな視線で射抜かれているような。そういう雰囲気があるから、見つめられてると緊張する時はある」
「俺そんな雰囲気してるかな。つい見つめてしまう癖があるのは最近自覚したけど」
「基本的に物静かで穏やかで大人しそうなのに、妙な所で鋭いというか。まぁ、不思議な雰囲気があるよ、部長は」

 こんな風に静かで大人しそうなのに、戦闘中は銃を撃ちまくったり蹴ったりサマーソルトで敵を空中に蹴り上げたりしているのだから、人は見かけによらないものだ。

「その物静かで不思議な雰囲気が戦闘中には消え去って、自分のダメージも防御も考えず、敵に突撃していくんだから、なかなかギャップがあるよな」
「俺を猪突猛進な暴走特急みたいに言うのやめてほしいなぁ」
「近距離前衛タイプのやつが他にいてもやるからなぁ、武器は銃なのに。しかし、お前よくあれだけ動けるよな。確か現実ではそんなに動けないとか

 つい言った後で、これは言わない方がよかったかと思ったものの、言ってしまった事はどうにもならない。しかし、笙悟の言葉を聞いても、奏は特に気にした様子もなく頷く。

「うん、予想以上に動けて自分でも驚いた。きっと俺の心のどこかに、そういう願望があったんだろうね。動けるのはカタルシスエフェクトの効果もあるだろうけど、μが俺の心にあった願望を叶えた結果でもあると思うよ」
「現実では走れないって言ってたな」
「そうだね、左足が上手く動かないから。ゆっくり歩く事は出来るんだけどね。千切れたり義足にならなくてすんで、何とか自分の足で歩けるだけでもマシなんだろう」

 相変わらず、問いかければ隠す事なく素直に答える。それが奏にとって体だけでなく心の傷でもありそうな事だとしても。

……聞いておいてなんだが、聞かれたくない事だったんじゃないか?」
「いや、笙悟とアリアには俺の事少し話しちゃったし、別にいいんだ。俺の現実を知られると、頼りない部長だと思われそうで申し訳ないとは思うけど」
「やっぱりお前、部長として無理してるんじゃないのか?任せたのは俺だが、どうして引き受けたんだ」
「俺は笙悟に助けてもらったから。恩返しというか、少しでも何かを返せたらいい。俺に出来る事があるなら……それで笙悟や帰宅部のみんなを支えられるならいいなと思ったんだ。ちゃんと出来てるのかは今もわからないけどね」

 助けたというのは、最初に出逢った時の事だろう。結局奏を助けたのは笙悟ではなく、アリアの調律と、それにより本人が引き出したカタルシスエフェクトの力だというのに。あんな事でそこまで感謝しているのかと思うと、どうにも苦しいような気持ちになる。
 自分が逃げ出す為に仲間を集めていただけなんだと、そんな風に感謝なんてしなくていいと、そう言いたくなる。それでも、彼にとっては感謝して恩返しをしたいと思う程に、あれは重要な事だったのだろうか。

「無理は……してないと言いたい所だけど。現実では経験のない事ばかりだから、そうは言い切れないかも」
「嫌だったり辛かったりはしないのか」
「それは大丈夫だと思う、多分。みんなといて楽しいとか嬉しいとか、そういう気持ちの方が強い。みんなと関わる事が出来てよかったと思ってるよ」

 奏はそう言って微笑み、その後店を予約してくると言って部室から出て行った。どうにも笑って誤魔化して逃げ出したようにも見える。現実の事や無理をしている事をそれ以上追求されたくなかったのか、または考えたくなかったのかはわからないが。
 歩み寄ろうとしては怖じ気づき、手を差し伸べながらも向き合えず、それでも離れがたくて寂しさを埋めるように傍にいる。今はお互いにそんな状態なのかも知れない。

『笙悟は部長帰ってくるまでここにいる?』
「まぁ、そうだな。このまま帰るのも何となく悪い気もするし」
『ふむ、それじゃアタシは退散しとくから。きっと懐いてる笙悟の方が色々話しやすいだろうし。あ、部長には待たずに帰っていいって言っといて。後はヨロシク!』
「よろしくってお前……もういねぇし」

 その妙な気遣いは何なんだと思いつつも、あっという間にアリアはどこかへ飛んで行って、言葉を返す暇もなかった。どうも奏の事を任せようとしている気がする。
 笙悟が彼の事を少しずつ知って気にしてるからか、それとも奏が笙悟にすら伝わる程に感謝し慕ってくれているからか。情けない姿も見せてるだろうに、彼の態度は変わらない。ただ真っ直ぐに感謝と純粋な好意を向けてくる。

「何にしろ、いきなりぶん投げてこられてもなぁ……俺にどうしろと」

 そういえばアリアは、笙悟がカラオケで体調不良になった時も、ここは部長に任せとくね、などと言って素早く去って行った。気遣いなのか厄介事から逃げているのかは微妙な所だ。どちらにしても、返事をする間もなくいなくなるのはやめてほしい所だが。

 その時はアリアが素早く去って行った事に驚いて、笙悟を支えながら奏が少しの間ポカンとして固まっていたのを思い出す。

「え、ちょっと、アリア?……もういないし。素早いな」

 辺りを見回してアリアがいなくなってるのを確認し、まぁいいかと呟いて彼は苦笑し、改めて笙悟に肩を貸してくれていた。

「返事くらいさせてほしかったけど、うん、まぁ任されました」
「何かすまねぇな、部長。もう少ししたら一人でも歩けると思うし、大丈……
「大丈夫には見えないし、まだ顔色も悪いよ。この辺にデジヘッドはあまりいないとはいえ、その状態でもしまた駅前辺りでPV流れたらどうするんだ、倒れる気か?」
「それは……いや、しかし悪いだろ」
「俺に遠慮なんてしなくていいよ。俺が笙悟を放っておけなくて勝手に送ろうとしてるだけ。でも、笙悟の家知らないから道は教えて」

 遠慮しようとした事に少し怒ったような、それでいて心配そうな真剣な表情でそう言う奏に結局家まで送ってもらった。悪いと思いせめて家に招き入れて、飲み物でも用意しようとしたらそれもやってくれてしまったが。

「何か飲みたいのか?キッチン借りていいなら俺が用意するよ。笙悟はまだ体調治ってないよね、顔色戻ってないし無理しなくていい」
「いや、お前仮にも客だろ。普通は俺が用意するもんだろうに」
「あんな顔真っ青にしてフラフラになってた人にそんなの任せられません。それとも俺にキッチン見られるの嫌だったりする?」
「それはないな、キッチンに何のこだわりもねぇし」
「じゃあ俺がやるから。えーと、コーヒーでいいのかな?」
「むしろコーヒーしかねぇな」
「わかった、笙悟は大人しく座っててくれ」

 そう言って何故か奏がコーヒーを用意し、飲み終えた後はついでのように食器までしっかり洗っていったのは面倒見がよすぎる。頼れる部長として頑張ってるとはいえ、そんな事までする必要はないはずなのに。
 あれでは、何かお願いしたら色々やってくれそうな雰囲気があった。もしも家事とか頼んだら、呆れた顔をしつつもやってくれるんじゃないだろうか。

 そんな事を思い出し考えていると、予約を終えたのか部室に戻ってきた奏が笙悟を見て、一瞬驚いたような表情をしつつそのまま動きを止める。

「あれ、笙悟。帰ってなかったんだ」
「何だ、いなくなっててほしかったか?」
「ち、違うよ、ただ何と言うか……店は予約しといたからね。それじゃあまた」

 今度は明らかに笑って誤魔化しつつ、堂々と逃げようとしている。それを逃さず、近付いて奏の首根っこの辺りを掴むようにして止めた。

……あの、俺は猫の子じゃないんだけど」
「俺を見て逃げる事ねぇだろ」
「べ、別に逃げてません。ただ、何かこう、微妙に気恥ずかしい?感じなだけで」
「何で恥ずかしいんだ?」
「笙悟には俺の残念な部分や現実の事を少し知られてるから、時々どんな顔したらいいのか、よくわからなくなるんだよ。それが嫌な訳じゃないけど、ちょっと、何と言うか……恥ずかしくなるというか、落ち着かない気分になる」

 捕まった途端に逃げようとするのを止めて、諦めて大人しくなった姿は本当に猫の子のようだった。それを見て逃げないだろうと判断して奏を離してみると、やはりもう逃げたりはしなかった。この諦めの早さで、よく最初デジヘッドから逃げ切れたものだ。
 まぁ、色々知られて恥ずかしいという気持ちはわかる。というか彼は部長として、いつも帰宅部メンバーのそんな姿を見てるだろうに、逆に知られるのは恥ずかしいらしい。

「恥ずかしいと思ったりはするのに、問いかけると答えるんだよなお前は」
「それは、まぁ……仕方ないというか、答えるしかなかったから。そのまま、ここまで来てしまった」
「ここでなら、強制する奴も、現実のお前を知ってる奴もいないんだ。帰宅部メンバーだって俺だって、強制はしないだろう。答えたくないなら答えなきゃいいんじゃねぇのか」

 そう言ってみると、彼は意外な事を言われたような表情で、きょとんとして笙悟を見上げてくる。

「どうした?」
「そんな事初めて言われた。答えなくてもいいのかな」
「そりゃそうだろ、普通はそんな事まで強制とか……いや、とにかく、嫌な事まで無理に答える必要ないと思うぞ。お前は明らかに嫌だと思うような事まで答えてるだろ」
「嫌……うん、多分、嫌というか怖いのかも知れない」

 知られてみんなから嫌われるのは怖い。かき消されそうな小さな声で、ぽつりとそう言ったのが聞こえた。二人しかいない静かな部室だからこそ何とか届いたその言葉に、何か言うべきか、それとも聞かなかった事にした方がいいのか。笙悟が迷っているうちに、奏は微笑んで話題を変えてしまった。

「そういえば、アリアは?」
「さぁな。待たずに帰っていいとか、後はよろしくとか言って、どっか飛んでったよ」
「何かアリアにも笙悟にも気を遣わせてしまったような感じだね。えっと、俺は大丈……
「あー。そういや構い倒すんだったよな」
「え、構い倒す?」

 気を遣わせたと思って気にしてるのはむしろ奏の方だろうと思い、苦笑しながらそう言葉をかぶせると、きょとんと不思議そうな顔をされた。

「何だよ、そっちは忘れたのか?人慣れするよう構い倒すって言ってただろ。それともまた冗談かと思ってたのか」
「え、あ、いや……冗談とまでは思ってなかったけど。何と言うか、あの後帰ってから考えて、あれは社交辞令的な……本気にしたらダメなやつかなと思い直してた」
「思い直すなよ……まぁ、ほら、座れ」

 そう言いながら部室のソファに移動する。奏は困惑したような、どうしていいかわからないという表情をしていたものの、大人しくついてきて、笙悟と一緒にソファへ座った。

「構い倒すってどうするの?えっと、アリアが言ってたのは餌付けとスキンシップだったっけ」
「そんな事言ってたな。餌付けは今何も持ってねぇし、また今度として。とりあえず撫でてみるか」
「う、うん……そうだね。でも俺、撫でられた記憶とか両親生きてる頃くらいしかないし、そもそも優しくされたりとかもその頃しかないし、というかやっぱり笙悟にこんな事付き合わせるのは申し訳ないというか、いいのかわからないし。な、撫でられる時って一体俺はどうしていたらいいものなのかな……
「め、珍しく動揺というか、混乱してるのか?」
……はい」

 よく見ると銀灰色の瞳が戸惑うように揺れているし、視線もあちこちを見て定まらない。そんな様子を見ると、何だかこちらが悪い事でもしているような気分になった。

……俺に撫でられるのが嫌とかそういうのか?」
「それは違う!けど、何と言うか……なんか、改まるとこう、どうしたらいいのかよくわからなくなって」
「そんな難しく考えなくてもいいんじゃねぇか?やめといた方がいいならやめとくけどよ」
「な、慣れるように頑張ってみます」
「そうか?無理なら言えよ?」

 とりあえず頭を撫でようと手を奏の頭の上に持っていくと、怯えたように目をぎゅっと瞑る。それは前に頭を撫でた時には見なかった反応だ。そういえば、前に撫でた時はちゃんとこちらを見ている状態ではなかったかも知れない。
 その反応はただ、すごく緊張する、というだけには見えなかった。なるべく優しく触れるように、ゆっくりと頭を撫でると、恐る恐る奏が目を開ける。

「大丈夫か、嫌だったりしないか?」
……うん、大丈夫。嫌じゃないよ」

 怯えた様子が気になったものの、聞かれたら彼はきっと答えてしまうだろうから聞かないでおく。けれど、その様子は殴られる事を恐れたように見えた。彼は現実でただ孤独だったのではなく、虐待かいじめでもされていたのではないか。笙悟はついそう思ってしまう。
 本当の所はわからない。それでも、もしそうだったとしたら……奏が帰宅部にいる理由は、帰らなくてはという義務感と助けられた恩返しと、皆を帰そうとする優しさでしかないのかも知れない。

……笙悟は、優しいね」
「優しくなんかねぇよ、俺は」

 彼が呟いた言葉に胸が痛む。自分は優しくなんかない、本当は最低の人間なんだと言いたくなる。けれど奏はただ柔らかく笑って、頭を撫でる笙悟の手にそっと触れて言う。

「優しいよ、少なくとも俺にとっては。だって、こんなに温かくて優しい手だ」
……もし、俺が誰かを傷付けていたとしても、そんな風に言えるのか?」

 思わず、そう問いかけていた。全て明かす勇気もないのに、この少年に中途半端に縋ろうとしてしまう。そんな自分が嫌になる。

「言えるよ、俺は傷付けられていないし。それに、どうせ人間なんて誰もがお互い傷付け合うものだ。……本当に他人を傷付けるだけの人は、そんな風に問いかけたりしないよ」
「なら、俺がもし、お前を傷付けたら」
「俺は笙悟になら、傷付けられたとしても別にいいけど」
「どうしてそんな事が言えるんだよ」
「自分の事も他人の事も本当はよくわからないけど。うん、多分俺は、笙悟の事を結構気に入ってるんだと思う」
……どういう意味だよ、それは」
「どういうって?えっと、好ましい……好意、大切……?」

 首を傾げて呟きながら、意味を答えようとして悩んでいる。気に入ってるから傷付けられてもいいと思うなんて、純粋な好意と自己犠牲的な心が合わさっているのだろうか。普通はいくら気に入ってる相手だからって、傷付けられたくはないはずだ。
 奏の表情からは、ただ子供のように真っ直ぐで純粋な親愛が伝わってくる。彼にとって恩人であり、助けてくれて感謝したい人だと言っていたから仕方ないけれど。何も知らないから、そう言えるのだろうか。

「お前は、俺の事を知らないのに」
「そうだね、お互い知らない事ばかりだ。何かを深く知るのも知られるのも、お互い傷付く覚悟が必要だから」
「知らなくても、優しいとか気に入ってるとか言い切れるのか」
「そう思っているから言い切れるよ。勝手な押し付けだろうし、嫌だったらごめん」

 それは押し付けというにはささやかなものだと思うし、むしろ余計なものを勝手に色々押し付けているのはこちらだと笙悟は思い苦笑する。面倒事から感情まで、色んなものを奏に押し付けている自覚はある。
 そもそも部長を押し付けなければ、頼れる部長として奏が帰宅部の皆の事まで背負い込む事はなかったかも知れない。まぁ、彼は真面目だから、部長になっていなくてもそのうち背負い込んでいた可能性はあるが。

「謝らなくていい、別に怒っちゃいねぇしな。それに、俺だってお前に色々押し付けてるだろう」
「押し付けてるって……俺が押し付けられたとしたら、多分部長引き継ぎくらいだと思うよ」
「それは確実に押し付けた事だな。でもそれだけじゃなくて、何と言うか……色々頼ったり付き合わせたりしてるだろ」
「俺もアリアも、気になるから勝手についてってるだけだよ。戦闘とか、あとはこうやって人間に慣れる為に付き合ってもらってるし、結局俺の方が笙悟を頼ってると思うよ」
「そうか?お互い様な気がするけどなぁ」

 正直、彼の頼るというのは控えめすぎてそこまで頼られている感じはしない。奏はどうにも、他人を頼るのに慣れていないようだ。頼るどころか、むしろ自分の事も他人の事も抱え込みすぎているように見える。独りで抱え込んで、そうしていつか潰れてしまうまで。

……戦闘で頼りになるのもあるんだけど、笙悟がいてくれると、俺は何となく安心するんだ」
「そうなのか?」
「戦闘の時だけじゃなく、笙悟がいてくれると思うと何か安心感がある。これが信頼してるって事なのかな」

 そう言って、奏は淡い笑みを浮かべる。どこか儚く綺麗なその微笑みは、いつも見せるものと違って強さも穏やかさもない。それでも、だからこそなのか、その言葉と共に強く印象に残った。
 どこか頼りなく弱さも感じるその笑みが、もしかしたら本当の彼の装っていない微笑みなのかも知れない。

「そのせいで笙悟にはよく戦ってもらってしまってるから、そこは申し訳ないとは思ってるんだけど」
「どんな時も常に戦闘メンバーな部長に言われると流石にな……まぁ、適度に頼ればいいさ。お前の場合、他人を頼るのもなかなか難しそうに見えるけど」
「適度に?適度とは、どれくらいだろう……
「わかった、頼っていいからそんな深く考え込むな。何かお前、考え込むと身動きとれなくなりそうだし、考え込みすぎてロクな事にならなそうだ」
「俺、笙悟にどういう奴だと思われてるのか、ちょっと不安になるんだけど」
「安心しろ、悪く思っちゃいねぇよ。真面目で頑張りすぎるし、他人を頼るのが下手で何事も考えすぎる、なかなか不器用な奴だとは既に思ってるけどな」
「あまり安心出来なくない?それ」

 怪訝そうな表情で首を傾げる奏の頭を、とりあえずくしゃくしゃにするように撫でる。髪ぐしゃぐしゃになる、と呟く声が聞こえた気がするが聞かなかった事にしておく。全く抵抗しない辺り、嫌という訳でもなさそうだ。

「撫でられるのは慣れてきたか?」
「まだあんまり……申し訳ないような、照れるような気がする。でも、撫でてもらうのは何だか心地いい」
「嫌じゃねぇならよかった」
「嫌なんかじゃないよ。むしろ笙悟に撫でられるのは、好きだなと思う。胸の辺りがあったかくなる感じがする。それに頭を撫でられるのって気持ちいいんだな」
……お前、そういうのは恥ずかしくねぇのかよ」
「ちょっと恥ずかしいし照れるけど、伝えた方がいいかなと思う事は言うよ」

 気持ちよさそうにうっとり目を閉じてそんな事を言う奏に、こっちが照れるだろと笙悟は心の中で思う。少し頬が赤い辺り、彼が照れているのも本当だろうけれど、意外と素直に言われるのでこちらまで照れてしまう。
 人間に対してどこか諦め悟ったような表情や言動をする癖に他人を放っておけず、自分が助けられたと思った相手には真っ直ぐな感謝と親愛を向けてくる。嫌なら放り出して逃げればいいのに、真面目で不器用なせいかそれも出来ず、自分で自分を縛り付けて、結局メビウスでも優等生であり続ける、彼はそんな人間に見えた。

「意外と素直なんだな」
「素直、とは少し違うような気もするけど。俺は自分の事、そんな真っ直ぐな人間だとはどうしても思えないし。きっと歪んでる」
「まぁ、ここに来るような人間は皆、どこか歪んでるだろうけどな」
……ただ、大事なことは言葉にしなくては伝わらない。伝えておかないと、もし何かあった時にきっと後悔してしまう。そう思ってるだけなんだ」
「それは、経験からか」
「うん、俺は両親に感謝も好きも文句も、何も言えなかった。だから、別れがいつか必ず来るなら、大切なことは伝えておかないと。俺はきっとまた後悔する」

 そう言って、悟ったように微笑む奏のその笑顔は何故か笙悟の心をざわつかせた。それはただ皆との別れを意識しているだけではなく、自ら全てを手放そうとしているような……諦めているような。そういう、どこか空虚な微笑みに見えた。
 よくわからない焦燥感に駆り立てられ、つい彼の腕を掴む。別に今、奏がどこかへ行こうとしている訳ではないのはわかっている。それでも、何故か引き止めないと取り返しがつかないような、そういう焦燥感があった。

「笙悟?」
……もしも別れが来ても伝えきれなかったなら、現実に帰ってまた会えばいいだけだろ。俺たちは生きてるんだ。現実へ帰ったら二度と会えないような、そんな顔をするなよ」
「そんな、顔?」

 驚いたように呟いて、奏は自分で自分の顔に触れる。そんな事をしてもわからないだろうに。今の彼の表情は、全てを諦めたようなものではなくなっていた。ただ戸惑いと、どうしていいのかわからず途方に暮れた迷子のような表情をしている。

「部長が現実に帰りたいと強く思えねぇのは、これまで話を聞いて何となくわかってる。それでも帰宅部に協力してくれて、部長まで引き受けてくれたんだな」
「うん。帰りたい理由や、強い思いのない俺なんかが、こうして部長やってて申し訳ないとは思うけど」
「なら、現実でまた俺に……俺たちに会う為に、というのをお前が帰る理由にするのはダメか?」

 焦燥感のままに、ついそんな事を言ってしまう。自分の事を知られる勇気もなく、現実で会う事が本当に出来るのかもわからないのに。
 そんな中途半端な気持ちが、奏には伝わってしまったんだろう。彼は困ったように微笑んで、腕を掴んだままの笙悟の手にそっと触れる。

……覚悟が出来て、もしもお互い向き合う事が出来たなら。それを理由にするのもいいかも知れないね」
「覚悟?」
「うん、お互いの現実を知る、知られる覚悟。向き合って心に触れて……お互いが傷付くとしても相手の心を知ろうとする。そういうのってきっと、覚悟が必要だと思うから」
「そういう覚悟もないのに、現実で会うのを理由にしろなんて言うなって事か」
「俺に中途半端に依存されてもいいなら、別に言ってもいいけど。本当の俺は結構弱いし重いよ、多分ね」
「自分で言うか?」
「後悔させたくないから。笙悟は優しくて押しに弱そうだし、そういうの気を付けてね」

 そんな風に言って、彼は部長としての顔で微笑む。繋ぎ止めようとして、やんわりと忠告をされてしまった。お互いに向き合えていない、こんな中途半端な状態では、奏を繋ぎ止める事は出来ないのかも知れない。

「俺も自戒はするけど。……希望や期待をもつのは辛い事だから」

 穏やかに微笑みながらも呟いた彼の言葉は、拒絶というには弱々しく、苦しそうだった。どうかそんな事を軽々しく言って、希望や期待を持たせないでほしい。そう懇願しているようにも聞こえる。
 その後、そろそろ帰ろうと言われ、結局何か言葉を思いつく事もなく部室を出て一緒に歩く。お互いに何か言う訳でもなく、ただしばらく沈黙が続いていた。
 どうしたものかと内心笙悟が悩んでいると、学校を出た辺りでふと奏に呼ばれた。見れば、何故か彼は緊張した表情で真っ直ぐこちらを見つめている。

「えっと、笙悟が嫌じゃなければ、また付き合ってくれると助かります」
「ん?あ、ああ、嫌じゃねぇよ。それにお互い人に慣れるんだろ。というか、部長の方こそいいのか?」
「え、何が?」
「俺はその、あまり話してて楽しい奴じゃねぇだろうし。お前に嫌な事も多分言ってるだろうから、俺でいいのかと思ってな」
「それはむしろ俺のセリフだけど。もしかして、笙悟が部室を出てから無言だったのって、何を話していいかわからなかったとか?」
「まぁ、そうだな。嫌な気持ちにさせちまったかと」
「何だ、そっか……よかった。俺が余計な事言ったから、怒って黙ってしまったのかと考えてたんだ」

 そう言って、奏は気が抜けたように笑う。その言葉でようやく、彼が黙っていたのも緊張していたのも、笙悟が怒っていると思っていたからだと気付いた。
 二人でまた歩き出しながらも、お互いにホッとしたからか、先程までのような妙な緊張感はなくなっている。

「俺は楽しいよ、笙悟と話すの。人とちゃんと交流した事が小さい頃しかないから、上手く出来てるかわからなくて不安にもなるけど」
「それはまぁ、俺もだよ。ここに来るまでは殆ど他人と交流してねぇからな。関わってたのは昔の事だ」
「そうか……なら、そういう部分は少し似ているのかな」
「俺も、お前に付き合って慣れようとするのは正直助かるんだわ。メビウスに何年いても、そういうのは上手くねぇからな」
……だから、笙悟が部長だった頃は、何かこう、いつも気を張ってるような感じの声だったんだ」
「お前はそういう所妙に察しがいいよな……にしても、そんなに余裕なさそうなのがバレバレだったか?」

 そんな周りにわかる程だったろうかと不安になり、ついそう問いかけてみると、奏は安心させようとするように微笑んだ。

「俺が気付いたのはただ耳がいいのと、会った人がどういう人たちなのか知ろうとしていただけだから。バレバレではないと思うよ」
「耳がいい?」
「聞く感覚が他の感覚より強いみたいで。音楽とかやる分には助かるんだけど、ここでは結構あちこちから楽士の曲が聴こえてきたりするからちょっと大変なんだよね。まぁ、だから楽士たちの領域では歌以外の音になるべく意識を向けてるんだけど」

 あっさりと何ともなさそうに言っているが、それはこのメビウスという場所ではなかなか致命的な感覚だろう。何せ、どこへ行ってもμのPVが流れ、楽士の領域ではその楽士が作った曲が流れている。
 聴覚が強いなら、遠くからの音や小さな音でも拾ってしまうだろう。その分他の者より余計に、μの歌を聴き続けているようなものではないのか。そう思い、笙悟はつい隣を歩く奏を呆れて見てしまう。

……お前よくデジヘッドにならなかったなぁ。耳がいいなら大変だろ、嫌でもμの歌をずっと聞いてる事になるし」
「μの歌……楽士たちの作る歌は嘆きや怒り、苦しみや世の理不尽。欲望、願い、迷い。それぞれが感じている血を吐くような心の痛み。そういうもので出来ているから。それに同調しないようなるべく気を付けてる」
「同調するとデジヘッドの出来上がりか?」
「普段から感情を抑制する事には慣れてるから、多分デジヘッド化は簡単にはしないだろうけど。心は少し不安定になるかも知れない」
「感情を抑制する事に慣れてるのも、それはそれでどうかと思うんだけどな」

 奏はカタルシスエフェクトを最初に発動させた時も、酷く苦しそうにしていた。他のメンバーは感情を溢れさせた時に発動させた者が多かったが、彼は必要に駆られてアリアの導きで自らの心の一部をさらけ出したからだろうか。本当に身を裂かれているような苦しさに見えた。
 感情を抑制し常に理性的だから、あの時力を引き出すのに苦労していたなら、確かにデジヘッド化なんてしない気もする。

「お前、最初にカタルシスエフェクト出した時、他のやつより苦しそうだったよな。今は平気か」
「慣れたし、必要な力でもあるからね。それに、デジヘッドと戦うのは嫌いじゃない」
「意外だな、割と好戦的なのか?」
「戦ってると生きてる実感があるし、武器が銃の形をしていても相手を殺す事はない。まぁ、こっちはもしも負けると洗脳されるだろうけどね」
……生きてる実感ってお前」

 まさかその実感を得る為に、ダメージも気にせず突っ込んで行ってるんだろうか。戦ってる時にしか生きている実感がないのか、聞きたくなったけれど帰る方向が別なのでもう聞く時間はなさそうだった。

「変な事言ってしまったね、ごめん。それじゃあ……また明日」

 困ったように微笑んで軽く手を振ると、奏はすぐに振り返る事もなく走って行ってしまった。その姿は何となく、逃げていったようにも見える。知られて嫌われるのは怖い、消え入りそうな声でそう呟いていたように、知られるのが怖くてつい逃げてしまうのかも知れない。

「正反対だと思うのに、そういうとこは似てるのかもな」

 臆病で逃げてしまう、自分と向き合うのも自分を知られるのも怖い、そういう部分が。正反対だからなのか、似ている部分があるからか。自分でもよくわからないまま、笙悟はどうしてか奏の事を放っておけず気になっていた。



 そうして数日後。部長は真面目だからか相変わらず授業にちゃんと出ているが、帰宅部の一部のメンバーは部室へサボりに来ていた。いるのは笙悟、鼓太郎、鍵介、鳴子で、残りはどうやらそれぞれ授業に出ている者もいれば、別の場所に行っている者もいるようだ。

「うーん、多分これガセネタっぽいんだけど、部長に知らせた方がいいのかなぁ」
「さっきからうんうん悩んで、どうかしたんですか?」
「それが、μのライブが今日の放課後あるかもーってgossiperで軽く噂になってる。でもなーんか噂の域を出ない感じなんだよね。だから部長に知らせるか迷っててさ」

 いつもなら噂程度でも、一応部長にWIREで知らせていただろう。しかし、どうやら鳴子も今日の事を知っているから、彼に知らせるかどうか悩んでいるようだった。

……笙悟先輩、今日って男子会やるとかでしたよね」
「予定では今日の昼って言ってたな」
「でも、男子会って言っても、男子メンバーで飯食うだけだろ」
「鼓太郎先輩、奏先輩のあの顔見てなかったんですか?男子メンバーと食事するってだけなのに、かなり嬉しそうな顔してたじゃないですか。もし中止になったら、表情には出さなくても相当落ち込みそうなんですけど」
「そういや参加してやるって言っただけで、珍しくスゲー嬉しそうな顔で笑ってたな」
「しかもここ数日楽しみにしてそうでしたし。……引く手あまたって感じなのに、実は友達少ないのかな」
「もしかして、皆に誘われるだろうから無理だよね、とか思われて、実は皆に好かれてても一人だけ全然誘われないってタイプとか?」
「それはそれでキツイですね」

 鍵介の言う通りかなり嬉しそうだったし、実際楽しみにしている様子を見ている。それでもきっと、これを知らせれば噂程度でも奏は自分の気持ちを殺して、帰宅部の事を……他人の事を優先してしまうだろう。
 困ったように微笑んで、部長としての顔を貼り付けたまま、皆を帰す事を優先して自分の事を諦めてしまう。そんな顔は見たくない。

……ガセネタの可能性が高いなら、部長に知らせる必要はないんじゃねぇか」

 全てを諦めているような空虚な微笑みを思い出して、笙悟はついそう言っていた。

「まぁ、先約放り出しておいてμ来ませんでした、じゃあやってられないですし。雀の涙とか言われるレベルの、先輩の食事量ってのもちょっと見てみたいですからねぇ」
「高校生にしては全然食わねぇから、現実でもアレなら食生活がヤバそうだったな」
「それダメなやつじゃないですか」
「ともかく、部長は他人の事を優先するし諦めも早い。中止にしたら諦めてしまって、もう一度そういう機会を作ろうって事もなさそうだしな。出来れば今回は部長を優先してやりたい。μがいる可能性が低いなら、それでもいいだろ」

 笙悟の言葉に顔を見合わせると、その場にいる者たちは笑って頷く。奏が部長としていつも帰宅部のメンバーと積極的に関わっているからか、または時折彼が見せる孤独や諦めに他のメンバーも気付いているのかも知れない。どうやら皆同じような気持ちらしい。

「いいんじゃないですか。ここにいるメンバーが黙っておけばいい訳ですし」
「部長として頑張ってくれてるから、たまにはそういうの気にしないで楽しんでほしいし。情報はこっちで探してみるよ、噂になってる場所には一応女子メンバー全員で行ってみる」
「カメコもいいとこあるじゃねーか……でも女子メンバーだけで大丈夫か?」
「こっそり様子見てみるだけだから大丈夫。もし本当にμが現れたら、その時はWIREで知らせるし、現れなくても報告するよ」
「頼んだ。ライブの噂があるならデジヘッドが集まってる可能性もあるから、無理はするなよ。μがいたとか、またはヤバそうなら知らせてくれ。その場合は流石に、男子会とか言ってられねぇからな」

 一応そう注意しておく。本当は奏に知らせないまま、帰宅部の半分別行動で探らせるような事は危険かも知れない。そのせいで何かあったとして、自分はその責任をとれるのかとも思う。これは彼の為ではなく、きっと勝手な押し付けだろう。
 その孤独を僅かでも知ったから助けになりたいのか、自分と似た弱さを感じる彼への親近感か。友を、仲間を支えたいという感情もあるとは思いたいが、自分の感情がそんな綺麗なものなのかわからない。
 笙悟がそんな事を考えていると扉の方から小さな音がして、人影を見た気がした。走り去る音は聞こえなかったものの、一瞬前までそこに誰かがいた。

……なぁ、今扉の辺りに誰かいなかったか?」
「え?オレそっち見てなかったからわかんねぇ」
「僕も見てなかったんで、ちょっとわかりませんが、他のメンバーでも来たんですか?」
「いや、誰かいた気がしてな」
「もしかして幽霊でも見たとか?」
「んな訳ねぇだろ、やめろ」

 一応気になって廊下に出て周囲を見てみたが、やはり誰もいない。少しの時間で音もなく走り去ったか、どこかに隠れたのか、それともただの気のせいだったのか。帰宅部のメンバーならいなくなる必要はないし、楽士がこんな所へ来るとも思えない。
 一人だけ、やろうと思えば気配を消して逃げ隠れ出来そうで、話を聞いていたのがバレるとお互い少し気まずくなりそうな者はいる。話されていた本人……つまり、部長である奏だ。

「気のせいだといいんだけどな」

 時々サボるようになった優等生が、たまたまサボりたくなって部室まで来てさっきの会話を聞いてしまったとしたら。運がいいんだか悪いんだかわからないが、彼の妙な巡り合わせを考えるとそういう事もありそうだった。



 その後、予定より早く奏が部室にやって来た。どうせご飯食べに行くんだし、昼休みの前にサボってもいいよね、などと言って笑いながら。同じ二年だからか会ったのか、維弦も連れて来ている。そうして、席の予約も時間早めにしておいたというので、そのまま男子会という名の昼飯に行く事にした。
 隣を歩きながら奏の様子を見てみるものの、普段と変わりない。彼が部室の外で話を聞いていたのかどうか、その表情からは読み取れそうになかった。基本的に帰宅部メンバーといる時の彼は頼れる部長の顔を保っているから、ある意味表情を読むのも難しい。

……あの、笙悟。そんなにじっと見られてると、流石の俺もちょっと照れちゃうなー、穴開きそうだなーとか。何でそんな見てるの?」
「いや、何というか、お前の優等生の仮面も少しひび割れてきたのかと思ってなぁ」
「だって帰宅部のメンバー、サボる人多いから。俺もサボってしまってもいいかなとちょっとだけ思ってしまってる。笙悟先輩の影響かなぁ」
「俺だけかよ」
「冗談です。影響受けてるとしても、自分がそれを選んでるだけだし。現実ではなかなか出来ない事だから、メビウスでならいいかな」
「いいだろ、どうせここから出られずに一年経てば、学年が変わってループするだけだしな」
「もしもまたループしたら、次は今の先輩たちが一年になるんだよね」
「まぁ、そうなるな」

 今度は逆に奏がじっと笙悟を見つめてくる。しばらく無言で見つめられ、先程のお返しをされているような気分になった。

……何だよ」
「いやー……笙悟が後輩になるとか、全く想像つかなくて。そうなったら俺たち二年組が三年に上がって、今度は先輩たちが後輩になって俺たちが先輩って言われるって事だよね?想像すると違和感しかない」
「安心しろ、多分何故か違和感ねぇから。もしそうなったら、ちゃーんとお前を先輩って呼んでやるよ」
「いやいや怖い慣れない、色んな意味で怖い。っていうか髪ぐしゃぐしゃになる……撫でるならもっと優しくしてほしいなぁ」

 わざと髪をくしゃくしゃにするよう少し乱暴に撫でても、言葉と違って奏は楽しそうに笑う。その表情は部長としての顔ではなく、どこか幼くて嬉しそうな表情だった。

「先輩たち、そんな距離感でしたっけ」
……あー、こんなモンだろ」
「いや、何か二人確かに距離近くね?一緒に寝たからか?」
「一緒に、って笙悟は寝てなかったし、俺は寄りかかって寝てただけだし」
「いやいや、抱きついてましたけど。完全に抱き枕にしてましたよ」
「寝てる時の行動なんて無意識だから俺は知りません!」

 鼓太郎と鍵介にツッコまれて照れたのか、そっぽ向くその表情も年相応か少し子供のようだ。普段奏が頼れる部長として装っているものが、気を抜いて剥がれかけているのかも知れない。そんなもの全部剥がしてしまえばいいのに、つい心の中でそう思う。

……笙悟、そんな微笑ましげな顔してるなよ、無関係じゃないんだから。まぁ、くっついて寝てた俺のせいだけど」
「俺は抱き枕にされてた側だからなぁ、筋肉痛になったし」
「それは悪かったと思ってる。何か笙悟の傍とてもあったかくて安心して、つい熟睡しちゃったんだよなぁ」
「熟睡出来たならよかったよ、でも床で寝るのはやめとけ」
「う、アリアから聞いたのか……いや、ちゃんと寝る時は寝室で寝るよ。ただ何かもう動くのもだるいなーって時に、ちょっとだけ?」
「メビウスだからって、油断して風邪ひくなよ」
「大丈夫、ここでの俺の体は結構頑丈だから」

 理想郷として作られているメビウスでは、病気などは恐らく基本的にかからないように出来ているはずだ。しかし、だからって油断しすぎというか、自分の体も少しは気にしろ。笙悟がそう言おうとした時、奏が立ち止まった。

「あ、お店ここだ。みんな、はぐれてないね?維弦も帰ってないね」
「ここにいる……帰るなら最初から断ってる」
「うん、よかったよかった」
「引率の先生か何かですか」
「俺、先生なんて歳じゃないんだけど、まぁいいか。じゃあ先生についてきてくださーい」
「はーい、わかりました、先生」
「お前らノリノリかよ」

 普段からそういうノリには乗ってみるらしい奏は、笑ってそんな事を言いつつ男子メンバーを先導していく。その店は席が個室になっていて、極力周りと顔を合わさなくていいような造りになっていた。

……何か個室のある居酒屋みたいなイメージの店だな」
「えっ、オレたち未成年なのに入って大丈夫なのかよ」
「大丈夫ですよ。メビウスに酒類はないんで、アルコール入ってない普通の飲み物しかありませんし。まぁ、現実で何歳だろうとここでは全員高校生ですから、お酒とタバコは二十歳になってからって事でしょうね」
「ここにいたら一生高校生の姿だけどな」

 メニューを見ても、当然のようにアルコールの類はこの店にもない。まぁ、帰宅部や楽士などホコロビが見えるようになった一部の人間以外は、無意識にそういうものだと思い込まされているんだろう。実際、来たばかりの頃はそういう部分に違和感すらなかった。

「一応、あまり目立つのは避けたいだろうし、席が個室に近くて静かそうな所の方がいいかなと思ったんだ」
「助かる。あまり周囲が騒がしかったら帰ろうかと思っていた」
「維弦はそうなるかなーとは思ってたからその条件と、あとはそれぞれの好みで色々食べられそうな美味しい店がないか探した。先に言ってた通り、今日の男子会は俺のおごりだから。みんな、好きな物を食べて飲んでくれ」

 メニューを示して、彼は微笑みながらそう言う。奏が自分の食事量のイメージで言ってるんじゃないかと少し心配になって、一応笙悟は隣に座る彼にそっと小声で確認しておく。

「ここがメビウスでも、一般的な成長期の男子はお前の食事量と全然違うと思うけど、大丈夫か?」
「俺と違ってしっかり食べる一般的な食事量、というのを見る為でもあるからね。どーんと食べていいよ」
「それはまぁ、ありがたいんだけどよ。本当に男子メンバー全員分おごるとかいいのか」
「うん。実は俺、メビウスに来てから貯金してたみたいで。どうせ残しても現実には持って帰れないし、それならその貯金をみんなに使ってもいいんじゃないかと思ったんだ」
「何で貯金してたんだ?」
……よく、思い出せないけど。多分両親に何か贈ろうとしてたんだと思う。でもNPCだってわかったし、必要なくなったから」

 現実にはもういないし、NPCに贈る意味もない。そんな事を小声で他の者には聞こえないように言って、彼は一瞬だけ少し寂しそうに微笑む。それからまた明るく笑って、笙悟にメニューを差し出した。

「そんな訳で、ほら、笙悟も気にせず好きなの選んでよ。みんなも好きに注文して食べて。何なら食事だけじゃなくデザートつけてもいいよ」
「デザートは先輩が食べたいだけじゃないですか?」
「うん。だって甘い物は何か少しだけ心がホッとするんだよ、いいじゃないか」
「いや、まずはちゃんと飯食えよ」
「鼓太郎にまで言われてしまった。ご飯もちゃんと食べますよ、うん。……少なめのメニューあるかな」
「ダイエット中の女子ですか?」

 主に鼓太郎と鍵介にツッコミを入れられつつも、真面目にメニューを見て選んでいる奏を見ながら、笙悟は先程の彼の言葉を思い出す。現実では喪っているはずの者が、NPCとして存在している……今はもうホコロビが見えるせいで、顔すらきっと認識出来ないだろう。それは、どんな気持ちなのか。
 NPCとはいえ、死んだはずの存在がいるのは恐ろしくないのか、ここから逃げ出したくはならないのか。つい自分と重ねそうになって、それを打ち消す。そういう部分はきっと違う。

……笙悟。おーい、笙悟、聞いてる?」
「あ、あー、悪い、聞いてなかった。どうした?」
「注文決まった?って聞いてたんだけど、体調悪い?」
「いや、大丈夫。決めて暇だったからちょっとぼんやりしてただけだよ」
……そう?うん、ならいいんだけど」

 少しの間、彼の瞳が気遣うようにこちらを見つめてきたものの、他のメンバーもいるからかすぐに切り替える。その事にホッとして、けれど何となくどこか寂しさも感じ、自分の身勝手さに笙悟は思わず溜息をつきたくなった。
 それぞれが好きな物を色々と注文する中で、奏は一品料理の焼き魚に小盛りのライス、という方法で量を少なくしたらしい。他のメンバーの注文した物がテーブルを占拠しているからか、それは余計に少なく見えてしまう。

「先輩……
「言いたい事は俺も何となくわかるけど、何も言わないでくれると助かるなぁ」
「何も言わないでおくので、先輩も黙ってこれ受け取ってください」
「おかずが増えた……だと。え、鍵介、何で」
「オレもやるよ、肉食え肉。あとついでにコレも食って」
「鼓太郎、明らかに一つは好き嫌いあって俺に押し付けた奴じゃない?いいんだけど」
「まぁ、貰っておけ。ギリギリ食えるだろ」
「え、何、笙悟までこの流れに乗るの?というかどういう流れなのこれ」
……部長にどれか分ければいいのか?」
「維弦、別にこの謎の流れ強制じゃないし、俺おかずわけてくれとか全く言ってないからね?」

 次々に全員から小皿にひとつふたつとどんどんおかずを増やされ、焼き魚だけだったそれが肉から野菜まで色々増えていく。それを見て、奏が嬉しいような困ったような表情で目を白黒させている。そうして少しの間増えたそれを見て、急に気合いを入れたような表情をすると貰った物から食べ始めた。

「あー、一応言っておくけど、もし無理そうなら残してもいいからな」
……せっかくの気持ち、嬉しいから。大丈夫」

 笙悟の言葉に首を振り、照れたように笑ってそう言う。結局奏は一生懸命にどこか幸せそうに食べて、貰った物も自分で注文した分も残す事はなかった。
 それでも、多分彼にとっては何とかギリギリ食べ切れるくらいだったんだろう。食べ終えてから背もたれに思いきり寄りかかって、個室なのをいい事に部室にいる時よりもだらけている。横にならないだけマシかも知れないが。

「かなり気が抜けてるな部長」
「正直今にも寝そう」
「いや、寝ないでくださいよ。先輩にしてはゆるっゆるですね」
「寝ない寝ない。でも、こんな場所にデジヘッドも楽士もいないだろうし、多少気を抜いてもまぁ大丈夫かなーと」
「いたら嫌だけどな」

 少し眠そうではあるものの完全に気を緩めた訳ではなく、部長としての自分は保っているようで寝る気はなさそうだった。寄りかかったまま、ただぼんやりと食べ終わった食器を眺めている。

……それにしても本当にみんなは、よく食べるんだね」
「言っときますけど、先輩が全っ然食べてないだけですからね?」
「現実での部長の食生活が心配になるレベルだからな。実は栄養失調になってるんじゃねぇのか」
「ひどい言われようだ……現実で云々は正直否定出来ないかも知れないけど。これでも今日は頑張って食べてる方だよ」
「僕より少ないな」
「維弦にまで言われる程なのか、そうか」
「もっと肉食った方がいいんじゃね?コレも食うか?」
「もう無理、頑張ってもデザートがギリギリ。デザートは別腹だから何とかなるかも知れない」
「そこは無理しないでくださいよ」

 そんな事を話していると、不意にWIREの通知が来た。チラッと確認すると、μのライブがあるか確かめに行った鳴子たちからのようだ。やっぱり噂はガセネタだった、μは来なかった。笙悟はWIREにそう書かれているのだけは確認したものの、隣の席に奏がいるので返事は他のメンバーに任せる事にしておく。

「あ、先輩すみません。僕ちょっと電話してきます」
「うん、別に俺に言わなくてもいいんだけど、いってらっしゃい」
……ガセネタだった?」
「わぁ!ちょ、おま、ひとのスマホ見んなよ!あー、えっと、オレちょっとトイレ行ってくる。お前も来い!」
「は?どうして僕まで」
「いいから!」
「はいはい、いってらっしゃい。急に慌ただしいな」

 どうやらたまたまWIREの内容を見られたらしい鼓太郎が、慌てて維弦を引きずって出ていく。それを苦笑しながら見送った後で奏は少し何事か考え、その場に残っている笙悟に目を向けた。
 じっと真っ直ぐに見つめてくるその銀灰色は、いつも心の奥底まで見透かそうとしているようで、つい緊張してしまう。

「笙悟は大丈夫?」
「ん、何がだ?」
「WIREだろ今の。鳴子からかな……μのライブはガセネタだったとか?」
「お前、何でそれを」
「俺に知り合い多いって言ったの笙悟だろ。何人かがそういう噂があるって、今日言ってたんだよ。それで授業サボる事にして部室の方へ行ったら、偶然話聞いちゃってね」

 どうやらあの時扉の方から聞こえた音は、気のせいではなかったらしい。奏がそっと立ち去ろうとした時、少し音を立ててしまったのかも知れない。
 その後どこにいたのかはわからないが、少し早めに来たという事は、そのままサボって屋上にでもいたのだろうか。

「あの時の誰かがいた気配、やっぱりお前だったのか」
「急いで部室から離れて隠れたつもりだったんだけど、笙悟にはバレてた?」
「姿は見てないから、確証はなかったけどな。でも帰宅部の他のメンバーなら、多分普通に入ってくるだろ。入って来なかったって事は、自分の事話されてて気まずい奴だろうと思ったんだよ」
「まぁ、うん、当たりです。偶然とはいえ話を盗み聞きしてしまったとか、流石にちょっと気まずくて」
「どの辺から聞いてたんだ?」
「部長に知らせる必要ないんじゃないかって話してる辺りからかな。何か俺の事話してるみたいだったから、つい部室へ入らず聞き耳を立ててしまった」

 盗み聞きしてしまってごめんなさい、と申し訳なさそうに言い、笙悟が持っているスマホに目を向けてから見上げてくる。WIREでは恐らく会話が続いているだろうから、彼はそれを少し気にしたのかも知れない。

「聞いてた事、みんなには黙っておいてくれ。気を遣わせてしまって申し訳ないけど」
「余計な事だったか?」
「ううん、嬉しいよ……すごく。嬉しすぎて泣きそうになったし。俺、誰かに優先してもらった事なんて子供の頃しかなかったから。どんな顔していいのかわからなくて」
「嬉しいなら、嬉しい顔しとけばいいだろ。別に隠す事はねぇ」
……うん、そうだよね。どうも慣れなくて難しいけど。それも練習、かな」
「そうだな、装ってばかりじゃなく、自分の感情を出すのも練習して慣れていけばいいんじゃねぇか」

 小さく頷いて、奏は困ったように自分の顔に触れる。そうして彼が笑ったり顔をしかめたり、自分で自分の頬を軽くつねったりしているのを笙悟はつい少しの間眺めてしまう。

……百面相か?」
「違うよ、装わないようにしようと思って、自分が今はどんな表情してるのか確認してたんだ」
「表情確認してたら、結局装うような気がするけどなぁ」
……うーん、それはそうかも。とにかく、今日はありがとう、笙悟。おかげでいい想い出が出来た」
「俺に礼を言うような事じゃねぇだろ」
「礼を言うような事だよ。だって、嬉しかったから」

 奏はそう言って、照れたような顔をしつつ満面の笑みを浮かべる。さっきまで百面相していたとは思えないような、今まで見た笑顔の中でもそれは本当に嬉しそうな顔だった。
 その表情をつい見つめてしまって返事をする間もなく、急に席を立っていたメンバーが全員戻ってきた。どうやら女子メンバーとのWIREが終わったらしい。

「ああ、みんな一気に帰ってきたね、おかえり」
「先輩、鳴子先輩から男子会の様子撮って送れって指令来てるんで撮りますよ」
「えぇ……突然だなぁ。送れって、gossiperにでも上げる気かな。せめて上げる時は顔わからないようにしてほしい気もするけど、そのままかなぁ」
「前科もあるし、一応言っといた方がいいかもな」
「あ、そうだ。俺にもついでに撮った写真送ってくれないかな、鍵介」
「いいですよ。何なら集合とかだけじゃなく、ここにいる全員と先輩でそれぞれツーショットも撮っときます?」
「みんながよければ。お願いしてもいい?」

 申し訳なさそうにしつつもそう言う奏の頼みに、その場にいる全員が頷いた。断る者もいそうなのに意外ではあったが、その辺は部長として彼が築いてきた信頼の賜物かも知れない。
 集合写真と、それぞれとのツーショットを撮って送ってもらった後、奏は嬉しそうに微笑んで言う。

「ありがとう、みんな。こういうの初めてで、何かすごく嬉しいよ」
「男子とのツーショットで、こんなに嬉しそうな人いるんですね」
「だって、友達との……仲間との写真だ。今までそんなのなかったから。現実に持ち帰る事が出来るかわからないけど、大切にするよ」

 撮ったものを確認してから、彼は本当に大切そうに自分のスマホへと触れる。その表情は嬉しそうで少し寂しそうな、それでいて満たされたようでもある不思議な微笑みだった。
 奏の表情が少し気になったものの、その後は解散となってしまったのでどうしてそんな表情をしていたのかはわからない。……あえて聞かなかったのかも知れない。

 彼が言っていたように、向き合うには覚悟が必要で、笙悟にはまだそんな覚悟はなかった。ただここから逃げ出したいだけの人間に、そんな勇気なんてない。
 後にその覚悟を決めた奏が、笙悟の現実を受け止め向き合おうとするその時までは、ただ目をそらし逃げ続けるしかなかったのだから。