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水樹咲夜
2021-07-17 12:30:02
12707文字
Public
吟主
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萌芽(吟主♂)
ギュラ2、吟主です。自分の所の部長設定、男部長固定。イチャついているような気がしなくもない話。
1
2
響矢が最初に見た夢は、とても曖昧なものだった。奇妙に歪んだような世界。街、電車、学校。赤い、赤い、真っ赤な世界。ただどうしてなのか不安で、不快で、怖くてこわくて、ひたすら気持ち悪い感覚だけが妙に鮮明な夢。曖昧で不確かで、何なのかわからないのに、ただ嫌な感覚だけが残る夢だった。
それが、ハッキリとした現実を映すようになったのは、幼い歌姫の半身になってからだ。別にキィが悪い訳ではない。ただカタルシスエフェクトを使い、現実を強く意識した事で現実という地獄から逃れられなくなっただけだろう。リドゥの見せる虚構から醒めて突きつけられた現実という夢は、彼にとっての傷であり、地獄だった。
赤い、赤い、真っ赤な世界
……
真っ赤な夢。それは断片的な地獄の記憶、心に残った思い出したくもないもの。子供だった自分が見てしまった、身近な死の記憶の欠片。
学校から帰って来た自分の瞳に映ったものは真っ赤な床、べったりとついた血液。そこに倒れている誰か、その首から流れ出た命の色。倒れていたのは母親だったものの体、魂を失った肉の器。それを立ち尽くしてただ見つめる事しか出来ない、幼かった自分。何が起きたのか理解出来ず、理解を拒み、ただそこに茫然と立っているしかなかった、現実の過去の赤い夢。
「っっ!はぁっ、は、ぁ。
……
あ、あぁ、そうか。また、か」
そこで大体いつもその夢は途切れ、響矢は叫びそうになりながら必死に目を覚ます。そうして荒い呼吸をしながら、それが夢であり現実で過去にあった事だとハッキリ思い出させられた。自分のどうにもならない後悔は、死の色に染まっている。その夢を見るのは深く眠れなかった時だけなのが、まだマシだろうか。
それが今起こった事ではなく夢だったと理解しているのに、まだ周りが赤く染まっている気がしてしまう。起き上がって周囲を見回し確認しながら口元を押さえ、発作のようにこみあげてくる気持ち悪さに何とか耐える。ぐらぐら視界が揺れて、そのまま意識まで持っていかれそうで、ただそれがおさまるのを待つしかない。その夢を見ると、いつもこうなった。
夜明け前の世界はただ静かに暗くて、カーテン越しにうっすらと見える街の灯りと空の光しかない暗闇は夢の中の景色とは全く違う。その殆ど何も見えない闇の中で、少しだけ安堵しながら響矢はそっと息を吐いた。あれはただの夢だ。もう終わってしまった、どうにもならないただの過去の現実だ。心の中で自分にそう言い聞かせる。
「
……
っ、はぁ。もう思い出したんだから、そんな何度も見なくてもいいのになぁ」
「どうした、ハンシン。大丈夫か?」
響矢の様子に心配したのか、キィが内側からではなく、スルリと中から出てきて問いかけてきた。暗い中でもふわりと輝くようなバーチャドールの少女のその姿に微笑んでみせて、少し弱った心を表情に出さないようにしながら響矢は答える。
「
……
キィ。大丈夫、ちょっと現実の夢を見ただけだから。現実の夢って言うと、何だか変な感じだね」
「夢の中で、現実の夢を見ているような感じだろうし、確かに言葉としては変かもな。でもそれ以外に言いようがないというか
…
」
「まぁ、他に言い方思いつかないから、仕方ないね」
「何か今気持ち悪そうにしてたし、ハンシンの心も揺れてぐわんぐわんしてるけど。それも夢のせいなのか?」
「うん、夢は夢でしかないんだけどね。俺が元気ないとキィにまで少し影響あるし、気を付けないとなぁ」
キィと話しているうちに、ようやく少し落ち着いてきた。現実の夢だろうと、夢は夢
……
現実ではもうどうにもならない、それはとうの昔に過ぎ去って終わった事だ。心に刻まれてしまっている、ただの後悔でしかない。
リドゥという虚構の世界でやり直してみても、現実をもう一度やり直す事なんて出来ないし、助ける事も止める事も出来ない。時間はただ流れていくだけのもので、もう終わってしまった事を巻き戻すなんて不可能なんだ。響矢はもう一度心の中で自分にそう言い聞かせ、吐き気を無理矢理ねじ伏せ振り払い、悪夢の残滓が消えていくのを待つ。
スマホで時間を確認すると、まだ深夜に近い早朝だった。こんな時間ではWIREで誰かと話して安心したくなっても無理だ。起きている人を探そうにも、グループで話しかけたら皆に迷惑がかかるかも知れないし。心細いような気持ちになったからか、ふと吟の顔が思い浮かんで、慌ててぶんぶんと首を振る。頼れる仲間とはいえ、こんな時間に起こしたら悪いし、こんな事で心配も迷惑もかけたくない。
「寝直したら遅刻するかなぁ
…
でも流石にこの時間に悪夢見てそのまま起きるのは嫌だな」
「早起きはいい事ではないのか?」
「早起きはいい事かも知れないけど、寝不足は悪い事だよ?」
「むぅ、ニンゲンは難しいなー」
もしも遅刻してしまったら、鐘太先輩に潔く怒られよう。と変な方向に吹っ切れて、響矢はもう一度横になって目を閉じる。そうして今度は夢を見る事もなく深く眠れた代わりに、うっかり目覚ましのアラームをかけ忘れていたせいで、潔く大遅刻してしまったのだった。
「
……
おはよう」
「部長、大丈夫か?すごい眠そうだし、昼休みに来るなんて滅多になさそうな大遅刻だけど。体調悪いとかなら、いっそ休んだ方がよかったんじゃないのか?」
『ハンシンは早朝に現実の夢を見て、うなされて起きて、その後また寝てうっかり大遅刻したんだ』
「アラームをかけ忘れちゃってたみたい。キィも俺が体調悪いならと、寝かせてくれようとしたみたいで、全然起きられなくて。起きたらもうとっくの昔に授業始まってたから、サクッと諦めて今来た」
「いっそ潔いけど、そうか
……
現実の夢、か」
「うん。最初の時は割と曖昧なイメージでしかなかったんだけどね。最近はかなりハッキリとした悪夢だから、ちょっと困るよ」
『あんなに気持ち悪そうにするなんて、一体どんな夢を見てるんだ、ハンシン』
「気持ち悪そう?」
『口押さえて真っ青になって、何かこう、今にもうぇーっと吐きそうになってる感じ?現実の夢を見て起きるたびに、いつもそんな感じの様子だからつい気になって』
ああ、しまった、キィに口止めしておくんだった。響矢が心の中で今更そう思っても、既に言われてしまった事はどうしようもない。仕方なく、怪訝そうに見つめてくる吟に苦笑しながらそれを認めて頷く。
「あー
……
まぁ、うん。現実の夢を見るとどうしてもね。何だか気持ち悪くなって、吐き気してしまうんだ」
「
……
気持ち悪くなるような夢なのか」
それを聞いて吟がどう思っているのかわからなくて、今どんな顔をしているのかも確かめられない。もしも、変に思われていたらと考えると、吟の方を見れない。それなのに、じっと見つめられているのがわかった。強い視線が突き刺さってくるようで、響矢はどうしたらいいのかわからなくなる。
どう誤魔化すべきだろう、それとも夢の内容を言うべきなのか。言うとしても一体何を、どう言えばいいんだ?あんな事、誰にも言いたくない。きっと普通ではないと思われてしまう。ぐるぐると焦って混乱して悩んで、つい夢の事まで思い出してしまい、また少し気持ち悪くなってふらつきそうになるのを何とか耐える。
「赤い、夢だよ」
「赤い夢?」
「うん。赤い、真っ赤な夢。眠りが浅いと昔の夢を見るんだ。どうにもならない、戻ってこない、何も出来なかった無力な俺の後悔を」
そこまで何とか言って、それ以上何をどう言えばいいのかわからなくなって、響矢は俯いて目を閉じる。話しながら夢の光景を思い出してしまったせいか、またどうにもならない吐き気がしてきて、つい口を押さえる。
部長、と吟に呼ばれているのが聴こえているから、何とか返事をしなきゃいけないと思うのに。気持ちばかりが焦って返事すら出来ない。呼吸が苦しい、言葉が出てこない。血の色を思い出して気持ち悪い。混乱してどうしていいかわからなくなる響矢の肩に、そっと温かな手が触れて、吟の静かな声が耳に届いた。
「部長
……
響矢。目を開けて、こっち見ろ。他は気にせず、目を開けて僕を見るんだ」
「う、ぅ。え
…
?」
「僕の方だけ見て。夢の事とか他の事とか、全部気にしなくていいから」
「う、うん?」
「よし、ちゃんとこっち見れたな、いい子だ。はい、じゃあゆっくり深呼吸」
その落ち着いた声に言われるままについ目を開けると、意外と近くに吟の顔があった。少し驚きながら、それでも吟と目を合わせて、ただひたすらその瞳をじっと見ながら何とか深呼吸する。呼吸が苦しくなっていたのは、無意識に自分で息を止めていたからだと、響矢はそれでようやく気付いた。
そうしてただ吟だけに意識を集中して、何度もゆっくり深呼吸をしているうちに少しずつ心が落ち着いてきた。
「少しは落ち着いたか?」
「
……
うん」
「でもまだ顔色悪いな、保健室行っとく?」
優しく労るように頬に触れられ、ただ心配そうに見つめられた。変に思われたり、嫌われたりもしていないようで、ついホッとしてしまう。心配かけてしまったなという申し訳なさもありつつ、やっぱり吟は優しいなという嬉しさでじんわりと胸が温かくなってつい微笑んでから、保健室という言葉に少し悩む。
「大遅刻してきたのに、保健室行くのもなーって。それに、これは思い出してから時々ある事だし
…
そのたびに遅刻したり保健室行ったりするのもどうかと思うんだけど
…
」
「じゃあ、もし僕が同じような状態だったら、部長はどう思う?」
「え、それは保健室行った方がいいと思うよ。むしろ無理せず休んだり早退した方がいいんじゃないかな」
「そういうとこだよ
……
全く、自分の事には結構無頓着だよね。他人の事ばっかりじゃなく、自分の事も気にしろよ」
はぁ、と溜息をついて頭を抱える吟に、呆れさせてしまったのかなと思って見ていると、急にがしっと腕を掴まれた。そのままぐいぐい引っ張られて吟と共に教室を出て、二人で廊下を歩く。響矢はよくわからないままとりあえず素直にその後をついていきながらも、一体何事だろうと首を傾げて問いかけてみる。
「え、何、吟
…
どっか行くの?もうすぐ昼休み終わりそうな時間だけど
…
」
「だから保健室だって。今さっき聞いただろ、保健室行くかって。または早退でもいいし。あぁ、でもこのまま帰すのも何か心配だし、体調マシになるまでキィトレインで休むとかでもいいか、そうしよう」
「
……
吟も調子悪い?」
「僕は調子悪くないし、今は自分の心配しろって!全くもう、それが部長のいい所でもあるけど、悪い所でもあると思うんだよなぁ。他人に優しいのはまぁいいけど、自分にも優しくしてやんなよ」
『確かに、ハンシンは他人の心配はいっぱいするが、自分の事はいつも自分だけで抱え込んでしまっている感じだ』
「だって
……
心配かけたくないから」
「そうやって抱え込んでる方が心配になるし、それで部長が体調を崩す方が僕は嫌なんだけど」
キッパリとそう言われ、思わずきょとんとして吟を見る。怒っている訳ではないようだけれど、真っ直ぐにこわいくらい真剣に、じっとこちらを見ていた。響矢はそれに驚きながらも、視線を外す事も出来ず、どうしていいのかわからないまま何とか見つめ返す。
「でも、つい頼ってしまうかも知れないし、こんな風に付き合わせるのも悪いよ」
「僕は部長相手じゃなかったら、そもそもここまでしてないって。誰か体調悪そうにしてても、何か体調悪そうだなーで終了、せいぜい保健室行ったら?って言う程度。僕はそこまで他人に優しくないし」
「吟は優しいと思うけど」
「部長に対してはそうしたいってだけ」
吟の言葉を少し考えてみると、お前だから優しくしているという風に聞こえてしまった。慌てて部長だからだよねと思い直して、掴まれていない方の手で自分の胸をそっと押さえる。何故だか心臓がドキドキしていた。でも、どうしてドキドキしてしまうのかよくわからない。
それに、胸の内側が温かくなって、ふわふわしたような気持ちでいっぱいになる。嬉しいような、とろけそうなような、よくわからない不思議な感じがした。これは何だろう、響矢は考えてみたけれど知らない感覚な気がして、わからないけどいい事な感じだからまぁいいか、と思う事にした。
そのまま吟に腕を引っ張られるままついていって、駅のホームに着いた。そこでふとこちらを見た吟が、何故か驚いたような顔をしていて、響矢は不思議に思ってそれをただ見つめる。
「
……
何て顔してるんだよ」
「え、俺何か変な顔してる?」
「変じゃないけど、飯食ってる時以上に嬉しそうというか。何かこう、とろけそうな顔?」
「うん、確かにとろけそう。どうしてかわかんないけど
……
吟が俺に優しくて、胸の中ポカポカして、ふわふわしてて。熱くて温かいみたいな感覚がする?よくわからないけど、嬉しいような、とろけそうなような感じ」
「
……
幸せ?」
「うん。そっか、幸せなのかこの感覚。きっと、今まで俺が知らなかった幸せの種類
……
心を満たす優しくてあたたかなものだ」
「それって、僕が原因なんだ?」
「うん、吟が俺に優しくしてくれて、一緒にいてくれてよかったって思ってたら、そうなった」
胸があたたかなものに満たされた感じがして、ドキドキもするけどふわふわした気持ちになった。これも幸せだというなら、今まで感じた事のないような幸せだ。新しい気持ちを知って、響矢が何だか嬉しくなって微笑んでいると、吟の方は何故か帽子を深くかぶって別の方向を見て、顔を隠してしまっていた。
「吟、どうかした?」
「いや、うん、ちょっと
……
何と言ったらいいのか。うん、とにかく幸せならよかった」
顔が見えないとよくわからないが、どうやら別に怒ってる訳ではないらしい。そのままキィトレインに乗ると、スルリとキィが響矢の内側から出てきて、そのまま何故か離れていく。
「キィ?」
「ハンシンの何かこう、幸せオーラ?ふわふわした気分でちょっとキィまでふわふわするからな。どうせここで少し休むのだろうし、それなら離れても問題ない」
「ふわふわ?」
「何かこう、ふわふわだ!よくわからんが、ニンゲンすら空飛べそうなふわふわした感じだ。このままだとキィはうっかりどこかへ飛んでってしまいそうだから、少し離れておく。ハンシンは遠慮せずここで休んでおくといい。まぁ、ハンシンなので完全に離れるのはムリだけど、自由時間というやつだ」
「う、うん?よくわかんないけど、わかった」
キィがそう言って隣の車両に行ってしまったのを見送って、響矢はつい首を傾げる。少しずつ人間を勉強中のキィは、こうして半身である響矢にプライベートな時間というものを時々与えてくれるようになってきた。その事に微笑みつつ、ふわふわ飛んでいきそうというのは何だかよくわからないものの、彼女の言うように休ませてもらう事にする。
とはいえ、体調は朝に比べればかなり楽になっているのだけれど。今は吐きそうという程ではないし、倒れそうに意識を持っていかれる感じもしない。時々夢の内容を思い出すと、少し気持ち悪くなってしまうだけで。
「ほら部長、こっち」
キィと話してる間に横長な方の座席に座っていたらしい吟が、ここに座れと言うようにぽんぽんと軽く隣を叩いて響矢を呼ぶ。それに頷いて近寄り、素直に示されたそこへ座る。現実を思い出した者しか入れないキィトレイン。今は吟と、少し離れた所にキィしかいないその場所に安心してそっと息をついた。いつの間にか、どうしてなのか無意識に緊張していたのかも知れない。
「何なら横になっとくか?」
「今はそこまで吐き気とかしなくなったから大丈夫。でもいいのかな、大遅刻した上、こんな風に早退しちゃって
……
結局、ほぼ休みというか」
「いいと思うよ、本当に体調悪かったんだし。まぁ、後で帰宅部のメンバーには一応WIREでその事言っといた方がいいかもだけど。部長の事心配するだろうからな」
「吟までサボらせちゃったし」
「僕は勝手についてきただけだから。部長のせいじゃないし、気にしなくていいって」
そう言って、優しく笑って頭を撫でてくれる吟を見て、またふわふわした気持ちになる。今まで知らなかった種類の幸せ、吟がくれるふわふわしたあたたかな幸せ。確かにキィが傍にいたら、半身である自分の影響でふわふわ飛んでってしまうかも知れない。それは危ない。そんな事を思いながら、ゆっくり優しく髪を梳くような吟の指が気持ちよくて、ついうっとりしてしまう。
「部長の髪、サラサラで触り心地いいよね、いくらでも触ってたくなる」
「いいよ。俺も吟が触ってくれると、何か気持ちいいし」
「
……
頬とかも撫で心地いいけど、触ってていい?」
「うん、いいよー」
「基本的に断らないよね部長
……
そういう所、心配になるなぁ」
髪どころか、頬や顔のあちこち撫でられたりふにふにされたりしている。仔犬とか言われたりしたような気もするし、そんな感じの撫で方かも知れない。少しくすぐったいけど気持ちいいし、吟にならまぁいいかーと響矢は思い、されるがままにされておく。
「俺、悪い夢を見て、少し心細かったみたいなんだ」
「だから、こんなにされるがままになってんの?まぁ、ここにいる以上、部長だって現実には色々あるだろうし、心細くなっても不思議はないけど」
「心細くて、吟の顔が思い浮かんで。きっと俺、吟の事頼っちゃってるんだな。でも深夜に近い早朝だったから、きっとWIRE送ったら起こしちゃうだろうって思って。我慢してそのまま寝たら夢は見なかった分、大遅刻しちゃったけど。吟に学校で会えてよかった」
「
……
そういう時は、悪い夢見て辛いって送ってもいいから」
「でも、すごく早朝だったし。寝てたら起こしちゃうよ?」
「深く寝てたら起きないかも知れないし。一応送ってみて返事が返ってきたらラッキー、くらいの気持ちで送ったらいいだろ?」
そう言われて、つい悩んでしまう。そんな風に言ってくれるのは嬉しいけど、吟が寝不足になってしまうのは嫌だ。でも、確かにあの夢を見た後は、震えそうな程心細い気持ちになったりもする。
「
……
部長があんな体調悪そうにしてるのに、知らずに寝てるのも何か嫌だしさ。その現実の夢を見ると、あんな風にいつも気持ち悪くなるんだろ?」
「うん、夢を見た直後は特に。吐き気がして、倒れそうになって、こわくなって心細くなる。浅い眠りの時だけだから、多分時々しか見ないとは思うけど
……
」
「時々でも見るなら、辛いだろうし。起きるとは限らないから、そんなに気にしなくてもいいのに」
「うーん
……
一応今日も、起きてる人いないか、グループの方のWIREに送ってみようかとも一瞬思ったんだ。結局やめたけど」
「そっちのが起きる人が増えると思うし、いっぱい心配もされるよきっと。だから気にせず、そういう時は僕に送っておいで」
優しく頬を撫でられながら、じっと怖いくらいに真面目にひたむきに見つめられる。そうして甘く心を溶かすような声で言われ、普段の吟とは少し違う雰囲気を感じて響矢はつい頷いてしまった。何が違うのかはわからないけれど、何だかさっきとは違う感じでドキドキしてしまうし、目をそらせない。心がとろけそうな気持ちはそのままに、何故か顔が熱くなったような気がする。
「何かすごくドキドキするんだけど。俺がドキドキすると、キィにも影響しちゃうかな」
「
……
素直すぎるのも問題だよね」
「素直すぎる?」
「部長って何か素直だなと思って。言いたくない事だってあるだろうに」
「うん。言うと辛いから皆にあまり言いたくない事は、確かに俺にもあるよ。
……
夢で見る事とか」
言いたくはない。言ってどんな顔をされるのかわからないからこわい。どう思われるのかわからないし、普通じゃないと
……
違うものだと思われて、仲間はずれにされるのは辛い。異端なものとして、冷たい目や馬鹿にした目で見られるのは、もう嫌だ。
その事を話したとして、貶したり馬鹿にしたりするような人はきっとこの帰宅部にはいないだろうと信じる事は出来ているはずなんだけれど。それでも、もしも仲間たちからの視線が、話した事で今までと変わってしまったらと思うとこわくなる。
『きょうやくんって、お父さんとお母さんいないの?変なの』
『何でお前んち、両親じゃなくおじいちゃんとかおばあちゃんがきてんの?』
『こいつ親のこと聞いただけで、勝手にはきそうになってんだけど。変なやつ』
子供故の残酷さか、好奇心なのか、異質なものは目立つのか。昔はそんな風に言われた事が何度もある。少し成長した後は、今度はひそひそ聞こえるか聞こえないかくらいの声で色々言われるようになった。そうして皆に、異質なものとしてあつかわれる。ただ少し周りと違うだけで。そんな風に、帰宅部の人たちにまで思われたらと、そう考えてしまうだけでこわい。
「俺、両親いないんだ。夢も、それが関係してて」
思い出してしまった、昔他人に言われたそういう言葉が頭に響くようで。それを無理矢理かき消すようにして、ただその事だけをまず言葉にしてみる。話す声はどうしようもなく勝手に震えてしまって、ひどく情けない声だ。
けれどそこで言葉が喉に詰まったように出てこなくなった。やっぱり上手く言えない、口を開いてもそれ以上は堰き止められたように言葉が出てきてくれない。ちゃんと話そうとすると、床に流れ出た命の色を思い出して体が震えそうになる。
「っ、ダメ、だ。やっぱり、こわい」
「
……
話したい?それとも、話したくない?」
「話したい
…
多分、吐き出したい。ここに、喉に何かずっと刺さってるみたいで。なのに、話そうとすると、何も
…
」
あの夢の内容を言おうとすると、言葉が詰まったようになってしまう喉を押さえる。話したくても言葉が出てこない。何も吐き出せない、呼吸が苦しい。ただ口をぱくぱくさせるだけで、それは言葉になってくれない。ただひたすらに苦しい。喉に何か刺さっているみたいだ。あの時、ナイフを喉に突き立てていた母の死に様のように。
「何も刺さってない、だからそんなに自分の首を絞めようとするな」
吟にそう言われそっと手に触れられて、自分で自分の首を絞めるような状態になっていた事にようやく気付いた。ハッとして手を下ろすと、今度は吟の手に優しく首を撫でられる。
「ちょっと上向いてみてくんない?」
「ん、こう?」
「あー、爪の跡までついちゃってるな。自分で自分を傷付けるなよ」
「ごめん、何か急に話して、勝手にパニックになって」
そっと優しくその指に首を撫でられる感覚に、何故かぞくりとしつつも大人しくしておく。触れられると時々ピリッと痛むのが、自分で爪を食い込ませてしまった部分だろうか。何とか話そうと必死になりすぎて、また発作のようなもので迷惑をかけてしまった。
申し訳なくて自分が情けなくて、響矢がしょんぼりしていると、それを気にしていないように優しく触れてくれながら、吟は微笑んで言う。
「じゃあさ、少しずつ話してみようか」
「少しずつ
…
?」
「僕に少しずつ話して慣れてみたら、そのうち話したい事を吐き出せるようになるかも知れないし。そしたら皆にも話せるかも」
「
……
俺、ただでさえ吟に頼ってるのに。そんなのに付き合わせるのも悪いよ」
「僕が聞きたいんだ、部長の事。聞かせてほしい。もっとお前の事を知りたいから」
首を撫でていない方の手が、いつの間にか背中に回って抱き締めるようにされていた。間近で吟の瞳がじっと、他を見る事を許さないようなひたむきさで見つめている。戸惑いながらも響矢はそれを見つめ返し、どうしていいのかわからないまま、恐る恐る自分も吟の背中に手を回してみた。嫌じゃないかと心配になったけれど、そうすると吟は嬉しそうな顔をしたから、嫌がられなかった事にホッとする。
これは、流石に近すぎないだろうか。そう自分の心のどこかが僅かに思ったものの、どうしてなのか離れようとは思えない。むしろ、こうしているのが嬉しいような気がした。
「
……
いいの、かな」
「うん、少しずつでも聞かせてほしい。響矢の事」
嬉しそうに微笑んで名を呼ばれたので、こくんとつい頷く。『部長』ではなく改めて名を呼ばれる事に、何だかまたドキドキと鼓動が騒がしくなった。このドキドキするのが何なのかわからないけれど、知ってしまったらもう引き返せなくなるもののような気がして、それを知るのも少しこわいと響矢は心の中で思う。
親愛や友愛ならこわくない。けれど、そうではないものの時がこわい。だってそれは、母の心が壊れてしまった原因と似たものだから。母が自分で死ぬ事を選んでしまったのは、きっとその愛が失われてしまったからだと響矢は思っている。だからこわい。それでもいつかは向き合わなくてはならないだろうけど。今はまだ、もう少しこのままで。
「ありがとう、吟」
響矢がそう言うと、吟のその瞳の中に一瞬自嘲めいたものが浮かんだ気がしたけれど、それ以上に熱がこもった瞳で見つめてくる。そんなにじっと見られたら、うっかり穴が開いてしまうかも知れない。流石にこのリドゥでもありえないような事を思ってしまうくらいに。
こうして間近で見ると、吟はやっぱり格好いいし綺麗だなぁ。そんな事を思ってしまって、余計に無視出来ない程に心臓の鼓動が跳ねるようなペースでドキドキする。何か心臓の病気だったらどうしよう、そんな心配になるくらいで、響矢はつい自分の胸を押さえる。このままでは何かが
……
そこにある感情が、胸の中から溢れてしまいそうな気がした。
「
……
何か生えるのかな」
「え、何、生えるって。カタルシスエフェクト?」
「俺の胸の花が増えちゃう、かも?」
「増えるものなのか、アレって?しかも急に?」
「だって、俺の胸の辺りが、何か
……
」
「何か?」
「熱くてドキドキして。何か、溢れそうな感じがして」
心の花が、知らない気持ちが。あたたかくて熱いとろけそうなその想いを糧にして、この胸からふわりと溢れて芽吹いてそのまま咲いてしまいそうで。それが心から溢れ出て、見つかってしまわないように胸を押さえる。友愛で、親愛で、こんな風になるものだったろうか。わからない、まだ知りたくない、変わりたくない、今はまだこわいんだ。
自分の過去と向き合えたら、吟とも向き合えたら。そうしたらこの心にそっと萌芽した溢れそうな気持ちとも向き合えるだろうか。響矢は胸を押さえながらそっと目を伏せる。
「こらー、ハンシン!休んでいろと言ったのに、どうしてそんなにドキドキしているのだ!キィまでなんだかそわそわする!」
「ぅひゃあ!?」
「え、部長がそんな素っ頓狂な声上げんの、初めて聞いたよ僕」
「うーん?そんなに驚くほど大きい声を出したつもりはなかったのだが。びっくりするほどだったのか
……
というか何かいつもよりも、二人の距離近くない?」
「部長がまた夢思い出したのか、苦しそうにしてたから落ち着かせてたんだよ」
「うーむ、ハンシンのその発作みたいなのは、どうにもならないものか?」
「簡単にどうにかなるなら、リドゥに来てないだろ」
「ご、ごめん
……
いや、今はキィに驚いてドキドキしてるけど」
急に隣の車両から戻って来たキィにびっくりして、さっきまでとは違う意味でドキドキしている胸を押さえる。
「驚きすぎだろう、ハンシン」
「バーチャドールの声量だから、デカイ声出したら驚くって。僕もちょっと驚いたし」
「あー
……
それは、そうか。なるほど、それは何と言うか悪かったかも」
「キィ、えっと
……
俺のドキドキとかも伝わるの?」
「ドキドキしてハンシンの心がメッチャ揺らぐと、流石に伝わる。まぁ、詳細はわからん。ただ、何かこう、ぐわーっと」
「ぐわーっと?」
「
……
うーん、よくわからんが、ぐわーっと来るビッグウェーブみたいな?そうするとキィも何かちょっとそわそわする」
「とりあえず、すごい揺らいだって事だけは僕にもわかったけど、相変わらず説明が微妙だなー」
「つ、伝わっちゃうんだ、キィにも。流石にちょっと恥ずかしいね」
まぁ、全部伝わる訳ではないみたいだから、まだマシだろうか。キィの半身になったのは別にもう気にしてないし慣れたけれど、ドキドキしている事まで伝わってしまうとしたら、やっぱり少し恥ずかしいような気がする。伝わらないように出来ればいいのだが、半身になってる以上は難しいのかも知れない。
「
……
キィの力が増したら、こう、俺の色々が伝わらないようにとか出来ないかな」
「うーん。やっては見るけど、繋がってるからちょっと無理かも?」
「そうだよね
……
半身だから難しいか」
「まぁ、ハンシンのプライベートな時間はなるべく作るようにしてやろう。言ってくれれば奥にひっこんでスリープモードとか、見てみぬフリをしておいたりとか」
「見てみぬフリって結局見てるんじゃ
……
まぁ、うん、ありがとう?」
こればかりは仕方ない。恥ずかしさはあるものの、半身になってる以上はお互いにある程度どうにもならない事もあるだろうし。そう思いながら、響矢はようやく落ち着いてきた自分の胸から手を離して苦笑する。
これからも色々伝わってしまうとしたら、キィに何か悪影響とかはないだろうか。心も体もキィと半分こだから、自分がもっとしっかりしなきゃなぁ。改めてそう思って気持ちをひきしめる。それでもきっと、現実の悪夢にうなされ気持ち悪くなってしまったり、誰かに
……
吟にどうしようもなくドキドキしてしまって、ゆらゆら揺らぐ心の大波がキィに伝わってしまったりするのだろうけれど。
何やら言い合う吟とキィをぼんやりと見ながら、響矢はそっと目を伏せ溜息をついてぽそりと呟く。
「あぁ
……
胸の奥が、何だかおかしい」
胸の奥から溢れ出そうな想いを押し込めて、今はまだそっと目をそらす。心に芽吹いたその気持ちが咲かないように、触れないように。それでも、心にあるその気持ちが枯れ落ちて消えてしまわないよう、大切に抱え込んでしまいこむ。いつか、芽吹いたその想いと、ちゃんと向き合えるようになる時まで。
ある時から響矢の胸にひっそりと、他の花に隠れるように、小さな赤い薔薇の蕾が一輪増えていた。咲くのか散るのか、今はまだわからない。溢れ出した淡く純粋な想いに、そっと芽吹いた小さな心の花。
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