水樹咲夜
2021-06-12 05:32:50
12627文字
Public 楽士エンド後やり直し
 

絶望からもう一度1(楽士エンド後やり直し)

Lucidとして現実を壊したはずが、何故か気付けば『卒業』した時に戻っていた部長の話。
男部長固定、自分の所の部長設定。
ルート分岐予定でしたが、スマホ故障でデータ全消去して笙主ルートのみです。
完結出来そうなら支部に上げるかもしれませんが、今の所べったーとべったー+のみ。
2025.11加筆修正


 終わる世界の夢を見ていた。楽士として、仲間だった者たちの前に立ち塞がる終焉の夢。現実へ背を向け別れを告げ、ただそれを静かに壊すための悪夢を。絶望と孤独は心を蝕み、人の悪意は現実への憎しみと悲しみを思い出させた。
 ずっと逃げ出したいと思っていた。現実から、理想を重ねて見ているみんなから。逃げ出すには、そうする以外の道が見当たらなかった。その時、奏は精神的に追い詰められていたのかも知れないし、現実への憎しみに囚われてしまっていたのかも知れない。

「俺は、帰らない」

 現実へ帰ろうとしている仲間だった者たちの想いを踏みにじり、現実を壊すというソーンに賛同した。どっちつかずで、帰宅部と楽士の間をふらふらしていた卑怯なコウモリが、嗤いながら嘆きながら結局はみんなを裏切って両手の銃を向け、全て終わらせていった悪夢。
 裏切っていたのは最後のその時だけじゃない。どんな綺麗事を言おうと、帰宅部と楽士どちらの人たちの事も知りたいという理由で、ずっと両方の仲間を裏切っていたようなものだ。部長とLucidを行ったり来たり。敵になったり味方になったり、まさに最悪の人間だったろう。それだけは奏自身もわかっていた。
 けれど、別に帰宅部は正義という訳でもない。ソーンが現実を壊そうとしていなかったら、意図的ではないとしてもμを裏切ってメビウスを壊そうとしていたのは帰宅部の方だった。メビウスで見る夢が永遠ではないとしても、現実には何もなくてその箱庭の中でしか生きられない者だっているのに。
 そして、奏もまた、そういう人たちと同じように、現実には何もない人間の一人だった。彼の現実にあるものは、喪失と痛みと悲しみと孤独だけだ。ひとつだけでも何か希望があれば、あるいは踏みとどまる事が出来たかも知れないけれど。

……私はオスティナートの楽士、Lucid。本当は帰宅部と楽士、どっちつかずで卑怯なコウモリのままでいたかったけれど、そういう訳にもいかなくなった」

 楽士としての仮面で顔も姿も見えないように覆い隠し、仲間も現実も自分自身さえもいらないと、全てを投げ出した。現実に絶望し仲間さえ信じられず、善意を投げ捨て悪意に染まり、狂気に共感していつの間にか世界への憎しみに染まっていた。そうして全てを拒んで、閉じた箱庭で死ぬまで夢を見続ける事を選んだ。
 他の帰宅部の人たちと違い、奏には現実へ帰る理由が何もなかった。彼が帰る現実には、家族はもういない、居場所もない、夢もない希望もない。あるとすればこの命と、メビウスで出逢ったものだけ。奏にとっては、自分の命など他の何よりも軽く、そしてメビウスで出逢ったものは……手の届かない夢や幻のようなものだった。
 何もないから、どこにも行けず誰かを信じる事も出来ず、ここまで来ても何者にもなれなかった。それを、みんなと過ごすうちに、気付いてしまっていた。自分にはみんなと同じように前を向く事は出来ない。そもそも、彼らは……現実の奏を知らない。いくらこのメビウスで親しくなろうと、現実に戻れば……もう彼らに帰宅部の部長は必要ない。そう気付いてしまった。

「結局何者にもなれなかった俺でも、最後くらいは楽士らしく、ちゃんと仕事をしないとね」

 ぽつりとそう呟いた。他のみんなと違って奏はメビウスから出れば、ここへ来た時と変わらず、ただの無価値で無意味な存在でしかないのだと。そう心のどこかで理解してしまった。楽士の時の見た目と同じように、透明で空っぽでしかない存在だ。
 現実に未練がなく、帰る意味もない。そういう意味では、奏は最初から帰宅部より楽士向きではあったのかも知れない。ソーンはそれを見抜いて楽士へと誘ったんだろうか、わからない。何にしても、絶望しきっていた奏にはもう、楽士としてソーンについて現実を終わらせる選択肢しか残されてはいなかった。

「私は楽士としての役割を果たさなくてはならない。君たちに、μとソーンを止めさせはしないよ。さぁ、最後の仕事をしようか……止めたいなら殺す気で来い、帰宅部」

 仲間だった者たちの憎しみを、殺意を、怒りを、悲しみをただ受け止める。彼らの言葉が心に刺さっているはずなのに、空虚に凪いだ心はそれを聞きながらも壊れることもない。止まることも出来ない、もう選んでしまったのだから。
 最悪な人間として、なるべく彼らの怒りや憎しみを買うよう言葉を選び、挑発を意識的にして、帰宅部のみんなが攻撃を迷わぬようにする。それくらいしか出来ない、そうするしかない。今更自分が何を言おうと、意味などないから。
 得るものなどなく、ただ壊し喪う為の虚無の夢。いや本当は違う……それは夢ではなく確かにあった事、現実を壊す事を自ら選んだ奏自身の記憶だ。

「もう眠れ。頑張った所で無駄な事だ、どうせいつか現実もここも終わる。もう、頑張らなくていいんだよ……おやすみ」

 ソーンに協力したのは、彼が遺され嘆き憎んでいた者だったから。そして、帰宅部をやめて楽士になれと押し付けはしなかったからだ。歪んでいても狂っていても奏には理解は出来ない感情だとしても、彼の一途なその想いをただすごいと思った。
 恋も愛も信じる事も知らなかった奏にとっては、彼の唯一の人への一途すぎる想いが、怖くて哀しくて美しく見えた。だからその想いが成就され、彼の中の何かが少しでも満たされるなら、それでもいいのかも知れないと。少なくとも自分はあの人にどこか共感し友達だとも思っていたから、本当に現実を壊して死ぬ事になってもいいかと思ってしまった。
 仲間を裏切るのも、現実を壊すのも、正しい事ではないとわかっていた。そんな事をするのは愚かだとも思う。あまりにも酷い裏切りだと理解もしている。けれど正しいだけでは救われないものだってある。奏自身が現実で、正しくはなくても死のうとしていたし、メビウスに来ていなければ今よりも救われずただ無意味に死んでいっただけだった。

 ごめんなさい。

 謝罪なんてもう意味はない、彼らが許す事はないし、むしろ許されなくていい。罪悪感から心の中で謝りながら、それでも一人一人確実に仲間だった者たちを倒していく。彼らはどうして『部長』の事なんかを信じていたのかわからない、奏の現実の事なんて、結局彼らは何も知らないままだったのに。
 単独行動でも強いから大丈夫だと信じられていたのか、それとも万が一楽士たちに捕まったとしてもどうでもいい存在だったのか。わからない、みんながどう思っていたのか。
 自分はきっと誰からも置き去りにされる存在で、ただの通過点でしかない。だから俺の現実なんて知る必要もなく、結局ここにいる間はただみんなの理想を重ねられ、そして現実に戻ったらもういらない、そんな存在なんだと、奏は最終的にそう思ってしまった。
 誰からも必要とされないような存在なのだと思う絶望感と誰も信じられない気持ちが、終わりの最後の選択への背中を押した。仲間だった者たちの呪詛を聞きながら、誰にも答えてはもらえない問いをそっと呟く。

「どうしてみんなは俺なんかを信じてしまったんだ。疑わしいと思っていなかったのか?楽士だとほんの一欠片すら疑わなかった?俺の現実すら知らないのに、知ろうとしなかったのに、俺の何を信じていたんだ」

 世界が憎かった。小学生の頃に両親を喪ってから、ずっと心の底に世界への、現実への憎しみがあった。どうして自分から両親を奪っていったのか、どうして苦しいのに生きていなければならないのか。生きるだけでも苦しくて悲しくてたまらないのに、そうして何とか生きていても、ただひたすら嫌われて蔑まれて踏みにじられる。珍しくそうしない人も、哀れみながら母の面影を重ねる人と理想を重ねる人ばかり。
 ボロボロの外見と、相手が求める理想の姿しか見てはもらえない。誰にも自分自身は必要とされていない、重ねられた理想だけが求められる。そうして外見の傷痕を怖がられ嘲笑され、相手が重ねた理想に応えられなければただ嫌われるだけ。それが現実の奏をずっと取り巻いていた世界だった。
 そんな周りの人々が、世界が、現実が嫌いで、何よりも自分が大嫌いで、ずっと逃げ出したかった。ずっと、死んでしまいたかった。あの時、自分ではなく両親が生き残るべきだったのに。

「誰かを信じていたら。逃げなければ……いや、もしもの話なんて、意味はないな」

 全てから逃げ出してここへ来ても、最後まで誰も信じる事が出来なかった。両親以外に愛されなかったから、人をどう愛したらいいかわからない。現実では信じていい人間なんていなかったから、信じ方もわからない。理想だけを重ねられているのに、何を信じて愛せばいいというのか。自分自身が嫌いなのに、誰をどう愛せばいいのか。
 そんなのは言い訳だろうし、結局身勝手でどうしようもなく酷いのは、ここでみんなを裏切った自分の方だというのは奏も理解はしていた。

「わかってる……現実を壊したって意味はない。これはみんなを巻き込んだ心中みたいなものだって。それでも、俺は」

 仲間だった者たちを倒すたび、みんなが倒れた姿を見るたび、罪悪感に押し潰されそうになる。選んだのは自分だから、そんな資格なんてないのに。愚かだとも酷い事をしているとも自分でも思う。どれだけ憎悪をぶつけてくれてもいい、許されなくてもいい、嫌われて当然、むしろ断罪されるべき行動だ。
 ……本当は殺してほしかった。仲間だった者たちに殺されるならそれでいいと、その方がいいとも思っていた。けれど、奏が殺される事はなく、目の前に倒れていたのはみんなの方だった。止まる事なんて許されない、選んだ以上は止まれない。
 それでも現実が終わるなら、両親を亡くした時のように独り遺される事はきっともうないと思うと、ほんの少しだけ心のどこかが満たされる気がした。自分だけが生き残って、独りで置いていかれるのが一番苦しいと知っていた。

……ごめんなさい、みんな。ごめんなさい、父さん、母さん。……俺はもう、終わりたい」

 そうして終わるまでの間『入学式』と『卒業式』を何度繰り返しただろう。繰り返すうちにメビウスに人が増え、その後は逆にどんどん減っていった。
 仲間を裏切り、早く楽になりたいと思っていた奏へのそれは罰だったのか、最後の最後まで皮肉にも残ってしまっていた。仲間だった者たちが消えても、楽士たちが消えても、知っている人たちがみんな消えても、知らない人たちが消えていっても。奏は自分が消えるその時を待ちながら、メビウスにいた者たちの最期を静かに見送り続けるしか出来なかった。
 それでも、いずれ終焉はやってくる。現実が壊されたなら、いつかは必ずみんなと同じように自分も終わる事が出来る……はずだった。

 ……それは仲間を裏切り、現実を壊した罰なのか。それとも、償うべき事があるからか。あるいは救いだったのか。待ち望んだ終わりは、奏にだけは訪れる事がなかった。



 奏はその時、まだ繰り返す終焉の夢の中にいるのだと思っていた。何度も何度も繰り返し見ていた悪夢の中にまだいるのだと、ごく自然に思っていたのに。
 夢は終わり、奏に目覚めを促す。その目の前に鍵介が……帰宅部でもなく、再洗脳された後でもない、カギPだった時の彼が笑みを浮かべて壇上まで歩いてくる。
 それは、見覚えのある光景。忘れられない始まりの情景。見えるようになったホコロビとNPCとデジヘッド。現実の記憶に加え、終焉の記憶までもが一気に戻って、大量に脳内へと叩き込まれる情報量に目眩と頭痛がする。

……あ、あぁ、そんな、どうして」

 視覚の情報と戻ってきた記憶に混乱しながら、救いを求めるように周りを見回す。終焉の夢の中から消えていたはずの帰宅部のメンバーの姿を見て、そうして今の状況を見て奏は理解してしまう。これは自分が『卒業』してしまったあの時と同じ光景、帰宅部として始まってしまったあの日なんだと。
 その瞬間に、最期に見たμの悲しげな顔と悲痛な叫びが。仲間たちを裏切った時の怒りと憎しみと悲しみに満ちた表情と声が、次々とフラッシュバックする。思わず叫びをあげて、混乱したままその場から逃げるように……始まったあの時と同じようにただ必死に走り出した。

「どうしてまた始まって、俺は、何でここに……死ねなかった?消えられなかった?俺だけが、終わる事が出来なかった?」

 しかし自分は恐らく、あの時死んだはずだ。走りながらも混乱する頭で考えて、奏はそう確信していた。μの目の前で自分の体が冷たくなっていった感覚を覚えている。暗闇に落ちていくように、消えていく意識を覚えている。やっと終われるとホッとした気持ちと、同時に死の闇へ落ちていく怖さに震えたのを覚えている。μの最後の問いかけと悲痛な叫びを覚えている。
 なのに、何故……自分はまだここにいるのか。ここにいるだけじゃない、何故か時が巻き戻ったように、『卒業』したあの始まりの日に戻っているのは何なのか。これは本当に戻ったのか、いくらμでも時を戻すなんて出来ないと思うけれど。それとも、死ぬ前に都合よく見ている別の夢なのか。

 冷静に考えたくても、どうしてこんな事になっているのか全くわからない。自分が本当に生きているのか、それとも死にかけながら見ている走馬灯なのか、それすら奏にはわからずどんどん混乱は増していく。どうしてここにいる、自分だけが生き残ってしまったのか。そう頭の中で問いを何度繰り返してみても、答えなんてわかるはずもない。
 もしも、戻ってしまったのだとしたら、また一人で置いていかれたのか。一人だけで遺されたという事か、あの終わる世界から。両親を喪った時と同じように、自分だけがまた死ぬ事も出来ず、独り遺されてしまったのだろうか。これは仲間を裏切り現実を終わらせた罰なのか、奏はそう考えて震えそうになる。

「嫌だ嫌です。また、あの時みたいに俺一人だけ遺されるなんて現実を壊せば完全に世界から消えられると思っていたのに。現実を壊しても、俺だけ死ねなかったなんて、そんな、そんなのって」

 混乱しすぎてよくわからない事を呟きながらも、無意識にあの時の行動を辿ってしまっていたようだ。ひたすら走って呼吸が苦しくなる頃には駅前の、未完成のまま中に入る事の出来ない駅の入口に辿り着いていた。
 呼吸が上手く出来なくなって立ち止まり、壁に寄りかかるようにして崩れ落ちそうな体を何とか保たせる。心はずっと終わりたがっているのに、体はそれでも必死に生きようと呼吸を整えようとしているのが何だか不思議に感じた。

「どう、しよう……どうすれば」

 始まったあの時、『卒業』した時以上に混乱しきって立ち尽くし、奏はただ途方に暮れる事しか出来なかった。どうして自分がここにいるのか、時が戻ったようなこの状況もわからない。現実を壊して死んだはずなのに、何故自分だけがこうして生きているのかもわからない。
 何もかもわからないこの状況が恐ろしく、どうしていいのか、どう行動しなければならないのかわからず立ち尽くす。このままでは狂ってしまうんじゃないか、いやもしかしたら現実を壊した時にもう自分は狂っているのか。
 呼吸を整えながらも、混乱のあまりにそれ以上動けなくなってしまう。駅に入る事が出来ない見えない壁に触れながら、奏がただそこで呆然としていると後ろから声をかけられた。

『あ、よかった、ちゃんと安定してるみたいだね』

 あの時と同じように近くでライブをしていたμが、奏に気付いてそれを中断し、ふわりと飛んできてそう言った。優しく話しかけてきたのはあの時と同じだけれど、記憶にあるのとは全く違う言葉が引っかかる。
 混乱しきっていた心がそれで僅かに冷静さを取り戻して、奏はμのその言葉に首を傾げた。安定している、そう彼女は言った。それは一体どういう意味なのか。

……安定?」
『うん、前例のない事をしたから、ちゃんと出来たかわからなかったけど、上手くいったみたいで本当によかったよー!』
「μ、君は俺に、何かしたの?」
『あのね、どこかから誰かの悲鳴みたいな願いが聞こえて、ギリギリ残っていた君の魂の残滓を別の所から

 恐らく、μは奏がこの状態になった説明をしようとしてくれていたのだろうけれど、それを全て聞く事は出来なかった。話の途中であの時と同じように、もう一人の歌姫が乱入してきたからだ。アリア……力を失って小さい妖精のような姿になった、メビウスを創ったもう一人の歌姫。
 その顔を見た途端に、あの時戦った彼女から向けられた怨嗟に満ちた声と表情がまた重なって、奏は思わず頭を押さえる。終焉を選んだのは自分なのに、現実に帰らず優しい夢を見て逃げ続けたまま終わりたいと、そう選択したのは自分だというのに。悔やんでしまう、罪悪感が胸を刺す。
 全て手放す事を決めたのは奏自身だ、帰宅部を裏切る事を決めたのも、みんなを、現実を殺したのも。だから自分にはそんな資格なんてないというのに。

『YOU、大丈夫?顔色が真っ青だし体調も悪いみたいに見えるんだけど、ちょっと今はそれどころじゃなくて!』

 アリアの呼びかけで我に返る。終焉の記憶に揺らいでいる間に、いつの間にかμは去って、怒ったデジヘッドたちが迫って来ていた。

……ごめん、大丈夫だよ、ちょっと目眩がしただけだから。とにかく、ここでこいつらに捕まる訳にはいかないね、ひとまず一緒に逃げよう」
『賛成!』
「悪いけど、君はしばらく俺のポケットに入っててくれるかな」
『うん、わかった』

 この人数のデジヘッドに、一人で対処するのは流石に厳しいだろう。まず、アリアの力を借りなければならない。そして上手く調律を受けられたとして、今の自分がどういう状態か全くわからないからだ。
 楽士の時と同じ状態なら、あるいは一人でも何とか出来るかも知れないが。『卒業』した時のようにまっさらな状態なのか、今の自分がどれくらい戦えるのか本当に予想がつかない。わからない以上は無理も出来ない。もしデジヘッドたちと戦うにしても、何とか少人数にしなくては。
 そう思い、奏はアリアをそっと胸ポケットに入れて、また記憶の通りに走り出す。この先へとこのまま走って行けば、あの時と同じなら笙悟と出逢えるはずだ。顔を見た途端に、また裏切った時を思い出して動揺してしまいそうだけれど。

『逃げるアテはあるの?』
……残念ながら、カンでしかないんだ。囲まれないようにするしかないな」
『そうだね、囲まれる前に逃げ切れるといいんだけど』
「頑張ってはみるけど、ここって奴等がいっぱいじゃない?」
『そうなんだよねぇ……いざって時には、YOUに頑張ってもらうしかないかも』
「アレ相手に?」
『そこはこう、もしかしたらアタシが力を貸せるかも知れないから!』

 アリアと話しながら走っているのは呼吸が苦しいものの、自分を落ち着ける為にも会話を続ける。何もかもわからない状態で、落ち着くのも難しいけれど。
 今もずっと混乱はおさまらず、心を壊そうとするように溢れそうな罪悪感も尽きる事はない。それでも本当に始まりへ戻ってしまったのなら、今度こそちゃんと色々考えなくてはならないのだから。
 もう目をそらさず、今度こそ仲間だった彼らを現実に帰せるようにしたいとは思っている。もしかしたらその為に、自分はもう一度ここに来てしまったのだろうか。

 そうして、あの時の記憶通りの場所まで来ると笙悟がいた。会った時なるべく動揺しないよう心の準備と覚悟をしていたつもりだったが、それは思っていた以上に難しい。終焉の夢で見た笙悟の、血を吐くような悲しげな声と表情を思い出し、思いきり動揺してしまった。
 結局容赦なく頭突きを食らって、強制的物理的に落ち着かされるハメになった。どうやら、記憶がなかろうとあろうと何だろうと、コレは回避出来ないものらしい。奏はくらくらする頭を押さえ、涙目になりつつそんな事を思う。
 しかし、とても痛かったとはいえ、それまでにあった激しい混乱は何とか少し落ち着いた。罪悪感の方はどうにもならないが、それはこの先ずっと抱えていかなくてはならないものだろう。今は何とか心が落ち着けばそれでいい。

「痛かったけど、おかげで混乱はおさまった、かも知れない。ありがとう」
「予想以上に痛ぇのはこっちもだったが、まぁ落ち着いたならよかった」
「色々と……驚く事ばかりで。えっと、初めまして、かな、多分。ちょっと、色々あって記憶が混乱してて。俺は、東雲奏です」
「ああ、まぁそうだろうな。俺は佐竹笙悟だ。詳しい話は、ここだと奴らが」
『ちょっとYOU!アタシの事忘れて話進めてない?』
「あ、ごめん、えーと実はもう一人いて……この子、アリアっていうんだ」
『あれ?アタシ名前言ったっけ、あ、確かμが言ってたね。二人ともこれからよろしくしちゃって、OK?』
「うん、言ってた。よろしくね」
「ちょ、お前そのサイズなのに、どうしてそう声がでかいんだよ!」

 ついアリアの名前を言ってしまったが、μがアリアの名を呼んでたおかげで何とかボロを出さずにすんだ。これからはしっかり気を付けなくては。そう思いつつ、奏はアリアのよく響く声を聞いて来てしまったデジヘッドの方へと目を向ける。
 デジヘッド化しないで敵と戦う力を得る為には、アリアによる『調律』を受けなくてはならない。それは終わった世界を通ってきた今の奏も例外ではないだろう。ここで『調律』を受けていない今の奏が無理に力を使おうとすれば、そのままデジヘッド化しかねない。

……アリア、何か方法があるんだろ。頑張ってみるから、力を貸してくれ」

 自分からそう求める。正直に言えば、僅かでも自分の心をアリアに知られるのは怖かった。心の奥底までは見えないかも知れない。そうだとしても、アリアにほんの少しでも今の自分の罪を見られるかも知れないと思うと、震えてしまいそうなほど怖い。
 けれど、罪があるからこそ、もう逃げる訳にはいかない。今度こそみんなを帰したいと願う。心にそっと触れてくるアリアの力を感じて、奏はそれを受け入れる。

……過ちを犯してしまったんだ。誰も信じる事が出来ずに逃げ出してしまった」

 これが本当にやり直しなのか、それとも死ぬ間際に見ている都合のいい夢なのか、わからない。どうしてここにいるのかも、これから先どうするべきなのかもよくわからないままで、罪悪感に震えながら今はただ立ち尽くしているけど。

「他人を信じられず独りになりたくなくて、結局自分から全てを断ち切って裏切った」

 仲間を、関わったみんなを大切だとは思っていたのに。逃げ出して、μの見せてくれる優しい夢の中で終わろうとした。ここが何であれ、みんなを裏切り、現実を壊した罪はいつまでもあり続けるだろう。
 どうして今ここにいるのか、どういう道を行けばいいのか、全然わからないままだけれど。それでも、今度こそは。

「信じたいんだ、逃げ出さずに、今度こそちゃんと……向き合いたい」

 みんなと、この世界と、現実と向き合いたい。喪われるものがあっても、どうしても助けられない人がいたとしても、現実が地獄だったとしても。……この気持ちがエゴだとしても。もう二度と仲間だった人たちを裏切りたくはない。
 知ってしまった以上、同じような仲間にはなれないかも知れない。それでも今度こそちゃんと彼らを信じたいと思う。どうすればいいのかも全然わからないけれど。
 もしも、元いた世界が滅んでいて、本当の自分は死んでいるとしても、せめてこの場所がそうならないよう罪滅ぼしをしなくては。この命をどれだけ使ってでも。そう祈るように思う奏の心の殻から、アリアの声と共にそれが溢れ出る。

「これ、は……

 前よりも苦しく感じるその心の貌は、二丁の拳銃の形と身体を貫く黒い棘のような杭のようなもの以外、前と少し違う姿に変化していた。
 二丁拳銃から伸びた鎖がそれぞれの手首へと繋がるように巻き付き、その鎖は蛇のように腕を上がり、首をぐるりと一周し、そこから胴体や足へと絡みつく。更に一部が透明化した腕や足。それに制服だったはずの服も楽士だった時のような黒い服へと変わり、胸に咲く花も種類が何故か増えていた。

……そうか、コレが今の俺の貌なんだ」

 以前とは違い、楽士だった姿と入り混じり罪悪の鎖が全身に絡み付き戒められたような姿。それが今の奏のカタルシスエフェクトとなった。そんな風に鎖が全身に巻き付いた姿でも、不思議と動くのに支障は全くないようで、銃撃はもちろん近接攻撃ですら問題なく行えた。
 前と姿はかなり変わったものの、カタルシスエフェクトである事には変わりないらしい。どうやら物理的に相手を殺したり、傷付けたりする事は今もないようで少しホッとする。

「お前、その姿は……
「えっと、アリア、説明をお願い出来る?」

 敵を倒し、アリアがカタルシスエフェクトやメビウス、μとの関係などを笙悟に軽く説明している。その間に、奏はまだカタルシスエフェクトを発現させたままの自分をもう一度見つめる。
 蛇のように全身へと絡み付いた鎖は、動きに支障がない辺り拘束というよりは自分への『戒め』という意味でのものなのだろうか。透明化した部分や黒い服も含め、楽士として裏切り現実を壊した罪を刻み付けたような姿だ。
 みんながカタルシスエフェクトを発動した時、どこか自嘲気味になったりしていたのはこういう事かと今更ながらに思う。

『おーい、ちゃんと聞いてる?』
「あ、うん。少し聞き流してたけど大体わかった」
「聞き流してたのにわかったのかよ」
「えーと、コレはカタルシスエフェクトってもので敵と戦える。アリアはμの友達だけど敵じゃない」
『確かに聞き流してたって言う割に合ってるんだけど、ザックリすぎない?』
「まぁ何となくわかればいいかなーと。そう言えば、アリアはこの何か胸から咲いてる花の種類ってわかる?」
『うーん、紅いのはトーチジンジャー、黄色いのはキンセンカ、紫のはタツナミソウ、白いのはユウガオかな、多分。なかなか色とりどりで花束みたいに綺麗だけど』
「花とかよくわかるな」
『花の名前は、アタシたちに歌わせてくれる歌詞とかでも色々な花がよく出てくるからねー。わかるのとわからないのでは、歌う時の気分が違うから結構調べてあるよ』

 アリアの言葉を聞きながら、奏は増えた胸の花の花言葉をさり気なく検索してみる。夕顔は罪、立浪草は私の命を捧げます、という花言葉が目に入る。これが多分今の自分に合わせて花が増えた理由だろうか。カタルシスエフェクトを解きながら、自分の罪とその罰に全て捧げるという事か、と彼は苦笑する。

「とにかく、ここにいてもまた追っ手に見つかっちゃうかも知れないよね。人数多かったし、これからどうしようか」
「そうだ、奴らが来たせいで話が途中だったな。さっき言おうとしたんだが安全な場所があるんだ。いくらお前が戦えるようになったといっても、安全な場所は必要だろ」
「そう、だね。笙悟先輩、その場所への案内をよろしくお願いします」
「わかった……ん、俺さっき学年も言ってたか?」
……えっと、雰囲気が何となく年上っぽいなと思ったので。その、もしも違ったら失礼かも。ごめんなさい」
「いや、間違ってねぇよ、確かに三年だからなまぁ、ここでは学年に意味はねぇんだが」

 内心冷や汗をかきそうになりながらも、何とか誤魔化す事には成功したようだ。案内してくれる笙悟の背中を見つめながら、今後はもっとちゃんと気を付けなければと奏は思い、気を引き締める。
 もう知っている事を知らないフリして始めて知ったような顔をしなくてはならない、というのも大変だ。楽士だった時のように顔を隠せたら表情も隠れていいのだが、もちろんそういう訳にもいかない。

『顔色悪いけど大丈夫?』
「ああ……うん、大丈夫。色々と、その、信じられないような事ばっかり続いて、ちょっと疲れたのかも」
「ま、今日いきなりホコロビが見えるようになって、記憶とかも色々と混乱してんだろ、無理もねぇ」

 笙悟の優しく気遣ってくれるような声にも申し訳なくなるが、本当の事を言えるはずもない。どうにもみんなの顔を見ると、現実を終わらせた罪をずっとつきつけられているような気持ちになるが、そこから逃げる訳にもいかない。それこそが、自分に与えられた罰でもあるのかも知れないとも思う。
 本当はもう見慣れている道を歩き、帰宅部のメンバーが勝手に使っている『部室』の方へと向かう。その間に、このメビウスで過ごした記憶と現実の記憶と終焉の記憶が入り混じり、上手く処理出来なくなっているのを落ち着いて何とか少しずつ整理していく。
 そうして、記憶を整理しているうちに気付いてしまった。何故か、前の時の記憶とは全く違う行動をしている人がいる。前の記憶では『卒業』した時に出逢い、そこで顔を合わせるまでは全く関わってはいなかったはずだ。その時まで完全に初対面だったはずなのに。しかし、このメビウスでは奏が『卒業』する前から何度も関わっていた記憶がある。

……どうして」

 こうしてホコロビが見えるようになる前から、何度か終焉の記憶を思い出しかけた時があった。その時に関わっていたのが、前と違う行動をしていた者だ。それは帰宅部の仲間で、そして終焉を選ぶ前の奏が信じたかった者。信じたくて交流し、それでも結局手を離してしまった人。どうしてこのメビウスでは、こうなる前から関わっていたのか、わからない。本人に聞いてみるしかないだろう。


次の話