小話倉庫(深上)
2025-12-18 00:32:05
9681文字
Public 悠アキ/haruwise
 

unreal conditionals(悠アキ/haruwise)

もしもこの未来がなかったら、なんて考えたくもないけれど。
12/21 2頁目にその後のモブ視点追加。

 H.A.N.D.に入ったばかりの頃は研修という名の業務に追われてはいたが、定時には帰宅できていた。数年経てば役割も変化し、自分が先輩となって後輩に教える側になり、そして残業だらけの日々になった。
 それは自分の課だけではない。対ホロウ特別行動部という特異な部署に所属しているすべての職員が対象だ。年々ホロウ災害の規模は大きくなっており、人員が増えても休む間もない。
 そんな中、ばったりとかつての同僚に出くわした。低階層の休憩スペースは今でも薄暗く人気のない場所だが、彼がここにいるのを見るのは今となっては珍しい。
「浅羽」
「おっ、久しぶりー」
 軽快な挨拶でひらりと手を振る男は、自分の同期だ。H.A.N.D.の中で知らぬ者はいない六課の斥候、浅羽悠真。同期なのに向こうは順調に高評価を重ねているようで、嬉しいやら悔しいやらである。
 詳しく言うと、評価が高いのは「対ホロウ六課」であって、彼自身ではない。未だにサボり魔だという噂は聞こえてくるが、どうやら六課という場所は彼にとっては水が合う場所らしい。時々他のメンバーと共にいる彼を見かけることがあるが、前よりものびのびとやっているように見える。
「どうだ? 六課は」
「激務だらけ。僕、体弱いんだけどねぇ」
「はは。いいじゃないか、天下の虚狩りの下で働けるんだから」
「まぁ……うちの面子、みんなすごい人たちばっかりだからね」
 肩を竦める相手に、お前もだよ、と心中でぼやく。そのメンバーの中にいて遜色なく、むしろ馴染んでいるのだから。昔から天才などと周囲から称されていたが、やはりその称号は伊達ではないのだろう。
 それにしても、と相手に気付かれないよう、その仕草や表情を観察する。以前に比べると少し、いやかなり険が取れたというか、落ち着いたというか。もっと冷たい刃のような鋭さを隠し持っていたイメージだったのだが、それがいつの間にかおもちゃのナイフになったかのような安心感を覚える。
「あ、そういえばあんたはどうなの? ほら、一課の受付の子」
 不意に相手が振ってきた話題に、ぴたり、と動きを止める。持っていたカップを静かにテーブルに置くと、きょとんとしている相手の両肩をガッと掴んだ。
「俺に聞くのか、それを」
「えっ……え?」
「聞いたな、聞いたからには浅羽――今晩、飲みに付き合え」
 えぇ、と間抜けな声をあげる相手に拒否権を与えず、時間と店の場所を指定し、相手をその場に残して自分は先にオフィスに戻る。片付けられていない書類は山のように積まれており、指定した時間までに終わらせられるかは分からない――いや、絶対に終わらせるのだ。
 気合いを入れて頬を叩き、業務の山を崩すべく果敢に挑み続けると、処理をするべき書類は残すところあと一枚。ほどよい達成感と残業をする同僚への後ろめたさを同時に抱えながらその処理を終わらせ、男は退勤時間を確認してオフィスを後にした。


 約束した相手は既に店に入って待っていた。簡単なおつまみとソフトドリンクが彼の前にある。こちらは定時ぴったりに上がったのだが、一体どういうルートを通ってくれば自分より早く着くのだろうかと疑問に思って眉をしかめると、彼はこちらに気付いて口角を上げた。
「や。遅かったね」
「お前が早いんだっつーの」
 席につき、自分用のビールを頼んで雑談をする。彼はアルコールを飲まないのかと様子を窺っていたら「ちょっとくらいならいいよね」と呟きながら二杯目から注文していた。飲めないわけではないらしい。
 近況を言い合い、少しだけお互いの課の情報交換をして場が温まってきた辺りで、自分が彼を誘った理由となる愚痴をつらつらと吐き出す。そう、失恋話だ。
……順調だったんだぞ? だけどさ、『本当に私のことが好きなのかわからない』って理由で振られたんだよ」
「あっはは! あんた、一度手に入れたものには興味をなくすタイプ?」
「んなことねぇよ、休みは彼女を優先したし、記念日だって欠かしてない。出来る限り気をかけたつもりなのに、愛情が薄いって言われたらどうすればいいんだって感じだよ」
「そんな、義務みたいにしなくていいんじゃない? 相手のことが好きなら自然と会いたいって思うし、気をかけるなんて言葉は出てこないでしょ」
 予想外に的確な答えが返ってきて、一瞬狼狽える。グラスの氷を見つめて少し緩んだ顔をする浅羽をまじまじと見て、もしかして、と浮かんだ疑問を口にした。
「お前、恋人いるのか?」
「いるよ。すっごくねぇ、大事なひと」
 アルコールが回ってきたのか、若干溶けたような声音でそんなことを暴露する。驚いて言葉を返すことを一瞬忘れた。ファンクラブまであるという六課の浅羽悠真の、恋人。
 これは結構とんでもないスクープじゃないだろうかと周囲の気配を探る。賑わいを見せる店内、半個室のテーブルを気にかける人は誰もいない。少しだけ声のトーンを落として、相手に問いかける。
「い、いつから……?」
「そんな前じゃないよ、最近」
「どんなやつ?」
「あれぇ、これ、あんたの恋愛相談じゃなかったっけ」
 けらけらと笑う浅羽に、無言で問う眼差しを向ける。すると彼は酒を一口ゆっくりと飲んで、こと、とグラスをテーブルに置いた。
「僕の人生をあげてもいいって思った人」
……重いな、お前」
「でしょ? でもすんなり受け取っちゃうんだよ。人がいいよねぇ、ほんと」
 呆れつつも、照れくさそうにはにかむ相手にまた何も言えなくなる。自分の胸中に浮かんでいたのは幸せそうな相手への嫉妬ではなく、安堵だった。かつて何に対してもドライに見えた彼には、今ではここまで信頼できて、愛おしそうに大事だと言える相手がいるらしい。
「ベタ惚れじゃん。ちくしょう、羨ましい」
「あんたも人生かけられるほどの誰か、見つけなよ」
「他人事のように言いやがって」
「他人事だからね」
 またけらけらと笑う彼は笑い上戸なのだろうか。機嫌の良さそうな顔を見ていてふと、彼が先ほどもぼやいていた「病弱」は事実らしい、と――そんな噂を聞いたことを思い出した。良くも悪くも目立つ存在なのであることないこと言われるのだろうと、その真偽を確かめようとはしなかったが、もし本当なら無理に付き合わせたのではないか。今更湧いたそんな懸念に、慌てて相手の顔色を窺う。いつも白い顔は真っ赤に染まり、動きも緩慢だ。
「お前、顔赤いぞ。そろそろお開きにするか? 帰れるか?」
「んー、迎えなら呼んでるから、たぶんもうちょっとしたら来ると思う〜」
 迎え? と首を傾げた時、半分閉じたカーテンがそっと開かれた。店員かと視線を移して、その目を瞬かせる。そこに居たのは銀色の髪の、穏やかな雰囲気の男だった。浅羽と並んでも引けを取らないほど整った容姿の彼は、ちらりと自分のテーブルの向かいにいる相手を見てから申し訳なさそうな顔で苦笑した。
……すみません、そこの」
「アキラくーん!」
 相手が何かを言う前に、顔を上げた浅羽が待ってましたとばかりに来訪者の名前を呼んだ。お迎えってやつか、と納得しかけたが、その後の光景に絶句する。
 目の前の同僚は、あろうことかその男性の腰にぎゅうと抱き着いて、甘えた声を出した。
「やっと来た〜。もー、こんなへべれけな僕を放置するなんてさ〜」
「放置されたのは僕なんだけどね……
 ここまで見せつけられて思い至らないはずがない。
 浅羽悠真が、自分の人生をあげてもいいと言った、その人。
(こいつが、ねぇ)
 どこかで見た覚えのある男をじろじろと観察してしまい、こちらに顔を向けた相手と目が合ってしまう。すると相手のほうが恐縮したように肩を竦めた。
「すまないね、彼を連れて帰ってもいいかな」
「あ、ああ。そろそろお開きにしようと思ってて……もしかして待たせてたのか? 悪かったな」
「待っていたというか、元々会う約束をしていたというか……いや、酔ったから迎えに来いと言ったのは彼だからね。悪いのはこっち」
 しがみつく浅羽を指差して、男が息を吐く。ひどいー、と遠慮なく相手に縋る浅羽を見て見ぬふりをしながら、どうぞどうぞと手で促す。約束していた、というなら横から割り込んだのは恐らく自分なのだろう。断ればいいのに、何を感じたのか同僚との飲みを優先させてくれたらしい。もしくは彼に、行ってこいと諭されたのか。
(でもこれはなんとなく、この人が促した気がするな)
 この有り様から察するに、恋人との約束があれば浅羽は絶対にそちらを優先するだろう。あまり関わりのない同僚との飲みイベント、などという珍しい状況に仕事の付き合いを優先してほしいとその恋人が思ったのなら、なるほどと理解できる。
 野暮な分析をしつつ帰り支度を始める二人を眺めていた男は、ふと意地の悪い考えが浮かんできてにやりと口の端をつり上げた。
「すみませんねぇ、ウチの浅羽が迷惑をかけて」
 さてどんな反応をするやら、と笑顔の裏に悪巧みを隠して迎えに来た男の返答を待つ。すると相手は予想に反して、にっこりと穏やかな笑みを浮かべた。
「いえいえ。こちらこそ、うちの悠真が世話になってしまって」
 もはや家族の受け答えである。そして密かなマウントを感じる。うちってどっちだ! と脳内ツッコミを入れている間に帰り支度は終わったようで、ジャケットを着た浅羽が「行こっか」と相手に促した。
 軽く頭を下げた男に先に行かせると、浅羽は鞄の中から財布を取り出し、テーブルの上に明らかに今日の飲食代よりも多い額のディニーを置いた。
「はいこれ。今日の代金」
「いや多いだろ!」
「失恋したあんたへの餞別。あとはまぁ――分かるでしょ?」
 意味ありげに入り口の方に視線を向けられて、そこまで鈍感にもなれず言葉をぐっと飲み込む。牽制と、口止め料。しっかりと思考が働いている相手をじとっと睨みつける。
……お前、酔ってないな? さては」
「酔ってるよ〜。だから今日酔っ払いの僕が言ったことはぜーんぶ信憑性ゼロ。聞かなかったことにしといてよ」
 無理だろ、と思う。こんな強烈なインパクト、なかなか忘れられない。人付き合いに対して淡白だと思っていた浅羽悠真の変化、恋人に対する甘えた態度、その恋人が男で、わざわざ車で恋人を迎えにくる優しい好青年であること。
……なかったことにはできないけど、黙っててやるよ」
「話が早くて助かる〜。じゃ、またね」
 上機嫌で手を振ると、彼は相手が待つ入り口へと軽い足取りで向かってしまった。一人残され、置いていったディニーを数えると、男は静かに追加注文をした。
 今日はもう飲もう。飲んでなるべく忘れる方向でいこう。他人の金で飲む酒なんて最高すぎる、そうだそうだ。
 自分にそう言い聞かせて酒とつまみが来るのを待ちながら、男は自然と緩みそうになる口元をそっと押さえる。
 ――しかしあいつ、幸せそうだったな。
 まったく本当に、嬉しいやら悔しいやら、だ。こうなったらとことん、これからも相手の惚気話を聞いてやろうじゃないか。
 彼の言った「またね」が現実に起こることを期待しながら、ようやく来たビールをぐいっと一気に胃の中に流し込んだ。