2025-12-15 23:15:10
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「我が友ヒットラー」観劇感想――三島の描く美しさと「この時代に上演する意味」は折り合うか?

12月13日我が友ヒットラー観劇の感想メモです。すべて主観。

12月13日は、一日中、三島由紀夫祭り。
マチネで蒼井翔太さん目当てで「近代能楽集」を。
そしてソワレは谷さん目当てで「我が友ヒットラー」を。
私は配信で見た過去の2.5舞台で谷さんのお芝居を拝見して、ぜひともこの人のストレートプレイを見たいと思ったのでチケットを取ったファン未満。

で、「我が友ヒットラー」の感想を長めに書きたくなったので、書く。



「我が友ヒットラー」は、やはり「男らしさ」の美しさ、「若い男」を表象する語彙の艶やかさ、「男同士の絆」の滑稽さ故の美を三島に描かせたらこりゃたまらんなぁという戯曲だった。

歴史を扱う演劇に関しては、事実にどういう視点かを重視していて、あんまりロマンティック過ぎるものは興醒めするタイプなんだけど、作家・三島によりヒトラーをめぐる「友情」がかくも艶やかにドラマチックに美の領域に昇華され(それを役者陣が表現し)なんかもう、降参降参、これが芸術って気持ちにさせられた......。
いや、だってヒトラーですよ。
彼を「物語」にすることで、それこそ安易に「ナチスにも良い面はあった」みたいな話にもつながりかねない訳で、歴史的事実に対してどういう批判的視点から再構成するかというのが通常の歴史を題材する作品には求められるリテラシーな訳で。

しかし、三島がそういう問題意識で書いてるわけではないことは、三島のことをうっすらとしか知らない私でも想像がつく。だからこそ、まぁ役者・谷さんのお芝居を一度見てみたい!(「桜桃探偵社」や「不条理な人々」という朗読劇でしか生では見たことがなかったので)という興味を満たすという役者鑑賞的な側面で見に行った訳ですが、流石はやはり歴史に名を残す文豪の作品。話が面白いし、文体の流麗さたるや。
それでもう、なんていうか、ここまで艶やかな語彙でヒットラーと彼をめぐる友情とその崩壊を描かれたらもう降参です.....、と思いました。
その戯曲に役者陣が全力で応えていて。

私は、基本的に法と公正さと正義、責任を重視するタイプなので、美に置く価値はこういう作品ではかなり後ろにあるタイプなのですが(だからこそ、あまり作品を見る目としてはよくないかもしれないけど、「きちんとヒトラーを『悪』として描いたか」とか気になってしまうタイプ)、いやぁ~~~~谷やん演じるヒットラー、なんだか愛おしかったですもん。

まさか私が役柄、演劇、フィクションとはいえ、ヒットラーを「愛おしい」と形容するとは。
すごく「友情」を前にして揺れている、それでも政治家として決断をし、友人を殺す。その自分の弱さを認めきれずに「芸術家になるだろう」と締める姿。
妙に生々しく、人間臭く、弱く、それでいてズルく、、、、、そういう愛おしさがある。
だからこそ怖かった。私が歴史を扱う作品で重視する価値観の方ではなく、三島の描きだす「男同士の友情」の美や、谷やん演じるヒットラーの人間臭い愛おしさに惹かれることに。美と芸術はかくも恐ろしい。そういう意味では、ヒットラーは「芸術家にならなかった」ことの方が余程重要かもしれない。(と、いう言い回しをしてしまうとヒトラーをまた美化することになりかねないのだけど。)

一番忘れられないのは、ヒットラーの手が、ブルブルと震えるお芝居。
私、最後列で観てて、うわ~オペラグラス持ってくればよかった~小劇場って名前だから油断してたわ~くらい後ろだったから、とにかくずっと引きで作品を見ていた。
まるで、淡々と進む歴史を外から観察するみたいに。
でも、その手がガタガタ震える所だけ、自分の目が急に良くなってズーム機能でもついたみたいにヒットラーの手を捉えて、あの震えに全てが詰まっていた。
ヒットラーの弱さ、決断、哀しみが。
それだけ谷さんの手のお芝居が、会場を惹きつけた。忘れられない。

あと、谷さん演じるヒットラーは背中で語るシーンが多い。
冒頭の演説のシーンは、ほぼほぼヒットラーは客席に対して背中を向けている。
だからこそ肩幅がそんなに広くないなぁ(「軍人」であることを強調するレームとの体格の差異)(何より三島って確か元は貧弱で、そのコンプレックスで戦後にムキムキになったりしていたよね?)とか、そういう「身体」が語るところもすごく雄弁で。
(当然に意識してキャスティングされているだろう、谷さん演じるヒットラーとのキャスト間の身長の差異や、肌の色の透き通る白さの神経質そうでいて決して「軍人」的な溌剌さとは異なる雰囲気、などなど。やはり役者さんは、身体全部が「お芝居」なんだなぁ、と思わされる瞬間が多かった。)

で、背中でいうと衣装が印象的。
序盤の衣装は、なんか派手な模様が入っていて、世間のイメージのヒットラーらしくない衣装でいる。そして、その黄色い模様の入った背中でずっと語っている。
それが、二人を殺す命令を出して実際に殺したあとは、軍服を着て、簡素な色味の背中で語る。
まるで、友と「お前は軍人で、俺は芸術家」と語り合う余地が残されていた時期は鮮やかな色の背中でいる可能性をまだ残していて、そして、友を殺す命令を出したあとは逆に色のない、軍服を纏って出て来る。
「レームは軍人だった。アドルフは芸術家になるだろう。」という未来形とは裏腹に、完全にヒットラーが芸術家になる道を断たれ、「独裁者」として歩む一歩を象徴するような衣装の変化と、それを見せる背中の変化。
この背中が魅力的でした。


アフタートークで、谷さんが「時代ごとに上演する意味が変わる」というようなことを言っていた。初演のときもウクライナ侵攻があり、そして、今も政治的ないろいろありますし(ここは濁していた)と。
役者がそれを言ったのは、言うと思っていなかったので、びっくりはした。
で、じゃあ踏み込んで「今、上演する意味って?」とは思った。やっぱり三島作品なので、すごくこう、軍隊におけるホモソーシャルというか、戦争や軍隊の論理に直結するものを「甘美に」描くことに異様に長けているわけで。(それに私も降参した。)

印象的な台詞でヒットラーが「やめろ、俺にそんな甘い誘惑を囁くな!!!」という。
レームが抱えているものはノスタルジックな、戦争ごっこ、軍隊ごっこで、でもそこで見いだされる男同士の絆、「強さ」への憧れ、「革命の純粋さ」は甘美で美しいものであるとヒットラー自身が認めている。しかし、それは退行に過ぎない、と。

で、まぁその誘惑に乗らずに友を殺したとも取れる一方で、衣装が変わり、「軍服」になることで、実は自分自身がレームになりかわるような濃厚な「友情」も見せているわけで。結局、三島を上演するという意味ではとっても素晴らしいし、美しいし、甘くて、いやぁ~~素晴らしい「三島由紀夫生誕百周年記念」ですね!って感じ。
でも、「我が友ヒットラー」を上演する現代的意義として、再解釈してなにか反戦的なことを言ったかというと、まぁそれが目的ではないと言えばそれまでなのであくまでも私の趣味です.....はい.....なので言ってなくても何の問題もないっちゃあないです......というところで。


なんというか、実は今の時代の空気ってまさにレームのような軍隊ごっこ、戦争ごっこへのノスタルジー、その甘い誘惑に満ちた時代じゃないんですか?これだけ緊張が高まっていて、と少なくとも私は主観として思うわけです。
狭い意味での日本だけではなく、例えば私が最近読んだ本でいうと『反中絶の極右たち』などで紹介されている、グローバルな極右、反ジェンダーの運動って、「男らしさのノスタルジー」に浸りたいという思想があるわけで。で、このグローバルな極右は当然に排外主義者だし、各国で戦争を煽っている。この本の中でも、そういうグローバルな極右思想は「存在しない男らしさの神話へのノスタルジーを『取り戻す』という形で語る」みたいなことが言われている。
つまり、実は、三島が大層素晴らしく甘美に描いたものにこそ、現代の癌がある。

谷さんが、「十年、二十年先もまた上演して、その時代ごとに違った味わいがあると思います」というようなことをおっしゃったときに、私はなんかこう、「十年後もこうやって平和に観劇できているのかな......」なんて思っちゃった、アハハ。そのくらい今の国際状況はヤバい。
そりゃあ、ロシアの劇場は、ナチスドイツに包囲されて、真冬に燃料がないときでさえ、白鳥の湖を上演したという逸話があるそうだけど、基本的に有事に演劇やダンスパフォーマンスなんて見れない。

私は、十年後も二十年後ものんきに観劇していたい。谷さんを始めとして、いろんな俳優さんのお芝居を見続けたい。
そういう願いを持つ者からすると、いやぁ~~~~~甘美に描きましたなヒトラーを、というのは役者と「三島百周年」という企画趣旨に照らして最大の賛辞として私は客席から拍手を届けたい。しかし、「この時代に上演する意味」からすると「その甘美さを!掘り下げてよ!もっと!谷やんがボソっとアフトで言うのではなく!」という思いも残らないではない公演でした。
役者さんのお芝居はめっちゃ良かった。良すぎて怖かったよ、ほんと。それに尽きる。




実は、新国立劇場小劇場は久しぶりに行って、いつぶりだっけ~?と改めて確認したら、2018年の井上芳雄主演の「1984」ぶりだった。
あの頃も政治状況が公文書の改ざんなどがあり、「募集しているが募っていない」という発言があったりして、「こんな時代に『ニュースピーク』が飛び出すディストピアな1984でも見に行きますか」と観劇に行った気がする。
あれはすごく時代に対する批判精神がすごかったな......などと思い出したりもした。なんか私は新国立小劇場でそういうのを見がちなのかな、笑


なんにせよ、私はずっと、できるだけながく、観劇をしたいよ。平和な世の中で。