a_msu
2025-12-10 12:03:47
56117文字
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蛇足のお話

爆裂に趣味。オリキャラのお子達のその後のお話。
カントボーイのシリーズ小説の劉備ルート( https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=24500983 )を見た上で
https://privatter.me/page/6825cc22b0fc0 の年表を確認してないとわけわかりません。
このその後の、さらに後のお話。主役は次子の天です。
かなり勝手な設定作りつつ書いてますし、歴史描写も都合よくとって適当です。
注意書きとしては年表確認すればわかりますが劉備の晩年をあまりよく書いてないのと、蜀に天下はもう無理やろ、と散々書いているので趣向が違ったら注意。
あとオリキャラの子供同士に結構匂わせな関係をえがいているので兄弟BL的なのが苦手な人も避けた方がいい感じになりました(笑)
主役の天はそれに関わりませんが、きっぱり言うとまぁ、影が受けキャラになってます。趣向と違ったら大変ゴメンナサイ。BLを書かないと死ぬ生き物ですまない。エロとかはない。
ほぼオリジナルですが、一応オリジンズキャラもちょこちょこ出るので、ネクストジェネレーションものが大丈夫ならちょっとは楽しめたりするかな?なんて。とりあえずずっと私の脳内の妄想を書き出しているだけです。もはや記録。
すまねえ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「兄上が、剣を置くそうだ」
 そう言ったのは劉禅の公には出来ない異母兄の天であった。
 彼は幼い頃から劉禅に良くしてくれ、人目のない場所でという事にはなるが兄弟として過ごそうと声を掛けてくれるほどに優しく、おおらかな人だったゆえに親しい間柄でもありこうして話す事は多かった。
 しかし何故公に出来ないのか、という事に話を持っていくとそこにはそれなりに複雑な事情がある。
 彼の、もう今は亡い生母の方は劉禅の父でもある劉備と黄巾の乱の際に立った頃から懇意にしていた方でそういう意味で言えばどの女性よりも縁の深い存在であった。が、今でも皇帝となった劉備の正式な妻としては周囲に認知されていない。
 何故、そのようなことになったのか。
 もしも劉備が元より身分があるような男であればそれにも納得はいくだろう。要は身分違いの恋があったのではないかと思えるが少なくとも劉備はそういうものに該当しない。血筋には正統はあったものの元は筵売りの平民。人の事を言えるようなものではなかった。
 故に、複雑な事情である。
 天の母は名を無名といい、周囲には男性と認識されている人間だった。
 劉禅も産まれた時からその人を知っており、言葉を掛けられ会話をしたこともある。だからこそ断言できるが決して女性が男性を装っていただとかそういう話ではない。その見た目は間違いなく男であった。声は低く、背丈も高く、しっかりとした体格。そこらの兵士より腕があり、美形ではあったがその容姿も女性とは異なっていた。
 見た、わけではない。
 劉禅が物心ついたころにはそれなりに歳を重ねていたこともあり、その人が孕んでいるのを見た事もない。ただ、彼が産んだとされる子供らにその証明を見ていた。
 無名にも、劉備にも似ている彼ら。目の前の天も特徴としては亡き母に瓜二つだが、劉備にも似ているところはしっかりあった。だからそういう事もあるのだろうと認識していた。世界は広い、そういう人も居るのだろうと。
 つまり男性ではあるが、孕める。そういう特徴を持った方だったのだ。
 だからこそ正式に妻とは出来なかった。生涯、ただ側に置いて己らの心の中で伴侶として認識し合いながら生きていたという事だ。
 故に、本来は劉禅の兄たる彼らは劉備の子とは周囲に認識されず、その後を継ぐような道からは除外されている。聞けば昔、一度だけこの目の前の兄を劉備の養子に取る話も出ていたそうなのだが無名が固く断ったのだそうだ。将来的に争いの種になるかもしれないと。
 それに対し今ここに生きる劉禅としてはむしろそうしておいて欲しかったと心から思っていた。今の所誰に口にしているわけでもないが正直同じ血を引きながら権力に縛られず自由に生きる兄らを羨ましく感じていた。もし、この兄がせめてそうであれば自分もそうできたかもしれない、など。しかしすぐに勝手な事を思ってしまったと自省する。それを望む事は逆に彼の人生を今と全く異なるものにするのを望む事だったからだ。
 とにかく今話題にしているのは長兄、影の事であった。
 少し前、劉備が崩御し蜀の地は少なからず今も混乱していた。
 先に起こした戦により国は確実に弱っている。多くの人の命を失った事で生産性が落ち、蓄えたものを持ち出された事で貧しくなった。国力を回復させることにおいては高い適性を持つ諸葛亮がすぐに後始末を付けて既に復興の手筈は整えているが、それでも落ちた士気はどうしようもない。
 劉備を、引いてはその義兄弟らを失い、蜀は完全に意気消沈していた。
 果たして再び天下への道を行く事はできるのか、と。
 そしてもうその必要はないと言わんばかりに劉備の傍らにあった“太平の要”も剣を置いてしまったという。役目は終わったと。
「そうか……
「諸葛亮殿が今後も力を貸して欲しいと説得はしているようだが、多分、難しいな」
「そうなのか?」
「ん、なんていうのか。もう目に力がないというのか」
 天はそう言った。先に大敗した戦で近くに駆け付けられなかった分家族をかなり心配していたのは知っていた。白帝城より戻った兄とはすぐに言葉を交わしたのだろう。その結果そう理解したようだった。
「でも俺はそれでほっとしている。父上が亡くなってから兄上は色んなものを背負い過ぎてた」
 家族の事はもちろん、破滅に向かおうとする劉備を止めようとあらゆる努力をしては折られて、折られて、それでも頼む頼むと周囲に託されて雁字搦めになっていた。と。
「本当は俺も側に行って支えたかったんだが、見た事もないくらい怖い顔で止められてしまって」
 お前は、今は絶対にあの人に近付くな、と言われたという。
 あの人とは劉備の事だろう。晩年、すっかり狂気じみた人の事を思えばその言葉の真意が劉禅にはわかるような気がした。正気であればそんな事は絶対にないのだろうが、あの様子ではどんな間違いが起こっていたとしても不思議ではない。それくらい天は無名に似ていた。本当にそれを危惧したのかはわからないが近年、彼は殊更劉禅の近くに付けられていた。夷陵の戦の際も趙雲に付けられ魏の動きを抑える方面に置かれていたのだ。少しでも距離を取らせるように。
 ただ、代わりに、
「一人で嫌な所を多く見てきたんだと思う。いくら遠ざけられてもそういう事は聞こえてくるもので父と兄がどういう風に過ごしていたかは知っていたからな」
 連日言い争って、諫めて、忠告して、王である意味を説いて。もう誰もが触れられなくなっていた所に一人、ずっと触れ続けては正気に戻そうと必死になっていたという。時には激しいことにもなったようだがそれでも当時の劉備が影を遠ざけたりしなかったのは父としての最後の想いからか。
「確かに、よく努力されていた。皆、もう諦めていたというのに」
「何と言っても、兄上は父様を慕っていたからな」
 おかしくなっても見捨てられない程度には。
 いつも冷静で表情の変化も多くはない人ではあるがそういう機微くらいは弟としてよくわかったと言った。本来口数がさほど多くない兄がよくしゃべるのはいつも劉備の前だったと。
「何かの糸が切れたみたいだ。戦から帰って三日三晩碌に食事もせず殆ど部屋に篭って寝ていたらしい」
「それほどに疲れていたのだろうな」
 いつか、最愛の親を失ったのは彼も同じだったのに。泣くような間もなくもう一人のそれを背負いこむことになって、疲れないはずがない。ある意味全てが終わって堪えていたものがようやく、という所だったのだろう。
「俺はな、禅。兄上が泣く所を見た事が無いんだ。今回の事もそうだが父上が亡くなった時も、あの翔ですら声を上げてわんわん泣いたというのに兄上はいっそ薄情な程淡々として必要な事をしていた。いや、本当に薄情だと思ってはいない。むしろ兄弟の中でも一番あの両親を愛していたと思う。なにせ苦楽を共にしてきた唯一の子だからな」
 劉備が平原国の相として官位などに縁を持ち始めた頃に生を受けた子供。
 この広大な国の大地を右往左往として迷走していた頃の両親の傍らにずっといたのだ。二人がどう生きて、どう迷って、どう進んできたのかをその目で見てきている。もちろん天も半分はそうだが幼過ぎて殆ど覚えていないようだった。
 魏の地に居た事もある、と話には聞くが全く記憶が無いと。
 敢えて言えば薄ぼんやり兄が剣術を学んでいた傍らに見慣れないおじさんがいたような、とその程度だと。それがあの曹操だったのだと聞かされてひっくり返った事があるという。天にとってみれば曹操というのはあの長坂で自分達を捕らえ、弟を攫おうとした敵国の悪い大将なのだ。そう言うと大抵劉備が大笑いし、無名は何とも言えない顔をしていたという。
「でも、だからこそ心配になる。あの人にはそういう感情を吐き出させる場所が、俺がこうしてお前と話しているみたいな、そういう場所が、今、あるのだろうか」
 無名が逝き、劉備が逝き、可愛がってくれていたその義兄弟も既に亡い。良く彼らの子供らの事を劉禅も含んで括り、次世代と口にする者がいるが、影に限って言えばこちら側ではなくあちら側ではなかっただろうかと言いたいようだった。
 自分達はあくまで面倒を見なければいけない対象として見られている。
 しかし今それぞれもう大人になっていて、それすら。
「さぁここからは自分の自由に、と思えていればいいのだが」
 その懸念に劉禅は大丈夫だろう、とは返事が出来なかった。




+

「ええっ、そんなに寝ているのか?」
 その日、天が少し兄の顔を見ておこうと所謂実家に尋ねて行ったのは偶然だった。
 そこには兄と、末弟の啼が現在住んでいるがそれなりの屋敷を与えられている為贅沢にも世話人のような者が雇われていた。その人に兄に会いに来たが部屋か、と尋ねると意外な事を言われたのだ。
 兄が、今日も昨日も、一昨日も、日がな一日寝ているのだと。
「もしかして戦から帰ってからずっと、なのか?」
「あ、いいえ、三日程そうされた後は訪ねてこられた方と話をしたりとそれなりに過ごしておられたのですが、まただんだんと伏せることが多くなって、ここ最近じゃ殆ど……
 それは、明らかにおかしいんじゃないか。
 そう判断すると天は急いで兄の部屋に向かった。屋敷の奥、かつて両親が使っていたそこよりも少し手前にある場所に足を止めるととりあえず戸を叩いた。
「兄上、天です。おられますか?」
 返答はない。気配も無いと思ったが、もう一度と手を上げると中からがたりと何かが動く音がした。しばし待つと、き、と扉が開く。一枚、部屋着を羽織っただけの兄の影がそこにはいた。いつも見せる鋭過ぎるような目つきが薄らと開いている程度で、何より顔色があまりにも悪いように感じた。
…………お前か、なんだ」
「なんだじゃないですよ。最近ずっと伏せられてると聞いて来たんです。体調が悪いのですか」
「いや」
「いやって、その割に顔色が良くないようですが」
……体調はなんともない、ただ、少し、眠くてな」
「眠いって…………ずっと寝てたんですよね」
「ん、」
 言いながら、影は今この瞬間も少しずつ瞼を落としていっていた。どろどろと落ちて、
 落ちて、
………元化先生に診てもらいましたか?」
 目が閉じていくのを見つめながら問いかける。
「いや」
「いや、じゃないです。お願いしてきます」
「いい、本当に眠いだけだ」
「それがおかしいんですよ」
 戦から戻ったばかりの時ならともかく、日も経っている。さらにここ最近ずっとその状態なら明らかに異常だ。
「とりあえず呼んできますから、横になっておいて下さい」
 言いつつ、軽く付き添うように寝台まで導くとそこに身体を横たえさせた。その際、触れて理解したのは明らかに以前より痩せているという事だった。たった数日の事だろうに。
 少し、ぞっとした。
 いつか、無名が亡くなった時もこんなじゃなかったかと不意に思ったのだ。ある日急に眠い、と言って横になって、それで、そこまで考えて首を振る。縁起でもない、と。
「いつからそんななのですか」
…………ここに、戻ってから、気が抜けたんだろう」
「そんな根拠のない楽観した考え、らしくないですよ。とにかく元化先生を呼んできますからきちんと診てもらって………
 それで顔を見るともう意識を手放して眠ってしまっているようだった。
 やはり、なにかおかしい。そう感じれば感じる程に不安がさらに増大した。久方ぶりに見る兄の寝顔は、意外な事に今は亡き無名を思い起こさせた。寝顔だけなら兄弟の中で誰より似ているのではないかと思う。その静かな雰囲気からだろうか。それ自体は穏やかに過ぎる。しかし、もう一度過ったのは、そこまで考えて縁起でもないとまた首を振るととにかく踵を返した。
 元化も以前は方々に飛び回っていない事もあった人だが、今となっては足腰の不自由さを理由にこの成都に留まっている。付近の人間を診つつ、神医として弟子を育てていた。比較的近所に住んでいるのは無名との縁をいまだに思ってくれているからだろう、そして当たり前に兄弟の事もよく気にしてくれていた。
 だからこそ遠慮なく、診療所も兼ねているその自宅に駆けこむ。そこにはいつもと変わらない様子の元化がいた。薬草を磨り潰し、薬を作っていた。
「元化先生」
「おや、めずらしいですねここに来るなんて。怪我でもしたんですか」
「いや、俺じゃないんです。兄上の様子が少しおかしくて、先生に診てもらいたくて」
「影が? そういえば、戦から帰って来てから顔を見てないですね」
 そう言った。それにもまた天はらしくない、と感じる。影はああ見えてまめな男で怪我をしておらずとも遠征の後、挨拶くらいにはいつもここを訪れていたからだ。
「はい、兄は平気だというのですが。その、ここの所ずっと伏せっていて」
「戦で疲れている、というには時間が長いですね」
 さすがに話が早かった。
「そうなんです。なのにあの人意地を張って」
「意地を張っているかどうかはさておいて楽観視してる感じはしますね。いきましょう」
 ささっと支度を整えると元化は立ち上がった。その素早い様子に心配をしているのだろうという事がよくわかる。なにせこの人は兄弟全員を胎から取り上げていて、それぞれに思い入れは一入ある様な人だった。
 自身に子がない分、貴方達が自分の子のようなものだ。
 そんな言葉を聞いたのはいつの事だったか。
「顔を見せないからおかしいなとは思っていたんです。こんな事なら早く診にいけばよかったですね」
…………一応、本人曰く眠いだけだそうで、でもどう見ても顔色が良くなく」
「啼は、一緒に居たんでしょう」
「あいつは兄が大丈夫と言えば頭から信じる子ですから」
 年の離れた末弟の啼は少しおっとりし過ぎているところがある。劉禅はそう装っているという様子があるが、啼は素でそうなのだ。言葉の裏などをよむ様な真似はせず常にそのまま受け取ってしまうようなそういう子なのだ。本人も自分は頭が良くないから、とはいつも口にしている。ちなみにかといって剣の腕があるのか、と言われるとそうでもない。
 余談にはなるが、そういう所を見て両親が健在の頃は散々心配してせめて文官の末端のような仕事をさせようともしたこともあった。しかしそれすら本人が身の丈に合わない事はしたくないと頑なに断り、何かを黙々と作る様な仕事を自分で選んでいる。
 昔一度、そういう生き方を選んでいる弟に対し周囲が兄らと比べて“だしがら”という言葉を投げかけた事があった。それはつまり、それぞれが優秀である三人に比べ劣っているという事を言いたかったらしい。長兄の影は言わずもがな、次兄の天も剣の腕だけで言えば長兄を上回ると言われていた。その下の翔は戦の事などにはあまり手を伸ばしていないが文官としての能力は既に評価されている。その兄らにそういう所を全て吸われた後に産まれたのだろうと。
 それを本人自体は笑って流していたが、烈火のごとく怒った人物はいた。親である無名であった。普段無口で、大抵の事は聞き逃して静かでいる人だというのにその時は自分よりも大柄な男共をちぎっては投げちぎっては投げ、とにかくその怒りは凄まじかったのだ。最終的に同じように怒っていたはずの劉備がそろそろ勘弁してやってくれと止めるくらいには。
 幼い頃から、何をするにも時間のかかる啼に辛抱強く付き添って、ゆっくりでいい、啼が納得できるようにすればいいと優しく見守っていただけに他人にそれを馬鹿にされるのは納得がいかなかったようだった。お陰で今は口が裂けても誰もそんな事は言わないし、当時そうしてのされた連中も今となってはそれでも優しく声を掛けてくれた啼の子分の様になっているのだから不思議なものだった。
 両親から何を引き継がずとも、人としての魅力だけはしっかり受け継いだ証拠だった。
 とにかく、そういう性格の啼が兄に平気だ、と言われれば様子を見てしまうのは仕方のない事だった。
「まぁそうですね。じゃあやっぱり悪いのは影ということなのでしっかり説教してやらないと」
 本当にあの子は、と。元化が言った。


+

 屋敷に戻るとなかなか起きようとはしない影を叩き起こして元化の診察を受けさせた。
 元化は様々な質問を繰り返しながら丁寧に身体の様子を診たが、最終的には顔色が悪いのは寝ている時間が長すぎて食事をしっかりと取れていないせいだという判断をした。それ以外は特に異常は認められないと。しかし、おかしい、ということは理解できるのかそうと言いながらその顔は納得している様子が無かった。
 なにせ診ている間も何度も何度も影は目を閉じてしまうのだ。堪えきれないと言って。
 その眠気は一体どこから来るのか。
 一つの可能性があるとすれば親の死を経験した彼が心の傷を負って無意識に、という事はあるのかもしれない。残酷な現実から目を反らそうと。だがそれなりに付き合いの長い中で影がそういう人間ではないという事もわかっていた。
 悲しみを抱いてはいるのだろう。だが、だからといって何もかも投げ捨てて夢を見ることを望むだろうかと。性格上、もし本当にそうなら一思いに刃を己に向けるんじゃないかと。
「だから、なんともないと言っているだろう」
 ああだこうだと相談する元化と天を前にして一人、事に重大さを感じていないらしい影がそう言った。呆れ果てる様子だったが、それは本人には本人の姿が見えないからだろうと思える。真っ白い顔で、弱り切った表情をしているのに自覚が無いのだろうかと。
「そうは言いますが、あれだけ寝ていてまだ眠気があるなんておかしいです」
「疲れているんだろう」
「だから、それが何日目なのかという話ですよ」
 これが一日二日の事なら気にもしない。しかし、改めて屋敷の人間に確認するとそうではないとは確認済みだった。そんな事が続けばいつか大変な事になるという予感はあった。
「だが、特に異常はないのでしょう」
…………ええ、身体だけを見れば」
 元化への問いかけにはそう答えられる。そうなるとそれ以上の何かしらの説得は口にし辛くなる。それで天が弱り切っていると、たん、とその場で手を打つ音が聞こえた。
「とにかく、なにがどうあれ今は出来る事がありません。だけど天の言う通り何かおかしいのも事実。だからしばらく俺がここに通います。原因が究明できるまで付き合ってもらいますよ。影。いいですね。流石に楽観視し過ぎです。らしくないですよ」
…………わかりました」
 はぁ、と深い溜息をついた影が困ったように頭を掻きながら複雑な顔つきをしていた。それは、でも確かに、何故こんなに眠気があるのか、と自分でも疑問に思っている様子だった。
 それから兄の様子があまりよくはない、という事は他の身内にも通達された。さすがに既に皇帝とある劉禅が駆けつけてくることは不可能だったがしばしば独り立ちで家を離れていた翔が慌てて様子を見にあらわれた。
 普段、なにかと情をあまり見せたがらない所があるのだがなんだかんだと家族を大切に想っている事がよくわかる仕草であった。少し顔を見てなかっただけで一回り小さくなったような兄に驚いて、お前が一番に気付くべきだろうがと共に暮らす啼を叱りつける一幕があったがそれは影が止めていた。自分が平気だと言ったんだと。
 それでしばらくは変化の無い日が続いていた。長い事伏せてしまうことに変わりはないものの元化が様子を見てくれている事で目覚めた時に確実に食事をするように調整していくと少し様子が落ち着いたかのようにも感じていた。天が可能な限り顔を見せれば出迎えてくれる事もあったので、やはり嫌な予感は気のせいだったか、と思った頃の事だ。
「兄上、起きてください、兄上!」
 眠気がある、所ではなく影が目を覚まさなくなった。
 こうして声を掛けても、揺さぶっても、少し強めに叩いたりしても目を開ける事が無い。息はしており、生きてただ眠っているだけだがどうしても目覚めなかった。何事か、と諦めずに声を掛けるが当たり前に返事はない。目の前にはただ寝息を立てる兄がいた。
 流石の元化もそれには青い顔をしていた。触れた事の無い症例だったからか、いや、しかし、一度だけ、と自ら否定する。
「これではまるで無名殿の時と…………
 そう言った。
 ある日急に眠いと言って横になり、中々目を覚まさなく、これはおかしいと慌てて元化に診てもらった時には手遅れだった無名。成す術もなく一夜明けた頃には息を引き取ってしまった。その苦い思い出がこの場に居る全員によぎっていた。まさか、同じことが、と。
 そしてあの時成す術がなかったように、今もその状況に変わりが無い。恐らくこのままでは、
「どうすればいいんだ」
 そもそも原因は何なのか。
 考えるが何かが思い浮かぶわけもない。集まった翔や啼も懸命に呼びかけるがやはり目を開けてくれはしない。
 どうすればいい、
 何とかしなければ、何かをしなければ、でも、なにを、そんな焦燥感に天が駆られていた時だ。



「影の名を冠す鸞は今己が選んだ英雄の天命に引かれている」



 ふと、聞き覚えの全くない少年の声が耳に届いた。
 驚いて顔を上げる。視界の先、兄の眠る寝台の隅にその少年は座っていた。言葉を続ける。
「これでも持った方だ。劉玄徳の父としての情が己が子を巻き込むまいと留めているのだろう。しかし、このままでは抵抗虚しく共に逝く事になる」
 お前は誰なんだ、何故そんな事を。思ったが、もはや今はそんな事はどうでもよかった。何かを知る者がそこにいる、それだけで十分なのだ。
………俺は、どうすればいい」
「結ばれた英雄と鸞の縁を断ち切るのは困難を極める。それでも良いか」
 こく、と頷くと少年がなにかを指差す。その先を辿ると影が衣服を置いている場所が目に入った。手を出して開けてしまうとそこにはいつか劉備に用意された士官服と、無名から受け継いだという赤い帯、鸞の帯留め、それから、
「これ、か」
 淡く輝く、鳥が彫り出された玉。
「それを白き鸞の元へ。さすれば道は拓かれん」
 白き鸞、それは、
「北へ、彼の地にその姿はあり」
 それだけを言うと少年は瞬きの間に消え果ていた。果たしてそれは幻だったのか。確かなのは手の内に示された道があるのだという事。
 白き鸞。記憶が正しければ過去、そう呼ばれた男がいた。
 白鸞と呼ばれし、兄と同じ太平の要。
 行かねば。
「出来る事があるかもしれない」
 急に放った言葉に皆が振り返る。それぞれ訝しげな眼をしていたが構ってはいられなかった。多分、そう時間はない。
「必ず俺がどうにかしてみせる。だから、兄上の事を頼みます」
 言い放つと呆然としていた元化の顔に力が入った。
「心当たりがあるんですね」
「はい、淡い希望ですがこれに賭けるしかないと思います」
「わかりました。貴方が戻るまで俺が意地でも持たせます」
 死なせはしない、きっと、と言った。
「翔、悪いがすぐに出る。俺の不在はお前が劉禅に伝えておいてくれ」
…………はい」
「啼、いつ戻れるかわからない。家の事はお前に頼んだ」
「はい」
 弟二人にそう声を掛けると最後に天は兄の顔を見た。ただ眠っている。苦しそうに見えないのは幸いなのか。
 死なせてたまるものか。そう思った。
 ここ数年で大切な人たちが本当に立て続けに亡くなっていた。これ以上、それを繰り返したくはないのだ。
 北へ。
 急がねばならなかった。


+

 しかし一口に北と言ってもどこへ。
 天のその疑問に答えたのは意外な事に弟の翔だった。白鸞、という名の男に会わねばならないがどこにいるのか、と溢した時だ。最初元化が口にしたのは冀州にある太平の要の隠れ里の存在だった。もう人の住んでいない地ではあるが、縁があるとすればそこ程度しか思い浮かばないと。
 不確実ではあったが可能性のある場所を全て当たるという意味でそこを目的地としようとした時だ、黙っていた翔がふと、口にした。
 北の民の元へ。
 理由を問いかけると、白鸞とは長坂で会ったあの人の事でしょう。ならば助けられた時に交わした言葉の中でそう言っていたと言った。平定された地ではあるが、北の民の一員としても曹操を討つ機を狙っているのだと。
 それは既に燃え尽きた里に赴くよりも可能性がある様に思えた。
 まずは北の民の元に訪ねていき、会えなければ里へ。そういう風に定めると天は赤兎馬の血を引く愛馬に跨り旅路を急いだ。北の地は決して近くはなく、時間もない。一日一日兄の命が削れるのだと思えば気は焦るばかりであった。
 成都を出て魏の地を横切るとなれば多少の緊張はしたが何のことは無くただの旅人として通過は可能だった。馬が潰れないようにと気を使いつつ出来るだけ駆け抜けたもののやはりひとっ飛びとはいかない。もたせる、と言ってくれた元化を信じて進むしかなかったが三日も経てば不安で押しつぶされそうになっていた。
 もしかすれば家ではもう兄は息を引き取っているのではないか、今自分がやっている事に意味は無いのではないか、玉と、白鸞、という人に信頼してもらうために持ち出した赤い帯と鸞の帯留めを見つめては抱え込む。
 それは人によっては太平の要である事を示すものだが、少なくとも天には兄の象徴であった。尾羽のような赤を靡かせて涼しい顔で戦場へ行く。その姿に憧れて自分も剣を取ったのだと言えば兄はいつも複雑そうな顔をしていたが事実は事実だった。
 父、いや、母である無名にもそうと言えば、いつも笑って、影は本当はああいう事が好きではないから、支えてやって欲しいと言われていたのだ。しかし、いざ、そういう時には遠ざけられてしまって何の役にも立たなかった。
 全て兄に押し付けて自分は何をしていただろうと思うと胸は苦しくなるばかりだった。
 何も出来ずに皆死んでいった。
 だからもう、誰にもいなくなって欲しくない。
 ほたり、と涙が零れ落ちた時だった。
「無名、殿……いや、そんなまさか……
 ふと声が聞こえた。急いで顔を上げるとそこには野宿の為に灯した薪の灯りを目印に現れたのだろう人が居た。声を聞いたときにわかっていたが男性で、身なりが良く、清潔感はあるがそれなりに大きな男だった。年の頃は五十を越えているだろうか。
 それがじり、と天に向けて足を進めてくる。
 驚いて後ずさると傍らにあった剣を手に取り構える。賊ではない、とは思ったが確信はなかった。上手い事やっている連中なら身なりが良いということもあるかもしれないと。
 その怯えに気付いたのだろう。あ、と声を発すると男が歩みを止めた。
「す、すまない。不躾に。あ、その、ええと、君はこんな所で何を?」
 へらりと男が笑ったが警戒心は解かなかった。
………何というわけでは」
 兄を救う為の旅路の途中だと男に説明する必要は当たり前にあるはずもなかった。だから全てを濁してそう返答すると男が困ったように頭を掻く。
「何と言えばいいのかな、その、俺はあやしいものではなくて。その、明かりが見えて気になっただけなんだ……ええと、様子を見るに旅の途中なのかな? だからその、良かったらなのだけど、俺の家がこの近くで、よければ一晩だけでも……あ、いや、本当に怪しいものではなくて、若い君がこんな所で一人でいるのは気にかかったというか、その、やはりこの辺りも何かと物騒だし、ええと」
 だらだらとしゃべり続ける男の言葉を聞いていると悪い人物ではないという事はよくわかる。ただ、提案に乗るという選択肢はなかった。嫌という事でも疑っているわけでもないが、そこまでしてもらう義理もない。
「気持ちはありがたいですがお気になさらず。慣れておりますので」
 構えた剣は下ろし、答えた。そのまま剣を構える為に放り投げたものを取りまとめる。大切なものだというのにころりと少し遠くに転がってしまっていた。
………それは、やはり……
 男が呟く。
「すまない、君が俺を警戒するのは無理もないが一つだけ聞かせてくれ。もしかして君は無名殿の、血縁者か何かなんじゃないのかい」
 そんなことを言った。そういえば最初、すでにその名が口にされていた事を思い出す。無名殿、いや、そんなまさかと。空耳ではなかったらしい。
「え、」
「その赤い帯に鸞の帯留めも、噂に聞く太平の要の証。今は影殿、彼の子息が纏っていると聞いていたが…………それを持っているとなると、弟君がなにかでは?」
 目に入った情報から推測したらしいことを男が口にした。そしてそれは全て的を射ていて息を呑む。何者なんだこいつ、と心が解れるどころか警戒心が上がった。ここは魏の地。戦場を駆けた兄を憎む相手もいるかもしれないと思ったのだ。
「ああ、ええと、すまない、君を怯えさせるような気は無くて、本当に何ていえば良いのか……その、覚えていないかな。俺は徐庶。多分君たちとは昔何度か顔を合わせた事もあったんだけど」
「徐、庶………
「無理か、そうだな、影殿以外は皆まだ幼かったから……
 はは、と男が笑う。
 炎の揺らめきで何とか見える男の顔をようやくじっくりと見た。ぼさぼさ頭に無精ひげ。自信なさそうな笑みを浮かべながら話す声はなんとなく力なくて、
「あ、あ、あ、あえ、あ、ええええええ」
 言われてしまえば蘇る記憶があった。そもそも名前自体は諸葛亮がよく口にしていて覚えていたのだ。そういえば居たなぁそんな人。遊んでもらった記憶もあるけどもう顔も覚えてないなと幾度も思った事があったが、その顔も覚えていない相手というのがこの人らしい。そして見れば、そういえばこんな顔だった気がした、していた。
 それで声を上げる。小さな庭で剣の稽古の相手につき合わせた事があったのも思い出した。
 緊張が解れた頃に元直、と呼び捨てにして無名に叱られた声がありありと蘇ってくる。
 せめて元直おじさんにしなさいと言われ、そ、それもちょっとと言っていたはずだ。結局打開案で元直さんと呼んで、
「あーあーあーあー!」
「お、思い出してくれたのかい?」
 はは、と苦笑いする顔がその時のものと完全に重なった。もちろん記憶よりは当たり前に老けているが。
「え、何故、こんなところに?」
「何故と言われると困るけど、まぁ、俺は魏の人間だから」
 この地に居ても不思議はないと思うけど、と言った。
「そ、そうかもしれないけれど、こんな偶然」
「俺も驚いたよ。灯りを見て賊かもしれないと覗いたら君がいたから……しかし大きくなったね。見違えたよ。父君にそっくりで、最初彼がそこにいるのかと思った」
 そんなわけがないのにね、と男改め徐庶が苦笑いをする。ここでいう父君とは無名の事だろう。そしてその無名が亡くなった事は彼にもきちんと伝わっていたようだった。公の存在ではない故に知る者は少数なのだが、もしかすれば諸葛亮が気を使って使いを出したのかもしれない。
「それはまぁ、あれからもう十年以上経つわけだから」
「そうだね、そうだな、もうそれくらい経つんだな」
 はぁと深い溜息が吐かれる。徐庶は本来なら劉備に仕えたいと思っていたというのは聞いたことがあった。しかし、年老いた母を気遣ってついては行けなかったと。
 かつて劉備軍の前に立ちはだかった八門金鎖という突破の難しい陣を破って見せた軍師。今では人材溢れる魏の地で埋もれてしまっていると聞く。いや、敢えてそのように生きているのか。
「ところで本当に君は何故こんな所に? 意味もなくここには来ない立場の人だと思うのだけど」
 確かにそうだ。公の存在ではないとはいえ劉備の子であり、今となっては一応、蜀軍の一員でもある。おかしな密偵と思われても仕方ない立場ではあった。とはいっても徐庶は天の事を無名の子であるとは知っていても劉備の子であるという事までは知らないのだろうが。
「う、そ、それは……
「あ、いや、違う。俺は君を責めているんじゃないんだ。何かを疑ったりしてるわけでもないよ」
 捕まえてやろうとかそういうのでもないと。
「いや、ええと……
…………たしか君は天、だったね。もしよければ事情を話してみないか。俺で力になれるようだったら力になるから」
「だけど」
「様子から見るに急いでいるのはわかってる。ならせめて身体を休める場所だけでも提供させてくれ」
 全て話せとは言わないと彼は言葉を改めた。その様子はまさに友人の子供を案じる様だった。
 それに無名が時折心を許した友人としてあげる名前でもあった事を思い出す。今も元気にしているだろうかと言っていた事もあった。
「じゃあ、今晩だけ、世話に、なります」
「よかった、じゃあこっちに」
 おいで、と導かれるままに足を進めた。



+

 結局徐庶の家に招かれるとそのまま天は己に降りかかっている事情を彼に話していた。
 最初は懐かしいままに思い出話に花を咲かせていたのだが、話が進むにつれてどうしても避けられないのは両親の死についてであった。それは同時に蜀という国に降りかかった災難の話でもある。
 関羽の死をきっかけとして起こった連鎖。無名、張飛、の逝去。そしてその死に狂った劉備の暴走は避けては通れないような話題であった。徐庶はかつて、劉備に大きな慈愛を見たという。そしてそれがいつかこの国を覆ってくれるはずだと。そうなるとその死に様は全く真逆の事であって失望しているだろうかと恐れたが、意外にも徐庶は常に劉備に同情的だった。
 お労しい、優しい方だったからこそ心が耐えられなかったのだろうと。
 思えば彼も身内の事を案じて夢を捨ててしまった人だった。そう思えば天はほっとした。周りから見れば劉備の行いは決して評価に値するものではない。誰しもが愚かだと言い、今まで必死に駆けあがってきた道すら否定して所詮王の器ではなかったと切り捨てる者が多かった。
 天には王がどうとかというそういう話について詳しく意見は述べられないが、子供として狂ってしまったほどの悲しみを考慮して欲しいという気持ちはどうしてもあったのだ。徐庶はそれを全て汲んで話してくれ、気がすっと抜けてしまった。
 だから、かもしれない。優しく色々聞いてくれる彼にいつの間にか今抱えている事も全て話してしまっていた。
 兄の命が危ないという事、恐らくそれが太平の要という存在に絡んでいる事、白鸞という男を探しているのだという事、
 全てを話しながら、だけどもう間に合わないかもしれないと涙をこぼすそれをそっと拭ってくれた。
「そんな事になっていたなんて、驚いたよ。辛かったね。でももう一人で抱えなくていい。俺が力になるよ」
 そう言った。
「ありがとう、けれど」
 この国でそれなりに立場のある者としての仕事があるはずと思えばそれに飛びつこうとは思えなかった。親しかったと思い出したとはいえそれはもう十年以上前の事。
「俺の身体はこの地にあるが、心はいつでも君たちの味方のつもりだ。無名殿や劉備殿がいなくなってもそれは変わらない。それに信じられないかもしれないが君の言う白鸞殿とは見知った仲で、その居所に俺は心当たりがあるんだ」
「え、」
 そう言った。北の地までここからでもまだ時間がかかる。心が折れかけていただけにそれは朗報と言えた。
「少し前の事だ。白鸞殿は成都を目指してここを通りかかったんだよ。恐らくだけど君たちはすれ違っている。それが分かってよかった」
「え、あ、お、追い駆けないと」
「大丈夫、今使いの者を出した。またすれ違ってはいけないからここで待つんだ。いいね」
 最初の顔を合わせた時からすればしっかりとした口調が天をそう諫めた。急いで道を駆けた事で疲れただろう、今は休みなさいと。だけど、と続けようとしたが慣れない一人旅でろくに眠っておらず疲労しているのは事実だった。
「道は拓ける、と言われたのならその先もまだあるのかもしれない。だから今は休んだ方がいい」
 そう重ねて言われしまえばもう頷く事しか術は残されていなかった。追いかけて会えればいいが、確かにすれ違っては余計に時間がかかってしまう。それなら今は頼った方がいいと。
 徐庶はそれからかなり気を使ったもてなしを施してくれた。肉を多く使った料理を食べさせてくれ、贅沢にも湯をためて沐浴をさせてくれ、広めに作られた寝台に横たわらせてくれた。そうするとすっかり気が抜けてその日は不安な気持ちも忘れて天は朝までぐっすりと眠る事が出来た。
 次の日になると朗報はすぐに訪れた。
 白鸞はたまたま近隣の村に留まっており既にこちらに向かっているという事であった。安堵の息を吐いたが徐庶の言う通り道が拓けるという事はそこから何かがあるのかもしれない。既に成都を出て数日。相変わらず心臓は嫌な音を立てていた。ここにある以上今の兄の状況を知る事は出来ない。生きているのか、死んでいるのか、どういう状態なのか。
 しかし今は考えを振り払う。そして今日初めて赤い帯を腰に巻くと鸞の帯留めでそれを留めた。これから会う相手に余計な説明を省くためだ。玉を握りしめて時を待つ。
 家人の案内で現れたのは幼い頃に見た白き人そのままだった、もちろん年月が過ぎることで多少歳は重ねているが記憶から大きく変わっているという事もない。
「お前は、紫鸞の子だな」
 紫鸞、とは無名の事であるのはわかっている。昔の異名だ。
「はい、天と申します」
「うむ、それでどういう状況なのだ」
 成都を目指していた、という割に男はあまり事態を理解していないようだった。徐庶に聞いたところによるとなんとなく嫌な予感があって成都に向かっていると言っていたようだった。その嫌な予感、とはもちろん無名と、その家族に関するものだったのだろうがはっきりとはわかっているわけではなかったらしい。
 幼い頃、たった一度会っただけだというのにこんなに気にかけてくれるものなのだな、と少し無名と、この男の間にある絆には感心した。
「兄が、倒れました」
「影が?」
「はい、身体になにか悪い所があるわけでもないのですが戦から戻って以降眠ってばかりいて、それでつい先日目覚めなくなってしまったのです」
「目覚めなく、」
「それで、その、これを持って貴方の元に行けと言った方が居て」
 おずおずと手の内にあった玉を差し出した。すると淡く輝き出す。
「それは…………
 光を見つめて白鸞が驚いた顔をした。そして懐から、それを取り出す。似たような形の玉。共鳴するようにしてふわりと同じく輝いた。
「これは瑞兆の対玉。我ら『太平の要』の秘宝よ……しかし、これ自体に何かをどうこうする力あるわけでは…………
 互いの手の内にあるそれを並べるように突き合わせる。淡く光るが、それ以上何があるわけでもない。
………なにか伝承のようなものでもご存じないのですか」
 白鸞と共に現れていた徐庶が言った。
「この玉自体は始祖の頃より受け継がれてきたものだ。伝わる話によれば善き治世には花をつけ、悪しき治世には朽ち果てるという果樹の根元より掘り出された玉石で作られたという。太平の世を目指して飛ぶ我らの導きとしてあったものだが」
 全く何の力もない、とは言えはしないが何かを救うような力があるものというのには疑問があると。
「お前に我が元へと言ったという者は他に何と?」
「いえ、それ以上特には」
 それを白き鸞の元へ。さすれば道は拓かれん






 道は、拓かれん。
 








「時は来た。太平の子よ、困難に立ち向かわん」








「うわっ」
「な、」
「う、」








 一対の佩玉より強い光が放たれる。目が眩み天は思わず強く目を閉じた。
 それでも視界を覆う強い光に耐えているとやがてそれが失われていく。光が収まったのだ。そう理解してようやく瞼を上げる。
 本当ならそこには白鸞と徐庶が、そしてなんでもない室内があるはずだった。
 しかし、



「え、ええ、」
 


 見えるのは戦場。多くの人が入り乱れ、刃を振るっていた。
 理解が出来ないでいると兵士が呆然と立つ天に気付いたのか向かってくる。敵も味方も関係ないのか確かめるでもなく刃を振り上げた。まずい、と慌てて手に持っていた剣を構えようとするが時すでに遅しであった。


「どけ、」


 声と共に閃が走る。
 見れば双戟を構えた男が立っていた。どうやら助けてくれたようだが咄嗟に避けて転げてしまった天を助けるでもなく上から見下ろしている。まったく覚えがない、正真正銘まったく覚えのない男だったが何故か見覚えがある様な気がした。
「あ、ありがとうございます」
 礼儀として口にしながらよろよろと立ち上がると男は、ふ、と鼻で笑うだけだった。
「あ、あの、礼ついでに申し訳ない、ここはどこでしょうか」
 あまり感じのいい男ではなかったが問いかけられるのは目の前の相手しかいなかったのでそう口にする。それくらい場所に見覚えが無かった。わかるのはそれこそ自分の知る場所ではないとそれだけだ。
「ここがどこかも、何を成したいのかもわからぬのならば帰れ。他人の命なぞお前には関係あるまい」
 そう男は言った。まるで天の事情などすでに全て知っているような言葉だった。強い言葉でもあったがお陰で目的を、目を開ける前の事を思い出す。
「待ってください、あ、貴方は俺がどうすべきかご存じなのですか」
「知らぬ。お前が愚かにも兄を助ける為に泥臭く駆け回っている事などはな」
 知っているじゃないか、と憎らしく思うがむしろ何故知っているのかと頭を傾げた。男に見覚えはない。という事は知り合いなどではないという事だ。
「お前の母に頼まれただけだ、お前に力を貸してやって欲しいとな」
………父上に?」
 ややこしいが、無名を天の生母と知る者ならば母と、そう表現してもおかしくはない。それを知っていると暗に男は言っていた。そして今は亡き人にそんな事を頼まれた、等と口にする。
 ここに来た時の状況なども加味して生きた人間とは思えなかった。なにか、超常な存在というのか。
「全く愚かに過ぎる。わしはそれが天命ならば従えば良いと言ったのだがな」
 言いながら男がため息をつくと天を置いてすたすたと歩き始めた。
「あ、ちょ、どこに、」
「これからお前が挑むのは群雄割拠の時代から今までの中で最も力を持ったものだ。それを打倒せねばお前の兄は助けられん」
「は?」
 よくはわからない。わからないがとにかくその背に付いていく。今、頼るべきはこの目の前の男しかいなかったからだ。
「縁を断ち切るという事はそれだけ困難だという事だ。出来ぬというなら諦めて帰れ。お前の兄も一度太平の要として生きた以上課された運命のまま死しても悔いはないだろう」
「そんなわけがないだろう」
 知ったような口を利く男の言葉が癇に障り、天は思わずそうと言っていた。
「兄上には兄上なりにやりたい事があるんだ。太平の要とか鸞とか、そんなのあの人の望みじゃなかった。それだけはわかる。あの人は本当はそういう事に関わりたくなかったような人なんだ」
 荊州の地でほんの一時息をつくような時間があった。その時、あの兄がどれだけ穏やかな顔をしていたか。益州攻略に乗り出すと言った時、どれだけ落胆した顔をしていたか。
 口にはしなかったがあの人は戦事が嫌いなんだ。それは優しいからとか、争いごとが嫌いだからという理由などではないが。
「誰に似たんだかな」
「なんだ?」
「いや、そこまで言うのならば越えて見せよ。あの試練をな」
 すぅと伸びた指の先。そこにはいつの間にか立派な門があり、その手前に多くの人が並び立っていた。しかし、彼らはこちらに刃を向ける気配がない。それどころか天の視線を遮る事を厭ったように、それこそ地割れでもしたかのように左右に割れていった。
「見ろ、先に在る者を。それがお前が倒さねばならぬ者だ」
 鳥が鳴く。霊長の瞳がその光景を齎した。
 人の割れた先、剣を構え立っているのは、
………………父上」
 何故か、兄がいつも纏っている士官服を身に着けていた。鸞の飾られた剣を持ち、目を閉じている。天を待っているようだった。
「え、ええ」
「兄を助けたいなら死ぬ気で挑め。もちろん本物ではない。あれを打倒したからと言ってお前の母がどうこうなるわけではないという事だけは言っておいてやる」
「いや、いや、え、いや、なんで父上が居るとか、そういう疑問もあるにはある、けど、いや、父上は確かに剣は嗜んでいた方だけど、」
「試練という程ではない、と言いたいのか」
 そうだ、噂では人中最強の呂布を抑えて見せたとか聞いたことはあるが天の知る母は、少なくとも兄や天に比べれば普通の腕前であった。
 それが、最も力を持った者、とは。言葉の矛盾に戸惑う。
「ここは常の場所ではないのは言わずとももうわかっているだろう。あれは無名が全盛の頃の姿かたちをしているのだ」
…………あの呂布を抑えたとか言う、そういう時という事なのか?」
「いや、言って分かるかは分らんが、この世界には己の目には捉えられずとも様々な過程の世界がある。もしあの時こうであったなら、と思ったことは無いか。それが果たされた世界というものがどこかにはあるのだ。あれはそういうものだ。もしも無名が剣を捨てずに生きていたならば辿り着いた境地を集約した存在だ。あの呂布を抑えるどころか膝をつかせ、あらゆる戦場をかき乱してひっくり返した最強の兵士、それが」
 今あそこに立っている。そう言った。
……………………倒せる、のか」
「さぁな、まぁ心配するな。お前自身がここで敗れて死のうと現実のお前に影響はない。負けて倒せなければお前の兄が死ぬだけだ。他愛もない事であろうよ。」
「なにも他愛なくないじゃないか、ああくそ、やるしかないんだな」
「そうだ、まぁ精々がんばれ」
 特に手伝う気もないらしい男はさっさと行けと先を促した。
 歩きながら天は考える。最強の兵士、あの呂布にも膝をつかせた、自分の知る母とまったく結びつかない言葉に混乱しながら辿り着く。
「父上」
 呼びかけると、すぅと閉じていた眼が開いた。天の持つ暁天と同じそれと目が合う。しかしそこに情のようなものは存在していなかった。敵を見つめる強い眼差しに思わず怖気づくが負けるわけにもいかない。剣を構えた。
 すると相手も手に持った剣を構え、左手で剣指を作る。
「行きます」
 言うと天は駆けた。



+

 か、勝てない………
 そう天が思ったのは幾度も剣を交えた後だった。ここに導いた男の言った通りこの無名は天の知る無名とは全く違う強さだった。隙が無く、繰り出す技も多種多様。斬りかかれば弾かれ、避けられ、攻撃に集中すれば刃が襲い掛かり、防御に集中すればそれを崩される。
 なんとか決定的なものは避けているが少しずつ少しずつ押されていた。それで天は精一杯であったが目の前の無名は息を乱すでもなく静かなものであった。その姿は戦場での兄を彷彿とさせた。取り乱さず、常に冷静に出すべき技を見極めるやり方。油断せず、敵の剣戟を一切通さない。怪我一つなく帰ってくることも稀ではないあの人。
 剣の腕では上回っていると言われるが、それでも天が兄に勝てない理由はそこに在った。技術の上では兄に出来ない事をやって見せても、いざ剣を合わせれば負ける。何手先でもよんで全て処理されてしまうのだ。
 それと同じ感覚を今味わっていた。しかも、剣の腕でも恐らく、負け、
「危ないっ」
 飛んできた剣閃を寸で避けて距離を取る。何とか見えたが完全に死角から飛んできたものだった。当たっていたら勝負は決まっていただろう。冷や汗がずっと流れていた。
 勝てない。しかし、勝たねばならない。でも、どうやって。
「ま、お前程度の小僧が勝てんのは道理ではあるな」
「くそ、なにか手はないのか」
「ここは常の世界ではない。つまり独自の法則がある。己の剣で斬ったものは蘇った暁には己の味方になる」
「は?」
「つまりこういう事だ」
 説明と共に一歩前に出たのは忘れもしない、最初天に斬りかかってきた兵士であった。驚いていると
「行け」
 それが恐れも抱かず無名に向かって行き、そして斬り捨てられる。
「これでわしの味方が一人減ったという形だ。周りを見ろ。お前が味方に出来そうな雑魚はこんなにいるではないか」
 それはつまり、
「逃げ回って味方作って数の暴力て勝てという事か?」
「そうなるな」
「格好つかないにも程があるな」
 一騎打ちで倒して、それで兄の命を救ったと涙を流すとか、そういう絵を想像していただけに若干げんなりしてしまう。しかし、そうでもしないと勝てないのは既に分かっていた。あれは強すぎる。
「ええい、ままよ!」
 言うと天はその場から逃げて周りの兵士に斬りかかった。なるたけ広範囲、なるたけ動きを留めずに済む技を駆使して周囲の兵を倒していく。通常の戦と違うのは倒れた兵士は血を流すのは流すものの事切れると淡く光って消えていく事であった。そしてそれがある程度時間経つと天の戦っている少し後方に再度現れる。男の言を信じればそれらは指示に従う筈だった。
 十、二十、三十、数が重なっていく。
 百に届こうというとき天は今だ、と腕を振り上げる。
「行けっ!」
 支持と共にわぁと兵が声を上げると剣を構え天を追っていた無名に向かって行った。驚きで動きが止まっていたのかその群れの中に埋まっていく。倒せたとは思わないが多少の痛手は負ったようだった。
「こういう事だな」
「せこいがそういう事だな」
 言うな、この野郎。
 思いつつ天はその行動を繰り返した。時には弓を放ち、時には岩を放ち。騎馬を手に入れた時にはそれごとぶつけた。順調にその体力を削っていったが結局その作戦も長続きはしなかった。斬られ、今度は無名の味方になっていった彼らは後方に下げられてしまったのだ。
 しかし、それでもかなり疲れは見えてきていた。
「ちくしょう、あとはもう一回突っ込むしかないか」
「精々がんばれ」
「くそっ」
 言いながら天は弓を持ち出す。近場に居た弓兵から巻き上げたものだ。それを数が少なくなった自身の味方と斬り合う無名に向ける。勢いよく放つが当然防がれた。矢を落とされ、意味は無いように見えたが、
「ふっ!」
 姿勢が崩れた所に天自身が突っ込んで行く。そして剣ではなく拳を叩きつけた。しかしばれていたのか勢いを殺す為に後ろに飛ばれてしまう。が、少しは堪えたらしい。無名の顔が歪んでいた。
「もう一度お手合わせ願います」
 再度剣を構え、合わせた。鉄のぶつかり合う音が耳に響く。
 確実に、先程より少し動きは鈍っていた。勝てるかと言われればかなり微妙な話になるがそれでもやり合っていればだんだんと動きはわかってくる。こうくればこう来る、ああしてくれば、こうすればいい、それを繰り返せば自分自身も成長していくのを感じるが、疲れが蓄積していっているのは無名だけの話ではなかった。
 息が切れる。何度も刃を合わせていれば手も痺れ、掠った場所から血が流れ続ければ頭がぼんやりする気もした。せめてもう一人味方がいれば、そう思う。剣を振るいながら頭に浮かぶのは兄の事だった。もしあの人が居ればこの父にだって負けはしないのにと。
 しかし今はその兄を助ける為に戦っているのだ。頼っている場合ではない。
 どんな手を使っても、今、勝たなければ意味が無いのだ。 
 剣を持つ手に力が漲る。これで最後だと言う気がした。自分が力を振り絞れる最後。
「はぁあっ!!」
 渾身の力で剣を振った。流石にそれを受けきれはしなかったようで無名が吹っ飛んでいく。やったか、と一瞬思ったがその身体は数瞬間を空け、またゆっくりと立ち上がった。まだ涼しい顔をしている、とは言えないが、戦えない程弱ってはいない。
 ああ、くそ、くそ、
 それに引き換え天はもう限界だった。足が立たない、剣を持ち上げられない。体力などとうに尽きていた。今まで気力だけで立っていたのだ。
 一歩一歩と無名の姿をした怪物が迫ってくる。
 話によればここで天が死んだとしても現実には影響がないという。つまり、もし負ければ無事に元に戻って、兄の死に様とご対面という事だ。嫌だ、と思う。もうそんなのは沢山だと思う。だというのに腕は一つも持ち上がらなかった。
 そううまい事はいかないか。
 降り上がる刃。恐怖に負け、ぐっと目を閉じた時だ。
「まぁよくやった方だな」
 迫っていた刃が弾かれた音がした。目を開ければ案内人でしかなかったはずの男が天の前に立ち、あの双戟を構えていた。最初と同じように助けてくれたと理解する。
「な、なんで、」
「よくあそこまで弱らせた。後は何とかなるだろう」
「え、え、」
「言ったであろう。お前の母にお前の事を頼まれていると」
 力を貸してやってくれと。
「はああああああ!? じゃあ最初から手を貸してくれよっ!! そういうことだろう!?」
「やかましい、まったく万全な状態のあれの相手などさすがのわしでも出来ん」
「そこは逆じゃないのか! あんたが弱らせて、俺がとどめを刺すっていう」
「そういう事を本来は期待されていたのだろうが無様は見せたくないのでな」
「て、てめえ」
 頭にきていると無名から二撃目が来る。それすらもはじき返すと男が戟をくるりと回した。
「まぁ大人しく見ていろ、わしも伊達に全盛期の状態で呼ばれているわけではない」
 言い捨てると男が無名と刃を交わし始めた。
 天の目から見て男はかなり大柄で決して素早そうな印象は無かったというのに強さは確かに本物だった。同じだ。攻撃を弾き返し、降りかかる刃が届く前に避け、冷静に出すべき技を繰り出す。気が付けば押されているのは無名の方であった。
 正真正銘の一騎打ち。
 そのうち合わさった二人の閃が重なりつばぜり合いとなる。力と力の押し合い。しかし、あれだけ重い戟を自在に操る男の腕力は推してしるべしという所であった。
 無名の身体が傾き劣勢となった所で男が戟を振るう。その勢いのまま無名の手から剣が弾き飛ばされた。それはくるくると空を舞い、
「とどめだっ!!」
 剣を求め手を伸ばす身体を二つに裂いた。躊躇の無い行動と光景に天は一瞬顔を歪めたが逆に斬られた無名の顔に苦痛がない事に驚く。ほっとしたような、そういう表情だった。そして他の兵士と相違なく、その姿は光となって消えていく。
 やった、と男を見やれば何とも恐ろし気な顔でにやぁと笑っていた。
 なんでだよ。
 そう思うが咄嗟に思い返すのはこの世界では斬られた者が己の味方になる、という所であった。
 まさか、
「まさか、」
「深く考えるな。まぁ、利点が無ければわしがこのような事をするはずもないという事よ」
 くつくつと男が笑った。
「それよりも行け。この先にお前の望むものがある。それを断ち切れば終いよ」
「わかった、ありがとう」
 言ってそのまま行こうとしたが、天は、あ、と振り返る。
「名前、あんたの名前をまだ聞いていない。せめてそれくらい教えて欲しい」
……………董卓、字を仲頴。聞いたことくらいはあるだろう」
 それはかつて、あの洛陽で悪逆の限りを尽くした男の名だった。姿を知らずとも、その名前くらいは聞いたことがあった。おとぎ話の様に繰り返される、悪の名。
「は、」
 開いた口が塞がらない。何故、何故に今その名が出てくる、何故無名はそんな男に助けを頼んだのか。そして何故、それをこの男が受けたのか。
「な、何故……
 全ての疑問はその一言にしかならなかった。
 すると男がふん、と息を吐く。そして言った。
「ま、我が子の事くらいは受けてやろうと思っただけよ」
「は?」
「お前の兄はわしの子だ。もうそろそろ真実を知っても良い歳であろう。薄々思っていたのではないか。劉備とあれが似ておらぬと」
 それは確かにそうだ。しかし父親に似ない子供など多くいる。そういうものかと思っていたのだが目の前のこの男。最初見覚えがあると思った事を思い出すと、強い衝撃を受けた。そうだ、この男、兄の影に似ている、と。目元と、特にその声。少しもやもやしていた何かの正体は解決したがとんでもない事に顔が青ざめた。ここにきて、そんな事実知る事があるのか、と。
「感謝しろよ、わしが長生きしておったらお前はいなかったのだからな」
「う、」
 もしかすれば美しかった母がこの男に無理矢理、という思いが断たれる。そうであればこの言葉は出ない。
 父上、趣味、悪かったんだな……
 そんな結論に到達する。いや、兄が男前である以上あながちそうとは言えないが、言えないが。
 まぁ声は良い、声は。現実逃避にそう考える。
「兄上に何と言えば」
「別に言う必要はない。誰が父親かなどさほど知りたがってはおらんだろうしな」
 言われればそうだ。察しの良い兄の事だ、男がこう言う以上もしかすれば劉備が実の父ではない事についてはわかっているのかもしれない。その上で本当は誰か、などどうでもいいと思っているのかもしれないが、しかし全く気になってないわけでもないのではないかとも思う。知らせるにはあまりにも辛辣過ぎる事実だが、自分が口にしなければもう兄に知らせる人はいないのだ。父も、母ももう亡い。懇意にしていた叔父らももうおらず、もしかすれば、と。
「今はそんな事はどうでもいいだろう。早く行け」
 しっしっと手を払われた。それにまたこの野郎と思うが恩を受けたのは事実なので呑み込んだ。
「何はともあれ助けられたのは事実、本当にありがとう。さようなら」
「ああ」
 手を振って駆け抜ける。少し振り返れば向こうも既に背を向けていた。それに、もしここに兄が来ていたら親子が再会できていたのだろうかとも思ったが、すぐに考え直した。あんな親なら会わない方がいいだろうと。忘れていない、我が子の事だというのに天命なら従えと言っていた事。
 口では何と言いつつあまり子に情を持たない種類の男だあれは、と。
 少し共にあっただけで真実などわからないが。
 とにかくそうして走り、階段を駆け上がった先に辿り着くとそこには劉備が居た。いや、劉備の形をした何かというべきだろう。天の姿を認めると手を差し出す。そしてその手からすぅと光り輝く何かが伸びた。恐らく伸びた先で何かと繋がっているのだろう。それはきっと、兄に他ならない。
「これを切ればいいのですね」
 問いかけ。口を利かぬそれはただ、こく、と頷いた。お前にはこれを断つ資格があると。
 剣を構え、目を閉じる。今知った、血の繋がらぬ親子である二人の確かな繋がり。それを断つ権利が自分にあるのかとふと思う。しかし、もし恨まれたのだとしても、
 生きて欲しい、大事な兄弟なのだから。
 刃を振り下ろす。輝くそれはあまりにもあっけなく、ふつりと切れた。





+

「よかった、目を覚ました……大丈夫かい?」
 意識を取り戻した天に最初にそうと声を掛けたのは徐庶であった。
 あの光が放たれた後、どうやら意識を失ったのは天だけであったようで白鸞も側でのぞき込んでいる。確かに、あの場に居たのは自身のみで側にいたはずの二人はそこにはいなかった。どれくらいの時間が経ったのかはわからないが、寝台に運ばれ二人は倒れた天を案じてくれいたようだった。
「どれくらい、寝てた……?」
「一刻も経ってないよ。それは大丈夫だけれど、君は平気かい?」
「ん、」
 返事をすると身を起こす。外を見れば確かに明るいままであった。陰っているという事もない。
「顔を見るに何かあったようだな」
 そう言ったのは白鸞であった。察してくれたらしい。確かに、あんなにけたたましい光を放ったのに何もなかったとあっては拍子抜けにも程があるだろう。気を失わずに済んだ二人に何も起こらなかったのならば、何かが起こった人物は天に他ならなかった。
「うん、その、信じられるかはわからないけれど……兄上はもう大丈夫だと、思う」
 繋がっていたものを断ち切った。そして間に合ったのだろうという手応えもあった。きっと今頃、目を覚ましているはずだ、と。
「そうか……
 二人ともが安堵した顔をした。言った言葉を疑うという事はないらしい。
「結局どういう事が起こった、というのを聞いたりしてもいいのかな」
 徐庶の問いかけ。協力した以上内情を知りたいというのは当然ではあった。白鸞もそれに異は無い様子だった。
「うまく説明できるかわからないけど、ええと、その、つまり兄上は父様の天命に引き摺られて、簡単に言うと連れて行かれそうになっていたみたいだ」
「父様、というと無名殿の?」
「あ、」
 言ってしまった言葉に天はしまった、と思う。気を抜きすぎた。そうだ、その事実をこの二人は知らないはずだと。しかし、
「いや、この場合劉玄徳の事であろう」
「え、」
 意味が呑み込めないらしい徐庶が困惑の表情を浮かべている。それに天は選択を迫られた。昔からもう一人の親同然に思っていたというべきか、それとも真実を口にすべきか。迷っていると白鸞と目が合う。
「この男の口は硬い。言ったとしても支障はないとだけ言っておく」
 彼はどうやら家族が秘密にしている真実を知っているのだろうとそういう事が理解できた。あの時、無名は彼を覚えていないと言ったが彼は明らかに無名の事を知っていた。そして己の名と似たものである紫鸞という名を今も口にしている。つまり、そういうことも承知なのかもしれない。忘れられてしまったと言えど昔の友人というのであれば可能性は無くもない。
 生前、無名が隠しきった真実。しかし亡くなった今でも大切に想ってくれている男には告げてもいいのではないかと思えた。昨夜、その情を天にも向けてくれ大切に扱ってくれたことを思い出す。
…………元、……徐庶殿」
「な、なんだい、」
 急な意味深な神妙さに徐庶が少し怖気づいている事が分かる。何を話されるのか全く想像がついていないようであった。
「実は俺は劉玄徳の息子なんです」
 そう告げた。
 徐庶は言葉に目を見開き、しかしすぐに理解できない様子を見せた。他の兄弟ならいざ知らず、天は無名と殆ど瓜二つの容姿をしている。その青年が今までは無名の子と名乗っていたのに、突然劉備の子と言う。頭の中が混乱しているようだった。だがそれは理解の出来る動きであった。思う筈がない、無名が、父と名乗りながら母であった事など。
 なにせ外見上は本当に男性でしかなかったのだ。
…………無名殿の子ではなかったという事かい? え、しかしその顔は……無名殿には姉妹がおられた、という事なのか?」
「違います」
「え」
 どう説明したものか、と天は戸惑った。
「紫鸞に子ら以外の血縁者はいない」
 追撃の様に白鸞が言うと徐庶はますます混乱していた。
「天、お前の出自よりも先に紫鸞の事を説明した方がいい」
 順序を正される。確かにその通りだった。
「徐庶、信じられないかもしれないが紫鸞は半陰陽だったのだ。子らは存在しない女の腹から産まれたのではなく、間違いなく、奴自身の胎から産まれた者達だ」
 世間的に説明されている事を含め白鸞がそう口にした。出自を誤魔化すためにいつも用いられる言葉は、かつて無名が愛した女が彼の子を産んだが、今はもう亡くなってしまったというものだ。あるいは子を置いて去っていったなど。
 実際徐庶もそう説明を受けているはずだった。それを親切にも劉備に保護されていて、何かと気にかけてもらっていると。
「つまり、」
…………ご挨拶が遅れました。劉玄徳が子、天と申します。母、無名の特異なる事情により劉姓を名乗る事はありませんがこの身は正真正銘彼の方の血を受け継いでおります」
 今だ寝台身を置いたままではあるが最大限礼を尽くす為拱手し、頭を下げる。
 戻り、目が合うと再度徐庶は驚愕した顔をしていた。
「ああ、そうか、そうだったんだな、そういうことか…………
 しかし、さすがに理解は早かった。頭の整理を早々につけると顔を覆って大きく溜息を吐く。そうだったんだな、と。
「申し訳ありません、父上は決して貴方を欺こうとしたわけでは、」
「いや、いいんだ。それを恨みには思わないよ。信頼も信用も別としてわざわざ告白するような機会もなかった」
 確かに、親しくはしていたとはいえ改めて実は、と説明する必要性はなかった。実際、そうしてきた弊害みたいなもので天達を正しく劉備の子と知るのは成都の地であっても劉禅と、あとは趙雲くらいのものだ。諸葛亮はどうだろうか、知っているのかもしれないが改めて説明したことは無い。故に、劉備の子として扱われた事は兄弟の全員になかった。
 今の立場としては影の弟、或いは劉備の恩人である無名の子といった位置にある。それで今まで支障があるようなことは無かった。だからこそ広く事実を知らせる必要もなくて。徐庶の言う通り、それは信頼や信用とは別の位置にあるものだった。必要もないのに自らを好奇の目にわざわざ晒す者もないとも言える。
 あとは単純に徐庶と顔を合わせることが出来ていた期間はさほど長くはなかった。もし、あの時彼が劉備の元に留まり交友関係が続いていたのならばいつかは伝えていた事だったのかもしれない。
「でもそうか、君は、そうなんだな」
 言うと徐庶は顔を覆っていた手を退けて天を見た。しばらく見つめ、目を細める。何を思っているのかはわからないがその目線はまるで大事な宝物を見つめるかのようなものだった。
 あの二人の血筋を受け継いだ子供。
 それは、とても、
「とにかく事情は分かったよ。それで、つまり劉備殿が亡くなった事で起こった事だったんだね」
「ええと、鸞と英雄の結びつき、みたいなものが強くて、で、あの、父様が何とか今まで連れて行くまいと留めてくれていたけれど危なかったと、本人らにもどうにもできないものだったようで。で、それを俺がさっき断ち切ってきたというのか」
 うまい事説明しようとなるべく簡潔にまとめようと努めるが中々難しかった。いや、全容としてはまさにそうなのだが、細かな所をどこまで説明すべきなのかわからなかった。実際、あの謎の場所が一体何だったのか知らないのだ。夢や幻とは思わないが、何だったのかと言われれば口にすべき言葉がない。
 そもそも、あの董卓に会ったなどという事も、多分そこまで口にする必要な無いのだろうとは思うのだが。
 短い説明をし終わると、それを聞いていた徐庶がかなり神妙な顔つきをしていた。
 まさか、意味不明だったのか。不安に思っているとそれが視界に入ったのか、いや、と言った。
「すまない、説明はよくわかったよ。神仙の術の類については俺にはよくわからないけれど、とにかくそういう縁を断ち切った。そういう事だね」
「う、うん」
「それを果たすためにあの光が必要だったのかな」
「多分。上手く説明は出来ないけど、その、なにか魂みたいなのだけおかしなところに飛ばされてたような感じで。そこで、うん」
 どんな試練を越えてきたとか、詳しい内情はきっと説明不要だろうと口を閉ざす。しかしそのせいなのか徐庶はただ、そうか、とだけ返事をし、また考え込んでしまった。
…………この瑞兆の対玉はそう万能なものではない、幾度も奇跡を起こせるような代物ではないだろう」
 唐突に白鸞がそのようなことを言った。
…………そうか、そうだな、今回の事も君たちがこうして無事に顔を合わせられたことも含めて奇跡のようなことだったのだものな」
 ふう、と徐庶が深い溜息をつく。何の話をしているのか天にはとんとわからなかった。何かそんな神妙な顔をすることがあるだろうかと。
「徐庶殿?」
「ううん、なんでもないんだ。それで君は兄君の無事を確かめる為にも成都に戻るのかな」
「あ、うん。多分大丈夫だとは思うけれど、早く無事を確かめたい」
 万に一つもないとは思うが、あれが兄を助けたい自分が見たただの夢の可能性もある。万に一つもないはずだが。
「そうか、」
「その道のりには私も同行しよう。乗り掛かった舟だ。最後まで見届けたい。連れも先行しているしな。かまわないか」
「それは全然。あなたは?」
 僅かな期待で徐庶にそう問いかけると当たり前に返ってきたのは困ったような笑顔であった。
「すまない、流石に俺は行けない。でももし負担でなければ影殿の無事が確認できれば便りを貰えたら嬉しいかな」
「うん、もちろん」
 ここから成都は決して近くはない。それに戦も勃発しているような敵国に魏の役人が事も無げに行けるはずもなかった。それに天は少しだけがっかりしてしまう。もう少し、話をしていたかったと。
「すぐに出るかい?」
「うん」
 返事をすると寝台から身体を下ろす。立ち上がって確かめるが身体は何ともなかった。あの場所で、無名に散々痛めつけられたのだがその痕跡はすっかりない。あの強さには本当に驚いた。が、いつかの日、啼を馬鹿にしてのされた男達の事をふと思い出す。あれはああいう事の片鱗だったのかなと思った。それとも自分の知る無名も実は実力を隠していたのだろうかなどと。もちろん冗談だ。本気ではない。
…………便りもいいけど、」
「ん?」
「また、ここに遊びに来てもいいかな」
 居心地のよかった昨夜を思い出す。それをたった一度で終わらせるのは惜しいな、と天はふと思っていた。可能かどうかはわからないが、また、こうして出てこれるときがあれば、その時は、
 腰を下ろしている徐庶を見下ろしてにこりと笑うと視界に入る顔は驚いてた。しかし、すぐに穏やかに笑む。
「ああ、いつでも歓迎するよ」
「うん、きっとまた」
 だって貴方は、味方だから。今も父と母を大切に想ってくれる、仲間だ。
 言うと、ああ、そうだね、と涙が一筋だけ落ちた。

 

+

 徐庶と別れ成都までの道中を天は白鸞と共に行く事となった。
 最中、もちろん無言というわけにはいかずにそこで多くの言葉を交わす事になった。殆どは天から白鸞への質問攻めという面もあったが、意外に白鸞はそれを面倒くさがらずによく会話をしてくれた。
 無名と本当はどういう知り合いだったのか、無名は知りたがらなかったが過去には本当はどういう事があったのか、そういう、本来ならば天が知らなくても良い事についても質問してしまうと特に隠す事でもないだろうと過去の事もざっくりと話してくれた。知らなくてもいいとそれを避けて通った本人ももういないという事が大きかったようだ。もしこれで無名がまだ存命であれば決して口にはしてくれなかったのだろう。
 太平の要の隠れ里の事、無名はそこで産まれたのではなくまた違う場所からやってきた事、里で引き取ったが家族はなく、朱和が姉の様に、母の様に大事にしてくれていた事、いつしか白鸞、朱和、紫鸞の三人で集う事が多くなり三人で太平の世を作るだろう英雄を見つけ出し、お支えしようと誓い合った事、しかし、それは紫鸞という少年のほんのささやかな心根の優しさから崩れ落ちたのだという事。里は滅び、その時起こった悲劇の事。
 そうして話す最中で朱和という女性がもう亡くなっているという事がわかった。
 それは時が経過したからではなく、無名が記憶を失うきっかけとなったその時に皆を守ろうとして命を落としたとの事。事実に天が驚いて、しかし、以前太平の要として生きていた無名の前にその人が現れていたらしいことを話すと白鸞はまずありえないと言った。
 もしも本当に朱和が今も太平の要を名乗り生きているのならば白鸞の元に姿を現さない理由がない。そして燃え尽きた里で、彼女の遺品を身につけた遺体があったのだという事も加えて説明された。
 朱和があの時亡くなっているのは確実な事で、もし本当に紫鸞の前に彼女が現れていたというのならばそれは里が滅んだことに対する彼自身の罪悪感から見た幻だろうと言った。まさか、と思ったが以前一度元化が俺はお会いした事はないんですけれどねと言っていた事を思い出したのだ。
 無名が太平の要として生きることを止めた瞬間に消えてしまった幻。そう言われれば納得がいくような気がした。
 そういう罪悪感を全て捨てて、人として歩み始めた時には言い方が悪いが必要のないものになってしまったのだ。こうして言葉にしてしまうとまるで無名が全ての責任を放り出したようにも聞こえるが、しかし、そうして生きようとしたことを誰も咎められはしないだろうとも思えた。
 白鸞もそれについてはもう咎めることは無く、ただ、そうか、紫鸞は朱和の事を覚えていたんだなと呟いた。
 この場合覚えていたというには該当しないように思えたが、その名と姿が、記憶を失っても残っていたという事が何か胸にきた様子だった。
 だからというわけではないが天は思わず白鸞に向けて問いかけていた。父上を、いや、紫鸞を恨んではいないのかと。少年だった頃、太平の世を作ろうと誓いを立てた三人。うち一人は命を落とす羽目となったがその一人の命と引き換えに生き残った二人。一人はその事を胸に刻み、きっとそれを果たそうと剣を握り足掻き続けた。片やもう一人である無名は記憶を失い、それでも最初は無意識ながらそれを志していたようだがきっかけは不明なものの結果としてその全てから手を引いてしまった。そして生涯その事を思い出す事もなく亡くなったのだ。普通に考えればそれはあまりにもやるせないと言える。
 亡くなった仲間の為に、一緒に戦おうと言いたかったのではないかと。
 長坂でのあの時、もう一人そこにいた女性は間違いなく二人の間を取り持とうとしていた。しかし、当人らは互いに手を伸ばし合うことは無かった。無名はもう記憶を取り戻そうとはせず、白鸞はそれをどうしても思い出せと咎めることをしなかった。
 行く道が分かれたのならばもう語るべきことは無いと言わんばかりに。
 でもそれは、とても寂しい事ではなかったのだろうかと。
 天が今、兄の為にこの広大な大地をがむしゃらに駆けたように、そういう思いが本当は二人の間にもあったのではないかと。そう言うと白鸞はやはり寂し気に笑った。そして言った。それは夢だと。自分が一方的に抱いた夢であって、そういう志のようなものであれを縛りたくはなかったと言った。
 当たり前に恨みに思った事もある。何故、どうしてと肩をゆずぶりたかったこともあると。
 しかし、二人が離れてしまい、二十年以上。その間に紫鸞が無名として必死で作り上げた幸福は確かに白鸞にとっても守るべきものだったという。
 何の力もなく、時代を動かす権力者の作る世界を生きながら必死に家族を守る。そういう、民の一人だった。それを使命に駆り出す事は、白鸞の最も嫌悪する所だと言った。
 それは、暴に他ならないと。
 だから何を言うでもなく離れた。もう二度と会うことは無いだろうという覚悟で。そしてそれは本当の事になった。その死を知った時、全く後悔が無かったかと言えば嘘になるのだろう。せめてもう一度、話してもよかったのではないかと。
 だが、思えばそれでよかった。よかったのだ。
 言って、白鸞は悲し気に悟ったような顔をした。まるで叱られる前の子供のような顔だった。
 話はいくらしても足らないくらいだったが早足気味の道行きはあっという間に二人を成都へとたどり着かせた。見慣れた町、見慣れた道を駆け抜けて家へと戻る。世話人への挨拶もそこそこに天はそこに向けて走り抜ける。
 本当に無事か、何か問題は起こったりはしていないか、
「兄上っ!」
 声と共に兄の部屋に飛び込むと室内には殆ど全員が揃っていた。医者である元化、弟の翔と啼、恐らく白鸞の先行した連れ、だろう女性、そして、出立前と違い身を起こし目を開けている影。勢いのまま駆け寄るとその身体にがしりと抱きついた。元化を押しのけたので、わ、と声を上げられたが一旦無視する。
 生きてる、よかった、ちゃんと温かい。
 泣きそうになっていると誰かの手に襟首を掴まれ引き剥がされる。
「今元化先生が診て下さっているんだ、離れろ馬鹿兄」
 苛立った顔をした翔だった。感動の再会くらいさせろ、と思うが確かに間が悪かったと思い離れると呆れた顔をした兄と目が合った。顔色も悪くはなく、目覚めて数日たつのが分かる程度にしっかりした顔つきをしていた。
「おかえり、その、お前が色々してくれたようだな」
 目覚めて状況は聞いていたらしい影がまず、そうと言った。目覚めなくなった自分の為に弟が何をしてくれたのか。詳しい事は誰も知らないゆえ詳細はわからないが数日成都を空けたと言えば楽な事ではなかった事がわかるのだろう。
「ただいま、うん、まぁなんて説明していいかはわからないけれど、とにかく間に合ってよかった」
 生きてて本当に良かった、というと何故だか影は、す、と視線を落とした。どうしたのか、と思っていると吹き飛ばされていた元化がこほんと一つ咳をした。
「まぁとりあえず無事に戻ってよかったです。貴方が何をしたのかわかりませんが影もこの通り無事ですよ。というか目覚めるまでの数日の間不思議な事に危なくなったりするような事もなくてね。普通なら三日も飲まず食わずでいれば人間持たないんですけれど、危篤になる様な事もなくて。問題らしい問題は寝たきりだったせいで身体が衰えているって所ですかね」
 流石に天が帰るまでの数日ですっかり元通りとはいかず少しずつ戻している最中だという。足が萎えてしまって今でも支えを必要とすると。それで現在家に家族が勢ぞろいしている理由を天は理解した。恐らくだが翔がその寄り添いを買って出ているのだろう。前にも述べたが影とは違う意味で顔つき鋭いこの弟は意外にも情に厚く、特に兄の影の事は殊更慕っていた。頭の回転が速い者同士、気が合うのだろう。昔から仲が良かった。蛇足の話をしてしまうと逆に難しい事を考える性質ではない天とはよく喧嘩する間柄にある。幼い頃は憧れの兄をよく取り合いしたものだった。口の立つ翔に年上ながら勝てずに手を出してしまっては無名によく叱られていたのは嫌な思い出の一つだ。
「影」
 天がさらに重ねてよかった、と続けようとして口を開いたのは共に部屋に入ってきただろう白鸞だった。低く、よく通るその声で影を呼び、そして近付いていく。
…………白鸞殿」
 それに影は驚くでもなく名を呼び返した。もちろんここに来た事については先に辿り着いていた女性からすでに聞いていたのだろうから驚かずとも不自然ではない。しかし当然に二人は昔あの長坂でほんの少し顔を合わせて以来の間柄のはずだが天はなんとなくそこに距離の近さを感じた。果たしてそれは同じ太平の要であったが故なのか。わからないが口を挟む事が出来ずにいると影がさっと頭を下げる。
「お手を煩わせました。申し訳ない」
「良い、このような事になるとは誰も知らぬことであった。とにかくお前が無事でよかった」
「はい、ありがとうございます。弟も世話になりました」
「ああ、良い弟を持ったな」
「はい」
 二人はそう言葉を交わす。やはり、妙に親し気に感じると急に天の頭にあの長坂での事が蘇ってきた。最後、助けてくれた恩人らに背を向けて駆けだす時。兄はこの男と言葉を交わしてはいなかっただろうかと。もしかすれば無名も知らぬところでなにか連絡を交わし合っていたりしたのだろうかと思う。だがすぐにそんなはずもないだろうと思った。あんな一瞬の接触ではそれはかなり難しい事に違いない。
「すまない、少し白鸞殿と二人で話をさせてくれないか」
 二人の間のただならぬ空気感に周囲が固まっていた所で影がそうと言った。話すだけならこの場でもよいのだろうに敢えて二人で、と。何故、と咄嗟に思ったのはもちろん天だけではなかった。
「何故」
 それを口に出したのは翔だった。あからさまに顔を歪めて多少白鸞を睨みつける。しかし睨まれたはずの白鸞はそれを全く意に介していない様子であった。むしろ、その翔の顔を見て懐かしむ様な様子まで見せる。ああ、こんなに大きくなったのだなと言いたげな、そういう雰囲気であった。
 なんというのか、これではまるで親戚のおじさんのようだな。
 天はそう思った。幼い頃の事を一方的に覚えられているあの感覚に近い。
「翔、」
 そんな風に早々に気を抜いてしまった天とは逆にいまだに警戒心を解かない翔を咎めたのは頼みごとをした影だった。当たり前だが。その顔を見つめ、無礼をするな。頼んでいるのは自分だと目線で伝えていた。そうなると翔はそれ以上何をする事も出来ずに渋々と引いた。率先して歩みを進めて扉から出ていく。それをきっかけとして白鸞以外の者もそれを追っていった。何かあったらすぐ呼んでと言ったのは元化であった。もちろん天も続いていく。
 二人がこの後何を話すのか、それは確かに気になったが兄が言う事に逆らえば先程の翔の二の舞になる。仕方ない、と思い扉を閉めた。



+

 他の者が全員出て行った部屋の中で当然だが影と白鸞は二人きりとなった。
 何をするでもなく傍で棒立ちとなっていた白鸞が少し辺りを見渡すと先程まで元化が腰かけていた簡易的な椅子が目に入った。それに同じようにして腰を下ろす。そうなると必然的に近い距離に位置する事になる。それまで互いに何を口にするでもなかった。実際白鸞も影が何の用があって自分に誘いをかけたのか明確にはわからなかった。だから、ただ切り出されるのを待つ。
 しばらくすると影は扉を見つめていた目線を白鸞に合わせた。どうやら家族の気配が遠ざかるのを待っていたのだろうという事が分かる。
「申し訳ありません。突然」
「いや、かまわない」
 白鸞はなるべく耳に心地いい返事を返すように努めた。この部屋に足を踏み入れた瞬間から感じていた。この友人の子息が酷く疲れているのだろうという事。その理由について自分には心当たりがあり過ぎた。あの日、自らの判断で慕っていた育ての親の命を絶つことを選択した子供と、実際にその命に手をかけた男。
 本来ならば顔を合わせるという事はあまりよくはないのだろう。それでも来てしまったのはどうしても彼の様子が気になったからだった。
 あの日、連れである貂蝉にあたたかく宥められながらも一筋すら涙を流す事の無かった青年。暗い目で、思いつめた様子だったのに寄り添い切れずに別れた事は心残りであった。
「天ではなく、貴方の口から何があったのかまず聞きたかったのです」
「何故」
…………自分が、事実を受け止めきれるのかわからないからです」
 冷静な、低い声でそうと言った。すっかり大人びた声でまるで子供のような事を言った事に白鸞はまず驚く。つまり、彼は家族の前で取り乱してしまうかもしれないからそれを避けたと言っていた。長兄として無様を見せたくないという事か。しかしそれはただの意地っ張りのようにも聞こえた。
 弟たちを、家族を信頼していないのではなく。ということだ。
「そうか」
 わかったと了承して見せると一瞬その表情に安堵が見えた。それに白鸞は妙に懐かしい気持ちになる。影の顔はあまり紫鸞には似ていない。明確には全くとは言えないが、その強すぎる目元に印象を奪われて似ていると思わせないのだ。しかしそれでも白鸞は影を紫鸞に似ていると感じていた。
 表情の出し方、作り方、物静かで大人びたように見えながらどこか子供のような雰囲気。
 成都に辿り着くまでの道中で言葉を交わしていた天とは真逆と言えた。あの子は顔こそ紫鸞に似ていたが口数が多く、その上表情豊かで正直な所似ていないなと最終的には思わせてきていた。きっと内面については劉備の方に似たのだろう。
「何から聞きたい」
「今回の事はやはり太平の要と関わりがあったのですか」
 まずは当然の疑問であった。
「そのようだな。私も知らなかったのだがそういう事だったらしい」
「らしい、というと伝承などにあるわけではないのですか」
「ああ、天曰く、謎の少年が突然視界に現れ導かれたのだそうだ。私にはそれが何か明確には答えられないが、聞く限り太平の要の始祖たる仙と伝わる方の容姿に酷似しているようだった。その方が言ったのならばそうなのだろう。代を重ね我々の仙の血は薄れていた。故に忘れ去られた事だったのかもしれない」
 確信があるわけではなく、推測も交えてそう口にする。
「それは、やはり、選ばれた英雄と太平の要、の、繋がりというものなのですか」
 命を持って行かれそうになった理由。それについての心当たりはそれしかなかったのだろう。舞い降りし鸞と、それに選ばれた英雄。その繋がりは色濃く。片方が死したとはいえ失われはしない。そして、
「そのようだ。その絆は固く。お前の父はお前を連れて行くまいと堪えていたようだがどうにかなるものでもなかったらしい」
 むしろ無意識の上で形成されたものゆえに強固だったとも言える。
「それは」
 一度吐いた言葉を影が止めてしまう。むしろ続きを口にしようとしたが、止まってしまったというべきか。声にならず、何度かはくはくと唇を動かす。それでも音にはならず、一度閉じてしまうと深く、息を吐いた。
「父上の死も、同じだったのですか」
 ようやく口にされた言葉に白鸞は同じように大きく息を吐いた。
 この青年は賢い。やはりそこに辿り着いてしまったかと考える。ここに来るまでの道中、どう言ってやるべきかと考えに考えていた事だった。しかし、下手に嘘をつくのも憚られた。というより通用しないだろう。
「恐らくな」
「やはり曹操殿の死と」
「そうだろう。私も本人に直接聞いたわけではないが、鸞としての紫鸞はあの男を見ていたと聞いている」
 それは連れである貂蝉から聞いたことだった。共に居た時、紫鸞は曹操ならば正しく民を導くのではないかと思っていると口にしていたという。強く、頑強で、情に流されない彼は一見冷たいようだがそういう道がいつしか本当に多くの人を救うのではないかと。見ていたのだ、ずっと、あの男を英雄として。その繋がりは例え傍にはおらずとも、どんな仕打ちを受けようとも断ち切られてはいなかったのだろう。死した時期を考えてもまず間違いない。曹操の事をよく知らぬと言う天はその事に考えが行っていなかったようだが。
 言葉を聞いて影が片手で顔を覆ってしまう。
 ああそうか、やはり、やはりそうなのかと、
「影」
「自分が助かったという事は、父上が、生き延びる可能性もあったのですね」
「影、」
「父上が、生きてさえいれば」
 何もかもが違っていたかもしれないのに。
「影」
 言葉を続けるのを咎めるようにして肩を掴む。そうすると覆われていた顔が少しだけ覗いた。
 意地っ張りの青年は、泣いていた。
 深く息を吸い、止めようと努めながらも止めきれず涙をこぼしていた。苦しそうな、辛そうな様子で一つ、また一つと溢していく。
「出来る事があったんだ。自分ではなく、父上があの人の傍に居れば、あんなことにならなかったのに」
 気が狂って、多くを殺し、多くを奪い、所詮お前などと今までの歩んできた道を否定されながら死ぬこととなった劉備。影がどんなに言っても届かなかった声でも父上なら、紫鸞の声ならば届いたはずだと涙を溢す。
「馬鹿なことを言うな」
「けれど、事実だ。自分より、」
「言うな。そも、お前の命が助かったのは本当に奇跡的な事なのだ。二つの玉が揃った事、仙の方がそれを導いてくださった事、そして何より劉備がお前を連れて行くまいと力を尽くした事がこの事を成させたのだ。そう思えば紫鸞にはこの奇跡は起こりえなかったのかもしれん」
 曹操。あの男は紫鸞に強い執着心があった。そうして連れて行く側が手を引いたのならばまったく防ぎようがない。そうだ、これは最早決まった事だったのだ。
「それでも、」
 影が半ば叫ぶように言葉を続ける。
「それでも、あの時何かが出来れいれば。自分が、あの時、何かをしていれば」
 天がそうしてくれたように、家族の為に駆ける事が出来ていたならば何もかもが違ったかもしれない。この奇跡を、父上にも起こせていたかもしれない。例えばそれがたった一度きりのものなら、それは、自分にではなくて、そう慟哭するのを聞きながら白鸞は立ち上がるとその身を抱き寄せる。言うなと言っているだろう大馬鹿者め、と、
「影、紫鸞とて万能ではない。確かにあれはあの男と手を取り合う相手だったかもしれない。しかし、だからと言ってあの事が防げたかと言えばそれはわかりようもない事だ。義弟らの無念の死は確かに劉備の中の何かを壊したのだろう。むしろあれが生きていれば、今お前が味わっている苦痛を、引き受けるだけに終わっていたかもしれないのだ」
 紫鸞が死することなく生きていたならば、愛した相手が狂っていくのを見て涙を流し、無力な己に苦しんでいたかもしれない。さらにこの運命が変わらなかったのであれば、最悪その先で我が子の死すら奇跡を起こせず無力なまま経験する羽目になっていたのだ。ある意味ではその、この世で最も忌諱すべき不幸に直面せずに済んだとも言える。それが本当に幸いかはまた別の話だが。
「お前は本来紫鸞が味わう筈だったものを引き受けたのだ。確かにそれを知れば紫鸞は後悔するだろう。生きてさえいれば己がと思ったかもしれない。だがそんな事は誰にも分らなかった事だ。我らは人で、未来を知る事も出来ず、人の生死を意のままに操る事等は出来ない。そうだろう」
 もしもの話など、誰にでもできる。しかしそれを現実にすることは誰にも出来ないのだ。
「影、今一つ確かな事はお前が生き延びて、そしてこの運命から逃れたのだという事だ」
 太平の要としての役割。影に限って言えばそれは己が選んだ英雄を見つめ続ける事だった。そしてその事はもう終わりを迎えた。選んだ主はもうおらず、故に、
「この先は自由に生きろ、影。剣を置いたのだろう。お前の行きたかった道はその先にあるはずだ。そしてその道を歩む事を紫鸞はきっと望むだろう」
 大事な大事な宝物。そう、本当は望む道を歩いて欲しかった。けれど優しいお前は家族の為にそういう道を選んで。そうさせてしまった事だけは、ずっと後悔していた。そういう紫鸞の声が聞こえてきたような気がした。
 決して親しいわけではない、知ったかぶれるほど白鸞は影を知らないが望んで剣を振るっているわけではに事だけは理解していた。さらに強く、ぐっと抱きしめてやるとようやくその手が縋りついてきた。胸元に顔を埋め、う、あ、あと不器用な鳴き声を上げた。子供の様に喚き散らしたいが、僅かな理性がそれを押しとどめているような、そういうものだった。
 彼が泣き止むまで、今は亡き紫鸞の代わりとなってただただその身を抱きしめ続けていた。


+

 納得がいかない。
 扉の向こう、聞こえる兄の苦し気な泣き声を聞きながら驚きと共に天が思うのはそういう事であった。
 幼い頃から絶対的な頂点として兄弟の上にあった兄。頭もよく、何でも出来、大概の事は兄に相談すれば解決していたので頼りきりであったのは否定できない。それ故に兄が自分達の前で弱味を見せられない事も本当に仕方のない事なのだろう。
 しかし、それを置いておいたとしてもほぼ初対面のおじさんに先制を許したというのは中々に納得のいかない事であった。
 両親が既に亡く、親しかった叔父らも居らず、そうなるとあの兄が次に頼る相手は兄弟の次兄たる自分であってしかるべきではないかと何とも言えない気持ちになっていた。そうだ、天は思っていたのだ。兄に自分を頼って欲しいと。辛い事、苦しい事があるのならば力になりたかった。けれどわかっていた事ではあるが兄は相変わらず上の存在で、ああ、俺はそれが口惜しかったのだ。そう自覚していた。
 劉備が狂った時も、何かと理由を付けて遠ざけられた。確かにそれは兄の中に何か明確な理由があったのかもしれない。けれど結果として天が一切合切頼られなかったという結果だけをそこに残した。劉備が逝き、剣を置いた後ですら兄は天を頼ろうとはしなかった。大丈夫だ、何でもない、そう言いながら全て己の中だけで解決しようとして、そして今、家族の自分ではなくさして親しくもない男相手に本音を話して泣いている。
 こんなに悔しい事があろうか。
 こぶしを握って天はその場で俯いた。耳は良い方で話の内容は殆ど全て届いていた。本来それは聞いてはならないというのはわかっていた。けれどどうしても気になってあの後すぐに引き返してきたのだ。細心の注意を払って気配を消し、聞き耳を立てた。
 理解したのはやはり兄は自分などよりも多くのものが見えているという事であった。
 あの、謎の少年に導かれ兄の命を救いあげた。そこまでの事をしても天には無名の死までがそうであったとは思い至らなかったのだ。曹操という男が無名に思う所があるというのはあの時理解していたが、無名までがそうだったとは知るはずもなかった。そしてそれが今回と同じような事を引き起こしていたなど。
 思えば徐庶も同じような答えに辿り着いていたのだ。あの時彼が言いたかったのはそうであれば無名も助けられたのではないかという事だったのだろう。そしてそれを、白鸞がこれは奇跡的な事なのだと諭していたのだ。
 分かってしまうとただ胸が苦しくなった。
 兄は無名が逝ってしまったその日からずっと劉備を支え続けていた。張飛が逝った事で最後の砦を壊されて殆ど発狂したようになった時も、碌に策も立てずに無謀な戦に挑みに行くのを最早誰も止められずにいた時も、歩みを止めて欲しいと口にして頬を強く殴り付けられた時も、泣きもせずただ必死にそうとしていた。その時、兄自身何度思っただろう。無名が生きていれば、自分ではなくてもしも無名であれば。そうすれば、そう何度思っただろう。その事が、もしかすれば叶っていたかもしれない。あの時、何かをしていれば、そこに居てくれたかもしれない。あの時、あの時、と、
 その気持ちに寄り添うと扉の前で天の頬にも涙が伝った。
 助けて欲しかったわけじゃない、押し付けたかったのでもない、必要だったからとそういう事でもなくて、ただ生きていて欲しかったのだ。自分を宝物のようにして育ててくれた人に。
 思いは、天にも痛い程に分かった。無名が居れば結果が変わっていたかもとか、そういうことは付属の事でしかない。もしもその人が生きていてくれるならばどんなことでもしたいと、それこそ命と引き換えになったって。そういう願いは正しいとか正しくないとかではなくて当たり前の事だと思った。
 どこの世界に大切な人がが死んで、仕方がなかったで納得できる者がいるだろうか。
 想像でしかないがきっと劉備もそうだったのだろう。いなくなってしまった人達にただ生きていて欲しかったのだ。そうすれば、自分にとって心地の良い日々が続いていたはずだと。大切な人と共にいられる、そんな幸福な日々が。自分が死ぬ瞬間まで、それが崩れて欲しくなかっただけなのだ。
 だから天もあの時駆けたのだから。もうたくさんだ、もう誰もいなくなって欲しくない、もう何も変わって欲しくないと。危険を顧みずに兄の為にがむしゃらに走り続けた。あの夢幻のような世界で振り上がった刃。命を終わらせるために振るわれたそれを感じた時はいっそここで本当に死ねたらいいと思った。兄までいなくなるこの先の時間にもう戻りたくない、もう嫌だと。
 それだけ、人の死は重い。
 特に大切な人の死は、身近な人の死は、本当に全てを変えてしまう。今まで当たり前だと思っていた事がなくなって、上手くは言えないが本当にそれは辛い事なのだ。だったらいっそもう先に死んでしまいたいなんて思ってしまうくらいには。
 きっと兄も想いは同じで、そういう、家族で過ごす日常を誰よりも愛して、永遠に続いて欲しかったのだろう。無名があの時生きてくれていたら、それはもっと長く続いていたかもしれないと、ただそれだけなのだ。
「長き乱世の最中、人の心は疲弊しもはや英雄を必要とする時代ではなくなったのかもしれぬな」
 いつだかの様に唐突に声が聞こえた。振り返ればそこにはあの日見た子供がいた。白鸞にどこか似ている不思議な気配の少年。それが天を見て手招きする。それを追い駆けていくと次第に兄らのいる部屋からは離れて庭先に誘導された。誰がいるでもない静かな庭。それは良く家族で過ごし、生前の紫鸞が愛した場所でもあった。
「乱世が始まり、人々が本当に苦しい時代を生きる最中英雄の出現は渇望されし願いであった。太平の世を成すために必要なのは一廉の人物による統制と平定。しかし、その人物を探し出す事は困難であり、見つけ出したとしても王として正しい道を進ませるという事はこれまた苦難の連続になる」
 この国にとって頂点である帝。今、この広大な大地にその名を名乗る人物は複数いた。天の父である劉備が逝った事でその後を継いだ弟の劉禅、魏には曹丕が、残された土地の主である孫権すらいずれ名乗りを上げるのではないかと言われている。天下三分。かつて諸葛亮が劉備に上げた策がなされたとも言えるが、ここからそれをさらに一つにするのにどれだけ年月がかかるのか。
 かつて乱世の最中で英雄と目されていた人々はほんとどが既に亡い。
 今、果たしてこの国をまとめ上げるのに必要とされているのは本当にそれなのか。
「天、お前はどう思っている」
 何を。そう思ったが先の事であるのはすぐに分かった。兄が既に手放したこの国の行く末の事。それは蜀の事でありそれだけではない。弟とは言え劉禅という皇帝の側にいて何も考えた事が無いわけではなかった。もちろん、それは諸葛亮などのように具体的な慧眼をもって提示するものではないが。
…………天下統一というのが父様の夢を叶えるのに必要なものなのだろうと言うのはわかっている。仁の世というものが本当に成せるのであれば人民にとって幸いと言えるだろう。しかし言った通り、その道のりはまだまだ本当に険しい。此度の戦で蜀は本当に疲弊した。物資についてはもちろんの事、この先、この国を背負っていけるとされていた人材も根こそぎ巻き込まれてしまった。それを立て直す手段が失われたわけではないがかつてこの国を打ち立てた三人の義兄弟も失われている今、落ちた士気を諸葛亮殿だけで担うのはかなり難しいとは考えている。だからこそあの人は兄上にもう一度立って欲しかったのだろう。名の通り影の存在であったとはいえ軍での兄上の人望は無視できないものがあるからな。だが、今となってはそれも叶わない事」
 人材不足は問題としてかなり大きいと言えた。蜀の地を得る際に戦上手の軍師であった龐統が失われ、その穴を法正が埋めてくれていたが今となっては彼も既に亡い。十分に若かったが、得た病には勝てなかった。古参の将である趙雲も既に老年で、後継を育ててくれてはいるがそれもまた殆ど振り出しに戻ってしまった。三国で争う事になった時、果たして間に合うのか。
 そして何より、
「それに、大きな声では言えないが、劉禅には父様ほど天下統一を成したいという気概はない」
 あの気性穏やかな弟は、民が安寧であれば王は自分ではなくていいと思っている。そしてそれはまったく間違っていると言えないと天も考えていた。魏、呉、蜀、どの国の王も悪辣とは思えないからこそだ。誰が皇帝になっても、誰がこの国を手に入れても、最悪の事にはならない、きっと。
 それでも劉禅がいまだにその席に座っているのは、天下統一の可能性がまだこの蜀にも残っているからだろう。そうであるうちは周りが彼にそこから降りることを許すはずがない。しかし、本当にもう道はないとなればきっとその肩の荷はあっさりとおろされるのだろう。しかし、それでいい。それが正しい事だと思う。何故ならば。
「これ以上、民を疲弊させるべきではない。俺はそう考えている」
 明確な悪の無い戦。そういえば良いのだろうか。もうかつての乱世と今は違うのだと感じていた。かつて戦には明確な悪がいた。それは黄巾であったり、腐れ切った政であったり、あの夢幻の世界で出会った董卓であったり。他にもこいつに地位を与えては国がおかしなことになると言えるわかりやすい敵がいたのだ。しかし、今はそうではない、今は、乱世で力を手に入れた英雄と呼ばれる者達によるただの奪い合い、意地の張り合いになっている。漢室の帝までもを廃し、次は我こそがと。
 そのような争いは民には関係が無いだろう。
 白鸞の言う通りだ。罪なき民を大義名分の名の下に争いの中心で消費する事は暴に他ならない。もちろん、次の国の主を誰に据えるか考えなければならないというのもそうなのだがしかし、それも時間がかかりすぎるのが良い事とは思えない。今はもう自国による統一に拘るのではなく、ただ、とにかく優先されるのは民の安寧だと思っていた。戦をする必要のない世が、とにかく必要なのだ。
「本音で言えば俺も劉禅のような穏やかな男にこそ次の皇帝になって欲しいという想いがあった。あいつは本当に優しくて、父様と種類は違えど心から民を、他人を案じている男なんだ。だから、本来は父様が天下統一を成し、その次代があれであれば諸葛亮殿の補佐の元、本当に理想的な、穏やかな国になったのだろう。そう思えば本当に惜しい。残念だが劉禅はお世辞にも戦を越えて国を制すような男ではない」
「つまり、お前はこの国には最早英雄はいないと言いたいのだな」
 それは蜀に、という事ではなく、
「そう、思う。時代がもうそういう者を求めていないと感じる。それまでに一人の皇帝を定められなかった事がこの国の不幸な所だ。劉禅はもちろんだが孫権にもその気がある。あの人も身内を大切には思っているが先代と違い天下の統一に意欲があるようには見えん。そして一番気概のある皇帝である曹丕は戦下手と来た」
 このままでは三国による事の進まない戦が無駄に起こるだけだと思っていた。それは非常にまずいと。下手をすれば天自身が死ぬまで、死んだ後もそれが続くような予感がしていた。ならばどうすればいいのかという事までは頭には浮かばないが。少なくとも、蜀が天下を統一するために全力を尽くす、という事が事態を収束させる手段には思えていない。もしも成せたとしてもそれには恐らく本当にとてつもない時間がかかる。むしろどちらかと言えばそうして動いている間に力を削られてどちらかの国に吸収されてしまうというのが現実ではないかと思っていた。その考えは天自身もすでに天下の事に意欲が無い事を示している。自国の王を唯一の王にとは望まず、ただ、この時代の後始末をどうつければいいのかわからないと思っているだけなのだ。
「逆にあなたはどう考えているのですか」
 考え込む思考から少年に視線を移すと仙と思しき彼は言い表せないような表情をしていた。笑ってはいない、が、決して怒っているわけでもない。かといって無表情でもなく。
「天、この国はいずれ必ず合される」
 例えそれがどのような形でも
「お前は劉公嗣を守れ。それが、その帯を受け取ったお前の使命と言える」
 あの日から何となく巻き続けている赤いそれが指し示された。太平の要たる証。考えれば今魏の地で白鸞が何をしているのか天は知らない。思えばここを安住の地としてしまった自分達よりも彼らはそういう事に対して明確に動いているのに違いなかった。
 そんないつかの日まで、この国の皇帝は劉禅でなければならないと。
………俺も劉禅が死ねば死ぬのか?」
 無名が、兄がそういう事になったように、いつか
「いや、そうはならぬ。なにせこの国にはもう英雄はいないのだから」
 英雄に非ず、鸞に非ず。ならば結ばれる絆もない。
……………拝命いたしましょう」
 拱手し、少年に頭を下げる。何のことはない、ただ弟を守ればいいだけなのだ。
 顔を上げると見えていた姿は消えていた。
「いずれ、必ず、合される」
 多くの英雄が血を流し、争い、通り過ぎていった時代をいつか制すのは果たして誰なのか。わからない。わからないが劉備をいう英雄を失った時に夢は引き継がれる事無く潰えたのだろうという事だけが理解できた。



+

「で、なんでお前が家に戻る事でもう手筈が整っているんだ」
 あれから数日、影の無事を確かめた白鸞らも帰還していき日常が戻るという段階になって初めて知る事実に天は頭を抱えていた。寝たきりになり、身体の弱った兄の看病のために一時的に実家に戻っていると思っていた翔が何もかもを引き払ってそもそもこの屋敷に移り住んでいた事を知らされたのだ。
 これからは自分がここを維持する、と。
 確かに、剣を置いた兄の影の事を思えば誰かがそうする事になるのは妥当ではある。両親による財産は十分に残されていて例えば兄がこの先金銭を稼ぐことが出来なくなったとしてもそこに住み続けることは可能なのだが、軍を辞するとなればそれを削っての生活になるのは当然なことになる。それよりはその屋敷の維持管理をその必要のない兄弟が負担するのがいいだろう。聞いてはいないが、兄も身の丈に合った居住に移りたいと言う可能性だってあった。
 一応そうなるかもしれない事を天も考えていて、事態が落ち着いたら兄に相談しようと思っていたのに成都を出ている間に翔に先制を取られたらしかった。本来は天こそがここに戻る気だったのだ。それで兄と啼の事は自分が、と。もちろん強制する気はない。それぞれの希望を聞いてからと思っていた。だと言うのにこの弟が、
「劉禅様の護衛として殆ど居住地に帰る事の無い天兄上ではこの家は手に余るのではないですか」
 慇懃無礼もここに極まる。そうとしか言えない態度には怒りがふつふつと沸き起こってきた。こいつ、普段俺を兄上などと呼ばぬくせに、と。大抵、天、と呼び捨てにして改まった言葉などほとんど使わないやつなのだ。
「だからと言ってお前、俺を飛ばすというのは違うだろう」
 この家の次男はこの俺だと言うのに。言ってもみたが当然のようにして鼻で笑い飛ばされる。
「お前は太平の要として禅を引き受けるのだろう。ならば他は私が負ってやると言っているのだ」
「頼んでいないだろう。俺は」
「お前に兄上の変わりは務まらん、と言っている」
 兄弟の中でも随一賢く優秀だった兄。その兄ですら家族の何もかもを追った事で潰れかかったのだ。同じこと天が出来る筈もないと弟は言った。太平の要の役割を継ぐ事、その程度がお前に出来る精一杯だろうと。かなり失礼な物言いだが全く的外れでもないのが辛い所だった。
「っ、良いことを言っている風だが、お前、単に自分が家に戻りたいだけだろう」
 文官としての仕事を選択した時、翔は特に誰がそうしろと言ったわけでもないのに我先にとこの家を出て行った。当時驚いた無名が散々と引き留めたのだが本人曰く早めに独り立ちをしたいという事だったのだけれど、今になって慌てて戻る辺り何かあるのではないかと思う。
「私は元々、影兄上が選択された時にはこの家に戻る、あるいは兄上を私の元に引き取ろうと思っていた」
「は?」
 唐突にその何かを示すような言葉に声が漏れる。そんなまるで先を予想していたかのような事を言うとは思っていなかったからだ。
 影の選択。
 それはつまり、太平の要の役割を降りた時の事を言っているのだろう。あるいはその役割から逃げ出したいとなるような事があった時。そんな何年先、何十年先に起こるかもわからないことを考えていたとこの弟は言ったのだ。
「どういう意味だ」
「あの人は本来、太平の要などというものを望んで負うような人ではないだろう。だからいつかそういう日が来ると思っていた。荊州で過ごした日々の中で国の中枢にかかわる様な事に興味がないというのも知っていたしな」
 それはそうだ。兄が本当に望んでいるのは平穏な日々をただ普通に過ごす事。中でも農作業などに興味をそそられているのは知っていた。田畑を耕して、育て、それが誰かの糧になる様なそんな事。なのにそれでもあの人が剣を持っていたのは家族の為だった。この乱世において男であれば避けられないことではあるがその血ゆえ、下手に優秀であるゆえに全く多くの事を背負ってしまって。
 考えてみれば当然なのだ、やっと物事に区切りの付いた兄が疲れたと気力を失ってしまった事は。
「来るべき時に背を押してやれる者、或いは逃げ場になってやれる者が必要だろう」
「それは俺の仕事だと思わなかったのか」
「思わん、お前は最初から兄上が全て継ぐと思い込んでいただろうが」
「う、」
 確かにそうだ、天はなんだかんだで少し前まで影が死ぬまでずっと太平の要をすると思っていた。だからこそ自分が今赤い帯を腰に巻いている事に驚いているし、影が剣を置くと判断した時には本当に度肝を抜かれた。ただ、その時、兄がやっと我儘を言ってくれたのだと安堵したのも本当だ。自分が跡を継ぐ立場になったのだと自覚したのも同じ時だったが。
 兄上はまだ身を固めておらずそうなると当然子も居ない。故に今後はわからないが現時点では順当に考えれば次は天だった。その事を翔は予想していたらしい。
 相変わらず頭の回転の速い男だった。文官としての仕事も、諸葛亮をよく支えているとは聞いていた。そこまで思い、天はふと疑問が浮かぶ。確か翔は剣を取ってもそれなりに動ける男だ。ならば、
「お前は自分が太平の要の役割を継ぐとは思わなかったのか」
 確かに影が退いたのならば次が次男の天が、その理屈はわかるが決まっているわけではない。
「私は戦事に関わる気はない」
「何故」
 翔ほどの男なら、下手をすれば戦に出てもある程度の功績を上げるであろう。武芸事を避けたいのだとしても軍師として知恵を駆使する事もきっと可能だ。そうとなれば諸葛亮は彼を喜んでそのように育てただろう。が、そうなっていないという事は本人が今こう言ったように断ったのだろうと思い至った。
「影兄上が厭われているからな」
 事も無げにそうと言われる。
「だから私は戦に出る気はない。あの人は本当はお前が戦場に行く事も嫌っている。だが他人の事に口を出すような人でもないから言わないだけだ」
 戦嫌いの兄。それは争いごとが嫌いだからなどという事ではない。ただ、家族で過ごす穏やかな日常を愛しているのだ。だから自分以外の家族が危険な目に合う事も避けたいと思うのは当然の事だろう。
「私は、あれほど優しくて憐れな人を知らん」
 家族の為に何もかもを我慢して、それを守る為に必死になって。その事で傷付いたことも多かったろうに、泣きもせず静かに音を立てずに過ごしていた。多分翔はその事を言っていた。
「その人が剣を置いたのであれば、今度は私がそれを守ってやらねばならんだろう」
 今まで守られていた分、背負われていた分。次は、と
…………お前、兄上の事好きすぎじゃないか」
「何が悪い。私はただ大事にされていた分同じように兄上が大事なだけだ」
 言葉を聞いて天は口をあんぐりと空けた。実はその言葉は兄の口からも聞いたことのある言葉だったのだ。対象は無名だったが。この兄弟、変な所で似ている。いや、頭が回る人間とは結論が必ずそこに辿り着くのだろうかと思った。はぁ、と深い溜息が漏れる。
「わかった、わかった。家の事はお前に任せる」
「ああ」
 事も無げに翔が頷いた。言われずとも、任されずともそうするつもりだと。
「ここより先、兄上には心穏やかに過ごしていただかないとな」
 今度こそ、自分の自由に生きて欲しい。本気でそう思っていた。
…………代わりに今度はお前が負う事になるぞ」
 わかっているのか、と翔が言った。そこについては考えが至っているらしい。この国が天下統一を成せる可能性がそれなりに低いのだという事。それはつまり、中枢にいればいる程この国の負の部分に直面する事になる。立ち位置は違えどそれは翔も同じはずだが。
「わかっているさ。心配するな。俺は兄上ほど真面目ではないから大丈夫だ」
 王を想い、国の行く末を想い、憂いて、悩んで涙を流すような性格ではない。ただ、弟の行く末に寄り添うだけだ。幸い劉禅は復讐に燃えたり、最後の一兵になってでも国の為に戦えと吠える様な王ではない。いずれ、ただ静かにこの地に引導を渡す事に成るだろう。せめてその側にいてやろうというだけだ。それ以上のものはない。
「ならば良い」
……お前の目から見てもやはり、難しいか」
 蜀による天下の統一。父、劉備が叶えたかった夢の通過点。
「せめて、あの大馬鹿の親父殿が狂う事無く生きていれば目もあったろうがな」
 多くの物資、多くの人材。それが失われていなければ。そして何よりこの国を打ち立て導いた英雄が失われていなければ。その存在は決して軽いものではなかった。男の一声は力強く、それによって人々は何度でも奮い立っていただろう。あのお方の為ならば、と。もちろん今とてその血を引く劉禅を立てながら人々は奮起している。が、当たり前に以前ほどの熱量をそこに生み出す事が出来ない。
 いずれ、優しい夢が温かなものではなく、生き残った人々を縛る枷になる日が来るだろう。
「諸葛亮殿の采配もありすぐに国が攻め滅ぼされる様な事もなかろう。あの人にも持ち得る策が全く無いわけではない。だがそれがこの国にとって幸いなのかは私にもわからん」
 これ以上民を疲弊させるべきではない、とは天自身が仙に言った言葉だ。同じことを翔も考えているのだろう。諸葛亮の才の元この国が維持されている事を夢が潰えていないとみるのか、ただ滅びへの時をいたずらに先延ばしにされていると見るのか。
「私たちの世代で終わらせられればいいがな」
「そんなに長引くか」
「当たり前だ。すでに打ち立った一国を滅ぼすと言うのにはただでさえとんでもなく力がいると言うのに天下が三分されているのだ。魏の物量が圧倒的とはいえ二国を相手取らねばならんとなるとすぐには動けん。黙って降伏するでもなく死に物狂いで抵抗してくるなら余計だろう。赤壁の瑕疵は今のあの国にもあるはずだからな」
 あの曹操が百万もの兵を用いて指揮を執った戦。それでも滅びてやるものか、お前の覇道など認めないという呉の将兵たちの意地に退けられた。何かを呑みこむというのはそういう事なのだ。圧倒的な差があったとしても、士気や、運、そこに集められた才能の噛み合いでひっくり返されることがある。余程用意周到に策略を張り巡らせなければならないのだと骨身にしみているのだ。
 それが出来る人間が現れるのは果たしていつなのか。あるいは抵抗する力を無くすほど疲弊する日が先か。
「何事もうまい事はいかんな」
 天の頭に思い浮かんだのはこれまたあの夢幻の世界の事だった。一騎打ちで無名に打ち勝ち、涙ながらに兄を助ける物語を想像したが、結局狡い戦法しか取れずに利用されただけに終わったあの結末。思えばそうだ、最初に乱世を治め、制したいと思った英雄たちもそうだったのだろう。己がこの天下を制し、民衆の歓声の最中素晴らしい国を打ち立てる妄想をしたはずだ。しかし、結末はやはり格好がつかない。そういうものなのだろう。
「長期に渡る事だ。まぁ、無理はするな」
 なんだかんだ、天の事も心配しているらしい翔がそうと言った。見かけによらず、これも本当に家族が好きなのだ。
「ああ、精々長生きして片付けるさ」
 せめて、次世代にはそういうものを背負わせないように。
 いつか誰かが願った事と同じことを彼らが思ったのを、誰も知らない。



+

 風通しの良い涼やかな場所に小さく立つそれの前に人影を天は認めた。
 それなりに事が片付き、久しぶりに報告に行くかと足を運んだのは気まぐれな事だったがその気まぐれにその人の姿も偶然重なったらしい。ただそこに立って、目を閉じている。きっと同じことをしに来たのだという確信があった。
 人影の足元には墓がある。流石に皇帝である劉備と共には納められなかった故にただ美しい場所に建てられたもの。父、いや、母のものだ。
「兄上」
 呼びかけるとそこにいた人が振り返る。呼びかけた通りに居たのは影だった。あれからしばらく、自分の力で歩ける程度に回復したのか献身的に傍で支えていた翔の姿はない。
「お前か」
「はい、兄上も父上の墓参りに?」
「ああ」
 見ればその墓石は既に丁寧に磨かれていた。それに関して天の出番はないという事が分かる。生えていただろう雑草も引き抜かれてすっかり片付けられていた。どうやら本当に元気になったらしい。目に映るその顔もやつれていることは無くなっている。ひとまず安堵していると、さぁ、と風が吹いた。そうすると互いの髪が揺れてまるで何かに撫ぜられているような感じがした。もちろん気のせいだが。
「一段落着いたことを父上に報告していた。お前は」
「同じようなものです。俺が太平の要を継ぐ事になりました、とね」
 出仕の日ではないにも関わらず腰元に巻かれている赤い帯に触れる。いつか憧れたものだが自分が手にするとは思ってもいなかったもの。それを認めると影の表情が少し暗くなる。何を考えたかは明白だった。先日翔にも言われた、これを継ぐという事の意味。
 太平の要とは、書物に記された伝説にも近い人々。この乱世を治世へと導く英雄の元に舞い降りし鸞と和。
 裏の存在でありながらそれはまるで輝かしいもののように描かれるが時代が変われば、人が変われば役割も変わっていく。少なくとも今の天に与えられた役割はこの蜀の行く末を見守る事だけだ。ただ、遙か上空から見つめるように。
「お前は、」
「俺の役割はこの蜀を天下に、と言うのではありません。だから大丈夫ですよ」
 死に物狂いで駆け回り、戦場をひっくり返して主を導くようなそういう者に天はなれない。請われれば戦場に行く事もあるだろうが流れに身を任せるつもりだった。そも、そういう事が出来る者などとうに失われているのだ。紫鸞という、この乱世に遣わされた本当の鸞が剣を置いたその時に。
「そうか」
「はい」
「まぁ、無理はするな」
………はい」
 翔が口にしたのと全く同じ激励を伝えられて天は思わず笑いが漏れそうになる。やはり変な所で似ていると。兄弟でありながら顔は全く似ていないくせに。
「自分の用事はもう済んだ。今度はお前が父上にゆっくり報告してやれ」
 言って影がそっけない事に場を辞そうとする。考えればあの大事以来初めて二人きりになった状況と言えるのだが特に敢えて何か聞こうという事は無いようだった。確かにあの時何があったのか、天が何をしていたのかと言うのは既に家族を集めて伝えてしまっている。もう強いて多く聞く事もないのだろうが天としては言いたい事、聞きたい事はあった。言うべきなのかわからないことまで。
「兄上」
 故に、引き留める。待ってくれと。そう言われれば逃げているわけではない兄は素直に足を止めて振り返った。
「なんだ」
「あー、その、今後はどうされるのですか」
 考えがまとまらないままに引き留めたせいでありきたりな言葉だけが出てきた。家族で話し合いの場を設けた時、兄は軍を辞する事は口にしていたがその後についてはまだ何も言いはしていなかった。何をしたいのかについて想像はついているが本人の口から聞いているわけでもない。
 もちろん今まで国に尽くしてきた影には褒賞もそれなりにあって蓄えはそこらの豪族に勝るとも劣らずではあるのだと思う。つまりわざわざ仕事をせずとも生きては行けるわけではあるし、望めば家族としては擁するのもわけもない話だった。それを承知の上で問うていた。
 ただ微睡むように生きるのか、それとも。
 現時点で影は前者のような過ごし方をしている。日がな一日何をするでもなく。いや、体調の問題もあって療養的な意味もあるのだが。
…………体調に問題がなくなれば、農耕に身を尽くそうと思っている」
 殆ど想像通りの言葉が耳を通って行った。
「道筋は決まっているのですか」
「ああ、翔を介してではあるが諸葛亮殿にも話は通している。随分引き留められたようだがなんとか納得していただいた。どうせならしっかりそちらで役立てと教えを乞うのに良さそうな方も紹介してくださるそうだ」
 言葉から、翔に半ば脅すような形で強引に納得させられた諸葛亮の姿が目に浮かぶようだった。
 散々劉備に尽くし、疲れ果てて命まで落としかけた兄をこれ以上使う気か、とでも言ったのかもしれない。下手をすればそれでもと押してきたのをそこまで言うなら自分も辞して兄を連れて国を出るとまで言った可能性があった。あれならそれくらいしかねないと天は思う。二人失うか、優秀な文官を一人残すか。その選択を迫られれば答えは決まっているだろう。そのうえできちんと兄の夢を叶える手筈すら整える辺り抜け目のない弟だった。きっと兵士には農民の家の出である次男なども多いはず。軍に所属する限り手の届かないような存在であった影が鍬を持って実家で働いていたら彼らは驚くだろうなとそちらにも想像が働く。以前も言ったが寡黙で、戦場などで多くの兵を助けてきた影は軍ではそれなりに人気があるのだ。
 顔は恐ろしげだが根は優しい方との評判であり、命を助けられた事でただならぬ思い入れを持つ者も決して少なくはない。
「えーっと、翔が屋敷に戻ったようですがそれについては」
「ああ、自分はそこは譲るつもりだったんだが」
 これまた予想していた事を影が言った。身を置くのに身の丈に合った場所を選択するのではないかと。屋敷を天か翔に譲り、啼の事を頼んで自分はとそういう考えではないかと。しかし、
「翔にどうしてもと引き留められてな。とりあえずはしばらくあいつの世話になろうと思っている。まだ若いからな、頼る人間が欲しいのだろう。まぁ、そんなに長い事ではないと思っている。その間に準備を進めておけばいい」
 つまり、翔が身を固める時までと言いたいのだろう。だがそれについて天には嫌な予感しかしなかった。あいつ、今まで女の影なんかあったか、と。顔が良いのでそれなりに気を寄せられる事が多いくせに一度として誰かと共に居る所を見た事が無い。むしろ城内で潔癖と噂されているのを聞いたことがあった。さらに実は影にもその気がある。一応影に関しては皇の護衛である以上そういう罠を警戒して極力人間関係を削っていたという事情があるにはあるが、ただ、それを考えに入れても女性を避けているようなところはあった。理由はわからないが。
 そうなると将来、啼が身を固めて出て行ったあの屋敷で兄弟二人が老いて死ぬまで共に暮らすのではないかと思えた。あくまでそういう可能性もあると言う事だが。それがいけないというわけではないのだが。
「そうですか、まぁ、兄上が先をちゃんと考えられているなら良かったです」
 気力を失ったままでなかったのなら。そう思う。あの戦から帰った後の消沈しきった様子から考えれば立ち直ることなく呆然と生きる未来もなくは無かったのだろう。その気持ちが変わったのはきっとあの白鸞と話した事にあるのだろうと思えばやはり業腹だが、そこは置いておくこととした。
「ああ、いらぬ心配をかけたな」
「いえ、」
 返事をしつつ天は少し大きめに息を吸って、吐く。
「兄上」
「ん?」
「実は旅の道のりの最中で、俺はそれなりの事を知りました。それはもう色々と」
 紫鸞という少年の事。或いは、知らなかったはずの真実。知りたくなかった事とも言える。
「色々と、か」
「ええ、俺はそれを語る事も出来ますが」
 どうしますか、と問いかけてみた。主語の無いそれは全く意味不明ではある。しかし、敢えてそれを兄に告げることの意味は理解されているはずだった。当たり前に上手く察した兄は考え込むように視線を落とした。
…………いや、聞かずとも良い」
 が、是非の決断は意外に早いものだった。
「気にならないのですか」
「父上が口にせずに葬った事だ。自分が知る必要はないのだろう、きっとな」
 言い草から、どういう真実であるかすらも察しているのがよく分かった。やはり知っているのだ。自身と劉備に血の連なりが無かった事。その上で本当の事には興味なさげな顔はあの時出会った男を思い起こさせた。この兄の本当に父親。言う必要はない、興味もないだろうと言い切ったあの情無しの男だ。
「わかりました。では俺も忘れましょう」
「ああ、それでいい」
 言って影は今度は上を見上げた。報告の為の墓参りに相応しい、晴天。きっと思い出しているはずだった。無名の事を。或いはそれは今までの自分の事を思い返しているだけなのか。その横顔を見ながら天の頭にはもう一つ、兄に問いかけてみたい事が思い浮かぶ。
 それは、ただの勘だ。
 なんとなくそうなのではないかと思ってしまった事、聞いてはならないとは思いつつ、雰囲気にのまれ、それが口を突いて出た。


………………兄上は、父様が、好き、だったの、ですか」


 それは走り回っていた間に、ふと胸に落ちた小さな疑問だった。
 血の繋がらない親子だった二人。もちろん家族である事に必ずしも血の連なりが必要なわけではない。戦が世を乱す今の時勢で養子をとる夫婦だって多くいる。故にそこを重要視するのは意味のない事ではあるし絆というものはそれだけでは計れない。わかっているが思い起こすのは劉備と影が本当に仲の良い親子であったという事だ。
 影は自分を大切に大切に育ててくれた無名の事を本当に慕っているし自身も大切に想っているが劉備にはそれとはまた違った情を抱いているのも感じていた。以前にも述べたが基本的に無口で無感情な影が劉備の前ではよくしゃべり、よく笑っていた。めったに見せないような皮肉めいた笑みから若干なりと無邪気なものまで。子が父に懐くような情だと言えばそうだ。
 そうだが、晩年の二人の様子は噂に聞くだけでも酷いものだったのだ。大声で怒鳴られ、殴り付けられて、側に置いておきながら罵られ、少し言い返せば黙っていろと沈黙を要求され、理不尽な事この上なく、正直正真正銘の実子である他の兄弟は劉禅を含めて最早劉備に対して腫れものを触る様な心地になっていたのだ。それは兄に協力したいとは思っていた天も例外ではなく、本当に本心を話してしまえば近付くな、と兄に避けてもいいと免罪符を差し出された時は内心で安堵したのだ。
 優しく、甘く、時に厳しいながらも偉大だった父の狂った姿はそれだけ恐ろしく目を反らしたい存在だった。
 しかし周りに頼られたとはいえ、太平の要である事や一応なりと長兄である責任感からとはいえ兄はそれでも劉備を避けようとはしなかった。側にいて、辛いだろうにその身を守り続けていた。それは並大抵の情では成せない事ではないかと思っていたのだ。
 いや、親子の情がその事に劣ると言いたいのではない。言いたいのではないが、あの日、二人に血の繋がりが無いと知った時一瞬腑に落ちたのだ。
 ああ、もしかすればそれ以上の情があったのではないかと。
 鸞と英雄の絆。
 母、無名は英雄による執心から絆を絡めとられ命を落とした。
 なら、連れて行くまいと必死に手を放そうとしていた劉備に命を捨ててでも縋りついていたのは一体誰なのか。
 果たしてそれは、
 影はしばし返事をしなかった。察しのいい男だ。質問の意味は分かっているはず。分かっていて否定の声が上がらない。天は多少己の体温が上がるのを感じた。やはり、まずい事を聞いたと。しかしもう誤魔化しようもない。
「あの人に対して、親子以上の情があったかどうかまでは自分にはわからない。ただ、」
 ただ、
「出来る事なら共にありたかった、今でも、そう、思っている……
 静かに顔を反らされ、その手が目元を覆った。泣いているのかと思えば天は気持ちが焦ってしまう。後を追わせまいと阻止したのは自分なのに、思いがぶり返すような事を問いかけて何をしているんだと。
 動揺しつつ、あ、あ、と喘ぐような声だけが出て、それ以上に言葉が出せないでいると

………………ふ、……は、、は、はははははっ」

 泣き声ではなく、笑い声が耳に届いた。目元を隠していた影が笑う。無邪気な、聞きなれない笑い声だった。驚いていると笑い声は続いて、ついにはその顔が降り返る。見えた表情は意外にも子供のようだった。そんな風に笑えたのか、とさらに驚愕してしまう。
「ははっ、お前、そんなに泣きそうな顔するなら初めから聞くな、馬鹿め」
 終いには腹を抱えるような勢いでさらに笑い始めて天はこれまたぽかんと口を開けた。何がそんなにおもしろかったんだと、そんなに俺が変な顔をしていたか、と
「そ、そんなに笑わないでください。俺は兄上を心配して、」
「すまん、いや、でもお前、くく、その、情けない顔、」
 父上に顔はそっくりなくせに本当に似てないな、と影はまだ笑い続けていた。真剣に心配していただけに腹も立ったが無邪気な様子に安堵の気持ちも過っていた。根拠はないが、ああ、なんだかんだ言ってもう吹っ切れているのだなとそう思えたのだ。
「なんなのですか、もう、」
「は、は、悪い、あー、本当お前には参る」
「何故ですか」
「父上と同じ顔をしているのに表情がな、父様ともよく話していた。お前が表情豊かにするたびに度肝を抜かれると」
「そんな事を話していたのですか」
 影が劉備と話しているときに見せていた笑顔。その時の会話を垣間見せられて複雑な気持ちになる。しかし、とりあえず呑んだ。何故なら本当に久々だ、ようやく、影が劉備を父様と呼んだ。何故だか無名が亡くなってよりずっとあの人、と呼んでいたのだ。それは天が特別な感情を疑った所以でもある。だが思えば自分を冷たく扱う人を大好きだった父親と同じに見ないでいる事で心を守っていたのかもしれない。そう思った。
「まったく、まぁでもそんなに笑えるのならもう大丈夫そうですね」
「ああ、」
 笑いを治める為か、ふうと大きく息がつかれる。そして言った。
「生きてみるさ、」
 自由に、風の如く、とまでは言えないかもしれないが。思うまま。
「はい、生きましょう」
 この命、果てるその日まで。



+

「という感じだ。そういうわけでお前の面倒は俺が見るからよろしく頼む」
 長い休暇から戻った天に劉禅はそうと告げられていた。
 翔の方から家族に起こった騒動については既に何度か報告は受けていて、その時も出来る支援はしていたが立場上解決に漕ぎつけた今になっても劉禅自身は今だ蚊帳の外のような立ち位置に居た。なにせ当事者の影の顔すらまだ目にしていないのだ。最後に姿を見たのは戦の帰還の報告を受けた時か。それも気安い様子ではなく皇帝と配下の者と言う対面であった。最後に見た、あの、どこかやつれた様子で膝をついていた姿はずっと目にちらついていたのだが、それが本当の意味で解決したと言うならこれ以上の朗報はない。
 次兄の腰元にはあの赤い帯がある。もうあの優しい人がその事に煩わせられることは無いのだろうという理解は劉禅に心からの安堵を生んだ。
「ああ、こちらこそよろしく頼む。父に比べれば頼りないとは思うが精一杯務めようと思っている」
 笑みを浮かべてそう言うと、同じように天が笑った。
「そう言うな、兄上もお前に感謝していたぞ。兄上が軍を辞するのを渋る諸葛亮殿を治めてくれたのはお前なんだってな。翔と無駄な議論を続けていたのを止めてくれたと聞いた」 
「それは、まぁ、なにせずっと同じことを話していたからなぁ」
 思い出すのは影をもう戦事に関わらせたくはない翔と、今は時期が悪いと抵抗する諸葛亮のやり取りだった。頭の回る二人の言い争いは本当に長い事続き、見兼ねた劉禅が止めに入ったのだ。
 気持ちはわかるが本人の気持ちを汲んでやろうと逆に諸葛亮を説得する羽目になったのは国の事を真剣に憂いる彼には申し訳なかったが。
 しかし劉禅としては最早太平の要などと言う存在すらこの国には必要がないのではないかと思っていた。なにせもうここに英雄はいないのだから。故に天にも多少申し訳ない気持ちがあった。もう、そんな責務を負わずとも良いのにと。だが、兄でもあるその人はにこりと笑う。
「逆にお前も側につくのが兄上ではなくて悪かったな」
「とんでもない事です。天兄上との方が私は気安い。いえ、決して影兄上に思う所があるわけではないのですよ」
「わかっているさ。あの人優しいけど厳しいからな」
 何せ当時は劉備にすら臆せず言葉を刺していた人なのだ。蜀の地を得るために邁進していた頃、法正と二人してあれやこれやと悩む劉備の背を蹴り飛ばしていた。なんだかんだ言いつつそれを皆楽しそうにはしていたが、思えばそういう輝かしい記憶があの人達を壊したのだろうと思った。
 夢、そう夢だ。今の時代が見せた美しい、
 それを美しいままにさせてやれないだろうというのは本当に心苦しい事だった。
「劉禅」
「はい」
「俺はここに居る。だから、この先、お前の思うようにすればいい」
 何を考えたのか察したのか、天がそうと言う。思うように。この国を生かすも殺すも、
 劉禅の望みは己がこの国の唯一の王になる事ではない、この目に映る人々がただ安寧である事だけが願いだった。それを成せるのであれば喜んでこの首を差し出そう。何が出来ずともそういう覚悟だけはもってあの日からこの座に座っていた。
 いつか訪れるだろう日、皆に憎まれようとも。
「劉禅、大丈夫だ。言っただろう、お前は一人じゃない」
 わかっているから、と天が言った。例え何かが成せずとも。と。
…………頼もしいですねえ」
「そうだろう、精々長生きして最後まで付き合うさ」
「はは、私が先に逝ってしまったらすみません」
「馬鹿言うな。お前にも長生きしてもらう。絶対だ」
「兄上には敵いませんね」
 先の事はわからないが、精々その日まで生きようと兄弟で誓い合った。















「しかし本当に爺になるまでかかるとはなぁ、意外と粘れたものだ」
「本当ですねえ」














 元蜀帝とその護衛の男が都への護送中、そんな会話をしたことはどの歴史書にも残ってはいない。
























自分の頭の中のオリキャラ妄想の記録だな。
いつのまにか兄弟BLみたいになって本当に申し訳ない。
一応その後、将来的には天と啼はしっかり家庭持って血を繋げていって、劉備の子ではない影と翔は生涯独身で通すと言うイメージです。しかしそうなると董卓様の血が!?って感じなので、影は荊州に居た頃年上の女性に襲われていて、その後すぐそこを離れたので知らないけれどその女の人が子供を産んでいるので実は繋がっているという無理矢理な設定をしてあります(笑)
なのでこのお話の影は女性が怖くて避けている。(酷い設定ですまない)
翔はガチの兄弟BLの攻め弟なので昔から影が好きで女に興味がないし、妥協して家庭を築く気もなかったという感じ。だから案外早めに収まる所に収まるかもね、というか(笑)
そうなるとじゃあifじゃない二人は?と言う話なんですけれど、曹操ルートの二人は年齢差がありすぎるので半分は親子みたいになります。
翔は影が十七くらいの時に多分生まれますし、翔が物心ついた時には影は結婚してもう子宝に恵まれているんじゃないかなと。代わりに十になるかならないかの時に両親が死ぬので影の所の家庭で子供同然に育つ感じです。なので世話になった家庭を壊すわけにもいかぬので親子のような兄弟として生涯通すというイメージ。
曹操ルートの影は色々状況として安定しているのもあって自由に生きているので物凄く穏やか。話に関わる事もない。しかし劉備ルートは波乱に満ちているせいでなんかちょっと色々あるという。そういう感じ。へへ。
無名の方も曹操ルートの方では子供らの先について敢えて物凄く憂いを抱くような状況じゃないのであまり気にしてませんが、劉備ルートでは波乱に満ちているので大分心配してますね!(笑)
環境って大事。
ちなみに影が本当に劉備がそういう意味で好きだったの?というのは微妙な感じ。ただ本当に大好きだったってそれだけ。
あと無名は前のお話のラストの通り個人の想いとしては劉備を真の英雄と思い応援してましたが、まぁ曹操と結ばれてしまっていた縁は切れなかっただけだと思っております。はい。

中途半端で終わっていた所、もし、気が向いた誰かがワンチャン読んで少しでも楽しんでくれたら嬉しいなぁという所でもしそういう方が居たとしたらお付き合いありがとうございました。