コノチャ♀記憶喪失ネタ2(仮題)




 その日の夕方、チャンドラが帰宅した。
 エントランスホールで出迎えると、ノイマンの運転で家に戻ってきたチャンドラはコノエの方を見ないまま気まずそうに「ただいま帰りました」とぼそりと呟く。
「おかえり」
 いつものように両手を広げてハグ待ちの態勢で出迎えるも、荷物を置いてくると言ってさっとコノエを避け、ランドリールームに行ってしまった。
 思っていたよりかなりギクシャクしていてつらい。顔を引き攣らせながらズキズキと痛む胃痛をやり過ごす。
 両手を広げたままの体勢で玄関に取り残されたコノエに、ノイマンが苦笑しながら「コノエさん、こんばんは」と挨拶してくれたのでコノエも気力を振り絞り笑顔を作って挨拶を返した。
「こんばんは、ノイマンダリダを送ってくれてありがとう」
「いえ、ええと、セレネは明日までうちに泊まります。子ども達は今晩星の観察をするそうで、ソーマが星が見たいって言ったらアルがそこそこデカい天体望遠鏡を作ってきまして。庭が広くて良かったですよ」
「そうか楽しそうでなによりだ。セレネをよろしく頼む。明日は迎えに行くよ」
「昼をみんなで食べたら連れてきますから大丈夫ですよ。モールにアイスも食べに行きたいって言ってたから夕方かな」
「何から何まですまないね」
 気を使って二人きりの時間を作ってくれるノイマンには頭が上がらない。
「いえいえ、うちの子達、チャンドラとセレネと二日間べったり一緒に過ごせて楽しかったみたいです。こちらこそありがとうございました」
「そうか
 満面の笑みで言うノイマン。楽しそうで結構なことだがその間、コノエはこの家で一人胃が捻じ切れそうな不安と戦ったわけなんだが。
 把握できていなかった間のチャンドラの情報が少しでも欲しくて尋ねる。離婚を切り出されるにしても、心の準備というものがある。凶暴な気持ちになってしまわないようにしなければ。愛妻を監禁など絶対にしてはいけない。
「あの子、何か言っていたかな? 例えば、離婚とか」
「まさか! それはありえませんよ。コノエさんもあまり思い詰めずに話し合って下さい。そのあとは二人でゆっくり過ごして」
 ノイマンに離婚の危機をはっきり否定され、励まされて少し気分が上向きになった。
 必要な情報のやり取りを終えて帰っていくノイマンを見送り、コノエはランドリールームに走った。

 しかし、ランドリールームにもリビングにもチャンドラは居なかった。
 焦りを覚えながら急いで寝室に走ると、ベッドの横にチャンドラが所在なさげに立っていた。まるで他人の家に来たかのようなよそよそしい雰囲気にコノエはまたじくりと胃が痛む。
「ダリダ?」
 名前を呼ぶとチャンドラはゆっくり振り返ってくれたが、視線は床を這うばかりで辛そうな顔をしていて言葉に詰まった。
 お互い無言になってしまい、数秒。チャンドラの方が先に口を開いた。
あの〜、その」
「うん?」
「二日もノイマンの家に泊まったのは、ナタルとソーマにねだられたのもあるけど。実は、旅行の後からあなたと顔を合わせづらくてですね
「うん」
 気持ちはわかる。ハインライン家の子ども達の遺伝上の母とはいえあくまで線引きはキッチリしている。ハインラインたちの育児の助けをする為に子どもたちを預かって泊まらせることはあっても、常ならば二人にねだられても泊まりになんて絶対に行かないのに、今回はほとんど事後承諾のような形で泊まりに行った。しかも連泊。
 過去のトラウマのことを考えればちょっと強めに頭を打ったくらいで記憶を飛ばす夫なんて信頼できなくなって当然だし、ましてその間にチャンドラのトラウマを刺激するような言動までしたのだから無理はない。コノエと顔を合わせたくないというチャンドラの気持ちは理解できる。
 着ていたTシャツの裾を握りしめ、気まずそうに目を逸らすチャンドラ。
幻滅しましたよね。でもどうしても自分が許せなくて」
「ん?」
 身構えていたら突然話の流れが変わってコノエは困惑した。離婚を切り出されるという最悪の事態まで覚悟していたのに、チャンドラはコノエを一切責めないどころかむしろ自己嫌悪しているように聞こえる。一体なぜ。
「何が許せないんだ?」
 素朴な疑問だった。するとチャンドラはギュッと眉根を寄せて言う。
「アレクセイが記憶なくなって、ケガして、大変なのにっ、すぐ離婚しようとしたからです!」
「そんなことで?」
 全く想定して居なかった展開になってコノエは純粋に驚いた。少々の打撲で家族のことを忘れた挙句に怖い思いをさせた自分が幻滅されるならわかるが、チャンドラに対しては迷惑をかけて申し訳ない以外に思うところなどあるわけがない。
「それは私が君に怖い思いをさせたからで、ダリダは何も悪くないだろう」
「それを言ったらアレクセイだって何も悪くないでしょ! 怪我したくてしたわけじゃない」
 チャンドラに非はないと伝えたのに、彼女はそうは思っていなかった。ぎゅっと手を握りしめて言い返された。
 これ以上何か言ったら泣きそうなくらいの辛そうな姿を見て、今すぐにその華奢な身体を抱きしめて背中をさすって慰めてやりたくなった。
 怖がらせてしまうかとも思ったがゆっくり近づいたら拒絶はされなかったのでこれ幸いと手を伸ばして腕をさすり抱き寄せるとされるがままコノエの腕の中に収まってくれて、ホッとした。
 相変わらずコノエの腕の中にすっぽりとはまる小さな身体。背中を撫でた触り心地から旅行前に比べて痩せたのは明らかだった。
「どう考えてもアレクセイは何も悪くなかった! 自分が、怖くなってあんたを失うって、思って、もう思い出してもらえなかったらって、こわくてッ。だから、すぐ逃げて……
 抱きしめて背中をさすってやっている間に、チャンドラの声はますます罪悪感の滲む重苦しいものになった。一方でコノエは心から安堵している。嫌われていなかったとわかっただけで嘘のように気持ちが上向いていく。
「いや。いいんだ私の方こそ怖い思いをさせて悪かった」
 コノエはチャンドラの背中をゆっくり撫でてやりながらもう一度謝った。今回の件でチャンドラには一切罪悪感を抱いてほしくなかった。
「こっちにきて」
 チャンドラの手を引き、ベッドに並んで腰掛ける。落ち着かせるべく引き続き背中をさすってやっている間にもチャンドラは膝の上に置いた手をギュッと握りしめて俯いたまま思いの丈を吐き出す。
「アレクセイのことすきなのにっ知らない人になったみたいで、こわくて、手が震えてっ冷や汗が出て、むりで信じてたはず、なのに
「拒否反応が出たんだな」
 小さく頷くチャンドラ。過去のトラウマでノイマンとコノエ以外の全ての男性に拒否反応が出てしまうチャンドラ。それほど怖い思いをさせたのかと思うとやはり申し訳ないという気持ちしか無い。
 そして、こんな時だが普段あまり言ってくれない「好き」がぽろっと出てきたのが嬉しくて舞い上がってしまう。
「自分、ちびでちんちくりんのナチュラルのオバさんだし記憶なくなったアレクセイにもう一回好きになってもらえる要素なんかないし。だから忘れてるのに妻ですとか、図々しいこと言えないし、嫌われたり拒絶されたら、絶対泣くしぃ
「嫌ったりしないよ。本当に怖い思いをさせて悪かった」
「でも、一番は自分がすぐあんたのことあきらめて逃げようとしたのが、それが本当に情けなくて、嫌でッアレクセイのパートナーになるって言ったのに。いつも大事にして貰ってたのに、いざとなったらあんなすぐ捨てるようなこと、してっ自分はアレクセイのために何もできないんだって悔しくて、セレネも不安にさせたと思うし
 悔恨を語るチャンドラ、最後は少し声が震えた。セレネのことも気に病んで、本当に優しい人だ。
 尤も、娘はああ見えて年齢の割にかなり図太いし強かだし親のことをよく見ているというか、記憶を失っている間にコノエにしてきた助言も的確だし、トラウマが刺激され不安定になったチャンドラに寄り添って支えてくれていた大変頼りになる存在だ。
 ハーフコーディネイターと言っても純粋なナチュラルよりかなり丈夫だし頭のつくりはコーディネイターに近いような気もしている。
 むしろ年齢よりかなり大人びているのが不安な程だ。もっと年相応の子どもらしい子どもで良いのだが。
 ともあれ、娘へのケアと謝罪は明日にするとして今はチャンドラだ。落ち着かせるべく抱き寄せた腕をさすりながら言い聞かせる。
「君が心穏やかに過ごすことが一番大事だ。私のことは切り捨てて安全な場所に逃げて良いんだよ。忘れた私が悪いんだし。ただし、思い出したら必ず追いかけて行って愛を乞うてしまうけど」
「ご、ごめっごめんなさい。自分がしっかりしなきゃいけないときに
「最初から怒っていないから気にしないでくれ」
 もう一度はっきりと伝えると、チャンドラはやっと顔を上げてコノエと目を合わせてくれた。
「ほんっとに全然怒ってないんですか」
「ああ」
 断言すると、チャンドラはぎゅっと眉根を寄せて苦虫を噛み潰したような顔をする。
「優しい! こんなに大らかで優しくしてくれる夫に怖いって感じるなんてやっぱり自分が許せないッ!」
「えぇ?」
 ここらで仲直りしてハグなりキスなりそれ以上なりする流れだと思ったが結構頑固だなと残念な気持ちになるコノエであった。
 チャンドラに離婚の意思が無いどころかコノエのことが好きなあまりに罪悪感にかられて思い詰めてプチ家出していたとわかって愛しい気持ちが爆発している。
 ついさっきまで倒れ込みたいほどの胃痛と戦っていたのが嘘のようである。心身の不調が劇的に回復して心の余裕が生まれていた。
「申し訳ないほんとに無理自分で自分が信じられない薄情すぎる!」
「ダリダ、落ち着いて」
「ううぅ
「怒ってないよ」
「でもぉ!」
 どうしても納得できないらしいチャンドラが頭を抱えて唸りだしたので少し話を変えて落ち着かせようと試みる。
「そうだ、ハロはどうしてそばに置いてくれなかったんだ」
「あなたに守ってもらうのが申し訳なくて」
「話を聞かれたくないとか見られたくないとかではなく?」
「録音とかは別にいいけどハロはあなたにそばにいてもらってるのと同じなので、合わせる顔がなくて」
「思った以上に可愛い理由だった」
 この妻、相変わらずコノエに対して許容範囲が広すぎる。思わず本音が口からまろび出て取り繕えなかった。
「かっ、かわいくはないでしょ!」
 率直な感想でしかなかったが、チャンドラは恥ずかしくなったらしい。顔を背けつつ頬を赤らめて照れるので益々可愛い。
「えっ、てかなんで可愛いとか、今そんなこと言う? こっちは真剣に悩んでるのにアレクセイは真面目に話聞いてない感じ?」
「いやいや、ちゃんと聞いているとも」
 嫌われてないし、離婚の危機でも無いとわかったし、我慢できなくなってチャンドラの身体を横抱きにして膝の上に座らせた。
 抱き上げてみたことではっきりわかったが、やはり体重が1350グラムも減っている。可哀想に、全く非のないことで胸を痛めてたった数日でこんなに痩せるなんて。
「ア、アレクセイ?」
「私は君のほにゃっと笑った笑顔に一目惚れした男だよ。例えそれが私以外に向けられていても構わない。だから笑っていてほしいな」
「もう、あなたがいないと笑えないんですけど
 当たり前のように返されて、愛しくて胸が苦しい。こんなにも愛されて自分はなんて幸せなのだろう。
「ダリダが私を選んでくれて、本当に幸せだ」
 小さな身体をぎゅっと抱きしめてぬくもりを確かめる。
アレクセイ?」
 感極まってチャンドラを抱きしめたまま黙り込んでいたら、心配そうな声をかけられた。コノエはチャンドラへの愛情を分かりやすく証明しなければいけない。
 少し身体を離してチャンドラの青い瞳を覗き込み柔らかく微笑む。コノエが余裕のある態度を見せれば彼女が安心するのは理解していた。
「罪悪感を抱いてほしくはないし抱く必要も全くないが、悪いと思ってくれている気持ちは私への愛情ゆえということで尊重しよう」
「え、あ、ありがとうございます?」
「なのでひとつ罪滅ぼしをしてもらいたい。そうすればダリダも少しは気が楽になるのでは?」
「え、うーん、そうかも?」
「うん。その上で君は私から離れられないということも理解してくれると嬉しい」
「は?」
 コノエは得意の口八丁で言いくるめると、にこりと笑ってチャンドラをベッドに押し倒した。
 コノエにとってこの世の何よりチャンドラが愛しいのだと理解してもらうために。