一煎に健気に揺れて

MHRウ教×ハ♀。相思相愛。
ウ視点。

幸せの茶柱。


口元の鎖帷子くさりかたびらを下ろしている影響か、優しい湯気が唇を撫でる。

まだ手つかずのうさ団子の相棒のような湯呑みから、清々しい香りと共にほわんと立ち昇る、深蒸し煎茶の湯気の狭間。

「おっ! 茶柱」

水面みなもの中央で、ぷかぷかと浮き揺れているそれ・・が見えて、思わず俺は声を上げてしまった。
誰にも気付かれないよう、こっそりと飲んでこその幸運だというのに。

里の集会所、いつも俺が勤める場所。
外からやって来たハンターさんたちの声も、それを朗らかに出迎えるゴコク様の声も、案内するハナモリさんの声も、茶屋のオテマエさんたちの声も、カウンターで受付をしているミノトさん、そのお隣にいる雑貨屋のマイドさんの声も、いつもと変わらず響いて、里がずっと待ち焦がれていた活気と安穏あんのんがある。

それなのに、妙にがらんとしたように感じるのは、きっと俺だけな気がしてならない。 

今この里に可愛いあの子が、ようやく想いを通わせ合えた、大切な愛しい人がいない。

だから里は、俺の耳にはとても、とても静かだ。
俺がいつもの声量になれば、容易に山の彼方まで声は響いてしまうだろう。

里の人の迷惑にならないのなら、すぐにでも、キミに届くようにキミの名を呼びたい。

そうすれば、海を越えた場所にいる大切なキミにも、この声が届くかもしれないのに。俺の声が届くことで、キミを少しでも元気にしてあげることができるなら、それは何にも代え難い至上の幸せだ。

そんなことを考えながら、俺は両手で湯呑みをとって、熱い煎茶の水面と、変わらず浮き揺れる茶柱を見つめた。

……。はあ……愛弟子ぃ……

無意識に、情けない声がこぼれる。胸がきゅうっと締めつけられて「ふう……」と深くため息が出た。
うさ団子を食べようとしていたところだが、またたく間に胸もお腹もいっぱいになってしまったような気がする。

キミが、恋しい。心から。

怪我をしていないだろうか、お腹が空いていないだろうか、よく眠れているだろうか。

振り回されているだけだった重い得物を立派に背負って操れるようになり、里の災厄を退けるまでの力を得たあの子なら、きっと大丈夫だと信じているけれど、顔を見るまでは、声を聞くまでは、やはりどうしても心配だ。

俺の記憶の中の幼いあの子が『ウツシにいに』と俺を呼び、俺の後ろについてきて、抱っこをせがんでいたあの子の姿が昨日のことのように思い出されては、心配がつのる。

揺れる煎茶の水面をじっと見つめながら、また「愛弟子……」とため息混じりに呟いた。

不安と憂いで胸がそわそわする中でも、どこか夢心地の感覚だったが、不意に「ウツシ教官!」と背中からの声に現実に引き戻される。

「はーい! 何だい、ミノトさん!」
「すみません、少々こちらに来て頂いてもよろしいですか。闘技大会の書類の件で……
「おお! 闘技大会受付は俺の担当だね、何だろう!?」

茶柱が倒れないように、そっと湯呑みを卓上に戻し、立ち上がって振り返りながら、ミノトさんの待つ集会所の受付カウンターまで向かう。

ああ、先ほどの声の主があの子なら、と思ってしまったのは、ミノトさんには内緒だ。

「何だいミノトさん! 俺で力になれることかな?」
「すみません、呼びつけてしまって。こちらの書類を確認して頂きたいのですが……

カウンターでミノトさんがずらりと並べてくれた、ギルドからの闘技大会に関する書類。それらに目を通していると、彼女は「書類に担当者の署名が必要で」と俺に小筆を差し出してきた。

ざっと見た限り、重大な用件ではなかったので、ほっと胸を撫で下ろす。

「お安い御用さぁ! どれどれ、順番に署名しようか!」

ミノトさんから小筆を受け取りつつ、順番に、一枚ずつ確認していく。署名は慣れたものだ。教官という立場になり、里長から各任務を仰せつかるようになり、闘技大会受付を担当するようになり──事務仕事が増え、書類を書くことも増えた。責任の証だ。

もちろん、愛弟子が関わる書類も書いたことがある。俺からあの子に依頼したクエストもあるし、私的な話になると、海を越えてエルガドに遠征したあの子へ手紙を出したことだってあるのだ。

(まな、でし…………キミは、今頃……)

書類を読んで、署名している最中なのに、また──胸が、頭の中が、あの子のことでいっぱいになってしまって。
ミノトさんに怪訝けげんな眼差しを向けられていることに、気付けなかった。

「あの、ウツシ教官、お名前が」
……っ!? あっ、何だい、ミノトさん!」
「こちらの書類、お名前が違うようです。署名はご自身のお名前をお願い致します」
「えっ!?」

言われて、やっと気付いた。改めて書類を見直すと、俺の名前があるべき場所に──あの子の名前があるじゃないか。

「わ、わああっ! ご、ごめんっ! 訂正しなきゃっ!」

──何て、情けない……

ミノトさんは「いえ」と優しく対応してくれるけれど、顔から火が吹き出そうなほど、恥ずかしい。

先ほどあの子のことで頭がいっぱいになってしまった影響か、いつの間にか、手は俺の想いを代弁し、恋しさを書き連ねてしまって。

今の俺の顔は、きっと耳まで、炎のように真っ赤だろう。

速筆の勢いで俺は署名を訂正し、残りの書類に、確実に自分の名前を書き進める。少々字のバランスが崩れて不格好になった気がするけれど、見なかったことにした。

最後の書類の署名を終えて、俺は慌てて借りていた小筆をミノトさんに差し出す。

「は、はいっ! これでいいかなっ!? 筆、ありがとう!」
「こちらこそ、お忙しいところご署名ありがとうございました。先ほどのお名前は書くのではなく、ぜひ、あちらで呼んで差し上げて下さい」
「えっ!? それっ て、どういう……

今、ここにあの子はいないのに──と、尋ねようとしたけれど、やめた。

心が軽やかに、甘くときめく、聞き慣れた足音が後ろから聞こえて、間違えようのない、懐かしささえ帯びた気配を感じられた。

振り返れば、俺が先ほどまで立っていた場所──集会所、茶屋の露台席に、両手で盆を持った愛しい人の姿があって。

@acadine