最初にこの映画に引き込まれたのは、冒頭の合戦後の兵たちが地面に倒れて死んでいるカットを見たときです。これまで北野映画を見てこなかったので今までもそういう傾向があったのかどうかは分からないんですが、「たけし、こんな画つくるの?!」という衝撃がありました。こんな、というのはアート的に優れているという意味です。
※この記事、たまたま見つけたのですがとても面白かったのでぜひ→
https://videosalon.jp/interview/movie_kubi/
その衝撃を受けたとき、世界の北野に何を言ってんだという感じなのですが「すごすぎてズルい、うらやましい」みたいな、素晴らしい創作をする創作者への嫉妬みたいなものを感じました。
そんな感じで見始めた本作ですが、すぐに(これは
……BLだ
……)と思いました。しかも、かなり私が好きな部類の。
なので鑑賞中はもう、戦国創作大手サークルたけしの信光(光信かも)の新刊を読んだ気分というか
……
例えば光秀が夜な夜な人を切り殺しているシーンがあるのですが、(たけし先生ここは光秀が嫉妬をしているという描写ですよね素晴らしいですハァハァ
……)みたいな、見たシーンから解釈をしているのか、自分の好きな解釈に寄せた見方をしてしまっているのか
……みたいな疑いがあります。
なので、この映画のタイトルにもなっている首であったり、この世界のルールや構造に関しても壁サーたけしはちゃんと描いていたはずですが、それをふわっとしか認識していません。
そのあたりは、よつもりさんがすごく分かりやすく整理されて面白く解説されているので、もしこれから壁サーたけしに向けたキモオタの感想文を読もうとしている奇特な方がいるのであれば、ぜひ、ぜひぜひ!!
先によつもりさんの感想を読まれることをおすすめします。
映画『首』(北野武監督作品) 感想 | Privatter+
https://privatter.me/page/65cc3991d5d3a
先に。先にですよ。
ということで、ここから首はどんな映画だったのか?どういうところが面白かったのか?たけしから溢れ出るBL大手壁サー感とは?について、目次までつくって書いていきます。長くなりそうな予感がしますね。実際、長いです!!!
■目次
⓪あらすじ
①男たちの三角関係
②百姓秀吉について
③三角関係のゆくえ
④本能寺の変
⓪あらすじ
信長の配下、村重が謀反を起こすが失敗する。信長は一番天下に近い男である。天下を取るのは信長か?信長の後継者か?後継者になるには信長を倒すのか気に入られるのか?という大戦国時代。秀吉は光秀をけしかけて信長を討たせ、光秀を自身が討つことで天下への階段を上りつめていく
……という感じで非常にシンプル。
つまり、私ですら知っている本能寺の変について描かれた映画です。
なんか、つまんなそう(歴史、あまり関心がないので)
だけどなんでこんなに面白いのか?というと、人間同士の関係性と欲望が描かれていたからかなあ。
私が感じた面白ポイントを書いていこうと思います。
①男たちの三角関係
この映画において関係性を深堀りされていた信長・光秀・村重を中心に色々書きます。
私の主観でこの3人のネタバレ紹介文を書くと、
■信長(加瀬亮)
大げさなくらいの尾張訛りや身振り、黒×赤の派手な着物、黒人の弥助を連れまわし、配下の武将を殴る蹴る刀刺し饅頭を食わせるなど、イカれた言動で第六天魔王と周囲に恐れられている。
でもそれは信長の必死の自己プロデュースのように見える。現状、一番天下に近いところにいる=一番『首』の価値が高い。首を落とされないように、村重に続いて配下の武将たちが謀反を起こしたりしないように、逆らうとやばい・怖い魔王として振る舞う。跡目をつがせることをちらつかせるのは、配下の武将たちの心が離れないようにしたかった、この時代において当然の実子相続を否定する型破りな俺、というパフォーマンスなのかな。
だから、実子を後継にしようとしていたことが光秀にバレたとき「結局ただの人かよ」的なことを光秀に言われていて、それが本能寺の変のきっかけにもなってる。なんか切ない。
燃え盛る本能寺で、森蘭丸を介錯してあげる信長。同じように介錯してあげようと近づいた弥助に首を落とされ、最期を迎える信長。
信長と蘭丸のセックス中に蘭丸を弥助と交代させるシーンもあり、信長って弥助とも関係を持っていたのかと驚いていたら、信長は弥助に肩のマッサージをさせるだけ。なのに急に興奮した信長は弥助に思い切り噛みつき、当然弥助は怒る。劇場では信長イかれてんなあ
……と思ったのですが、あれは弥助を抱けない=魔王ぶってても普通な自分を自覚した信長がムキー!となってしまったのを表しているのかも。
なんだかんだ普通の、型通りの戦国武将でしかなかった信長と、武将の世界には無関心・無関係な弥助の対比を感じました。
そして信長は、自分に気に入られようと必死な村重が可愛い。
でも一番好きなのは光秀。光秀はなかなか自分になびかない。パワハラ会議しててもいちいち突っかかってくる。しかも正論。優秀。ボコボコに殴っても蹴っても無抵抗なのに、キスは拒否。この男をどうにかして屈服させたい。
『首』における私の推しは信長です(だって加瀬亮ですよ?)。信光です。
■村重(遠藤憲一)
恋愛脳おじさん。信長に可愛がられていたものの、武将としてはそれほど評価されていないことに不満を持つようになり謀反を起こす。が、失敗して元カレの光秀に匿われる。
光秀の下でも可愛いおじさんとして振る舞い、光秀に乗っかって天下取りに再び参戦することを企んでいる。
考えが甘いと言わざるを得ないが、その甘さがキレキレの武将のなかで神経をすり減らしている信長とか光秀には可愛く見えていた
……のだろうか
……?
■光秀(西島秀俊)
西島秀俊である。
このキャスティングからも分かるように、美しい男として描かれていたと思います。着物、紫だったし。京都で帝?にパレード?みたいなのを見せたときは、住民から名指しで黄色い声援を浴びてたし。
ちなみにこのパレード、百姓上がりの猿(秀吉・北野武)は参加できないそうです。秀吉は光秀と並んで信長の後継として挙げられるほどの実力者なのに
……
つまりこの光秀という男は、武将としての血統のようなものが優れていて、容姿も優れていて、もちろん実績もあるという正統派戦国武将的パーフェクトヒューマンだったのではないかと思います。だからこそ信長は、そんな光秀をなんとか屈服させて自分のものにしたかったんじゃないでしょうか。
さて、そんな光秀ももちろん天下を目指していました。ですが、信長の寵愛を受け入れて取り入ろうとはしなかった。その理由は大きく2つ考えられて、
①村重や蘭丸を見るに、寵愛ルートは可愛がられるだけで終わってしまう。村重は謀反を起こしたとき、「身も心も捧げたのに、大した褒美(領地?)をもらえなかった」と怒っていたので、信長に可愛がられたところで、大きな仕事を任せてもらって跡目を継ぐことは期待できない。
②屈服はさせるよりさせたい。愛は捧げるより捧げられたい。なぜならオス度・プライド共に高く聳え立つ正統派PHだから。
そんな理由で信長のアプローチ(主に暴力)をつっぱねていたのではないかと思います。じゃあ光秀が信長を嫌っていたかというと、もしかしたらそうでもなかったのではないかと思います。
信長が実子に跡目を継がせようとしていたことを知ったとき(本当にうろ覚えなんですが)周囲が「散々こき使われたのにこんなのってないよね」みたいな雰囲気だったのに対して、光秀は信長がバカ息子を後継にするような普通の親だったことへの失望を口にしていました。
それは正統派PHである光秀が、自分とは違う魔王系の武将である信長に憧れていて、惹かれていたからではないかなと思います。
また、光秀には信長に見立てた人(身分の低い人?)を夜な夜な切り殺したり、撃ち殺したりするという暗い趣味があり、私はそこに信ニー的なニュアンスを感じました。
信長と森蘭丸のセックス を見せつけられた夜には「蘭丸うううう!!!!」(※蘭丸ではない)って叫びながら切りかかっていて
……そんなの嫉妬じゃん
……ねえ
……
そして光秀は信長が自分を愛していることを知っていたはずです。
信長にひどく殴られたあとに「お館さまの暴力は愛ですから」みたいなことを言っていましたし、そのときの顔はなんかこう
……正妻顔に見えました。
光秀には、性愛の対象として激しく好意を向けられているという男としての自信と、跡目にしても良いと思われるほどの実績をあげているという武将としての自信があったのだと思います。パワハラ会議でいちいち信長に意見していたのは、自分のそういう愛されて重用されている立ち位置を確かめる行為に見えました。
信長は光秀をなんとかして手に入れたくて、光秀も信長に惹かれている。
けれど、光秀は正統派PHな武将で、オス度とプライドが高いので、その内心を明かして信長からの寵愛ルートに入ることはできない。信長にとって手に入らない存在で居続けることで、武将というオスである自分を保っているのかなと思いました。
②百姓秀吉について
ここからちょっと話は変わって、秀吉(と家康)について書きます。
先述した三人とこの二人は、かなり対比を強調して描写されているように思いました。
たとえばPH光秀について、秀吉に仕える元忍の芸人・そろり(キム兄)は「陰気でつまらん」というような評価をしています。たしかに、忍から芸人になったという異業種転職経験ありのそろりからすれば、武将として生まれて武将として正統派の道を歩く光秀は新卒採用・年功序列・終身雇用というか、つまんねー男という評価になりそうです。
そして秀吉は「あの三人(信長・光秀・村重)はつつくとなんか出るぞ」と言っていて、あくまでも三人の関係には入っていかず、利用するスタンス。
また、私でも知ってる武将BIG3の1人、家康もこの映画に登場します。家康は女(しかも醜女)が好き。そして光秀や三人に対しては、ほとんど関わりを持とうとしない。草履を懐に入れた秀吉に天下を取らせてくれ!と懇願されれば了承します。
天下を目指すパワーゲームと衆道の愛憎を重ねてドロドロしている三人と、衆道に理解を示さず違う道で天下を狙う二人。
前者と後者の対比もそうですし、策略をめぐらせて天下を目指した秀吉と、座りしままに餅を食った家康は、対比が効いていて面白かったです。
ここから秀吉という人物について書いていくんですが、秀吉が武将のアレコレに理解を示さないのを表している舟のシーンがとくに面白かったです。
舟、どういうシーンなのかというと、勝ち目のない敵に対して降伏を認める代わりに、城主?に切腹するように命じる秀吉。それを受け入れた城主は舟の上で切腹をするのですが、儀式?演舞?のようなものをはじめて中々腹を切らないんですね。
それを対岸から眺めていた秀吉は「いつまでやってんだ」(セリフうろ覚えです)とぼやきます。黒田官兵衛(浅野忠信)だったか秀吉の弟・秀長(大森南朋)だったか忘れてしまったのですが、家臣から「侍の最期は見届けなきゃだめですよ」と窘められる始末。
そしてやっと儀式を終えた城主がとうとう切腹!
腹に刀を突き立て、苦悶しながら少しずつ刃を進める城主、けれど飽きてしまった秀吉は帰り支度を始めてしまう
……というちょっとギャグ要素も入ったシーンです。
秀吉は対岸から望遠鏡をつかって切腹の様子を見ていたのですが、その望遠鏡のピントがボヤ~っと合わなくなっていって、よく見えなくなるという演出が入ります。
レンズの向こうで馬鹿真面目に一生懸命に何かを演じる城主と、それを見る秀吉という関係は、秀吉を北野武自身が演じたこの映画においては、映画と監督(北野武)を表しているのかなと思いました。「いつまでやってんだ」というセリフは、監督自身の言葉でもあるんじゃないでしょうか。
そんなふうに馬鹿真面目で一生懸命な武将の首取りゲームや男同士の愛憎から距離を置いて、違う道で天下を目指していた秀吉。だけどこの秀吉が冷徹でクレバーな人物だったかというと、決してそれだけではなかったのも魅力です。百姓出身であることや、字が読めないことへのコンプレックスを感じるシーンもありました。
また、光秀を失望させた信長が息子にあてた手紙には、光秀が裏切れば切れ、秀吉には領地でも与えておけ、という感じのことが書かれていたのですが、これは秀吉にとってはもう、ものすごい侮辱ですよね
……百姓からさまざまな武功をあげてここまで上り詰めてきたのに、俺は脅威にすらなれないのかと(パレードにも参加させてもらえないし
……)
秀吉が天下を取ろう・取るしかない、と決意したのは「武功をあげたものを跡継ぎに」と言った信長の言葉が偽りだったということよりも、鎧を着て、黒田官兵衛などの名だたる武将や多くの兵を従えて、たくさんの財産を得ても、生まれと周囲からの扱いは変えられないと確信させられたことがきっかけになっているのではないかと思います。
周囲からの秀吉の扱いといえば、上記以外にもけっこう可哀想なものがありました。
たとえば秀吉が金銀をばらまいて、「俺が天下を取ったらこんなもんじゃねえぞ!」と宣言する場面。第六天魔王として恐怖や威厳で配下の武将を従わせていた信長について、必死の自己プロデュースと書きましたが、百姓の秀吉にはそれすらできないから、金をばら撒くしかない。
また、信長の死に憤り、光秀を討つために出陣することを配下の武将に告げるシーン。戦国ミリシラの私は「うおおおおおお!!!!」と家臣が発奮するのかと思ったのですが、そうはならない。信長が殺され、ここで謀反人光秀を討てば天下は主君のものになる、自分は天下の武将の一味になれる、という場面のはずなのに「なんか芝居みたいだなあ」(鑑賞時この場面の意図が分からずスルーしてしまったのでセリフはニュアンスです)みたいなことを言われてしまう。
実際、信長と光秀をまとめて消すために光秀が謀反人となるようそそのかしたのも、そのときに残る有力な武将である家康を事前に草履パフォーマンスで抱きこんでおいたのも秀吉(というか黒田官兵衛)の書いたストーリーなので、家臣の反応は正しいのですが
……だからってさあ
……
また、秀吉は家臣に対して、「(お前なんて)殺すけどな」みたいな怖いことを言うこともあるのですが、家臣の反応は「またまた~」みたいな感じ。首の舞台が現代なら、パワハラ信長とは対極の、心理的安全性のあるアットホームな職場とも言えるかもしれませんが、戦国時代なので舐められてるってことなんですかね。
そんなふうに、秀吉は家臣に対してどう接しているか、というのが一番多く描写されていた人物かと思います。
黒田官兵衛と弟・秀長は一番の家臣という感じで仲良しトリオだし、武将以外にも抜け忍としての腕や人脈を買われた芸人のそろり、秀吉のように百姓から侍に成り上がりたいとドリームを抱く茂助(中村獅童)、他にも女装した旅芸人とか、モブ(劇団ひとり)が秀吉の周りにはうろちょろ。そこに混ざって笑ったり酒を振る舞ったりする秀吉。このような描写は信長にも光秀にも見られません。
夜な夜な信ニーしては(多分)罪のない人を切り殺している光秀なんかは、侍ではない身分の低い人を人とは思っていないはずです(思っていてやってたらヤバいですが、そういう感じではなかった気がします)。これも百姓秀吉と、侍光秀の生まれついた差だと思います。
話を戻します!
自分の人生をかけて築いてきた侍への道が、主君信長にあっさり否定され、あしらわれてしまうような軽いものだったことに絶望を感じた秀吉。光秀をけしかけて信長を討たせ、その光秀を自分が討つことで、天下への道を進める秀吉。
ですがそのフェーズに至っても、天下一の武将になっていく猛々しさや華々しさ、秀吉の喜びのようなものは感じられず
……むしろ、おじいちゃん死ぬの?!みたいな嘔吐のシーンがあったりして、言葉にするのは難しいのですが、ん~~~天下ってさ~~~みたいな虚しさがありました。
北野武はアウトレイジのイメージがありますが(見てないけど)、戦国もヤクザもきっとオラついたオスの世界で、私はあんまりそういう世界に理解も興味もありません。
ですが、望遠鏡のシーンやラストシーンもそうですし、この首という映画には全体を通して漂う軽さがあり、それがこの天下とかいうよく分からんものや、天下を目指すことの虚しさごと蹴っ飛ばしてくれます。そこには怒りじゃなくて笑い飛ばしてくれるような軽やかさが感じられて、北野武のそのバランス感覚のおかげで、首が面白い映画になっているような気がします。
そうやって虚しさとともに天下に指をかけた秀吉の結末は先述した通りせっかく捏ねた餅食えずで
……戦国ミリシラの私はなんで関が原に至るのか習ったのにさっぱり思い出せないのですが(三成が悪いんだっけ?)、首を見てしまうと秀吉が可哀想でむなしくて、首・続編が出ても見れないかもしれない(見ます)
そして醜女好きで、首取りゲームからも距離を置いていたのに天下を取り、実子相続で江戸という長い時代を作る家康。
江戸時代の知識はよしながふみの『大奥』準拠なのですが、女たちの苦しみの上に成り立っていたあの太平の世は、信光と秀吉が作った餅なんだなあと、歴史が連続したものであることが分かりました。
家康はこの映画で秀吉のように策略を巡らせたり、武力を使うことはほとんどありません。本陣には影武者(似てないし、何人もいる)を置いて自分は隠れていたり、何かあれば服部半蔵(桐谷健太)に守られ、逃亡中は一般人みたいな格好をしたりする。
もしも家康のビジュアルが加瀬信長や、西島光秀、北野秀吉だったら、一般人の扮装なんかぜんぜん似合わなくて浮いちゃうと思うんですが、家康役の方は顔は知ってる、エンドロールで名前も見た、でも誰だっけ
……(すみません)という感じの、絶妙なキャスティングだと思いました。
家康に関してはマツ(柴田理恵)のシーンが面白かったです。映画に出てくる柴田理恵は最高ですね。『来る。』はめちゃくちゃ格好良かったし。
③三角関係のゆくえ
ここからまた光秀サイドに話を戻します。
プライドの高い正統派PH光秀と、魔王ぶった孤独な独裁者信長の性愛とパワーバランス渦巻くシーソーゲーム。そこに転がり込んでくるのが、謀反に失敗した村重こと恋愛脳おじさんでした。
本来なら光秀は村重を捕まえて信長に差し出すべきですが、そうしなかったのは
……なんでだろう。情もあったとは思うのですが、理由や辻褄を考えるなら、村重が寵愛①ルートで勝手に自爆して『終わった』、取るに足らない武将だったからなのかもしれません。
一族を粛清された村重は、光秀にとって脅威にはなりえない。
そして、光秀は捧げるよりも捧げられたい派であり、いつかは信長に代わって天下を取ることを目指している正統派PHのオスです。人間を切り殺すというコスパの悪い信ニーがやめられないあたりから、相当欲求不満であることも伺えます。そんな光秀にとって、信長から光秀に乗り換えて、かつて信長にしていたように縋ってくる村重は、オスとしての満足感を与えてくれる存在だったのかなと思います。
光秀が村重を匿って乳繰り合っている頃(仰向けになった光秀こと西島秀俊の二対の胸筋の膨らみは素晴らしかったです)、そうとは知らない信長は村重が見つからないことに苛立ちます。
信長に愛されているとはいえ、流石に村重を匿っていることがばれたらマズい光秀は「家康が怪しいです」と信長に嘘をつく。これは村重のアイデアで、光秀への疑いをそらし、今カレ光秀と同様に有力な武将である家康を元カレ信長に殺してもらおうという魂胆です。ヤンキー彼氏の後ろでイキってる女の発想ですよね(映画ではこういう女から死ぬ)
信長は光秀の話を信じて家康を殺そうとするのですが、うまくいきません。桐谷健太が守り抜いていますし、信長を光秀に討たせ、その光秀を謀反人として討ち取る時のために、その家康を抱きこむことで天下を狙う秀吉陣営も家康逃亡のサポートをしています。
失敗続きの暗殺計画に信長は苛立ち、信長とともに暗殺作戦を実行していた光秀は信長に殺されそうになります。命の危機を感じた光秀は咄嗟に、「お慕いしておりました」と信長に言います。信長は歓喜!熱い抱擁!
やっと内心を打ち明けた光秀は、命は助かったものの呆然としてる感じ。
光秀は、信長の性愛の要求に対して手に入らない存在で居続けることでパワーバランスを保っていました。ですが、とうとうカード「お慕いしております」を切ってしまい、信長の寵愛ルートが確定。そのルートの先が天下には続いていないことを、光秀は知っています。
つまり、男として信長に屈服してしまった光秀は、武将として天下を取る=信長を殺さなけば、オスとして屈服させられたままになってしまう。命は助かったものの、男としては死んでしまうという感じでしょうか。
信長と光秀は惹かれあっているにも関わらず、お互いが男であるが故に、結ばれることはないんです。お互いが男であるが故に、結ばれることはないんです!!
なんというBL!壁サーたけし!
そしてこのとき、並行して秀吉に信長の手紙を見せられていた光秀は、今まで第六天魔王と信じて仕えてきた信長が、バカ息子に跡目を譲ろうとするようなただの人であったことに失望します。(もし失望していなければ、カード「お慕いしております」の後の道は謀反一択ではなかったかもしれないので、秀吉・官兵衛の策略のタイミングは絶妙でしたね)
さて、自分を失望させた信長からの寵愛ルートが確定してしまった光秀は、村重の待つ自邸に戻ります。そしてそこで、天下取りに再び参戦することを目論む村重に「信長を討て」と言われます。光秀のホームである京都本能寺で開催されるお茶会に信長が参加するので、そのときにやっちまえと言うのです。
そのお茶会には家康も参加するとのことで、元カレ信長に家康を処分させようとしていた村重は、今カレ光秀に「まとめて殺しちゃえよ」「一緒に天下取ろうよ」と囁きます。村重のヤンキー彼女ムーブに、光秀は頷きます。
村重に武運を祈られ、本能寺へ出陣する光秀。
光秀に熱い視線を送る村重。
それに応える
……かと思いきや、村重を捕える光秀!
混乱する私!( ゚д゚)
そして光秀は「侍の絆よりも天下は重いんだ」と村重に言います。美しい男光秀の怪しい笑み。光秀と光秀の家臣に刀を突きつけられる村重。けれど光秀は刀を下ろしてしまい、村重は光秀の家臣に木の籠に押し込まれどこかへ連れていかれます。
ここで生じる疑問は、なぜ光秀は村重を捨てたのか?なぜ光秀は村重の首を刎ねなかったのか?の2点です。
ここまで感想を書いてきて頭が整理されてきて、ようやく( ゚д゚)から脱却してきたので、現時点の解釈を書いていきます。
なぜ光秀は村重を捨てたのか?については、光秀がこれまでの侍的な生き方、首取りと衆道の愛憎を重ねるドロドロした道から、決別したことを表しているのだと思います。光秀とそういう関係を作っていたのは、信長と光秀。三人のうちの一人である信長を討っても、恋愛脳村重が光秀に求めるのは、これまでの関係の継続になるはずです。
天下に一番近い男というこれまでの信長のポジションに光秀が収まって、村重は饅頭を食っていた頃と同じように恋愛脳のまま光秀の可愛がられポジションに収まる。村重は謀反に失敗した『終わった』武将のくせに、再び戦国首取り物語参戦を目論むような男です。そんな男を生かしておいて、かつての信長と村重の関係を再現してしまったら、村重は光秀からの扱いに不満を持ったときまた謀反を起こすかもしれません。信長に一族を皆殺しにされてるので、実際には謀反するだけの兵力はないんですが
……信用できないやつを身内に置いておくのは単純に嫌ですよね。乳繰り合ってるときに寝首掻かれちゃたまらないし。
あとこれはこじつけなんですが、侍以外を人とみなさず消費できる光秀なので、『終わった』武将である村重の命に関しても、現代人の私が思うほどの重さはないのかもしれません。
話がずれるんですが、命の重さに関して思い出したエピソードがあるので書きます。
光秀をつついたらなんか出るぞと思っていた秀吉は、忍を放ちます。忍は光秀邸に潜り込み、村重が生きて匿われていて、しかも光秀と乳繰り合っているところを目撃します。曲者に気付いた光秀は、その忍に追っ手を放ち、里にいた者も含めて全滅させます。で、この後の流れを忘れてしまったのですが、秀吉が忍を放ったのは自分であることを認めて光秀と会話するシーンがありました。
「(秀吉の忍なのに)殺しちゃってごめんね」と謝る光秀、「忍なんて使い捨てですから」と許す秀吉、「さばけてらっしゃる」と返す光秀。
この会話、現パロだったら作者は相当ヤバイ。でも首の舞台は戦国で登場人物は侍なので、成立してしまう。
そしてまた話がずれていくんですが
……光秀は、信長との関係性の変化や村重に焚きつけられたという動機もあったにせよ、秀吉にそそのかされて本能寺の変を起こします。
でも、優秀で生き馬の目を抜く戦国時代で上り詰めたPH光秀が、自分と同じように有力な武将であり、忍まで放ってくる秀吉をすんなり信じるのは変じゃないですか?
だけどそれこそが、侍である光秀の感覚なんだと思います。
百姓秀吉が自分と同じように天下を本気で狙っているとは思わない。信長が手紙で領地でも与えておけと秀吉を侮ったのと同じように、光秀も秀吉を脅威として認識していない。
秀吉が、そんなふうに周囲に侮られていること、そんな自分の存在の軽さを利用して策謀を巡らせたのだと分かるシーンがあったかどうかまでは思い出せません。というか、秀吉軍のブレーンは家臣の黒田官兵衛なので、もしそうだとしたら、秀吉は家臣にその悲しい事実を理解され、策を作用させる要素の一つとして利用されていたということになります。
そう思うと、②で秀吉・官兵衛・弟の秀長を仲良しトリオと書いたのですが、百姓としての秀吉は、官兵衛にも心を許せてなかったのかもしれません。私は侍か百姓かで言えば圧倒的に百姓側の人間なので、書いててちょっと辛くなってきました。秀吉
……
また、秀吉と官兵衛の間で、窮地に陥った官兵衛を秀吉は助けなかった、という過去エピを振り返る場面があります。官兵衛はおそらくそのせいで負傷した足を作中でずっと引き摺っています。鑑賞時はなんとも思わなかったのですが、百姓秀吉と、戦国時代の武将らしからぬクレバーさを持った官兵衛の関係性を思うと、意味深な描写ですよね。
官兵衛が浅野忠信なのも良いですよね
……ぜったいに何かありそうな男
……。
仲良しトリオのもう一人、弟・秀長は信長の手紙を読んで怒った兄・秀吉に対して、「猿って言われたからって怒るなよ~」みたいな反応だったので、百姓秀吉の悲しさを理解していません。兄が百姓なら弟も百姓だと思うので、なんでそういう感覚の差があるのかは分からないんですが。
そういう弟のアホさが、秀吉にとっては救いだったのか絶望だったのか、描写されてたかな
……もう一回見ないと分からないですね。秀吉が読めない字を秀長は読むことができるという設定も、何かを表しているのかもしれません。
話を戻します!!!!
なぜ光秀は村重の首を刎ねなかったのか?ですが
……これについては2つの解釈で迷ってます。
A
…侍・武将として終わった男である村重の首には、刎ねる=介錯してやるだけの価値がない。
舟の上のシーンは切腹と介錯を侍的な生き方として、蘭丸と弥助を介錯しようとした信長は実は型通りの優しさもあった人物として、それぞれ描いていると思います。そうすると、村重の首を刎ねないという選択は、侍ではなくなった村重に向ける光秀の冷徹さみたいなものを表しているとも受け取れます。
「侍の絆よりも天下は重いんだ」という言葉の通りです。村重こと恋愛脳おじさんにはそれが理解できないと思いますが
……なので私の推しは光村ではなく信光なんだよな
……
ですが、本当にそれだけなのかな?と思わせるような演出だったというか、
B
…光秀は村重の首が落ちるところを見たくなかった、という光村的な見方もあるんじゃないかなと思います。
木の籠に押し込まれた村重は、光秀の家臣たちにえっさほいさと運ばれて、籠ごと急斜面から落とされます。籠はその斜面を転がり落ちて行って、多分その中にいた村重は死んでしまったんだと思うんですが、この映画ってずっと、死をすごく直接的に描いてるんですよね。
冒頭から首なし死体の断面図が映されたり、首がポーンと刎ねられたり。首も流血も悲鳴もない村重の最期はなんかちょっと異様で、本当に死んだのかな?と思わせるような
……首・続編で半身機械になったダース・ムラシゲが出てきてもおかしくないというか
……史実を確認すれば村重の死ははっきりすることなので、意味のある描写ではないかもしれないんですが、そんな含みのある最期に見えました。
また、光秀側の心情として、村重を捨てたのは光秀がこれまで歩んできた道と決別したから、と先述したんですが、それって光秀の一方的な都合ですよね。村重をどんな気持ちで匿っていたかは分かりませんが、信長に差し出せば良いのにそうしなかったのは、光秀がそうしたくなかったからに他ならない。なのに、状況が変われば、村重もこっちもポカーンとしてしまうくらいあっさり村重を捨てる。
例えるなら、飼いたくて飼った子犬を「引っ越し先はペット不可だから
…ごめんね
…」っていう飼い主。それでいて「優しい人に拾われてね」みたいな。
正統派PH光秀っていうのは私から光秀へのチクチク言葉なんですが、光秀ってどこかそういうズルさというか、器の小ささというか、そりゃ秀吉に勝てないな、という部分がある人物のように思えます。そろりが「つまらん」って言ったのも、改めて納得できるというか。
光村推しの方々にとって、受け入れがたい結末であるA以外の余白として、若干のBも感じた、そんな村重の最期かと思います。
④本能寺の変
ここからようやく本能寺の変です。
これまでの生き方と村重に決別して本能寺に出陣、火を放ち信長と家康を討ち取ろうとする光秀。ですが、家康は秀吉の手引きですでに逃げています。信長は本能寺で死にましたが、その首は弥助が持ち去ったため見つかりません。
信長の首がなければ、自分が信長を討った正当な後継者だと主張できないので、光秀は血眼になって信長の首を探します。同時に、逃げた家康のことも始末しなければなりません。
光秀をけしかけ、あなたが天下を取りなさいとそそのかした秀吉。光秀からすれば脅威でもなんでもなかった百姓秀吉ですが、謀反人となった光秀を討つべく出陣してきます。信長の首はないわ、家康には逃げられるわ、秀吉と戦うことになるわで、もう光秀はさんざんです。
光秀と秀吉の戦力差は相当なものだったと劇中で言われていたのですが、元々そういう差があったのか、信長・家康への対応で光秀軍が手薄になっていたところを狙ったのかはよく分かりません。
秀吉は水攻めで攻め落とそうとしていた敵に、切腹するなら降伏を許すと言って戦いを急遽終結させていた(前述した舟エピのことです)ので、後者のような気もします。秀吉が城主の切腹を見届けずに帰っちゃったのを飽きた、と書いたのですが、光秀討伐の機を逃さないように急いでいたという理由もあったのかな。
秀吉軍から敗走する光秀。影武者を立てたり扮装して逃げた家康とは違い、光秀は総大将スタイルのまま、「殿、ここは私が食い止めます!!」みたいな忠義ある家臣を少しずつ減らしながら逃げていきます。そうして森に逃げ込んだのですが、家臣を失い、自分も(うろ覚えですが)怪我か何かでもうダメそうな感じ。
そこに、茂助という秀吉軍に所属する男が現れます。
この感想を書くにあたって、茂助はどういう男なのか?ということを考えました。おそらく史実上は確認できない映画オリジナルの人物なんじゃないかな(違ったらすみません)。そんな茂助はこの映画において、秀吉になれなかった存在として描かれているのではないかと思います。
光秀の前に現れた茂助は「俺の首がほしいのか」と聞かれ、「俺は侍になりたいんだ」と返します。すると光秀は自分の刀で自分の首を切り、茂助は光秀という敵の大将首を手に入れて喜ぶ。けれどすぐに周りにいた民間人?百姓?に襲われて、茂助自身の首も取られて死亡
……。
茂助は、百姓から侍に成り上がった秀吉に憧れを持ち、秀吉軍に加入した男です。加入に際して、敵の大将首という手柄を奪うために親友を殺した茂助。なんやかんやで秀吉にも認知され、鯉のぼりみたいなものを背負って戦場を駆け回るという謎の働きを命じられたりして、大切にはされてないけど可愛がられているようなポジション。光秀のような正当派ルートではないですが、草履を温めて猿と呼ばれながら出世した秀吉のように、侍大将への道を歩んでいたと言えます。ですが、念願の手柄=敵の大将首を取ったとたんに、道半ばで殺されてしまう。
茂助は秀吉との比較として、百姓から成り上がろうとして侍大将になれた者/なれなかった者、という描かれ方をしていると思います。ではその二者の結末の違いを何が生み出したのかというと、侍になったか、百姓のままだったかではないのかなと思います。
どれだけ武将としての功績をあげたとしても侍にはなれず、百姓のままであったことは秀吉の人生の悲哀です。ですが、侍としてこの首取りゲームのプレーヤーになれなかった(プレーヤーだと思ってもらえなかった)ことが、秀吉がこの戦国時代を生き抜くことができた理由でもあります。
百姓だった茂助は侍になりたくて、親友を殺してまで首を得て成り上がろうとする。そうやって首を使ったゲームに参戦していきました。だけどそのゲームのプレイヤーである「侍」になってしまったので、自分の首を狙われ、奪われてしまうという。
ラストシーンでは、光秀が死んだことを確認するために秀吉が首を検分していきます。あれも違う、これも違う
……とどんどん運ばれてくる侍たちの首、そして光秀と茂助の首が秀吉の前に持ってこられるのですが、茂助を襲った百姓たちの争いに巻き込まれたのか?光秀の首はボロボロで誰のものか分からないほどです。
また、秀吉のもとに光秀と茂助の首があるということは、茂助を襲った百姓たちはほどなくして秀吉軍とかち合って戦いになり、殺されたということでしょう。それはこの首取りゲームの目まぐるしさと、首自体や、首を取ろうとすることの虚しさを示しているのではないかと思いました。
茂助の首とともに並べられた光秀の首。光秀の死亡を確かめるため首を探している秀吉は「首なんてどうだっていいんだよ!」と言い放って、誰のものか分からなくなった秀吉の首を蹴っ飛ばして、映画は終わり。
首をめぐって戦う男たち、その虚しさ、首が象徴するもの、それを秀吉が、北野武が、監督自身が蹴っ飛ばすという
……『首』というタイトルの映画にふさわしい、最高のラストじゃないでしょうか。
北野武はブガッティのヴェイロンに乗っているような男で、VTRの合間にちょこちょこ喋る1本の仕事で私の年収くらい稼いでて(妄想です)、映画で世界的な地位を築いたという、まさに現代の天下人です。私は偉いおじさんが嫌いなので、そんな北野武にケッと思います。そんな高いところから言う「どうだっていい」は乱暴で狭量ではないかと思います。
なのに、この映画に漂う北野武の視点の冷たさや虚無感、それがつくる軽やかさはほんとうに心地良かった。だから、もしかしたら武はまだ、浅草キッドのままなのかもしれないな~などと思ってしまうのでした。
おわり。