清春
2025-11-18 17:17:51
12119文字
Public ORcinus
 

ORcinus

復讐と後悔

黒と白

「なぁ」
 低く、冷えた声だった。
 昼下がりにしてはやけに冷たく、暗い音が路地裏の闇に溶けていく。
 高い位置でひとつに結ぶ黒髪、厚めの前髪の隙間からは見蕩れるほど整った顔立ちがあった。しかし、その顔は不快感をあらわにしている。
 鋭い目つきで人を殺してしまいそうな危うさがあり、現に彼女の目の前にいる男はみっともなく怯えていた。
 黒い服を纏い、そのショートパンツから伸びるしなやかな足の一部を守るブーツの踵を鳴らして歩む。
「ひっ、ぃ……ゆ、許してくれ」
 震えた声の男は奥歯をかちかちと鳴らしていた。地面に落としたナイフの柄を必死に探り寄せようとする手が見えるが、見当外れのとこばかり手を置いていた。
 黒い女は、男の無駄な足掻きを諦めない姿に一瞥くれただけで、ナイフを蹴っ飛ばした。勢いのあまり壁に突き刺さってしまい、それを見た男は浅く息を吸い込んだ。
「あたしのこと知ってて、喧嘩を売ったんだろ」
 男が向け、振り下ろしたナイフよりも鋭利な視線を向けられ、萎縮した男は歯をかち鳴らし、恐怖のあまり体の震えが止まらずにいた。
 黒い女は無様な姿を見て嘆息する。
「なら、こうなることくらいわかっただろ」
「ッが……!」
 髪を引きちぎる勢いで頭を掴み、顔を近づけた。年は三十代かそこらの男だとわかり、おかまいなしに掴んだ髪の毛がぶちぶちと頭皮から離れていく。
「オルカ……ッ!」
 名を口にした次の瞬間、男の醜く歪んだ顔がさらに歪む。
 黒い女──オルカが躊躇無く、腹に拳をめり込ませたためだった。
「人攫い」
「ガッ、あ」
「薬物」
「ゴホッ」
 言葉を放つ度、男の腹部めがけて拳がめり込む。そして腹から離してまた深い一撃を繰り出す――これを繰り返していれば、唾液を吐き出して咳きこんで前へ軽く項垂れた。
「強姦もだったか」
「あがっ」
 オルカは小耳に挟んだ事柄を並べきり、頭蓋骨を掴んで持ち上げた。無理やり持ち上げた顔がはっきり見えるようになると同時に、抵抗しようとする喧しい呻き声に顔を顰めて、そのまま厄介払いをするべく地面へ放り投げた。
 黒い髪を一つにまとめて束にした部分が翻るように揺れ、オルカは歩み寄って見下ろす。 
「ぐ……うぅ……
「で、今あたしに……あー、まぁ、いいわ。めんどくさいし」
 ナイフ事について言及しようとしたが、所詮傷一つつけることもできなかった。それも含めて、地面に転がっている男の姿は無様なものだ。
 オルカは興味をなくし、さっさとこの場を立ち去ろうとした。
 もとより売られた喧嘩を買うためだ。これ以上この男との一方的な対話も、何も必要性がない。
 背を向けて歩き始めた瞬間だった。
……地獄に、落ちろ……
 地べたに這いつくばって呻き声を上げながら、ぼやいた男の言葉を耳にした。
……地獄、ね」
 くるりと方向を転換して、オルカは男の元まで歩き、足元に転がったままのたうち回る男を見下ろす。男の目はどす黒く、恨みが濁っていた。
「お互い様だろ」
 眉目秀麗と言うに値する綺麗に整ったパーツをぴくりとも動かさず、抑揚の少ない声音も合わさり無機質だった。
 だが、躊躇無く蹴り飛ばす行為だけは感情の荒々しさが乗っていた。路地の壁へ盛大に当たり、男は瀕死の虫のようにビクビクと筋肉がかろうじて動く。
「ははっ、神のご加護があらんことを……なんてな」
 薄く貼り付けたような笑みを浮かべたオルカはそのまま踵を返した。
 数歩も歩けば男の顔はすっかり忘れ、今日の晩の飯について考えているほど、なんてこともない一日の一幕として終わった。

 ――――西領の西部に位置する、ディオマーレ市街地にて。
 ここら一帯、犯罪件数が極端に多いことで有名だ。しかし、ここで生きるオルカは特に困ったことがない。
 生活をするようになり、悪評が広がるようになって数ヶ月。彼女を恐れない者は街に来たばかりか、蛮勇そのものしかいないのだ。そして、その蛮勇は呆気なく地面に転がらされることが関の山である。
「いち、にー、さん、しー……チッ、しけてんな」
 殴った際、男の懐からくすねた財布に入っていた札を数え、オルカは舌打ちした。汚いことで得た金であろうに、大した金額ではなく腹を立てる。
 掃除をして得た金はさっさと真っ当なことに使うべきだと、真っ先に自身の腹を満たす食費へと回したが、失敗だったか。そんなことを考えつつサンドイッチを平らげ、ズボンのポケットへ残りの金をくしゃり、しまいこむ。
 歩いていれば、たまたま孤児院へと到着した。
 そして、たまたま余った金は使い道がない。ほんの気まぐれで、寄付を募集している旨のポスターが貼られている孤児院のポストへ、金を突っ込んだ。
「ちょっとあなた! 何をしてるの!」
 そして、たまたま外にいたシスターにバレて、オルカは走って逃げる。シスターが怒り散らした後、ポストの中身をおそるおそる確認した姿をこっそり見届けてから、この場を立ち去った。
 気まぐれに、自由気まま。オルカはやりたいことをして生きているため、全ては自分のための行動だ。そこに他意はなく、適当とも言えるのらりくらりしている。
 移動した先はオルカが拠点にしている場所。喧騒から外れた場所に位置しており、今は誰も使っていない廃墟をそのまま活用していた。どこかの会社の管理下にはあるだろうと踏んでいるが、オルカがいるという情報を知っているのか、調査が入ったことは今までにない。
「さすがにそろそろ移動すっかな……
 ジャーキーを噛んで旨味を堪能しつつ、隣町の地図を眺め、オルカがぼやく。
 パン屋で買ったフォカッチャ、余り物の保存食であるジャーキーという簡素な夕食を終え、オルカは木の椅子に腰かけて腕を組んだ。これがいつもの寝る体勢だ。
(できれば今度は、もっと南の方がいい。東の方に行くのも、いいだろうけど)
 行先はいつだって不透明で、何処吹く風の放浪を続けている。オルカは目的地を探しているが、寄り道が多いのだ。
 不意に、服の腕に切込みが入っていたことに気がつく。男のナイフが当たったのだろう。しかし、肌に傷は一切ない。
 本気で殺しに来ればまだ何かあっただろうに、と。オルカはぼんやり考えて目を閉じた。

 ──夜の帳が下りた頃。眠りの浅いオルカは些細な音でも目を覚ますほど不意の音に敏感だ。
 目を開けたオルカは扉を見つめた。音と言っても、微かな足音が外から届いただけで、確信に至ったのは――直後、ドアのノックが控えめに響いたためだ。
「こんばんは」
 女の声が聞こえてくる。透明感のある、綺麗な声だった。
「夜分遅くに申し訳ございません」
 申し訳なさそうな声音。オルカは外していた小型ナイフケースがついたベルトを腰に回した。
 時刻は深夜一時、こんな夜遅くに訪問する人間がまともだとは到底思えない。落ち着いた声音は異質さをより増幅させていた。
「誰だ」
 低く呻るような声を出して威嚇する。しかし、ドアの向こう側にいる女は臆することも、怯えることもない。
「貴女は〝オルカ〟でお間違いないですか?」
 変化は無いが、核心を突く言葉を容赦なく突きつける。
「だったらなんだ」
……そうなのですね」
 とぼける必要もなく、ロクな人間じゃないとわかっているだけあって妙な勘ぐりは必要ない。
 オルカは指の骨を軽く鳴らし、準備を整える。いつだって急所を狙える、その気概でいた。
「やっと……会えました」
 感激に染みた綺麗な音は、美しい旋律を奏でる楽器のようだ。人によっては聞き惚れるに違いない。
 しかし、オルカは腰を深く落として身構えるに等しいと判断した。
――では、死んでください」
 予想はすぐに的中する。
 バキッと、太い木の板が豪快に割れる音がした。それが扉で、勢いよくオルカに向かって吹っ飛んできたことを考えれば、扉の向こう側にいた女が飛ばしたことは想像に容易い。隙間からノコギリのような刃物も飛んできたが、それはヒュンヒュンと音を立ててオルカの横を通り過ぎて壁に突き刺さる。
「っぶな……
 口ではそう呟くも、最低限の動きで交わしたオルカは前に垂れてきた髪の毛をさっと、背中の方へ手で払う。目は埃が舞う前を捉え、次の動きを見ていた。
 現れたのは、オルカと似た黒づくめの女。フリルのブラウスに、膝下まであるフレアスカート姿だが、全身が黒いため喪に服しているようだった。年は二十歳辺りと思われるが、少女のようなあどけなさが残った雰囲気もある。
 外ハネ気味で癖のある白髪は腰まで伸びており、その隙間を縫うように三つ編みが二房垂れていた。そして到底常人には見えぬ覚悟の決まった目は片目を眼帯で閉じ込められ、暗闇でも鈍色に輝く。
「あら、避けるのがお上手ですわね?」
 ニコリと笑ってスカートの裾をはたく白髪の女だが、その笑みは妖しい。夜空にぼんやり浮かぶ月のような美しさと、闇中の正体不明な光源の不気味さがある。
「逃げなければすぐ終わりでしたのよ」
「突然刃物振り回してるやべー女がいたら逃げるに決まってんだろ」
「まあ、素手がお好みで? むしろ私はそちらの方が好都合ですが」
「話通じねーな、この野蛮刃物女」
 嫌気がさした表情を浮かべるオルカは相手の動向を伺いつつ距離を取り続けた。
「野蛮とは失礼ですわね」
「その口調もなんだ。どこかのお嬢様って?」
……ええ。そう、ですわね」
 女の瞳は光を失った。望んでいた答えではないことに対する失望、という色が出ている。
(ンな目したって、いちいち覚えてるワケねーだろ)
 奥歯を噛み締めていると、白髪女が間髪入れず拳を叩き込んできたが、オルカは無駄な動きをせず交わす。隙のない、いいストレートだ。少なくとも、いかにもな深窓の令嬢が振るう拳ではない。
 拳を交わされたことに小さく舌打ちをした女は、すぐにニコリと微笑む。
「私のことはスクアーロとお呼びくださいませ」
「呼ばねーよ」
「野蛮な呼び方は不本意ですので」
「あっそ」
 スクアーロ、と名乗るが、おそらく本名ではない。オルカの直感がそう警鐘を鳴らしている。
 しかし、本名を聞いたところで、わからないだろう。オルカは全てを把握しているわけではない。
 過ぎたことを覚える気もない性分がここで悪い方向に向かっている。
 ここでは狭すぎると判断して、オルカは足裏に思いっきり力を込めて走り出した。広いところに出て、体勢を整え直すことが必要だった。
「逃げないでくださいまし!」
 しかし、それについてこれる瞬発力が相手にもあった。お嬢様とはなんなのか。ピアノやダンスといった室内で行われる行儀のいいお稽古以外もやっているのか。今一度、お嬢様の定義が知りたい気持ちが少しだけオルカの中で生まれた。
 街中をうねるように走り、撒けるようにフェイントもかけた。だが、それに騙されることがない。
「くそッ、なんなんだアイツ」
 体力(スタミナ)に自信があり、脚の速さも自負していたオルカに問題なくついてくるスクアーロが厄介だった。
 ここまで鬱陶しく、ついてきたのは〝マレブランケ〟の〝アイツ〟以来だと、オルカの脳裏にひとりの姿が思い浮かんだ。
 しかし、そんな余裕も続かない。一撃で沈めることを決意し、人通りが皆無の路地に入った瞬間体を急転換して、スクアーロ目掛けて拳を振り下ろした。
 見事的中(クリーンヒット)――――と、言いたいところだが、しっかり腕で受身を取られている。いつもなら、男だろうと腕をへし折る強さで殴ったはずだが、息切れのひとつもないスクアーロはぱっぱと腕を下で振り下ろし平然としている。
 予想外の頑丈(タフ)さには舌を巻いた。同時に、舌打ちもした。
「クソ女が……
「まあ汚い言葉。でもその言葉あえてそっくりそのままお返ししますわね」
 ニコッと微笑み、コツコツと靴音を鳴らして近寄り、オルカが一度瞬きをした合間に、スクアーロは消えた。
「ッ……!」
 刹那、肌の裂ける、懐かしい感覚。
 切り刻まれた腕からは赤黒い血が溢れる。服は黒いが、赤い血が染みて色が濃くなった。
「あら。その反応を見るに、傷つくのは初めてでしたか?」
 そんなわけがない。と、オルカは口から出かけたが黙りこくった。余計なことを言う必要はないからだ。
 上品に微笑むスクアーロは優雅にお辞儀をした。まるでダンスを踊る直前のご令嬢で、オルカは苦虫を噛み潰したような顔で見つめる。
(このイカレ女、隙がねえ)
 取り押さえ、さっさと足の骨を折るなりすればすぐ逃げられる。だが、オルカの本能はスクアーロに触れてはいけないと警鐘を鳴らしている。その理由はわからない。
 ゆったりと、小さなくちをスクアーロは開いた。
「オルカ。私のこと、覚えてますか?」
……こんなイカレ女なら覚えてるはずなんだけどねぇ、生憎全く記憶にねーな。なんだ、イメチェンか?」
「あら、ひどいですわ」
 意味のわからない問いには、余計な思考をしなくていい。軽口を叩ける余裕があるだけ、まだやれる。オルカは自ら鼓舞して、目の前に集中していた。
 ここで殺られるわけにはいかないのだ。なぜなら、オルカにはやるべきことがある。
「あの惨状は覚えるに値しない、ってことですか」
 その時だった。短く、耳に届くかどうかも危ういくらい小さく呟く声が聞こえたのは。
 オルカの片眉が上がったが、それも束の間。
「じゃあ、殺します」
 微笑んだ顔だが、スクアーロの目は黒く澱んでいた。
「オルカ、人の体をバラバラにしておいて、よく忘れていられますね」
 スクアーロのドスの効いた声を耳にして、オルカは目を見開く。
 ひとつの可能性があったことを思い出したのだ。
「お前、まさか……
 頭を過ぎるのは、オルカ自身の目的。
 だが、その予感は実感に変わらず、腹に強い衝撃を受けた。口からは血が混じった胃液が吐き出される。
 脳天を揺さぶられる衝撃で意識を保てなくなり、目が霞む。
 薄れゆく意識の中、どくどくと血が流れて黒い服がさっきと比にならないほどオルカ自らの血で染まる様子は、滑稽で笑えた。
(あー、死ぬのか。あたし)
 瞼が重い。呼吸が浅くなる。
 意志とは裏腹に、指先が上手く動かなくなってきた。
 死。恐らくこれが、死に対する恐怖。
(いや、ダメだ……あたしは死ねない……死んでも死なない。まずあのクソ女をぶっ飛ばして…………いと――――
 ――来たる運命を拒絶しようとした、次の瞬間だ。
 薄れていたはずのオルカの意識が明瞭となり、辺り一面が空と海の水平線上にいる世界へ切り替わる。
 空の青さを反射する水面の上に立ったまま呆然とした。
……ここ、まさか」
 オルカはここを知っていた。
 この水平線のような空間は自分のいた元の世界と違う所であること。
 ――――昔、一度来たことのある〝異界〟であり、二度も来るような所ではないということを。
……おい、いるんだろ」
 静かに声を放つ。
 いることはわかっている。じっと立ち止まって、辺りを目で追った。
 瞬間、光の粉が一箇所に集まり始める。それは徐々にヒトの形を取り始め、ものの数秒で長髪の、男とも女ともつかない誰かへと変化した。前髪までも長いため顔の造形はよく見えないが、髪の毛の隙間から見え隠れする鼻筋や、唇の形は整っていた。
『久しぶり』
 口の部分は動くものの、発声器官から出た音ではない。直接脳に語りかけられて、反響したように頭が一瞬痛む。
「挨拶しに来たわけじゃないだろ」
 強気な口振りに気分を悪くする様子もなく、高くも低くもない中性的な音はくつくつと笑った。
『そうだね。ふふ、また出会えるとはね』
「あたしは会いたくなかった」
『せっかく強い肉体を与えたのに、どうしたのかな』
 可笑しそうに薄ら笑い続けるのは――――〝生死の神〟と呼ばれる存在だ。
 至る所にある教会に置いてある神典を読まずとも、ディオマーレに生まれ育った者なら誰でも知っている神の一柱だ。
 オルカは一度死にかけている。家の事情だった。
 そしてその事情から、オルカはならず者としてあちこちに出没しては、巷で話題の悪漢共にも負けず劣らずの悪評を立て、なんなら強さはオルカの圧勝の武勇伝を作り続けている。
「どうせあの、スクアーロとか言うイカレ女もお前の仕業だろ」
『おや、わかっちゃうか』
 何もかも見透かされてるね。と、生死の神は悠々と顎に指を当てて笑う。
 この異界は、どういう理屈かわからないが生死をさまよったか、死んだ魂を呼び寄せる。全員が全員そうなのか、神の気まぐれなのか定かではないが――少なくともオルカは、この異界に呼ばれることは好都合だ。
 なんせ、問い掛け次第でまたやり直せる。そういう異界なのだから。
『それで……オルカ』
「あ?」 
『どうする。もう諦めて死ぬ? それとも、戻りたい?』
「戻るに決まってる」
『じゃあ、オルカにとっての害を排除すればいい?』
「違う」
……どうして?』
 思っていた答えと違ったのだろう。生死の神はとぼけた様な声を上げた。
「あいつはあの子のことを知ってるから、聞き出す必要がある。つーか、あたしがあいつを殺す」
『ふうん。じゃあ、呼んだ意味ないか』
「当たり前だ。さっさと戻せ」
 やはり、わかっていて異界に呼んでいた。オルカは確信すると更に視線が鋭くなった。
 強靭な肉体を得たオルカは死の感覚までなくなったわけではないが、限りなく死から遠い存在となっているはずだ。
 確かに常人であれば失血死する可能性はあったが、呼ばれる意味がわからない。それをオルカ自身どころか生死の神自身が理解しているはずで、ならば呼んだ理由はただの気まぐれでしかない。
『そんなに〝――――〟のことが大事?』
 生死の神の声は霞がかる。しかし、内容は把握出来ているため、オルカは眉根を寄せて睨みつけた。
「当たり前だ。だから、まだ死ねない」
 迷いのない、真っ直ぐした黒い目。
 闇夜に光る月のような輝きを放つオルカの目には圧倒する力があった。
 生死の神はその瞳を長く伸びた前髪の隙間から見つめ返した――そんな気がオルカには感じられた。
 不意に、神の姿がしゅるりと光の粉に戻って消えて、またオルカの目の前に姿を現す。前髪を持ち上げられて、額をつつかれて、咄嗟に距離を取る。
「なにすんだボケ」
『もうくるんじゃないよっていうおまじないだけね』
……二度と来るか。つか、二度と呼ぶな」
『はいはい』
 生死の神はわざとらしく肩をすくめる。そして、すかさず片手をオルカの目の前に突き出した。
 突如として、光の粉が舞う。それは白浜のような、はたまたスパンコールのような――目を引く輝きでありつつも、控えめさを保つそれはオルカの体を覆うようにしてつむじ風を作る。
『さよなら、────』
 帰り際、生死の神から何か言われた気がした。しかし、量を増していく光の粉に包まれ、視界どころか音すらも奪う。オルカの耳には何も届かない。
 それはオルカの〝本当の名前〟だった気がしなくもないが、そんなことはどうだってよかった。


 意識がだんだんと、はっきりくっきりしたものになる。体の重みが伝わってくる。
 これは元の世界に戻ってきた合図だ。
 目を開き、体を起こす。服は破けたままだが体の傷は塞がり綺麗な状態だった。
 すぐさまスクアーロの姿を探そうとし、やめた。目の前で倒れていたからだ。 
 立って歩いて近づき、横たわり気絶している様子を見下ろす。靴の先で腕を突くが、なんの反応もない。
 古びた小屋はもうボロボロで、住んでいられない。ただでさえ不法侵入していた、誰かの管理課に置かれている小屋だ。オルカは居場所を追われるだろう。
「まずは……場所、移すか」
 ため息混じりに、オルカは横たわるスクアーロを担いで小屋を出た。