ほしのねい
2025-11-04 21:31:31
4785文字
Public 海財
 

【海財+モブ】かみのまにまに

海棠せんぱい、モブを沸かす。

※モブ視点
財津の幼馴染くんの話と同軸(未読でも大丈夫です)





「??? っえ??」

月締めの作業を終え、死んだように寝落ちしたのまでは覚えている。久々の土曜休みだ、昼まで寝てしまおうと思っていたのに。
ラインの通知が、えぐいことになっている。
判を押したように『生きてる?』と、生存確認の文字が並んでいた。これはたぶん、最上の『彼』のことだろう。

…………は?」

十年以上見守ってきた、わたしの推し。
――陸上界の至宝、財津くん。
絶対王者と呼ばれていた彼が、この夏、世間をにぎわせたのは記憶に新しい。
それは突然の引退宣言だった。
この時のラインの通知欄もなかなかのものだったが、今日もその比じゃない。

――海棠せんぱい?」

スマホの画面越し、昨晩のトレンドは『海棠さん』『海棠先輩』『海棠P』
それに加えて『大感謝』だの『やったな』が紛れている。
もうなんか、それだけでいろいろ察してしまった。

良い知らせだ、これは。





――わたしはかつて、陸上を憎んでいた。
嫌いどころではない。憎かった。

財津くんのことを知ったのは、彼がもっと小さなころだ。
陸上のかみさまに、奪われるよりもまえ。

わたしぐらいの年代で、幼少期に本格的にピアノをやってきた者なら知っているだろう。
あの小さなピアニストのことを。

わたしにも、自分のことを天才だと思っていた時期があった。
まわりもそう言っていた。だからわたしはピアノとともに生きてゆくのだと信じていた。

忘れもしない。
都内で真夏に開催された、ピアノコンペティション。
演奏順は、わたしの三つまえ。

――知らない子だった。

どこのコンクール会場でも、見たことのない顔だ。
教室名だけは聞いたことがある。
たしか先生が桐朋学園出身で、息子もそこそこ上手だった。

やわらかそうな黒髪があごのラインでゆれている。
小作りな顎に、薄いくちびる。あんまり瞬きしないせいで、人形みたいだと思った。
黒いサスペンダー姿でなければ、女の子だと思ったかもしれない。
まるくて小さな膝は、この年頃の男の子には珍しく、傷一つない。
まえの子がミスってしまい、会場は嫌な空気が流れていた。
この子も失敗するかもしれない。――そんな思いがよぎったのは一瞬だけだった。

しろい、ちいさな手だった。
気づけば息をつめていた。

どうしたらそんなにも蠱惑的な音が、つむげるのだろう。
どうしたらこんなにも心を乱す、音を。

(むり、だ――……っ)

もう二度と、じぶんは鍵盤の上に指を乗せることがないと思った。
知ってしまった。刻まれてしまった。
耳に、脳に、心臓に――
この音以外、なんの価値があるのだろう? と。

母は残念がっていたが、『ピアノを嫌いになりたくない』と言う私のことを尊重してくれた。
コンクールには妹が出ていたので、ちょくちょく顔を合わせることはあったが、それだけだ。
耳がいいのか。財津くんはわたしの演奏を覚えていたらしく、辞めたのだと言ったら少し目を見開いていた。
正直うれしかった。それだけで、報われた気がした。

絶対にあの音は、世界に出る。世界に愛される。
音楽のかみさまが、見逃すはずがない。

――財津くん)

音楽の神さまに愛された子だと思った。思っていたはずだった。
……陸上に、彼を奪われてしまうまで。

わたしは信じていなかった。
ばかげてる。あの音を世界から奪うのか? って。
本気で思った。きっとすぐ戻ってくる。すぐ『正しい』方へ戻ってくるはずだって。
そう信じていたのだ。

――財津くんは、高校一年生になっていた。

進学したのは全国でも名の通った強豪校だ。
噂では、初出場の一年生が、そこそこ上位に食い込むんじゃないか? なんて言われていた。財津くんのことだ。
インターハイの決勝はネット配信されており、ちいさなスマホの中で財津くんは色のない顔でたたずんでいた。
身長こそ伸びていたが、あまり雰囲気は変わっていない。
周りは年上ばかりで、財津くんの華奢さが際立ってしまってる。

ほら見ろ。ぜんぜん似合ってない。

悔しまぎれの意地の悪いセリフが、あたまをめぐる。
あんなひとたちの中で、財津くんが生き残れるわけない。
すぐに気づく。ここは自分の居場所じゃないって。
諦め悪く、そんなことを本気で思っていた。

結果は、まったく違うものだった。

いちばんの証――金色のメダルを手にしたのは、
優勝確実だと言われていた高校随一の天才スプリンターでもなく、
まして他の強豪校の先輩達でもない。

財津くんだった。

スタートラインに並んでいたときは、色のない顔をしていたのに。
会場入りまえの動画では、右手のひじをぎゅっと掴んでいた。財津くんが緊張しているときのクセだ。
まだまるみを残すからだの線も、心もとない。いっそ可哀そうなくらいだ。――だけど。

スタートの合図とともに、選手たちが駆け出した瞬間、
それは一切、なりをひそめてしまった。

ちがうイキモノだ。

なぜかは分からない。
横並びから頭ひとつ抜きでた財津くんは、いっしゅんだけ泣きそうだと思った。
すぐ後ろ、息遣いすら聞こえてきそうな距離に、例の優勝候補の選手が迫っていた。

財津くんのまろい頬が、ぎゅっと引き締まる。
くろい瞳の表面が、ゆれる。
切実な目だ。見てるこっちが苦しくなる。胸がいたい。

言葉でうまく説明できない。スマホを握る指がふるえる。
ほんとうは、分かっていた。陸上に彼を奪われたんじゃない。

――彼が、百メートルを選んだのだ。

ああ、じぶんはそれを認めたくなくて、本当に嫌だったんだと気づく。
ゴールの向こうで、まろい頬をきれいな赤にそめた、知らない財津くんがいる。

それはわたしが知っている中でいちばん、うつくしい光景だった。





……あれから十五年、だもんなぁ」

まさかあれからずっと、あの光景を見るために陸上競技上に通い詰めるとは思ってもみなかったし、
まさかあれからずっと、海棠先輩のお世話になるとは夢にも思わなかった……いや、少し嘘だ。

『タオルのメーカー、いつもと違うね、願掛け?』

そう。あれは目ざとい記者が、少しでも……っと他の話題をふったときだ。
財津くんは、ほんのすこし戸惑っていたが、ゆっくりと顔をあげて言ったのだ。どこか誇らしげに。

……海棠せんぱいが、貸してくれました」

かいどうせんぱい。
かいどう先輩???

部内でも浮いていて、さん付けはしても『先輩』などと呼ぶものはいない。
あの財津くんが?
当時の衝撃はなかなかで、いまだに海棠選手のことを財津くん古参勢は『海棠せんぱい』と呼んでしまう。
何なら我々の間で『先輩』といったら『海棠さん』だ。

そんなわけで、海棠先輩はちょくちょく私たちと財津くんの話題に顔を出す。
世界陸上後、クサシノ勢がバライティ系のスポーツ番組に出た際も、

『財津選手も誘ってくださいよ~日本一ですよ?』
『いやいや、ここでも一位取られちゃ、面目ないですもんね』

などと、台本なのだろうが進行役の芸人に弄られ、なかなか本気の声で、

――アイツは、そういうんじゃねぇからなぁ』

と、ぶった切ってくれていた。
解釈ド一致である。

お茶の間をめちゃくちゃに荒らす財津くんが見たくないか? と聞かれたら見たいに決まっているが、解釈違いだ。
こんな場所で笑いに消化されるような、イキモノじゃない。
これは確信なのだが、海棠先輩がそう言っている限り、この手の番組から守られていると思う。ほんとうに感謝である。
あの衝撃の引退後、このまま行方が分からなくなっちゃうんじゃ……と我々が不安に苛まれていた時だって、

『教えてもらったパーラー。二種類の桃を使った季節のパフェだそうです』

それは唐突に。
スタッフしか更新してないんじゃ? と思われていた公式インスタに、つややかな桃のパフェが投稿されたときは、五度見した。
『何を食べたか、のせるだけでも喜ばれると言われました』と。
だれに、などと書かれていなくとも分かる。
海棠先輩、ほんとうにありがとうございます……
あわいピンクの桃のパフェとともに、ちっちゃなピースしてる財津くんをこの世に出力してくださって。
クサシノに向けて謝辞がしたい。
そんなわけで、今朝もまた何かご提供されたんだなぁ……ぐらいにしか思っていなかったのだ。

……は? っえ、なに」

写真はどこかのカフェだと思う。ずっしりしたパンケーキと落ち着いた、飴色のテーブルだ。品がいい。
引退後、いままで口にしなかっただろう甘いものを食べている姿に、にっこりしてしまう。
問題は財津くんの着ているものだ。
財津くんは基本、普段は契約しているメーカーのものを着用しており、それ以外はなかなか無頓着なところがある。

……ボッテガのセットアップ?」

今期のボッテガ・ヴェネタ展示会で見た。
「ペールメレンゲ」と名付けられた、淡いホワイトデニムのセットアップだ。
やわらかな白が、引退後やわっこい笑みを見せるようになった財津くんに、よく似合っている。

「~~~っいやいや、ユニクロ500円Tシャツだったでしょうがッ!」

先日まで『これはセリーヌです』みたいな顔で、ユニクロの500円Tを着ていた、財津くんが?
いや、めちゃくちゃ似合ってますけど。
なんだろう、この『わかってる』コーディネイトは。先輩じゃんこれもう確実に。ノンブレスで思う。

「まって、まって……っ」

しかしかわいい。きれい。うろたえる。
生きてる? ってラインがきても、おかしくはない。

ちらっと覗いた左手……細めの黒のブレスレットが、選手しては華奢な手首を飾っている。
明らかにハイブラだ。でも嫌味じゃない。
艶やかな黒髪が肩をなでる、妖艶といっていい現在の財津くんに、それはそれは馴染んでしまっていた。

(財津くん、たのしそう)

――白と黒の鍵盤から手をはなしても。
――白と黒のユニフォームを脱いでしまっても。

財津くんが辞めるまえ。
あの数年は、財津くんの初めてのインターハイに似ていた。

あたまひとつ、ひとりだけ抜け出して。世界でいちばんつまらない顔をしていた。
先頭に立ちながら、まるでおいてけぼりにされたような、泣き出してしまいそうな顔で。

でもそれはすぐに、ぶち壊された。

じぶんの背後の息遣いに、まろい頬にあかい色がのる。
ひとみに光がやどる。
あの時といっしょだと思った。

……海棠せんぱい」

こんなのは、
勝手にしあわせを願う、ただの一般人のたわごとだ。
それでも心から思う。

百メートルを選んだあの子を、
ただただ、走ることがすきなあの子を、
ひとりにしないでくれて、ありがとう……と。





ちなみにこれは、
幸せでしかない後日談なのだけれど。

――海棠さん、最近、元王者のコーディネイターやってるって本当ですか?」
「あー……財津なぁ、あいつ、色々もったいなくてなぁ」
「財津さん、綺麗系ですもんね~連れまわすの楽しそう」

雑誌撮影中の、他愛のない雑談だ。
どうも最近この手のことをよく聞かれる。
そのたび、海棠は思うのだ。

――綺麗”系”じゃねぇだろ」
「え?」

「きれいだろ、あいつは」

そう。
真顔で呟いたこの雑談がまんまと巻末のオフショットでばらされてしまい、
古参をはじめとした財津界隈を、ふたたび沸かせることになるのだった。





(ハッピー&ハッピーエンド!)