ほしのねい
2025-10-24 04:28:41
5994文字
Public 海財
 

【海財+モブ】きらきら星をあげよう

※幼財津、捏造
※モブ視点

――おれは、あれ以上驚かされることはねぇだろうなって思ってたんだけどな、財津」
「ふふ……

ふふ、じゃねぇぞ。

いつだってこいつは、おれを驚かせてきた。
悪い意味か、いい意味か問われたら、断然に後者だ。
振り返れば長くなってしまうのだけれど。
――そうこれは『陸上界の至宝』と呼ばれるこのイキモノが地上を駆ける、まえの話である。


▽ ▽ ▽


――『天才』とは、
暗い闇夜を乗りこえていく、力の異名である。

シモーヌヴェイユは、そう言っていた。
あまりピンとこなかったこのフレーズの意味を、おれはのちに思い知ることになる。

小さなピアノ教室。そこで九歳のおれは、はじめて『挫折』というものを知る。そこそこ有名な音大卒の母はこのピアノ教室の講師をしており、小さかったおれが鍵盤に触れるのは当たり前の日常だった。
『さすが! 先生の息子さん』
『お母さんに似て耳がいいのね、うらやましいわ』
今ならば多少の嫌味が含まれていたことに気づけるが、当時のおれは、この賞賛に素直に喜ぶような子どもだった。
だから、見知らぬ子どもを目の前にして、
『ピアノは初めてなんですって、男の子はあなただけだし、いろいろ教えてあげてね』
そう母に頼まれたときも、唐突だったが正直うれしかった。クラスの中でもピアノを習っていた男子はおれだけだったし、同い年といっても音楽では先輩だ。
それに、練習があるから、コンクールがあるから……と、同世代となかなか遊んだりできなかったおれにとって、初めてできる友達かも知れない。おれはすっかり浮かれていた。

(おとこ、だよな?)

初めてそいつ――財津を見たとき、おれはほんの少し疑ってしまった。同級生の女の子よりも小柄で、色がしろい。
細い頤も。淡い色のうすい唇も、形のよい小さな鼻も。
いつか祖母の家で見た白磁の人形よりも、ずっと繊細そうだと思った。眦の尖った黒いひとみが、まばたきもせずに、じっとこちらを見ているから余計に。
……きらきらぼし」
「は?」
「きらきらぼし、できる?」
うわ、声もかわいい。
きらきら星? できるに決まってる。
なにが言いたいんだろう。意味が分からず母に助けを求めれば、ただただ笑っているだけ。
「財津くん、いっしょにやりたいのよね」
「いっしょに? 連弾ってこと?」
すきな曲からやってみるのは、年少クラスでよく見る光景だ。母はやっぱり目を細めて『ほら、お手本を弾いてみて』とおれにお願いしてくる。悪い気はしない。
鍵盤にのせた手をしずかに見つめていた瞳が、音が重なるたびぱちぱちと瞬き、室内の光をあつめたみたいに煌めく。
「音、きれい……
ぽつんっと落ちた幼い声は、弾んで聞こえた。まっすぐな賞賛に、おれはすっかり気をよくしてしまった。身体がちいさいこともあり、すっかり弟分ができた気持ちだった。残念ながら学区は違ったが、放課後いっしょに宿題をやったり、買い食いなんかも教えてやった。

そんな、やさしい兄貴分とかわいい弟だったおれと財津の関係は、けっきょく一年にも満たなかった。



『電子レンジの音がね、違うっていうのよ』
――いつもは『ファ』だけどきょうはちがう、って。
『壊れてたの。その電子レンジ……
財津がこの教室に通うことになった、きっかけだ。
友人の家に呼ばれた母が、財津の『耳』に気づいたのは、その時だったらしい。そこからあれよあれよと言いくるめ、きらきら星に興味を示した財津をまんまと自分の教室に誘ったのだ。――それは音楽家として、正しい判断だった。


……っなんで! お前もリストなんだよ!」
「???」
リストの『ラ・カンパネラ』
おれが次のコンクールで選んだ曲だ。まんまと財津とかぶってる。思わず目が座った。じゃあおれは、このコンクールも到底一番じゃねぇな、って。そもそも財津は、耳がいい。
たぐいまれな絶対音感の持ち主だ。それを鮮やかに鍵盤のうえで表現できる。
「俺といっしょだっつってんの、今回も!」
やわっこい黒髪からのぞく、しろい耳。
ぎゅっと強く握りしめられた、細い指。
神さまがきっと、特別にあつらえたんだ……って。本気で思った。もう焦ることも自分を卑下することもない。
いちばんはおまえ。財津だ。
……だって」
「なんだよ」
ぶっきらぼうな態度を崩さないおれに、黒い瞳がわずかにとまどう。もう目線は同じくらいだ。『指が長いから、財津くんは身長も伸びそうね』と歌うように言っていた母の予言は、まんまと的中している。相変わらず華奢だが、もう女の子だとは思わない。
――だって、いちばんかっこいい」
……………………まぁ、そうだな」
「悪魔的だと言われる躍動や、あの疾走感……
「わ、っかる! だよな? 超絶技巧の演奏家たちの憧れだもんなぁ~~~」
「うん」
「ああ」

「「いちばん、かっこいい!」」

――そう。とうの財津ときたらコレだ。
ピアノ馬鹿で、演奏家バカ。よくない方向におれが沈んでしまいそうになるたび、こいつの本質に触れてはゆるい呼吸をくりかえす。財津は音楽がすきだ。そんでもって、おれを含めた演奏者たちのことも。
叫びだしたいほどの悔しさがないといったら、嘘になる。
でもそれは、こいつのことを嫌える理由にはならない。
なりようがなかった。『財津』というイキモノは、こうやって俺みたいなヤツを苦しめたり、魅了したり……めちゃくちゃで極上の演奏家になっていくんだろうな、と。
おれはそう確信していた。……確信していた、はずだった。


▽ ▽ ▽


「スポーツテスト?」
「うん。コンクールまえで休んでたのを……先生が受けなおしなさいって」
「げっ、なんだそれ。俺はいいって言われたけどなぁ」
学校によって違うのだろうか。相当つよく言われたようで、財津にしては分かりやすく眉がよってしまっている。
「まあ、そう言われたんなら、しょうがないか。ケガだけは気をつけろよ~?」
「うん」
極上の音を奏でる、ほっそりした長い指がぎゅうっと握りこまれる。このとき俺は知らなかった。

この指がもう、
鍵盤のうえに乗ることがないことを――


▽ ▽ ▽


「財津くんのお迎え、もういらなくなったから」
「は? つーか、なんでそれを……っ」
レッスンがある放課後、財津の学校の近くの公園で俺たちは待ち合わせをしていた。なぜそれを母が知ってるのか。
それよりも『いらなくなった』って、どういう事なんだろう。
「財津くんね、ピアノやめちゃうんですって」
――は? なんだよ、それ」
なんだそれ。おれは聞いていない。
…………あいつ、ケガしたとか?」
どっと背中が汗ばんだ。嘘だろ。そんなことがあってたまるか。あの音を生み出す指が、損なわれてなるものか。
つよい視線を母に向けると、きょとんっとした顔で笑われてしまう。
「ちがう、ちがう! ……ごめんね、お母さんも急なことでびっくりして……あなたに財津くんから言う前なのに、よくなかったわね」
……いいよ、それは。ケガじゃないなら別に」
その言葉を聞いて、ああ、と全身から力が抜けていく。
あのうつくしい音を奏でる指は、演奏家の理想そのものだ。
それが損なわれていないのならば、おれは――
「財津くん、陸上を始めるそうよ」

「??? りくじょう?」
「ええ、陸上クラブ。なんでもその界隈で有名なコーチが、名乗りをあげてるって」
りくじょう。
りくじょう?
あたまの中が真っ白だ。思考が追い付かない。そうこうしているうちに、家の電話がけたたましく鳴り響く。
――財津だ。直感というか確信だった。スマホを持っていない財津からの連絡手段は家電か、放課後の公園だったから。

――はい、アオギリです」
『アオギリ……くん?』
「ああ……その、母さんからいろいろ聞いた」
陸上をはじめること。ピアノはもうできないこと。
あの日、財津の顔を曇らせていたスポーツテストの結果は、大人たちを驚かせるものだったこと。
――両方やりゃいいだろ、とは言えなかった。痛々しいほど音にまっすぐに向き合っていた背中をしっている。大半のヤツが、急に表舞台に出てきた財津のことを、何を考えているか分からないと言う。
入賞確実だと言われていた、舞台の裏。つめたいトイレの個室で胃液を吐き出していたのを、おれは知っている。
本番直前まで、ちいさくふるえていた指先を――
音に真摯なのだ、財津というイキモノは。
その財津が、他のモノを選ぶ。
なにいってんだ、ふざけんなって。演奏家の顔した俺が、めちゃくちゃに叫んでいた。だけどそれは音にはならない。だっておれは知っているんだ。

「いちばんに、なるんだろ?」
……っうん。いちばん、はやくなる』
「じゃあ、しょうがないな」
じゃあ、しょうがない。しょうがないじゃないか。
音に向き合っていたあのまっすぐな眼差しのまま、財津は陽の光のしたを駆けるイキモノになるのだ。

――おまえさ、吐くとき気をつけろよ? もう俺の衣装、貸してやれねぇんだから」
「うん」
「コンクールとかぶってなきゃ、大会見に行ってやるよ」
「うん」
「あー……あと……その、なんだ。おれ、お前と待ち合わせしたりレッスン受けたり、そういうのさ、すげぇ楽しかった」
……うん」
「楽しかったからさ、ちょっとさみしいよ。財津」
……ちょっと?」
……おまえなぁ……いちばんにならなかったら、許さねぇ」
「アオギリくんもね」

かみさまに選ばれた子どもなのだと、勝手に決めつけていた。
財津はずっとずっと、そんな羨望と熱狂の中にいた。その張り詰めた背中を、おれはしっている。
ねだられたきらきら星を、ヒジをくっつけあって奏でていた頃から変わらない。

――こいつは大事な、だいじなおれの親友なのだ。





二度目の驚愕は、それから数年後。
ほんとうに一番を取りまくっていた財津は、名の知れた強豪校に進学していた。

……おまえ、いまこんな所にいて大丈夫か?」
「じかん、もらいました」
「あのなぁ、俺にまで敬語になってんぞ? 大丈夫なのか?」

インターハイは目前だった。夜が訪れるまえの公園は驚くほど静かだ。蝉が鳴く声すら聞こえてこない。
体操着の上に白いジャージを羽織っただけの財津が、ぽつんとベンチに座り込んでる。初夏だというのに、やけに肌寒い。

――いちばんに、なりました」
「ああ」
「つぎも、いちばんになります」
「ああ」

一番を取るっていってるツラじゃねぇぞ、と。
ミネラルウォーターのペットボトルをしろい頬に押し付ける。
夜を映すくろい瞳が、わずかにゆれた。

……いちばんが、かなしいって知らなかった」

若き王者の、
だれにも知られちゃいけない独白だ。

予兆はあった。たったひとりでゴールする背中をなんども、なんども見た。
財津は絶対に認めないだろうが、時折その顔は泣きだしてしまいそうだった。

……つぎも同じだとは、限んねぇだろ」
「???」
「おまえも俺も、十五歳だぜ? まだ」
一瞬、とまどう気配があった。
うつむいていた財津が、ば! っと顔をあげて、まじまじと俺を見ている。
こんなのは苦しまぎれのセリフだ。でも本心だった。
「うん」
ぎゅっと唇が引き結ばれる。
正面からみた顔は、出会ったころとちっとも変っていない。

――なぁ、かみさま)

おれはあんたのことを、そこまで信じているわけじゃない。
だけど、だけどさ。あんたは音楽の世界から、こいつの音を奪っていった。
極上の脚まで用意して。ならば少しぐらい、報われたっていいだろ。
おれはこいつが笑ってる顔が、いちばん好きなんだ。


▽ ▽ ▽


――そうして。
三度目の驚愕は、すぐにやってきた。

「っあお、アオギリくん、みた?」
「ああ、見た」
「わたしのすぐ、うしろ、ずっと」
「ああ、ず~~~っと付けてたな。お前の背中」
「さっき授賞式で睨まれました!」
「お、おお」

それはどうかと思うが、財津がうれしそうなので良いことにする。
しろい頬が、きれいな赤になってしまっている。
目ん玉もきらっきらだ。こいつの息を弾ませるなんて人間、なかなかいないんじゃないだろうか。

「かいどう、さん……

――東の海棠。
あとで調べたら高校三年生。
さいごのインターハイだったらしい。すでに陸上で大学推薦も決まっていた。
財津に向ける視線といい、あの様子じゃ走ることも追うこともやめそうにない。

――……な~~んて思ってたら、まんまと十五年だもんな」
「ふふ」
「あれ以上、もう驚かされることはねぇだろうな……って思ってたんだけどな、財津」

ふふ、じゃねぇぞ。
いつだってこいつは、おれを驚かせてきた。
悪い意味か、いい意味かと問われたら、断然に後者だ。

――海棠選手に抜かれた瞬間、笑ってただろ」
「たのしかったので」
「おまえなぁ……そんで、引退かよ」
「ええ、すごくたのしかったので」

そういうヤツだったよな、と深く息を吐き出す。
ストライプのスーツにその身体を包んだ陸上界の至宝は、艶やかな黒髪をゆらして、それはそれはうれしそうに口許をゆるめるのだ。

――まあ、いいか。それよかヒマになったんなら、聴きに来いよ。俺の凱旋コンサートだぞ」
「それは、もちろん……?」
「なぁ。あの人も誘ったら来るんじゃねぇか?」

先ほど雑誌の幼馴染対談を終え、一息ついたところで二人分のチケットを手渡してやる。
ちいさく首を傾げた財津は、気づいていない。

「はは……すげぇ、見てる」
「???」
「つぎ、あの人と対談なんだろ?」

うつくしく成長してしまった幼馴染は、こくんっと素直に頷くと、
その名前をはじめて口にした時とおなじく、あどけなく頬をゆるめたりするのだ。
おれに突き刺さる視線が、強くなった。

去り際、あの男前に「おれの親友をよろしくお願いします」と言ってやるべきか、否か。
ぐいぐいと視線は強くなるばかりだ。あーあ、

……財津)
(おまえ、もうひとりにしてもらえねぇぞ)

――いちばんはさみしい、と。
あの夜、泣き出してしまいそうだった可愛いおれの親友は、
きっともう、ひとりぼっちにはさせてもらえないんだろう。

「おまえ、ちゃ~~んと言っとけよ?」

これ。だいじな親友を百メートルに取られた
ピアニストのコンサートです、って!





※アオギリ(アオイ科の落葉高木)  
人生の転機にいる人への贈りもの。 
花言葉は『まっすぐに進んでほしい』