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クギ
2025-11-02 21:41:17
6283文字
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仕事を選ばない陳洛軍〈その1〉
仕事を選ばない洛軍に、勝手に振り回される信一の話。
11/16、ソ25b『ray』にて発行の短編集掲載の1本です。
・信一+洛軍カプなし話です。カップリング設定はありません。
・映画設定準拠(肩書き等設定のみ、一部原作より流用しています)
・当時の生活背景、城砦の見取りなど資料にあたった上で脚色を行っていますが、
付け焼き刃の知識のため、粗があります。何卒ご容赦下さい。
・コメディのつもりで書いています。いつも以上の与太話です。
仕事を選ばない陳洛軍
〈その一〉
十月下旬、香港。
中秋節も過ぎ、いっそう秋が深まりを見せるこの時期にあって、当地にそびえ立つ三不管・九龍城砦に漂う空気は、やや外界とは趣を異にしていた。密集したビル群のせいで換気が悪く、中に進むほどに、熱も湿気もこもりがちになるのだ。城砦の奥深くまで秋の気配が届くのは、もう少し先のことだろう。
さて、まだ少々蒸し暑さの残る城砦の通りを、住人である藍信一は、同年代の男二人と連れ立って歩いていた。
信一は城砦を仕切る幫会、龍城幫《ロンシンボン》の頭馬だ。頭馬とは若頭のことであり、組織のナンバーツーのことでもある。つまり信一は、それなりに立場のある人間なのだった。
そんな黒社会の立場ある人間といえど、日頃の信一の仕事は、ごくごく地味なものが多い。
その理由は単純明快、シマとする九龍城砦が平和だからだ。
信一の属する龍城幫は、香港の黒社会において伝説的な人物、龍捲風が龍頭を務める幫会だ。これが強力な抑止力になっていた。よほどのバカでもない限り、龍捲風が治めるシマでトラブルを起こそうという黒社会は、まずいない。
外からの脅威がない一方で、龍捲風自身に、幫会の勢力を拡大する意思がないことも、城砦の平穏に多大な貢献をしていた。
こうなれば、いかな傑物が龍頭といえど、その幫会の活動は地味にならざるを得ない。
警察の目も厳しくなっている。派手な抗争も、生きるか死ぬかの日常も、今や昔の遠い話だ。円滑なシマの運営と、治安維持。それこそが、現在の城砦における龍城幫の、主な役割であった。
頭馬である信一といえば、この現状にまったく不満はなかった。
平穏上等。敬愛する養父であり、大佬でもある龍捲風を傍らで支え、日々をつつがなく、愉快に過ごしていられれば万々歳。それで満足だからと、信一自身に、仕事の大小に対するこだわりは一切なかった。
だから、下っ端がやるような仕事であろうが、信一は喜んでこなしているのだ。そう、たとえば今のように。
「何だアレ」
舎弟二人と共に、城砦の見回り──これも本来、下っ端の仕事だ──で、老人《ロウヤン》街を訪れていた信一は、不意に声を上げていた。
目の前に広がる、通りの風景。薄暗く、見慣れた日常の景色に、顔馴染みの住人たち。彼らとにこやかに挨拶を交わしつつ、異変はないかと目を光らせていた信一の視界に、その違和感は突然飛び込んできたのである。
彼がアレ、と示したのは、見慣れぬ風体をした人影だった。
人影は老人街沿いの店舗を、右に左に、出たり入ったりと、忙しなく動き回っている。どうやら、配達の最中らしかった。
兄貴分の見つめる先に、舎弟たちも遅ればせながら気付いたようだ。二人は、人影と信一の顔とを交互に見比べた。
「アレって、あれでしょ」
「あの余所者」
自明過ぎて、何を信一が気にすることがあるのか。二人は不思議そうな顔をして、兄貴分をうかがっていた。
あまりに呑気な弟分たちの答えを、信一は鼻で笑ってしまった。
「そんなことは分かってるんだよ」
眉根を寄せた信一の顔色は、見るからに不満げだった。しかしその間も、彼の目線は人影を捉えたまま。
そう、もちろん信一だって、アレが何かくらいは知っている。知らない方がおかしい。
最近城砦に入り込んだ、余所者の、坊主頭の男。
それが、信一の視界に入り込んだ、見慣れぬ人影の正体だった。
坊主頭は、信一たち龍城幫の平穏を乱しに乱し、最終的には龍頭である龍捲風直々に制裁を受けた。今でこそ大人しくカタギの仕事をこなしてはいるが、一対一で殺し合いまでしたあの坊主頭のことは、城砦の誰よりも自分がよく知っている──そう、信一は自負していた。
だが、今はそういうことを言いたいのではなく。
「何だあの格好は、って話だ」
心底不服そうに、信一が指し示した先。
坊主頭は、目の覚めるような、ド派手な柄物のシャツを身に着けていたのだ。
あまりに派手過ぎて、薄暗い城砦の中、一人だけ浮き上がって見える。信一が見慣れぬと感じた、違和感の正体がこれだった。とにかく、出で立ちが異様に目立つのである。普段の坊主頭の、衣服に頓着のなさそうな姿を知っているだけに、違和感がすさまじい。
次から次へと、信一の脳裏には悪態が湧いてくる。似合わない、趣味が悪い、許しがたい。油麻地のヤクザか。
とにかく、言いたいことは山のようにある姿だったが、何より信一が見逃せなかったのは、柄シャツの背面にデカデカと書き連ねられた、ある文章だった。
『東頭村《トンタウツェン》道、新装開店、音楽庁《ヤムロッテン》、Neil's Bar』
「派手っすね、趣味わる
……
」
「あ、でも、あの背中」
やはり誰が見ても、アレはないのだろう。舎弟の一人が、信一と同じ感想を率直に口にした。一方で、もう片方の舎弟が、その背につづられた文字に気付いたようだった。
ニールズバー。
その名のとおり、ニールという男──イングリッシュネームで、本人は東洋人だ──が店主を務めるこのバーは、東頭村道にある。
東頭村道は、九龍城砦の一番北、外周に位置する通りだ。
城砦の敷地外と接しており、通りに面した部屋はどこも日当たりが良い。その住環境の良さから、城砦内でも人気の区画だった。無許可の医院が多いことで有名な通りではあったが、場所柄、外向けに商う小売店やカフェも散見される。
ニールの店も、そんな外からの客を相手にする、ごく普通の小洒落たバーだった。とは表向きの姿で。
その正体は、バーを隠れ蓑に、裏で紹介制のデートクラブとして営業している、真っ黒も真っ黒な、龍城幫傘下のいかがわしい商売をする店であった。
確かに、あの店は内装に手を入れ、装いを新たに営業を再開していた。けれど、それは少し前の話だ。どうしてその宣伝文句を、いまさら坊主頭が背負っているのか。信一は首を傾げた。
どうやら、あの男は城砦の黒社会と極力関わらないようにしているらしい。坊主頭がここで生活をするようになり、それは信一も察しているところではあった。
まあ、坊主頭がここに来た経緯からして、ヤクザに騙されたことが原因だというのだから、黒社会を避けるのも無理からぬことだろう。そう信一は理解していたし、こちらとて、あの男と馴れ合うつもりは毛頭なかったので、そこは良しとしていた。
しかし、だからこそ解せないのだった。黒社会の店の宣伝を背負い、歩き回っている坊主頭の姿が。
──もしかして、知らないのか?
まだあの男は、城砦にやって来て日が浅い。
見るからに怪しい店ならば、黒社会のシノギと分かるかも知れないが、そうでなければ見分けは付かないだろう。どこの店が、裏でどう龍城幫とつながっているのかなど、新参者である男は、知らぬまま請け負っている可能性は大いにある。
それにしてもと、遠ざかる坊主頭を信一は見つめていた。
アレはない。あの、目に刺さる、一度見たら網膜にこびり付いて消えないような、どぎつい色味。見てると気が遠くなる。もう秋だぞ、ご機嫌過ぎるだろ、季節を考えろ季節を。悪夢かよ。見ろ、何も知らないカタギがビビってるだろうが。
あんな代物、うちの人間が着せてるってだけでも、腹に据えかねる。センスがない、我慢ならない、とにかくダサい。龍城幫の格が下がる。大佬が許しても俺が許さない。
ひとしきり内心罵倒し終えたところで、だからといって、曲がりなりにも、これは傘下の商売に関わる話なのだった。
いくら許しがたい見た目とはいえ、それを勝手に止めることは、信一であろうとおいそれとはできない。筋を通す必要がある。
まずは、ニールに事情を聞かなければ。
信一の午後からの予定は、こうして決まったのだった。
*****
東頭村道、ニールズバー。
見回りを終え、その足で店へ出向いた信一は、仕込み中だったニールに快く迎え入れられていた。
店主の趣味もあって、店の内装は香港でも珍しいであろう、アメリカンダイナーがモチーフにされている。明るい雰囲気があるこの店は、立地の良さもあり、表の商売も繁盛していた。信一自身、このバーの雰囲気は気に入りで、プライベートでもそれなりに利用している、行きつけの店だった。
だからこそ、信一は分からなかったのだ。
売り上げも悪くない、趣味も良い筈のニールが、どうしてあんなものを坊主頭に着せているのかが。
「少しでも金を稼ぎたいって話だったので」
信一の疑問に、ニールはあっさりと、そう答えた。
そもそもの発端は、あの坊主頭が、頻繁にこの店に出入りしはじめたことにあったそうだ。
水やガス、時には酒、それから食料品。更には備品類まで。
注文先は別々の店だというのに、あまりにさまざまなルートから坊主頭が配達に訪れるものだから、思わずニールは坊主頭に尋ねたのだと言う。その働きぶりの理由を。
すると、金がいる、借金もあって早く返したい。だから、少しでも多く稼ぎたいんだと坊主頭は答えたらしい。
男の働きぶりに感心したニールが、それならばと持ち出したものこそ、例のシャツであった。
そうして、ニールは坊主頭に、店の宣伝をしてほしいと持ちかけた。小遣い程度ではあるが、それでも良ければと言い添えて。以上が、ニールから語られた、ことの顛末だった。
なるほど、聞いてみれば、確かにおかしな話ではない。
カウンター越しに、出された緑寶を飲みながら、今回の経緯については、信一も納得をしていた。しかし、だからといって、例のシャツが許せるかといえば、そこはまた別問題である。
「
……
それにしたって、アレはないだろ、アレは」
呆れた様子も隠しもせず、信一はニールに告げた。今も彼の脳裏には、あの目も覚めるような極彩色が、ありありと浮かんでいる。
ニールも、それはよく分かっているようだった。彼は信一の苦言に、軽く肩をすくめて見せた。
「こっちも半分冗談のつもりだったんですよ。そもそも、あのシャツ、新装開店の時のにぎやかしで作ったシャツだったんです。外の客呼び込むのに、使うのもその日限りのつもりで
……
」
言外には、まさか本当に着て歩くとは、とのニュアンスが漂っていた。ニール自身、趣味が良い男だからこそ、当然あのシャツの悪趣味さは分かっているわけだ。そりゃあニールも、断られると思って言い出したに違いない。
ところが、結果は知ってのとおりである。
「あのシャツ見ても動じないし、着ても真面目な顔してるもんだから、こっちも面白くなっちゃって」
申し出を引き下げるタイミングを逃して、そのまま
……
と苦笑するニールの様子には、どこかうっすらと、坊主頭を侮る気配があった。
実際、そうなのだろう。
あの男は余所者で、しかも難民だ。身分証もなく、見た目はいつも薄汚れて、ずたぼろ。城砦にトラブルを持ち込み、挙げ句、借金まで作って、お世辞にも真っ当な身分であるとはいえない。有り体にいって、舐められても仕方のない立場だった。ニールの態度も、特段おかしいものではない。
そう頭では理解しているにも関わらず、だ。
信一の胸中にはこの時、わずかばかりの苛立ちが浮かんでいた。
坊主頭は、曲がりなりにも、自分と互角に渡り合った男だ。そんな男が蔑ろにされている様は、気分が良いものではない。それも、蔑ろにしているのは信一の身内である分、余計だった。敬意を払えとまでは言わないが、無礼を働いてほしいわけではない。
何より、あの男が身内のせいで笑い者にされるのならば、それは信一には受け入れがたいことだった。
「いやそれにしても、あの噂、本当だったんだなって」
「あ? 噂?」
「あれ? 知りません?」
唐突に降って湧いた、新たな話題だった。信一は怪訝な表情を浮かべ、ニールに聞き返していた。
信一の反応に、ニールは意外そうな顔をする。
「妙な仕事でも、よほどのことでもなければ、小銭握らせれば請け負うって。ちょっとした噂になってますよ、あいつ」
先週は、雀荘の前で仮装して、客の呼び込みしてたらしいです、と嘘か本当か分からぬ伝聞を語るニールの言葉に、信一は耳を疑った。
「はあ?」
噂になってるって、どういうことだ。
──これが初めてじゃないのか?
それは既に、この手の妙な仕事をいくつも請け負っているということなのか。もしや、思っている以上に、あの男は下っ端たちに、面白おかしく使われているのではなかろうか。
信一の顔色が、だんだんと険しいものに変わっていく。
紆余曲折こそあったものの、最終的にあの男へ最初に仕事を世話したのは、信一自身だった。労働意欲が旺盛なのは結構だが、妙な方法で稼がれると、それは巡り巡って信一のメンツにまで関わってきかねない。これは黒社会の人間にとって、まあまあ嫌な事態であった。
信一は内心、頭を抱えた。
「信哥? どうしました?」
黙り込んでしまった信一を、ニールが心配そうにうかがう。
「いや
……
何でもない。それより、ほどほどしといてくれよ」
ひとまず信一は、他のすべての懸念を飲み込むと、目の前の問題を片付けることにした。
「カタギ笑い者にするようなやり方してるなんて、うちの体裁にも悪いからな」
誰の話かなど、言わなくても分かるだろう。あくまで、努めて圧を掛けないように。信一は気安く、冗談めかしてニールに釘を刺した。
すると、どうだ。
にこやかだったニールの表情が、見る間に強張ったのだ。
彼は、信一の言葉に、自分が何をしたのかを悟ったようだった。一歩間違えれば、アレが龍城幫の看板に泥を塗る行為であると、遅ればせながらに。
「あ、はい
……
!」
ニールの慌てた様子に、ようやく信一の溜飲が下る。
言うことは言った、ここはもう大丈夫だろう。緑寶を飲み終えた信一は、ニールに見送られながら店をあとにした。
話し込むうちに時間は過ぎ去り、すっかり外は夕暮れ時になっていた。言いようのない疲労感に襲われ、信一は迷わずタバコを取り出す。
──あー、クソ
……
あの野郎。
どうして俺が、あの男の尻拭いを。
赤く染まった秋の空に、煙草の煙と、信一の盛大なため息が広がっていく。
借金を早く返したいという、その心意気は買おう。だが、どうせ返済期限などないのだ。真っ当に仕事をして、地道に返してくれさえすれば、こっちはそれで良いというのに。どうしてわざわざ、妙な仕事にまで手を伸ばそうとするのか。
それにしても、あのシャツは本当に酷かったと、信一はしみじみ思い返していた。あんなものを見るのは、二度と御免だ。
例の坊主頭には、決してうちの仕事を回さないこと。
そう下っ端まで念を押さなければならないと、信一は心に決めたのだった。
〈その一/了〉
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