ただ、ここにあることの証明

宿痾兄弟のSCPパロ
※ぷらいべったーからの移行

「振り返っては駄目だ、と。彼は私にそう言ったのです」

 怖くて泣きじゃくることしかできなかった己の肩に手を置いて、辛抱強く慰めながら、彼は言ったのだ。
 アルジュナは、目の前に座した研究員らしき人物にそう答えた。

 あの悪夢のことについては、正直思い出したくもなかった。

 その記憶を引っ張り出す行為は、胸の奥を引き裂かれ、ぐちゃぐちゃにされるような耐えがたい痛みを伴うから。胸にぽっかりと空いた底なしの暗い穴を、じっと覗き込まねばならないような心地になってしまい、ひどく恐ろしくなってしまうから。今だって、態度こそ辛うじて淡々としたものを装えてはいるが、少しでも気を抜けばぎゅっと顔を歪めてしまいそうで。
 けれどこれは正当な調査であるとしつこいくらい主張され、強引に連行され拘束されている自分には、もう素直に答えることしかここから逃れる術はない。だったら抵抗せずに伝えるべきことだけさっさと伝えてしまったほうが利口であろう。彼らが行っているのが一体何の調査なのかについては、終ぞ教えてもらえなかったけれど。

 とにかく彼らが聞きたがったのは、アルジュナの中にあるとある『記憶』についてだった。

 記憶と言っても、正直定かなものではない。あれは実際にこの身が体験したことではなく、幼い頃に見た夢だった可能性が高いからだ。曖昧で、おぼろげで、けれどべったりと脳裏にこびりついたかのように離れない、とある一つの光景。
 あれが悪夢だとして、恐らく自分がとても幼い頃、家族とともに訪れたどこぞかのテーマパークが基になった夢なのだろう。子供ながらに、何か深いトラウマになる出来事があったのかもしれない。
 目を閉じてその記憶をたぐり寄せようとすると、まずカリオペの音楽がゆうるりと流れ出す。その音に誘われるように、自分は歩いているのだ。当時、自分は確か四歳か五歳くらいだったのだと思う。見れば自分以外にもたくさんの子供がいて、そのテーマパーク内を歩いていた。

「泣くな、と。彼は繰り返し私に言いました。笑え、とも言っていた気がします。とにかく泣いては駄目なのだと。自分が側に居るから大丈夫だと、そう」

 それは、怖くて足がすくむ己の手を、最後まで引いてくれた人だった。
 褐色の肌を持つ自分とは対照的な、白くてすべすべした細い手をよく覚えている。氷のような印象を与えるその手は、しかし実際に触れればとてもあたたかく、そして何より力強かった。
 少し痛いくらいの力で不器用に、しかし確かにしっかりと己の手を握りしめてくれていたそれは、怖いと泣きべそをかく幼いアルジュナを導いてくれた。この手がある限りきっと自分は大丈夫だと、何故か根拠もなくそんな風に思えたのだ。だから絶対に離してしまわないようにと、一生懸命握りしめていた。

「そうして私たちは、やがて回転木馬の前に辿り着きました。流れ続けるカリオペの音楽と、子供たちの笑い声や泣き声が混ざり合って……

 そんなまさか、と彼は回転木馬を見て息を呑んでいた。自分もそれを見て、何故か酷く驚いて、凍り付いたように動けなくなっていたのだと思う。何がそれほど衝撃だったのかは、残念ながらうまく思い出せない。よほど恐ろしいものを見たのだろう、という予想くらいは立てられるのだが。
 しかし己の手を引いていた彼が呆気に取られていたのは、瞬きの間だけだった。彼はそっと人形のようになってしまったアルジュナの前に膝をつくと、その冷えた身体を抱きしめてきたのだ。
 抱きしめることにも、抱きしめられることにも、きっと彼は慣れていないのだろう。何とも不器用な手つきで抱きしめられたアルジュナは、何となくそう思っていた。

「行けと、彼はそう言って私の背中を叩いたのです。あとは、一人で行けと。私は急に放り出されたような気分になって、彼の背中に自分の腕を回してかき抱きながら、嫌だと泣きじゃくっていました。ここで手を離してしまったら、きっともう二度と彼とは会えない。例え何かの奇跡が起こって再び会えたとしても、自分は彼が自分にとっての何なのか、わからなくなっているだろうからと。理由はわかりませんが、強く、とても強く、そう感じていたのです」

 結果的にはやっぱりわからなくなっているんですけどね、と。
 アルジュナはそう言って小さく苦笑を漏らした。

「だって今の私は、あの人を知らない。知らないのです。本当に、何もかも」

 どうして、彼があんなに優しく自分を抱きしめていたのか。
 握って離すなと伸ばされた手を最初に自分が取ったとき、彼が一瞬、くしゃりと泣きそうに顔を歪めたのか。
 今ここに座っているアルジュナには、何一つわからないのだ。

 その後の記憶はさらに曖昧なものになっていた。
 霧がかかったようにぼんやりしている中で、彼がそっと自分から離れて回転木馬のほうへ向かっていったのは覚えている。自分は嫌だ、嫌だとしきりにそう叫びながら、森の中の小道を走っているのだ。景色が揺らいでいたのは、もしかしたら涙で視界が滲んでいたせいなのかもしれない。
 小道を取り囲むように生えた木が、歌う。笑う。歌う。笑う。
 のろのろと辺りを見上げると、いくつもの微笑みが、歌いながら己を見下ろしていた。それはまるで、何もしらなかった己を嘲笑っているようだと思った。

「だってそうでしょう? 私は本当に、何も知らなかったのですから」

 本当に最後の最後、彼が手を離す直前に、囁くように言った言葉。きっと彼はアルジュナに聞こえなくともいいと思いながら、けれど叶うのならば届いて欲しいと祈りながら口にしたのだろう。
 けれどアルジュナは、未だにその言葉の真意を知らない。

「お前と自分がこうして此所にいるのは、自分たちが紛れもなく■■であるという証明だ。誰が認めずとも、それは確かにここに証明された。自分はそれが嬉しいのだと……彼は、微笑みながら言ったのです」

 彼と自分は、果たして一体何だったのだろう。
 手を離してしまったアルジュナには、それがわからない。





アイテム番号:SCP-2571
オブジェクトクラス:Euclid
説明:実在しないテーマパーク(“クラッグルウッド・パーク”)についての、反復性を有する子供時代の記憶。

SCP-2571 http://scp-jp.wikidot.com/scp-2571 ©The Great Hippo
このコンテンツは、クリエイティブ・コモンズ 表示-継承3.0ライセンス(http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/deed.ja)の元で利用可能です。