せつが
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毛まみれの午後

伊剣宅配便パロ「毛まみれの午後」修正版。
SNSにポストしたものとお話に変更はありませんが、ここはもうちょっとなんとかなったんじゃないか、ならばなんとかしようという、「私が納得したい」版です。
宅配便パロ1本目は「ピグレット便の配達員」です。


 小さな町をとことこ走る、ピグレットロゴの配達車。
 山門運送配達員の車には、粘着カーペットクリーナーが積んである。一見配達には無関係に見えるこの掃除道具が、担当配達員ふたりにとっては必須の仕事ツールだった。
 歓迎対策なのだ。
 配達先のペットたちからの。
 行く先々で熱い歓待を受けるふたりは、脚だの胴だの背中だの、さらには頭にもじゃれつかれ、青緑色の制服にはこれでもかと動物たちの毛がついた。悪目立ちこそはないものの、ベージュ基調の縞入りパンツも例外ではない。うっかりすると靴下にまで入り込む、色とりどりの抜け毛たち。
 これらの毛に対処するための必要アイテム、それが粘着カーペットクリーナー。通称コロコロである。

 
 住宅街の路肩、いつもの荷物受け渡し地点。トラックから降りてきた伊織の姿を見て、タケルは盛大に吹き出した。

「わはははは! なんだイオリ! 今日はいちだんとすごいじゃないか」 

 伊織の青緑色の制服は、すっかりとまだら模様だった。見ればどうやら、犬の抜け毛であるらしい。白と黒の、やや硬めの直毛にまみれた上半身は、肩から胸にかけてがとくに濃く、まるで毛皮のベストを羽織ったように変色している。その上、ふわふわとした綿毛までもが、アクセントのようについていた。

……鈴木さんちの太郎が元気でな」

 伊織は軍手をはずすと、眼鏡をずらし手の甲で目頭を押さえた。

「玄関が開いた瞬間飛びつかれた。荷物を置く暇もなく」
「太郎くんか! あの子はとくに熱烈だからなぁ」 

 配達先には様々な家族ペットがいる。犬に猫、鳥やうさぎにハムスター。なかでも犬たちは元気のかたまりだ。チャイムと同時に鳴き声が上がり、玄関が開くやいなや主を差しおき、我先にと手厚い挨拶をしてくれる。
 撫でてほしいかまってほしい、お気に入りのおもちゃで遊んでほしいと、じゃれつかれてもみくちゃになることがままあった。
 先ほど伊織は、その中でもとくに愛想のよい黒柴の太郎に接待を受けたのである。それも熱烈に。
 そんな他愛もない話を口にしながら、引き渡しの準備を始める。今日もまた、多数の荷が配達を待っている。夕方からの在宅時間にあわせて、ふたりの仕事は続いてゆくのだ。
 タケルは笑いながら軽バンのリアゲートを開け、荷物を寄せようと身を乗り出した。すると背後から、くく、となにかを噛み殺す音が上がる。

「タケル。おまえこそ背中を見てみろ」 
「え?」 
「待て。そのまま」

 振り返りを制されると、すぐにパシャリという音が鳴った。伊織がスマホで、背中の撮影をしてくれたのだ。
 その画面を見せられたタケルは、自分の背中一面が白と灰色の抜け毛で覆われているのを見て固まってしまった。

「ミーちゃんかぁ」
「佐藤さんとこの猫か。背中に乗られたな?」
「乗られたというか……

 タケルは苦笑いを浮かべる。

「話をしている間、背中からよじ登られてずっと肩に乗ってたんだ。降りてくれなくて、結局おばあちゃんが引き剥がしてくれた」
「引き剥がす……

 伊織の頬がゆるむ。話ぶりから、猫に登られた姿を想像したのだろう。

「まあ、モテるのも大変だな」
「そうだぞイオリ。モテるのは大変だって知ってるだろ。だいたいきみだって太郎くんにモテモテじゃないか」 

 先日の佐藤のおばあちゃんとのやり取りを思い出したのか、伊織は渋い顔をする。

「あれはモテとはいわん」

 そう云いあうと同時に、改めて互いの姿に目がいった。
 青緑の制服は白、黒、灰の毛にまみれ、もはや原型をとどめていない。タケルは朱色の帽子にまで毛がついて、編み目のあちこちからぴょこりと飛び出している。めくり上げたパンツの裾からは、白黒のごま塩模様へと様変わりした伊織の靴下がのぞいていた。
 抜け毛は頬にもはりついて、ふたりして犬猫のひげが生えているかのよう。
 むごい。あまりにも。
 見るに耐えない惨状に、ふたりそろって声をあげ笑い出した。
 惨憺たる姿のまま引き渡しを始める。いつもの作業を進めながらも、互いの姿を見るたびに、こらえきれぬ笑いがこぼれた。
 ひと通り仕分けが終わったところで、伊織がトラックの助手席からカーペットクリーナーを取り出してきた。タケルも軽バンから同じものを持ってくる。

「このまま次には行けんからな」 
「じゃあ、やるか」
「ああ、やるぞ」

 息の合った応酬とともに、路肩に停めた二台の車の間で、配達ドライバーたちの奇妙な儀式が始まった。

  ◇
 
 伊織は片手でクリーナーを持つと、自分の胸元をコロコロと転がし始めた。タケルも同じように転がすものの、背中の凹凸にうまく届かずなかなか毛が取れない。

「ちょっと待て、手伝ってやる」

 その声にタケルは、素直に背中を差し出した。互いにこうして、取りにくい箇所の毛を取りあうことは珍しくなかった。
 触れるぞ、という声とともに肩を掴まれると、背中にクリーナーがあたる感触がする。ローラーがひと転がりするたびに、びっしりと抜け毛がつくのだろう。シートを剥がす音が幾度も聞こえてくる。

「すごい量だな」
「ミーちゃん、換毛期なんだろうな」

 背中の上を規則正しくクリーナーが動く。制服からは抜け毛が次々と剥がれていくのか、伊織は黙々と作業を続けている。通りかかった通行人が不思議そうに見ていくものの、タケルは少しも気にならなかった。
 タケルはこの時間が好きだ。人も車も少ない道路、車両同士でできあがる小さな隙間は、伊織とふたりだけの空間だった。そこで荷物を受け渡しながら、なんでもない会話を交わす。雨が降るだの工事中の道路だの、ときには互いの失敗談。心地よかった。どこかくすぐったくなるこの時間が、少しだけ特別だったのだ。

「なあ、タケル」

 伊織が不意に口を開いた。クリーナーを動かす手は止まらないままだ。

「なんだ?」
「準中型、取らないか」

 肩に力が入った。

……急にどうした?」

 我ながら硬い声が出たと思う。
 知っていた。
 免許を取れば、いまのこの時間は終わってしまうと知っていた。わかっていたから目を背けていた。そのことを言葉にされてしまった。
 伊織、から。
 手にしていたローラーの取っ手に力がこもってゆく。
 伊織はまだ、背中の毛を取っている。

「急というわけでもない。前から考えてはいた」

 声に特別な温度はない。変わったところのない、いつも通りの伊織の調子。背中越しの顔は見えず、どんな表情を浮かべているのか想像する手がかりもない。

「このままアシスタントでいるつもりか? 準中型があれば、俺と同じトラックに乗れる。給料も上がるし、任される仕事も増える」
……イオリは私に、トラック乗りになってほしいのか?」

 規則正しかったクリーナーの動きがわずかに揺らぎ、なにごともなかったように再び動き出した。でも、そうして続いた言葉は、タケルの質問の答えではなく。

「取得支援制度がある。いまなら会社から補助金が出る」

 背中越しゆえ伊織の顔は見えない。けれど互いの顔が見えないからこそ、云い出せるものもある。向き合えば重たくなる話も、背中越しならまだ軽さを装える。
 だから、軽い調子で返した。

「まあ、そのうちな」
「そのうちか」

 また沈黙。シートを剥がす音だけが響いた。

「おまえの人生だ。俺がどうこういうことじゃない。ただ――

 なにかを云いかけた伊織がふたたび口をつぐんだ。背中のクリーナーが止まり、背中から離れてゆく。
 タケルは、その先にあるものを聞きたくなった。

「ただ?」
……いや、なんでもない。よし、終わった」

 掴まれていた肩が自由になりタケルが振り返ると、伊織はもう自分のトラックに向かっていた。

「イオリ。肩のところ、まだ毛が」

 声をかけても伊織の足は止まらない。

「これくらいなら大丈夫だ」

 伊織は振り返ることなくドアを開けると、そのまま運転席へと乗り込んでしまった。
 いつもならなにかひと言あるものだが今日は違う。トラックのドアが閉まる音だけが響いた。
 タケルも軽バンのドアに手をかける。

「じゃあ、また」
「ああ。次は毛だらけになる前に会おう」

 声をかけると窓から伊織が顔を出し、今度は目が合った。一瞬、なにか云いたげに唇が開いたものの、言葉なく閉じられてしまう。かわりに、眼鏡奥の目が細められ柔らかくなった。その瞳に先ほどまでの頑なさはすでにない。
 ふ、と肩のこわばりがほどけてゆく。よかった、いつもの伊織だ。
 タケルが笑みをこぼすと、つられるよう伊織も口元をゆるめた。
 そうして、二台の車はそれぞれの道へ走り出す。
 
  ◇
 
 車内で伊織は、サイドミラーで自分の姿を確認した。まだ肩に、見過ごせない量の毛が残っている。
 タケルがこの仕事を続けるのなら、準中型免許は必須だった。さらに上の免許を取ってもいい。すでに彼の腕はたしかで、ルートを組む力も、重い荷物を運ぶ力もある。いつでも彼は、伊織のもとから旅立っていける。
 だがそれは同時に、別の配達地域を任されることを意味している。そうなればもう、同じ現場に立つことはない。路肩で荷物をわけあうことも、背中の毛を取りあうこともない。
 それでも。

……いつまでも繋いでおくわけにはいかない、か」

 そうでなければならない。
 免許を取れば、彼の将来の選択肢は広がる。たとえこの業界に留まらなくとも、免許は武器になるはずだ。
 小さく息をついた。
 タケルの背中を見たとき、いまなら云えると思った。互いの顔が見えないならば、表情を読まれることもない。よき相棒のまま本心を見透かされることなく、彼の将来を案じていられる距離だった。
 なのに、『ただ』などと。
 なにを云いかけたのか自分でもわかっている。喉元までせり上がった本音を噛み殺して飲み込んだ。だからこそ振り返れなかった。
 きっと不安にさせただろう。なのにあいつは別れぎわ、小さく笑ってくれたのだ。
 甘えているのは俺のほうだ。我ながら情けない。
 開けた窓から秋の涼気が入り込み、肩に残った抜け毛が揺れた。
 そこでふと、先日の「いいひとのふり」を思い出す。
 ただ口実でしかなかったひと言が、いつのまにか腹奥で燻っていた。


 一方軽バンの中でタケルは、ハンドルを握りながら考えていた。

「準中型なぁ」

 取ればたしかに一人前のドライバーだ。給料も上がる。会社での立場も変わる。

『おまえの人生だ』

 伊織の言葉が蘇る。その通りだ。自分の人生は自分で決める。勧められるまでもなく、取るつもりはもとからあった。だから『そのうち』と返したのは紛れもなく本心なのだ。
 でも、そのうちというのは、いったいいつのことなのか。
 伊織との時間を過ごせば過ごすほど、答えは出なくなった。
 いったい伊織は、なにを思っていたのだろう。
 免許を勧めた伊織の態度はそっけなく、タケルの問いにも答えない。突き放した云いかただった。
 それなのに――
 ローラーの動きがふいに崩れた。『ただ』と云いかけて言葉を飲んだ。
 それらにどんな意味があったのかはわからない。伊織がなにを思っていたのかもわからない。
 けれどうまく回っている仕事の流れを終わりにしてでも、タケルの将来を考えてくれたのだ。自分のことを案じてくれた、そのことだけはよくわかった。
 あのとき、『ただ』で止めた言葉の先にいったいなにがあったのか。
 わからないのに、先ほどから自分に都合のいい言葉ばかりが浮かんできて、タケルを落ち着かなくさせる。
 だってまだ、残っている気がしている。肩に置かれていた大きな手のぬくもりが、まだ――
 信号が赤に変わる。ふと、リストバンドに一本、黒い毛がついていることに気がついた。太郎くんの毛だ。
 ――これはもしかすると、伊織の肩にもミーちゃんの毛が残っているかもしれない。
 思わず口元がゆるんだところで信号が青に変わる。
 タケルは深く息を吸い込むと、ハンドルを握り直しアクセルを踏み込んだ。

「もう少しだけ、こうしていたいんだよなー!」

 大きな声をあげた。誰に聞かれたってかまわない。
 それよりも湧き上がった衝動を、どうにか逃がしたくてしかたがなかった。