夜明 奈央
2025-10-06 06:13:28
3985文字
Public 久々綾
 

久々綾 恋人が酔うと好き好き言ってきてとても可愛い


「そういえば、最近見なくなったな、あれ」
 学部内で定期開催される酒の席。隣で日本酒を手酌している立花先輩がぽつりと呟いた。立花先輩の視線の先を追うと、久々知先輩が隣の卓で別のグループと楽しそうに話している。
「なんです? あれって」
「兵助がお前に『好き』だの『可愛い』だの縋りつくやつ」
「ああ、まあ、そうですね」
 少し前までは飲み会の度に発生して最早笑い話のようになっていた。やられる側としては堪ったものではないのでなくなってほっとしているのが正直なところだ。
「なんだ、釣った魚には餌をやらないタイプなのか?」
「そういうんではないんですけど」
「じゃあなんなんだ?」
 手元のピーチウーロンをちびちび舐めながら、僕はどこまで正直に答えるか悩む。
 色々あって晴れて久々知先輩とお付き合いを始めた僕のことを、立花先輩は大層心配してくれている。そりゃあ、酔うと周りの目も気にせず「好き」だと縋りついてくる男に後輩が捕まったと知れば僕だって心配するだろう。あんな遊び人みたいなのに引っ掛かるなんて自分でもちょっと不本意だ。仲良くなるにつれてどうやらその印象は間違いらしいことがわかってきたので実際のところ心配は無用なのだが、全て説明するとなると完全な惚気になってしまう。それは些か恥ずかしい。
「あの人、最近僕のいる飲み会では飲んでないんですよ」
「そうなのか?」
 立花先輩はびっくりしたのか僕と久々知先輩を交互に見ている。僕たちみたいに穏やかに飲んでいるならともかく、騒がしい酔っ払いのテンションにほとんど素面で着いていってると思えば驚くのも無理はないだろう。
「はい、酔うと相変わらずあれなので」
「ほう、それはなかなか殊勝な心掛けじゃないか。恋人のために自制するとは」
「というよりはたぶん自分のためですね。全部覚えてるタイプなので翌朝恥ずかしがってます」
「ってことは全く飲んでないわけではないのか?」
「僕のいないとこでは普通に飲んでますね」
「は?」
 立花先輩が静かに揺らしていたお猪口を机にとんと置いた。顔を曇らせ、言いづらそうに声を落とす。
「あー、それは、その、大丈夫なのか? 浮気とか」
「まあされたらされた時じゃないですかね」
 今のところ浮気される可能性は低いと思っているが、この世に絶対といえるものもない。そう考えれば何をしたってされる時はされるので、間違ってはいないはずだ。まだ付き合って数ヶ月の大学生に一生添い遂げるような覚悟もない。
「お前がいいなら外野が口を出すことでもないが……でも私の可愛い後輩を蔑ろにするような奴に嫁には行かせられんぞ」
「そしたら自分でぶん殴ってやるので大丈夫ですよ」
「その時は私にもぶん殴らせろ」
「いいですよ」
 立花先輩とくすくす笑い合う。いつの間にか近くに来ていた久々知先輩が一部だけ聞いていたらしく、きょとんとした顔でこちらを見ていた。
「誰をぶん殴る相談してるんです?」
「お前だな」
「えっ」
「先輩が浮気したら僕だけじゃなく立花先輩もぶん殴ってくれるらしいです」
「俺、そんな信用ない?」
「どっちかというと信用してるからですかね。されたら怒り心頭で殴るくらいじゃ許せないかも」
「しないから大丈夫だよ」
 頭をぽんぽんと撫でられる。素面の久々知先輩と違って僕は程よく酔っているので、そのまま甘えるみたいに頭を寄せる。普段なら人前でこんな大胆なことは恥ずかしくてできないのだが、みんな酔っている今ならたぶん許される。せっかくなので見せつけるみたいにくっついておく。浮気の心配はしていないが、この人僕のなんだよーという優越感には浸りたい。
「おい、私の前でいちゃつくな」
「じゃあ立花先輩も撫でてください」
「ちょっと、それは浮気じゃないの?」
「頭撫でられるくらい浮気に入りませーん」
 立花先輩が勝ち誇ったように僕の頭を撫でながら、「けどお前が他の女の頭を撫でたらぶん殴るからな」と反対の手でびしりと指を差した。
「えぇっすごい理不尽……っていうかなんで俺が負けた感じになってるの?」
「先輩とは帰ったらいくらでもいちゃいちゃできるので今は立花先輩が優先です」
「そういうことだ。帰る頃には返してやるからさっさと去れ」
 立花先輩がしっしっと手を振る。久々知先輩は不服そうにしながらも強く反発することもできず、すごすごと退散していった。これくらいの戯れで浮気だなんて誰も思っていないのだ。帰る時にはちゃーんと久々知先輩の隣に戻るので、先輩にも文句を言われたことはない。

□ □ □

 それから、1ヶ月程が経過したある夜のことである。
 立花先輩から「悪いが、今から家に行ってもいいか?」と電話がかかってきた。もう夜も更けた頃で、立花先輩にしては珍しい。
「何かありましたか?」
「ちょっと兵助に飲ませすぎてな。可能なら引き取ってほしくて……。ああ、いや、飲ませたのは私だからな。迷惑ならそう言ってくれ。こっちでどうにかするから」
 後ろから「きはちろうってほんとにかわいくて」と熱弁する久々知先輩の声が聞こえてきて、僕には簡単に状況が理解できてしまった。同級生の皆さんだけでなく立花先輩にまで“あれ”を発動しているらしい。想像すると顔が熱くなってしまう。
 断ることはできるが、そうすると久々知先輩が寝てしまうまで立花先輩にあれを聞かせることになる。それならこっちで引き取った方がいい。
「連れてきてはくれるんですかね」
「そうだな、連れてって大丈夫か」
「はい、お願いします」
「すまんな、迷惑かけて」
「こちらこそ久々知先輩がご迷惑お掛けします」
 酔っ払いの先輩が足を滑らせないよう床に散らばっていたレジュメや洗濯物を適当に隅に寄せていると、程なくしてチャイムが鳴った。
「すまないな。ちょっと私1人では手に負えなくて」
「いいですけど、2人で飲んでたんですか?」
「ああ、やはりこないだ聞いた話がちょっと気掛かりでな。浮気の心配があるなら事前に喝でも入れてやろうかと思って」
 2人で飲みに行く程仲が良かっただろうかと不思議に思っていたから、ようやく合点がいった。立花先輩流のテストだったらしい。
「心配なかったでしょう?」
「そうだな。気づいたらずっとお前の話ばかりしている」
 立花先輩が苦笑する。
 僕がちっとも浮気を心配していないのはそういうことだ。僕が最初にそれを見たのは尾浜先輩から送られてきた動画だった。芸能人や大学のミスコンで優勝した同級生なんかを含めた何人かの写真を酔った久々知先輩に1枚ずつ見せて「かわいい?」と聞く。一般的には間違いなく可愛いと言える人たちばかりなのにあんまりピンときていない様子の久々知先輩が、僕の写真を見せられた時だけ「かわいい」とデレデレし始める。それが送られてきた時にはあまりに出来すぎていて正直ヤラセを疑った。
 けれど久々知先輩と仲の良い人たちがみんな口を揃えて「こいつ酔うとお前の話しかしなくなるんだぜ」なんて言うし、居酒屋で偶然出会した時には僕に気づかず延々惚気ている。ちなみに気づいても惚気は止まらない。ここまでくれば僕も流石に信じるしかない。
 久々知先輩は本当に僕1人のことが大好きらしい!
 どうせなら普段からもうちょっと言ってくれればいいのになとは思うが、必要な時にはちゃんと言ってくれるので贅沢は言わないことにしている。
 立花先輩の肩から久々知先輩を引き取るとそのまま顔を寄せられて、「酒臭いんでやめてください」と慌てて押し除けた。2人きりか自分も酔っているならまだしも、慕っている先輩の前で素面のままキスを披露するのは勘弁願いたい。酔ってご機嫌の先輩はキスを拒否されてもちっとも堪えた様子もなく、「たちばなせんぱい、このこおれのかれしなの。こんなかわいいこがおれとつきあってるのすごくないですか?」とにこにこ自慢している。酔っ払いの戯言だとわかっていても頬がだらしなく緩みそうになる。
「そうだな、逃げられないようにしっかり捕まえとけよ」
 立花先輩が久々知先輩の背中をばしんと叩く。結構痛そうな音がしたが、久々知先輩は気にした風もなく「はい」と幸せそうに微笑んだ。
「喜八郎、悪いがこいつにちゃんと水飲ませてやってくれ」
「はいはい。そこらへんは慣れてるんで大丈夫ですよ。お疲れ様です」
「ああ、お疲れ」
 立花先輩に手を振って、扉が閉まった途端に頬にちゅうと吸いつかれる。こういう時、酔ってるなんて嘘なんじゃないかと思う。どっちでもいいから確認したことはない。
「きはちろ、だいすき」
「はいはい、僕も好きですよ」
「かわいい」
 ぎゅうと僕にしがみつく先輩が可愛くて頭を撫でる。先輩が嬉しそうに僕の胸に頭をぐりぐりと押し付ける。
「いっしょうだいじにする」
「ありがとうございます」
 先輩にじっと見つめられる。目を閉じると、待っていたみたいに唇が合わさった。案の定酒臭かったけれど、甘えてくる先輩なんてこういう時にしか見られないのであんまり気にならない。
「えへへ、しあわせ」
「僕も先輩と一緒にいられて幸せです」
「ほんと!? そーしそーあいだ!」
「そうですね」
 今更なことに歓声を上げる久々知先輩はやっぱり可愛い。もう我慢しなくても見るのは久々知先輩だけなので頬は緩みっぱなしだ。いつまでも玄関先で喋っているわけにもいかないので、先輩の手を引いて居室へ誘導する。
「お水飲んで今日はもう寝ましょうね」
「ぎゅうしてねてもいい?」
 絡めた指をしっかりと握り直される。ふふふとついに堪えきれなくなった吐息が漏れる。
「いつもそうでしょう」
 この家にはベッドはひとつしかないのだ。


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