三角リョヲヘイ
2025-10-05 17:54:32
17723文字
Public
 

月に鎮め/本編小説、第十三話

明かりと暗がりの話

ずっと手を握って隣を歩いていられればよかったのに、現実ではそうはいかない。
なるべく手を繋いでいて欲しい、なるべく側にいて欲しい、なるべく会話はするべきだ。そして持つべきものは友である。そういうお話。

第十三話
明かりと暗がりの話



羅乃目らのめ……紅族。第十九代統領
黒骸くろむくろ……紅族。羅乃目の許婚
羅神らじん……羅乃目に憑いている黒い狼の憑守つきかみ
雨庸うよう……黒骸に憑いている白い大蛇の憑守
鎌苅トキ時かまかりときじ……憑守が見える、食事処伊呂波しょくじどころいろは二代目店主
天河良あまかわりょう……通称「死神」。伊呂波のケツ持ちをしている彫り師
要イタルかなめいたる……家族想いの優しい青年



 食物連鎖における捕食者と被捕食者が手を取り合う友情物語は、いつの時代にも顔を出す御伽話の鉄板だ。
 では実際はどうだろうか。
 意思疎通の出来ない相手に、一方的に家族友人恋人を捕って食われる立場の、まあなんとも非力なこと。これを言葉で表す際の、ああ無惨なこと。
 誰か助けてください。
 あいつを殺してください。
 仇を討ちたい。
 死にたくない。
 復讐したい。
 捕食者を退治してくれる第三者が居れば、あるいは被捕食者との間に友情に近い何かは生まれる可能性はあるだろうか。
 では皆様、日々この積み重ねの上に立って生を得ていること、ゆめゆめお忘れなきように。
 

     ◇


 嘆く男の背後にそっと近寄り、目にも留まらぬ速さで鞘に込めたままの脇差を首に突きつけた。
……そいつ、俺が殺してやろうか?」
 訳がわからないまま窮地に陥ったと思い込んだ男は、声も出せずに震え上がっている。
「何をしているのですか、斬るべきはその男ではなく、その男の恨んでいる相手の筈です」
「いやね、こうやって腕前を先に披露しておくと、この後の話が円滑になるってもんだ」

 ──『血殺仕置人 上』より、一部抜粋。


     ◇


 今回はよくないものの重なりで生まれた黒点のような出来事であった。
 たまたまその日だけ気が抜けていたから? なんだかんだで大丈夫だと思っていたから? 蓋を開けて、気が緩んでいた自分に絶望したから?
 どれにせよ、なんにせよ、鎌苅トキ時は世間一般では被捕食者の立場にあるということを念頭に置いて読み進めて頂きたい。悲しいかな彼は他人を疑わず、警戒せず、分け隔てなく全力で優しく、温厚で、非力。
 そして、北町の死神様の親友である。
 まずは何が起きたのかの説明が必要だろう、長くて退屈だろうが読み飛ばさずにお願いしたい。
 トキ時は社交的な男である。店で常連たちの顔と名前と家族構成やらなんやらをきっちり覚えて話題を合わせる能力を持っているし、瓦版で花びらや比較的近い東町の最新情報を逐一入手して世間話の話題を場に提供することもできる。道で知った顔があれば欠かさず挨拶を交わし、そのまま他愛のない雑談を楽しむこともできる。そして彼のやや行き過ぎた節のある他者への優しさがもたらすものは災いだけではない。むしろ大抵の人間は笑顔で感謝を述べてくれる、逆に利用しようとする方が割合から見ると稀なのだ。
 それでも九十九のよいことの前に、一の悪いことが出てきてしまうこともある。それだけ負の印象というものは強く、覆し難い。
 話がやや逸れたが、つまりトキ時はそういった繋がりで知人が多くひとりで外出することもあるということである。何も彼の生活は食事処伊呂波だけで繰り広げられているわけではない、同業者の茶飲み友達くらいいるのだ。
「じゃあ、留守番よろしくな。ちゃんと夜には帰るからな」
「はあい」
「お気を付けて」
 羅乃目と黒骸も普段通りに送り出した。先日心臓が張り裂けてしまいそうになる事件はあったものの、既に犯人は処理済みで再犯の恐れはない。また多少の危険が常に隣り合わせの生活であるということは周知の事実であり、その全てを警戒することは不可能であるということも同時に理解している。日常を享受できる時は、目一杯味わうべきだ。
 これが発端である。
 夜には帰ると告げた彼は約束を違えて帰ってこなかったのだ。正確には帰ってこられなかったと言える。
 簡単に言えばトキ時は拉致されていた、北町の死神様を呼び出す餌として。
 羅乃目と黒骸は帰宅しないトキ時を心配して心当たりを探すも、羅乃目の鼻を持ってしても最終的な居所までは追跡出来ずに捜索は難航。良へ相談しようにも、彼も不在で捕まらず増援は得られなかった。それでも町の治安やトキ時の性分を思うと打ち切りにすることは到底出来ず、羅神を伊呂波に残し手分けして捜索を続けた。
 その頃、良は呼び出された小屋の戸を開き絶望していた、己の愚かさに。
 過去一番痛めつけられたトキ時の姿が視界に入った瞬間に、全身の血の気が引いた。
 こうならないように気を張っていた筈だった。
 油断していた? まさか。
 羅乃目と黒骸が居るから大丈夫だと思っていた?
 どうしてこんなことになった。
 梁に渡した縄で手首を縛り吊り下げられ、爪先立ちでなんとか地面と接しているだけのトキ時に。額から血を流し太ももに釘の刺さったトキ時に。少し油断していたかもしれないなどと詫びを入れるのか? こんなに手酷く痛めつけられる日が来ることを想像していなかった、などと?
──全て自分のせいだ。
 この刹那の絶望が死神様に隙を生んでしまったのだ。背後から角材で殴られ意識を失うと、トキ時と同じ道を辿る。
 もっとも、トキ時を拉致して良を呼び出した道を外れた若者たちは、良をいたぶると言うよりトキ時をいたぶって良の反応を楽しむ方に楽しみを見出してしまったらしい。良としては最低最悪な展開だ。 
 良は絶望感と頭に上る血に阻まれて、いつもの聡明さを失いかけていた。それでもなんとか持ち堪え、トキ時だけは逃がそうと心に決める。一瞬の隙をついて匕首を奪うとトキ時を繋ぐ梁の縄を切った。自分が柔軟性の高い身体でよかったと脳の片隅で思いながら放つ、「死ぬ気で走れ! 振り返るな!」
 トキ時が到底走れる状態にないことを知りつつも、そう叫ぶことしか出来ない無力さ。
……!」
「いいから行け!!」
 トキ時を追いかけようとする男たちを牽制する為に、良は戸枠に向かって先程奪った匕首を投げた。
 勢いよく突き刺さるそれは、良とトキ時を梁へと繋いでいた縄こそ切り落とした後だったが、良の手首を左右で仲良く繋ぎ止めている縄は切る前であった。
「おいおい、あんな非力な堅気をわざわざ追いかけていたぶるよりも、この死神様が直々に相手してやるってんだ。明らかにこっちの方が楽しいだろ? 来いよ」
 何もかもかなぐり捨てて無様に走るトキ時は、ここが北町であることは理解していたがそれ以上の情報を持っていない。真っ直ぐに西町を目指したい気持ちとは裏腹に、闇雲に走って気休め程度の距離を稼ぐしかない。
 そんなトキ時を西町まで案内したのはイタルであった。
「おやあ? 死神の友だちじゃないか。どうしたんだいこんな場所で。ひとりかい?」
 イタルは妙に人懐こいが北町の男だ。トキ時が怪我をしていようが流血していようが手首が縄で縛られていようが全く動じずに笑顔で話しかけてくる。
 この時ばかりはイタルの姿が後光を背負った仏に見えた。
「あっ、の……!」
 全速力で駆けてきたトキ時は乾いた口内に水分を与えようと唾を飲み込むが、喉につかえて空回りするばかり。
「落ち着きなよ。どうしたんだい」
 イタルは空いている左手でトキ時の背中を軽く叩いた。
「ううん、これは切っちゃおうか。邪魔そうだね」
 トキ時が息を整えている間に身体の前で居心地の悪そうに並んでいた手首の縄をイタルは腰にぶら下げた鉈で両断した。不意打ちにも近かったが、むしろ構えていたらトキ時が怯えて失敗していた未来が見えるのでこれで問題ない。トキ時もそれどころではないので両手が自由になったという結果だけ受け取った。
「にし、まちは、どっちですか! 伊呂波へ! 急いでいます、最速最短で行きたい!」
「いいよぉ、最速最短で案内してあげようね。大丈夫、困った時は助け合いだ。死神の友だち」
 イタルは目を細めてにっこりと笑うと、言うが早いか左手でトキ時の腕を掴むと飛ぶように走り出した。細い見た目通りなかなかに動きが素早い。
 イタルに引っ張られながら痛む足を懸命に動かすトキ時は、まとまらない考えを溢さないように物理的に頭へ手を添えた。頭痛が止まない、全身が痛い、吐き気がする。とにかく今は北町を出て身の安全を確保しつつ、羅乃目か黒骸に良の救出へ向かってもらわねばならない。良がひとりであの場を乗り切れるのかがわからない。
 手を引いてくれるイタルは走っている最中でも仏のように見えた。爬虫類的な何かに姿を変えて人間を助けてくれる、なんというか、そういう類いの。この際イタルの右手が髪を鷲掴みにしている迎えたばかりの新しい家族(当然、生首である。黒ずんだ恨めしそうな表情は……いや詳細を述べるのは止めておこう)で塞がっていることは不問にしよう。
「大丈夫かい? もっとゆっくりも出来るよ」
「いえ、だだい大丈夫、です、もっと速くても」
「うん、わかった。急ごうねえ」
 一方で羅乃目は、西町へ近付くトキ時の匂いを察知した。常に気を張って探していたのだ。
「トキさんの匂いする!」羅乃目は下駄の上で爪先立ちになって風を読む。「あっち!」
 黒骸の腕を引いて走る羅乃目と、トキ時の腕を引いて走るイタルが出会うのにさほど時間は必要なかった。互いに最速で真っ直ぐ目的地を目指した結果である。
「トキさん!」
「羅乃目ぇ!」
 トキ時を視界に捉えた最後の最後の距離を、羅乃目は黒骸の腕を離してひとりで駆けた。
 伊呂波には到着していないが、死神の友だち同士が合流出来たことにイタルは満足そうにしている。
「その怪我……! どうしたんですか」
 ひと呼吸遅れて黒骸も合流する。素人なりに応急処置にならないかと、懐の手拭いを取り出した。
「説明は後だ、俺はいい、良が危ないかもしれない! 助けに行ってくれ!」
「おや、死神の危機だったのかい? 珍しいねえ」
 トキ時の怪我、良の危機。羅乃目の脳みそは本能に一番近いところで素早く回転する。
「黒はトキさん連れてじいちゃんのとこ行って! この前のトキさんと旅行帰りの死神、他の匂いが混ざってなかった、こっそりいっぱい嗅いだでやんす、多分ある程度近付けば大丈夫! 方角だけ教えて!」
 羅乃目からの要望にトキ時は言葉を濁らせた、必死になり過ぎて方角云々だなんて何ひとつ気にしていなかったのだ。自分がどちらからどのくらい走って来たかなどまるで覚えていない。
「死神の友だちが来た方角、死神の危機、と考えると……ああ、あの辺りかな。前にお迎えに行ったことがあるねえ。あの一帯は組織の隠れ家みたいに使っているおっかない輩が多いんだよ。危ないねえ」
 イタルは髪を鷲掴みにしていた生首をひょいと顔の高さまで上げ、それと目を合わせながら話している。
「場所、詳しくわかるでやんすか」
 イタルは視線を生首から羅乃目に変えると、また口角をきゅっと上げて微笑んだ。
「勿論教えてあげようね。友だちとは助け合いだよ」
 かなり詳細な位置をイタルから聞くことが出来た羅乃目は下駄を脱いで手に持つと裸足で走り出す。
「若い連中が多かったなら、多分道なりに三軒目の小屋じゃないかな。小屋と言ってもちょっと大きくて、まあ半分廃墟みたいなやつだねえ。気をつけるんだよ。また今度うちにお茶しにおいで、友だちは大歓迎さ」
 脳内でイタルの言葉をねっとりと再生させながら、目当ての場所まで走る走る走る。
 そうして間一髪戸を蹴破って助太刀に入ることに成功した羅乃目は、良に斬りかかる男の顔面を膝で砕いて救出する。
「羅乃目、なんでここに……!」
 両手の自由が奪われたままの良は劣勢を強いられていた。かの北町の死神様と言えど、あと少し到着が遅ければ本当に危なかったかもしれない。物理的な不利とは別に、どうやら精神的に陰っている部分が大きいように見受けられる。
「トキさんが死神を助けに行ってくれって、骨男も一緒で、骨男がここじゃないかって場所を詳しく教えてくれたでやんす」
「ほね……イタルか」
 良は思いつく範囲の羅乃目の交友関係を頭に並べ、該当する人物を引っ張り出した。骨男がふたりもいたならばそれは少々問題とも感じるが。
「死神だいじょぶ?」
「あー、うん、大丈夫……ごめんな」
「こいつらトキさんと死神いじめた人間ども?」
「トキ時をいじめた悪い奴ら」
「じゃあぜんぶころしちゃってい?」
 物騒な言葉を辿り、良がちらりと覗いた羅乃目の瞳は真っ黒で何も写していなかった。静かに羅乃目は怒っている、トキ時に手を出した人間に対して。
……ああ、いいよ……手加減しなくて」
 本来であれば少女にこんな台詞を吐くことは許されないだろう。しかし良自身もここにいる奴らのことを皆殺しにしてしまいたいと思っている。苦し紛れに取ってつけた「手加減しなくて」で誰に対してかわからない良心を示した。
「死神ここに居て、わっちがやる。巻き添えしちゃったら大変でやんす」
…………


 駆け足であるが、さて、長かった。
 前提は理解出来たであろう、さて、いよいよ。
 痛みと悲しみの記録などそう何度もつらつらと語りたくないものなのだ。最小限で収めたい。
 物語はここから始まる。


「もう一回言ってみろ! くそ野郎!」
 食事処伊呂波では喧嘩が勃発している、大の男が大声をあげて。
「だから俺たちはもっと距離を置いた方がいい、トキ時をこれ以上危険な目に遭わせたくない。これで何回目? 今回が一番酷かった。全部俺のせいだ。俺が居なくても店には羅乃目と黒がいるし、ふたりが守ってくれる。俺はいない方がいい」
 それぞれの窮地を脱し儀三郎の手当てを受けた面々は、その痛々しい姿でもまだ活動する元気があるらしい。
「はあ?!」
 正確に言えばトキ時が良を一方的に怒っている、大声で。普段からは想像も出来ない形相で、ただでさえ手当のあとが目立つその姿に今にも切れそうな血管を浮かび上がらせながら、全身全霊全力で渾身の抗議をしている。
「俺は西町の男だ! しかもこんなに北町の近くの! 危ない目に遭うのは承知の上でここに居る! 馬鹿にするな!」
 善良なトキ時は北町の死神様を壁へ追いやって胸ぐらを掴み、少し下から睨み上げて怒鳴りつけている。
「俺は俺の意思で助けを求めてきた知らない奴を助けた! 結果そいつはとんでもなく悪い奴だったし、おかげでこんな目に遭ったけどな! でも全部俺の意思だ! 俺がそうした! そんでお前は俺を助けに来てくれた! 俺は五体満足で今ここに居る! 何が不満だってんだ!」
 良の態度がトキ時を苛立たせている。
「そんな死にそうな顔しやがって、俺はそんなに頼りないかよ!」
 良は矢継ぎ早に投げられるトキ時からの言葉を俯いた顔で受け続けるばかりで、トキ時としては埒が開かない。益々、苛立つ。
「なんか言え! さっきとは違うことを!」
「頼りないよ、正直頼りない……でも別にトキ時にそんなの求めてない」
「ふざけんなよお前!」
 トキ時のあまりの形相に止めるべきかと薄く唇を開いた黒骸の腕を掴んで、羅乃目が土間へと引っ張って行く。落ち着いた瞳で首を横に振り、口を出すべきではないと黒骸へ無言の圧を掛けている。
「トキ時が危ない目に遭うのは場所のせいじゃない。全部俺のせいだ」
 土間と店を隔てる暖簾の向こうから、良の頼りない声が聞こえてくる。
「そんなに責任感じるくらいならしっかり守れよ! 離れるなんて馬鹿なこと言ってねえでなんなら四六時中つきっきりの勢いで! そんなこと承知の上でやってんだこっちは! 北町の死神様がケツ持ちしてる店の店主が堅気ですなんて腑抜けた面でのうのうと生きてると思ったら大間違いだからな!」
 良の瞳はハッと見開かれると、眉間の皺が苦しそうに現れるのと並行して一度瞑られた。ややあって開かれたそれは懇願の色を纏っている。
「駄目だ……トキ時はこっち側じゃないだろ。駄目なんだよ、お前は料理人だろ。頼むから明るいところにいろよ。深く関わり過ぎ、尚更俺はいない方がいい」
「いいわけあるか! じゃあいるのか? この店の後ろに立つのにお前よりも相応しい男が! 連れて来いよ! 俺が見定めてやる!」
……
「いないだろうが! だろうな! 誰連れて来ても却下だからな! 俺はここに居ることを俺が決めたし、俺はお前がいいって俺が決めてんだ!」
 暖簾越しでもはっきりと聞こえるトキ時の明瞭な発声は、土間でふたつの漬け物樽を眺める獣たちにもよく聞こえていた。
「俺はお前が好きだから一緒にいるんだ! 好きだから馬鹿なこと言うお前を怒ってんだ!」
……俺のせいで怪我するトキ時を見たくないのは、悪いこと?」
「だから、それがふざけんなって! 言ってんだ!」
 トキ時が握り切れていないやわやわな右の拳で良を殴ろうと腕を振りかぶる。言ってわからないのなら暴力に訴えるというのは非常に短絡的で低俗ではあったが、暴力と諍いを嫌うトキ時が直接手を上げるくらいには頭に血が昇っている証拠であろう。男同士の喧嘩だ、多少の暴力は口を噤もう。
 しかし目一杯全力で良の頬を狙ったやわやわ拳は、頬に届く前に良の左手の平に阻まれて止まることになる。適度に受け流し勢いを殺されたやわやわを包む綺麗な手、まるで三すくみじゃんけんだ。
「人を殴るならちゃんと拳を握って目を瞑るなって、前にも言ったろ。手痛めたらどうすんの」
「じゃあ何度も殴らせるような真似するんじゃねえ!」
 負けじともう一発かます為に、トキ時は力を込め直した拳を良の手の平から救出する。良はトキ時のしっかりと握られた拳を左目で確認すると、自然な動きでそれを阻んでいた左手を下ろした。素直に当たってやるつもりなのだ、なんならトキ時が手を痛めない範囲で気が済むまで殴られてもいいと思っている。
「ふたりとも、そこまででやんすよ」
「!」「!」
 決して大声を出したわけではないが、羅乃目の声は伊呂波の中にスッと差し込むような鋭さで響いた。暗がりを割って差し込む月の光のような。
「わっちが聞いてる限りだと、トキさんの意見の方が優勢だと思う。今更死神が離れたってここの店のケツ持ちは変わらないし、もう界隈に仲がいいって情報は浸透し切ってる。仮にふたりが完全に仲違いしたらしたで単純にトキさんはこの町そのものの獲物になるだけでやんすよ、死神の知らないところでトキさんが怪我するだけ。だからトキさんの言う通り、むしろ死神はずっと一緒にいた方がいいくらい」
 邪魔が入ったトキ時の拳はしばし宙を彷徨い居心地悪そうにうろうろすると、太もも上部の定位置にだらりと収まった。
「でも死神がトキさんを思って突き放したい気持ちもわかるでやんす。大事だからこそ一緒にいられないは、多分、ある……と思う、わっちは」
 ずっと曇っていた良の表情が、サッともう一段階深く曇る。
「だから、第三者のわっちの意見を聞いて欲しい」
 ゆっくりとふたりに近付く羅乃目は、この闇を照らす月の光になれるのか。
「トキさんが危険な目に遭うのは、わっちも防ぎたい。わっちはトキさんを守る、だからトキさんにお供をつけたいでやんす」
「おとも……?」
 自分の話をされているトキ時は脳内で漢字に変換されずに音だけで聞き取ったそれを鸚鵡返しで確認しながら、良の胸ぐらを掴んでいた左手も定位置に戻した。
 急速に萎むというよりは、横から手を伸ばされ無理矢理に空気を抜かれたかのようで頭の整理がつかず、状況についていくのが難しい。ああ、怒りの話だ。
「動物……んと、鳥とかがいいと思う、烏かな、頭いいから。二羽で一組にして外出時のトキさんの追跡をして、トキさんが危ない目に遭った時にわっちか黒に伝えてもらう。どうでやんすか?」
 羅乃目は最後に意見を求めている言葉を付け足したが、恐らく彼女の中では決定事項になっている。
「いやその、つ、常に行動を見張られてるってのは、ちょっと……
 予想していなかった動物のお供の提案に、人間であるトキ時は戸惑っている。からすのおともをしたがえて、おにたいじにでもむかうというのか。
 トキ時の頭上が疑問符で埋まる前に、羅乃目が言葉を続けた。
「逐一報告が欲しいわけじゃないでやんす。トキさんが助けてとか、このままだとだめそう、とかになったら、こう、なんか、合図とか決めといて、それで動いてもらう。たくさん練習がいるし、もしもの時も絶対成功するとは限らない、けど……」羅乃目は一度唇をきゅっと結んで間を開けた。「朔太郎はおじさんの目になって隣を歩いてた。動物と人間は、助け合って共存できる」
 今の彼女はこの考えで動いている。
 並んで歩くひとりと一匹の姿を見た時に受けた衝撃を反芻しながら。
 姿形が異なっていても、言葉がわからなくても、助け合える。
 筈だ。
「合図、音がいいでやんすね。口笛とか……トキさん吹ける?」
「く、くちぶえ……?」
 当事者である自分を置いてけぼりにしてどんどん話を進める羅乃目をどう止めようかと思案しているトキ時は、先程から言葉が音として脳内に響くばかりだ。
「口笛だと焦りなどで咄嗟に吹けない可能性がある。笛か何かを用意しておく方が賢明だろう」
 どうやら羅神もこの案に賛同しているらしい。確かに笛ならば口笛より遥かに簡単に音を出せる、実に的確な助言だ。
「そっか、笛。笛にしよ!」
 羅乃目は羅神のふかふかな首元に勢いよく抱きついて助言への礼を済ませる。『羅神に抱きつく』この世で唯一羅乃目にだけ可能で、羅乃目にだけ許された行為。
「ね、トキさん。絶対守るから、とりあえず協力してくれる子を探して来るでやんす!」
 言葉の最後は伊呂波の外から流れてきたものだ。羅乃目は薄墨色の長い髪をなびかせながらあっという間に店から出て行ってしまった。
…………
 羅乃目が残した「絶対守るから」の言葉だけがはっきりとトキ時の中で繰り返される。
 羅乃目は羅乃目なりに今回の件を重く受け止め、仲良しなふたりが離れ離れにならない方法でなんとか事態を進展させようと非常に焦っていた。
 それをようやく感じ取ることに成功したトキ時は、眉毛を八の字にしながら少々場違いに微笑むと三卓の椅子に腰掛け深呼吸をする。
……勇んで出て行ったけど、そんなにすぐ見つかるものなのか? その、協力してくれる子なんて」
 店と土間を仕切る暖簾の前で立ち止まっていた黒骸にトキ時は問う。
「羅乃目と羅神なら、恐らくさほど時間はかからずに協力してくれる動物は見つかると思いますよ。羅乃目が動物に与える影響力はかなりのものです。能力的に見合った相手が見つかるかどうかだけが課題だと思います」
 トキ時が道を開けたことで良も壁から剥がれた。無言のまま一卓まで歩いてわざと離れた場所に座る。
「ちょっと気になってたんだけどさ、羅乃目ってそんなに凄いのか?」
「と言いますと?」
 黒骸は三卓でトキ時と対面になるように店の入口を背にした椅子へと腰掛けた。
「あ、いや誤解しないでくれ。前に羅神が『私を憑けているだけはある』みたいなことを言ってたし、黒も『羅乃目は優秀な逸材』みたいなこと言ってただろ? だからなんか凄いんだろうな〜とは思ってるんだけどいまいちピンときてないんだよな。頼れるし物理的にも強いし実際に命を守ってもらっておいて申し訳ない言い方にはなるんだが、どうしても俺にとっては可愛い妹みたいな感覚が強くてさ」
「ああ」トキ時の言わんとしていることを理解すると、黒骸は足元でとぐろを巻いていた雨庸をつつく。「そうですね、そのあたり詳しい雨庸に説明してもらいましょうか」
 ではここから少し嘘を交えよう。いやいや内容に嘘を織り交ぜるのではない、状況の嘘だ。
 憑守である羅神と雨庸が話した内容は、都度誰かしらが良へ通訳している(内容に信憑性を持たせる為にあえてトキ時が通訳することが多い)。だがこの描写、どうにも間が悪くなってしまう。「だそうだ」「らしい」などという言葉を逐一入れていくのはどうにも美しくない、よって通訳部分を省略して記述を進める。しばし黒骸、雨庸、トキ時、良の、男の滑らかな会話を眺めて頂こう。
「まあそうだな羅乃目はスゲーんだよ。でもこの凄さを説明するには、まずオレたち憑守のことを説明しねえとなァ」
 雨庸は黒骸を慣れた速さでするりとよじ登ると、頭頂部に顎を乗せるような体勢で話を始めた。
「オレたちはよ、憑くのは紅族なら誰だっていいわけじゃねえんだ。オレは羅乃目にゃあ憑けねえし、黒は羅神を憑けられねえ。オレたちはお互いの魂の格と相性が合わねえとならねえ」
「魂の格?」
 と、トキ時。
「ア〜便宜上こう言うが他に表しようがねえんだ、そういうもんだと思ってくれ。お互いにその辺の均衡が取れてねえとオレたちはやっていけねえんだ。んでよォ、憑守の格ってのは主に生きた年数と、加えて食った魂の数で決まるんだ」
「食った魂の数、ね」
 と、良からの相槌。
「オレ様は超絶男前な蛇時代に分霊を貰って憑守になった。大体三百歳ってところだ。んで憑くのは黒がふたり目、言っちまえばまだまだ憑守としてはガキの部類だ、格は下から数えた方が早い。つまり伸び代しかねえ輝かしい存在ってわけだな」
 雨庸は蛇なので張る胸はないのだが、明らかに胸を張っているつもりだと受け取れる反り返り方をして得意気に鼻息を荒くする。
「んで羅神は最初期から存在している憑守で、歳は千を越えてから数えるのを止めたって言ってんだよ、実際いくつなんだか誰も知らねえ。だが絶対ェとんでもなくジジイだ。ンで又聞きした話だけどな、あいつどうも元から妖だったらしい。猫にもいるだろ? ホラ、猫又とかがよ。あれの狼版みてえな存在だったらしくてよォ。そもそもの作りが普通の憑守と違えし、憑守になる前から相当長生きしてきてやがるし、妖時代から獣の神と懇意だったなんて噂まである。こいつの真偽はよくわからねえけどな」
「あえ、じゃあ……
 自分が聞いたのだからと真面目な顔で前のめりになって聞いていたトキ時は、雨庸の言葉から受けた情報を整理してひとつの可能性に辿り着いた。
「おうよ、お察しの通り羅神は憑守の中で最上位の格に鎮座していやがる、食った魂の数も相当なもんの筈だ。本当はオレ様がこんな口叩ける相手じゃねえんだなこれが!」
 ここで雨庸は「ギャハハハ」と大声で笑い、黒骸にうるさいと拳で軽く殴られていた。
「でもな、ここで妙な板挟みが生じる。紅族と魂の格が合わねえとオレたちは憑けねえ。悲しいかな憑けねえと魂が食えねえから格が上がらねえ。いや生きた年数だけでも格は上がるけどよ、箔がつかねえんだ。つってもこればっかりは相性が合う紅族が生まれねえと駄目だからオレらとしてもなんとも言えねえんだけどな、格だけじゃなくて相性も必要だしよ。だが事実食ってれば食ってる程いい、正直かなりいい……あーつまり、オレたちの格に見合う紅族がいねえといけねえんだ、こっち側だけ格が上がって凄くなっても意味がねえ」
 憑守を神と呼ぶべきか妖と呼ぶべきか悩ましいところではあるが、一旦ここは妖としよう。夕食ゆうげの魚の数と同じ感覚で魂の話をしている、これが俗に言う妖話あやかしトークであろうか。世界観に合わない造語、失礼した。
「なんでそんな妙な造りになってんだ? 生きた年数だけでも格が上がるなら紅族との差は広がる一方な気がするんだけど気のせい? そのうち誰にも憑けない憑守が出てくるだ……」言葉の途中で良は気が付いた。「……それが羅神なのか」
「お、死神は話が早えな。そうだ、羅神は格が高過ぎて最近は憑ける紅族が全く生まれなかった。だが憑ける相手がいない間も年数重ねて格は上がる。こんなに虚しいことはあるめえよ、紅族に憑いてこそのオレたちなのによォ。この構図は獣の神も誤算だったらしい。言い方悪いが昔の紅族の方が全体的に質がよくてこんな問題が起きるなんて予想されてなかったみてえだ。オレたちは紅族に余すことなく加護を与える為に後から生み出された存在だけどな、思いがけない不都合や不具合を全て避けられるもんじゃねえ」人間には極めて判断がつきにくいが、雨庸はさも残念そうな顔をした。「ちなみに誰にも憑けないくれえの格だったのは今んとこオレの知る限り羅神だけだな。だがこういう理由である程度は新しい憑守を増やし続ける必要もあったわけよ。流石に今は増やしてねえだろうけど、前に黒が言ってた『獣の神が分霊出し過ぎて本体が弱ってる』ってのは事実だ」
 憑守の言う「最近」がどれだけの年数を示しているのかは定かではないが、人間の感覚よりは遥かに長い月日を表しているのだろうとトキ時は判断した。
「つまり、元から凄いのに長い年月を掛けて更に凄くなり過ぎて誰にも憑けなくなった羅神を憑けて羅乃目が生まれた……それだけ凄いってことが生まれた瞬間から保証されているってことか」
「ええ、そういうことです。俺はなんとなくしか覚えていませんが、それはもう里中が大変なお祭り騒ぎだったらしいですよ。次期統領の血筋であることも相まって、羅乃目はかなり神聖視されていました」
……凄いんだな、羅乃目って」
 おおよそ半年分の「凄い」を口にしたであろうトキ時は、つい今し方まで血管が切れそうになるくらいに怒り狂っていたことを忘れかけている。新しい情報という波に飲まれているのだ。今彼の頭の中は羅乃目の様々な表情と「凄い」の文字がくるくると輪をなして踊っている。
「ンまあそんなところだ。羅乃目は確かにわかりやすく凄えがな、黒だって負けちゃいねえ、なにせこのオレ様が憑いてんだからな。オレ様は黒の最適、羅神は羅乃目の最適ってな。オレたちは二個でひとつ、二個で最強。ちゃんとうまいこと出来てんだ」
……憑守って見ただけでどれだけ凄いのかわかるもんなのか?」
「憑守同士と紅族ならわかる。そうだな……オメエ、野菜や魚見ただけでどのくらい新鮮か判断出来るだろ?」
「ああ〜」
 自身にとって非常にわかりやすい例えを出してきた雨庸に感心しながらトキ時は左手の平の上で右の拳をポンと叩いた。
 役目を終えると雨庸は床へと降りていく。
 店内にはしばしの沈黙が流れた。誰も口にしないが、新しい情報を脳内で整理する時間という共通認識のもとに訪れた沈黙だ。
「いた!」
 沈黙を破り短い主張と共に羅乃目は伊呂波へと飛び込んで来た。その二文字の中には「トキ時を守ることに協力してくれるうえに、それを遂行するに相応しい動物が」いたという意味が込められている。
「うお。ほ、本当に早いな、驚いた」
 羅乃目は走ったからか頬を染め得意げに口角を上げて胸を張る。そして華奢な両肩にはそれぞれ一羽ずつ烏が止まっていた。
「こっちが『ソレ』で、そっちが『コレ』でやんす。トキさんを守るのを手伝ってくれる烏!」
 指をさしてソレだとかコレだとか言うのは、どうやら烏たちの名前らしい。正直なところ人間にはその違いを見分けて名前を呼ぶのは至難の業になりそうだ。
「はいトキさんも自己紹介!」
「え? ああ、と……鎌苅トキ時、です……?」
 落ち着きを取り戻していたトキ時に再び混乱が訪れようとしている。このままでは本当に鬼退治に駆り出される日が来てしまいそうだ。
「はい! んと、笛はまだだからとりあえずトキさんとソレとコレは仲良しにならなきゃでやんすね。明日朔太郎に会いに行っておじさんにも話を聞いてみるでやんす、動物と人間ってどうするのって、だから、えーとえーっと」
 焦りから勢いだけで行動している羅乃目は、どうやらその場その場で無計画らしい。ただトキ時にもう大丈夫だと伝えたい。もう大丈夫にしたい。
「待っておひい、色々する前に俺と散歩しよ」
 考え込むように黙っていた良は突然立ち上がって己の存在を主張すると、羅乃目に向かって手を差し伸べた。手のひらを天に向けた伸ばし方。手を繋ぐように促している。
……うん」
 羅乃目は素直にソレとコレをトキ時の腕に移動させると良の手を取りに「とてて」と近付いた。裸足で北町を爆走していた時と同一人物とはとても思えない。トキ時は突然烏に挟まれ驚いて椅子から腰を上げた。その腰は完全に引けている、その引いた腰ごと烏は着いてくるのに。勢いよく立ったので椅子は後ろへ音を立てて倒れたが、羅乃目はそんなことお構いなしに良と出て行く。「えっ、うわ、え? ちょ、ちょっと待て」
 伊呂波の外ではしばし無言が続くかと思いきや、想像よりも良の開口は早かった。何を話すか決めていたのだろう、店から三歩目で滑舌のよい発音を聞くことが出来た。
「羅乃目がいてくれてよかった。前にも何回かあったんだ、こういう喧嘩……とは少し違うけど、ああいうやつがさ。いつもなあなあで終わって、なんとなく時間が経って仲直りみたいな雰囲気にして有耶無耶にしてさ。根本的に解決するのが難しくて」
 握り合った手はお互いの手のひらを合わせた簡単な形だ。指を絡めるなどはしない。
「うん……難しい、問題だと思うでやんす」
 黒骸よりは小さくて、トキ時よりも大きくて節くれだった良の手は羅乃目をしっかりと捉えている。
「ね、本当。だからありがとう。初めて一歩前に進めた気がする」
 良は羅乃目の手を少し握り直した。より収まりがよくなるように。
「俺はさ、自分の意思でこうなったんだ」
「こう?」
「いわゆる日陰者とでも言うのかな、裏社会的な場所で幅を利かせられる存在。別に止むに止まれぬ事情とか、今日を生きる為に〜の積み重ねとか、偉くなって誰某に復讐とか、そういう切羽詰まったのじゃないんだ。ただどうしてもこうなりたくて、必死に頑張ってなった」
 見上げる羅乃目と、真っ直ぐ前を向いたままの良な視線は交わらない。
「前にさ、なんで俺が死神って呼ばれてるのか聞いてきたっしょ?」
「うん。強いからって言ってたでやんす」
……本当はさ、名前が先なんだ」
 ここで一瞬目を合わせる。良はほのかに笑っているようにも見えたが、すぐさま視線を前方に戻してしまった。
「俺が今のおひいよりも小さい頃に、なんでもないやせっぽちなガキの俺を『死神』って呼んでくれた人がいて、いや名付けたって言うか。あの瞬間脳みそが太陽みたいに光った気がした、ぎらぎらに、全てがひっくり返ったみたいで……とにかくそれがもう嬉しくてさ、この名前が似合う男になりたかったんだ。立派な死神になりたかった」
 羅乃目は良が話している相手が彼の『絶対』のことだと瞬時に理解した。絶対が与えてくれた名前は宝物に負けないくらい輝いているのだろう。良は懐かしさに浸る素振りを見せながらも、あの時と同じ少し寂しそうな顔をしている。
「俺が死神だからこそトキ時と会えたし、結果として店の後ろ盾として役に立ててるし、俺が死神だからこそトキ時を守れているとは思いたい。でもそれと同時にさ、俺が死神だからトキ時を危険な目に遭わせてるのも気が付いてるんだ。わかってる」
 良が羅乃目の手を握る強さが、ぎりぎりと強くなっていく。恐らく繋いでいない方の手も強く握りしめているだろう。
「たまに、俺が死神じゃなかったらよかったんじゃないかって頭をよぎるんだ。あんなに死神になりたかったのにさ、嬉しくて嬉しくて、誇りに思ってるのに。大事なんだ、トキ時が……
 強く握りしめてしまっていたことに気が付いたのか、良は指先で「しまった」とでも言っているように手を離そうとする。しかし緩みかけた手を羅乃目がすかさず握り直した。
……死神は死神をやめなくていいと思う。今まではトキさんを守るのはひとりだったけど、もう違うから。まだちょっと上手く守れてなくてわっちも、むむむって思ってるけど。でもだからって死神が死神をやめる理由にならないでやんすよ。なりたかったものになれたなら手放すべきじゃない。それにひとりでだめなら、みんなで協力したらいいでやんす」
 同意を求めるように良の顔を覗き込む羅乃目は「そうでやんしょ」と付け足した。
「守れもしないのに大事だなんて、言っちゃいけない気がして」
 これにいい返事が浮かばなかった羅乃目は、繋いだ手に力を込めた。ぎゅっぎゅと。緩急をつけて。これが「そんなことない」の意味で受け取ってもらえるよう願いながら。
 彼女は知っている、どれだけ大事で守っていても奪われる時はあっけなく奪われるのだと。他の大事を好き好んで奪う輩はいる、少なくとも人間はそういう生き物だと。
「羅乃目」
「うん?」
「ありがとう」
 どうやら先程のぎゅっぎゅを肯定的な意味で受け取ってもらえたと判断した羅乃目は、犬歯を見せて元気に笑う。
「あのね死神、トキさんはね、すんごく弱いけどちゃんと強くて頼れるでやんすよ」
「知ってる、本当は知ってるよ、ちゃんと。あいつは頼れるし肝が座ってる……びびりのくせに。あとは頑固」
「うん」
 今度こそ良は羅乃目に微笑みかけた。
……俺、帰ったらトキ時に謝るよ」


 こちらは伊呂波に残された黒骸とトキ時。
 まだ時期尚早だろうと、黒骸はソレとコレを自身の肩に招いてトキ時の肩を物理的に軽くすることから始めた。身軽になったトキ時は文字通り「へなへな」と力無く四卓の椅子に腰掛ける。三卓の椅子は倒れたままだ。
……くろぉ〜」
「なんでしょう?」
…………
 名前を呼んでおきながら続きは紡がれず、トキ時は卓に突っ伏して小さく唸るばかりだ。
……もしトキ時さんが己の性分を心から憎んで変えたいと願っているならば協力します、でも違いますよね、あなたはそれを曲げたいとは思っていない」
 話題の見当を付けていた黒骸は、さながら見世物小屋の動物使いのような手付きで烏と戯れながら穏やかな表情で続ける。
「俺も羅乃目も良さんも、トキ時さんの優しさで巡り合った仲です、そしてその優しさに救われたと言っても過言ではないでしょう、恐らく良さんも含めて……一度冷静になってください、欠点のない性格なんて存在しませんよ。俺たちの場合は経緯が特殊ですが、良さんは『それをわかっていて尚且つ一緒に居ることを選択した』筈です。トキ時さんがトキ時さんでいる為に尽力してきたでしょうし、恐らく今後も変わらないでしょう」
 コレが控え目にカアカア鳴き出したので、黒骸は嘴を優しく包み込んで静かにするよう促す。「シ。もう少し待ってて、そう、いいこだね」人間には見せない柔らかい一面を滲ませながら肩を登ってきたコレと頬擦りをする。
「全力で全てに優しくあること、他者を疑わないことはやろうと思えば誰でも出来るような生半可なことでは決してありません。そしてそれを実行するにあたってトキ時さんにはぶれない強い意思があります。それこそ痛い目に遭っても、です。武力で戦えないことは弱さに直結しないのだとあなたを見ていると思います。トキ時さんは真っ直ぐで強い」
 思わず褒められてしまったトキ時は照れくさそうに黒骸へお礼を伝えようと口を開く。「ありが……」しかし突然襲いくる体の震えに言葉は打ち切られた。
「あ、あれ……?」
 思い出された恐怖と己の意思とは裏腹に震える体にトキ時は困惑している。
「ごめん、急に……なんだ、今更、怖、くて……
 不安気に大きく開かれた瞳と形を崩した眉が、脱した筈の窮地に彼が引き戻されていることを物語っている。
……いたくてこわくて、もっと酷いことだって、あのまま、殺されてたかもしれない」
 トキ時はがたがた震える自分の体をなんとか抑えようと肩を抱いて耐えている。脳裏には最悪な時間が再生されてしまっているかもしれない。
「こんな目に遭って、震えてるのに、もう二度とあんなことはごめんだと思ってるのに、それよりも、良がいなくなることの方が、嫌だなんて、変だよな」
「変じゃ……
 黒骸はトキ時の姿を見て咄嗟に駆け寄ったが、駆け寄ってしまった自分に一番困惑している様子で落ち着きなく指先を動かしている。
 せめて肩に優しく手をかけるべきか悩み、ぎこちなく長い指を伸ばして、引っ込めて、伸ばして、結局やめてしまった。この場の最適解に思えるトキ時を抱き締めることも背中をさすることも、自分の中にある人間への復讐心が邪魔をして憚られる。
 急に動いた黒骸に驚いたソレとコレは、肩から羽ばたき適当な場所で首を傾げていた。
……ないですよ」
 紅族である自分と友を心配したい自分とのせめぎ合いの末、黒骸はトキ時の横へ椅子をぴたりと並べて座ることにした。
 着物越しに体温が伝わる程度の、体重をかけないささやかな接触。それ以外は声を掛けることもせずにただ隣にいることだけを主張する。
……また、出せもしなかった、護身用の短刀。持ってるんだ、ちゃんと、でも怖くて、こわくて、俺は、なんにもできない、本当に……!」
 黒骸はささやかな接触に、ほんの少しだけ体重を乗せた。
 体温が、もう少しだけ伝わるように。
 トキ時の震えが、少しでも収まるように。
 ここに並ぶ男たちは、それぞれ異なる思いを抱えて羅乃目と良の帰りを静かに待っている。


 こちらは再び羅乃目と良、伊呂波への帰り道。
「なあ羅乃目、黒とちゃんと話してる?」
「話? うん、するでやんすよ」
 真剣な話を終え、傍目からはふたりとも普段通りの雰囲気を取り戻しているように見えた。手は繋がれたままだ、このまま伊呂波まできちんと繋いで帰るだろう。
「さっきの俺とトキ時みたいに、全力でぶつかるくらい重い大切な話とかできてる?」
 どうやら真剣な話は終わっていなかった。
……んと、わっちらはぶつかれない」
 今度は羅乃目が顔を曇らせる番であった。
「わっちが統領だから、大事な話で意見が割れたら黒は自分のを消しちゃう。これ、あんまりよくないと思ってるでやんすけど、だから、最初からあんまりそういうのは言わないようにしてるでやんす」
……よくない、なあ」
 良は気付いている。
「どんなに心で通じ合ってるとお互いに思っていたとしても、言葉にしないと伝わらないんだよ、羅乃目」
 羅乃目の心は人間に対して無関心寄りではあるが若干の寛容さを持っており、現に大切で守りたいと思うものを人間の中から見つけた。そして対する黒骸は優しく取り繕ってはいるが恐らく今でも鮮明に人間を恨んでいる、心の底から。
「わかってる」
 良は願っている。
「そんなのわっちもわかってるでやんす」
 このふたりが、自分のようにならないことを。


     *


 現実は御伽話ではない。しかし、だからこそ作り上げられた虚構は美しく優しく尊い。
 捕食者と被捕食者は手を取り合って友情を育み、動物は人間と協力して共存する。
 では人間と紅族は?

 一度足場を確認しておこう。強固な土台は変わらず強固かどうか。
 例えば端が二股に別れたひび割れはないかどうか。
 月は見えるか? そこは照らされているか? 
 夜の闇だけでは足場がよく見えない。
 目を凝らせ。





次話

第十四話、決断の話