見合い相手に婚約の破断を突きつけられ、自分らしく生きることはそんなにも駄目なことなのだろうかと途方に暮れていた矢先、甘露寺蜜璃は鬼殺隊の存在を知った。
鬼を狩ることを目的としている、少し、いやかなり異質なその存在は逆に、そこでなら自分の居場所と本当に心から想い合える相手を見つけられるかもしれないという希望を彼女に与えてくれた。鬼殺隊士を目指す際は、「育手」と呼ばれる隊士育成に特化した人物の下につくか、柱直々に指南を受けるかのどちらかが一般的らしい。とはいっても、基本的には最終選別を突破することが入隊の条件なので、それ以前の過程は人それぞれ。そんなこんなで、既に隊士として任務をこなしていた煉獄杏寿郎の下で、蜜璃は最終選別まで剣と呼吸の修業を積むこととなった。当時まだ柱ではなかったものの先祖代々炎柱を輩出している煉獄一族出身であり、実力も申し分なく、誰にでも分け隔てなく接することができ面倒見の良い彼の下で剣技を学べたことは、自分にとって非常に幸運なことだったと蜜璃は振り返って考える。
もう一つ彼女にとって嬉しかったのは、煉獄家での修業の期間に杏寿郎の弟である千寿郎とも親しくなれたことだ。控えめで家のことをそつなくこなし歳の割に大人びて見える、けれど年相応に子どもらしい面も時々垣間見せる千寿郎のことを蜜璃は大層好ましく思っていた。彼女自身、弟や妹がいるので、まるで新しい弟ができたような感覚で彼に接した。千寿郎も、今まで杏寿郎しか兄がいなかったため初めこそ蜜璃との距離の取り方に戸惑ったものの、直ぐに打ち解け、姉がいたらこんな感じなのかと照れながらも彼女に懐くようになった。甘露寺さん、という他人行儀な呼び方ではなく、蜜璃さん、と少し恥ずかしそうに初めて下の名前で呼んでくれた際には、あまりの可愛さに思わずぎゅっと抱きしめてしまった程だった。
更に蜜璃は、強い絆と信頼で繋がった年の離れた二人の兄弟の関係も眩しく思っていた。豪傑で明朗快活な杏寿郎と、謙虚で大人しく些か内罰的な千寿郎は、一見相反する様にも見える。しかし彼らのことを一歩踏み込んで知れば、その印象はぬぐい去られるだろう。お互いがお互いのことを常に思いやり、全身全霊で弟のことを愛する兄と、そんな兄の為に少しでも尽くそう頑張る弟の姿には胸を打つものがあり、彼ら兄弟を傍で見つめることで蜜璃は温かく幸せな気持ちになった。
このように、煉獄家で杏寿郎に稽古をつけてもらっていた日々は、蜜璃の人生の中でもとても大切な時間の一つとなっている。
晴れて鬼殺隊の一員となり、自分独自の呼吸を見つけ、更に柱になってから、蜜璃は久しく煉獄家に顔を出せていなかった。しかし、現在同じ柱として杏寿郎と顔を合わせる機会があれば、世間話のついでに千寿郎の話題がのぼることは多々ある。また、頻度は高くないけれど千寿郎自身とも蜜璃は手紙のやり取りをしていた。それでも以前のように三人で過ごせることはないに等しい。その為、今度頑張って煉獄さんと休暇を合わせてみせるから、煉獄さんと千寿郎くんと私の3人で美味しいもの食べに行きましょ!パンケーキっていう西洋のお菓子が食べれる素敵なお店を見つけたからそこを紹介したいわ!と、約束をしていた。それは楽しみですね、と千寿郎から返事をもらい、杏寿郎も快く承諾してくれ、蜜璃は嬉しさで胸がいっぱいになる。
上弦の鬼との戦いの末、杏寿郎が帰らぬ人となったのはその矢先のことだった。
彼の訃報を鎹烏から聞いた瞬間、蜜璃は衝撃で頭が真っ白になった。仕事柄、仲間の死には否が応でも直面する。それもかなり頻繁に。そのような常に死と隣り合わせの生活は慣れることはないけれど、それでも以前よりは冷静に受け入れることができるようになったと思っていた。しかし、尊敬する元師範であり頼もしく憧れの同僚であった杏寿郎の死は、想像以上に蜜璃の心を抉った。悲しみに胸が押しつぶされ足が竦みそうになった時、千寿郎のことが彼女の頭を過ぎる。あの子は、千寿郎は、最愛の兄を失くしていったい今どうしているのだろう。動揺していて上手く言葉は綴れなかったが、すぐさま彼宛てに手紙を出す。けれど返事はなかった。彼の心情や、葬儀やその他諸々の対応に忙しいだろうことを思えば、当然だろう。兎に角、直接会わなければ、と蜜璃は焦る。直ぐにでも会いに行きたかったが、彼女自身、柱に欠員が出たために必要となった様々な対応に他の柱同様追われ、ようやく煉獄家に足を向けれたのは1ヶ月以上経ってからだった。
「ごめんください!ご無沙汰しております、甘露寺です
…!」
「蜜璃さん?!」
玄関先で声をかけると、懐かしい来客に千寿郎が驚いた表情で出迎えてくれた。
「突然ごめんね、千寿郎くん。前もって連絡できたら良かったんだけど急遽時間がとれてね、次はいつになるか分からないし、どうしても今行かなくちゃと思ったら、いても立ってもいられなくなっちゃって
――」
事前連絡もなしに訪れてしまったことへの謝罪を述べる蜜璃だったが、その続きは出てこなかった。一体彼に何と声をかけたらいいのか、自分はどんなことを話そうと思っていたのか。会わねばという思いだけが募って、実際に会った時に交わす言葉を用意していなかった。如何にもそそっかしい自分らしい事だ、と彼女は恥ずかしくなる。
一方千寿郎の方は、姉のように親しくさせてもらっていた人物との久しぶりの再会に初めこそ驚いていたが、彼女の何か言いたげで、でも言葉が出ず焦り、仕舞いにはしょんぼりとする一部始終を見て、ふふ、と思わず笑みをこぼした。
はわわ
…!千寿郎くんに笑われちゃった...!!どうしよう~とますます羞恥心が湧いてくる蜜璃だったが、
「蜜璃さんは全く変わっていませんね」
以前の蜜璃さん、そのままです。そう呟いた千寿郎に彼女は、はっとする。その口調と目尻を細めた表情は柔らかだったが、ちょっとでも強く触ったら崩れてしまいそうな危うい印象を蜜璃に抱かせた。
「っ、千寿郎くん
…!わたし
―」
「今日は来てくださってありがとうございます。兄も最後に蜜璃さんが顔を見せてくれたと知ったら、喜ぶと思います」
千寿郎はほんの少しだけわざとらしくも聞こえる明るい声色で蜜璃の言葉をやんわりと遮った。
「
…?」
狼狽える蜜璃に対し、どうぞ上がってください、ご案内します、と千寿郎は彼女のことを促す。
玄関の廊下を抜け、千寿郎は屋敷の奥へと蜜璃を連れていく。久しぶりに訪れた煉獄家に懐かしさを覚え、彼女の脳裏にお世話になっていた期間の思い出が蘇ってくる。楽しいことばかりではなく、むしろ杏寿郎の厳しい稽古に泣きべそをかくことは日常茶飯事だったが、それも含めて温かい日々だった。自然と目頭が熱くなってきて、蜜璃は千寿郎に気づかれないように慌てて涙をぬぐう。そうこうしている内に千寿郎はある部屋の前で立ち止まり、襖をあけて蜜璃を中へといざなった。
その部屋は仏間だった。
鬼殺隊士にとっては馴染み深い藤の花のお香が焚かれており、部屋には厳かな雰囲気が漂っていた。千寿郎は慣れた様子で仏壇の前に座り、手を合わせる。
「兄上、蜜璃さんが会いに来てくださいました」
そう彼は、まるで目の前に当人がいるかのように話しかけた。
蜜璃はその瞬間、千寿郎の視線の先にあるものをようやく認識する。それは真新しい印象の、象牙色のつるりとした、丁度人の頸と同じころ合いの大きさの壷だった。
「あ
…」
今度こそ蜜璃の両目から涙がとめどなく溢れ出した。杏寿郎の姿や声など、未だにこんなにも鮮明に思い浮かべることができるのに、現実の彼は骨だけとなりこれっぽっちの壷に納まってしまっている。
「ぅわぁああああ」
年甲斐もなくこんなに泣いたのはいつぶりだろうかというほど、蜜璃は人目をはばからずに泣く。そんな彼女に何を言うでもなく、千寿郎はただ彼女が泣き止むまで静かに待っていた。
♦♦♦
「
…ぅ、ぐす、千寿郎くん本当にごめんね。みっともないところを見せちゃったわ
…」
涙が枯れるまでとことん泣いた蜜璃は、若干のしゃがれ声で千寿郎に謝った。
「いえ
…こんなにも兄を思って泣いてくださり、ありがとうございます」
千寿郎は凪いだ声で答える。そんな彼の様子に底を尽きたと思っていた涙がまた出てきてしまう。だって、一番辛いのは千寿郎のはずだ。あんなにも強い絆で結ばれていた最愛の兄に先立たれた彼の喪失を、簡単に理解できるなどとは言えない。それなのに蜜璃がやってきてから、千寿郎は未だ涙一つ見せていない。その姿が本当に痛ましい。人の身体は、悲しみに襲われたとき涙を流し、押し寄せる感情を少しでも昇華させようとする。しかし、泣く気力すら奪い去ってしまうほど哀しみが重く巨大なとき、人は涙も零せなくなる。それはかなり危うい状態だ。外に吐き出さなくてはいけない想いを溜め込んだまま心を苛み続けると、いずれ精神は耐えきれなくなり壊れてしまうだろう
―――
「明日で丁度四十九日なんです。これは母が眠る煉獄家の墓に一緒に納めます。兄もそれを望んでいることでしょうし
…。なので、蜜璃さんが今日いらしてくれて本当に良かったです」
お墓まで行くご足労をかけることになるのは申し訳ないです──千寿郎はそう言って、微笑みすら浮かべた。
その時、酷く強い力によって彼は抱き締められる。
「
………私もすごく悲しいよ。けど、千寿郎くんは絶対にもっともっと悲しいよね
…。それはもしかしたら、鬼殺隊の皆の悲しみを全部合わせたものより大きいと思う。それを本当の意味で理解してあげれるなんて、そんなこと簡単には言えないわ
…。でもね、これだけは言わせて
…」
どうか、一人で抱え込まないで
蜜璃は千寿郎を抱きしめながら彼にそう告げた。しかし、そんなことを言ったところで彼にとっては虚しいだけかもしれない。千寿郎は可哀そうなほど気を遣ってしまう子なので、忙しいと分かりきっている蜜璃を含む他の柱や親しい人などに気持ちを吐露することは、彼らの手を煩わせてしまうことだと考えてしまい、自らはしないだろう。
それでも言わずにはいられなかった。
いつか彼が、どうしようもなく悲しみに押しつぶされそうになった時、誰かと哀しみを共有してみようと一瞬でも自分たちのことを思い出してくれるなら。
蜜璃の言葉に千寿郎からの返事はなかった。彼はただ、自分を優しく包み込む、けれど兄より小さいその抱擁の温かさを薄ぼんやりと感じているだけだった。
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