あがさ
2025-10-04 17:08:24
4479文字
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たとえ貴方が変わろうと





 杏寿郎と千寿郎の母である瑠火は、芯のしっかりとした強い女性だった。生まれは名家というほどでもないがそれなりに裕福な家庭で育ち、そのことを決して驕ることはない心優しい娘でもあった。普段から物静かで表情が少々乏しく意志の強い目をしていた為、初対面の人やあまり深い付き合いではない人などからはとっつきにくい娘だと誤解されることは少なくなかった。しかし、本当の彼女は、困っている人がいて自分にその人を少しでも救える手立てがあるのならば、迷わず手を差し伸べる様な情に厚い心根の持ち主であった。そして、世界中の人がそのように支え合うことができたら、生まれや育つ環境を選べずとも、全ての人が絶望の中苦しむことなどなくなるのにという考えを持っていた。けれど、彼女自身も大人になるにつれそのような夢物語の実現は不可能に近いということを悟ったので、せめて自分だけでも誠実にできる範囲で人を助けながら生きて行きたいと願うようになる。彼女が煉獄槇寿郎に出会ったのは、そんな折である。

 煉獄家とは、瑠火の生まれ故郷近辺では知らぬ者はいない歴史の古い武家の名家である。しかし、土地を治めていたり幕府に仕えていたりしたような唯の武将の一族ではない。彼らは「鬼」を狩ることを生業として数百年続いてきた剣士の一族であった。文明開化の風が一気に吹き抜け西洋の科学技術が普及し始めて久しいこの明治の時代に「鬼」と聞くと、御伽噺の中の架空の生き物だと鼻で笑う人もいるだろう。だが、その面妖な物の怪は実在する。それだけでなく、人知を超えた力をもって人を襲い、その血肉を主食とする厄災である。鬼は基本的に夜の闇の中でしか活動できないので普段の生活の中で遭遇することは少ないけれど、一旦奴らに目をつけられてしまえば普通の人は為すすべなく襲われ、手足を引きちぎられ、その腹の中に収められてしまうという。

 そう、普通の人なら。

 鬼狩りの剣士たちは普通の人とは一線を画している。政府公認ではないのでその実態は一般には知られていないが、鬼殺隊という人喰い鬼を滅殺することを目的とした組織が存在し、そこに所属する者たちは闇夜に溶け込む黒い衣を身にまとい、毎夜その刀で鬼の頸を刎ねているという。にわかには信じがたい話だったが、件の煉獄家はその鬼殺隊の設立に携わるほど古い時代から鬼狩りを生業としており、この近辺では「鬼狩り様」の家として住民皆に慕われている家であった。瑠火とて、自身は幸いにもまだ鬼に出会ったことはないが、昔から煉獄家の方々がいかに人々を悪鬼から守ってくださっているかを聞かされて育ってきたので彼らに悪い印象など持ってはいなかった。むしろ、人より幾分か身体が弱く己の肉体の強さをもって人を助けることができない自分と違い、生身の体で恐ろしい人喰い鬼に立ち向かい、人々をその悪の手から救い出す剣士の一族のことを尊敬すらしていた。しかし、煉獄家の方々はその職業柄あまり表立って人の前に姿を現すことはないし、一族の子どもが他の家庭の子と同じ学校に通うこともなかったので、瑠火はまだ煉獄家の誰とも言葉を交わしたことがなかった。

 そんなある日、瑠火は少し町はずれにお使いに出ていた。
 日が落ちると鬼だけでなく、あまりよろしくない輩も出没するようになるので、年若い娘が一人でいることは褒められたことではない。彼女自身それは肝に銘じてはいたが、立ち寄った店で馴染みの店主と世間話をしたり、道端で泣いていた迷子の子どもの親を探すのを手伝だったりしていたら時間の感覚を忘れ、ふと見上げた西の空は鮮血のごとく真っ赤に染まっている。暗くなるのは時間の問題だった。急ぎ足で家へと向かい始めた瑠火だったが、途中から奇妙な違和感に襲われその米神から冷汗を垂らす。近道をする為に町の大通りからは少し逸れた人気の少ない路を進んでいたので自分以外の通行人とはすれ違わなかったし、前方にも後方にも人影は見えない。しかし、先ほどから自分の進む速さに合わせて何かが斜め後ろをついてきているような気配を感じる。同じ年頃の娘と比べれば肝が据わっていて、滅多なことでは動揺しない瑠火だったが、流石にこれは気味が悪かった。どうにかして振り払いたくて走る速度を上げるが、効果はなかった。そして遂に、焦りから足元への注意が疎かになっていたため、躓き転んでしまう。子どもの頃ならまだしも近頃は転ぶことなど滅多になくなっていたので、咄嗟に腕は出したものの、硬い地面に強かに打ち付けた膝と砂利が食い込んだ掌は鈍く痛み、瑠火は暫しの間呆然とする。しかし、ついてきていた不気味な気配のことを思い出し、散らばった荷物を急いでかき集め立ち上がろうとした。その時、少し後ろで砂利道をすり足で進むような足音が急に耳に入ってきた。どっと噴き出た冷汗を背中に感じながらゆっくりと振り向くと、そこには、泥と鉛が混ざったような色合いの肌と、果たしてそれを顔と言っていいのか躊躇うほど歪にゆがんだ面をした、人のような姿を取った何かがこちらを向いて立っていた。直感的にこれが「鬼」か、と悟る。これまでに聞き及んできた鬼による凄惨な事件の話が脳内を駆け巡り、自分もここで喰われるのだろうかと、何故か冷静に思考する自分がいた。あまりの衝撃に指一本も動かせない状態に陥っていたが、鬼がおもむろに口を開き、

「まだ齢十六といったところか。若くて活きがいい娘にあり付くのは久しぶりだ」

と、腹の底から気色の悪さが這い登ってくるような声を出したので、そこで我に返り、荷物など捨て置いて一心不乱に駆け出した。

 どうしようどうしようどうしよう!!!!!!別段速いわけでもない自分の足では、逃げ切ることなど到底かなわないだろう。かといって何もせず大人しく捕まって喰われるなんて、そんなことしたくはない。人として生まれてきて一番してはいけないことは、自分で自分の命を諦めること。例え望み薄でも、最後まで抗い続けなくては!!!!激しい闘志が芽生え、走りながら己の髪から簪を抜き取り手に強く握りしめる。これで鬼を殺せるとは微塵も思わないが、追いつかれたとき少しでも奴を怯ませることができるかもしれない。必死に走る瑠火の目の前に曲がり角が現れ、速度を落とさず曲がろうとするもよろめき、その瞬間、今にもこちらに届きそうな鬼の手が視界の端に映りこんだ。

「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

丹田に力を込め、自分でも驚くほどの声を腹の底から出しながら腕を振り上げ簪の先を鬼の手めがけて突き立てようとする。その時、後ろ襟をグイッと引っ張られるのを感じると同時に視界から鬼が消えた。引っ張られた勢いのまま地面に背中を打ち付け、ウっと息が詰まる。何が起こったのか分からないまま急いで半身を起こすと、目の前に黒い人影が立っていた。

「よもや、煉獄の一族が住むこの町でわざわざ人を喰らおうとする鬼がいようとは。余程の阿呆だな。」

 それは鬼に向かっての言葉らしかった。そう言えば鬼は?!と探すと、先ほど目前に迫っていたはずの鬼は何故か、裕に5丈は向こうに飛ばされていた。この人が、蹴飛ばした?でもそんなこと可能なの?と思った矢先、その人は一瞬にして目の前から消え去った。そして鬼のすぐ横にその姿が確認できた次の瞬間、彼の刀が鬼の頸に振り下ろされた。

「ガア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアァァァァ!!!!!!」

 身も毛もよだつような断末魔が聞こえ、鬼は切断された個所から灰のように崩れ、消えていく。たった今目の前で起きた出来事に脳がついていかず、驚きで目を見開いたまま茫然としていた。すると、鬼を殺した人物は刀を腰にぶら下げた鞘にしまい、こちらに向かって歩き始めた。直後、雲で隠れていた満月が顔を出し、眩い月光によって辺りが明るく照らされる。そこでようやく自分の命の恩人の容姿を捉えることができた。

 あっ、と瑠火は声を出す。

 詰襟の上着に、脹脛の半ばで絞られた喇叭型の長袴。いずれも色は漆黒。廃刀令が出されて久しいのに、腰には刀をさげている。その出で立ちは珍しいことこの上ないが、それを上回るほど印象的なのは髪の毛だった。幼い頃、両親に連れていってもらった上野動物園で見た凛々しい獅子の鬣を彷彿とさせる、荘厳たる金糸雀色。その毛先の所々はまるで燃え盛る炎のような色をしている。彼の煉獄一族の髪色である。
 やがて目の前までやってきた彼は、まだ地面に尻餅をついたままの自分と視線を合わせるようにしゃがみ、

「簪一つで鬼に立ち向かおうとするとは、大した度胸だな。」

と微かに笑いをこらえたような声色で、こちらに手を差し伸べた。近くでよく見てみれば、歳の頃は己とさほど変わらないように見える、まだ少年の域を出るか出ないかの男児だった。

「鬼狩りの煉獄
思わず口に出すと、ふっ、と今度こそ微笑した彼は、
「槇寿郎だ。お前は?」
と聞いてきた。

「瑠火です。」
そう告げて、彼の手を取る。

 月光に照らされた彼の瞳もまた、意志の強い金糸雀色と燃える様な焔色にゆらめいていた。


♦♦♦

 
 これが、父上と母上が初めて出会った時のお話です。そう言って母は昔を懐かしむように笑った。

「すごいです!!父上、とてもかっこいいです!!!」

 初めて聞いた父と母の出会いの話に、杏寿郎は目を輝かせる。
 父、煉獄槇寿郎は、杏寿郎が物心ついた頃には既に鬼殺隊の炎柱として多忙を極め、長期で家を空けることが普通となっていた。しかし、家族宛てにまめに手紙をよこし、偶に帰ってこれる休暇の時には、任務明けで疲れているだろうに杏寿郎に稽古をつけてくれたり、この間生まれたばかりの千寿郎の面倒をみたりしてくれていた。そして、己の不在中いつも家を守ってくれている妻である瑠火への感謝と労いの言葉を欠かさない人であった。そんな父のことを、杏寿郎は尊敬してやまない。柱として、常に前線で命を削りながらも人喰い鬼から人々を守る情熱のある強い父も大好きだが、家族のことを気に掛ける愛情深く優しい父のことも大好きだった。自分も煉獄家に生まれた男児として、いずれ鬼殺隊に入り鬼狩りに己の人生を捧げることになるだろう。しかし、家族を大切にする気持ちもまた、片時も忘れることはない人になりたいと思っていた。

 その想いは成長しても尚、杏寿郎の心の中で輝いている。



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