あがさ
2025-10-04 01:25:58
3957文字
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さよならの数だけ





「ご存じの通り俺は無戸籍その他諸々の関係で、何かとすぐ身分証明が必要になるこのご時世定職に就けない。だが! この80年間で過去3回だけ数年間定職に就けた事がある!」

 東京のとある下町の一角、気づくことができる人間の前にだけその姿を表す抽斗通り。通りの入り口から真っすぐ進んだ突き当りで暖簾を掲げる銭湯「もぐら湯」、の少し手前に駄菓子屋「ぎろちん本舗」はある。
 その店内の、最近子どもに人気な菓子類から一体何十年前のトレンドだと突っ込みたくなる玩具まで、雑多な商品が陳列されている棚の間を通り抜けた先にある小上がり的な座敷。そこは駄菓子屋店主の居住空間の一部でもあるようなのだが、割といつでも店内に面した襖は開け放たれている。そこに上がり込み、モグラと八重ちゃんと俺の三人が、時には幽霊騒ぎの相談などで穏やかではいられない場合もあれど基本的にはのんべんだらりと無駄話に花を咲かせる光景は、元神様で現人間の自称仙人こと百暗桃弓木と縁が繋がるきっかけとなったあの流血事故の日から早数カ月、もはや俺にとって日常の一部となりつつあった。因みにもぐら湯の方でも同じことは行われるが、割合としてはこちらの方が僅差で多い。その名の通りどこか浮世離れしたオーラを纏う駄菓子屋店主のお姐さんには申し訳ないけれど、Wi-Fi環境の誘惑には抗えないのだ。
 駄菓子屋で購入したお菓子や俺が持ってきた差し入れ──今日も今日とてバイト先で廃棄間近のため引き取った、不味くはないが人気は今一つなのも頷ける味のするお菓子である──を摘まみながら、いつものように駄弁っていた最中、冒頭の、何故か芝居がかった低音なめらかなモグラの声が和室に響き渡った。モグラが突然大声を上げるもんだから、俺の頭上で寛いでいたマギー君が驚いて「ピィー!」とぶすくれ気味に鳴いた。

「藪から棒にどうしたんだよ」
「モグラさんのこの、突然話が脈略無く始まる感じ、なんだか曾お祖父ちゃんと話してる時と似てるな~」
「八重ちゃん、モグラはおっさんではあるけど多分若年性認知症にはなってないと思う...と信じたい」
「真木、フォローになってないぞそれ。八重ちゃん、おっさんの心が傷つくからやめてくれ」

 ほっといたらいつまででも喋り続けるし、ノったらノったでまた九割無駄──の割には蘊蓄のレパートリーが膨大にあるせいでつい耳を傾けてしまう話を繰り広げるモグラに、程よく適当に合いの手を入れることを覚えた八重ちゃんにツッコミながら、それにしても唐突だったモグラの発言の理由を俺は考えた。直前まで話していた内容に少なからず関係があるのだろうか。確か、「同じゼミ生の一人に最近姪っ子か甥っ子ができたらしく、赤ちゃんが可愛いからとスマホに保存されている写真を皆が見せられまくったせいで今日のゼミ課題は全然進まなかった。これだから陽キャは。でも赤ちゃんは可愛かった。」という話から派生して、赤ちゃんや小さい子って時々大人が考えもつかない行動を起こすよね、という会話をしていた筈なのだが。

「あはは、モグラさんごめんなさい。それで?それってどんなお仕事だったんですか?」
「世にも奇妙で複雑怪奇な事情を持っていて雇用するには怪しすぎるモグラが、三回も定職に就けた経緯も気になるな」

 話題に食いついた俺たち二人に、悪戯が成功したときのような、にやりという擬態語がぴったりな顔を向けてきたモグラは嬉々として言い放った。

「藤史郎の親父と藤史郎と梗史郎、それぞれが生まれてからの数年間、猫附家専属ベビーシッターとして雇われていた!」
「「ブッ!!!」」

 俺も八重ちゃんも、余りにも予想の斜め上なその回答に飲んでいたお茶を思わず吹き出す。

 え? 千差万別な職が存在するこの世の中、こともあろうか猫附家のベビーシッター?

 俺の脳は即座に、知り合いである猫附家の人間──俺と八重ちゃんのゼミ担当教授と、その息子──の赤ん坊時代を想像しようとした。だがしかし、あの常に隈を携えている目つきの鋭い二人と純粋無垢で柔らかな幼子姿は結びつかず、結局今の俺が知っているいつもの険しい顔がおくるみに包まれているカオスなイメージ図を作り上げる。八重ちゃんも似たようなものだったのか、何とも微妙な表情をしていた。そんな俺たちの反応を気にしないまま、モグラは話し続ける。

「猫附はほら、あの金持ち具合だろ?俺なんかに頼まなくたって使用人は他にいるのに、当主の倅の世話はわざわざ俺に任せてくれんだよな。あん時期は良かったなー。定職に就ける有難さってさ、半端じゃないぜ。定期的にまとまった金が入ってくるってことだからな。月にいくら食費に使えるかとかの見通しが立つ。精神的ゆとりも多少生まれるってもんだ。因みに藤史郎の祖父さんの時は戦争から戻って来てもまだ桜史郎...あぁ藤史郎の曾祖父さんな、奴や猫附との関係も構築中って感じの時期だったし、俺もなんだかんだそんな余裕なかったからしなかったな。」

 聞きたいことは沢山あるが、これまたコメントに困る思い出話である。

「教授のお祖父さんや親父さんは分からないけど、少なくとも教授がモグラにベビーシッターを頼むの...なんか意外だ」
「あーそれちょっと分かるかも」
「だよな。俺もそう思ったぜ。後になってから藤史郎に聞いたら、『そういうものだと思っていた』って言ってたよ。アイツあぁ見えて意外と物事深く考えない質だからなぁ。親父も自分もそうだったなら、って案外思ったんじゃねぇの?まあ俺はそのおかげで数年間は食いっぱぐれる心配とは無縁になれたし、何よりその時期に杏子ちゃんとより親しくなれた部分もある。良い事づくしだ。......さて諸君、俺が何でこの話をしたと思う?」
「げ、なんか碌なことじゃない気がする」
「え〜? 気になるねぇ」
「つまり。俺は藤史郎と梗史郎の、赤ん坊からチビ助時代の『他人が聞いたら可愛らしいねで済ませられるけど本人が聞いたらすんげー恥ずかしいからバラさないで欲しい』エピソードのストックをそりゃもうタンマリと持っているってことだ!聞きたいか!!」

 暇つぶしの話題提供としてこれ以上ない手札だろと言わんばかりのしたり顔に、呆れを通り越してもはや感動さえする。

「案の定くだらなかった!てかその話聞いたあとどんな気持ちで教授の講義受ければいいのか分かんねーよ。あとバレた時が怖い...」
「ン゛フッ、梗史郎くんの方にバレた時は、ナベシマくんみたいに毛をこう、バーっと逆立てて怒りそう~。あれ?想像したら結構可愛いかも!」
「ぶは!確かにな!」

それではお聞きください、〈藤史郎1歳、縁の下にハイハイで潜り込んだまま出てこなくなった事件〉!

 朗々と語りだしたモグラの口を止められる者はその場におらず、八重ちゃんも興味津々な態度を隠しもしない。かく言う俺も何だかんだ言って、生まれた時からあの無表情無感情バリトンボイスですと言われても納得してしまうような教授と、不愛想と警戒心を絵で描いたような堅物男子梗史郎の印象を覆すような幼少期エピソードが、気にならないと言ったら嘘になる。

 モグラによる、面白おかしい猫附家男子の暴露トークはそれから小一時間は続いた。
 当事者が居ない中内緒でこんな話を聞いてしまっていることへの申し訳なさと、次に彼らに会った時思い出し笑いしてしまうこと必至の恐ろしさを若干感じつつ、それでも俺と八重ちゃんは好奇心に勝てずに楽しく聞き続ける。時にその微笑ましさに笑いながら、時に化け猫憑き特有の一般常識からはみ出でている逸話に驚きながら。

 その最中、俺はふと気がついた。

 先程モグラが言及した教授の曾お祖父さんとお祖父さんはどう考えても既に鬼籍に入っているだろうし、教授から直接聞いたことはないが恐らく父君も。
 モグラと猫附家の交わりの歴史は、その長さの分だけモグラが猫附家の人間を見送ってきた歴史にもなるということだ。
 人の一生を見守り、それを見送ること。途方もない年月を生きてきたこいつにとって、そんなことは当たり前になっているのかもしれない。以前も似たようなことを思ったが、こいつの果ての見えない人生のうち人間の一生なんて、ほんの一瞬なんだ。

 それでも。

 生来人間が好きなくせに、置かれている立場と不器用な優しさのせいでなかなか大勢とは深い関わりが持てないこいつにとって、全ての事情を知ったうえでこいつの存在を受け入れ、互いに手を貸し合いながらつかず離れず傍にいる猫附家の人々は。教授や梗史郎への普段のこいつの態度から伺える以上に、かけがえのない存在なのではないだろうか。そんな親しく思っている人達との別れに、こいつが何も感じない訳がない。
 猫附一族はそれを知っていて。
 特定の一族と縁ができて情を持ってしまったモグラに、寂しい別れを何度も経験させてしまうのは避けられないけれど。その分、新しく産まれてきた命の喜びをこいつにうんと感じて欲しくて。だから赤ん坊の面倒を任せているのかもしれない。
 ......なんて、考えすぎだろうか。

 でも、そうだったらいいな、と俺は思ったんだ。



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