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告白の翌朝、朝食をすませるとすぐに海上列車に乗り、樹庭からオクヘイマへ向かった。
休日の朝に学園都市から首都へ向かう乗客は俺たちのような学生かあるいは教師が多く、何人も顔見知りを見かけたが、お互いに視線を逸らして素知らぬふりをした。
四針も列車に乗るからできれば座りたいよな、と駅でファイノンと話をしていたが、幸いにも座席は選びたい放題だった。隣に座っても? と二人掛けの椅子に視線を向けながら不思議なことを言うファイノンに、「向かい合わせに座りたいのか?」と反対に尋ねる。椅子を回転させればできるが、と足許のスイッチを探そうとすると、「そういう意味じゃない」とファイノンが慌てて口にする。よくわからん奴だ。
窓際の席に俺が座り、ファイノンが通路側に座る。天気のいい穏やかな朝で、デート日和と言っていいだろう。
告白の翌日すぐにデートをすることにしたのは、来週以降のファイノンの予定と俺の予定が嚙み合わなかったからだ。どこへ行こうか、と浮かれた様子のファイノンと行き先を話しあっているうちに、先日、母上から新設水族館の無料入場券が送られてきていたことを思い出した。「あなたは真面目すぎるから、たまには友人と息抜きでもしなさい」、とメッセージが添えられていて、友人ではありませんが、と頭の中で母上に言い訳じみた謝罪をする。端末を操作し、行くか? とファイノンにチケットを見せ、母上から送られてきていた水族館のURLを送った。
そう言う訳で、オクヘイマに向かっている。
窓から青い海を眺め、前世で、ファイノンとこんな風にデートをしたことはなかったな、と考えた。あの頃のオンパロスはオクヘイマ以外は永夜の帳が下りていて、樹庭のように天上に星空を映しているのでもなければ、どこへ出かけようとも薄ら寒い夜空ばかりだった。それになにより、そもそも出かける場所が殆どなかった。オクヘイマ以外の都市は殆ど人の住める場所ではなくなっていたからだ。
デートしようよ、とあの頃のファイノンが俺を誘ったのはオクヘイマのカフェか、あいつはそれほど興味のなさそうだった芸術劇場か、人気の少ない場所か、あいつか俺の部屋か、今は出る船も殆どない港か、あるいはデートと称して鍛錬がてら暗黒の潮の造物やニカドリーの眷属を狩りに行くばかりだった。別段それに不満を覚えてもいなかったが、こんな風に戦うでもなく、どこかへ出かけることは確かにしてみたかったかもしれない。
窓から隣のファイノンへ顔を向けると、俺の顔を見つめてながら、ぼーっとした間抜けな表情をしている。
これほどうるさい視線に気付かなかったのは、きっと、俺にとってはこの男のこう言った視線がある意味では日常だった証左かもしれない。
「君の横顔に見惚れてた」
だらしのない顔でへらへらと笑うファイノンに、相変わらずお前は俺の顔が好きだな、と思う。今のお前がいつから俺を意識するようになったのかは知らないが。
「好きなだけ見ればいい」
ふ、と笑って返すと、俺のこの返事は予測しなかったのか、逆にファイノンはやや気まずそうな顔をする。首までじわじわと赤くなるファイノンの反応は予想した通りだった。
「君がいいなら、じゃあ遠慮なく」
言葉とは裏腹に、ファイノンはやや目を伏せ、俺の顔を見ずにそう口にする。車窓から差し込む陽光がファイノンの白銀の毛先を光そのもののように輝かせているのが綺麗だった。いつぞやの戦地ではその髪が深紅に染まったこともあったな、とファイノンの前髪に触れ、顔を覗き込む。
びくっ、と肩を跳ねさせたファイノンと目が合い、動揺して揺れる青い瞳に俺の顔が映っているのが見えた。無表情のつもりだったが、どうやら少しだけ笑っている。
「
……、っ」
そんな風に見つめ合っていると、目を閉じる暇もなく、唇にそっとファイノンの唇が押し付けられ、顎をすくわれる。
「おい、」
胸を押し返した俺の手を握り、ファイノンが制止も聞かずにもう一度キスをした。
ちゅ、と音を立てて離れたかと思えば、背中側から腰に腕を回され、体を引き寄せられる。頬と頬が触れ合う。ファイノンの右腕が腹の前に回り、ぎゅう、と強く抱きしめられた。意外と厚みのある胸が肩から腕に触れる感触に、思わず息を潜めた。気を抜くと体が弛緩してしまいそうで、そうならないよう、呆れたふりをして息を吐いた。本当は髪でも撫でてやりたかったが、両腕ごと抱きしめられていて、手が自由にならない。
「しばらくこうしていてもいいかい」
首筋からうなじに当たる呼気に、ぞわり、と肌が粟立つ。体の奥から熱がじくりと染み出して、全身へと広がって行く感覚がした。
「景色を見なくてもいいのか」
「うん」
すり、とファイノンの頬が俺の輪郭から首筋へと潜り込むような感触がした。少し冷えた柔らかな髪が肌に触れ、くすぐったさを覚える。むず痒い感覚に少し身じろぐと、ファイノンの腕の拘束がやや弱くなる。
「嫌だったら嫌だって言ってくれ。嫌われたくないから」
捨てられた犬のような情けない表情をした男の健気な物言いに、不覚にもときめいた。
「
……俺がお前にそんな気遣いをすると思うか?」
「いや全然思わな、あいたっ」
しおらしい顔を引っ込めて真顔で言うファイノンの鼻に頭突きをお見舞いし、緩んだ拘束から腕を引き抜くと、俺を抱きしめているファイノンの手をべりっと剥がす。
「個室でもあるまいし、大人しくしていろ」
ファイノンの左手を握りしめ、窓枠に頬杖をつき、視線を再び窓の外へ向けた。
剣を振るわなくなったこの男の手は、それでもごつごつと骨ばっていた。今も昔も俺の手は妙に滑らかなままで、かつては「君って手も綺麗だよな」とファイノンが妙に陶酔した顔で指先に口付けていたことを思いだす。
そんな風に触れていた男の手今のこの男の手は随分と似通っていたが、それでもある一点が明確に違っていた。指の付け根にあった筈の剣だこがすべてなくなっている。
あの頃、ファイノンが俺の肌を手のひらで撫でるたびに、その少し硬い感触に煽られるような気がしていた。
緊張しているのか、妙に汗ばんでいる手を握ったまま、気のないフリをして車窓からの景色を見つめるふりをした。
こんな話をされても、この男は困ってしまうだろう。これ以上のマナー違反はしたくないから、とファイノンは俺がどこまで記憶を持っているのかは昨晩尋ねなかったし、俺も「前世の俺とお前の記憶をお前に押し付けるような真似はしないつもりでいる」と誓った。
ファイノンは俺の答えは気に入らなかったようだが、渋々わかった、と口にした。俺が「かつての俺とお前はこうだった」、と思い出を押し付ければ、最短ルートで俺好みの男になれるのに、とでも思っているような顔だったが、俺からしてみれば、三千万回以上の輪廻で何度初対面を繰り返そうが、俺とお前は決別せず、憎らしく思う瞬間はあれど、居心地がよく、一番の理解者だといつだって感じていた。
であれば、今世も俺が余計な口出しをせずとも、お前は俺のゆいいつの拠り所になるに決まっている。
*
「君ってやたらと海産物に詳しいよな。両親は商人をやってるとか言ってたけど、海産物も扱ってたりしたのかい? あ、違う? いやほら、クレムノスは移動してるから海とは無縁だろうと思ってさ。スティコシア暮らしが長かったりしたんだっけ?」
全く自覚のないことを尋ねられ、困惑した。
そうか? と水槽にいるタコを眺めながら思案していると、「僕も魚の名前ぐらいは知ってるけど、君は動きが活発な時間帯とか、好んでる餌とかの話までするだろ」とファイノンがガラスを指先でつつく。しかし、水槽に設置された壺の中に引っ込んでいるタコはファイノンの指先に無反応で、ファイノンの興味も隣の水槽へと移っていく。
ファイノンの後ろをついていきながら、少し薄暗いゾーンへと移動する。深海魚のコーナーだった。フロア全体の室温も低く、静かな場所だった。その静けさにかつての幼少時、ステュクスで散々死闘を繰り広げた記憶が蘇る。俺が殺される前に殺すには、奴らの弱点を突く必要があった。生態を何度も観察していたから、その記憶が知識として口から出ていたのだろう。
「乱読していた中に図鑑もよくあったからだろう。両親は俺がねだればどんなアーカイブも買い与えてくれたからな」
「魚の図鑑が一番好きだったとか?」
「いや、図鑑にこだわりはないな」
「ふぅん、ならたまたま残ってるってことか」
動きのあまりない生き物の横をファイノンと会話をしながらのんびりと抜け、クラゲの入ったいくつもの水槽が並んでいるコーナーに来る。
ふわふわと水中を漂う大小様々なクラゲたちが青や赤、黄色と言った極彩色のライトで照らされている。ここでもかつて
——三千万回を越える「前世」のステュクスで散々溺れた記憶が蘇る。現在のステュクスも冥界へ繋がる河として変わらず在るが、河の色はそれほど濁っていないようだった。確かめに行く気にはならない。
クラゲを眺めているうちに、背筋がぞわぞわとし、居心地の悪さを覚えた。手足を刺されて痺れているうちに溺れ死んだり、腹が減って生のままかじったそれの毒にあたって死んだりしたからだろう。しかし、これらも適切な処理を施せば美味く食べられることがわかっているため、そう言った感覚を消すために、クラゲ料理のことを考えることにした。
静かで、心地の良いBGMが流れていた。薄暗い室内をネオンライトに照らされた極彩色のクラゲが漂うこの空間は、オクヘイマの水族館ではイルカショーの次に人気のコーナーだとファイノンが興奮気味に口にしていた。
「君はあんまりクラゲは好きじゃなさそうだ」
「なぜそう思う」
ガラスの中で青く照らされたクラゲが、長い触手を揺らめかせながら漂っている。それに視線をむけたままでいると、同じ水槽を眺めていたファイノンが俺の顔を見る。ファイノンはどうやらクラゲの水槽が気に入ったようで、水族館に来てから一番楽しそうな表情を見せている。俺にはこの物言わぬ、ただふわふわと漂っているだけの生き物をわざわざ美しく演出する側の気持ちはわからない。まぁ、俺の場合は嫌な思い出が付きまとっているせいだろう。
ファイノンは笑顔のまま俺の手をそっと握ると、「ほら」と勝ち誇ったような声を上げた。
「手が冷えてる。昔海水浴で刺されでもしたとか?」
思わず舌打ちをしそうになり、なんとか耐えた。確かに、それは事実だった。
「俺が怖がっているとでも言いたいのか? クレムノス人の辞書に恐怖は
——」
「わかったわかった。そうだよな、君は何も怖がっちゃいない。たまたまちょっと手が冷えてるだけで、ここの空調が効きすぎてるからだ。まあでも載ってないんじゃなくて、『翻訳できていない』の間違いだと思うけどね」
勝手になにやら喋っているファイノンの言葉は無視したが、手を振り解くまではしなかった。触れられるのは不快ではないし、せっかくのデートをぶち壊すほど不愉快な言葉でもない。
「イルカのショーを見にいくかい? それともランチにする?」
「お前はどうしたい」
「僕はどっちでもいいけど」石板でイベントスケジュールを確認していたファイノンが顔を上げ、レストランの方に視線を向ける「まあでも、先にお昼にしたい気分かな。君もアザラシパフェが食べたいって言ってたよな。せっかくだからスイーツも食べて行こう」
*
これと言って記録するようなこともないほど、穏やかで、平和なデートだった。ランチにしてスイーツまで食べると、少し食休みをしてから、イルカショーの時間になるまで土産屋を見に行った。初デートの記念になにかお揃いで買おうよ、と趣味のわるいキーホルダーを指差すファイノンに「いらん」と切って捨て、「物を買うより写真でいいだろう」とSNS映えを意識して作られているフォトスポットに引きずって行った。まるで浮かれたカップルのようだ、と真実その通りのような行動をしておきながら何故か他人事に考えてつつ、何枚かファイノンと写真を撮る。
互いの端末で撮り合った写真を送り合っていると、「これ待ち受けにしてもいい?」とファイノンに遠慮がちに尋ねられる。
「別に構わんが」
「
……意外だ、君ってこういうのは嫌いかと思ってた」
「嫌いではないが、今まではさほど写真を撮っては来なかったな」
「いやそっちじゃなくて、待ち受けのほう」
「俺は設定しないぞ?」
呆れるほど浮かれた背景を前に、互いにややぎこちない笑顔を浮かべている写真を眺め、あまりの似合わなさに苦笑してしまう。確かにむず痒さと羞恥のようなものも感じていたが、それ以上に何かが満たされるような気した。
それはきっと、かつての俺たちは殆ど互いの写真を撮らなかったし、俺は仲間が撮影した写真を自分の端末に残しておくようなことも殆どしなかったからかもしれない。
紛争の火種を継いだ俺がオクヘイマを離れることになった輪廻では、クレムノスでひとり、それを後悔した記憶がいくつもある。
写真がないからと言って、別にこの男の顔を忘れるわけがない。俺は記憶力はいい方だった。しかし、繰り返す輪廻の中で何度か、暗黒の潮を浴び続け、河を遡り続けるうちに、ニカドリーと同じく、摩耗したこの身が緩やかに狂って行ったこともあった。
狂神となり果てた身で、かつての同胞も民も認識できず、誰を殺したのかもわからぬ狂乱の果てに、俺は背中から刺し貫かれて絶命した。その記憶はあるが、誰が俺と相対していたのかは姿がノイズとモザイクで塗りつぶされていてわからない。
けれど、刀身が燃えるように激しく輝いた大剣が、確かに俺の視界には映っていた。ぶどうを房からひとつ摘まむように、誰かの首を捩じり切り、小さな体躯を投げ飛ばした直後、どうして君が、と喉を引き裂くような声で叫ぶのが聞こえた。耳障りな音に酷く苛立ち、今すぐに殺すべきだと脳内信号がそれ一色に染まる。長い攻防の末、正確に、背中から大剣を突き立てられる。バチン、と電源を落とされるように視界が一瞬で闇に落ち、手足から力が抜ける。
俺が弱点を教える人間はいつだって救世の名を背負うこの男だけだった。だからきっと、あれはお前だったのだろう。
「
――ディス、モーディス?」
肩を揺さぶられ、ハッとする。ファイノン。名を呟いた瞬間、視界が微かに歪む。目を閉じ、眉間に指を当てた。
「顔色が悪い。どこかで休もう」
「いや
……」
ショーまであと少しの筈だった。これを逃せばまた余計に時間を潰すことに、
「いいから。こっちおいで」
ファイノンは俺の言い訳を許さず、手を掴んで強引に歩き出してしまう。なんとかその後をついていこうとするが、床がぐにゃりと歪み、歩行が怪しくなる。立ち止まってしまい、腕を引いていたファイノンの腕が伸び切ったところで、慌てて奴が傍に寄って来る。
「すぐそこにベンチがあるから、そこまで抱えるよ」
「いらん、やめろ。肩を貸せ」
ほら、と腕を差し出す男の手をはたき、肩に腕を回して寄りかかる。呼吸が乱れ、嫌な汗が背中を流れて行く。よろよろとベンチに腰を下ろすと、「膝を貸せ」と口にし、有無を言わせずファイノンの膝を枕代わりに目を閉じる。
ファイノンが慌てた様子で「救急スタッフを
……」と呟くのが聞こた。ファイノンの冷えた手を握り、「大人しくしていろ」と命じる。年に数度、こんな眩暈が起こることがあったが、暫く目をとじていれば落ち着くのが常だった。しかしそれをファイノンに説明する余裕が今はない。
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