クリスマスを目前にし、一之倉は別れを告げるために彼女を呼び出した。それでも用件だけで済ますのは忍びなくて、彼女がいつぞや行きたいと言っていたカフェで待ち合わせをした。
覚えてくれてたんだねと笑った彼女を見て、ほんの少し良心が痛んだ。
目の前の彼女は時折コーヒーとケーキを口にしながら、いつも通りの他愛ない話を投げかけてくる。そんな彼女に一之倉は「あのさ、」と切り出した。
「何?」
「オレと、わ……」
別れて欲しい。
そう紡ごうとした一之倉の薄い唇は、クリスマスをイメージした赤と緑のネイルで彩られた人差し指に遮られた。敏い彼女のことだ。一之倉の言わんとしていることに見当がついたのだろう。
「私から言わせてもらうね。私と、別れてくれない?」
にこっと微笑んだ彼女。
「え?ちょっと待って。何で?」
自分が告げるはずだった言葉を彼女から告げられ思わず動揺してしまう。
「何で、俺がフラれるんだ?ってこと?」
首をこてんと傾げて問いかける彼女に言葉を失ってしまう。
「だってイチノくんと居てもつまんないんだもん」
嘘か本音か。それすらわからないのは、一之倉の心がもう彼女にはなくなってしまった証拠だった。彼女は半分ほど残ったコーヒーを一気に飲み干し立ち上がる。
「彼女に振られたんだ〜って“カノジョ”に慰めてもらいなよ。もうすぐクリスマスだし。じゃあね、ばいばーい」
一之倉は終始彼女のペースに乗せられたまま何ひとつ言えず、ひらひら手を振り去っていく彼女を見送った。
テーブルに置かれた千円札は、いつも対等でありたいと願っていた彼女が最後まで変わらなかった証だった。
ごめん。
ありがとう。
幸せになりなよ。
◇◇◇
沢北は後悔していた。出来心であんなことを言うんじゃなかったと。その上で、彼女がいるなら先に教えてほしかった。知っていればこんなことにはならなかった。と全てを一之倉のせいにした。
そんな沢北だが、一之倉を奪えるような大人にはなれなくて、一之倉に縋れるほど子どもでもなくて、後に引くことも先へ進むこともできずにいた。
沢北がひとりモヤモヤする中、世間はクリスマスを迎え、イルミネーションで彩られた街を行き交う人々はみんな幸せそうに笑っている。
いいな。羨ましい。
などと人並みに思ってしまうのも一之倉との一件があったからだった。
ひとり寂しく帰ったマンションのエントランスに見えた人影。沢北は植え込みに軽く腰をかけたその人物にゆっくり近づき、見覚えのありすぎるその姿に思わず足を止めた。そして鼻と耳を真っ赤にした人物― 一之倉 ―は顔を上げ、「おかえり」と告げた。
「……イチノ、さん」
ぱちぱちと瞬きを繰り返しその名を呼べば「フッ。驚きすぎ」と笑った。
「……どうしたんすか?」
「お前を待ってた」
「待ってたって……」
ポケットに手を突っ込んだまま鼻をズッとすすった一之倉は「寒いから入れてよ」とオートロックのドアの向こうに視線を向ける。
「いやいや、今日クリスマスっすよ?」
「知ってるよ?」
「なら来るとこ間違ってますって!絶対彼女さん待ってるじゃん!さすがにマズいって!」
沢北は一之倉の腕を掴んで立ち上がらせた。
「フラれたんだ」
その言葉に、駅まで送りますと駐車場へ向かおうとした沢北の足が止まり、後ろを振り返る。
「…………なんて?」
「フラれた。だからお前に慰めてもらおうと思って」
「……冗談、やめてください」
視線を外して小さく漏らす。
「冗談でこんなになるまで待たない」
一之倉は冷え切った手を伸ばして沢北の頬に触れた。
「冷たっ!……わかりましたよ」
沢北は納得したようなしてないような顔でエントランスのロックを解除した。
玄関を開ければ、あの日部屋に入るなり壁際に押し付けられた記憶が蘇り身体が強張った。それを機敏に感じ取った一之倉は「取って食ったりしないよ」と笑った。一之倉はその言葉通り、“慰める”ために「準備してくるんで」と言った沢北を制し、持っていた細く長い紙袋を差し出した。
「付き合ってよ」
その袋の形から中身を想像するのは容易く、彼女にフラれてやけ酒といったところか。まぁやけ酒にオシャレなワインなどあまり聞いたことはないが。
「グラス、あるよな?」
沢北の家ならばあって当然だという言い方。沢北はそれを気にもかけず、食器棚を開けて「赤?白?」と声をかける。
「白」
「了解っす」
その答えに沢北は白ワイン用のグラスとワインオープナー、何かつまめるもの…と、チーズとナッツも準備した。
「つまみ、これしかないっすけど…」
「何か洒落てて生意気だな」
「……なんすかそれ」
ぶすっと頬を膨らまし、唇を尖らせ不機嫌を目一杯表している。だが一之倉はそんなこと意に介さず向かい合って座ると、慣れた手つきでワインを開封した。
「……そっちこそ。慣れてるんすね」
嫌味を込めて言ったのに、「スマートじゃないとカッコ悪いだろ?」なんて意地悪に返してくる。
一之倉がワインを注いだグラスを差し出し「乾杯」と声をかければ「メリークリスマスっすよ!」とグラスを合わせた沢北。口内に広がるフルーティーな甘さは、恋人同士のクリスマスかと錯覚してしまうほどで、雰囲気に呑まれた沢北はみるみるうちにグラスを空にした。
「ねぇ〜いちのさんさぁ〜なんれふられたの?」
酔いの回った沢北が舌っ足らずに問いかける。
「ん?オレといてもつまんなかったんだってさ」
「えぇ〜!?いちのさんはつまんなくないよ」
テーブルに頬をくっつけ、へらへらと真っ赤な顔で一之倉を見つめるアーモンド型の瞳は、いつもの半分ほどしか開いていない。
「そう?」
「おれはいちのさんのといっしょにいれたらうれしーよ」
「ちゃんと慰めてくれるんだな」
一之倉の手が綺麗に刈られた坊主頭を撫でる。
「そりゃそーっすよ」
「ご褒美やらなきゃな」
「………なにくれるんすか?」
「何が欲しい?」
ゆっくりとテーブルから顔を上げた沢北は、アルコールのせいでとろんとした瞳で一之倉を捉えた。
「いちのさん」
頭を撫でていた手を頬へと滑らせ、その指で唇をなぞれば、キスしてほしいといわんばかりに瞳を閉じた沢北。一之倉は椅子から立ち上がり軽く腰をたたんで唇を近づけた。
「沢北、オレと付き合ってよ」
そんな言葉とともに重なった唇。
そこには、あの日沢北が嫌だと言ったタバコのにおいはなく、ふたりで飲んだ甘いワインの香りが広がった。
そう、それは沢北の生まれ年の―――
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