ロンド
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月下の魔法少女たち(香氷♀)

香氷♀/魔法少女パロ

 花火が上がっている。
 あかやきいろ、みどりやあお。駅前の古ビルがひしめく繫華街から見上げる真暗な夜空を一瞬に彩る、はかなき大輪の花。またたきの間に流星のように舞い散ってゆくさまに、どうしようもなく眼を奪われた。
 チカチカとひかるネオンサインの看板の下、香は立ち尽くしている。周囲の喧噪はさざなみのごとく、きれいだね、今日花火大会あったっけ、などと人々が足早に流れていく。それらは香の耳には届かない。零時をゆうにまわる夜の繫華街はスリや客引きの格好のカモで、バイト帰りに通り過ぎたいのであれば立ち止まってはならない。香は肩を押されて唐突に意識が引き戻された。
 強引に店に引き込もうとする男の誘いに反射的なノーを突きつけ、香は駆け足で花火の方向へと足を向けた。
 花火はいくつもの花を散らしている。眼をみはるほど美しかった。香は息を上げてほとんど全速力で走っていた。繫華街を抜け、深夜の明かりが消えたビル群のエリアに踏み入ってようやく、ずっと不思議だった猛烈な違和感の正体に気つく。こんなにも大きく、くっきりと形がわかるほど近いというのに。鼓膜を震わせる重低音が聞こえないのだ。
 香は人の気配が消えた白色蛍光灯のみが照らす道をふらふらと歩いた。虹のふもとにたどり着けない。音のない幻想の花火に手が届くことはない。香は遠い地上に縫い留められたまま、ぼうっと空に見入っていた。
 満月に重なるように、ひときわ大きな花火が頭上で弾けた。花の中心から弧をえがくように白色の光の粒が広がる。
 ひとときの命を燃やす火球が尾を引いて落ちてくる。
 香はぽかんと口を開けた。
 音速の風を切る。ものすごい轟音が衝突する。濃い砂塵が舞い、香はけほけほと煙ったいような息を吸ってくすぐったさに涙混じりのまばたきをする。
「くっそー! あいつ掴みづらい――
 土煙のもやが晴れていき、香は目を見開く。なぜか花火はやんでいた。もやの中心部、車道に塞がるようにして香と同じくらいの歳の少女が立っている。衝突したはずのコンクリートにはひとつの傷もついていない。まるでそこに突然、少女が誕生したかのようだった。
――あ」
 どちらが声を落としたものか。
 香は少女と眼が合った。
 月光を背負っている少女は、ひどく驚いたような顔で、アメシストの輝きにもまさるような瞳をまるくしている。きれいだ、と香は月並みな感想を思った。銀を編んだようなつややかな髪が風に揺れている。新雪のような白い肌をぞんぶんに出したフリルリボンのワンピースがいかにもちぐはぐで、この世のものではないように錯覚しそうだった。
 否――夢をみていると云った方がただしい。空から落ちてきた流れ星が少女の姿をしているなんて、香の現実にはない。ただ、少女の乱したような息遣いが静寂した世界で耳に残った。
「なにぼーっとしてやがんだよ! まだうようよいるぞ!」
 転がるように少女の肩に黒い鳥が舞い降りてくる。夜のカラスともフクロウともとれない、まるまると太った水鳥で、愛らしくも赤いリボンを結んでいた。少女の肩が跳ね、一瞬にしてキッといさましく眉をひそめた。
「ちょっと、パフィン! 一般人まぎれこんでるとか聞いてないんだけど!」
「ああん? 結界は張ってただろ、お前がぶっ飛ばされて結界外に出てんじゃねえの」
 黒い鳥がしゃがれたダミ声で少女と喋っている。ますます現実味のない光景に香はただただ少女を見つめた。
 彼女は埒が明かないとばかりに香の方へ一歩踏み出す。
「ここ、危ないから。家に帰りなよ。それからいま見たものは忘れて」
「無理じゃねえの、記憶消そうぜ」
「パフィンは黙ってて。ねえ、話聞いてる? 危ないんだってば」
 少女は少女らしく、りんと鐘をかき鳴らすような声色で、香に命令する。少女に話しかけられている、返事をするべきか、頭では疑問と困惑とひそやかな歓喜でごたまぜになっている。足に根が生えたようにその場から身じろぎもできない。香は混乱そのままに答えようとした。
……あ、……ろ」
「なに?」
……うし、ろ……
 少女は弾かれたように背後を振り返った。
 交差点にぼとりとしずくが落ちてくる。
 しずくには弾力性があり、毒々しい緑と黄色のマーブルが混ざりきらずに周囲にまとわりつく。バチバチと外灯が停電する。街路樹は奇妙にしなびてビルはカビに覆われたように変色する。背中がおぞましさに震えるような臭気がただよってくる。香はゲームのスライム型のエネミーを連想した。ゲームでしか見なかった世界が浸食する。もはや何が現実で何が夢なのか、境界線がわからなくなる。
 化け物の三つ目がぎょろりとこちらを捉えて、少女は見るからにいやそうな顔をした。なにもかもが非現実的な状況で、少女の反応ばかりが平凡だった。
「うわあ……合体してる? あいつら共食いしたの? 気持ち悪いんだけど?」
「お前にかかればこの世の九割の生物は気持ち悪いことになるよな」
「だってああいうの嫌い。うじゃうじゃしてるし。一匹いたら百倍はいるっていう……まあいいか。ちょこまか逃げ回られても困るんだよね。ひとかたまりになったなら楽できそう」
 少女の手には背丈ほどの杖が握られている。先端はつるはしのように先がとがった形状で、真ん中に少女の瞳の色と同じ、星形の宝石が月明かりに反射していっとうかがやいていた。
「お前、そこから動かないでよ」
 少女はもはや香など眼中になく、ひとりロングブーツのヒールを鳴らして化け物に立ち向かう。叫び出したいのに香は映画を観る観客のようにスクリーンのない目前を凝視する。
――燃やす」
 臭気をおびた化け物がのっそりと近づいてくる。少女は杖を手に空中に浮かび上がった。香は眼で少女の姿を追う。化け物よりも空高く、満月を背景に彼女は街の全景を見下ろしている。ふんわりしたスカートが風に吹かれていた。
 化け物が少女を飲み込まんと口をひらき、上空へと触手を伸ばす。少女が落ちてくる。銀の髪がなびく。少女が化け物の内側に飛び込んだ瞬間、化け物が風船を膨らませるように大きく伸縮し、鉄が溶かされるような色にひかった。
 香の眼にはそれらがスローモーションのように焼きつけられた。
 真っ赤に染まった化け物は限界まで膨らんで、一気に上空に向かって火の花を吐き出した。音のない花火が夜空に多数打ち上がり、あたりは真っ青な昼日中がほんのまたたきにあらわれ、夜闇に吸い込まれていった。香の上にも塵のような火球がひらひらと落ちてくる。
 燃やし尽くされた臭気はかすかな焦げ臭さとして残っている。浄化され元通りになった交差点に、ひとつの火傷もない少女が爪先からふわりと降り立った。

     *

 どうやって帰り着いたのか、よく覚えていない。
 目覚ましの音で起きだしてシリアルと紅茶の朝食をもそもそと食べる。昨夜の花火がどこかしらでニュースになってやしないかとネットニュースをあさったが、どこにも騒ぎは書いていなかった。まるでなにひとつなかったことのように。
 香は紺色のブレザーの制服に着替え、洗濯機を乾燥込みで回し、朝のルーティンをぼんやりと終えて靴をひっかけてマンションを出る。オートロックのマンションは鍵のかけ忘れにも非常に優秀だ。なにごともなく徒歩で学校に着いて教室に入って席に座ってもクラスメイトの会話に混ざる気はせず、香はなんとなく昨夜の少女のことを思い出していた。
 なあ、と話したくてうずうずしているらしい男子が話しかけてくる。よく噂話に喋ることがあるグループだ。無視するわけにもいかず香はいつもそうするように気のいいクラスメイトの顔を取り出した。
「聞いた? 転校生来るんだって! しかも2‐Bに!」
……あー、うちの教室に?」
「そうそう、しかも女子! すっごい美少女なんだって、A組の奴が校長室入ってくの見たって!」
「なんで五月からなんかな。新学期に来ればよかったのに」
「病弱らしいよ。入院してたって」
「それほんと?」
「俺は――から聞いた」
「なんか黒塗りの車で乗りつけたって」
「お金持ちの美少女とか!」
「うわー」
 噂が噂を呼んで、転校生は校長の知り合いの娘で読者モデルをやっているとか外国からの帰国子女で四ヶ国語がペラペラなのだ、という噓くさい話にまで発展している。さすがに後半部分は尾ひれだろうが、同学年に女子が転校してきたという点だけは共通していて、窓際後方に前日までなかった空席が増えていることから見ても確定のようだ。
 ふだんの香は噂話が好きだ。冗談も笑えない話も好み、人並みに異性に興味があり、美少女転校生の話題となれば笑って食いつく。そのつもりでクラスメイトも話しかけたのだろうが、どこか上の空でいる香に、心配したように覗き込んだ。
「どしたの、香。体調悪い? 保健室行くか?」
……や、昨日夜更かしした的な。超眠みい」
「そうかー、ゲームのしすぎもほどほどにしろよー」
「お前が云うか」
 いかにもなあくびをして見せ、香はひらひらと手を振った。ちょうど切りよく担任が教室に入ってきたところだった。クラスメイトたちが色めき立つ。全員が席に座ると担任は、もう噂が広がってはいるが、とさっそく切り出した。
 いまだ興味がわかず肘をついて正面を見やるふりをしていた香は、とたんに眠たいふりも忘れてぽかんと口を開けた。
 音が消えたように担任の紹介も聞こえなくなった。
 銀を編んだような内向きの髪、雪と見まがうほど白い肌、アメシストの輝きを嵌めこんだような瞳。見間違えるはずがない。学年の青いリボンを結んだ紺色のブレザーはきっちり規則通りに着込み、膝丈から下は折れそうなほど細い脚が伸びている。合皮製の茶色のスクールバッグにはあの黒い鳥に似たぬいぐるみがぶら下がっている。昨夜に空を飛び化け物を倒していた少女は、無感動に教室を見回していた。
 その眼には香は映り込んでいない。香はこんなにも明瞭に覚えているというのに。
「アイス。よろしく」
 凛と響き渡る声もまた昨夜と同じで、香は心の底から震えた。
 休憩時間になると興味津々のクラスメイトたちがアイスのもとに詰めかけた。よろしく、授業でわからないことあったら訊いてね、部活は何にするか決めた? という親切心から、好きなものは何、なんで転校してきたの、彼氏はいるの、好みのタイプは? というお節介がすぎる質問まで一気に詰め込まれてはたいていの人間は萎縮するに違いない。
 だがアイスは真新しい生物の教科書を一心不乱に眺めて、話しかける人々すべてが背景であるかのようにまるっと無視を決め込んでいた。いくら不躾だとしても最初はほんとうに親切から声をかけているかれらは腹を立て始める。
「なあ!」
 ひとりが机を叩いた。やめなよ、と様子をうかがっていた女子がいさめるも彼は引かない。アイスの教科書を無理に取り上げてみせる。
 アイスは顔を上げたが、冷めた眼のまま唇を動かした。
「返して」
 訊いてやってんだから答えろよ、と彼が詰め寄るもアイスは一向に素知らぬ顔でいる。いまにもエスカレートしそうな雰囲気に緊張が走った。
「ちょっと、イヤがってんじゃん」
 ひょいと教科書を奪い、香は割って入った。教科書を机に置いてやると、アイスの視線が香に移る。顔色はまったく変わらなかったが、そのことに胸がすくような思いで、香はニヤッと口角を上げた。
 気が削がれたような彼の肩をばんばんと叩き、お調子者らしくおどけてみせる。
「つーかお前ら構いすぎ、転校生びっくりしすぎてキョドってる的な。パンダに群がる観光客かっての、俺ら文明人なんだから見守ってそっとしておこーぜ」
 でもと云いつのる彼にはのしっと肩を組んでやる。勢いをつけすぎて二人揃って倒れそうになり、わっと笑いが広がり、背後の男子が支えてくれる。
「さぁさ、授業始まっちまう感じ、散った散った! あと周りの席の奴に迷惑かけねーようにな!」
 さすがぁー、とおだてるようなはしゃぎ声が飛ぶ。実際、席に座れずにおどおどしていた男子が隅にいたのだ。ごめーん、気ィ使えてなかったわー。彼氏の有無を訊いていた女子が率先して物わかりのいいふりをする。こういう変わり身の早さは美徳だ。引っ込みづらい男子にもうまいこと誘導してくれる。
 波が引くように囲いはなくなり、香はちらとアイスを見る。アイスは最初からなかったかのようにふたたび教科書に目を落としている。ロンドン塔の鐘の音を模したチャイムが鳴り始めた。
 放課後、アイスがまっさきに教室を出ていったのを見つけ、香もあわててリュックを担いで行った。
 踊り場で追いつき、急ブレーキで回り込んで立ちふさがるように仁王立ちになると、アイスは無表情のまま香を見返した。黙って脇を通り抜けようとするので横にずれる。アイスは深々とため息をついた。
「邪魔」
「話したいことがあって」
「僕にはない」
 香を押しのけて先を行こうとするアイスの肩を掴む。
「ただ、俺は――
「朝の感謝しろとかいう話? 云っとくけど僕は助けてほしいなんて云ってない、そっちの勝手でしょ」
「そんなんじゃない。昨日の夜、街で変なのと戦ってなかった?」
「は? ゲームのしすぎじゃない?」
 間髪入れずにとげとげしい否定が返される。
「ていうか、誰かさんには構ってやるなって云いながら、自分はストーカーするんだ? 都合良すぎるんじゃない? 僕はみんなで仲良しこよしなんかする気なんかない。ほっといてくんない」
 今度こそアイスは香の手を乱暴に払い、階段を降りていく。香はひとり見送るほかなかった。

     *

 バイトを休んで香は夜の街を徘徊していた。
 三度目の正直で、今夜こそ会えるような予感がしたのだ。空を見上げてもあの音のない花火は見えない。人混みに少女の姿はない。繫華街からビル街へ、それから住宅街へ。
 時間はとうに夜十時を回っている。繫華街の盛況はこれからだが、香のような学生はすでに帰宅する時間だ。
 深夜の林に囲まれた公園は街灯も少なく、遅い犬の散歩をする人すらいない。暗闇と人の気配のなさ、良からぬ者がたむろしているという不穏な噂もあり、いかにもな不気味な雰囲気をただよわせている。香もふだんなら近づくことすらなかっただろう。
 人工の湖にうごめく何かがいる。それは巨大なエビに似た姿をしているようだったが、まもなくフライパンから噴火させたような火柱が上がり、水しぶきとともに影はかき消えた。見つけた、と歓喜して香は走り寄る。湖のふもとに少女はいた。
「アイス!」
 少女はぱっと振り向く。昨日とは違う、驚愕をあらわしている顔で香をまっすぐに見た。肩にはあの黒い鳥が乗っていて、場に馴染まない仮装のような例のフリルワンピースの姿でいる。
「ば――馬鹿じゃないの⁉ 昨日あんな目にあったんだから、おとなしく家にいなよ!」
 出会い頭に馬鹿と云われてもなお、香は心が躍るようだった。むしろ有頂天になったと云ってもいい。
「俺のこと覚えてくれてた的な?」
 うっと少女は――アイスは詰まる。黒い鳥がくちばしで頭をこつんと叩いた。
 公園の外ががやがやと騒がしい。繫華街からそう離れていない距離だ、吹き上げた火柱に見に来た人がいたのだろう。アイスはすばやく香に近づくと両手を差し出し、驚くほど軽々と香を膝から持ち上げた。驚いて香は姿勢を保つべくアイスの細い首にしがみつく。髪からは花のようないい匂いまでしたが、香は別の事柄に思考が飛んだ。
 これ、俗にお姫さま抱っこというやつじゃね?
「舌噛まないでよ」
 アイスは囁くと、香を抱えたまま助走もつけずひと息に飛び上がった。空中に。叫び出したいような声は出なかった。びっしりと粒のように灯がひかる夜景を美しいと思う間もなく、アイスはビルの屋上にふわりと着地する。
 くらくらするような心地で香は降ろされた。がくりと脚に力が抜けていく。コンクリートの冷たい地面にへこたれる香に、アイスはぎょっとしたようにひざまずいてぺたぺたと触って確かめた。
「大丈夫? 怪我した? ほんとに舌噛んじゃった?」
……無問題的な……
「大丈夫そうに見えないんだけど、え、回復必要?」
「どうせ空飛ぶのが初めてでびっくりしたとかだろ。そんなぶんぶん振るな、一般人だぞ」
 黒い鳥が冷静につっこむ。がくんがくんと人形のように揺さぶられていた香は弱々しく同意した。アイスはほっと胸をなでおろしている。
 ひと息をついた。
 段差に腰かけ、だんだんと理性を取り戻した香は、隣に座るアイスに訊ねた。アイスは拗ねたように唇をとがらせる。
「見たこと忘れてって云ったじゃん。学校では内緒にしてほしかったんだよ」
「あんなインパクト忘れるわけない的な」
 衝撃的だった。美しいものを見た。まぶたの裏にその光景は焼きついてしまっている。花火と満月、化け物と戦う少女……夢と忘れることができないほどに。アイスがきちんと話をしてくれそうな雰囲気であったので、ここぞとたたみかける。
「なんでアイスはこんな格好的な? あの化け物は何?」
「衣装は! ……縫製の担当者から渡されたのがこんなのしかなかったからで。断じて僕の趣味じゃない」
「あ、はい」
「戦ってるのは、……僕たちは〈悪魔〉って呼んでる。聖書の悪魔とは違う存在らしいけど、ほかに名前がないから、便宜上の〈悪魔〉。あれが人間に悪をもたらす前に僕たちは消滅せしめなくちゃいけない。僕はそのお役目の、魔女見習いの魔法少女」
 信じられないなら信じなくていいよ、とアイスはぶっきらぼうに続けたが、香は信じることにした。端から常識をくつがえすような不思議なことばかりが起きている。悪魔や魔女の存在も、アイスが魔法少女であることも。ただ、ひとつ疑問は残る。
「じゃあ、なんでその役目をアイスが?」
 質問を重ねると、アイスは膝で組んでいる指先で衣装をつまんだ。フリルのレースがよじれる。
「それは、……そう決まってるから。そういうお役目だから」
 アイスは自分に云い聞かせるような口ぶりで云った。深入りを許さないような声色だったので、香も口ごもる。代わりに、ずっと云うつもりでいたことを告げた。
「そうだ、自己紹介。俺は香。昨日はありがとう。助けてくれて」
 アイスは力なく微笑む。
「それは、街の一般人を守るのが僕のお役目だから――
「でも、助けてもらったのはほんとだから。あのとき云えなかったから、ちゃんと云いたかった的な。ありがとう、アイス」
 照れたようにアイスの頬が染まる。つられて香もへにゃりと笑った。空気を読まない黒い鳥が悪態をついていた。
「まったくよお、お前、そいつのこと」
「パフィン!」
 アイスが容赦なく叩く。まるでぬいぐるみにでもするような、否、相棒にならしなさそうなあざやかな仕置きに香の方が身を引いた。
「ごめん、こいつ一言多いから。気にしないでよね」
……そいつ大丈夫的な?」
「このくらいへいきだよ。どうせ使い魔なんだから、大概丈夫にできてるし。さ、夜も遅いから送ってあげる。家どこ?」
 アイスが切り替えたようにあかるい声で立ち上がる。香はなるべく黒い鳥が伸びている姿は視界に入れないようにしながら、マンション名と部屋番号を告げた。アイスが変な顔をする。
「そこって……まあいいや。ほら、持ち上げてあげる」
「お姫さま抱っこ以外の運搬方法はないんすか」
「安定するでしょ?」
 きょとん、とアイスは両手を広げて首をかしげる。俺の自尊心とか色々問題あるんすけど、という云い訳を香は必死に飲み込んだ。視線は胸元のレースに覆われた膨らみに釘付けになってしまっているが、アイスはちっとも考えが及んでいないようだ。
 夜の街を少年を抱き上げた魔法少女が渡っていく。カエルが潰れたような悲鳴が闇の中に吸い込まれていった。