永遠に続く道の果て2

エムルク/捏造未来

前回


 ・・・


 麻袋から這い出し、子供はその大きな瞳をこぼれんばかりに見開いた。
 そこは暗く狭い、女の押し殺した悲鳴が漏れ聞こえてくる部屋ではなかった。薄い闇に包まれた、とても静かで、しかし聴く者さえいればなにかの囁きが伝わってくるようなそんな場所だった。子供は這いつくばったまま慎重に周囲を見渡した。広々としていて終わりが見えない。それに、それにここは――外だ。驚いたことに、自分は外にいる。
 女は子供に、外へ出てはダメだといつも言い含めていた。子供がこっそり部屋の外へ出ているとわかると、彼女はその白く冷たい手を振り上げ、幼い頬へと容赦なく振り下ろした。子供が泣きもせず見上げると「あの人にそっくりね」と手首を返してふたたび打った。痛みよりも、美しい女の、憎悪に歪んだ顔がなによりも悲しかった。
 子供は恐る恐る立ち上がり、女の手のひらと罵声が飛んでこないか警戒する。しばらく待ったが、女どころか誰もいない。子供を乱暴に運んできた男もいなくなっている。見えるのはたくさんの蝋燭と壺、四角い石と、きらきら輝く精霊たちだけだ。
 子供は知恵も知識もなかったが、生来の素質に恵まれていた。彼には昔からウィスプたちの弾むような声が届く。こちらだと導く精霊たちの姿も見える。普通なら心細くなって泣き出すだろうに、彼はふらつきながらも精霊に従って歩き始めた。



 精霊が騒がしい。
 本来ならエムリックが共同墓地の騒ぎに首を突っ込むことはないのだが、異変が記念公園で起きているとなれば重い腰を上げねばならない。あそこはこの頃外界と断絶していて、生者は容易に立ち入ることができないのである。ウォッチャーたちとて例外ではない。様子を見るくらいはしておいたほうがいいだろう。
 早く早くと急かすウィスプを宥めながら、エムリックは騒ぎの原因へとたどり着いた。
 白く淡いとばりのキスの咲き誇る墓地の一角で、ちいさな影がもぞもぞと動く。黒い髪、透きとおる紫の目、ウィスプたちが口々に話しかけるのを耳をすませて聴いている静かな横顔。

――そんな、まさか」

 ずいぶんとみすぼらしい姿だったが、そこにいるのは確かに「彼」だった。
 エムリックは思わず杖を取り落とし、いまにも倒れそうになりながら子供の前に膝をついた。子供は疲弊しきっていて、傍に豪奢な身なりの骸骨が近づいてきても騒がない。物珍しそうに見つめてくるだけだ。そんな態度がますます彼と重なって見える。涙さえ流せれば、エムリックは周囲をはばからず泣き出していただろう。
 ずっと待っていた。彼が帰ってくるのを。こんな風に再会できるとは思ってもいなかったが、だが、ああ、確かに手を伸ばせば触れられる。
 子供をそっと抱き上げる。痩せてはいたが、命の重みはずしりと腕にかかった。その瞬間、エムリックは永遠とも思える苦しみが、水に溶け出すように薄れていくのを感じた。

「ルーク」

 震える声で呼びかけるとルークは春色の瞳を瞬き、花開くように微笑んだ。



 ・・・



 ルークを見つけた瞬間、エムリックは思わず歩調を速めた。大股に歩きながら、タイピンを整え、コートの埃を払い、コロンは強すぎないだろうかと考える。昨日はかろうじて人前に立てる程度の装いしかしていなかった。彼に悪い印象を与えていなければいいのだが。
 少年は足音に気づくと顔をあげ、明るい笑顔をエムリックへ向けた。寝起きそのままのぼさぼさの黒髪が揺れ、骨のように白くきめ細やかな肌を縁取っている。みずみずしい果実のようだ。

「こんにちは、ルパートさん」
「ごきげんよう、ルーク。すまない、待たせたようだな」
「いえ、大丈夫です。来てくださってありがとうございます」

 慇懃に挨拶し、ルークは読みかけの本を鞄へぐっと押し込んだ。
 こうして見るとやはり、若い頃の彼によく似ている。ただ、ルークを包むオーラは彼の物とは似ても似つかず、まったくの別人なのだと真実をエムリックに突きつけてくる。そう、別人なのだが――自然と類似点ばかり見つけ出してしまう。
 生真面目な性格と、それに相反する身なりの無頓着さ、短く切り揃えられた爪、エムリックを見上げる瞳の輝き。あらゆる点が彼を連想させる。エムリックは自身の執念深さに辟易したが、心のなかでそんな自分に反論した。
(これほど見た目が似ているのに別人だと決めつけるのは時期尚早だ。もう少し、見極めるべきだろう)
 エムリックは生者に見えるものだけを見ようと意識し、月のような光から努めて目を逸らした。つまり現実逃避に走ったのだが、本人にその自覚はない。

「それで、どこから手を着けるつもりかね」
「まずは大図書館でエムリック教授について調べようと思ってます。どんな人なのかまったく知らないので」
「まったく?そんなはずはないだろう、彼はネヴァラ出身のヴェイルの守護者だぞ。下級生のうちにある程度習うはずだが」
「そうですね、おかしいなぁ。あははは……

 笑いながら視線を逸らすルークに、エムリックは思わず眉をひくつかせた。他の仲間たちのことならいざしらず、エムリックはモーンウォッチャーだ。歴史の授業で必ず学ぶ現代ネヴァラ史の偉人で、錬金術や死霊術の授業でも論文が話題に上がるはずなのである。

「ルーク、まさか歴史の授業をさぼっていたのか?」
「さぼってはいないです!でも、その、歴史は苦手で……
「苦手と言っても多少なりとも知っていることはあるだろう。功績のひとつくらいは知っているんじゃないか」
「ええっと――学校の先生?」

 前言撤回、ルークが「彼」に似ていると思ったのは早計だったかもしれない。
 エムリックの恋人は驚くほど多才で、大抵のことは一度教われば習得できる人だった。しかし、いまエムリックの前で焦っている少年にその面影はなく、手のかかる生徒にしか見えない。がっかりする気持ちと、かわいらしいと思う気持ちがエムリックのなかでぐるぐると回る。回り続けた気持ちは後者が圧倒的に有利になって、エムリックは考えるより早くルークの手をとった。少年は目を丸くしてエムリックを見上げる。

「大図書館へ行こう。お前に必要な教科書を探さなければな。大丈夫、きっと来週までには竜の時代について答えられるようになっている」
「ええ!?」

 いまさら昔のことをわざわざ覚えなくても、というルークの抗議を無視してエムリックは馴染みのある道を迷わず進んでいく。
 教師をしていた頃と校内の構造はほとんど変わらない。エムリックが受け持っていた教室がいまでもそのまま残っているくらいだ。昨日、ルークと出会ったのもその教室だった。しかもふと思い立って教室を覗きに行っただけのつもりが、なぜかこうなっている。そのおかしさに思わず笑みがこぼれた。
 ネヴァラが誇る大図書館はウォッチャーたちの学校と併設されており、アンデッドの職員によって管理されている。生きた職員もいるにはいるのだが、魔道士がわざわざ学生たち相手に本の管理をしたがるだろうか?答えは否だ。よって万年人手不足の司書は、ずいぶんと昔から代わり映えしないのである。

「やあ、オードリック」

 顔見知りの司書に声をかけると、彼は一瞬驚いたように硬直し、声をかけてきた相手が少年の手を引いているのを見て冷静さを取り戻したようだった。衛兵のように胸に手を当てて礼をする。

「竜の時代についての下級生向けの本を探しているんだが」
「オードリック、たすけて!歴史漬けにされる!」
「図書館では静かに、ルーク。すまない、この子のことは気にしないでくれ」

 司書長の服を着たアンデッドはルークからエムリックへと視線を移し、かすかにうなずいた。彼の頭脳は(すでに脳は抜き取られているが)ありとあらゆることを正確に記憶している。生きていた頃にオードリック・フェルハウゼンと呼ばれていた衛兵は、勉強熱心で読書を愛し、そして記憶力が飛び抜けて高かった。彼は死したのちも自我を失わず、こうしてその能力を存分に発揮しているというわけだ。
 オードリックはメモ紙に書架の番号を書き付け、それをエムリックに渡した。丁寧に礼を言ってふたたびルークを引き摺っていく楽しげな後姿に、オードリックは首をかしげた。
 リッチダムがどうして昼間の大図書館に?



 ルパートは勝手知ったる様子で書架を進み、ウィスプが二体漂っているだけの静かな閲覧スペースへルークをぐっと押し込んだ。されるがままに、ルークは綿の詰まったふかふかのソファーに座る。大図書館には入り浸るほどよく足を運んでいるが、奥まったところにこれほど快適な空間があるとは知らなかった。
 ルークとルパートの間に、どさどさと本が積み上げられる。本の山とルパートを交互に見やり、ルークは心のなかでおいおいと涙を流した。こんなのってない!楽しい冒険や知的好奇心を満たす探索を期待していたのに、このままでは幽霊探しの前に歴史のテストを何度も受けるはめになりそうだ。
 勉強自体は大好きだが、興味の持てない分野に関してはそうもいかない。苦痛を感じながらも暗記に挑戦したこともあるし、先生に直接指導してもらったこともある。しかし教師たちはルークに無理強いせず、良いところを伸ばしていこうと励まし、先生にいたっては「歴史だろうと美術だろうと研究に必要ないわよ」と一蹴した。そうしてルークは最高峰の教師たちによって得意分野のみを存分に磨かれ、すくすくと純粋に成長したのである。
 それがいま、知り合って間もない男によって矯正されることになったわけだ。
 ルークが指先で歴史書をめくると、古書のなんともいえぬ香りが鼻先を掠めた。ルパートは一冊一冊の内容を力説し、わからないところがあれば遠慮なく質問してくれと熱意のこもった声で言った。もくじの時点で質問をしても怒らないだろうか。たとえば、エムリック教授はこの本だとどのあたりで出てきますかとか。

「それで、本当にエムリック……教授についてなにも知らないのか?」

 再度問われ、ルークは答えに窮した。まったく知らないというのは、実は嘘だ。
 昨日の夜、ヴォルゴスと先生に、エムリック教授の幽霊を見たことと、新しく知り合った魔道士について話したのである。ヴォルゴスは珍しく言葉少なに「どちらにもあまり関わるな」とだけ忠告した。先生はヴォルゴスより詳しく教えてくれたのだが、その内容は人に話していいかわからない主観的な情報ばかりだった。
 どうしようかと悩むルークに、ルパートはいじけたように唇をとがらせる。ルークがあまりにも非常識すぎて嫌になってきたのかもしれない。
 自分が知っているのはどう考えてもルパートが期待している答えではないがと思いつつも、居ても立ってもいられずルークは口を開いた。

「おしゃべりな気取り屋」
「なに?」
「年寄りの恥知らず。節操なしのうぬぼれ屋」
……いったい誰にそんな話を聞いたんだ?」
「先生です。実はその、エムリック教授には関わるなと警告されました」

 ルパートはすっかり押し黙ってしまった。もしかすると彼はエムリック教授のファンなのかもしれない。尊敬する人の悪口を聞けば、誰だって良い気分にはならないだろう。ルークだってヴォルゴスや先生の悪口を言われたら腹が立つ。
(ああもう、言わなきゃよかった)
 自分はいつもこうだ。言わなくていいことを言ってしまう。いますぐ立ち上がって本棚の間に頭を突っ込みたい。
 ルークは本の表紙をじっと見つめた。沈黙が肌に刺さるようだ。あまりにも静かなせいでウィスプたちのはしゃぐ声がやたらと耳につく。
 先生からは特にルパートには関わるなと釘を刺されたが、それを彼自身に伝える気にはなれなかった。もしそんなことを言って会えなくなったとしたら、悔やんでも悔やみきれない。もっとも、いまさっきの失言で愛想を尽かされてしまった可能性もある。気が気でないルークを後目に、ルパートはぶつぶつと呟いた。

「私はおしゃべりな気取り屋でも年寄りの恥知らずでもないぞ。とんでもない侮辱だ。まったく、こんなひどい言い草は――

 ぽかんとしているルークに気づき、ルパートは自身の口元に手を当てた。

「いや、とにかく、歴史の勉強が大切なのは確かだ。ウォッチャーの職務にも役立つからな。それに私はこれでも教えるのが得意だから、苦手なことでも少しは覚えられるかもしれない」
「それじゃあ、幽霊探しだけじゃなくて俺の先生になってくれるんですか?」
「先生?ああ、そういうことになるのか。ふむ……短い期間なら問題はないだろう」

 ルークは全身が暖かくなるのを感じた。ものすごく嬉しい。その勉強内容が苦手な歴史だとしても。
 ヴォルゴスたちからのルパートと関わるなという忠告を完全に無視する形になってしまうが、彼が悪い人だとは思えない。だってよく知らない学生のために時間を割いて勉強を教えようだなんて、悪い人がするはずがないだろう。

「よろしくお願いします、ルパートさん」
「私のことはルパートと呼んでくれ。さあ、まずはフェレルデンの王位について学ぶとしよう」



 ・・・



 蝋燭の炎が揺れている。
 ヨハナ・ヘゼンコスはようやく訪った旧友に視線をやり、死者らしからぬ嘲笑を投げかけた。
 音もなく現れたスケルトンは憤慨した様子で彼女に詰め寄った。

「ヨハナ、私は節操なしのうぬぼれ屋じゃない」
「はっ!ガキばっかり口説いてるくせによく言えるわね。子供に手を出すなんてとんでもない恥知らず」
「口説いてないっ。ルークには必要な学問を教えているだけだ!」
「それも私の弟子に許可なくね。あの子に要らない知識を覚えさせるだなんて、貴重な才能に対する冒涜だわ」

 数十年ぶりの再会だというのに、彼らは激しくにらみ合う。
 ヨハナと呼ばれた頭蓋骨はかつて犯した罪を償うため、大共同墓地の奥深く、特別な牢獄に幽閉されている……はずなのだが、いつものように墓地の階層が乱れ、彼女の牢獄は偶然にもルークの宿舎に繋がる場所へ移動していたのである。奇妙な偶然もあったものだ。

「それにしても、ずいぶんと華やかになったな」
「弟子が勝手にここを研究室にしてるだけよ。まあ、私は動けないから止めようがないし」

 以前は荒れ放題だった石畳は丁寧に掃き清められ、壁には分厚いタペストリーが飾られ、手製らしき壁掛け棚には地下でも育つ草花の鉢が並んでいる。本棚には古い本だけでなく真新しい書籍も数冊収蔵されており、そのなかの一冊と思しき本がヨハナの正面にある書見台に開かれていた。
 魔方陣の施されたその書見台は、ヨハナが「閉じよ」と発すると独りでに本を閉じた。

「これもルークが?」
……ねえ、もう私の弟子に関わらないで。あの子はまだ未成年で、あなたの愛人とは別人なのよ。見た目以外、似ているところもないじゃない」

 エムリックは答えず、実験途中とおぼしき空の水槽や、ルークが運びこんだであろう錬金術用の鉱石を指先でなぞる。
 親友に頼まれても、彼はあの少年との繋がりを断つつもりは毛頭なかった。今日一日共に過ごしてわかったが、ルークといると、常に感じている痛みや苦しみがやわらぐのだ。もちろんエムリックとて、少年が愛する人とまったくの別人だとわかっている。それでも遠ざけるのは嫌だ。
 ヨハナは自身を閉じ込める結界のなかで、苛立たしげな音を立てた。ヴォルゴスやヨハナがどれほどルークを守ろうとしても、リッチダム相手ではほとんど無意味だ。
 できることと言えばルークを他所へ送り出すことくらいだろう。ルークがそれを了承すればいいのだが、現役のウォッチャーが大共同墓地を離れる事例は少ない。それが見習いであればなおのことだ。
 エムリックはルークの痕跡からようやく目を離し、親友へ浅く頭を下げた。

「私の正体はあの子に黙っていてくれないか」
「はあ」
「ヨハナ、すまない」
「最低」
「わかっている」
「ヴォルカリン、自分がおかしくなってるって自覚はある?あなたには何が見えているの?」

 エムリックは燃えさかる眼孔を揺らめかせた。
 リッチダムになってから、生きていた頃など比にならないくらい世界の真実が見えるようになった。それはハーフリッチといえどヨハナも同じはずだ。そんな彼女から発せられた言葉にエムリックは動揺する。
 自分は狂ってなどいない。
 ルークがルークだと理解している。ただ、絶え間なく襲いかかる痛みを鎮めたいのだ。

「必要以上に関わらないと約束する。私はルークが一人前のウォッチャーになる手伝いをしたいだけだ」

 ヨハナは鼻で笑うような音を立て「嘘つき」とひとこと言って、沈黙した。




つづく。


25/09/11 加筆修正しました。
名前以外似ていないって書いてたのを容姿以外に変えました。
そしてエムリックは嘘つきなのでズブズブと深みにはまっていきます。
早くイチャイチャしてくれ〜。