【狡宜】サニーデイ・ビーチ/優しい眠りのなか

8/17、8/31に無料配布していただいていた小説です。お手に取ってくださった皆様ありがとうございました!
海を模したプールに行ったり、ホテルで過ごす狡噛と宜野座の話です。

サニーデイ・ビーチ

 休暇らしい休暇を夏にとったのは、ほとんど学生時代ぶりのことだった。監視官を務めていた頃も、事件が起こって執行官に堕ちてからも、仕事が何よりも優先で自分のことなんてどうだってよかったから、短いとはいえ休みの顔をしている日々がまたやって来るとは思ってもいなかったのだ。
 とはいえ、今回みたいに狡噛とのその休暇が重なるとは予想外だった。そこらへんは課長の裁量だったのかもしれないが、もちろん俺には事前に知らされることじゃない。俺と狡噛との関係――いわゆる世に言う恋人同士であることだとかはあの人には知られていたから、彼女ならわざと休暇を合わせたのかもしれないのだけれども。
 というわけで、俺は久しぶりの休暇を恋人とともに過ごすことになったのだった。いわゆる社会人にとっての短い夏休みを、十代の頃から誰よりも焦がれた男とともにっていう、まるで今年の運を使い切ってしまったみたいに。
 しかしその休暇のほとんどは、須郷に泣きつかれてとある事件解決の手伝いで終わってしまったのだが、まぁ、それはまた別の話だ。上手く全てが終わったとはいえ、あの事件は、また別の話だ。

 出島の海は、日本の海全てがそうであるように汚染されている。
 それを理由にして、人々のために過去にはあったらしい海水浴場を模した市民プールが用意されているのだが、やはり潮風のべたつきなどは、もちろん本物のそれじゃあなければ分からないものだった。それでも人工砂浜の上に寝転び、外は雨だというのに人工太陽で日焼けを楽しむ男女、強い波にサーフボードを乗せる水着の男たち、浅瀬ではしゃぐ子どもたちなどが目に入って、俺はそれなりに今回の休暇を楽しんでいた。
 幸せそうな人々を見るのは気分がいい。それが見てくれだけのものであったとしても、そんな人々の中にいると、余計に気分がよかった。
 狡噛はというと、ここに来ても文庫本を手に砂浜に寝転がっている。表紙の文字はかすれて読めなかったが、どうせ馴染みのコリアンの古本屋から買ったものだろう。言語習得が彼の趣味の一つだとは知ってはいたものの、飽きないものだ、と改めて思う。本は人を世界のどこにでも連れて行ってくれるが、わざわざ出かけた先でまで夢の中に行かずともいいだろうに。それでも、彼がページをめくる手つきに、普段の任務で見せる鋭さとは違う、どこか無防備な優しさを感じたのだから笑ってしまう。
 俺はそんな事を考えて彼の側に座り、時折浅瀬に行って足を潮水につけたり、興味本位で砂浜を掘ったりなどしていた。今日で休暇は終わりだったが、案外あっけないものだ、と思った。
「なぁ、ギノ。そろそろ昼飯にしようぜ。ここの海水浴場はハンバーガーが美味いらしい」
 俺が白い砂浜に差したペットボトルを引き抜き、それに口をつけると、本を閉じて狡噛が言った。彼は彼なりのルーティーンを休暇といえど守っているらしく、食事は今日もハンバーガーなようだ。単純に、好物だからかもしれないが。
「それとも、ここを出てフレデリカ気に入りのホテルにでも行くか? お前の好きなパンが美味いらしいぜ」
 そっちの方が後のことを考えると色々と都合が良かったりして。
 そう狡噛は俺をからかったが、俺はそれを無視して海の家に向かった。かつてあった海水浴場を模した市民プールには風情ある海の家があり、そこにはカレーや焼きそば、そして砂糖の味しかしない原色のシロップがかけられたかき氷に群がる人々がいた。俺はそこでハンバーガーを二人前頼み、ビールも二本頼んだ。
「ホテルは食べてからにするか?」
「誘い方が悪いとは思わないのか?」
「もっとロマンチックにしてくれって?」
 瓶ビールの蓋を開け、狡噛はそれに口をつける。俺も彼にならってビールを飲みながら、海で遊び回る子どもたちを横目にハンバーガーをかじった。
「ロマンチストが考える、それらしい誘い方は知りたいかもな」
 お前がどんなふうに俺を誘うつもりだったのか、少しばかりは知りたいかもな。そう言うと、狡噛は自分の誘いが上手くいったと思ったのか、笑いながらハンバーガーを大きな口でかじった。
 べたつく潮風はないが、風は吹き、人工太陽は人の肌を焼いている。俺たちはそんな中でどこまでも広がるスクリーンに映し出される、原初の夏の風景を眺めながら、いつもどおりの食事を口にした。
 多分、俺たちはこれからこの人工的な海を抜けてホテルに行くんだろう。狡噛が行きたいと思っているんだから、きっと部屋を取ってセックスをして、いつものようにだらしなくベッドで寝るんだろう。
 まぁ、それはそれでいい。俺だってただの男だから、彼の欲望は理解できたし。
「美味いだろ?」
 ハンバーガーを指差し、狡噛が言う。口元についたソースを舌でしゃぶりながら、俺を見つめる。
「お前が気に入りそうな味だ」
 ぶっきらぼうに返すと、狡噛は笑ってビールを咥えた。俺はそんな恋人を見つめながら、残ったパティを咀嚼する。彼の言う通りこの店のハンバーガーは美味かった。もしかしたら、彼はこれを目当てにやって来たのではないかと思うくらいには。
「それで、いつホテルに?」
「なんだ、ギノも乗り気なんじゃないか」
 狡噛が笑う。俺は何でもさっさとすませたい質だったから、彼のようにロマンチストではなかったから、焦れったいやり取りをするくらいなら、早くこの男に口付けたかった。彼が望むんなら、それ以上だってしたかった。
「俺は行かなくたって構わない」
「拗ねるなよ。休暇は短いんだぜ。ゆっくりするには時間が足りない」
 お前を楽しむには、時間が足りないかもしれない。そう笑って、狡噛が静かに文庫本で手元を隠して、机の上で指を絡めてくる。俺はそれに辟易した気分になって、何がロマンチストだ、と毒づきそうになった。それでも彼の指先が俺の手を握るたび、普段は触れられない任務中の彼の熱が、まるで今だけは俺だけのものだと錯覚させたのだけれど。
 彼の言う通り、休暇は今日が最後で、だったら時間は足りなかった。少しでも早く抱き合いたい。だって最後にはそうなるんだから、それがいくらか早まったって構わないだろう?
「なぁ、ギノ。フレデリカに怒られる前にさ……
 俺が黙ったままでいると、狡噛は畳み掛けるように言った。そんなに俺が欲しかった? そんなふうに俺を下手に誘うくらい? ロマンチストが聞いて呆れるくらい?
「課長を言い訳に使うのか?」
「ギノ……
「冗談だよ。食ったならそろそろ行こう。時間が足りないんだろう?」
 それくらい、俺が欲しいんだろう? そう笑うと、狡噛は俺から手を離して、腕にはめたデバイスで会計を済ませた。
 俺たちはこれから偽物の海を出てホテルに行く。世の恋人たちがするように、お互いを求め合うために。そしたら、俺はどんなふうにこいつを求めるんだろう? 情熱的に? それとも彼に押される形で?
「電源、切っとけよ」
 また須郷に泣きつかれちゃかなわないからな。そう笑って、俺は狡噛のデバイスを弾く。最低限の発信機能だけつけておいて、コールは課長だけからかかるようにしておけよ。俺はそう笑い、狡噛を置いて海の家から出る。せっかくの休暇だっていうのに、雨模様の外へ向かって歩く。
 空には人工太陽があり、足元には人工砂浜があり、スクリーンには夏の光景が映っている。はしゃぎまわる子どもたちを追いかける家族連れの群れを抜けて、俺はこのにせものの浜辺から出るべくロッカールームへと向かう。
 狡噛は、後ろから遅れて追いかけてくる。少し慌てて足早になり、手に文庫本を持って追いかけてくる。あと少しだけ、俺がお前のものになってしまうまで少しだけ、お前を焦らしてやろう。あと少しだけ、俺がまるっきりお前のものになるまであと少しだけ、お前を焦らすことにしよう。
 きっとお前は、今回も意地悪く俺を焦らすことだろうから。だから今だけは、俺がお前を焦らすことにしよう。にせものの太陽の下でなら、それくらいは許されるだろうから。