闇夜は若く、月は笑う(番外編2)

エムルク/現代AU

前回→番外1



 ・・・



「私を鬱陶しいと思っているんだろう」

 いじけた声でエムリックに言われ、ルークはノートパソコンから顔を上げた。
 溜め息をつかなかったことは褒めて欲しい。聞こえなかったふりをしなかったことも。あと、パソコンを力いっぱい閉めなかったこともだ。
(一日中くっついて回られたら鬱陶しいに決まってるだろ!でもそう言ったら拗ねるくせに、なんでいちいち訊くんだ!?)
 記憶喪失になる前もかなりまとわりついていたが最近はなんというか――腕にまきつくぬいぐるみのように粘着してくるのである。記憶が戻らない不安からくるものだろうと理解していても、苛立たないでいるのは難しい。

「ルーク」
「うん」
「それはどういう意味の“うん”なんだ?」

 しつこく食い下がってくるエムリックに、ルークは慎重な動作でノートパソコンを閉じた。
 ゆるやかな午後の昼下がりである。
 ルークはせめてもの気分転換にと、庭のパーゴラの下へパソコンを持ち出していた。当然のようにくっついてきたエムリックは、ルークが運んでおいたレモネードと一緒にうっすらと汗をかいている。
 パーゴラの棚にはバラの葉が生い茂り、涼やかなレースの影を落としているものの、今日は初夏のように陽射しが強い。にも関わらずエムリックはパーティーにでも出かけるのかというほど完璧な出で立ちで、対するルークはと言えば着古したデロリアンのTシャツ(バック・トゥ・ザ・フューチャーを嫌いなやつなんているのか?)に生地が薄くなった綿のズボンというラフスタイルだ。
 暑いなら部屋でくつろいでいればいいものを、彼は本当に一瞬たりともルークから離れたくないらしい。
 一陣の風が吹き、庭の草木がさざめく。春先から丹精込めて育ててきた花の苗は、弾けそうなつぼみを抱えて揺れている。ルークはうつろな目で緑の宝石たちを眺め、ふたたび恋人へと視線を移した。
 いまここに似合うのはもめ事ではなく、甘いチョコケーキとかぐわしいコーヒーなのではないだろうか。ルカニスのところに行ければどちらも叶うのに、悲しいかなエムリックは完全にナイーブになってしまっている。ここで急に別の男のところへ駆け込んだら、エムリックは泣き出すか別れると騒ぎ出すに違いない、とルークは確信していた。
 近頃のエムリックは四六時中ルークを監視していないと不安がり、家に居る時はトイレ以外ならどこにだってついてくる。目を離した隙にルークがいなくなるとでも思っているのだろうか。それとも浮気でも疑っているのか。いずれにせよ、エムリックが相手ならつきまとわれようが、軟禁されようが嫌いになんてなれるはずがない。別れ話なんて二度と聞きたくないし、悲しませるようなことをしたくはなかった。
 とはいえ、だ。
 ルークの知っているエムリックは気難しいが打たれ強い人だった。だが、いま目の前で泣き出しそうな顔をしている男はあまりにも繊細すぎる。どう答えても涙の防波堤は決壊してしまいそうだ。面倒このうえない。
 考え込むルークに呆れられたと思ったのか、エムリックは花がしおれるように表情を暗くさせていく。ルークはとっさにエムリックの手を握って深い皺を指先で擦った。

「あんたは確かに鬱陶しい」

 辛辣な言葉だが、声音は穏やかだ。
 エムリックは上目遣いに恋人を見つめ、傷つきやすい少女のようにまつげをぱたぱたさせた。初老とも言える歳の男なのに、エムリックのこの仕草ときたら完全無比な乙女ビームを発射している。もちろん、ルークの苛立ちはあっという間に消え去った。効果てきめんである。

「でもそういうところも含めて、全部好きだ」
「本当に?」
「誓ってもいい」
……本当に?」

 意外なほど真剣に問われ、ルークは少しばかり驚いた。
 当然ながらエムリックはルークと喧嘩したことも、ふたりで暮らし始めた日のことも、愛を誓いあったことも、なにひとつ覚えていないのだ。自分はエムリックの不安を理解していると思っていただけで、本質はなにもわかっていなかったのかもしれない。
(覚えてないって言うわりにやたら抱いてくるし、愛してるってすぐに言うし、よくわからないんだよな。でもなにも伝えてないのは……俺の方か)
 ルークは居ずまいを正すと、恥を忍んで切り出した。

「お、俺は――あんたと付き合うまで誰かとこういう関係になったことがないし、そもそも人の気持ちに疎いんだ。なにか不安になるようなことがあるなら遠慮しないで言ってほしい」
「正直に話して私を嫌いになったりしないか?」
「もし隠し子がいても、数日くれればなんとか受け入れる」
「なに、隠し子?私に?はっはっは!」

 エムリックはひとしきり笑うと、握られたままの手に視線を落として呟いた。

「ルーク、私には家族がいない。子供の頃、地震が起きて両親が亡くなったんだ。それからずっと私は死ぬのが怖くなってしまった」

 だからこそ死を克服しようとありとあらゆる勉学にのめり込み、恐怖を緩和することはできたが、完全に死を克服することはできなかった。この歳になってもいまだに死は冷たい手でエムリックの心臓を掴み、ゆっくりと、だが確かに近づいてきている。
 エムリックがこの話を恋人にするのは始めてのことだった。彼が社交的なのは恐怖を紛らわせるためでもある。夢中になるものがあれば苦しみを麻痺させられる、肉体的快楽が不随すればなおさらだ。ゆえに情熱的な恋愛であればあるほどのめり込んだ。男性との情事に傾いていたのも、激しく抱かれることで一時的とはいえ死を忘れることができたからだった。

「だが、お前といると、とても穏やかに過ごせる」

 意外なことに、ルークと過ごす毎日は両親が健在だった頃と同じくらいエムリックを安らかにしてくれた。記憶にない自分がどうしてこの青年に執着していたのか、エムリックはわかった気がした。
 自分の趣味とはまるで違う恋人。でも実際は一目惚れに近い。それも強烈な一目惚れだ。決して解けることのない呪いのような執着、良く言えば愛情を、エムリックは抱いてしまった。死はいまだに苦痛であり恐れるものだが、怯える対象ではなくなってしまった。
 深く息をつき、微かに震えながら言葉を続けた。

「いまはお前の愛を失うのが一番怖いんだ。本当はこれが都合の良い夢で、次に目が覚めた時には両親のようにお前がいなくなっているんじゃないかと、そればかり考えてしまう。それに、いつまで経っても婚約者のままで……

 エムリックがちらりと視線を上げると、ルークは顔をほのかに赤くさせ唇を噛みしめていた。予想外の反応だ。てっきり面倒くさがられると思っていたのだが、ルークは明らかに――恥ずかしがっている。

「あんたに初めて声をかけられた時、俺も自分がとんでもない勘違いをしてるんじゃないかと思ってた。それに俺がどんな人間か知ったら嫌われるだろうって、いまでもよくそう思う。まさかあんたがそんなふうに思っていたなんて」

 自分はこの男に興味がない、向こうはセックスがしたいだけでルークを好きなはずがないのだから。そう思い込んでみじめにならないようにしていた。エムリックに初めて声をかけられた、あの夏の日からずっと、ルークは名前のわからない恐怖と歩んできたのである。

「後悔しないか、エムリック。あんたからすれば会って数日の男に、死ぬまでまとわりつかれることになるんだぞ」
「むしろ大歓迎だ」
「はあ。それじゃあ明日、指輪を買いに行って、役所でライセンスを取得するか」

 エムリックとルークは互いに見つめあい、顔を近づけた。



 ・・・



 キングサイズのベッドの上で転がりながら、ルークはぼんやりとエムリックの横顔を眺めていた。宗教者を思わせる厳格な顔つきは、ルークに気づくとほどけるようにやわらかくなり、口元は優しく弧を描く。
 つられて口角を上げるとエムリックはベッドの縁からルークの隣へと移動し、手にしていた衣類一式を無造作に床に放りなげた。そしてルークのすべすべとした脇腹に手を伸ばし、そうするのが当たり前のように撫で始めた。甘く溜め息をつき、微笑みを残したままルークをじっと見つめる。

「ダーリン、セックスが嫌いならもっと早く言ってくれればよかったのに」
「嫌いじゃない。キモいと思ってるだけだ」
「同じじゃないか」
「違う」
「本当は好きだとか」
「絶対に違う」

 ルークにぴしゃりと言われ、エムリックは鼻先で笑った。
 記憶を失ってから、どことなく互いに遠慮していたのだがそのわだかまりはようやく消えたらしい。エムリックは蹂躙するような抱き方をしなくなり、ルークもセックスを気持ち悪いと思っていると素直に伝えられた。だからといってエムリックが控えめになるとは思えないが、少なくともルークの反応がしょっぱくても気にならなくなったはずだ。たぶん。
 ふと、ルークは体を起こしてエムリックを正面から見据えた。

「エムリック、さっき隠し子のことを言ったら笑いまくってたけど、本当に子供はいないのか?」
「当然だ。私はセックスの安全にはなにより気を遣っているからな。異性も同性も、一夜限りであってもゴム無しなんてあり得ない」
「はあ?あんたが?」

 ルークが羞恥心に苛まれながら購入したコンドームの箱は、封も切られぬままいつの間にか姿を消したというのに?
 エムリックから受けた数々の「安全行為」に思いを馳せ、ルークは遠くを見つめた。特にここ最近のエムリックときたらやりたい放題なのである。口に出すのもおぞましいあれやこれで、ルークは泣いたり懇願したり屈辱に震えたりと散々な目にあっている。その手のことは知識としてはあるものの、自身で実践されるとたまったものではない。
 しかも記憶を失う前は月に一度か二度、優しく丁寧に抱かれるだけだったのが、いまやほぼ毎日の「安全行為」になっている。もう歳だからと恥ずかしそうに笑っていたエムリックが懐かしい。

「教授、安全第一だって言うなら俺が買ったコンドームは?」
……すまない、ダーリン」

 どうやらあの箱にはもう二度とお目にかかれないようだ。

「あのなあ、エムリック。俺は感染症を心配してわざわざ買ったんだぞ」
「私は定期検査を受けている。お前に異常がないかも確認しているから問題ない」
「ああ、なるほど。俺にだけそういう特別丁寧な扱いをしてるってわけだな。そりゃどうも」
「嫌なのか?」
「正直に言うとよくわからない。でも俺にだけっていうのはまあ、そんなに悪くないかもな」
「ルーク!」

 照れるルークをエムリックが笑いながら抱きしめる。くすくすと笑いの吐息が肩に触れるたび、ルークはくすぐったくて身じろぎしたくなった。

「そういえば、式は挙げるのか、ルーク」
「いや、うちの庭に立ち会いの判事だけ呼ぼうと思ってたんだけど……誰か呼びたい相手でもいるのか?」

 エムリックはしばし逡巡し、首を横に振った。大学の同僚たちをわざわざ招待したいとも思わない。結婚について真っ先に報告したい相手であるヨハナは、結婚式に来て欲しいと言っても承諾してくれないだろう。交友関係は広い方だと自負しているが、ルークの提案通り、ささやかな結婚式こそ自分たちらしいと思えた。

「あんたは忘れてるだろうけど初めて会った記念日に結婚しようと思ってて。実は春からずっと準備してきたんだ」
「春からずっと?」
「ああ、本格的な夏になったらパーゴラを起点に庭一面が花畑になる。そうしたらあんたがもっときれいに見えると思うよ。写真家だけでも雇った方がいいかもしれないな。服も新しいやつを買って……

 夢見がちに言ったあと、ルークは徐々に顔を赤くし、我慢できずに身じろぎした。

「待て、エムリック、明日は忙しいし今日はもうやめよう、な!」
「まだ夜にもなってない。あと一回くらいなら大丈夫だ、ダーリン」
「俺が無理なんだ!」

 だって、一回で済むわけがないだろう!





 エピローグ


 ルカニスに特別に焼いてもらったヘーゼルナッツのトルテを手に、エムリック・インゲルヴァーはいそいそと帰路を歩いていた。保冷剤をたっぷり詰めてもらったが夏の陽射しにチョコレートのコーティングが溶け出してしまいそうだ。ルークの大好物であり、エムリックの家族の思い出であるケーキ。それを特別な日に食べるのが新しい家族のルールだ。
 結局のところ、あれから丸一年が経ってもエムリックの記憶は戻らなかった。医師によればいまこの瞬間に戻る可能性もあり、二度と戻らない可能性もあるという。
 ルークとの思い出がなくなってしまったのは悲しいが、新しい思い出もたくさんできた。記憶がなくとも充分にしあわせだ。
 エムリックは墓地をぬけ、青々としたタイムの小道を歩き、家には向かわず白いバラで飾られたパーゴラへと足を向けた。ラタンテーブルに料理とワイングラスを並べていた青年が、足音に気づいて顔を上げる。

「ありがとう、エムリック。ルカニスは元気そうだった?」
「相変わらず忙しそうにしていたぞ。また新しいメニューを考えたからふたりで来て欲しいと」
「タダ飯だな」

 にやりと笑ったルークにキスをし、エムリックは心の底から笑みを浮かべた。愛してるとささやくと、彼はもごもごと同じ言葉を返してエムリックを椅子に座らせた。

「ごほん。では、教授、インゲルヴァー家の二年目を祝してなにか一言」
「今年の冬のバカンスはカンクンに行こう」
「うわ、最高の一言だ!」

 喜ぶ伴侶の姿にエムリックは満足する。
 海は死を連想させるから苦手なのだが、ルークがパイレーツ・オブ・カリビアンにはまったのでカリブ海に行こうと計画していたのだ。
 夏のバケーションは家でひたすら心と体を休ませる、というルークの計画が待っている。夏期休暇も待ち遠しい。

「来年は夏にどこかへ出かけようか」
「それもいいな。お前が行き先を決めてくれるなら、どこへだって行こう」
「よし、言ったな?絶対にあんたを感激させてやる」

 ルークがはりきって音楽をかけたりワインを注ぐのを眺めながら、エムリックは自分が世界で一番幸運な男だと感じた。
 いつでもどこででも、ルークと一緒ならそれだけで完璧だ。ルークはエムリックにとってすべてだ。
 そして、エムリックもまた、ルークにとってすべてだった。
 世界はとても、輝いている。




おわり。






番外編で一旦現代AUはお休みです。
(本編でのストライフ登場シーンのためにゲームそのものをいちから確認しなければいけないので……まとまった時間ができたらちゃんと書きます)
※ヘーゼルナッツのタルトではなくトルテなのは、英語版だとトルテだったのでトルテにしています。生地的にもトルテっぽい。

では、またお会いしましょう~。