果南(カナン)
2025-03-22 07:45:33
5155文字
Public CP無し
 

空を想う

村雨+フレンズ。CP要素無し。当直明けの村雨先生が、フレンズのところへ向かうお話です。
同じ空の下に待つ、得難い彼らと共に。



 時間外受付の窓口の前を通り、守衛に軽く頭を下げる。カードリーダーにIDをかざして、自動ドアの外へと足を踏み出した。
 さっと冷たい空気が、体を包む。思っていたよりも、寒い。
 コートの襟元を寄せて、軽く肩をすくめながら息を吐く。救急外来の出入口になっているロータリーに立つ大きな銀杏の木、今は葉を落としきっているその枝が、逆光の中で淡く輝いていた。
 見上げればよく晴れた明るい空が、視界いっぱいに広がる。深夜の緊急手術からそのまま通常勤務に入り、さらに宿直を経て、実に三十六時間ぶりの青空だった。
 春先の休日の朝にふさわしい、澄んだ空。
 細い枝に跳ね返ってこぼれる、太陽の光。
 思わずぼんやりと見上げていると、背後で自動ドアが開く音がした。夜勤明けの看護師と思しき数人の女性の、足音と話し声が続く。
 邪魔にならないように避けて歩き出しながら、私はポケットからスマートフォンを取り出した。新着の通知が灯っているメッセージアプリを開き、最上段にあるグループを指先で叩く。
 彼らの言葉が、待ちかねたように飛び出してきた。
『村雨さん、そろそろ当直終わりー? お疲れさま!』
『オレら今から寝るからな! でも敬一君はさっき起きたところだから大丈夫だぞ!』
『神も早々に就寝し、先ほど爽やかに目覚めたところだ。朝食にはイングリッシュマフィンとベーコンオムレツを所望しておいたぞ。気の利いた神の提案に感謝するのだな』
『だから何でわざわざイングリッシュマフィンなんだよ! 流石にストックしてねーぞ! テメェが買いに行け!』
『だったら、村雨さんに買ってきてもらえばいいんじゃない? 仕事終わったら来るんでしょ? ねぇ村雨さん、お願い!』
『アイツが朝のうちに仕事終わるか、わかんねーだろ。仕方ねぇから散歩がてら行ってくるわ。今日ランニングできてねーし』
『優しいな、敬一君!』
『オメーらはとりあえず寝ろ、深夜組!……ってわけで、気にしなくていーからな、村雨。仕事がんばれよ』
 そこでやり取りは終わっていた。時刻は、およそ一時間半ほど前。
 内容からして、獅子神の家に全員いるはずだった。一晩中遊んでいたのに飽き足らず、好き勝手に寝て起きて、当然のように朝食も作らせているらしい。
 そしてそれを、わざわざメッセージアプリに乗せて、届けてくる。
 揃いも揃って、ごく自然に。
 私もそこに居るのが、当たり前だと言わんばかりに。
「ふふっ……
 口元が綻び、笑いが漏れた。
 自分の指先がすいすいと動き、返事を紡ぎ出していく。
『今終わって、病院を出たところだ。いったん帰宅して着替えてから、そちらに向かおう』
 送信を押し、自分のメッセージが載ったことを確認してから、アプリを閉じようとした。が、それよりも早く画面が動き始める。
『おぉー! お疲れさまだな、礼二君!』
『いつもながら勤勉なことだ。神が福音を与えよう』
『お疲れさま村雨さん!』
 ほぼ同時に、三件のメッセージが並んだ。彼らのタフさと反応の良さに半分呆れながら、返答を打つ。
『あなた達、寝たのではなかったのか』
『神は目覚めたところだと言っただろう』
『それはわかっている、マヌケ神。叶と真経津だ』
『ちょっとは寝たぞ! でもそろそろ礼二君の仕事が終わる頃かと思って、目が覚めたんだよな』
『ボクもそうかな。ねぇ村雨さん、直接こっちにおいでよ。その方がいっぱい遊べるよ?』
 真経津の言葉が、彼らしい無邪気さと強さで語りかけてくる。一瞬、心の中で何かが揺れたが、ため息と理性がそれを押し留めて返事を書かせた。
『あいにく風呂どころか、シャワーを浴びる余裕も無かったのでな。流石にこのままでは見苦しいだろう』
『別にオレは、平気だぞ?』
『獅子神さん家でお風呂入れば良くない? 着替えも置いてあるんでしょ?』
『こら真経津! 村雨も疲れてんだろうから、強引にするなよ!』
 ようやく家主が割り込んできた。
 私が何か言う前に、彼の言葉が続く。
『まぁもちろん、お前がそうしたいなら、それでいいけど』
……いいのか」
 思わず口をついて言葉が出た。いつもながらお人好しで、寛大なことだ。
 だから皆、獅子神のところへ集まってしまう。彼の優しさに甘えるかのように。
 私自身もそこに含まれていることは分かっていたが、それでも一定のラインは必要だと思えた。一応年上としての、ささやかな矜持だ。
 少し迷ったが文章を組み立て、返事を打った。
『あなたの気遣いはありがたいが、それは遠慮すべきことに思える。朝食はぜひ食べたいので、そちらはよろしく頼む』
 わずかに画面が沈黙し、それから獅子神の言葉が届いた。
『りょーかい。気をつけてな』
『ありがとう』
『お前、車だろ? ウチにも車で来る?』
『いや、今の体調で運転はしたくない。病院に置いて帰る』
『オッケー。じゃ、待ってるからな』
 その後に他の三人が笑顔のスタンプをそれぞれ打ってきて、それで会話は終わりだと判断できた。スマートフォンの画面を消して、ポケットにしまう。
……まったく、マヌケ共が」
 歩き出しながら、つい苦笑した。
 出会ったのは危険な違法の賭場で、何かの事情で班が分かれてしまえば、殺し合うことになるかもしれない連中だ。実際、獅子神と叶は戦っているし、天堂も初めは敵対する班の所属だった。さらに下の階級でのことまで持ち出せば、私も含め四人とも、一度は真経津と戦って負けている。
 そんな破天荒な成り行きが、紡いだ縁。
 学校や職場では、決して出会わなかった者達。
……友人、か」
 そんなものが私に出来るとは思わなかったが、きっと、これがそうなのだろう。
 何だかんだと一緒に過ごし、こうして今も向かっているのだから。
 楽しい、と——そう思ってしまっているのだろう。
「こういうことも、あるのだな」
 人生は、何が起こるかわからない。
 変化はいつも、思ってもみなかった所から訪れる。
 そんな当たり前の真理を、私は齢三十手前にして、ようやく実感しているのだった。
 ふん、と鼻を鳴らして、上がりかけていた口角を抑えた。それでも表情筋が緩もうとしているのが、我ながら可笑しくなる。長時間勤務の憂さと愚痴を彼らにぶつけてすっきりし、獅子神の作ってくれる美味い朝食にありつけるのかと思うと、どうしたって心躍らずにはいられない自分がいるのだった。
「ふふふ」
 また漏れてしまった笑いを、何とか噛み殺す。
 と、その時。
 遠くの音を、聴覚が捕まえた。この職業に就いてから、否応無しに緊張感を掻き立てられるようになった音。いつ耳にしたとしても反射的に身構え、交感神経が昂り、心身共に臨戦態勢になる。
 目的地へ急ぐ、救急車の音だ。どんどん近づいてくる。
 すぐに行く手の交差点を曲がって、白い車体がこちらへ向かってくる。くるくると動き続ける赤い回転灯、耳に馴染みすぎたサイレン音。宿命のようなその音は、疲れた体で聞くには大きすぎて、すれ違い様に思わず両耳を手で覆った。
 轟音と共に、赤い灯が通り過ぎて行く。
 ドップラー効果で低く歪んだ音は、間もなく背後でぷつりと消えた。病院の救急外来に入ったのだ。
 今まさに、私が出てきた、自分の職場に。

 つい無意識の内に、足が止まった。
 でも振り返る前に、空を見上げた。

 この空の向こうから、言葉を送ってくれる者達がいる。
 待っているから、と屈託なく伝えてくれる彼らが。

 それを勝手だ、と断じるのは簡単な事だが。
 それでは、無粋が過ぎるというものだろう。

 今日の私は、既に十分すぎるほど働いた後なのだ。後は、次の当直の者が役目をこなす。
 私がすすんで、自分の体に負担をかける必要は無い。
 それよりも——今、自身を向かわせるべき所は。

 私は深呼吸をして、ポケットから再びスマートフォンを取り出した。メッセージアプリを開き、素早く文字を打ち込んでいく。
『気が変わった。やはり直接そちらへ向かう。電車で行けば道も混まないし、早いだろう』
 送信のマークを押して、一瞬の沈黙。
 すぐに既読の文字が現れ、画面にメッセージが並び始めた。
『やったぁ! じゃあいっぱい遊べるね、村雨さんも!』
『どうしたんだ礼二君、今日はなんかイイ具合に変だな!』
 やっぱりな、と言わんばかりの返答に、反射的にムッとする。顔をしかめながら画面を叩いた。
……あなた達、いいかげん寝たらどうだ』
『案ずるな、村雨。お前の変心も神は全て見通していた。ゆえに獅子神君が既に風呂を沸かしているぞ。崇高なる神の采配を存分に称えるがいい』
『オメーが言い出す前から、オレは風呂場に行ってただろーが! さすがにオレでもそれくらいわかるっつーの!』
『賭けにしようかと思ったのに、全然ならなかったもんな!』
『それでも叶さん、何とか誘導しようとするんだもん。悪だよねー』
『獅子神君が一瞬、悩むそぶりを見せたからな。反応してくれるのが面白いから、黎明も止める理由が無いのだろう』
『あなた達、あまり獅子神で遊ぶな。彼がへそを曲げて、私のぶんの朝食が作られなくなったらどうしてくれる』
『テメェら、いちいち村雨にまでバラしてんじゃねーよ!!』
 最後の私と獅子神の書き込みは、ほぼ同時だった。すかさず叶が、涙を流して爆笑する絵柄のスタンプを連打してくる。
 どちらから次に口火を切るかと迷って、手が止まった。
 同じ空間にいれば容易く掴めることでも、この小さな画面と頼りない電波越しでは、如何ともしがたい。

 早く、あの場所へ。
 何も遠慮せずに、モノを言っても良い。年齢も職業も関係なく、ただ同じ場に立つ者として、己が感覚と信念に拠り、全開で渡り合う。
 それで大丈夫なのだと、互いに知っている。
 得難い、彼らと共に。

『村雨? まだ見てるか?』
 結局、獅子神が先に言葉を発した。
 既読の数で、私が見ているのは伝わっただろう。だから、何も言わずに待った。
『ちゃんとメシ作るから、大丈夫だよ。お前が何かしたわけじゃねぇだろ』
……わかっている』
『焦らなくていいから、気をつけて来いよ。どうせあんまし寝てないんだろ』
『そんなことはない。二時間は連続して眠れたからな』
『十分少ねぇよ!』
『村雨さん、超合金か何かでできてる?』
 真経津が真面目な顔で(見えるわけではないが、そうに決まっている)茶々を入れてくる。普段の当直の酷さを思えば本当にマシな部類なのだが、いちいち説明するのも面倒だった。
『あなたには分かるまいが、ただの慣れの問題だ』
『エナドリ要るか?』
『要らん。そこのマヌケ神にでもくれてやれ』
『神はそれよりも紅茶を所望する』
 まだやり取りは続きそうだったが、キリがないので歩き出した。スマートフォンは手に持ったままで、何か言われたらすぐ対応できるようにしておく。
 少し進んでから、そういえば自分は振り返らなかったな、と思い出した。目の前で(正確には背後だが)救急車が自分の職場に入っていったというのに、外科が呼ばれそうな患者かどうかも確かめずに、帰っていこうとしている。
 でも、これで良いのだ。
 そんなふうに思えるようになったのも、きっと彼らの影響で。
……面白いものだな」
 自分ひとりでは決して得られなかった変化を得て、私はより強くなった。
 それは多分、賭事だけのことではなくて——

……?」
 ぶるっ、と手の中でスマートフォンが震えた。暗転してしまっていた画面を開き、もう一度メッセージアプリを表示させる。
 ぱっと新たな文字が、踊った。
『村雨、オムレツの具、ベーコンとハムどっちがいい? ご希望ならチーズも入れられるぜ?』
 実に、魅力的な提案だった。流石は獅子神だと言って良い。
 すかさず指を滑らせ、言葉を返した。
『全部だ』
『は?!』
 たちどころにまた画面が活発になる。そんなの分かってただろ敬一君、ほんと律儀だよねー獅子神さんてば。静かに微笑んで紅茶を啜る天堂の姿も、私の眼にははっきりと見えた。

 早く行こう、あの場所へ。
 そうすればいろいろな事が、もっと楽に、しっかりとわかる。

 駅前の横断歩道で、信号が点滅を始める。かまわずに進んで、足を速めて渡っていく。
 見上げる空はどこまでも明るく、ふわふわと雲を浮かべながら穏やかに広がっている。春先特有のやわらかい青が眼に沁みて、私は小さなくしゃみを一つしてから、駅の改札へと向かっていった。