果南(カナン)
2025-01-30 05:56:02
5495文字
Public CP無し
 

家守の葉

雑用係(たぶん園田)+獅子神。CP要素無し。
しし邸の広い庭でハーブを育てる雑用係が、夢を見つけるお話です。(2025/01/29公開)



 やわらかな緑色の葉を、指先でつまんだ。葉の根元でぷちりと千切って、収穫用の小さな籠に入れる。
 他の葉を隠してしまうような、大きな葉から順に摘んでいく。下の方で色褪せてしまった葉、虫がついてしまった葉などはどんどん取り除いて、風通しを良くしていく。バジル特有の、もうピザかパスタしか頭に浮かばない、と思ってしまう香りがぷんと漂って鼻をついた。
「こんなもんかな」
 駄目な葉がひととおり無くなり、収穫した葉が籠の半分ほどを満たしたところで、俺は手を止めた。バジルの鉢は脇にやって、次はローズマリーが生い茂るプランターを両手で掴む。うんしょと持ち上げて体の前に置いたところで、背後に足音がした。
「おー、ここにいたんだな、園田」
 雇い主の声に、俺は慌てて振り返った。
「獅子神さん」
 いつもの普段着の上下に庭用のサンダルをつっかけただけの格好で、獅子神さんが立っていた。よく鍛えられて上背もある体は、下から見上げるとさらに大きく見える。プランターを前にしゃがみこんでいた俺は、穏やかな午後の光の中に佇む雇い主と、風に吹かれて淡く輝くその金髪を眩しい思いで眺めた。
「何の手入れして……あっハーブか、それ。ローズマリーと……そっちはバジルか?」
「はい、よくご存知で」
……まあ、時々料理に使ったりするしな。多少は」
 獅子神さんはちょっと頬を赤くすると、もごもごと口の中で呟いた。
 俺たちの雇い主であるこの人は、褒められることに慣れていない。それはもう、どうしてそこまで?と思ってしまうほどだ。
 変にお世辞を言ったり、露骨にへつらう言動を嫌がるのは、まあわかる。王様めいた振舞いで俺たち奴隷に君臨していた時も、あからさまに媚びて点数稼ぎを狙うような奴らは、すごい勢いで睨まれ、罵倒され見下されていた。が、たとえこちらが本当に感心して口に出した言葉でも、顔を赤くして怒ってくるか、ウルセェもうヤメロ、と小突かれて立ち去られるかのどちらかだったのだ。今にして思えば、あれも照れ隠しの一種だったのかもしれない。
「あー……お前が育てたのか? 結構いろいろあるな」
 俺の周りのプランターや植木鉢を見回して、獅子神さんが言ってくる。特に怒っているわけではなさそうだった。
「はい。少しずつ増やしてたら、いつの間にか……すみません、勝手に」
「いや、いーよ。気にすんな」
 獅子神さんはそれだけ言うと、俺の隣にしゃがみこんできた。続けろ、と顎をしゃくって促してくる。
 俺は少し緊張しながら、前に置いたプランターに向き直った。わさわさと枝を伸ばしたローズマリーが植えられていて、細くて硬めの緑の葉をたくさんつけている。収穫用の小さな籠の中で、先ほど摘み取ったバジルを半分に寄せてから、籠を左手に持ち直した。
 右手の指先で、葉を選り分けていく。色褪せて枯れかけた葉を先に取り除き、後で捨てられるようにプランターの脇の袋にまとめる。そうして綺麗な葉が残ったところで、園芸用の鋏を出してぱちん、と枝先ごと切り取った。
 緑の枝先が、きれいに籠の中に落ちる。
「枝、切っちまっていいのか?」
 隣で獅子神さんが首を傾げた。
「葉だけちまちま摘んでいくのかと思ってたぜ」
「今ちょっと伸びすぎてるんで、大きめに切りました。でも普通でも、若い枝先ごと摘むんですよ。すぐ生えてくるんで」
「へー、そっか。そーいや肉料理の写真とかで、枝ごと載せてるヤツ見るよなぁ」
 獅子神さんはしきりに感心しながら、俺の手の動きを追っている。青い瞳を輝かせ、うんうんと頷きながら見入っている様子は、無邪気で好奇心いっぱいの子供みたいだった。
 ずいぶん雰囲気がやわらかくなったな、と思った。
 周囲を威圧するかのように貼りつけていた傲岸さや、イヤな小賢しさ、狡猾さ。そんなものが一切なくなって——そう、余裕だ。穏やかな余裕を纏うようになった。
 元から悪者になりきれない、優しい人ではあった。何せ負けた相手をわざわざ買い上げて、自宅で面倒をみるような人なのだ。王冠を掲げて跪かされたり、行動の制限を受けたりはしていたが、皆が五体満足で健康に暮らしていたのだから、十分に優しいと言っていいだろう。
 そして、あの御友人たちが出入りするようになってから、獅子神さんは本当に大らかに、明るくなった。あれこれ文句を言いながらも楽しそうにしているし、料理の腕にはますます磨きがかかっている。さらに、癖がありまくりの強すぎる御友人たちと渡り合っているうちに、優しさだけでなく、男ぶりもいっそう増したようだった。
 何と言うのだろう、眩しさというか、色気というか。思わず目を留めたくなるような人間的な魅力があふれて、以前とは全然違っている。賭場での勝利を重ねて自信をつけたのも一因なのだろうけれど、ひと回りもふた回りもどっしりとして落ち着いた印象が、今の獅子神さんにはあるのだ。
 ただの雑用係として、お目こぼしで置いてもらっているだけの俺が言うのは、お門違いかもしれないけれど。
 こんなに良い人で、ずっと努力されているんだから。それが報われてほしいと思う。
 生き延びて、幸せになってほしいと思う。
……獅子神さん」
 俺は香りの良い葉を摘む手を止めて、顔を上げた。
「ん? 何だ?」
「死なないでくださいね」

 どんなに糞みたいな試合でも。
 どんなに強いヤツが相手でも。
 帰ってきてほしい。元気に、笑っていてほしい。

 俺たちは、ちゃんと待っているから。
 貴方が不在の間、この家を守るから。 

……当ったり前だろーが馬鹿! 縁起でもねぇこと言うなよ⁉︎」
 噛みつくような大声が降ってきて、俺は首を縮めた。
「スミマセン」
「オレはまだまだ、やらなきゃいけねぇコトがいっぱいあるんだよ。みすみす死んでなんかいられねーんだ」
 そう言うと獅子神さんは、ずいっと右手を突き出してきた。
「手始めに、ソレだろ」
「え?」
「そのハーブ、こっちに寄越せ。今晩から仕込んで、明日の夕食の煮込みに使うから」
 薄青色の眼が楽しそうに輝き、口元がニッと笑みを刻んだ。
「アイツら明日また、集まりに来るんだと。どーせ夕飯食って、深夜まで居座ってくンだろ……だからオメーらは、明日は早くあがっていいからな」
「は、ハイ」
 俺は手にしていた籠を、獅子神さんに差し出した。
 傷痕の残る大きな手のひらが、俺の手から籠を受け取っていく。
 もう片方の手が、慣れた仕草で籠の中の葉を選り分ける。しなやかな指先がバジルの葉の大きめの一枚と、ローズマリーの緑の枝を摘まみあげた。
「おー、イイんじゃねぇか? 肉厚で色がキレイで、香りもいい。お前、園芸の才能あったんだな」
「そんな……ただ、毎日面倒みてただけっス」
 俺がどぎまぎしながら答えると、獅子神さんは目を細めて笑みを大きくした。
「毎日ちゃんと続けられるのも、才能だろ」
「いや、仕事ですから」
「オレはハーブ育てろとか命令してねーだろ? つまりソレは、お前が自分で決めて頑張ったってコトだよ、園田」
 獅子神さんは手にした葉を籠に戻すと、俺の後ろに置いてあるプランターを指差した。
「そっちの花が咲いてるヤツ、カモミールだっけ? もう使えるのか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「だったら、それも適当に摘んで持ってきてくれるか? ハーブティーにする花だろ? 天堂が喜ぶかもしれねーから」
「わかりました。後でキッチンに持っていきます」
 俺が返事をすると、獅子神さんは頷いて、立ち上がった。
 広い庭をぐるりと見渡してから、しゃがんだままの俺を見下ろしてくる。右側に流して整えた金髪が風に揺れ、背後からの太陽の光できらきらと輝いた。
 追加で何か指示をされるのかと思ったけど、獅子神さんは無言だった。逆光の中、大きな影を落として、黙って俺を見つめている。急に表情を失った顔はぴくりとも動かず、翳った瞳はいつもより深い蒼に見えた。
……獅子神さん?」
 おそるおそる呼びかけると、獅子神さんはゆっくりと口を開いた。
「もし、ここを出て……やりたいコトがあるなら」
……え?」
「園芸店に勤めるんでも、植木屋になりたいんでも……他のことでも。ちゃんと暮らしていくなら、何でもいい。そういうのがあるなら言え。オレが納得したら……出て行っていい」
「獅子神さん⁈」
「元々、全員追い出すつもりだったんだ。オメーらがどうしてもっていうから、雇っただけで。だから」
 そこで獅子神さんは、言葉を切った。
 なめらかな額に、かすかに皺が寄る。
……行きませんよ」
 俺はゆっくりと首を横に振った。
「園田。でも」
「今年バジルの種が収穫できたら、来年は蒔いてみるんです。ローズマリーだってまだ伸びるし、挿し木でも増やせるんですよ。やる事、いっぱいあるんですから」
 俺が笑ってみせると、獅子神さんは口元を歪めた。
 たぶん、笑ってくれようとしたのだろう。
「そっか」
「だから、いますよ。ここに」
……そっか」
 獅子神さんは軽く首を振ると、今度こそちゃんとした笑顔になった。
 綺麗に歯を見せて、口元を広げて。唇の片方の端を少しだけ大きく持ち上げて笑う、いちばん獅子神さんらしい笑顔に。
「じゃあ、何かしたいコトあるなら言えよ。要るモンとか。道具とか肥料とか、足りてんのか?」
「ちゃんとお給料で買うから、大丈夫です」
「でもその収穫を、オレだって料理に使うんだぞ。それにここは、オレの庭だ。必要経費として、要るモンはちゃんと雇い主に請求しろ」
 獅子神さんは真面目な顔で言ってくる。こうなると俺は逆らえる立場ではないので、わかりました、と素直に頷いておいた。
 それから、ふと思いついて口にしてみる。
「あの、そうしたら、獅子神さん」
「何だ」
「今これ、プランターに植えてるんすけど……地植えにしてみてもいいっスか? 花壇、小さいやつをあっちのほうに作って」
 俺がかねてから思案していた一画を指さすと、獅子神さんはあっさりと頷いてくれた。
「おう。好きにしていーぞ」
「そんな、簡単に……いいんすか」
「広い庭だし、大したことねーだろ。どうせオレは手が回んねぇし……何ならこの庭全部、お前が管理する? 植木屋との交渉とかもやっていーぞ」
「い、いえ! さすがにそこまでは!」
 俺はあわててぶんぶんと両手を振った。この大きな庭をちゃんと手入れするとなるとプロの手は欠かせないし、発生する経費もそれなりの金額になる。それは、ただの雑用係の俺には荷が重い。
「俺、ホントにど素人だし……何もできないっス。でも……
 ——でも。

 ずっと、ここにいるのなら。
 死と隣り合わせの戦いから帰ってきたこの人を、気持ちよく迎えてあげられる家を作るためなら。

 この庭を維持し、家を包む緑を繁らせ、心和ませる花を咲かせる。獅子神さんが料理に使うハーブや小さな野菜なんかを育てて、御友人たちとの楽しい時間を過ごす手助けになる。
 その為の努力や、勉強をする。
 目指すものに、なるための。
 
「そういうのも、いいっすね」
「ま、オメー次第だろ」
 獅子神さんはさらりと言って、微笑んだ。
 俺は何も言わなかったけど、全部わかっているのかもしれなかった。何といっても、獅子神さんなのだから。
 自分の力で、これだけ駆け上がってきた人なのだから。
 矮小な俺の考えくらい、お見通しなのだろう。
……ンな、大したモンじゃねーけどな。オレなんて」
「獅子神さん」
「いいって。それ以上言うな。照れちまうだろ!」
 半ば怒鳴るように言うと、獅子神さんは落ちつかなさげに手にしたハーブの籠を揺らした。赤くなった顔を動かして空を見上げて、それから俺を見る。
「んじゃ、こっち貰ってくから。カモミールのほうも頼むな」
「ハイ」
「生のハーブとか使ったことねぇから、ちょっとワクワクする。ありがとな、園田」
 そう言って嬉しそうに笑うと、獅子神さんは家の中へ入っていった。
 あとに残った俺は、しばらくその後ろ姿の残像を眺めていた。
 家を見上げ、庭を見渡す。
……うん。やるかぁ」
 俺はゆっくりと立ち上がった。
 ずっとしゃがみっぱなしだったから、ちょっと腰が固まって、みしみしする。両腕を上に挙げ、体を反らせて背筋と腰を伸ばした。
 次の休みには、本屋に行ってみよう。自分が貰っている給料で、簡単な園芸の本なんかを買ってみるんだ。獅子神さんはそれも請求しろって言うかもしれないけど、これは自分の勉強のためだから、全力で頑張って辞退する。身銭を切らないと、きっと甘えてしまって身につかない。
 そうして、この庭のためにやりたい事が決まったら。
 その時は、必要なものをちゃんと請求しよう。俺の仕事として、堂々と胸を張って。
 優しい雇い主の貴方に恥じない、立派な雑用係でいられるように。
「ありがとうございます、獅子神さん」
 隅の物置まで歩いて行って、新しい収穫用の籠を出す。振り返れば、プランターからあふれんばかりに育ったカモミールが、緑の葉と白い花を穏やかな風に揺らしていた。





カモミール(German chamomile)  Matricaria recutita
和名:カミツレ(加密列)
花言葉:「逆境に耐える」「苦難の中の力」「あなたを癒す」「親交」「清楚」