果南(カナン)
2024-10-31 21:47:38
6742文字
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思い出を胸に

シエテ+ル・オー。未来のお空のハロウィンの日に、ふたりが邂逅するお話です。
団長の旅が終わってから、数十年ほど経った後の夜です。



 街のいたる所で、カボチャのランタンが光を放つ。
 不気味な面持ちに眼と口をくり抜かれ、路肩にも軒先にも山のように積まれ、時に誰かの魔法で宙を舞う。悪戯を仕掛けられた者は悲鳴をあげて逃げ、菓子を配る大人には我先にと子供たちが群がる。
 今年もウングッドの街は、ハロウィンに興じる人々で賑わっていた。
 派手な仮装に身を包んだ者もいれば、普段着のままの者もいる。多くが街の中心の広場に集い、屋台の食べ物に舌鼓を打ったり大道芸に見入ったりと、てんでに祭りを楽しんでいた。
 ル・オーはその一画で、広場の狂騒とも呼べそうな様子を眺めていた。
 特異点の艇に合わせてこの街を訪れ、菓子を配ったのはもう何年前だったか。彼らが旅を終えてからは、敢えて自らこの時期に訪れることもなかったが、今年はウィルナスが屋台を出すというので共にやって来たのだった。
 ハロウィンらしいカボチャのスープと、蒸して潰したカボチャでチーズを包んで揚げた団子状の軽食は、日頃のウィルナスの努力の甲斐あってかなり美味に仕上がっていたし、祭りの勢いも手伝って景気良く売れていた。屋台の手伝いはワムデュスが買って出たので、ル・オーは辺りを見回り、危険な死者が紛れ込んでいないかを確かめていたところだった。
 広場をひと巡りし、高いところから街の隅々まで力を伸ばして探ったが、ル・オーが手を下さねばならないほどの悪しき気配は感じられなかった。これならば良いだろうと広場の片隅に降り、ウィルナスの屋台へ戻ろうかと思案していた時に、それが目についた。
 祭りの喧騒の中でも紛れてしまうことのない、高く跳ねた金髪の一房。フードのついた白いマントに、襟元の緋色の返し。一瞬だけ見えた横顔はあの頃とほぼ同じ若さで、翡翠の瞳の輝きも損なわれていない。
……馬鹿な」
 思わず、愕然とした声が口を突いて出た。
 その声が聞こえたかのように、跳ねた金髪の男はわずかに微笑みを浮かべる。それからマントを翻して、ル・オーから離れた路地の方へ入ろうとした。
「待て!」
 ル・オーは迷わずに駆け出した。広場の人混みをかき分け、男の背を追う。ただ追いつくだけなら『扉』を使えば造作もないが、これだけヒトの子が多い場所で、いたずらに混乱を生むことは避けたかった。
 猛獣のような仮装をしたドラフの男の脇をすり抜け、突然足元に飛び出してきた猫を躱す。踏みとどまって子供の一団を避け、悪戯を受けた女性の嬌声に耳を倒しながらも、何とか広場を突っ切って、男の入った路地に踏み込んだ。
 路地の入口にはカボチャのランタンが置かれていたが、中のほうには灯りが無かった。両脇の家々の多くは窓に鎧戸を落とし、格子が見えている窓にも光は映っていない。
 先ほど上空から街全体を眺めた時には、このように不自然に暗い路地はなかったはずだった。時間が経過してたまたま灯りが消えたというのとも、また異なっている。常人なら判別のつけようがない違いでも、光の竜たるル・オーの眼と感覚は、この路地を見透かして明らかな警告を発していた。
 ——既に、何らかの結界が生じている。あるいは、異世界の重なりか。
 ル・オーは暗がりの奥を見据えて、慎重に歩き出した。
 当然のように、すれ違う生き物はいない。広場の騒がしさもかき消えたように届かず、ル・オーのブーツが石畳を踏む音だけが、こつこつと小さく響いた。
 いつの間にか、周囲に小さな星が瞬き始めていた。静かに吹いた夜風が、切り揃えられたル・オーの横髪を揺らす。
 そして路地の突き当たりで、ル・オーは足を止めた。
 既にそこは、通常の街の一角ではなかった。三方を建物の石壁に囲まれてはいたが、その壁に重なって無数の星が見えている。時折、壁の一部が揺らいで星が流れ、碧にも見える薄緑色と、赤みを帯びた薄紫色の光跡を交互に残していった。
「これは……
 馴染みのない——否、久方ぶりに目にする力。
 空の理たる六竜には、扱うことのできない力。
 その源になっている男は、隅に重ねられた木箱に寛いだ様子で腰掛けて、夜空を見上げていた。
「やはり、君なのか……シエテ」
 かつて男が名乗っていた十天衆の頭目としての名を、ル・オーは呼んだ。
 それ以外の名を、知らない。
「やあ、久しぶりだね」
 ゆっくりと振り向いて、シエテは微笑む。風が吹き、男の跳ねた金髪と垂れた白いマントの裾を揺らした。
「六竜の『白』。また会えて光栄、ってところかな。いやー、変わってないねぇ」
 垂れ気味の目を細め、楽しそうに笑った表情を作る。その様子は確かに特異点の艇で相見えていた頃の彼と同じだったが、それ故にル・オーの表情は険しくなった。
 何しろ、その頃からもう数十年が経過しているのだ。
 ヒトの子が、同じ姿を保てている道理は無い。
「私は六竜だ。この空の世界がある限り、寿命など無い。だが……君は違うだろう」
 ル・オーは慎重にシエテの様子を見ながら、言葉を続けた。
「いかに『涯て』に座する者との繋がりがあるとはいえ、君は所詮ヒトの子だ。身体が、老いを免れ得るはずがない」
……ふーん? どうしてそう断言できるの?」
 シエテは笑顔のままで言うと、身軽に木箱から飛び降りた。
 たっぷりとした白いマントが風を孕んで、広がる。ル・オーにも見慣れた十天衆の揃いのマントだったが、その内に纏う装いはかつての彼のものとは異なっていた。
 黒鋼の全身鎧ではなく、より軽装な肩当てと脚鎧。動きやすそうな胴着は夜空と同じ濃紺。両の腰に吊るした剣も、左右で形が違うものになっている。
 ヒトの子にしてはそれなりの時が流れたのだから、装備が変わっていても不思議ではない。だがル・オーの眼には、今のシエテの姿に記憶の中のシエテの姿が、蜃気楼のように重なって見えていた。力の調整を少し変えれば、かつてのシエテの姿のほうが明瞭に見えてくる。
 まるで、ひとつの体の中に、二つが共存しているかのように。
「どういうことだ、それは」
 厳しい声で、ル・オーは問いかけた。
「君から……潰えた可能性と同じ力が感じられる。しかも、既にひとつに混じり合いかけているようだ。何故だ?……『涯て』への接続を通じて、何を得た⁉︎」
 ばっ、と周囲の星々が一斉に輝いた。薄緑色と薄紫色の光が交錯する。
 自分の操るものではない光に、ル・オーは思わず目を細めた。
「流石だね、ル・オーちゃん! 俺の中に居るものが解るんだ?」
……!」
 二色の鋭い光が、凄まじい勢いで降りそそぐ。瞬時にル・オーは右手を突き出し、光の膜を張って受け止めた。
 シエテの放った無数の剣拓は、光の膜に弾かれて悉く消えていく。その僅かな時間でシエテは腰の剣を抜き、ル・オーに迫っていた。
 ギン、と音にならない音が、空間を震わせた。
「は……
……何をする、いきなり」
 ル・オーは両手に稲妻を現して、シエテの二本の剣をそれぞれ受け止めていた。ばちばちと弾ける細かい光が、シエテの顔を照らし出す。
 剣と稲妻の向こう、間近に迫った男の顔。
 その双眸が、かつての翡翠色より蒼みがかっているのが見てとれた。
「やはり『涯て』の力が強まっているな。何が居るのだ、君の中に」
 押し殺した声で、ル・オーが問う。
 シエテは、にやりと唇の片端を歪めた。
「大体、君の予想通りなんじゃない? 潰えた可能性……その果てに、ヒトであることを止めた俺だよ」
「!」
 ル・オーの目が、見開かれる。金の瞳の虹彩が、きゅっと窄まった。
 その隙に剣を引きながら、シエテが跳び退がって間合いを開ける。反動でよろめいたル・オーは、急いで体勢を立て直して半ば呆然とシエテを見つめた。
「何ということだ……それはまさか、あの時に」
「そーだよー。それ以外に、無いでしょ?」
 シエテがあっけらかんと言って、肩を竦めてみせる。ル・オーは唇がわななくのを感じながら、それでも低い声で問いかけた。
「では君は、それからずっと、その存在と意識を分かち合ってきたというのか? いかに『涯て』に座す者の使徒同士とはいえ、ヒトの意思が、心が、そんなことに耐えられるとは」
「思えない、って?」
 静かな声で、シエテが口を挟んだ。
 口調とは裏腹の、重たい響きを伴って。
「随分と人間くさい考え方をするようになったんだね、六竜の『白』。そのヒトの心を、意志の力を利用して事を成し遂げたのが、君たち六竜だろうに」
 ル・オーは咄嗟に何も言い返せなかった。蒼ざめた唇をいっそう震わせ、小さな牙をぎり、と噛みしめながら、金の瞳でシエテを睨みつける。
 シエテは——この時はもうひとつの存在のほうだったのかもしれないと、後になってル・オーは思った——そんなル・オーの様子を眺めていたが、やがて満足したのか、ふっと気配を緩めて笑った。
「ま、そうは言ってもさ。今夜は別に、君を倒しに来たとかじゃないんだよねー。だから、このへんにしておこうよ」
 かちゃりと音を立てて、シエテが両の腰に剣を収める。まだ周囲は星々が煌めく異界の様相を呈していたが、それでも輝きは先ほどより落ち着き、星の動きもゆったりとしたものになってきていた。
 ル・オーは周囲を見回し、もう一度慎重にシエテを見る。それから両手の稲妻を消し、改めてシエテに向き直った。
「では何のために、私の前に姿を現した? わざわざ『涯て』の力を用いて空間を作り、私を誘い込むような真似までして……目的を言い給え」
 事と次第によっては、この場で叩き伏せることも厭わない——言外にそう匂わせて、ル・オーは気迫を漲らせる。
 しかしシエテは、特に意に介した様子もなく、あっさりと答えを言ってのけた。
「そりゃ勿論、トリックとトリート、でしょ? だって、今夜はハロウィンなんだからさ」
「は……?」
 ル・オーはまたもや——今度こそ本当に——呆然として、シエテを見つめた。
 目が合ったシエテは、軽く首を傾げてウィンクを返してくる。以前より蒼みがかった翡翠の瞳はそれでも快活な輝きに溢れており、主の仕草に合わせて、跳ね放題の金髪が星々の光を跳ね返して揺れた。
 無邪気とも呼べるその様相に、世界の敵たり得る悪しき力は感じられない。
 ル・オーは困惑しながら、何とか言葉を紡いだ。
「何を、君は……そんな詭弁を弄しても、私は……っ!」
「本当なんだって。ハロウィンのこの夜なら、いろんな境界が曖昧になるでしょ? だから上手くいけば、君たち六竜に会えるかなって思ったんだよね」
 言いながらシエテは、空を見上げた。
「もう、だいぶ時間が経っちゃったからさ。あの子のことを懐かしんでも、語れる相手が殆どいないんだよねぇ。その点、君たちなら寿命は無いし、記憶もしっかりしてるからさ。一緒に思い出すには、ちょうどいいかなって」
 変わらずに明るく紡がれていた言葉の、最後がわずかに震える。ル・オーの鋭敏な耳は、それを聴き逃さなかった。
「シエテ、君は……
 問いかけようとしたル・オーは、しかし言葉を止める。
 代わりにシエテと同じように、空を見上げた。
 まだ『涯て』の力に包まれたこの場では、そこに真の夜空は見えない。しかし、シエテの眼には自然に瞬く星々と流れる薄い雲、それらを有する空がはっきりと映っているのだろうと、ル・オーには思えた。
 かつて、美しく壮大な翼でひと時を過ごし、共に剣を揮い、泣いて、笑い合った。
 特異点たる少年と共に翔けた、あの空が。

 過ぎてしまった時間は、もう戻らない。
 我等が六竜と時竜が成したこと、その選択と結果も消えはしない。
 それでも我等は、空の世界のためにと願った。振り返れば多々の未熟があったとしても、その結果を受け止めて、今もこの空がある。

 きっと、この男も——シエテも、彼と共にある潰えた可能性も、同じなのだ。
 傍から見れば間違っているように見えたとしても、結果を受け止めて、次の一歩を踏み出し続けている。
 そう、生きている限り。

 そうしてこの空に生きる、彼も命のひとつなのだ。
 ならば私が為すべきことは、決まっているではないか。

「君の力で……私やウィルナスの力を悟ることは出来るのかね?」
 ル・オーが尋ねると、シエテはきょとんとした顔を見せた。
「えっ……? うーん、頑張ればできるかな、って感じ? 君たちみたいに元素の流れが常時分かるってわけじゃないからなぁ……星の海に入って、裏から探ればまぁ……
「では、どうしてもの時にはそうするがいい。我等が『涯て』の力を直接制御することは叶わないが、空の理の範囲でなら打つ手が見えることもあるだろう」
 できるだけ抑揚を排して、淡々とル・オーは告げた。
……え、それ、どゆこと?」
「急に耳が不自由になったのかね? 我等の力が必要な時は頼れば良い、と言っているのだよ。別にハロウィンの夜を待つ必要は無いし、火急の用でなくともそれはそれで構わない。特異点の思い出話がしたければ、その時にでも来るがいい」
 シエテは目をみはり、それからずざざっ、と後ずさった。
「ど、どーしたのル・オーちゃん……? なんか、急に親切になってる……?」
「その呼び方は止め給え。無意味に大袈裟な動作も、だ。私は特異点ではないし、かつての君の仲間でもないぞ」
 声の高さを一段落とし、不機嫌さを顕著に滲ませてル・オーが告げると、シエテはへらりと笑った。
「あはは……そんなつもりじゃないんだけどね。こう、何て言うかさ……懐かしくって、身に染み付いてたものが久しぶりに出ちゃってるっていうか」
「今回は不問に付すとしよう。が、次からは気をつけ給え」
「そうするよ」
 シエテは頷くと、脚鎧に包まれた爪先でとんとん、と地面を叩いた。
「でもさ、君はやっぱり優しくなったと思うよ、ル・オー。そうしてヒトの姿で暮らし続けているおかげなのかな?」
「さて、な……私自身としては、その点について特に語る言葉を持たないのでね」
「自覚、無いんだ?」
「私は私の役割を、果たしているだけだ。六竜の『白』にして光の理、生を携える者としてのね。君も、君の役割を果たさんとしているから、今こうして此処にいるのだろう?」
「あぁ、そっか……うん、そうだね」
 天星剣王は、微笑んで目を閉じた。
 ふたりの周囲を包んでいた星々が、少しずつ消えていく。建物の石壁が見えるようになり、広場のざわめきが遠くに聞こえてきた。
「行くのか」
 ル・オーが問い、シエテは首肯した。
「うん。またそのうちにね、ル・オー」
「気をつけ給え。甚大な力との繋がりを有するとはいえ、君も元はヒトの子だ。ゆめゆめ油断するな」
「ふふっ……そーだね」
 最後の星が、消えた。
 薄緑色の光が、立ち昇る。シエテの足元から広がって、全身を包んだ。
 たっぷりとした白いマントがたなびき、跳ね放題の金の髪が揺れる。ひらひらと片手を振ったのが見えて、そして。
 光が消えるのと共に、天星剣王の姿も消えていた。
 後に残ったル・オーは、小さくため息をついた。最初に彼が腰掛けていた木箱があるのを見つけて、同じように腰を下ろす。
 広場のほうの元素を探ると、ウィルナスとワムデュスが急いで動いているのがわかった。私の気配が戻ったことに、気づいている。ヒトの子らに不審に思われない程度に状況を整えて、間もなく『扉』で此処に来るに違いなかった。
 そうしたら、何があったかを説明しなくてはならない。あの時の出来事から振り返るとなれば少々長話になるが、さてどうしたものか。
 いっそのこと腰を据えて、久しぶりに特異点たちとの思い出話に浸るのも良いだろう。それなら我等だけでは、どうにも不足だ。フェディエルにガレヲン、イーウィヤも呼ばなくては。我等全員が揃うとなれば、きっとウィルナスは料理を振る舞うと言い出すだろうから、場所を移さなければならない。
 そこまで思考を巡らせて、ル・オーはくすりと笑った。
「こういうところだな、特異点。君が、最も凄かった処は」

 彼の元に集う皆が、笑顔になった。夢を、希望を、信じられた。
 他のどこにもない力で、人々を、ヒトならぬ者たちを繋いだ。
 そして、それは今も変わらない。 
 
 元素が揺れ、『扉』が開く。炎と水の理が、心配そうにル・オーの名を呼びながら姿を現す。
 間もなく訪れるその時まで、ル・オーは微笑んで夜空を見上げていた。