きゅぅ、と呼ばれて振り返った。
勿論、何が居るのかは分かっている。己が一部の在り様を、間違えることなど有り得ない。
「息災かね、我が小さき力よ」
尋ねるときゅ!、と元気な返事をして、尾を振った。
私の竜としての姿を愛らしく模したこの存在は、私の力の些末な端を切り離し、形を取って凝らせたものだ。特異点に力を貸すことになったとはいえ、彼の艇に常時滞在するのは六竜としての己が役割からして無理があるし、自分の性にも合うものではない。そこで、有事の際には速やかに私に知らせられるよう、いわば繋ぎとして特異点の手元に置くために、この存在を生み出した。
騎空艇という限られた空間内に居続ける以上、大きく場所を占有するものであってはならない。艇内には年端も行かぬ子供や高齢の者らもいるのだから、無闇に威圧感を与える外見も好ましくない。矮小なるヒトの子らが余計な先入観を持たず、馴染みやすく、老若男女を問わず親しめる形。しかも、私の分身だと容易に判じることができるような
——そう考えて念じた結果、このぬいぐるみのような、どうにも力が抜けてしまう、威厳の欠片もない姿が現出したのであって、断じて私自身の趣味嗜好などではない。が、結果として特異点にも団員達にも喜ばれ、「ゆるルオ」「ゆるおちゃん」などと呼ばれて可愛がられている(そして小さき存在自身もそれを喜んでいる)ので、今さら否とする道理も見つからず、こうして艇で日々を過ごさせているのだった。
「私の留守中、変わったことは無かったかね。特異点の身にまた災難など
……何だね、それは」
途中で質問の趣旨を変えたのは、小さき『白』が手にした
——厳密には足なのだろうが、便宜上こう称せざるを得ない
——赤い花を掲げてみせたからだった。ひらひらとしたフリルのような花弁が幾重にも重なった花で、対になった細い葉がしゅっと茎から伸びている。半球状の花は芯に近いほど深い赤で、なだらかに色を変えながら、縁の部分では淡い紅色となっていた。
見たところ、魔力の類いは感じられない。ということはヒトの子が加工を施した色というわけでは無さそうで、このような美しさを生み出す空の自然の力にはやはり感心せざるを得なかった。
「ふむ、綺麗な花だ。特異点から貰ったのかね?」
「きゅう。きゅっきゅー、んきゅ!」
「あぁ成程、連れ立って出かけたのか。すると街の花屋に、この花が沢山売られていて
……? ほう、カーネーションと言うのだね」
「うきゅっきゅ! きゅー
……」
「ん? それはどういうことだね?」
「きゅ! きゅくきゅー、きゅぅう」
ぱたぱたと尾を振りながら小さき彼が語ったところに、後に私が確かめた知識を加えてまとめると、おおよそ次のような事だった。
この近辺の島々では、春から夏へ移る今の時期に、ヒトの子らが日頃の感謝の気持ちと愛を込めて、己が母親にカーネーションの花を贈るのだという。しかし、仕事や学業で親元を離れていたり、或いは既に死別したりして、母なる者に手渡すことが叶わぬ者も多い。
そこでいつ頃からか、そのような者達は風の良き日を選んで、あるいは騎空艇に乗って、祈りと共に空へ花を飛ばす風習が生まれたのだという。抜けるような青空に赤や白、その他色とりどりの花が舞う様は、爽やかで美しく、母への感謝という趣きも共感を呼んで、幾つもの島々へと広がっていった。今では花を飛ばす為に臨時の騎空艇を出す島もあり、そのような街では花売りも客も集まって、さながら祭りのようになるということだった。
「それで特異点たちも、この艇で花を撒いたのだね? 君も相伴に預かったというわけだ」
「きゅっきゅ!」
小さき『白』は嬉しそうに頷くと、ぽいんと跳ねてみせた。
分身といっても全ての感覚を共有しているわけでは無いが、彼が伝えようとしている事柄は私には明確に察せられる。甲板に並べられた幾つもの花籠、集まった団員達と特異点が、手に手に花を取っては空へと投げ、笑顔で、或いは涙を浮かべて語り合う様子が意識に流れ込んできた。
「おや、イーウィヤも風を起こして手伝ったのだね。感心なことだ
……ガレヲンに、ウィルナスも居たとは。羽目を外したりはしなかっただろうね」
「きゅうっ、きゅぅー」
「
……まぁ良かろうよ。後でゆっくり尋ねてみるとしよう。ところで」
私は膝をついてしゃがむと、改めて正面から小さき『白』に問うた。
「君は何故、その花を持ったままなのかね? 甲板から投げたのではないのか?」
「うきゅ?」
彼はつぶらな黒い眼をぱちりと瞬かせると、ふるふると首を横に振った。
「きゅ、きゅ!」
「しかし、祈りを込めて花を風に乗せるのだろう? せっかく皆と共に参加したのだから、其処はやはり
……」
「んきゅっきゅー、きゅぃ、きゅー!」
ぺしぺし、と尻尾が床を打つ。
そして、思わず眉をひそめた私の眼前に、ずいっと花が突き出された。
「きゅぅう、きゅ」
「何
……? 私に
……?!」
「きゅっきゅ!」
小さき『白』はぱっと笑顔になって、何度も頷いた。
私は半ば困惑して、彼と、彼が手にしている花を見つめた。
きらきらと光る一対の瞳が、まっすぐに私を見上げてくる。小さな手で大切そうに花の茎を支えて、せいいっぱい私のほうへ差し出して。わくわくと期待に満ちた彼の小さな力を受けて、深い赤を抱く花も自ずと輝きを増し、薄い花びらの縁から淡い光の粒をこぼしていた。
母なる者に、日頃の感謝と愛を込めて花を贈る。
そう聞いた彼は、母とは自分を産んでくれた者、という特異点たちの説明を聞いて、私の処へ来たのだろう。貰った花を大切に抱いて、私の帰りを待って。
その気持ちは、ありがたいと思う。が、何と諭したら良いのか分からないのも事実だった。
「あー、その
……」
私は指先で眼鏡の中央を押さえながら、口を開いた。
「確かに君は、私から分かたれたものだ。が、ヒトの子らの言う母子の概念とは、全く別物なのだよ。我等は六竜なのだからね」
「
……きゅぅ」
「だから、私はその花にはそぐわないと思うのだよ。君の心根は喜ばしいのだが、やはりそれは風に乗せて
……」
「ぅきゅ
……きゅ、きゅう
……」
小さき彼が、ふるふると震え始めて。
私は、はっとして言葉を止めた。
いつも緩く笑む口元がきゅっと引き結ばれて、目元がじわりと潤んでいる。頭の角も心なしか、力を失ってへんにょりしているように見えた。
私は自分の過ちを悟って、大きくため息をついた。
我等は、六竜。ヒトの子らの枠組みにて計れる存在ではない。
だが、私から分かたれた彼は、私の知らない時間をヒトの子らと過ごして、斯くも様々な感情や仕草を身に着けるに至っている。限られた力、小さな存在でありながら、懸命に日々を過ごし、役目を全うしている。
その彼の、健気な思いを無下にするのは、何と心無い振る舞いであったことか。
これでは私も、まだまだ未熟と言わざるを得ない。
「
……小さき『白』よ。すまなかった」
私は手を伸ばして、彼が支えている花を受け取った。
きゅぅ、と腕に縋ってきた彼を抱き上げて、そっと頭を撫でる。
「君の気持ち、ありがたく頂戴するのだよ。無粋な言を返した事、改めて詫びよう」
「きゅうっきゅー、んきゅぅ」
「そうか、許してくれるのかね」
「ぅきゅ!」
ぴょんと私の肩に飛び乗った彼が、あたたかい頬をすり寄せてくる。くすぐったさに思わず微笑みながら、指先で白い喉をさすってやった。
きゅうきゅぅ、と嬉しそうな声を上げて、小さな体が甘えるように首に巻きついてくる。ぱたぱたと振られる尾から光の粒が舞い散って、きらめきながら艇の通路を流れていった。
私の存在の、小さな欠片。幼げな佇まいの、かそけき光の主。
されど皆から愛される彼の心は、いつの間にか大きく豊かに育って。
きっとこれからも、私は驚かされることになるのだろう。
折にふれて、幾たびも。
「
……それもまた愉し、なのだね」
「きゅぅ、きゅう!」
にゅっと伸び上がった彼の背を撫でて、貰った花にそっと唇を触れる。
それから、小さな体をやわらかく抱きしめて、感謝とねぎらいの言葉を囁いた。
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