2025-08-24 16:13:42
11270文字
Public 小説
 

受難のその後

ピーター×バツー

二人の関係性はいのちの篝火を呼んで頂くと分かりやすいです

◆出てくる人達






「バツーおじさん……? おはよう、いつもよりだいぶ早いわね」
……そうか?」
……なんか疲れてない? そっちの幕屋は狭そうだものね、寝苦しい?」
「そうだな……
 早朝、顔を洗いに出てきたアズィーザと鉢合わせたが、バツーは生気の籠っていない返事しかできなかった。
衣服と布を清めて外に干した後、幕屋で再び寝ようと思ったが、また襲われては敵わないと隣の二人に常に警戒していたため、ほぼ一睡もできなかった。この歳で徹夜は堪える。
「なぁアズィーザ……お前、ピーターと結婚すんのか?」
「え!? なななな何言ってんの!?」
 顔を真っ赤にさせながら両手を顔の前でぶんぶんと振っている。この様子ではもしかしたら何も進展してないのかもしれない。どっちでもいいのだが、何であれバツーにはどうしても伝えたいことがあった。
「あいつはやめとけ……変態だからな……
……おじさん、何言ってんの?」
……
 頭がおかしい、と言わんばかりの怪訝な目を向けるいとこ違いに、それも当然か……と肩を落とした。品行方正で容姿端麗な王族のホーリーオーダーと、どこにでもいる一介のノーマッド。変人扱いされるのはこちらだろうと、はなから期待はしていなかったが。
「信じられないのは分かるが、一応親戚からの忠告だ。受け取るかは自由だがな……じゃあな」
……?」
 諦めたように去っていく背はいつもより元気が無いように見え、アズィーザは少し心配になってしまった。
 
 
 
 昼食後、アズィーザ達は肩慣らしに魔物を倒してくると言って集落から出て行った。
 一方、バツーは死んだ目で家事をしていた。夜中に干した衣服を片付けていると昨夜の出来事が蘇ってくる。
 この服をみっともなく汚してしまった、二度もイってしまった。男なのに、前でも後ろでも。こんな事あっていいのか?
 すぐそこで水を貯蔵している瓶から柄杓ですくい、喉を潤していたアルタンが目に入る。
 そうだ、経験者がすぐそこにいるじゃないか。
「アルタン、お前さ……ケツに指突っ込まれたら気持ち良くなるのか?」
 ブフォッ! と含んでいた水を全て吐き出し、げほげほと咳き込んでいる。
「バっババババツー!? なななな何言って……!?」
 流石は親子、反応が同じだ。それに声が裏返り、あたふたと混乱する族長はなかなか見られないな、と頭の隅で思っていた。なんかもうそんな事どうでもいい。
「安心しろよ、誰もいねぇから。んで、どうなんだよ」
「どう、と言われても……何故そんな話になるんだ!?」
「俺はお前の軍師みたいなもんだぞ。お前の個人情報からケツの穴の事情まで、全て把握する義務が俺にはあんだよ」
「個人情報は分かるが尻の事情は必要ないだろう!」
「あるんだよ、まだバルザイみてぇな奴がいるかもしれねぇからな。この村で経験豊富なのはお前くらいだろ。これは対策の一つだ、お前の名誉は守ると約束する、だから開示しろ」
「~~~~っ!!」
 何の対策だ!? と聞く前に、あまりの恥ずかしさにアルタンは顔が真っ赤になった。確かに事実ではあるがこうも冷静に、無感情に言われると自分が汚物のように汚らしい存在だと感じさせられる。
 反論しようとしたアルタンだったが、いつもと様子の違う幼馴染に違和感を覚えた。これまでなら気を遣ってバルザイとの行為も、アキリーズとの関係もあえて聞かないようにしてくれていたのに、何で今頃こんな直球を投げてくるのだろう。しかし茶化すのではなく真剣にこちらを見つめ、目を逸らそうとしない。何か答えを求めている、そんな目だった。
「そ、そうだな……慣れれば、誰にでもそういうことは起こり得ると思う……
……慣れてなかったら?」
「わ、分からない、そんなの……俺は、その、初めての時は…………薬を使われたから、普通の場合は分からない……
……すまねぇ、嫌な事話させた」
「いや、もういいんだ。随分前のことだし。それに……
 少し口ごもり、アルタンは俯いてしまった。先程よりも頬は赤く、耳まで紅潮している。
「もし、気を許していた相手だったら……は、初めてでも、気持ちよくなるのかも、しれない……
……お前、やっぱり……
……ああ、バルザイのこともあったし、お前ももう勘付いていただろう。隠していてすまなかった」
……謝るのは俺の方だ。思い出させて悪かったな」
 アルタンよりも、バツーの声の方が小さくなっていく。伏せた双眸にはいつもの力強さはなく、畳んだ服を虚ろに見つめている。そんな様子にアルタンは本気で心配になってきた。
「お前、体調でも悪いのか? 元気がないぞ」
「そうか……そうでもねぇよ……
 しばらく沈黙が続いた。アルタンは何か話題に出そうと、話の流れに乗ることにした。
「あいつに、された時は……気持ち良かったぞ」
……そうなのか?」
……とんでもなく上手かったからな。でも、それだけじゃなかったのかもしれない。何故か……ここが満たされたんだ。大事にしてくれていると、分かって……
 相変らず真っ赤に照れながら、胸の辺りをギュっと押さえている。ポツポツと必死に、言いにくいことを告白してくれている。
 それを見て、何を話させてるんだと、バツーはだんだん正気に戻ってきた。
「悪い、変なこと聞いちまって。……忘れてくれ」
「あ、あぁ……ほんとに大丈夫か?」
……少し風にあたってくる」
……分かった。気をつけてな」
 深く追求してこない様子に安心した。何故か今は誰とも話したくなかったから。
 
 
 
「はぁ……
 バツーは小高い丘で地面に座り、一人夕暮れの空を見上げ溜息を吐いた。
 自分は何をやってるんだろう。アルタンが帰って来てからというもの、苦労ばかりで何も報われてない気がする。できることならアルタンを帝国に返品してやりたい。そうすれば以前の平和な日常が戻ってくるに違いない。
 昨夜の出来事が結構堪えていると、自分でも俯瞰できている。自分が拾ったピーターに酒の勢いとは言え犯され、感じてしまい、その事実に情けなくなっていると。そもそも何でこんなことになったんだろう。
(全部……あの皇帝のせいじゃねぇか?)
 アルタンが酒に弱くなったのも、バルザイに手籠めにされるきっかけになったのも、更にそのアルタンがピーターに酒を勧め、結果自分がこんな目に遭っていることも。全部諸悪の根源はあの傭兵皇帝じゃないか?
 ピーターについては因果関係はないのだが無理矢理責任を押し付ける。今はどこでもいいからこのやり場のない気持ちをぶつけたかった。
(くそ……やっぱり礼なんて言ってやらねぇからな)
 どこかからあざ笑いつつ見下ろされ、この惨状を小馬鹿にされているような気がする。軍師には彼に礼を言いたかったと話したが前言撤回することにした。
 しばらく佇み、風を感じつつ落日を眺める。
 世界はこんなにも美しいのに、自分の中はこんなにも汚れくさっている。
(でも、最後のはちょっと気持ち良かったかも――っじゃねぇし!! 何考えてんだ!!)
 あらぬ考えに、ぶんぶんと首を振って否定する。バツーを悩ませているのがこれだった。
 無理矢理突っ込まれたのに、そこで絶頂を迎えてしまうなんて。まだ感覚が残り、意識するたびにそこが疼くような気がする。特に乗馬する時は振動で意識がそちらへ向いてしまう、それ程に強烈な体験だった。
 会話はなかったが、今朝はいつもと変わらず涼やかな顔で過ごしていた彼の姿を思い出す。あんなに整った顔のピーターに、あんなことやこんなことをされ、それで感じてしまった自分が酷く汚らわしい。かといって誰に話せるわけでもない、自分で消化するしかなかった。
(どいつもこいつも俺をおもちゃみたいに扱いやがって。しかも全部忘れちまうんだろ、随分と都合良く出来てるじゃねぇか……俺一人が振り回されて……馬鹿みたいだ……
「はぁ……
 これから先のことを考える。サバンナを経てサラマット方面へ旅立つらしいが、当面は寝食を共にするだろう。旅を終えてアバロンへ帰る際もここに立ち寄るはずだ。
 正直もう顔も見たくない。こんなおかしな気持ちはもう懲り懲りだ。
 沈みゆく夕陽を見ながら、いい加減帰ろうと立ち上がった、その時だった。
「おじさん!」
……
 どうやら皇帝一行は魔物討伐から帰還したらしい。
 背後から渦中の人物に呼びかけられたが、無視した。振り返ることなく、背中で怒りと拒絶を表現する。
 きっといつもと変わらない顔してんだろ。こっちの気も知らず話しかけてきやがって。どっか行け。
「おじさん……どうしたんですか?」
「うるせぇ、こっち来んな変態野郎が」
「へ、変態……
「ああそうだよ、お前は淫乱変態酒乱野郎だ。もう俺に近付くな」
 珍しく静かに怒っている様子に、ピーターは足を止めるしかなかった。いつも怒る時は怒鳴り散らすが、本気の時は口数が減るということを知っているのだ。
「あの、私に……怒ってるんですか?」
「お前以外に誰がいる」
「す、すみません! 謝らせてください!」
「あ? 何を謝るってんだ? どうせ何も覚えてないくせに」
「さ、昨夜のことを……その……
 バツーは思わず振り返った。青年は顔を反らしつつ、その頬を赤らめている。きっと夕日だけのせいじゃないだろう。
……てめぇ、起きてたのかよ?」
「すみません……最初は記憶がないのですが、途中から……
……どの辺りから?」
「わ、分からないです、でも……私が触ったら、おじさんも一生懸命、一緒に握ってくれて、頭を振ったり、声も小さく、たくさん出してくれて……悦んでくれてると、嬉しくなって。そしたら止まらなくなって……
……
 握る? ブツをか?
 ということはあの悶絶する苦痛を味わってる時からこいつは意識があったってことか?
「誰がっ……誰が悦んでるって……!?」
 沸々と怒りが湧き、ついに爆発した。
「お前っ……俺は出さねぇように押さえてたんだぞ!! それを悦んでやってると思ってたのかよ!? どんだけ死にそうだったか分かってんのか!?」
「え、押さえてた……? 何で……
「あの状況で出せる訳ねーだろ!! ハクヤクに全部掛かっちまうだろうが!!」
 言われてみれば、と昨夜のことを思い返しているのか、ピーターは次第に青ざめていく。
「す、すみません!! 途中で止めたり、そういうやり方もあるって、聞いてたもので!」
……何だよそりゃ……誰に聞いた?」
「先輩のホーリーオーダーの方に。あの宿舎は男所帯なので、知識も入れて念のため防御しろと、色々……教わりました」
 防御じゃなくて攻撃の方を教わってどうする、とツッコミたかったが、呆れ果ててそれも言えなかった。
 隣国は変態まみれかよ。こんな奴らと和平協定なんて御免蒙りたい。
「お前……男と寝たことあんのかよ」
「いえ……ない、です……
……そういう趣味じゃないんなら、何でやめなかったんだよ。途中から分かってたんだろ? いい歳こいたおっさんだぞ俺は」
「わ、分からないです、でも……おじさんの声とか、匂いとか、体に、もっと触れていたいって思ってしまって……
 もしかすると、アズィーザに手を出すまいと日頃から衝動を抑えているのかもしれない。そう考えるとやるせない気持ちで何も言えなくなってしまった。
 その昇華されない情動が、全部こちらに向いているんだと。そういうことだろう。
 要は代替品だ、アルタンもきっと同じだ。誰も俺自身のことなんて見ちゃいないんだから。
「お前な……たまには女でも抱いとけよ、変な癖がついちまうぞ」
「変な癖……?」
「男の尻を追いかけ回すことになるって意味だよ。定期的に娼婦でも抱いとけ。アバロンにはうじゃうじゃいるだろ」
「男の人を抱くのは……おかしい事、なんですか?」
 何なんだこの生産性のないやりとりは。
 うんざりしてきた。そういえば生き残る術は教えたものの、性教育はしてなかったなと反省モードに入ろうとするが、いやそもそもそこまで俺が教える義理はないだろ! と振り払い、不思議そうにしている青年を諭そうとする。
「俺にとっては理解しがたい趣味だよ。どこでもそんな感じだろ、アバロンは知らねぇけどよ」
……そう、なんですね……。でも私は……おじさんだから……
……あ?」
「あんなことしたのは、おじさんが初めてなんです。あんなに胸がドキドキしたのも、声を聞いて、顔を見て、可愛いと思ったのも、陛下以外にはおじさんだけで……やっぱり私は変、なんでしょうか……
……俺は親代わりみてぇなもんだからな、きっと家族愛みたいなのがそうさせてるだけだ。それが強すぎて辺な方向に行き過ぎちまってるだけで……
「ち、違います! アルタンおじ様も、ファティマおば様も、ダヤンも、みんな大好きです、大切な人達です! でも、こんな……こんなに胸がドキドキするのは陛下と、おじさんだけで……
 おいおいこれはまずい流れじゃないか? 育てあげた子供が俺を好くってことか? 可愛いと思う? こんなおっさんを? 愛は性別を超えるとかどっかの詩人が言ってた気がするがそんなことあってたまるか。
 何よりこの聖騎士はこれから皇帝と共に世界に名を馳せるかもしれない、希望の芽なのだ。そんな光輝く青年に自分のような独り身の影をちらつかせては、名を汚すことになるかもしれない。
……俺は人の趣味にはどうこう言わねぇが、男にゃ興味ねぇからな。それだけは肝に銘じとけ。昨日のことは許してやるが、今後俺には触るなよ。お前にはアズィーザがいるんだから、帝国でホーリーオーダーとして堂々と過ごしてればいいんだ。こんな田舎のおっさんのことは忘れろ。じゃあな」
「ま、待ってください!」
 横を通り過ぎて去ろうとすると、咄嗟に腕を掴まれた。
――触るなって言っただろうが」
 脅すようにギっと頭上の顔を睨み付けると、息を呑み少し怯んだがそれでも放さず食い下がってくる。
「お願い、します! そんなこと言わないで下さい! おじさんにそんなこと言われたら、僕はっ……!」
 振り払おうと思ったが、一人称が〝僕〟に戻っていることに気付いた。
 この青年は本気で感情的になる時、自分の前では子供のようになることをバツーは知っていたのだ。
「昨日のことは本当にすみません……! でも、ここへ帰って来てずっと、おじさんに触れて貰えなくて、ずっとハクヤク君と一緒で、寝る時も一緒で……それが羨ましくて……昔は、あんな風に一緒に寝てくれたのにって……
……
「僕も、あの時のように頭を撫でてほしくて……、それで、一緒にっ……!」
 必死に訴える目から涙が零れてきたのを見てバツーはたじろいだ。
「おい、泣くなよ……もう大人だろうが」
「大人じゃないです……! おじさんの前ではずっとおじさんの子供だし、おじさんだってずっと僕のおじさんです! でも、会うたびにっ……どんどん小さくなっていって、いつか消えてしまうんじゃないかって不安でっ……
「俺が縮んだんじゃなくてお前がデカくなってんだよ! 中身子供のくせに図体ばっかデカくなりやがって!」
……ずっと、子供の頃はおじさんがずっと強くて大きいと思っていたんです。でも……もう、違います。アキリーズ陛下も、あんなに強かったのに、突然……いなくなってしまいました……信じられなかったんです。いつかおじさんも、陛下みたいに、いなくなる時が来るんだと思うと……だからここにいる時くらいは離れたくなくて、できるだけ触れていたくてっ……でも、全然こっちを見てくれなくて」
……
 バツーは溜め息を吐きたくなった。アズィーザのために我慢していただけと思っていたのが、自分のつれない態度もそれを助長させていたのだと分かり、少し責任を感じてしまう。意識してそうしていたわけでなく、あの頃よりも背負うものが増えて構ってやる余裕がなかっただけなのだが。
 ピーターはしゃくり上げながら涙が止まらないのか、とうとう掴んでいた腕を放して外套で目元を拭った。
「でも、ごめんなさい……おじさん、苦しかったのに、あんなことして、ごめんなさい……もうしませんからっ……も、もう、お酒も飲みませんから、一緒に寝なくてもいいからっ……! でも僕のこと、お願いだから、見捨てないでください……!」
 バツーはこちらを見ようとせずに未だ泣き続けるピーターを引き寄せた。高い位置にある頭をあやすように撫でてやる。
 訥々と必死に訴えている姿が、幼いあの頃の姿に重なった。
 変な知識を入れようが、背丈が大きくなろうが、いつまで経っても、やっぱりこいつは子供のままだ。
……見捨てる訳ないだろ。もう分かったから、泣くなって」
「うっ、おじさっ……
「大体な、どいつもこいつも皆いつかは死ぬんだ。順番的には俺のが先に死ぬんだからな、ちょっとは耐性付けとけよ」
「ヴぅ゛っ! そんなことっ、言わないでくだざい゛ぃ゛……っ!!」
「ああもう泣くなよ! あのな、お前だって俺に心配かけさせてんだからな! どうせアズィーザ庇っていっぱい傷作ってるくせに、俺が気付いてねぇとでも思ってんのかよ」
「え……?」
「俺もアルタンの奴にくっついてって苦労させられてるからな。支えるってのは大変だって分かってるんだよ。ただでさえアズィーザはじゃじゃ馬だしな、お前はよくやってると思うぜ。それに七英雄と戦うんだ。傭兵皇帝は死んで、アルタンも大怪我した。お前だっていつ死ぬか分からねぇからな」
……僕のこと、心配してくれてるんですか……?」
「当たり前だろ! お前はもう家族だ。その家族が必死こいて戦ってんのに心配しねぇ奴いるわけないだろ! 俺はな、お前が帰ってくる度に――――
 バツーは気恥ずかしくなり口をつぐんだ。
 笑顔で帰ってくる度にまた会えたと、安心して迎えてやれる。「よく帰って来た」と伝えたいのに素直になれず、面と向かっては言えなかった。また無事に帰ってきてくれた、ただそれだけでいいのだから。
「おじさん……
――っとにかく! お前もせいぜい長生きするように努力しろっつーことだよ! 分かったか!」
……! はい、分かりました……!」
 まだ涙が滲む目元で、えへへと笑顔を浮かべている。あの頃と何も変わらぬ幼い笑顔で、嬉しそうにしている。
「あの……もう一度…………頭撫でてほしいです……
……ちょっとしゃがめ」
 ピーターは少し膝を折ってバツーの方へ頭を差し出した。バツーは優しく、髪の流れに沿うようにゆっくり撫でてくれた。
 心地よいぬくもりに、幼かった頃のあの日々が蘇ってくる。あの頃と同じ大きな手のはずなのに、やっぱり小さく感じてしまうと、切なくなった。
……もういいか?」
「ダメです、まだまだ撫でてください」
「命令してんじゃねぇよ! このクソガキ!」
「わっ、それは撫でるって言いません!」
 わしゃわしゃと頭を洗うように両手で掻き回され、ピーターは思わず笑いが出てしまう。
 折角綺麗な顔なのに、ぐしゃぐしゃになった髪にへらへらとしただらしない顔。
 間抜け面め、と言い放ち、つられて口角が上がるのも気にしなかった。
 
 
 
 ひとしきり撫でまわされたピーターは気が済んだのか、ご機嫌でアズィーザの元へ去っていった。
 バツーは寝る支度を整えようと幕屋へ向かったが、その道すがら、珍しい人物に声を掛けられる。
「家主よ、少しいいだろうか」
……格闘家か。何だよ」
 振り向くと、怪しい仮面の男……もとい帝国の格闘家であり、アズィーザの護衛を務めているテリーがいた。寝床は提供しているものの、元来無口なこの男と交わすのは挨拶くらいで、まともに会話をしたことはなかった。そんな男に話しかけられるとは、どんな風の吹き回しなのか。
「寝床についてなのだが……場所は家主が指定すれば良いと思うのだが、どうだろうか」
「は? 今更かよ。何で急に?」
「いや、その……
「? 何だよ、はっきり言えよ」
 もごもごと口ごもる様子に、よく聞こえないと、バツーは顔を寄せて距離を詰めた。テリーは何故か一歩後ずさった。
「その……ピーターと隣になって、隅に纏まった方が良いのではないかと……
…………
 その意味を考え、バツーは考えたくない結論に至った。
「お前……見てたのか?」
「すまない……少し声が聞こえて、起きてしまってな」
……どの辺から?」
「た、多分、はじめから……出ていくまで……
「~~~~っテメェ!! 見てたんなら何で止めねぇんだよ!?」
「え? いや……合意の上ではないのか?」
「んな訳あるか!! あれが合意してるように見えたってのか!? 肘打ち喰らわしてたぞ俺は!!」
「いや、すまない、たまに横目にしか見えなかったから……それは申し訳ないことをした」
「っ……
 そういやこいつはずっと壁の方向いてたなと思い返すと、責める気持ちが薄れてしまった。あの状況で憶測だけで思い切って行動できる者は相当な勇者だろう。
(くっそ……あんだけ起こさねぇようにしたのに……無駄だったのかよ)
 今朝の様子に、ハクヤクにだけはバレてないことは分かっていたのでそれだけがせめてもの救いではあるが。まだ面識の浅いこの男にあらぬ姿を見られていたと分かり、恥辱と絶望でどうにかなりそうだ。
 無言のまま頭を抱える様子に、テリーの方から口を開いた。
「それでは離れて寝た方が良いということ……なんだな」
「そうだよ。……じゃあこうしよう。俺とハクヤクが隅で寝るから、お前は肉壁となって俺達を守れ」
「に、肉壁……?」
「真ん中で防壁になるんだよ。あの二人は酒乱だからな。お前が襲われろ」
「え!?」
 二重の衝撃で変な声が出てしまった。
 ピーターと族長が酒乱!? その二人に襲われる!? 自分が!?
「まあ怪力のお前なら何とかなるだろ。……何だ、家主の命令が聞けないか?」
「いや……衝撃すぎて、色々と驚いている……
「そうか。まあ真実はこうも残酷だったって訳だ。ピーターはもう酒は飲まないとは言ってたが、立場的にアルタンの誘いは断れないかもしれねぇからな。そんときゃ頑張ってくれよ」
「は、はあ……
 言葉を無くしているテリーの元から去ろうとしたが、気になることが残っていた。
「なあ、顔見せてくれよ」
「え!? い、いや、それは無理だ」
「何で? ピーターとハクヤクは知ってんだろ?」
「着替えの時、たまたま見られただけで……通常は龍の穴の掟で、皇帝にも、誰にも……
 こいつには痴態を見られたのに、俺はこいつの顔も見れねぇってのかよ。
 けれどもじもじと拒否しようとする姿を見て、ご無沙汰だった悪戯心が湧いてきた。
 何としても濡れ場を見られた見返りが欲しい。腹いせも兼ねて、少しからかってやろうじゃないか。
「へぇ~、通常、ねぇ……
「?」
 意味深に言葉を溜め、にやりと笑いながらこちらを見上げてくる。先ほどより距離が詰まっており、テリーは冷や汗を垂らしつつ何故か焦った。
「お前……さっき、全部見てたって言ったよな? もしかして……抜いてたんじゃねぇの?」
「は!?」
 衝撃の言葉に硬直するが、バツーはさらに顔を寄せてくる。耳元の近くで、八重歯を覗かせながらフッっと息を吐き、囁いた。
「俺をオカズにしたんじゃねぇのか、って言ってんだよ」
――――っ!?」
「だから止めなかったんだろ……? ん……? 堅物なお前がそんなスケベ野郎だったとはビックリだぜ」
「ち、違う!!」
「これが通常か? 非常時じゃねぇのか? 皇帝の親戚をこっそり汚しておいて……龍の穴にとってはこれが通常運転なのかよ?」
「ち、違う! 俺達はそんな人間ではない!」
「じゃあお前だけだな、お前だけが……男で抜けるってことだろ」
「お、俺はそんなことは……!!」
……したんだろ?」
「してない! 断じて! 誓って!!」
……
 カマをかけたが、折れぬ姿を見てがっかりした。まあここでオカズにしましたと告白する方もどうかと思うが。
 二度も昔馴染みの男に襲われ、更に未だ顔も知らないこの男に全部見られていたという事実に、もう貞操事情などどうにでもなれと、素顔を拝むための出しに使うのに抵抗はなくなっていた。
 見定めるように仮面の二つの窪みをじっと見つめたが、靡く気配がない。無駄だったか。
「はあ……分かったよ、冗談だ冗談。今のは忘れてくれ。とりあえずお前は真ん中で寝ろよな」
 そう言って踵を返そうとした時。
「してない……しない為に………………ずっと精神統一していた」
……は?」
「家主の姿があまりにも……その……
 俯き、まごまごとする姿を見て何を言わんとするのか察した。
 他人の、野郎同士の情事で興奮したと。この無骨な男はそう言っている。
 実直すぎる男だと思ってはいたが、淫猥な私情を素直に打ち明けるとは思っていなかった。生真面目な性格が罪の意識を感じさせているのだろうか。
 先程の挑発はおそらくこの男でなければ通用しなかっただろう。棚から牡丹餅だとほくそ笑み、再び眼前に足を進めた。
 軍師の教えの通り、必要な言質は確保できた。
「ふっ、分かったよ。それは咎めねぇ。その代わり、なぁ……いいよな?」
 テリーは生唾を飲み込んだ。不敵な笑みを浮かべて少し首を傾け、魅了するようにこちらを覗き込んでくる。
 さらりとした長めの黒髪に、全てを抱く闇夜のような瞳。野生を思わせる白い牙。余す事なく喰い尽くさんとする怪しく知的な口許に、もう逃れられないのだと本能が告げている。
 テリーはゆっくりと、控えめに仮面を外した。全て取り払うのは何故か気恥ずかしく、額の辺りまでずり上げるにとどめた。
「何で止める? 全部見せろよ」
「っ!!」
 ぐいっと仮面の下を指で挟まれ、頭の上まで上げられてしまった。
「へぇ……
 ただ素顔を見られているだけなのに、何故か心臓が爆発しそうに拍動し始める。顔に熱が集まるのが分かる。
 まるで蛇に睨まれた蛙状態だ。全てを暴く魔性のような瞳から目が離せない。歳の割にきめ細かく白い肌が漆黒の髪と瞳を引き立たせ、引力に吸い込まれそうになる。
 昨夜のあの姿が蘇ってくる。布団に顔を擦り付け、今は白いこの肌が椿のように色付き、快楽を享受している悩ましい姿が。あの時もこの黒髪が、体が震える度に、吐息が掛かる度に、怪しく揺らめいていた。その隙間から常夜の瞳が甘美に潤い、涙を生み続けていた様をはっきり覚えている。
 目に焼き付けるように色んな角度から観察された。しばらくすると気が済んだのか、ふぅ~んと音にしながら離れていく。
「いいツラしてんじゃねぇか。隠しとくのは勿体ねぇぞ?」
「!!」
 ニヤリと怪しい笑みを浮かべ、去り際に爆弾を落とされた。
 しばらく仮面を戻すのも忘れ、その場に呆然と立ち尽くした。落ちかけていた太陽は完全に隠れ、闇夜がテリーをふわりと包んだ。
 
 やっと顔も見れたし今日はゆっくり眠れそうだと、バツーは久しぶりに上機嫌で幕屋へと帰っていく。自覚なく一人の男を墜としてしまったのも知らずに――
 


くれなゐ
テリー→バツー×アリア

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