河童の皿箱
2025-08-11 10:14:32
2864文字
Public 遊戯王:短め(2025年度)
 

始発電車/最終電車

娑楽斎とセアミンが電車に乗るだけ

 車窓の外に軌跡を描くは、トンネル内の照明達。はしりはしりて線となり、壁を示す。
 人口密集地に繋がると言えど、始発であればそれなりに、空きの席ならちらほらと。適当に見繕った席に隣り合って座るのは、ひとりの男と、ひとりの子供であった。
 男、名を娑楽斎と云う。子、名をセアミンと云う。男は浮世絵師であり、子は能楽師。ふたりは伝統芸能と共に最先端を走り続ける芸術家で、今日も今日とて東奔西走。始発の電車に乗り込んでは、遠い乗換駅まで長い長い旅路の半ば。目的地まではまだまだ遠い。男はその間にも仕事を片付けるべく、自らの鞄から大型の携帯端末を取り出しては、睨めっこを繰り返していた。
 高度な技術の発展した街。電車ひとつとっても、外のものとは大違い。走る鉄の箱はわずかに浮かび上がり、揺れも音も随分と小さい。しかしまあ、急なカーブを曲がるにあたって、残念ながら、速度は出ない。故に、乗り換えまでのこの時間は、男が絵の仕事をするには持ってこいの時間であった。
 さて、隣の子は、男の顔をちらりと眺めた。普段、男は常に笑っている。真顔を見せるのは、こうして仕事をしている間ぐらいのものだった。その物珍しさから、視線の動きを観察するのが、子の日課であった。しかし、長い移動時間をそれで潰し切れるわけでもなく。子は次に、男の持つ鞄から一冊の本を取り出した。遥か昔に書かれた能楽の指南書をはらりと開き、過去の言葉を目でなぞる。そこにあるのは、ふたりの始祖の、片割れの言葉。何度も何度も読み返し、体に叩き込んできた、幽玄の教え。自らの思考によって濾過し、飲み込み、己のものとする。

 ぱ、っと。窓の外の線が消え去る。薄ら明るくなったばかりの空に、日更かしの星たちがまだ、遊んでいる。子は本から視線を外し、振り返っては、車窓の外を見上げた。思い返せば、近頃は忙しかった。今日も始発を逃せない、タイトなスケジュール。それもこれも、近々控える夏祭りのためとはいえ、あくびがふわり。子は目をこすり、本を閉じた。寝起きの目では、達筆な筆を追いかけるのはちょっと辛かった。
 完全なる手持ち無沙汰、ではない。けれど、何かができるほど目が覚めてるわけでもなし。子は再び、あくびをくわり。唇を尖らせては、隣に座る男を見上げた。仕事に集中しているのか、こちらを見ようともしない。子はぷっくり、頬を膨らませた。

 男はふと、肩の重みに気が付いた。隣をそっと見てみると、連れ立つ子がうつらうつら、こっくりこっくり、舟をこいでいる。男は呟いた。「着いたら起こすからな」。子は曖昧に頷いて、男に体を預けては、とうとうとうと目を閉じた。
 列車が止まる。誰かが乗ってくる。扉が閉じる。また走る。男は時折、視線をあげた。時折ちらり、視線が向くが、すぐに自分の端末に視線が向く。窓の外を見る。水平線の向こうから、太陽が頭を覗かせている。ようやく仕事も一区切りだ。列車の中も、少しずつ混んできた。男は端末をしまい、鞄と子を腕で守る。

 乗換駅まで、あと2駅。