清春
2025-08-10 09:40:16
9559文字
Public 百合
 

ジュウニジュウ短編集

1~「幻日」亥野と雛菊
2~「光陰矢の如し、蛇は静観する」巳吹
3~

幻日

 燃えるような衝撃だった、と。あの人との出会いを一言で表すならそれが適切だろう。

「亥野、どこに行くの」
 声を聞いて相手を瞬時に理解し、眉間にシワが寄って不機嫌さに拍車がかかる。
「雛菊が気に留めるほどのことは何も無いのでお気になさらず」
 が、丁寧な口調をわざとらしく心がけ、やんわりと突き放す。声の主に目もくれずその場を後にした。
 土の上から屋根へ、屋根から屋根へと飛び越えて行くたびに、己の長髪がゆらりと舞うのが視界の端でわかる。
 真っ黒で、その内側は赤く、まるで夕闇に染まりかける空のようだとあの人に言われたことがある。
 そう言うのなら、私の髪はきっと夕暮れ色とも言うべきなのだろう。あの人とは違い完全な黒ではないが、似た色なのが嬉しくて、好きだった。
 しかし、この黒髪が今ではあまり好きではない。
 真っ黒な長髪、という点では私に酷似するも、素朴で人懐っこそうな風貌の少女……恵方谷雛菊とはそういう平凡な人間で、あの人と似ても似つかない。だから、その人間と似ていることが、嫌だ。
 ……顔を思い出したらまた苛立ってきた。
 つり目がちで、目にかかる重たい前髪も相乗し目つきは鋭い。それとは別に、ぶつけようのない苛立ちが私の気分を悪くさせている。
 あの人​────晴明様だけの神獣でありたかったとないものをねだり続ける私は、やはり未練がましい哀れな獣なのだろう。
 いまだにこの髪を長いままにしていることが、何よりの証拠だ。
 
「一途だねぇ」
 日が沈んだ頃、ひっそりと帰ってきて縁側に座って曇って星一つ見れない夜空を見上げていた時だった。呆れたのか、感心したのか、どっちもつかない呟きが聞こえる。
 相手の懐にするりと潜り込んでくる、狡猾で艶やかな声。聞き間違えるはずもなく、巳吹だと確信した。
 声の方へ顔だけ向ければ、やはりそこには巳吹がいた。長い銀髪で片目を閉ざした妖艶な美女のガワを被る蛇は、気味が悪いほど美しい微笑を浮かべている。
「耳障りな蛇の鳴き声が聞こえるけれど、それは私に対してか?」
「自覚があるからそう聞こえるんじゃないかい」
 互いに目を逸らさず、じっと止まる。やがて巳吹が肩を竦めて私の隣に腰を下ろした。脚を縁側の外に投げやって、裳……当世ではスカートと呼ぶらしい履き物を正し、綺麗な姿勢をとると、また私に視線を向けた。
……ま、悪かないと思うけどね。そこが亥野のいいところだし。アタシだって、晴明様との別れが唐突すぎて受け入れ難い時が長かった。けれど、主さんは関係者でありながらもその意識がない。なんならもう安倍晴明の本筋とは逸れているから、ほぼ無関係じゃないか。あんな冷たい態度ばかりはいただけないぞ?」
「関係ないからこそ、だ。晴明様が私の全てだ」
 晴明様以外を主と認める気はない。一拍置いてからそう付け足すと、巳吹は溜め息を吐いた。吐きたいのはこっちだというのに。
「本当に一途だねぇ。さっきも言ったが、悪かないけどその一途さも弁えておかないといけないってことだよ。……誰よりも晴明様のお側についていた亥野なら、わかるだろ?」
……
 風がざわつく。木々の葉擦れ、夜の匂い、夏の終わりを告げる肌寒さが迫る。
 今、巳吹は私を改心させようとも、諭そうともしていない。ただ「あの人はもういない、諦めろ」と、遠回しにぶつけている。
 そういうところが嫌いなんだ、と喉から出かけた言葉は音にすることなく飲み込んだ。舌打ちをして家屋にある自室へ移動しようとすると巳吹が優雅に手を振っていて、しかしそれに睨みをきかせることしか出来ない自分が、嫌だ。
 ​───あぁ、苛立たしい。
 今すぐにでも、床に八つ当たりするようにどすどすと足音を立てて歩いてやりたくなる。そんな子どもじみたことはもちろんやるわけもないが。
 ​───巳吹だけじゃない。他の奴らもだ。晴明様は彼奴らにとってその程度の存在なのか?
 晴明様に仕えていたのは、我ら十二の神獣全員だ。一年周期で葦原中国に降りる役割を神々の余興によって負わされた、もとい拝命された神格を得た獣。葦原中国では実態もなく、さまよう魂と似たようなものでしかなかった。
 その神獣は運命と偶然が重なり合って安倍晴明に式神として喚ばれ、契約を結ぶこととなる。葦原中国の見張り番は飽き飽きしていたから、気まぐれで従っていたに過ぎない。所詮人如きに収まる我らではない。
 だが。その認識は誤りだった。晴明様はどの人間とも一線を画しており、間違いなく〝神〟に近い人間だった。
 高天原以外では実態のない神獣に受肉させるほど霊力が強く、陰陽師の中で最も優れた祈祷と卜占を行える力が備わる。美しい容姿もあってただの職務が神事にも見えるほど神秘的だった。強き者に屈せず、弱き者に高圧的になるわけでもなく、隔てない姿勢があの方の通常であり、人を導き、誰よりも人を思っている。
 宇迦之御魂神の神徒である葛の葉様の血を引く尊いお方だと後に気づいた時は驚きもあったが、当然だという思いもあった。それほどに晴明様は実力が伴っていた素晴らしい主だったのだ。
 ……それに引替え、雛菊はどうだ。晴明様とは比べ物にならない。
 神徒の子でないのもあってか霊力は控えめ。そもそも神秘が薄れている当世が霊力を控えめにさせる。人の上に立つ素質もなく、普通の人間。容姿も至って普通。
 そんな人間がなぜ、最も晴明様と同じ霊力の素質を持っているのだ。だから余計に苛立つのかもしれない。
 ぶつけようのないどす黒いわだかまりを内側にしまいながら部屋に入れば、寝巻き姿の真酉がいた。十二神獣たちは一人部屋を設けられているはずだというのになぜかいた。
……なぜいる」
「あれ? ここあたしの部屋じゃないです?」
「私の部屋だ。去れ」
「えー、ついでですし、お話しましょうよ」
「去れ」
「あ、亥野さん今日も夕餉の時間ブッチしたでしょう? ダメですよ!」
…………? 日本語を話せ。そして去れ」
「巳吹さんから教わったのですよ! 約束を守らない悪い子に使うとか何とか」
「そうか。去れ」
「お話するなら戌養さんも呼びましょう! お夜食もついでに持ってきてくれるかも!」
 言いたいことを言って部屋を飛び出す。しん、と部屋が一瞬で静まり返った。
 私が何度去れと言おうが、この莫迦……阿呆…………鳥頭は聞かないのがまた腹が立つ。話すだけ無駄なのはわかっているが、回数を重ねればどうにかなるのではと思った私が莫迦だった。
 しかし、話を聞いていないわけではない。真酉から私に対して用事があるからこそ、無理矢理にでも話す時間を作ろうとしている。
 その話の中身を忘れていなければ、だが。鳥頭だし、すぐ忘れる可能性が大きい。
 真酉が戻ってくる前に休む体勢を取ろうとしたが、さっさと戻ってきてしまった。お盆の上に茶器やらお茶請けが乗っている。真酉と似たような寝巻き姿の戌養も連行されてきた。がやがやと会話をするふたりのせいで、部屋の静まりがまたどこかへ消えていく。
「おい真酉、明日の分だって言っただろ」
「いいじゃないですか〜戌養さんのけちんぼ! そんなんじゃ主さんに嫌われますよ!」
「ありえねえし、そもそも俺は愛されるより愛したい派だ。主さんからどうこう関係ねえよ」
「わあ」
「引くな」
「引いてませんよ。感心したのです」
 ……うわぁ。
 私は内心引いた。なぜ雛菊にそこまで入れ込めるのか不思議でしかない。
 そんな会話をするためにきたのなら、さっさとお盆ごと持って出ていって欲しいのだが……と考えたが、真酉と戌養は自室かのように座ってくつろぎ始める。退路、絶たれた。もうこの際、蹴ってでも追い出すしか、と考え始める。
「ほら、亥野の分だ。ちゃんといただきます言ってから食えよ」
「そうですよー、農耕も立派な神事です。作物に、そして神に感謝をしましょう。何事にも感謝は大事ですし」
 そう言って真酉は三枚の懐紙に最中を分けていき、戌養は急須から湯呑へとお茶を入れていく。ふわりと緑茶の香りがして荒んだ心が落ち着いたように感じた。
 ……蹴るのは、最中を食べた後でも間に合う。
 無駄に凝った折り方をしている懐紙の上にちょこんと一つだけ乗った最中が食べてほしそうに見ているのだ。食べないのは、勿体ない。
「にしても、戌養さん器用ですね。懐紙折られてますけど、これなんですか?」
「鶴。いんたーねっととかいうやつで見た」
 ふたりの会話には入らず、私は小さな声でいただきます、と呟いてから最中を口に含む。さくりと軽い食感の皮の中にはねっとりとした餡子が入っている一般的な物だった。皮が甘すぎない粒餡といい塩梅で成り立っている。……美味しいな、これ。
「最中美味しいですね。どこで買いましたか?」
「俺が作った」
「えっ和菓子屋さん開きましょうよ」
「色々面倒だしやんねー」
 普通の最中だと思って食べていたが、何やら粒餡の中にくるみがごろっと入っていた。美味しいけれど、戌養が作ったなら迂闊に発言したくはない……腹立たしいから……。せめて戌養から一本取れるくらい強くやらないと、私の矜恃が…………
 ぐるぐる思考を回しながら湯呑みに口をつける。……お茶も、いい濃さだ。最中によく合っていて美味しい。
「戌養さん、その内お茶っ葉も栽培しそうですね」
「環境が整えば全然やれる」
「私、こういうひとをなんて表すか知ってますよ。チートって言うんです」
 ……ふう、満足。最中もお茶もすっかりなくなって懐紙の上は最中の皮の食べかすのみ。お茶もすっからかんとなった。
 本来、私たち十二神獣に食事なんか必要は無いし、晴明様に仕えていた頃もそうだったが、雛菊の霊力が乏しいせいか葦原中国にいる間は霊力をつける必要がある。
 つまるところ、霊力の接種として食事が必要な体となっている普通の人間みたいになっているのだ。農耕は神事、この世にある物に全て霊力が微量ながらもあるための行為だが、不便なことこの上ない。
 ご馳走様、と小さく呟いて息を一つ吐き、ふたりを見やる。
「話は終わった? さっさと食べて出ていって」
「おいおい、ひとり黙々と食べやがってよ。そんなに美味かったなら美味いの一言くらい言えよな」
「そうですよ! それに私まだ亥野さんとお話してないので出ません!」
 眉をひそめたふたりから怒涛の反論が襲ってきた。真酉のくせに話がしたい、という内容も覚えていたようで腹立たしい。そこはいつも通り忘れていればいいのに。真酉がむっすりした顔に最中の食べかすをつけたまま口を開く。
「亥野さん、屋根から主さんのこと見守るの危険すぎるのでやめた方がいいと思うんですよね」
 ピタリ、と。私の動きが止まった。戌養が真酉の口元についた食べかすを取っている間も動かなかった。
「一応晴明様との約束は守ろうとしているのがいじらしいよな。そこにいるなら買い物手伝えって何度も思うけど」
「というわけで亥野さんも買い物手伝ってくださいね。いやそうじゃなくて……亥野さん、やっぱ根っこは心配性ですよね、なぜあんなに主さんを嫌うのですか? 当世風に言うとツンデレとかいうやつですか?」
……さっさと、部屋から、出ろ」
「あ、そうやってまたー!」
 わけのわからないことをまくし立てられて酷く気分を害された。せっかくの最中の美味しさを帳消しにされるほどだ。
 ​確かに、雛菊のことは陰ながら見ている。しかし、それは戌養の言った通り晴明様が我々を封印する前に頼まれたのだ。
「封印が解かれた時に、私と同じ霊力を持つ子が君たちの主となるから、頼んだよ」
 ――そう、仰った。同じ霊力とも言い難い、弱々しいものだから認めたくはないが、晴明様の霊力と似た性質なのだから仕方なく行っているのだ。
「雛菊のことは嫌いだ。そもそも、晴明様以外など私の世界には必要ない」
 何も変わらない言葉をただひたすら繰り返している気がする。なんて無謀。なんて無意味。受け入れられないことがなぜここまで責められる要因となるのか。私はただ、あの人と共にいたいだけなのに。
 蠢く感情がどろどろになっていく。鏡を見なくても、自分の菫によく似た色の目がどうなっているのかわかる。
「晴明様以外の全てを嫌う姿勢は結構だけど、せめて主さんを思いやることくらいはしろ。元々家族だなんだと血縁関係の概念が存在しない俺らに対して、家族のいかい詫びしさや寂しさを埋めようとしている。あの人にはもう俺たちしかいないからな。
 ……亥野のことも家族だと思っていることくらいは、受け入れてやれ」
 戌養はそう言うと、茶器や懐紙を乗せたお盆を持って立ち上がる。真酉がじっと私の顔を見つめ「明日の朝餉は一緒に食べましょうね」と溌剌に笑ってから立ち上がった。ふたりは部屋を出て行こうとしている。待ち望んでいたことだというのに、なぜこんなにも気持ちは沈んでばかりなのか。
「亥野さん」
 不意に、真酉の声が聞こえる。
「あたしは亥野さんのこと大好きなので、先程の発言はちょっと寂しかったです」
 いつもと同じ調子で言い終えると、扉が閉まった。
 先程。私の世界には晴明様以外いらないというところだろうか。
 真酉に悲しげな笑顔を向けられると思わなかったこともあり、私のしまい込んでいた感情へ重くのしかかる。

 次の日。夜明けと共に目を覚ました。十分な休息とは言えないが、霊力の回復を感じる。
 部屋を出て、そのまま縁側の方に向かう。裸足のまま庭に出て息を吸った。……朝の匂いがする。
 このまま坐禅でも組むか、と。脳裏を掠めた時だった。
「亥野、おはよう」
 背後から声をかけられる。霊力でわかる、いるのは雛菊だ。
……おはようございます、雛菊」
 昨晩の会話が蘇りながらも、結局私はいつもと変わらず目を合わせることなく返事をする。
 随分と起きるのが早いですね、とか。
 こんな時間に起きていては昼寝が必要になるのでは? とか。
 いくらでも会話は広げられるだろう。雛菊を慕う天寅や、卯槻や、戌養ならそうしていた。私はそのどれもを却下し、挨拶のみとなったが。
 なぜ、雛菊は凝りもせず毎回話しかけてくるのか。学習能力のない莫迦なのか。
「用がなければもういいですか? 私は今から坐禅を組もうと……
 突き放そうという意思が丸見えの尖った言葉が全て出る前に、雛菊が前にいた。裸足のまま地面に足をつけて、長い黒髪はところどころ寝癖がついた寝起きの姿が視界に映し出される。
……せめて靴を履いてください。足が汚れます」
「亥野だって裸足じゃん。それより……昨日渡しそびれたから今あげようと思ったんだよ。はいどうぞ」
 雛菊は小さな紙袋を差し出す。少し厚みがあることから、小物か何かが入っているのだろうか。
「開けてみて」
 じっと見ているだけだったが、はにかむ雛菊に促される。紙袋の封を閉じている帯状の透明な粘着物……確かテープと呼ばれていたものを丁寧に剥がし、袋をひっくり返して中身を手のひらに落とす。ころんと転がったのは髪留めだった。巳吹が日によって使用する物を替えているアレに見えたため、当世の物に疎い私でも直ぐに気づいた。
「亥野、綺麗な黒髪しているしこういうの似合いそうだと思ったんだ。結ぶ時にでも使ってほしいな」
 あ、でもプレゼントされるのも嫌かな……。と雛菊が慌てながら顔色を伺ってくるが、私にはかつての記憶がよぎり、それどころではなかった。
『​亥野の美しい夕闇色の髪に、この挿し櫛は良く似合うね。今の世だと垂髪が主流だけれど、たまには結い上げるのも悪くないだろう?』
 ……違う。この記憶は晴明様だ。
 ぐるり、と。切り替えられた思考を戻す。小ぶりながらも綺麗な装飾が施された髪留めに視線を落とし、落ち着かせる。
「亥野?」
 何も言わない私に不安感を覚えた雛菊の顔がすぐそこにある。こちらを見つめてくる黒い瞳は、晴明様の全てを見通しているような目とは違っていて、やはり雛菊は雛菊だと知り、安心した。
……有難く、頂戴致します」
「良かったー、実は皆にもプレゼントしたんだよ。亥野だけ受け取ってくれなかったらーって不安だったんだ」
 安堵の息を吐いた雛菊はぺかぺかと笑う。今日は随分と、底抜けに明るいものだから何か裏があるのではと勘繰ってしまうが、それだけのことをするほど雛菊は狡猾ではない。巳吹とは違って純粋なのだ。
「いつもありがとう。亥野、隠れて私のこと守ってくれているもんね。たまには一緒にご飯食べたいけど、亥野に無理強いはできないし……それじゃあね! 修行の邪魔してごめん!」
 聞き捨てならないことを言って、誰から聞いたのか問い詰めようとしたらさっさとこの場を立ち去って行った。逃げ足が速い……いや、逃げているわけではないからこの場合単純に足が速い、か。運動能力だけは人間として並かそれ以上なだけある。
 ……いや、そもそも誰かに聞いていたのなら何かしら付け足すような人だ。つまり、雛菊は自ら気づいていたということで……
……本当に、腹立たしいな」
 晴明様のように機微に反応する、晴明様と性質が似た霊力の少女だからこそ気づけるのかもしれない。しかし、ここまで避けている私にお礼に加えて贈答品。莫迦みたいにお人好しとしか思えない。
 内に秘めた何かがじりじりしだす感覚を覚え、収めるべく私は坐禅を組もうと胡座をかく。……が、今回は髪結紐をかくしから取り出して髪を結い上げた。そして、貰ったばかりの髪留めを紐に引っ掛けるように付ける。
 鏡がないためどうなっているかわからないが、雛菊は似合うと思って、と言っていた。
 なら、大丈夫なのだろう。嘘をつくような人間ではない。
 ​朝日から逸らすように目を瞑る。
 頭を空にする直前で、朝餉まであとどれくらいだったかと、ぼんやり考えた。