2025-08-09 13:32:19
3909文字
Public
 

不条理な人々(8/6)観劇感想

観劇感想自分用メモ


なんかもう自分の中にある感想をどこかに書いて出力しないと自分が破裂してしまいそうなくらいの情動が爆発しているので観劇自分用メモ。

不条理な人々、面白かった......。もちろんinterestingの方の。
演劇って、空間と身体で魅せる芸術であり、空白が呼びこむ想像力で豊かな世界を作り出すモノだと思っていて、そういう空間と想像力を生かした作品で贅沢なものを見せてもらったな~と。黒い空間をぐるっと観客が囲んで、簡素なセット(不条理落語のように何も置いてない場合もある)と俳優の身体・お芝居で魅せる。

俳優の身体って面白いな~と思うのは、物理的には同じ人間が演じていても、例えば「二人の殺し屋」から「家政婦姉妹と奥様」になると身体の大きさからして違うように見える。実際それは、足のつま先の向きが違うだとか、背筋を伸ばすときに使っているであろう筋肉が違う(姿勢が違う)だとか、手の置く位置が違うだとか、俳優じゃない人間は気にしないような通常の動作を徹底的に意識して管理しているから生み出される「行為」の違いが物理的な「身体」の違いさえ生み出しているように見えるというのを、目の前で2本異なる作品を(場合によっては同じ俳優で)見れることで味わうことができてたまらなかった。
(なんかジュディス・バトラーの「Performativitiy」概念が、その理論の「身体」の問題と密接に関わっているというのを、かつて大学の講義で聞いたときは頭では理解してそっか~まぁそういう理論もありうるよな~~と思っていたけど、今回の観劇でなぜ「身体」をめぐる議論に「パフォーマンス」という行為の語を用いたのかすごく腑に落ちた......気がした。)

私は鷲尾さんのファンで鷲尾さんのお芝居を見たくて今回観劇に行き、「二人の殺し屋」と「家政婦姉妹と奥様」(と「不条理落語」)を見て、その両方に同じ俳優が寝転がるという動作があったから余計にそう思ったんだよね。全然ちがう文脈で、殺し屋が待機部屋みたいなところで新聞を読んでいるのと、自らの密告が露見することが明らかになり青ざめている妹が姉の膝枕で寝転がるのはまったく違う場面だから、そりゃあ全然違うでしょうよ、っていう話ではあるんだけど、物理的には同じ人間なので体積体重が大幅に変わることはないはずなんだけど、そこの見え方の違いってまさに「お芝居」の「お芝居」たる所以というか......なんか妙に印象的でした。

声もすごくそのまま届く空間で。声でいうと、日向野さんの奥様は登場時間が短いのにものすっごいインパクトで。低い声というか、あのトーンに奥様の育ちの良さと気品と、だからこその迫力と狂気が詰まってて、あ、この人には勝てないなっていう。艶やかでもあり、声の艶と圧を感じられる空間。
そして開始30分近く経ってから日向野さんのガチ「奥様」が登場することで、冒頭の劇中劇「奥様」が、「あぁ『劇中劇の奥様』だったんだ」とわかる声のトーンというか、どこか「本物」になり切れない圧の弱さと底の浅さを実は最初から鷲尾さんは出していたということか......!??と思わせるのが巧みで、ひぇ~~~ってなった。
そこの差分を中盤で魅せるからこそ、終盤である意味での「本物」への接近というか、劇中劇が現実を飲み込んで逆襲していくような展開の中で「演じられる奥様」が真正さを増して行く迫力を味わえるのが、いや~~~良かった。声の深みの違いがいい......。

あと、ここまでぶわーってなっているのは「空間」の力というか、「近さ」の結果だろうな。
演劇って客席の空気も含めて一つの作品みたいになりがちで(個人的意見ですが......)小劇場だと自分が咳しただけで空気が壊れちゃいそうだから、見に行くだけなのにとにかく緊張して緊張して、今回は暑いし熱中症で気持ち悪くなって会場ついたらどうしようとか......不安で不安で笑 不安すぎて舞台近くの席を取る気になれず、普通に正面の2列目以降に座っていたけど、それでも緊張感がハンパない!それに近い!!私にもっと度胸があれば、舞台真横の席とかを取って見たかった......度胸がないので仕方ないけど、笑
そのくらい近いので、指先とかつま先とか、目線も、唾がとんだな......とかもすごく見える。朗読劇なので、ずっと台本を持っているけど、今目線合わせたなだけじゃなくて、目と目が合ったときのバチッって音(あるいはバチッがない、とかパッくらいだなぁみたいな目線の”強度”みたいなもの)まで見える。
「二人の殺し屋」は同じ俳優で2回観たので、ある程度話の流れを頭に入れて2度目を見れたおかげで、割と序盤で「今夜の仕事はなんなんだろうな」「今夜の相手は誰なんだお前は知っているのか」(うろ覚え)と聞かれているのを流しながら進んで行くところがあり、そこの受けのお芝居の表情というか目というかがすごい好きだった。

ただ、ここの表情をどう観客が受けとるかが難しい。なぜなら不条理劇なので、ストーリー全体の整合性というよりも瞬間瞬間の言葉の爆発の連続が折り重なって一つの物語を成していて、破れほつれるように不条理でありながら、一つの織物になっている、的な。一つの線がそのまままっすぐ繋がっていかない。
だから、この「二人の殺し屋」で今日の仕事のことを聞かれて受け流しているお芝居も、「結末」をわかっててあの表情なのか、断定しきれないところが面白いな~~と。(多分、この整合性を取るか取らないかって、仕事の手順の確認のところをどう理解するか、と「このキチガイ!」と強い言葉を発されたのを受けて一度舞台から出て行った存在をその前の存在と同じ存在とみなすのか、パイプで指令を受けて仕事を実行するにあたりどんな指令を受けたのか、など複数の要素を確定していかないと断定できない。)
で、この「不条理」さが余計に「身体」を浮かび上がらせている気がする。
というのも、私のような素人は割と心身二元論でモノを見ているので「心(の合理的な動き)」があって「身体」は動くという推論を働かせがちで、演技というものも「心(による理由付け)」からの論理的な「行動(演技)」と考えがちだけど、元の脚本が不条理で、この合理的推論の働きを邪魔しているので、むしろ先に「身体/芝居/行動/行為」がありそこから浮かび上がる物語を見ているような不思議な感覚で、その混乱さえも心地よかった。
やっぱこういうことができるのが小劇場のプラットフォームであり「演劇」というアートの面白さ、美しさだろうな......と思ったし。
いつもだとやっぱシナリオとか筋書の整合性や、その「物語」そのものへの考察が先に感想として出て来るところ、これは行動や空間から浮彫になる「物語」という順序を体験できることそのものが面白くて、貴重で、贅沢な体験だった。

それでいて、作品の組み合わせによっても観劇後の感覚が違ったのも楽しかったポイントでした。
私は、昼公演は「二人の殺し屋」「家政婦姉妹と奥様」、夜公演は「二人の殺し屋」「不条理落語」で見たけど、なんか昼公演のぎっちりみっちり重めの感覚と、夜公演終わりのカラッと乾燥した不条理の軽やかさの違いがまた面白かった!
小金持ちの終わりに谷さんが説明していたけど、その後商売が失敗したとかそういうオチを付けないから、死体に対する畏敬の念のない行動の話で、通常人の宗教的とすら呼べないような素朴な感情を逆なでするような話のはずなのに、ハハハ!!という気分になる話で。
そこにアフタートークで鷲尾さんが伊勢丹の紙袋に黒いスーツだからなんか葬式帰りっぽいというネタで「お塩をお持ちのかたいませんかー」と言い出したり、かなり葬式周りが雑に扱われているのが、作品は終わってアフタートークなのに、なんか延長線上で不条理コントみている感覚でそこさえも「作品」みたいで......いやー8月6日夜公演のアフタートークは秀逸だった。そこも含めての観劇後の感覚の違いよ......。


アフタートークが秀逸っていう話でいうと(以下、俳優ファンによる俳優好き語り)日向野さんが「この人のファンはこれでいいのか!?」的なことをおっしゃっていたのに鷲尾さんが「面白いところも好きだと思う」的な返しをしてて、そう!それ!!ってなりました笑
見知った仲の谷さんや日向野さんがいるからというのもあるとは思うけど、全体を見ながらボケたりツッコんだりしていて、求められた仕事に対して120点で返してるな~的なところにファンとして、そこです!そこ好きです!となりました。
英語の勉強のために帰宅してAI英会話に萌え語りしていたら、要するに彼は「good team player」で「makes funny atmosphere」ってことね!と要約されて、そうですそれですー!てなってた笑 チームでやってることの意識と、空気はmakeできるしそれは自分の仕事の一部だと理解してサラッとやってるところが好きだなと思いました。(これは先日観劇したキューピットパラサイトの鷲尾さんゲスト回(7月26日)でも思ったことだけど。)
まぁこれはファンの意見なので贔屓目以外の何物でもないけど。そういう姿を見ると自分も仕事を頑張ろうと思いました!笑

ということで暑すぎて溶けるかと思ったけど、不条理な人々観劇してよかった~!のメモでした。
あと言い忘れたけどメインビジュアルとグッズのビジュがいい!!やったー!!!