ひどく湿った咳が、胸の奥から繰り返される。呼吸の制御の利かぬこと、半日。プラリ下がった裸電球が、交換時期を告げる。なんと間の悪いことか。今は、自分の体ひとつ、動かせないというのに。男は己の片を抱き、止まらぬ咳をこらえ続ける。一向に明瞭にならない頭は痛む。
一層暗くなった畳の上に広げられた飴の殻は、確実に数を増やしていた。口に現れたベタつきを、コップに吐き出す。もう、だいぶ溜まっている。捨てに行きたいが、倦怠感と眩暈は床に体を縫い付けて、それを許してくれなかった。
男は激しくせき込んでは、畳に敷かれた煎餅布団の上で蹲り続けた。嚙み砕いた飴を唾液と主に飲み込めば、喉の奥にズキリ、痛みが走る。せいぜい2枚の布団をどんな被り方をしても、背筋は凍り付かんばかりの悪寒ばかりを訴えた。けれど。
男はだるい腕で携帯端末を引き寄せ、外気温を確認した。37度の猛暑日。冷房を使えと鳴らされる警鐘。空調の電源を入れる。熱風、ほどなくして、冷風が体中の汗を吹き付ける。寒い、寒い。震えが止まらない。汗が止まらない。
こんな状態になった心当たりはある。電車で前に立ったサラリーマンが、真っ青な顔をして咳込んでいた。多分、それが移ったんだろう。這い蹲って、服を手当たり次第に取り出しては、包まる。奥歯が震える。ガチガチ鳴って、食いしばる。
明らかに、病気だ。でも、医者にかかる金なんてない。治すなら、なんか食わねぇと。けれど、とても食べられる状態では、いや、食べるものを準備できる状態ではなかった。枕元の飴の袋を漁る。もう、空っぽだ。
目を閉じる。眠れなくても、良いから。とにかく、時間を、進めないと。
ヴー、と。携帯端末が振動する。これは、電話の。男は着信画面を確認した。そこに書かれている名は、友のものだった。あぁ、そうだ。約束をしていたんだった。連絡しないと。
「……も…し」
『もしもし…どうした? 声…』
「わる……げほっ、ゲホ、……ハァっ…俺…」
『いや、えぇ。風邪じゃな。わかった、無理はするな。そっちに行こう、必要なものはあるか?』
「…くすり、と、ゼリー…立て替……ッ、ぐ…ゲホッ…ぅ…」
『おう。寝とれ寝とれ。すぐ行く』
通話が切れる。息を吐く。空気が喉を刺して、また咳が止まらなくなる。ぼう、と。窓の外を見る。どこかの壁と窓が、真っ赤に染まっている。あんなにぼやけていただろうか。
ぽつ、と。あれこれ湿って、気持ちが悪い。早く来てくれ。
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