肉を抉り取るための巨大な鋭い爪が、男の右肩を掴む。相棒の絶叫と共に引き裂かれた背中は、どくどくと鮮血を流す。尻餅をついたままの己を覆う、屈強な肉体はそれでも振り向き、鬼気迫る雄叫びをあげた。その剛腕を唸らせ、爪の持ち主を、羆の顎を真っ直ぐに、強かに、打ち付ける。
地を揺るがすと錯覚するほどの衝撃。理性を失った舌が下顎に噛み切られ、けれど爪はまだ、その腕を捕えては、鮮血が飛び散る。卒倒する巨体に素早く鉈を抜き、渾身の力で喉へと突き立て、その男は羆の息の根を止めた。
走り去る幼き小熊の背中。命を失った親熊の亡骸は血の海に沈み、荒い息ばかりが支配する竹藪。だが、男もやはり無事などではなかった。だらりと力を失う体を、急いで支える。
「誰か…っ、…羆はもう倒れた! お願いだ! だれか、手を貸してくれ!」
床に伏せるは、怒り狂う羆と相対した男。あれから、ともかく現場から離れなくてはと、重傷を負った相棒を引きずるように離れ、武装した村人達と合流した。命に別状はないと、村医者が手当を施してくれたものの、やはり傷は深かった。意識はある。話せもする。体だって起こせるとはいえ、それでも動けばその傷は痛みばかりを訴えた。
巻きつけて赤くなった包帯を取れば、そこにあるのは未だ脈動するかのような生々しい傷。ようやく血は出なくなった。けれど、跡は残るだろう。出来立ての軟膏をたっぷりと塗り込み、布を当て、再び包帯を巻く。目の前の相棒は痛みに呻きをこぼし、けれど我慢をする。「終わった」と知らせてやれば、「あぁ、ありがとな」、と。
不意に、外から声がした。嫌な騒ぎではない。歓声だ。「あいつは羆を獲ったのだ」、と。ガラガラと台車が転がる音。顔を出してみれば、村人達が相棒が打ち倒した羆を持ってきては、その皮を剥ぎ、肉を取り、爪を取り。命を余すところなく。
「なあ、みんなは…無事か?」。相棒が問う。「あぁ。お前以外に怪我人はいないよ」と答えてやれば、伏せながら、痛みに悶えながらも、男は笑った。「なら、よかった。お前も無事でさ」、なんて。
こんな無茶は、これで終わりにしてくれ。看病する男はそう言おうとしたが、けれど口が動かなかった。相棒が襲われても何もできなかった己に、何もできずに庇われるばかりだった己に、それを言う資格はない。
その日から、相棒はその武勇を熊羆の士と称えられるようになった。元から人柄もよく、爺婆や子らにも好かれている彼は、尚の事村の人々に頼られるようになっていた。
刈ってきた竹をたっぷりと入れた大籠を、軽々持ち上げる相棒の、その右肩と、右腕の爪痕は、今でも残っている。「さ、こんなもんで足りるだろ。いっかい戻るか」、と。相も変わらず力仕事に精を出す相棒の背を追いかける。
彼は、この村に収まる器ではない。その武勇は、きっと。
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