三角リョヲヘイ
2025-07-23 18:21:22
5026文字
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月に鎮め/「幕の内弁当」よん口目

 さあさ、野暮なことは言いっこなし、粋に参りましょう。
 それでは幕間にひと口、どうぞお召し上がりください。

 営業時間外だというのに、食事処伊呂波にはしょっちゅう人の出入りがある。今日は強面の男がふたり来た。
 顔に傷のある強面と、黒眼鏡をかけた禿頭の強面。
「あ! 閻魔とししょーだ」
「俺はお前にはなーんにも教えてねえんだけどなあ」
……
 羅乃目からの『ししょー』呼びが相変わらずいまいち腑に落ちない安斎と、呼び掛けに面倒そうに視線だけで答える雷蔵のふたり。
「いらっしゃい。と言いたいですけど、まだなーんにも無いですよ。仕込みもこれからなんで」
 気が付けば安定して伊呂波へ出入りしている人間はアクの強い者だらけになってしまった。つまりはトキ時の周りが、ということである。北町の閻魔様とその親友が揃って日の高い時間帯に足を運んで来るというのは、一般的な感覚で捉えるとなかなかに怖いことなのである。諸々が縮み上がる。ましてやここはそういう店でもないので、尚のこと。
「良さんがいないのに、珍しいですね」
「良が長屋にいないから来たんだよ、ここかと思ったのになあ」安斎は持っていた包みを軽く上げて黒骸に見せる。「貰い物をよお、おっさんふたりで分けるってのは、どうにもカビが生えそうだろ?」
 独特な表現を使いつつ安斎は遠慮も断りもなく四卓まで歩を進めると、卓上で包みを開いた。
「はいよ、さくらんぼ」
「わ! さくらんぼ知ってる、美味しいやつでやんすよ。種は美味しくないけど」
……お前、種食ったのか?」
「うん、前に死神が持ってきてくれたから。失敗して噛んじゃったから、噛み砕いてそのまま飲んだでやんす」
 安斎から羅乃目に向かう空気が、少しだけもにょりと形を変えた。「種な、噛み砕いて食ったのか……今日はちゃんと吐き出せよ」最近の若い娘は俺の知っている頃よりも随分と野生味があるな、と語感に滲んでいる。
「さくらんぼですか? いやあー良に貰ってからすっかり好きになっちまって。嬉しいなあ、ありがとうございます」
 トキ時はすっかりお気に入りになったさくらんぼとまた対面出来た喜びを隠しきれずに、出した種を入れる為の小鉢を準備して目尻を下げた。
 持ってきただけなのか、一緒に食べようという誘いなのかはまだ聞いていないが、どうやらトキ時の中では「このままみんなで食べる」一択らしい。
「お茶淹れるんで、適当にしててください」
 トキ時は小鉢と入れ替えに、さくらんぼを抱えて土間へ引っ込んで行った。
 言われた通りに四卓の椅子へ腰掛けた安斎を横目で眺めると、黒骸の意識は終始無言で面倒そうに入り口付近に寄り掛かっている雷蔵へ向かう。
「雷蔵さんもどうぞ。それとも、良さんがいないと嫌ですか?」
……なんでそうなる」
 雷蔵は素でおっかない顔をもっとおっかなくしながら、忌々しそうに低い声を放った。
 ここのふたり、あまり仲が良くない。いや、黒骸が「俺は雷蔵さんのこと嫌いなので」と公言しているのだ。雷蔵も雷蔵なりの立場だとか理由だとかがあるのだが、それをわかった上で黒骸も微笑みながら公言している。まあこれについて語るのは今は相応しくない。今となってはじゃれあいに近い形式不仲程度に捉えて貰えれば問題ない。そもそも、雷蔵は大抵の他者に対してこの態度で一貫されている。
「じゃあ、こちらへどうぞ」
 黒骸も対人用の武装した微笑みと言うよりは、普通に面白がって微笑んでいるので問題ない。長くて綺麗な指を揃えて、雷蔵を手のひらで奥の卓へ促した。
「おい、奥退け」
「ああ? んもー」
 既に座っていた安斎を退けて、雷蔵は壁側の席を御所望だ。打刀だけ帯から抜き取ると適当に壁に立て掛ける。脇差は差したまま。
「いっつも思うけど、閻魔のそれ座りにくそうでやんす」
 何故か座らずに安斎の背後で構えている羅乃目から、雷蔵の座り姿がよく見えた。
「だったらどうした」
「別になんでもないでやんすー」
 羅乃目の興味は、既に安斎の頭部へ向いている。
「ししょーの頭ってさくらんぼみたいでやんすね」
 小気味いい音を立てながら、羅乃目は安斎のつるつるの頭を叩いている。何故背後に構えているのかと思えばこれの為だったらしい。
──ぺちぺちぺちッ
「こーら、やめなさい本当、年長者の頭を叩いちゃいけません」
 安斎も咎めてはいるものの、特に振り払ったり手を掴んだりせず、なんならその言葉自体も大してやる気がこもっていない。
……待て、俺の頭がさくらんぼみたいって、つるつるってことか? つるつる仲間ってことか?」
「うん」
「グッ」
 堪えきれなくなった雷蔵の喉の奥から、笑いの残滓が漏れ出た。
 今もなお軽快に叩かれている、般若面の彫られているはいったつるつる。
「羅乃目の教育どうなってんだあ?」
「ふふ、どうでしょう。俺たちは一緒に育ってますけど、俺が育てたわけではないですからね。山にでも聞いてみてください」
 やんちゃを働いても大丈夫な相手は、羅乃目も黒骸も理解している。理解してやっているのだからタチが悪いとも言える。
「はーいお茶です……ってこらー羅乃目、駄目だぞ人の頭を叩いたら」
 お盆と共に暖簾をくぐって再登場したトキ時は、少し目を離した隙にとっ散らかった場の流れを瞬時に理解した。お母さんには手慣れたものである。
「ああもう、すみません安斎さん。ほら羅乃目、ちゃんと謝るんだぞ」
 手際よくお茶を並べ、洗ったさくらんぼを卓の中央に用意しながら、トキ時はお母さんを遺憾なく発揮している。
「はあい。ししょ、ごめんなさい」
 本人が言っても止めない手をトキ時に言われれば素直に止めるのだから、見方によっては可愛いものだ。でも最後に「ぺぺんッ」と締めの叩きを入れたことで、また隣の雷蔵が笑いの残滓を漏らすこととなった。
「まあ別にいいんだけどよ。ほら食え食え。種には気をつけろよ」
 最年長者として場を仕切り直した安斎の音頭で、各々さくらんぼへと手を伸ばす。
「種ちゃんと出すでやんす」
「おー偉い偉い」
 安斎の羅乃目へ対する扱いは、比較的トキ時と似ている。幼い生き物だと思って対応するというあれだ。安斎は名実共に大人なので、トキ時よりも他者の扱いと見極め方を理解しているとも言える。
「ねえねえ夏に西瓜で種飛ばし大会するって。死神が西瓜買ってきてくれるって言ってたでやんすよ。ししょーと閻魔も来る?」
「お、いいなあ」「なんで俺が」
 前回さくらんぼを食べた時の記憶を引っ張り出してきた羅乃目が、未来の約束を重ねようとしている。
 それに対する大人ふたりの返答が、両極端で面白い。
「んじゃあ参加でやんすね」
「俺がいつ参加するって言った」
 雷蔵はいつだって面倒そうな低音を投げてくる。常に携えた眉間の皺と相まって、これだけでも相当におっかない。この男、とにかく目力が強い。
「大会はたくさんいた方が盛り上がるでやんすよ。決まりね」
 舌打ちする雷蔵と、「そいつは楽しみだなあ」と添える安斎。この調子なら頼まなくとも良と安斎が雷蔵を引っ張って来るだろう。
「あーでもなあ、おっさんの口から出た物とか嫌だろ、ばっちいぞ。泣くなよ?」
「わっちそんなんじゃ泣かないし。なんなら閻魔の口から出た血が顔にピピってついたことあるでやんすよ」
「ああ?」
 突然話題に上げられた雷蔵が、眉間の皺を更に濃くしている。本当にいちいち怖い。
「ああそうだ口から出した物と言えば、おふたりは舌でさくらんぼの茎、結べますか?」
 場が荒れる予感を察知した黒骸が、するりと話題を変える。意図を汲んだ安斎が話題の尻尾をすかさず掴んだ。
「お、あれだろ?口吸いの練度がわかるって蜜で流行ってるやつ。どうだかな、いっちょやってみるか」
「この前盛り上がったんですよ。ちなみに俺は出来ました、一応。本当に一応」
「わっちは飲み込んじゃった」
 トキ時は「俺は当然無理でしたよ」と力強く述べながら、いい笑顔でさくらんぼを食べ進めている。「良はあれでした、几帳結びしてました。そんな長さどこにあったんだよってツッコミ入れましたよ。あいつってなんでも器用にこなしますよね」
「几帳結び?! きも……、は?」
 愛弟子の隠れた特技(仮定)に全力で引きながら、安斎は一瞬、視線だけで雷蔵をなぞった。「お前、そうなの? そうなのか?」とでも言いたげに。
「おふたりは、いかがですか?」

 ということで再び開催される、さくらんぼの茎を舌で結ぶ大会。今回の参加者はふたり。と言っても雷蔵は我関せずと言った表情で参加の意思は無さそうだ。安斎は真面目に四苦八苦している。
「閻魔やらないでやんすか?」
「やってどうなんだよ。阿保くせえ」
「そんなこと言って、良さんは几帳結びが出来るのに、自分は出来なかったら格好がつかないからやらないんですよね?」
…………
 面倒がる雷蔵を、笑顔で煽る黒骸。
 睨むような視線を黒骸に固定したまま、雷蔵は口の中に茎を放り込んだ。
……
 羅乃目とトキ時はその様子を固唾を飲んで見守る、なんてことはせずに、朗らかにさくらんぼに舌鼓を打って茶をすすっている。
……
 黒骸を睨みつけたまま、雷蔵は表情を変えずにゆっくりと舌を出した。
「!……流石ですね」
 舌先の、几帳結び。
「はあ?! きも! お前も出来んのかよ!」
 安斎は自身の茎の存在も忘れ、引きすぎて勢いの余りに席を立った。傾いた椅子が均衡を失い、音を立てて後ろに倒れる。
「ほえー、閻魔もできるでやんすね」
「あー、良で一回見ちゃうとなあ。そもそもが凄くて意味わからねえんですけどねえ」
 羅乃目とトキ時も雷蔵を覗き込む。ふたりは湯呑みを握ってのほほんとしたままだ。
……几帳結びと几帳結びがぶつかり稽古するとどうなんだ……? いや普通に引いてるけど、興味本位」
「はあ? 気色悪いこと聞くな。俺が知るかよ」
 安斎は雷蔵と良の口吸いについて聞いているのだ。とんだクソ助平野暮野郎であるが、普段は決してこんなことは聞かない。全て几帳結びのせいである。ふたつの几帳結びが全てを狂わせている。
「お前が知らなかったら他に誰が知ってんだよ、良には聞けない! おっさんは愛弟子にそんな卑猥なこと聞けない!」
「じゃあ俺にも聞くな」
 雷蔵の切り捨てはもっともである。
……ああ、昔死神とその辺の女と三人でやったから、その女捕まえられりゃあ何か聞けるかもな」
「お前らふたりの相手が女ひとりで済むのかよ」
「何も交互に女だけ抱いてるわけじゃねえ。死神も下だから多少は分散されんだろ。死神間に挟んで三人っつーのもなかなか壮観でな、経緯は忘れたが余興には悪くなかった」
「え……俺だったら、俺ひとりに対して女ふたりがいい」
「知るか。今夜にでも勝手にやってろ」
「と言うかお前ら何やってんだよ、良含めた三人はちょっと倫理観疑う……
「煩え、お前には言われたくねえ。全員いいっつってんならいいだろうが。そもそも言い出したの死神だからな」
 雷蔵と安斎の猥談は、天気の話よりも自然に紡がれていく。トキ時は顔を真っ赤にしていたし、黒骸はすかさず羅乃目の耳を両手で覆っていた。羅乃目は知らん顔でさくらんぼを食べている。
「はい、大人の話は終わりです。まだ昼間ですからね。あと羅乃目の前なんで本当にやめてください。殴りますよ」
 黒骸が止めに入らなければ、大人の夜についてのあれやこれを事細かに語られてしまうところであった。そういった話はふたりだけの時でお願いしたい。
「ねえ、ししょーは結べた?」
「おっさんはな……いや、多分もっと若い頃なら出来たと思うんだ、老いってのは思ってもみない場所から進行していくんだ。舌だってそうだろ? 筋肉の塊だからな、そりゃあ衰えも顕著だろ。だがそれこそ今だって女には全く困ってないし? というかまあ、ああいうのは総合的な評価が大事なのであって、口吸いひとつだけ上手くても意味がねえからな」
 あれこれ言い訳を並べ立てる安斎。つまりは。
「結局どっちでやんすか」
……おっさんは、出来ませんでした!」

 西瓜の種飛ばし大会の約束を重ねて、さくらんぼの茎を舌で結ぶ大会は幕を閉じた。
 ほんのり先の約束に、参加者が増えたのは喜ばしいことである。


幕内弁当ご口目