- Andiamo a vedere le stelle.
午後の昼下がりに「お茶をしよう」とノートンを誘ったのはルキノの方。これにノートンが乗ったのは完全なる気まぐれであり、そこにはほんの少しだけの「この人と2人きり」という状況に対する下心も含まれていた。
日がな一日猛アピールをしても何も気づく様子のない、この鈍い男に少しでも近付ければなと思ってこうして着いていってしまうのは仕方のないことではないか?
そんな言い訳を心の中でしつつ訪れた中庭の丸テーブルの上には、予め彼が準備したと思われるティーセットが並んでいた。
「作法は気にしなくて良いよ。」
「アンタいつもそれ言うよな。」
肩を竦めたルキノはおもむろにティーカップを持ち、その際皿に爪が当たってカツンと音が鳴る。頭の片隅に「音を鳴らすと不快に思う奴がいるから気を付けろよ」と当の本人が言っていた記憶が蘇るが、ノートンはあまり気にしない。これもまたルキノの個性の一つであるとノートンは認識している。
「堅苦しいのは苦手なんだ。」
「意外だ。アンタ教授なんだろ?いい地位の役職じゃないか。」
「
…役職で研究が進むならな。実際はそうじゃない。ただただ面倒事が増えるだけだ。」
そうキッパリと言い切るルキノの表情は浮かない。どうやらその教授時代の何かを思い出している様子で、不愉快ですと言わんばかりに顔を顰めていた。
「
……持ってる奴のワガママ。」
「それはそうだろうが、欲していないものはどれだけ与えられようとガラクタと変わらないさ。」
「ならくれよ。」
反射的に出たのは羨望から出た言葉で、でも別に何かしらの答えを欲している訳ではなかった。
ルキノの性格は少なくともサバイバーの中ではよく理解しているし、彼が興味を持つのは爬虫類に対する研究か未知なるものか、はたまたルキノ自身の体くらいのものだろう。
人間社会の中で生まれた社会的な縮図もそこに付随する記号のような役職も、この男からしたら興味の範疇外だ。
だが、ノートンはそうではない。
どんなものであれ、今の自分よりも「良いもの」はなんだって手に入れたいという欲がある。それに従って生きているのだ。
そんな自分にこの人は何を感じるのだろう、と思うとなんだかバカにされそうな気がしてきて「やっぱりさっきの発言は無しで」と言おうと口を開くと、同時にルキノが頷くのが見えた。
「あァ、何が欲しいんだ?金か?地位か?」
「全部。アンタが持ってるもの全部頂戴。」
「
…これはこれは、また随分と大きく出たなァ。ノートン・キャンベル?」
愉快で仕方ないとばかりに細められた瞳は、こちらを捕食しようと近付いてくる蛇のようだ。
思わず固まってしまうと、一拍置いてケラケラと笑い出すルキノ。どうやら余程こちらの反応が面白かったらしい。
「
…ちょっと、笑い事じゃないだろ」
「ふ、はは
…すまない、なんだか可愛らしくてな。確かに私もだいぶ不躾だったが、君の発言ほどじゃあなかっただろう?」
「それは
…」
普通なら何様だと殴られても文句は言えなかったかもしれない。
そう考えて口篭っていると、ルキノは懐から何かを取り出して口を開いた。
「それで、君、文字は書けるのか?」
なんてデリカシーのない奴なんだと思った。
今まで生きてきた中で内心こちらを見下している奴なんて掃いて捨てるほど見てきたが、ここに来てこんな形で人を馬鹿にしてくる奴がいるとは考えもしなくて、衝撃で思わず顔を顰めてしまう。
何より、この発言をしたのが荘園きっての頭脳を持つ教授であるという点が尚更ノートンの神経を逆撫でする。
「
…どこまで俺のことを馬鹿にすれば気が済むんだ?」
なんとか言葉を返すが声色は思っていたよりも固くなった。だがこれは仕方ないだろう、まさか昼のお茶に誘われてこんな事を言われるだなんて夢にも思わなかったのだから。
ところが気にも止めずに飄々としているだろうと思っていたルキノは、ノートンの声を聞いて驚いたように一瞬目を見開くとその後申し訳なさそうに苦笑した。
「
…あァいや、すまない。この前誰でも知ってる風に話をするなと言われたものだから
…」
「アンタ、デリカシーないとか言われないか?」
「つまり文字は書けるし読める、と」
「さっきからそう言ってる。」
わざわざ書けますと宣言しなければ信じられないのか?と思う苛立ちからルキノの声に被せるようにして言い放つ。
するとこちらをイラつかせている当の本人は満足そうに微笑み、手に持った一通の封筒を差し出してきた。
最初に思った通り、それは手紙と見てまず間違いなさそうだった。
「
…何、これ。」
「私からだ。」
「
…はぁ」
手渡されたシンプルな白の封筒をまじまじと眺めてしまう。
手紙を受け取る、という行為自体がノートンにとっては非常に珍しいものだった。
荘園に来てからは定時報告や何かしらの知らせは全て手紙として送られてきていたが、あくまでそれは全体への通達を目的としたもの。このように個人から己へと向けて書かれたものを受け取る経験はほとんどない。
物珍しさから何も考えずにその場で封を切ろうとすると、対面に座るルキノから「わぁ、」という気の抜けた声がした。
珍しい声に思わず顔を上げると、そこには気恥ずかしそうに頬を染めている彼の姿があった。
「
…え?」
何かしてしまっただろうか。でも教授にそんな顔されるようなことなんて何も、と考えた辺りでルキノの手が封を切ろうとしていたノートンの手に重ねられた。
ひんやりとした体温と他人の手が触れる感触に肩が跳ねる。
「はっ?!ちょっ
…!」
「君
……随分と熱烈だな。だがそれは、できれば君の部屋で、一人になった時に見て欲しい。」
まるで小さな子供に言い聞かせるような、優しく甘い声。
ノートンの語彙力がもう少し高ければ「慈愛に満ちた」なんて表現されるであろうその声色と言動に、苛立ちから萎んでいた好意がまた首をもたげてくる。
気になる相手と至近距離で、手を握られている
…その状況に急激に羞恥心が込み上げてきたノートンは、紅茶が残っているのも構わずに慌てて席を立ってしまった。その際に優しく触れていた彼の手を振りほどいてしまったが、彼の手には殆ど力は入っていない。
少し驚きはしたようだが、それも予想の範疇なのか「気を付けて。」なんて声を出す余裕すらあった。
それが既にいっぱいいっぱいな自分との差のような気がして、なんとも言えない気持ちになる。
「返事は英語で良いよ。」
ノートンは背にかけられた歌うような口振りのこの言葉の意味をよく理解しないまま、足早にその場を後にした。
「
…ムカつく。」
部屋へと逃げ帰ったノートンは開かれた便箋を見つめながら忌々しげに呟いた。
手元の便箋には、教授の筆跡らしい文字が走っていたのだが、ノートンには読めなかった。
文字が全て崩れたイタリア語で書かれていた為だ。
なるほど、今までそんなことを聞いた事がなかったくせに文字の読み書きを聞いてきたのはこれが理由かとノートンは納得した。
つまり、一人で辞書でもなんでも使って解読して返事を寄越せと、そう言いたかったわけだ。
ならあの、目の前で手紙を開けさせなかった理由の半分くらいはその場で自分に聞かれるのを避けるためだったのかもしれない。表情からして恥ずかしがっていたというのも間違いではないだろうが。
今思えば、書いた本人の目の前で手紙を開けるなんて行為は辞めるべきだったなと自覚している。
ただその直前の彼の失礼な物言いと相殺ということでノートンはこの事を考えるのは止めた。
「分かるわけないだろ
…」
崩れた文字というか、読めない異国の文字のためノートンは判別できないだけであり、もしかしたらただ癖があるだけだったり筆記体だったりするのかもしれない。
だが、どちらにしろ単語すら分からない状態では辞書も引けない。
分からないなら誰かに聞く他ないなと思ったが、サバイバー、ハンター共にイタリア語が読めそうな人物に心当たりがない。しばらく考えたがルキノ以外に思い付かなかった。
それに、ノートンとしては自分に宛てられた手紙の内容を他人においそれと公開するのはどうだろうかと思ってしまう。
「
…一旦、試合行こう」
悩んでも答えは出ず、取り敢えず椅子から立ち上がる。協力狩りへの出席を求められたのは今朝だったが、何も考えずに了承していたのを今は有難く感じた。
黙って考えていても、何も妙案なんて思いつかないのだから。
***
「探鉱者に手紙を渡したそうだな?」
自室の奥、数種類の蜥蜴や蛇が蠢いている飼育ケージの列を眺めていたルキノは突然背後からかけられた声にゆっくりと顔を向けた。
その顔はイタズラがバレた子供のような、少し好奇心の滲むもので、それを目の当たりにした魔トカゲは「あァ、またいつもの悪い癖か」というなんとも言えない気持ちを抱える事になった。
「何故それを?」
「奴が私に聞いてきた。崩れたイタリア語は読めるかと。」
「大体君は私なんだから読めるんだよなァ。」
心底つまらなそうに、少し口を尖らせるようにしてルキノが頭を振る。
この男は好奇心と知識欲に駆られた悪魔のようなものだ。どんな人間であれ、その好奇心か知識欲か、はたまた貪欲に知能を付けようとするような奴には触れずにはいられない。
探鉱者が勤倹な男であったのが運の尽きだ。
ルキノはあの男がどのようにして異国の筆記体で書かれた文面を解読しようとするのか、そのやり方に興味を示したに過ぎない。
そして、いくつかある方法のうち「ルキノの同位体である魔トカゲに直接聞く」というものは一番この男にとってはつまらないものだ。それを探鉱者が選んだと思ったのだろう。
「まずあんな意地の悪い手紙を書いて寄越す方が悪いだろう。」
「毎日のように色々言われていてね、私としてもどうあしらったものかと悩んでいたんだよ。」
適当に興味が無いと言えば良いものを、そうやって返答に困る時点でこの男はだいぶ絆されているのだ。そのノートン・キャンベルという男に。
それに自覚的で、そんな感情を持つ自分をまた俯瞰して見て「馬鹿だな」と冷笑する自分までもが存在するのが面倒な部分なのだが。
「
…教えたのか。」
「教えてはいない。辞書を渡して、いくつかの崩れた文字の読み方を教えた。後は自分で調べて考えてみろと言ったら帰っていったよ。」
「
…ほう」
「もう一度言う。意地が悪いなお前は。」
「
……私を好きだと言うなら、同じ土台に立って欲しいだけだよ。」
当たり障りのない単語と、崩れた文字のスペルを教えて、返事が書けないなら相談に乗ると言った時の探鉱者の顔は忘れられないかもしれない。
なんとも言えない、だがプライドの滲む顔で「自分で書く。」と宣言したあの男は、驚いているこちらを後目に自室へと駆けていった。
耳まで赤い顔と、教えた単語に、一体なんの関係があるのか魔トカゲにはよく分からなかった。
「私の方がお前よりも彼と出会ってから長いんだがな
……あんな顔は初めて見た。」
「ほう。」
「まるで恋をしているようだったぞ。」
「馬鹿だなァ、恋じゃ腹は膨れないだろうに。」
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