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クギ
2025-06-12 19:41:43
8573文字
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ムぷち新刊サンプル
洛軍を笑わない男だと思っていた信一の話。
※カップリング設定はありません。
※映画設定準拠、原作未読。
(肩書き等設定のみ、一部原作より流用しています)
※時代背景、城砦の見取りなどは調べていますが、
付け焼き刃の知識ですので、粗があります。ご容赦ください。
陳洛軍は、笑わない男なのだ。
彼に出会って最初の頃、藍信一はそんなふうに考えていた。
*****
ある日の夕方のことだった。
信一のもとへ、駆け込んで来る年若い男の姿があった。
場所は七記冰室。そろそろ日課の記帳をするかと、信一が腰を上げた、まさにその瞬間である。やって来た男の様子にトラブルの気配を感じ、信一の顔色がガラリと変わった。
口にせずとも、彼の表情は如実に物語っていた。げっ、タイミング最悪、作業が遅れる。端的にいって、めんどくせぇと。よくもまあ、顔だけでこれほど悪態がつけるものだと、感心してしまうほどの表情が、信一の顔にはありありと浮かんでいた。
男は、そんな信一の胸中を察したらしい。ひるんだ様子を一瞬見せたものの、彼はすぐに表情を引き締め、信一へと要件を告げた。
「頼む、信哥。龍津道でもめてるんだ。誰か来てくれって」
信一を兄と呼んだこの男は、信一の舎弟の一人だった。
舎弟、つまりは弟分だ。何の弟分かといえば、信一の本職であるところの、ヤクザ稼業における弟分にあたる。
何を隠そう、信一はあの悪名高き巨大スラム街、九龍城砦をシマとするヤクザ者だった。
シマでのもめごとの解消も、ヤクザの仕事のうち。しかし、この時間だけは、厄介ごとを抱えたくなかったというのが、今の信一の偽らざる本音だった。それでも、聞いてしまったからには、応じなければならない。
信一はまず、肝心要の質問を舎弟へと向ける。
「カタギ? ヤクザ?」
「カタギだ」
舎弟の言葉に、信一の片眉がピクリと跳ねた。
カタギ同士のいさかい、その仲裁には時間が掛かる。これは、信一の経験則だった。
ヤクザ相手ならば、同業である己の立場をチラつかせ、凄んでしまえば大抵のことはすぐに方が付く。
もっとも、城砦が誰のシマなのかは有名な話であり、ヤクザ絡みのもめごとは自体は、実は少ない。ここで問題を起こすなど、よほど世間知らずの下っ端か、黒社会にも満たないチンピラが主だ。そんなやつらには、信一たちも遠慮なく実力行使ができる。
対して、カタギの相手をするとなると、どうしても穏便にいかざるを得ない。信一の表向きの肩書きである、城砦福祉委員会、副主管の出番だった。
本来ならば、この手の対応に向いた適任者は別にいる。それでも自分にお鉢が回ってきたということは、そういうことなのだろうと察しつつも、信一は一縷の望みを持って舎弟に尋ねた。
「あ〜〜、大佬は?」
「ちょうど、マリーばあさんに捕まったところで
……
」
「またか
……
」
希望は絶たれた。
あのばあさんに捕まったならば、少なくともあと一時間は適任者たる大佬、龍捲風の手は空かないだろう。もめごとを口実に切り上げてやればいいものを、それをしないのだから、大佬もつくづくカタギには甘い。
「しゃあねぇ、行くぞ」
信一の切り替えは早かった。こうなれば、さっさと赴き、さっさと終わらせてしまうに限る。
彼は舎弟を伴って、足早に七記冰室をあとにした。
信一は、龍津道へと急ぐ道すがら、舎弟からあらましを聞いた。
もめていたのは、龍津道で開業している歯医者と、そこへ城外からやって来た患者の二人だった。
城砦南部の外周に位置し、敷地外との境にもなっている、東西に伸びた通り、それが龍津道だ。ここは無免許──イギリス政府からすれば──の医者や歯医者の多くが、診療所を構えていることで有名な通りであった。
辺りを訪れる患者は、城砦の人間に留まらず、城砦外から来る者も多い。龍津道が外に面しているために、城砦の中へ足を踏み入れずとも、診療所へ入ることができるからだ。ただ、やはり外と城砦とでは勝手が違う面もあるために、こうして時折、外の人間との間でもめごとが起きる。
今回のトラブルも、そんな、『勝手が違う』面が生んだ出来事だった。
城砦の診療所は、真っ当なところが大半ではあった。しかし、そうはいっても免許不要で開業できてしまうため、医師の腕前にはばらつきがあるのも否めない。中には、治療控えをする医師がいるのも実情なのだ。
もめている歯医者も、そんな医師の一人だった。
何せこちらは、無免許だ。難しい治療をして、あとで何か起これば、患者は外の真っ当な病院へと駆け込んでしまう。そうなれば、そこからどんなトラブルに発展するかも分からない。厄介ごとを嫌う医師は、結果的に、最小限の治療しか施さなくなる。
程度の差こそあれ、城砦の歯医者の考えは、概ねしてこの傾向にあった。外の患者からすれば、求める治療が成されず、不満を抱く者もいるだろう。そのため、この手のギャップからくるトラブルを避けようと、紹介のない一見の診療は、断っている歯医者もいるくらいだ。
舎弟からの説明を聞きながら、信一は、ふと、続くものだなという感想を抱いていた。
外と中との、勝手の違い。
城砦には城砦のルールがあって、時折こうして、外から来た者がもめごとを起こす。
信一の脳裏に、ある出来事が思い出された。
少し前にもあったのだ。城砦に入り込んだ余所者が、信一たちヤクザ相手にもめ、その上、大立ち回りを繰り広げた騒動が。
もっとも、その時の騒動の原因は、外と中との勝手の違い、どころの話ではなかったのだが。どちらかといえば、カタギとヤクザの勝手の違い、の方が、しっくりとくるだろう。いずれにしろ、勝手を知らぬ余所者が、もめごとを持ち込んだという点では、今回の件とそう違いはないように思える。
と、そこまで考えたところで、信一は内心、かぶりを振った。
──ま、さすがにあの時みたいな殺し合いにはなんねぇだろ。
むしろ、これしきのトラブル──で済んでほしい──殺し合いになられては困る。とにかく穏便に、迅速に解決するのだ。己の作業時間確保のためにも。
頭の隅にチラつく、殺し合いをした方の、余所者の姿。
その姿を、あんなことはもうごめんだとばかり頭の中から追い出して、信一は龍津道へと進む足を速めたのだった。
結論から言えば、信一が今回立ち会ったもめごとは、思いの外、早く決着が付いた。
龍津道に到着し、よくよく話を聞いてみると、確かに、ことの発端は歯医者の治療控えであったが、こじれた原因は、患者の男が支払いを拒否したことにあった。
最初、患者は治療内容を理由に値切ろうとしたらしい。それがいつしか、売り言葉に買い言葉。言った言わないでヒートアップし、挙げ句の支払い拒否となった。口論は一向に収まる気配がなく、見かねた歯医者の助手が、助けを求めてきたことから、信一が出張る事態となった。
そもそも、城砦の医者の治療費は、相場よりも安いことは有名な話だ。なのに、そこを更に値切ろうとするとは。ふてえ野郎だ、と信一も思ったものの、それを口にしてしまえば、収まるものも収まらない。自分は、城砦福祉委員会の副主管として、仲裁をしに来たのだから。
一本一本、絡まった糸をほぐすように、信一は双方の言い分を聞き取っていった。
その過程で明らかになったのは、患者が、最近香港へと住まいを移した、大陸の人間であるということだった。
患者は当地に親しい人間もおらず、その噂だけを聞きつけ、城砦を訪れたのだそうだ。あそこはああいう場所なんだと、助言する者が近くにいたならば、あるいは、ここまでもめることもなかったかも知れない。
何だか、やはり誰かのことを思い出す。
頭の隅に、またもチラつく男の姿には見ないふりをして、信一は粛々と仲裁を進めた。
頼る人間がいないならば、きっと心細かろう。であれば、同情心を見せ、懐柔してやればいい。方針は決まったと、彼は内心ほくそ笑んだ。思考回路はまったく黒社会のそれだったが、おくびにも出さない。
そこからは、口八丁である信一の独壇場だった。彼の見目がいいことも、その素性を知らないカタギには、有利に働く。
信一の、表向き親身な言葉に、患者は徐々にその態度を軟化させていった。彼は最終的に支払いに応じると、謝罪まで寄越したのだから──文化的に珍しいことだ──これはもう、信一の完全勝利と言ってもいい。
ダメ押しとばかり、信一は哀れなる患者へ、外の歯医者まで紹介してやった。自分の名前を出せば、悪いようにはされないと、そう念を押して。後々、外で騒がれないようにするための、これは予防線でもあった。
そんな信一の思惑など、露知らず。
患者の男は、しきりに感謝の言葉を口にしながら、やがて城砦を去っていったのである。
信一は上機嫌だった。
助けを求める声に颯爽と現れ、あっという間に問題を解決してみせるなんて。有能だ、己の手腕に惚れぼれすると、自画自賛しながら、彼は足取り軽く冰室への帰り道を急いだ。
これなら、さっさと作業を終わらせてしまえば、いつも観ている歓楽今宵に間に合う。馴染みのみんなで冰室のテレビ前に集まり、今夜も盧海鵬で笑うのだ。
鼻歌まじりに、うきうきと信一は歩き慣れた道を抜ける。
いつもじっとりと薄暗い通路が、今の彼にはやけに明るく感じられた。よく見知った店や、工場が軒を連ねる通りを過ぎ、そこの角を曲がろうとして──
──ん?
視界の隅をかすめた違和感に、信一はぴたりと足を止めた。
いやいや、まさか。
見間違いであれ。そう祈りながら、信一はそろりと、反対方向へ視線を巡らせた。
彼が歩いていた通りは南北に走り、曲がろうとしていた通りは、東西に横たわっていた。必然、反対側も角であり、その先にも道は続き、突き当たりには南北に通る別の通路が垣間見える。
その、突き当たりの角にこそ、信一の違和感の正体がいた。さっきからチラチラと、彼の頭の片隅に、浮かんでは消えていた男。だからこそ、目に付いてしまったのだろう。
陳洛軍。少し前に城砦に迷い込み、騒動を起こし、今はここで働いている余所者の姿が、そこにはあった。
だが、見間違えであれと信一が祈った理由は、単に洛軍を目にしたからだけではなかった。
──どういう状況だ。
洛軍は、年若い娘に花を渡されていたのだ。
彼の風体は、お世辞にもいいとは言いがたかった。坊主頭に無精髭を生やし、身なりにも頓着する様子のない、むくつけき男。それが洛軍に対する、信一のイメージだった。だからこそ、花を持つ洛軍の姿、そのミスマッチさたるや。
更に言えば、信一が感じた違和感の原因は、これだけではない。
──おいおい陳洛軍、それが女の子から花もらう顔か?
思わず信一は目を細めていた。自然、彼の眉間には皺が寄る。
何とも妙なことに、洛軍の顔は無表情だったのだ。いや、よくよく見れば、困惑しているようにも
……
見えなくもない。
どうして迷うことがある。そんな時は、ニッコリと笑顔の一つも浮かべてやればいいものを。愛想のないやつだな。
信一が見ていることなど、気付いていないのだろう。洛軍は、娘と何やら軽く言葉を交わし、通りの向こうへと消えていった。彼の顔色は結局、最後まで変わることはなかった。
時間としては、ほんの数分の出来事だ。
けれどもそれが、いやに長く感じられた。
信一の中には、変なものを見たな、という座りの悪さだけが残されていた。
*****
日を追うにつれ、洛軍の城砦での行動範囲は広がりを見せた。それに伴い、信一が彼の姿を目にする頻度も、上がっていった。
あの、洛軍の不可思議な振る舞いは、今も信一の胸に引っ掛かっている。うっすらと、ほんのわずかではあるが。
そう、わずか。ほんとにわずか。かけらもかけら。
それっぽっちだって言ってんだろ。
誰に向けてか分からぬ釈明をしながら、信一は、洛軍を見掛けるたび、さりげなく彼の姿を観察した。
そうして、その回数を重ねていくうち、信一はある可能性に思い至ったのだ。
「陳洛軍の笑った顔って、見たことあるか?」
「は?」
信一の唐突な問い掛けに、怪訝そうな声が上がる。
城砦内に開かれた無免許の医院の一つ、林杰森醫師趺打診所。信一はここへ、頼まれて薬酒を取りに来ていた。
彼の問いに怪訝な声を返した男は、林杰森──通称、四仔と呼ばれる、この診療所の主だった。
四仔、つまりは無修正のアダルトビデオを意味する言葉が、どうして通称になどなっているのか。その理由は、診療所の中を見れば一目瞭然だろう。細長く、狭い間取りの壁面に据えられた棚には、医療器具や医学書などと共に、大量のアダルトビデオが並べられているのだ。
それだけで、ここが診療所としては異質であることが察せられるわけだが、加えて特筆すべきは、四仔自身の風貌だった。
彼の顔面は、変わった形状のマスクに覆われていた。
マスクと聞けばそれは普通、口元を隠したり、あるいは顔全体を隠したりする形状のものを、思い浮かべるだろう。
しかし、四仔のそれは、通常とは随分異なる形をしていた。目元と鼻周り、そして口元に穴が開けられているのだ。本来のマスクであれば、大抵覆われるであろう場所が、外に晒されている。代わりにこのマスクが隠しているのは、四仔自身の肌だった。
外ではあり得ない、奇妙な姿の主人がいる、奇妙な診療所。
一見近寄りがたさの漂うここは、その実、城砦の住民たちからは愛され、頼りにされている、腕のいい診療所の一つなのである。
だからこうして、信一も薬酒を求め、四仔のもとを訪れている。
信一からの質問に、四仔は作業の手──薬酒を詰め替え中だった──を止めていた。
それから少し考えるそぶりを見せると、彼はやはり怪訝な声のままで、信一へと聞き返した。
「
……
何だって?」
聞き間違いだろうか、お前がそんなことを気にする筈がない。信一を見つめる四仔の目には、深い疑いの色が浮かんでいた。
彼の言わんとすることは、信一にも充分伝わったようだ。四仔のマスクに目出し穴があってよかった。目は口ほどに何とやら、である。
柄にもないことを口にしている自覚は、信一にもあった。
「だから、陳洛軍が笑うところ、見たことあるかって」
ばつが悪い顔をしながら、彼はもう一度四仔へと問い直した。
「いや、ない」
今度こそ信一の質問に答えると、四仔は手元に視線を落とし、薬酒の詰め替えを再開した。
診療所には、薬酒から放たれる、独特の香りが漂っていた。
その香りを確かめるように、信一がスンと鼻を鳴らす。
「会えば世間話くらいはするんだろ?」
傍らにあった雑誌を手に取りながら、信一は続けて四仔へと尋ねた。
洛軍は、この診療所の患者だった。
彼が城砦へと入り込んで、巻き起こした大騒動は今も記憶に新しい。その際に、負傷した洛軍を治療したのが、四仔なのだ。
「まあ、それくらいはする」
「でも笑わない? 少しも?」
何気ないふうに問う信一の手元で、パラパラと雑誌のページが流れる。彼の目がぼんやりと追っているのは、内容ではなく紙の動きだった。
四仔からの返事には、やや間があった。わけの分からない信一からの質問のために、彼は律儀にも、過去のやりとりを振り返っているらしかった。
「
……
俺の記憶にはない」
「そうか」
やがて返ってきた四仔からの答えを聞くと、信一はそれきり、口を閉ざした。
パラパラパラ、パラパラパラ。
目的もなく雑誌のページを最後まで流し終えると、信一はそれをまた、逆方向に流し始める。彼の脳裏には、ここしばらく見ていた洛軍の姿が、よぎっては消えてゆく。
──やっぱ、そうなのかもな。
洛軍を見ていて、思い至った可能性が真実味を帯びてくる。
「おい」
「!」
不意の声に驚き、信一はおもてを上げた。
「できたぞ」
信一の鼻先に、ずいと小瓶が迫る。
掌から、ややはみ出るくらいの大きさの、細長い瓶が二本。四仔はその瓶の頭を、それぞれ指の間に挟んで、こちらへと差し出していた。
瓶にはご丁寧に、林杰森薬酒とのラベルまで貼られてある。
「夜、眠る前にひとさじ飲むといい」
「分かった、伝える」
愛想のいい笑顔を浮かべ、信一は手慰みにしていた雑誌を脇へと置いた。目の前の薬酒を受け取り、では代金をと、財布に手を伸ばす。
「いくらだ?」
金を払えば、あとはこれを届けるだけ。ここでの用事はしまいだと気を抜いていた信一へ、けれど返って来たのは、思いがけぬ一言だった。
「それで、あいつがどうした」
お、と一瞬。ほんの少しだけ、信一の目が揺らいだ。
あいつとは、当然、洛軍のことだろう。
終わらせた話題だと、信一は思っていた。まさか、四仔が続きを持ち出すなんて。財布を出そうと顔を伏せていてよかった。多分、今の動揺は気付かれていない、筈だ。
四仔に向き直ると、信一は努めて明るい声を出した。
「何だ、気になるか? 陳洛軍のこと」
斜に構えた態度でニタリと笑い、信一はことさら、あいつ、を強調する。
そんな彼の物言いに、四仔は不快そうに顔を歪めた。マスクの上からでも、充分に見て取れるほどだ。
「違う、お前だクソ黒社会。妙なこと企んでるなら、殴る」
なるほど、気にされてるのは俺の方だったか。
内心舌を出しながら、なお信一は悪びれずに、軽薄な姿勢を崩さない。
「別に何も。ちょっと気になって見てただけだ」
「どうして」
四仔のまなざしが、探るように信一の目に注がれ、離れない。
ピリ、とした緊張感が二人の間に流れる。
思いの外、食い下がってくる四仔に、信一は密かに鼻白んだ。だが、ここで目を逸らせば、押し負けてしまうことくらい、彼にも分かっていた。
負けて何の都合が悪いのかと問われれば、面子がないとでも言おうか。あいつ──陳洛軍を気に掛けている、そんな己を知られることに信一は抵抗がある。要は、気恥ずかしい。
そう、彼の一連の態度は盛大な、いわゆる照れ隠しなのだった。
うっかり口を滑らせた数分前の自分を、信一は呪った。気が緩んでいたのだ。まさか、これほど四仔が話題に食い付いてくるとは、思いも寄らなかった。あいつ愛されてやがるな、ちくしょうが。
とにかく、この場を切り抜けなければならない。
信一は、四仔からの質問、と言えば可愛いが、詰問じみた圧のある問いへ、あくまで平静な顔を崩さずに答える。
「それ俺に聞くのか? 騒ぎ起こした余所者だぞ?」
へらりとした顔で、さも、当然だろうと、彼は肩をすくめた。
あいつを監視してる、俺はそういう立場だと、言外にチラつかせる。これでどうだと、上手くかわしたつもりの信一は、しかし足をすくわれることになる。
そもそもが、藍信一という男は、腹の探り合い化かし合いに、向いてない人間なのだ。付き合いが浅ければまだ誤魔化しも利くが、気心知れた仲ともなると、そうもいかない。
折れる様子のない信一に、そんな、気心知れた人間の一人である四仔は、一つ大きくため息をついた。そうして、彼から放たれた言葉が、決定打となった。
「もうそれなりに時間が経つ。監視も外れてる。あいつに害がないことくらい、お前が一番よく知ってるだろ」
──知ってる。
思わず、信一の声が詰まる。痛いところを突かれた。
ああ、もちろん知ってる。害がない、どころか、四仔だけじゃない城砦の住民たちから、洛軍が気に入られていることも。知っている、見ていたから。
同調してしまったら、もうダメだった。
一瞬の沈黙のあと。舌打ちと共に、信一が四仔から顔を背ける。
結局彼は、押し負けてしまった。
二人の間の緊張感がようやくゆるむと、信一の口からこぼれたのは悪態だった。
「
……
患者思いの先生だな」
完全に、苦し紛れの負け惜しみだ。
それは、言った信一自身が、一番よく分かっていた。恐らくは、四仔だって分かっている。
「もう一度聞く、あいつがどうした」
だからだろう、改めて尋ねてくる四仔の声音には、多分な呆れが含まれていた。
ただそこに、先ほどまでの険は感じられない。どころか、気掛かりがあるなら話を聞こう──なんて気遣いの気配までしている。そんな空気を出されては、信一もさすがに、それ以上逃げることはできない。彼はすっかり、観念するしかなかった。
実に言いづらそうな様子で、信一は四仔へと告げた。
「いや、あいつ
……
笑わないんじゃ、ないか
……
って」
さっきまでの啖呵からは、ほど遠い歯切れの悪さ。
もごもごと口を動かす信一の姿に力はない。今の彼が漂わせているのは、まるで、自分がしでかした悪さを渋々白状する、子供のような風情だった。
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