夜明 奈央
2025-06-12 06:02:07
3098文字
Public 中太SS
 

指輪の着け方外し方

中と喧嘩したので結婚指輪を外したい太と探偵社 婚姻闘争と同じ世界線
2025年6月7日初出

「おはようございます」
「おはよう、敦くん。来て早々悪いんだけど、ちょっといいかい?」
 出社するといの1番に太宰さんに声を掛けられ、僕は神経を尖らせた。
 太宰さんに気づかれないようにそーっと左手に視線を走らせる。確認したいのは、かつて何度も騒動を巻き起こしてきた太宰さんの指輪だ。昨日と同じく今日もきちんと薬指に嵌っている。それにほっと胸を撫で下ろして、ようやく「なんでしょう?」と返事ができた。
「指輪外すの手伝ってくれない?」
「えっ」
 全く大丈夫ではなかった。助けを求めて反射的に周囲を見回すが、みんな俯いて視線を合わせてくれない。国木田さんに至ってはあからさまに目を逸らした。面倒事に首を突っ込みたくないのはみんな同じなのだ。
 太宰さんの左手薬指に嵌っている指輪は、何の変哲もないただの結婚指輪だ。異能技師が作ったものでも特別な異能が込められたものでも何かを封印しているわけでもない。多少お値段は張るだろうが、お金さえ出せば誰でも買える。結婚のお相手はポートマフィアの中原中也さん。5年程前に入籍したと聞かされた時には大層驚きはしたが、生涯を共にしたいと思える相手がいるのは素敵なことだと納得した。
 が、それは知らせを聞いたすぐの頃だけだ。その後、隠す気がなくなったらしい太宰さんにより喧嘩しただの離婚しただのまた結婚しただのという騒ぎにしょっちゅう付き合わされるようになってしまい、今ではすっかり嫌気がさしている。
 その指標となっているのがこの指輪だった。普段は着けているが、喧嘩をすれば太宰さんはすぐにそれを外し、外していることでまた喧嘩に発展する。勘弁してほしい。何故それで結婚したのだと本気で理解ができない。
 とはいえ、ここ1年程はそれも落ち着いていたはずだ。いい加減5年も経てば多少は丸くなるのだろうと思っていたが、まだ終わっていなかったらしい。
「ちょっと敦くん、聞いてる?」
 僕の気持ちなど知ったことかとでも言うように、太宰さんにせっつかれる。たぶん今の僕は死んだ魚のような目をしている自信がある。太宰さんはそんなことで怯むような繊細な感性は持っていないので、目の前で左手をぐーぱーと動かしてその存在をアピールしている。
 こういう時はなるべく余計なことは言わず、太宰さんの要求にだけ応じるのが正解だ。どこで逆鱗に触れるかわかったものではない。
 想像してみてほしい。ちょっと口を滑らせただけで延々と愚痴を聞かされる日々を。僕はその所為で中原さんの下着の趣味まで知っている。そんなもの知りたくなかった。
「ちょっと見せてください」
 太宰さんの左手を取って確認すると、指輪がはっきりと指に食い込んでいた。しょっちゅう喧嘩しては着け外しをしていた頃はもう少し余裕があってくるくる回っていたような気がするのに、指先で摘んで回そうとしてもほとんど動かない。指輪のサイズが変わるはずはないので、太宰さんが太ったということだ。毎日見ているからか全く気づかなかった。
 しかしここで「太りましたか?」なんて言おうものならどんな怒りを買うかわからないので、賢明な僕は口にしない。
「こういう時は、やっぱり石けんとか油でしょうか?」
「ダメだったんだよねぇ」
「もうやった後なんですね」
「自分で試しただけだから、敦くんが協力してくれたら違うかも」
「そうですね。やってみましょう」
 洗面所に移動して石けんを塗り、再び挑戦してみるが、どうにも上手くいかない。先程よりは動いている気がするが、どうしても第二関節を抜けることができない。
 やり方が間違っていないか、コツなどないかと念のためウェブ検索してみるが、結果は変わらなかった。検索結果に「糸を巻く」や「マッサージで浮腫を取る」という方法も出てきたので試してみたが、結果は同じだ。それ以上は有用そうな方法も見つからない。
「あとは消防署でカットするくらいしかないみたいですけど……
「絶対ダメ」
「そうですか」
 反論せず受け流すが、内心では何故ダメなんだと突っ込みたくてたまらない。調べているウェブサイトには、危険だからあまりに抜けない場合はサイズ直しをした方が良いと書いている。実際そうなのだろう。
 そもそも太宰さんは何故わざわざ指輪をしているのだろう。結婚しているからといって必ず指輪を嵌めなければいけない決まりはない。実際嵌めていない人もいるのだから、喧嘩する度に指輪を外したがるくらいならそのまま外しておけば良いのに。
 以前に1度だけ聞いたことがあるが、回りくどく要領を得ない長話を聞かされてそれ以来聞けずにいる。
「じゃあもう諦めるしかないんじゃないですか?」
「敦くん、世の中には諦めていいことと悪いことがあるんだよ」
 なんだかかっこいいことを言っているようだが、これは諦めてもいいことだろう。今頑張って外したところでどうせ1ヶ月もしないうちにまた着け始めるのが目に見えている。
 出社して、太宰さんの指輪に手こずっている間に1時間以上が経過してしまった。そろそろ僕も本来の自分の仕事に取り掛かりたい。もう万策尽きたというのに、どうすれば太宰さんに諦めてもらえるのか。
 再び助けを求めて周囲を見回すと、乱歩さんがこちらの状況を無言で眺めていた。目が合うと、「仕方ないなぁ」と溜め息を吐いてどこかへ電話を掛け始める。
「あ、もしもし中原? 僕だけど」
 途端、太宰さんが奇声を上げて乱歩さんに突進していこうとするので、僕は慌てて押し留めた。異能がなくたって、もう純粋な力勝負で負けることはない。
「太宰がお前に謝りたいんだって〜。いや、ほんとほんと。こっちも仕事にならなくてさ〜ちょっと来てほしいんだけど。そうそう、すぐ頼むね〜」
 太宰さんは乱歩さんを止めようとわあわあ喚きながら僕の拘束の中で踠いていたが、全く効果がなかった。通話を終わらせた乱歩さんは太宰さんにびしっと人差し指を突き立てる。
「仕事の邪魔だからさっさとどうにかしてこい。仲直りするまで出社しなくていい」
「乱歩さん! 勝手なこと言わないでください。困ります!」
 非難の声を上げたのは今までこの騒動を見て見ぬ振りで放置していた国木田さんだったが、乱歩さんが一瞥するとすぐに押し黙った。
「それが嫌なら大人しく消防署で切って来い」
 太宰さんは反論しようとして口を開いたが結局何も言わず、すごすごと探偵社を出て行った。扉が閉まると、社内に漂っていた張り詰めた空気がほっと緩む。
「流石は乱歩さんです。ありがとうございます!」
「まあ僕にかかれば当然だけどね。あいつも困ったものだよ。壊すの嫌なんてつまりはそういうことなんだから、さっさと認めればいいのに」
「そうなんですけど、僕が言っても効果がなくて」
 乱歩さんはこういう時本当に頼りになる。めんどくさいなぁと思う時もあるが、なんだかんだいつも探偵社を上手くまとめてくれる。
 そんな和やかな空気の中、国木田さんが恐る恐る話に割って入った。
「あの、それで、太宰はいつ頃戻るのでしょう?」
 いつもの手帳を握る国木田さんの手がわなわなと震えている。国木田さんと違って完全に把握しているわけではないが、太宰さんの抱えている案件がいくつかあったはずだ。今日も午後から僕と外回りの予定だった。まあそのくらいには戻ってくるだろうとのほほんと構えている僕を他所に、乱歩さんはあっさりと答えた。
「再来週の木曜日だね」
 探偵社に別の緊張感が走ることになったのは言うまでもなかった。


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