夜明 奈央
2025-03-23 17:42:07
6021文字
Public 中太SS
 

婚姻闘争

些細なことで結婚と離婚を繰り返す中太(モブ区役所職員視点)
役所やら法律やらの話は全て捏造です 指輪の着け方外し方と同じ世界線
2025年3月22日初出

 私は横浜市内のとある区役所職員で、今は戸籍課で働いている。戸籍課は窓口業務と事務作業がメインで、やりがいには欠けるが面倒事もあまりない。成長して手が掛からなくなってきたとはいえ、子育て主婦にはありがたい職場である。
 そんないつもと変わり映えのない仕事に励んでいると、遠くからぎゃんぎゃんと喚き合う声が聞こえてきた。平日昼間の静けさとは程遠い。視線を向けると、向こうから掴みかからん勢いで罵り合う男がふたりこちらへ向かってきている。
「手前はいつもいつもそうやって」
「自分のことは棚上げしといて。君にだけはそんなこと言われたくないね」
「はあ!? ふざけてんのか?」
「ちょっと! くっつかないでくれる!?」
 なんだか嫌な予感しかしない。どうか目的地がここでありませんようにと小さく願ったが聞き届けられることはなく、そのふたりは戸籍課の受付へとやってきた。
 同僚と視線で一瞬の攻防を繰り広げるが、負けて私が対応することになった。ほぼ八つ当たりだろうとわかっていても、怒りを滲ませられると当たり前に怖い。稀に職員が殴られる事件も発生している。
 内心びくつきながらも「これは仕事だ」と己を奮い立たせて応じると、差し出されたのは離婚届であった。
「お願いします。もうこんな男と一緒になんてやってられません!」
「こっちこそ手前なんぞ願い下げだ!」
「はい、少々お待ちください」
 やってきた男たちはふたりとも端正な顔立ちだったが、近距離で睨み合っていて今にも噛みつきそうだ。なるべく穏便に済ませ、少しでも早くお帰りいただきたい。書類の記載内容を軽く点検するが、不備はなさそうだ。
「こちら、承りました。受理しておきますね」
「はっこれでもう手前の顔を見なくて済むってこった。清々するぜ」
「それはこっちの台詞だよ」
 ふたりはなおも言い争いを続けながら去っていく。が、「顔を見なくて済む」などと言いながら、向かう方向は同じだ。確かにエレベーターがあるのはそちらだが、反対側には階段もある。何故一緒に帰るのだろう。不思議に思いながらも、深く突っ込むことはせずに同じエレベーターに乗るのを見送った。
 世の中には色んな人がいるものだ。仕事を長く続けるコツは、あまり深入りしないことである。
 受け取った離婚届を下に事務手続きを進める。名前は中原中也と太宰治というらしい。このふたり、入籍したのはたった1ヶ月前だった。所謂スピード離婚という奴である。人口の多いこの地域では、年に数組は見かける。
 けれど、ふたりで届を出しに来るというのはスピード離婚に限らず滅多に見られないことだった。先程はふたりの剣幕に気圧されて気づかなかったが、婚姻届と違って離婚届は通常どちらか片方が出しに来るものだ。何らかの事情により円満離婚する場合でも、ふたりで出しに来るという話はとんと聞いたことがない。
 あのふたり、なんだったのだろう? 疑問が浮かぶが、考えたところで答えが出るわけもない。やがて忘れ去られる程度の出来事のはずだった。

◇ ◇ ◇

 その2週間後のことであった。窓口にふたりの男が現れた。
「すみません、婚姻届を出したいんですけど」
 控えめに声を掛けられて作業を中断する。相手の顔を認識して、私は目を疑った。つい最近、離婚届を出しにきたあのふたりであった。普通はいちいち届を出しにきた人の顔など覚えていないが、変わったふたりだったから印象に残っている。
「あ、はい。拝見いたしますね」
 まさか、と思いつつ書類を確認する。はっきりと覚えてはいないが、確かこんな名前だった。
 ちらりとふたりの様子を窺う。照れ臭そうに笑う姿は確かに新婚そのものに見える。あの時離婚していなかったとしてもまだ新婚といっていい時期である。何があったのか聞いてみたい気持ちも湧いたが、もし間違っていたら失礼極まりない。わざわざ他人の私が口を出すことでもない。
「承りました」
「はい、お願いします」
 言いたいことを色々と飲み込んで事務的に受け付けると、ふたりは丁寧に頭を下げた。一緒に帰る後ろ姿は前回と違って仲睦まじい。
 受理作業をしながら確認すると、やはりあの時のふたりだった。新婚1ヶ月で離婚して2週間で再婚。なんなんだろう。疑問だけが残った。

◇ ◇ ◇

 それから3週間後のことだ。
「離婚届出してぇんだけど!」
「子供じゃないんだから無関係の他人に当たるのやめなよ。こっちが恥ずかしい」
 怒声と共に現れたのは件のふたりであった。前回と違って確信を持ってあのふたりだといえる。持ってきたのは記入済みの離婚届だ。
 最初は信じられない気持ちが優ったが、受け取った書類の中身を点検しながら、こんなもの受理していいのか? という気持ちが湧き上がってくる。仮にも婚姻関係である。ジムの入退会ですらこんなに高頻度でする人はなかなかいないだろう。
「法律上は問題ないはずですよね?」
 長身の男が私ににっこりと笑みを向けた。私の思考を読んだかのようなタイミングだった。背中に寒気が走る。確かに法律上、回数や期間の制約などはない。慌てて首を縦に何度も振った。
「じゃあこれ、お願いしますね」
 長身の男は私の返事も聞かずにさっさと踵を返した。
「おい待て太宰!」
 小柄な方が長身の男に呼びかけながら、こちらに問いかけるような視線を投げる。「承りました」とだけ伝えると、長身の男の後を追いかけ始めた。やはり一緒に帰るらしい。なんなんだ本当に。
 どうやら長身の方が太宰というらしいことがわかったので、小柄な方が中原なのだろう。そこまで知らなくて良かった。
 できればもう2度と来ないでほしいが、なんとなくまた来そうな気がした。

◇ ◇ ◇

 1週間後のことである。
「すみません」と声を掛けられて顔を上げると、そこにいたのは太宰さんだった。後ろには気まずそうにしている中原さんもいる。
「まさかまた婚姻届ですか?」
「そうなんです。お願いできます?」
 またもや婚姻届を差し出される。離婚届を提出する時のふたりはぴりぴりとした雰囲気を纏っていて絶対に話しかけたくなどないが、今なら世間話くらいできそうである。深入りしない方がいいのはわかっているが、それでも一言くらい文句を言ってやりたい。
「いいですけど、夫婦喧嘩くらいでいちいち役所に来るのはやめていただけませんか? どこのご夫婦だって喧嘩はしますが、その程度で離婚届を出す方は他にいらっしゃいません。届を出す前に十分頭を冷やして、よく話し合ってください」
「いや、そうですよね。ご迷惑お掛けして申し訳ありません」
「すみません」
 太宰さんは本当に申し訳なさそうに頭を下げた。中原さんもそれに追従する。反省しているようなので、これ以上小言はやめにする。
「じゃあもうこんなことは最後ですからね。お幸せにどうぞ」
 前回は呆気に取られて言い損ねていたが、婚姻届を受理した時の決まり文句である。人生の先輩として、結婚生活は幸せなことばかりではないと知っている。このふたりは短いながらにそれを既に体験してしまっているだろう。それでも結婚の挨拶としてはこれが定型句だ。
「はい、すみません。今度こそふたりで幸せになります」
「幸せにします」
 ふたりはにっこり笑って顔を見合わせる。そして私に見せつけるように繋いだ手を上げた。太宰さんの左手の薬指には指輪が嵌っている。中原さんは右手しか見えないが、おそらく反対側の手には同じものが嵌っているのだろう。
 本当にこれが最後であってほしい。

◇ ◇ ◇

 その、3ヶ月後のことである。
「お願いします」
 控えめに受付台の上に離婚届を置いたのは、相変わらずあのふたりである。前回のやり取りを覚えているのか、ふたりとも明後日の方向を向いていて、私の目を見ようとしない。
「夫婦喧嘩くらいでいちいち離婚届出さないでくださいって前回言いましたよね?」
 結婚できる歳になったところで、20そこそこなんてまだまだ若造だ。自分の子と大差ない年齢の子に対して、つい小言が口をついて出てしまった。
「だって中也が!」
「手前だって!」
 叱られた途端に言い訳を始めた。そしてそのまま責任の押し付け合い。まるっきり悪さをした子供のそれで、放っておけばいつまでも続けそうだ。どうしたものか、と頭を悩ませる。本当は見て見ぬ振りをすべきなのだろうが、既に半分首を突っ込んでしまっている。このまま離婚届を受け取って終わりというわけにもいかなそうだ。
「おひとりずつ話を聞かせてください。まずは太宰さんから。中原さんはそこの待合室で待っていてください」
 ぴしゃりと言い放つと、ふたりはぐっと言葉を飲み込んだ。こんなことは本来区役所の仕事ではない。ただ、こういったことをやらされるのはそう珍しいことではない。区役所をお悩み相談室と勘違いしている人は少なからずいるのだ。
「太宰さんはあちらへ」
 太宰さんは案内に従って大人しく着いてくる。罰が悪そうにも不貞腐れているようにも見えるが、その左手には前回見せてもらった指輪がしっかりと嵌っていた。このふたりがどういう関係なのかは全く知らないが、離婚届を出したくらいで離れられる関係でないのは間違いないだろう。
「喧嘩の原因は置いておいて、離婚の話が上がったのはいつなんですか? ちゃんとお互いよく考えて話し合いましたか?」
「そのつもりです。2週間くらい前に喧嘩して、しばらく頭を冷やそうってことで1週間くらい別居してから改めて話し合ったんですけどお互い譲らなくて、もう離婚するしかないかなって」
 以前のスピード感に比べればいくらかマシになっている気はするが、それでも十分早い。離婚調停が年単位で長引いている夫婦も、別居したまま籍を抜かない夫婦も少なくない。
「あと1ヶ月くらいその別居生活続けてみたらどうですか? こんなに頻繁に籍の入れ替えしてるくらいなんですから、籍なんて入ってても抜いててもそう変わらないでしょう」
「変わりますよ」
 太宰さんはむっとしたように言い返してくる。さっきまでの態度といいその言い様といい、本当に子供のようである。このまま説得するのは難しそうだ。
 仕方なく中原さんと交代して同じ質問をするが、返事は似たようなものだ。お互い頑として譲る気配がない。これ以上はただの区役所職員のお節介の範囲を超えている。
「でも太宰さん、まだ左手の薬指に指輪してましたよ。本当は離婚なんてしたくないんじゃないですか?」
 思い直してほしいともう少しばかりお節介を働くと、中原さんがそっと自身の左手を右手でなぞった。手袋で見えないが、おそらく中原さんもまだ指輪をしているのだろう。これはまだ復縁のチャンスがある。この後ふたりでゆっくり話し合ってもらって、と私は期待に胸を膨らませたが、ふたりの関係は私の想像とは違っていたらしい。
「これは結婚指輪ではないので」
「え? 太宰さんとのペアリングじゃないんですか?」
「そうですけど、結婚指輪とは違います」
 じゃあ何なんですか? という台詞が喉元まで出かかったが、ぐっと飲み込んだ。私が軽々しく口を突っ込んでいい領域ではない気がする。あと話が長くなりそう。重ねて言うがこれは本来の業務ではないのである。ここでふたりが離婚を思い留まろうとそうでなかろうと、私の仕事量に大きな違いはない。なんならこうやって話を聞いている分他の仕事が滞っている。なんだかもう全てが面倒になってきて、私は首を突っ込んだことを後悔した。
 その後ふたりでもう1度話し合ってもらったが、結局離婚届を取り下げさせることはできなかった。
 もらった離婚届を眺めてしばし考え込む。これは受理した方がいいのだろうか。むしろ受理しない方が、あのふたりのためではないだろうか。きっとまた離婚したことを後悔して婚姻届を出し直しにくるに決まっている。この離婚届を受理するのは、私にとってもあのふたりにとっても良いこととは思えない。
 けれど悩みに悩んだ末、結局受理することにした。とてもそうは見えなかったが、何らかの給付金や遺産相続の絡みかもしれないし、万が一にもふたりが訴訟でも起こせば賠償問題になるのは間違いない。ふたりが離婚したところで私にデメリットはないし、1回分の受理作業をサボったところで事務作業にかかる時間は数分かそこらだ。そこまでの責務を負う覚悟はない。

◇ ◇ ◇

 半年後のことである。
「離婚します!」
 バンっと受付台に離婚届を叩き付けたのは、中原さんであった。後ろには例によって太宰さんもいる。
「えっ結婚は!?」
 つい反射でそう叫んでしまった。あれからしばらく経っても婚姻届を出しに来ないから、些か気になっていたのだ。確か前回来たのはまだ半袖の時期だった。こんなにも長い間離婚しているなんて珍しく、まさか本気で縁を切ってしまったのではないかと残念に思っていたのだった。
「まあ、その、なんだ。あの後色々あって……
 中原さんは気まずそうに何もない宙空を見つめている。
 確認すると、あの一波乱あった離婚届事件のたった1週間後に再入籍していた。どうやら私のいないタイミングを見計らって提出していたらしい。だからあれだけよく考えろと言ったのに。
「わかりました。受け取ります。が、受理はしません」
「なんで!?」
 私が宣言すると、中原さんが来た時と同じように受付台を叩いた。私も負けじと叩き返す。
「どうせ無駄だからです! 以前も言いましたが、役所を夫婦喧嘩に巻き込むのはやめてください!」
「職務怠慢で訴えますよ」
 後ろから口を出した太宰さんに、私もすかさず反論する。
「勝手にしてください。こっちこそ業務妨害で提訴しますよ!」
 太宰さんがぐっと言葉を飲み込む。自覚はあったらしい。こんな仕事をしていると会話が噛み合わない人間が来ることも珍しくないが、話が通じるというのは朗報だ。
「いや、でもこれが君の仕事なわけで……
「受理してもいいですけど、その場合おふたりの婚姻届はもう2度と受理しません」
 はっきりと言い切ると、またしても悔しそうに押し黙った。
「もう次の婚姻届のこと考えてるような人間の離婚届なんて受理しません! 考え直してください!」
「そこをなんとか!」
「どうにもなりません!」
 子供の喧嘩としか思えないやり取りが続いた末、結局ふたりは届を出すことを諦めて帰っていった。私の勝利だとガッツポーズを決めたのも束の間、別の区役所で離婚届が受理されていることに気づいて肩を落とすのは、それから1週間後の話である。

 2人(3人?)の攻防はまだまだ続く!


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