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夢篠
2025-06-12 01:55:37
3732文字
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鬱し世にひだまり、綺羅と
黄昏甚兵衛を庇って怪我をする
1
2
からだが、あつい。傷口から、じりじりとした痛みが駆け抜けて、指先から爪先まで余す事なく巡っていく。痛いのに、痛いが故に意識を手放す事も出来ない。傷のせいなのか熱が出て悪寒がする。苦しい。いたい。あつい。
「っ、ゔ
……
」
涙が滲む。誰かに、手を握られた気がした。とても暖かいそれを握り返したいのに指が動かないのがもどかしかった。
***
その女中はタソガレドキ侍の伝手で雇われたのだと聞いていた。気立ての良い娘で良く働く彼女は私よりも少し年嵩で、私は彼女を姉のように慕っていた。甚兵衛様の事は勿論好きだったけれど、歳の近い娘同士で盛り上がる話もある訳で。この半年程、きっと私は彼女に夢中になっていた。彼女が他領から送り込まれた刺客とも知らずに。
それは久方振りに御渡りを予告された夜の事だった。甚兵衛様と二人きりになれるのだと、私は彼女に言った。甚兵衛様はもうずっと忙しくて、暫く纏まった時間が取れなかったから、本当に嬉しくて、私ははしゃいでいたのだと思う。彼女は優しく笑って「楽しみですね」と言ってくれた。「お邪魔にならぬように、人払いをしておきますね」とも。私はそれに大きく頷いたのを覚えている。浮かれていたからだろうか。私はあの時の彼女の表情が今も思い出せない。
甚兵衛様と二人きりの時間はいつも胸が苦しくなる。甚兵衛様を好きな気持ちが溢れ出してしまって。口を吸われて俯いた時だった。不意に気配がしてそちらを見たら彼女がいた。何を、と問うより先に、短刀の切先が甚兵衛様に向けられていて、あ、と思うよりも早く身体が動いていた。刺し貫かれるかと思ったが、それは忍軍の方々によって阻まれたようだった。でも刃には毒でも塗ってあったのだろうか。掠っただけなのに腕が酷く熱い。傷から想定するよりも強い痛みに息が出来なかった。甚兵衛様の、私の名を呼ぶ声が随分と、切羽詰まっているように聞こえた。覚えているのはそこまでだった。
次に目が覚めた時には、仰向けに寝かされていて、周囲を医者や女中に囲まれていた。忍びの使う毒、とかお湯を沢山、とか、毒の周りが早く血が止まらないとか、慌しい声が沢山聞こえた。一際大きく「御方様!」と私を呼ぶ声がした。忍軍の山本様だ。
意識の戻った私を覗き込むように、山本様が何かを早口で言っている。でも音としては聞こえても、理解が出来ない。血を止めるための、薬の話をされているようだ。山本様の唇が震えたように見えた。理由は回らない頭でも分かった。その声だけは理解出来たからだ。子が成せぬようになるかも、と。私の吐く息が揺れたのを、山本様は聞き逃さなかった。
「この薬はあまりに強く、その代償として、」
「や、だ、め
……
、だ、めです
……
、どうか、それ、は」
譫言のような言葉に山本様が唇を引き結ぶ。困らせているのは分かる。でも、子が成せなければ、私が甚兵衛様のお傍にいられる理由が無くなってしまう。それが私に課せられた役目で、それが出来なければ私は此処にいられなくなってしまう。震える指で縋る。何か抵抗の言葉を紡ごうとしたのに、喉の奥から熱い塊が上がって来て、何か違う物を吐き出した。それは血の塊だった。咳き込むとまた、幾らか赤黒い液体が散る。嗚呼、こんな。でも、もし、子が成せたとしてもこんな身体ではお傍には。縋る指から力が抜ける。もう、全てを諦めてしまいたかった。山本様が、私を呼ぶのが聞こえる。静かに首を振る。もう、楽にして欲しいと思った時だった。
「構わぬ」
とても静かな声だった。なのに慌しい周囲の音にも全く掻き消されずに私にまで届く、とてもはっきりとした声だった。視線を巡らせなくても分かる。そこに甚兵衛様がいた。
「ぁ、じ、んべえ、さ、ま
……
」
「構わぬ。何が代償でも良い。必ず
ナマエ
を助けよ」
涼やかな目が、私を見ていた。周囲に忍軍の方を付けられているけれど、いつも通りのように見えた。視線が絡んで、そうしたら涙が止まらなくなった。苦しいからではない。安堵からだった。甚兵衛様が、無事で良かった。こんな私でも、大好きな方を守る事が出来た。
「、ぁ
……
」
力の入らなくなる手を甚兵衛様に伸ばす。でも腕を支えていられなくてその手が落ちそうになるのを甚兵衛様に掬われた。甚兵衛様に怪我の無いか尋ねたかったのに、もう口が利けない。息が苦しい。何か、薬湯だろうか。温かな椀が忍軍のどなたかの支えで唇に当てられる。口の中に含まされるけれど、咳き込んで上手く飲み下せなかった。御方様、と誰かが嘆じるような声がする。その声を聞いて確信した。嗚呼、私はもう駄目なのだ、と。
死んでしまうのだ。初めて死を身近に感じた。でもどうしてこんなに、落ち着いた気持ちでいられるのだろう。死ぬなんて、もっと怖い物だと思っていた。でも、全然怖くない。だって。甚兵衛様の袖を握る。甚兵衛様と視線が絡む。嗚呼、いまわたくしは、とても幸せなのです。大好きな人のお傍で死ぬ事が出来て。
「
……
人の気も知らず、」
甚兵衛様の唇が動いて何か言葉を発しているような気がした。何か忍軍の方に指図されているのを、ぼんやりと眺めていた。最期に見るなら甚兵衛様の顔が良かった。眺めていて気付いたら、薬湯の椀を甚兵衛様が持っていた。何故それに、甚兵衛様が口を付けるのだろう。
「
……
っ、ん」
何をされたのか分からなかった。椀に口を付けた甚兵衛様の顔が近付いて、そのまま唇を合わせられる。合わせられた所から苦味のある液体が口の中に流し込まれる。ゆっくりと口の中に含まされたためか、少しずつそれは喉の奥へ流れていき、腹へ落ちていく感覚がした。私の喉が動いた事を確認すると、甚兵衛様はまた薬湯を口に含んで、を繰り返す。最後の一口まで飲み込んでしまうと、その疲労のせいか僅かに目蓋が重くなる。目を閉じてしまうのが怖くて、甚兵衛様の名を呼んだ筈だった。それが音になっていたかは分からない。いつの間にか、私の意識はまた暗闇の中に落ちていた。
意識も身体も酷く重くて怠くて、指の一本も動かせなかった。傷口も焼けるように痛くて、その痛みが全身を巡るようだった。痛くて熱くて苦しい。それでも、不思議とそれに見合うだけの不安は無かった。だって何かとても暖かな塊に包まれていたからだ。
時折何か、音が聞こえる。その音に対する別の音も。でもその音らを理解する前に、目の前を漂う私の意識が霧散する。私の意識を手繰り寄せようと、たった一つ、覚えている名を呼んだ。私を包む塊が動く。
ナマエ
、と私の名が呼ばれたような気がして、縁のような手の内の何かを握った。
「
ナマエ
」
音が声になる。少しずつ、目蓋の裏が明るくなっていく。この世に呼び戻されるような声に目を開けた。そこはとても眩しくて、とても痛々しくてでも、とても美しくて暖かいのだろう。何故かそう思った。
「
ナマエ
、」
「ぁ、じ、んべ、え、さま
……
、」
呼吸の触れ合うような距離に、甚兵衛様がいる。添い寝されているようだった。何故だったろう、そう思ってから先程までの喧騒を思い出す。思い出したら急に痛みから何からが思い出されて顔が歪んだ。甚兵衛様の大きな手が私の頬に触れた。気遣わしげな手付きに胸がきゅう、と痛くなった。
「
……
痛むか」
「へ、き
……
、で、す
……
」
喉が引き攣れて聞き取りにくい声だったと思う。でも甚兵衛様は理解してくださっているような気がした。その証左に、甚兵衛様は私の唇にそっと甚兵衛様のそれを合わせてくださったから。
「無茶をする」
静かな声だった。でも、さっき聞いたあの、静かだけど酷く硬い声とは違うような気がした。それはどこか、柔らかくて暖かい、小さな生き物のような声だった。聞いていて、とても心が落ち着く声。
「じ、んべ、えさま、が、ぶじ、で、よか、っ、た
……
」
残念ながら身体を動かす事が出来なくて、でも代わりに握られた手になんとか力を込めようとする。それに気付いてくださった甚兵衛様が確りと私の手を握り、身体を抱き寄せてくれる。温もりが心地良い。その温もりが私を微睡みに誘う。瞬きがゆっくりになる。
「眠れ。眠らねば治らぬ」
少し遠くから甚兵衛様の声がする。眠ってしまったら、甚兵衛様は何処かへ行ってしまうのだろうか。やっとお顔が見られたのに。でも上手く言葉に出来なくて、むずかるような声が出る。それが甚兵衛様に通じたのだろう。
「お主が眠っても此処におる」
赤子を寝かし付けるように背を撫でられた。強めに抱き竦められるのが心地良い。それが嬉しくて口の中で笑う。甚兵衛様が何か呟いた気がした。その声が、とても穏やかな安堵に聞こえてしまった。私の願望、かも知れないけれど。
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