eclipsis
9292文字
Public ミホペロ
 

魔法と呪い、どちらでも

幽体から戻れなくなるペローナ。×未満な二人


 

 ミホークはペローナに連れられて娘の寝室に来ていた。ベッドには二日前に見た姿と全く一緒のペローナが眠っている。身動ぎすらしないで寝ている娘に反して、ミホークの隣で浮かぶペローナはソワソワとしていた。

「ベッド際に棚があるだろ? その棚の一段目にヘアオイルとブラシが仕舞ってあるから、それを取り敢えず出してくれ」

 ミホークはベッドの縁に座りペローナの指示通り手を動かした。こじんまりした棚の中身は蜂蜜色の小瓶と濃い飴色のブラシだけだった。それらを無言で手に持つ。

「そう、それ! じゃあ早速私の身体を起こして髪を梳いてくれ。あ、最初にヘアオイルを一滴か二滴、手櫛で馴染ませてからにしてくれよ!」

 声を弾ませてペローナは次の指示を出す。ミホークはヘアオイルの小瓶とブラシを一旦ベッドへ置き、中央で眠るペローナを起こしにかかった。ベッド縁に座っていた姿勢を少し乗り上げて、娘の身体にかかる布団を除ける。そして仰向けに眠るペローナを無感情な目で見た。
 願い事を聞き入れると言った手前、それを完遂せねば収まりが悪いと、ミホークは無意識に思う。ある種の仕事をこなす感覚で男の手はペローナに触れた。

 ミホークはくたりとした娘の身体を抱き起こすと、自分の腕の中に囲い胸へ凭れさせる。眠るペローナは為すがままで人形のようだった。ベッドに置いた小瓶をミホークが手に持つ。娘を腕に抱いたまま小瓶の蓋を器用に開け、ヘアオイルを手のひらへ二滴垂らした。

「出したオイルは手のひらで擦って広げてくれよ。そうすると伸びが良くなるんだ。あぁ、それと香りも良くなるんだよなぁ……

 ミホークの作業を見ていたペローナがアドバイスを入れる。そして想像した香りを脳内で嗅いだのか、うっとりとした顔になる。ミホークは娘の言う通りにした。薄ら漂っていた花の香りが一気に満開したかのように広がっていく。早速手のひらのヘアオイルを腕の中の娘へ塗っていった。オイルは割とサラサラしていて、手櫛で髪へ馴染ませていけばベタつく事は無かった。塗り終わると次は髪を梳かすためにブラシへ手を伸ばした。すぐ傍に置いていたブラシを手に持ち、桃色の長髪を梳かしていく。眠るペローナはミホークへ身体を預けきって頭がフラフラするので、適度に抱き締めて固定させながら髪を梳かしていった。
 ペローナのゆるくウェーブがかかった髪にブラシを通す作業は見ていてシンプルに心地良い。シュルル、という髪を梳かす静かな音もミホークの耳をくすぐっていくようで、無心のまま作業が出来た。

……ん、もう良さそうじゃないか?」
「あぁ……、そうだな」

 ミホークの前で浮かんでいるペローナが頃合いを告げる。ミホークはまた素直に聞き入れ、髪を梳かすのを止めてブラシをベッドへ置いた。抱きかかえるペローナはやはり眠ったままだが、髪は前よりもツヤツヤしていて、広がる桃色に淡い星のような光沢が出ていた。ミホークはそれを見るとペローナの頬に指の背を這わせてゆっくりと撫でた。妙な達成感を知らず感じていて、そうせずにはいられなかった。

「~~~ッ、ぁ……た、鷹の目!なぁ、私を、その、そのまま抱きしめてやってくれ!」

 ずっとミホークの事を大人しく見守っていたペローナが突如弾む声を上げた。居ても立ってもいられないようで、胸の前で両手を組みモジモジとしている。ミホークは少し現実へ引き戻された気分で目を細めた。

……何故だ」
「な、なんか分かんないけど寂しさが余計に増した! な、お願い! 抱きしめて撫でてやってくれよ!」

 ペローナは今の感情を上手く言い表せなかったのか、モジモジした顔を俯かせたりして落ち着きなく動く。そんな不安定な娘を見てミホークはひっそりと息を吐いた。もうここまで来たら乗りかかった船だ。そう思いながらペローナの新しいお願いを聞くために、腕の中の娘を更に抱き寄せた。眠るペローナが横抱きのような姿勢になり、ミホークの開いた胸元へ微弱な寝息が触れる。
 その感覚を打ち消すようにミホークは少し身動ぎ、悟られないように娘の腕や肩を撫でる動作へ移した。
 ミホークが腕の中の娘に気を取られていると、浮かんでいるペローナが彼の隣に座っていた。眠る自分が撫でられている様子をじっと見ている。音も実体も無い娘だが、お互いの肩が触れ合いそうな程近くに座られて、ミホークの心中が僅かにざわめいた。ミホークも己の感情がよく分からず何だか持て余している。

……ありがとうな」
…………何がだ」

 不意に隣のペローナが呟いた。どちらの娘を見れば良いか分からず、ミホークはただ前を見つめた。視界の先には猫足のソファに座るツギハギのぬいぐるみが一人居た。

「何がって、フフ。私のお願い聞いてくれたじゃねェか。おかげで寂しいのは無くなったよ」
「そうか」
……ロロノアにもさ、後で伝えといてくんねぇかな。下手っぴでも髪梳かしてくれたの嬉しかったって。私からは恥ずかしくて直接言えないや」

 ペローナはぽつぽつと喋りながら感謝を伝えた。その素直な態度にミホークは思わず隣の娘へ目を向ける。
 ――殊勝なことを言う。まるで死ぬ前みたいじゃないか。漠然とそう思い、腕の中の娘を抱く腕が徐に強ばった。ミホークの隣では瓜二つの娘が項垂れている。

「私、元に戻れるのかな」

 小さな声が独り言のような余韻で響いた。その声に引き寄せられたのか、ミホークは隣のペローナをじっと見つめ始めた。俯く顔は目が伏せられたようになっていて、長いまつ毛には朝露に似た水の粒が実る。瞬きが一つ起こると水の粒は玉になって、はらりと娘の頬へ滑っていった。
 流れ去るその一連の動作は、ミホークが持て余す感情さえも流し去っていく。代わりに不思議な気持ちが湧いてきていた。

 幽霊でも涙を流すのか。もしも涙に触れたら湿った感触があるのだろうか。その水は何処から湧いてくるのだろう。ペローナから目を離せずに、場違いな疑問たちがミホークの頭の中にふつふつと生まれていく。他愛なく溢れるその中心で、何かが芽生え始めている。
 ミホークはそれら全ての答えを追い求めるように、ペローナへ近づいていった。お互いの肩が触れるのは過ぎて、ミホークがペローナの身体へ溶け入りそうな程近づく。
 急に傍へ来たミホークに気づいてペローナは顔を上げた。もうお互いの鼻先が触れ合いそうな程近い。目を閉じたミホークの唇が薄く開いている。

 あ、とペローナが一言漏らした後、二人の唇は重なった。感触などは一切無い。空気の層が微妙に揺らいだのをミホークだけが感じ取り、そしてゆっくりと顔を離した。何かと交わったような彼の唇が名残惜しさを感じ、両目が焦がれるように開く。ミホークの視界いっぱいには真っ赤な顔をするペローナがいた。ぷるぷると震えて茹で上がりそうな娘は、文字通り蒸発して消えていった。すると、次の瞬間、入れ替わるようにしてミホークが抱いているペローナが身動ぎを始めた。腕の中に視線を落とすと、娘の丸い瞳が震えながら起きて弱く瞬きをしている。

「ぁ……も、戻った…………

 ペローナが呆然とした口振りで何とか声を出す。頬にはいつの間に流れたのか、涙が一筋流れていた。ミホークも娘と僅かに似て呆けた表情をしたが、すぐに瞳を見開き硬い表情を帯び始める。腕の中から甘い花の香りや、娘の柔らかい四肢が際立ってきていた。

「あ、あの、鷹の目、えっと、とりあえず、ありがと――
「無事に戻って良かったな。もうこれ以上おれに用は無いだろう」

 ペローナが喋り終わらない内にミホークは言葉を被せて娘から離れた。強く抱いていた腕をあっさりと外して、ベッドから立ち上がる。その反動でペローナが少し跳ねながら布団へ着地した。

「た、鷹の目……っ?」
「今夜も一先ずは安静にしていろ、おやすみ」

 ミホークは喋りつつ歩いていく。あっという間に寝室の扉に着くと、おやすみとほぼ同時に扉を閉めて出て行った。
 畳み掛けるようにして言葉を遮られたペローナは、ただぼぅっとした顔をするしかない。その頬にはまだ赤みと、涙の跡が薄ら残っていた。


 ※※※※

 
 シッケアールお馴染みの薄ぼんやりした朝が来ている。ゾロはあくびをしながら朝食の準備をしていた。カトラリーを運ぶために広間のテーブルへ向かう。テーブルの前にはペローナが立っていた。ゾロはあまり娘の事を見ないで、片手を軽く娘の肩へ振り落とす。

「おはよーさん……って、アァ?」

 ゾロに気安く触る意図は一切無かった。片手は空振るつもりだったのに、今しっかりと娘の肩に着地している。目を白黒させるゾロの隙を見て、ペローナの目がキラリと光った。

「ゴーストラップ!」

 ペローナの声と共に指が鳴らされ爆発音が弾けた。白い煙が立ち込めて消えると、ペローナから距離を取ったゾロが素早く避けた体勢をしていた。手に持つカトラリーは見事落としていない。

「あっぶねェ! つーか、お前戻ったのかよ?!」
「ホロホロ! この通り、バッチリとな♪すっかり元のペローナ様復活だ!」

 どぎまぎしているゾロに対しペローナは腰に両手を当てて高笑いのポーズで応える。娘はナイトドレスではなく、いつものゴス服を着ている。初手を抜かったゾロには一本取られる結果になってしまった。爆発せずに浮かんだ小さなホロウがおどけて笑う。
 少し広間が賑やかになったその時、バケットの入った籠を持つミホークが悠々と現れた。

「朝っぱらから騒がしいな……貴様ら、遊ぶのは遠慮しろ。埃が立つ」

 ミホークはテーブルに進みながら苦言を呈する。ペローナの隣に立つが娘には一瞥もくれなかった。ペローナは少し頬を膨らませ、ゾロは不機嫌そうに鼻を鳴らして体勢を立て直した。

「騒いでんのはコイツだけだぜ。元に戻ったのはまぁおめでてぇけどよ、えらい急に戻ったよな。あんなに焦ってたくせに。昨日何かしたのか?」

 ゾロが何気ない疑問を投げかける。当たり前にペローナへと向けたものだったが、ペローナとミホーク、両者の目が全く同じタイミングで見開いた。そして弾かれたように隣を見ると、お互いの視線はぶつかり合う。
 
「「別になにも」」

 二人の声はシンクロして響いた。バチ、と音がしそうなほど一瞬の見つめ合いをして、目を逸らすタイミングも一緒のまま同じ事を言った。ただ妙に無心な表情をして、疑問を投げたゾロを見ている。

「な、なんなんだよお前ら……俺ァ特に気にして訊いた訳じゃねぇけど。まぁ、でもコイツの事だから変なもん食ったとか? どうせそういう事なんだろ」

 予想外な返答の仕方と妙な圧を二人から喰らってゾロは引き気味になる。及び腰でも生来の負けず嫌いが自然と出たのか、ペローナの事をチクリと小突くようにぼやいた。それを聞いたペローナの目がまたキラリと光る。

……元には戻ったが身体は鈍ってる気がするんだよなぁ…………お前で試しの運動でもしようかな」

 静かに喋りながらペローナは手のひらから小さなホロウを出す。その背後には何時ぞやの寝室で見た怒った顔のホロウも現れていた。ゾロの顔が見る間に引き攣る。そして持っていたカトラリーの籠を宙に投げると一目散に走り出した。ペローナとホロたちがその後を追う。逃げるな! うるせェ! という叫び声も間を置かずに飛び出していく。綺麗な放物線を描いたカトラリーの籠はミホークがキャッチする。広間は再びぼんやりとして静かになった。

 一人残ったミホークは呆れたように頭をゆるく振った。瞳も気怠げな重い瞬きをする。緩慢な仕草は彼の心をふと、ざわめかせた。ミホークは何とはなしに己の唇に指を当てて触った。

……別に何もない」

 確認するような、そう言い聞かせているような独り言がポツリと出た。昨夜確かにそこに感じた名残はもうあやふやで、ミホークの持て余す感情もきっと幽霊のようなものなのだ。あの甘い花の香りも、腕の中のペローナも。
 
 ミホークは仕切り直すようにひとつ息を吐くと、中断された朝食の準備を進めていった。