eclipsis
9292文字
Public ミホペロ
 

魔法と呪い、どちらでも

幽体から戻れなくなるペローナ。×未満な二人



 
 朝でもぼんやりと薄暗いシッケアールの城内。リビングにあたる広間では、ミホークがテキパキと朝食の準備を進めていた。毎朝のルーティーンである。三人分のカトラリーがテーブルへ行儀良く置かれていき、動きに淀みはない。そこへ大股に歩く足音が響いた。キッチンから水差しと果物の籠を持って来たゾロがテーブルに近づいて来ていた。

……ゴースト娘は遅いな」

 ゾロの方へは目もくれずミホークは喋った。素っ気ない男の態度にゾロは慣れきっている。片眉を少し上げる動作だけをして持っている水差しをテーブルへ置いた。

「寝坊だろ。アイツ朝は弱いだとか、よくぼやいてるぜ」
「朝食の時刻には起きられるようになっていただろう。一人で食べるのは嫌だとも、ぼやいていた。……ああなると娘はやかましい。ロロノア、起こしにいってやれ」
「ハ?」

 至ってミホークに無反応だったゾロが勢い良く彼の方へ視線を向けた。手にはまだ果物の籠があり、それを同じく勢いのままテーブルへ置く。籠の中の林檎たちが驚いたように小さく跳ねた。

「何で俺がそこまでアイツの面倒みんだよ。起きて来ない奴が悪ぃ。鷹の目、先に食っちまおうぜ」

「起きてるぞ」

 ゾロが不満げに言い放った後、間を置かずにペローナの声が広間に響いた。強気に顎をひいていたゾロがぎょっとして目を見開く。ミホークは声のした方を既に見ていた。広間の閉じられた扉からペローナが肩口辺りまで姿を出していた。幽体で来たらしい娘は扉から身体が生えたようになっていて、長い髪は結ばずにダラりと垂れていた。

「ウワッ、お前何だよ朝っぱらから……気味わりぃぞ、ソレ」
「ウルサイ!!」

 ゾロが口の端を引き攣らせてペローナへ話しかける。ペローナは空かさず噛みつく声を出したが、扉からは離れなかった。肩口まで見えている娘はどうやら夜着のままらしく、ナイトドレスの広がった袖がチラチラと見え隠れしていた。

……このままじゃ埒が明かん。ゴースト娘、寝巻きのままで良いから飯を先に食べろ。そして遊びはそれからにしろ」

 ため息混じりにミホークは喋った。ペローナは一瞬カッとした顔になったが、直ぐさま眉を下げて口を少しまごつかせた。言いたい事が充満しているようなその動きに、男二人は自然とペローナを注目した。

「あ、遊んでない!……緊急事態なんだ。なぁ、お前ら……私を、た、助けてくれ。幽体のままで元の身体に戻れなくなっちゃったんだ!」

 ぎこちなく喋り始めたペローナの声は、最後は心底困った叫び声になっていた。いつもの落ち着いた朝に突然の救援が響き、ミホークとゾロは一瞬固まったようになった後、お互いの視線を合わせた。

 ※

 広間にいた三人はペローナの寝室へ移動していた。『百聞は一見にしかず』と男二人の意見が合い、本体のペローナの様子を見に来たのである。
 ベッドではペローナが布団を被り仰向けに寝ていた。呼吸に合わせてわずかに布団が上下して、ごく自然に寝ているようにしか見えない。ゾロとミホークが娘の寝顔をマジマジと見つめる傍らで、幽体で浮かぶペローナは少し気まずそうにしていた。するとミホークがおもむろに手を伸ばし、眠るペローナの首筋へ指を押し当てた。触られていない幽体の娘の方がビクリとして、不安げにミホークの挙動を窺いだす。

……ふむ、脈に異常は無いな。顔色にも変わった様子は無いし、体温も普通のようだ。……本当に戻れないのだな?」
「なッ?! 疑うのか?! 本当なんだよ、ほらっ!」

 ペローナから手を離したミホークがそう訊ねると、宙を飛ぶペローナが少し頬を膨らませながらベッドへ飛び込んでいった。瓜二つの娘が重なって数秒経った後、食いしばった顔のペローナが勢い良く起き上がる。その下には何事も無く静かに目を閉じるペローナがいた。眠る自分自身を振り返って見たペローナの眉根が寄っていく。すぐにベッドへ飛び込んで起き上がるのを数回繰り返したが、ペローナの姿が一人になる事は無かった。
 忙しないその様子を見ながらミホークは目を細めて腕組みをした。

「朝目覚めたときからこうなっていた訳か……悪魔の実の実態は専門家でも未知数と云う。調べる手立てもあるかどうか……そうなると今の最善手は静観のみ。と、言ったところか」

 ミホークが冷静に状況を整理して結果を言い渡すと、ペローナの丸い目が頼りなげ楕円の形に変わった。この場の空気が痛々しい沈黙になりかけた瞬間、カシュッという小気味良い音が鳴った。ペローナとミホークが音のした方――ゾロの方を見る。ゾロの手には齧られた林檎があった。

ロロノアてめぇ………林檎持ってきてんのは気づいてたけど、今食うのは違うだろ……? 私がこんなに困ってんのが見えてねェのか?!」
「見えてるから、だろ。俺に今出来ることは何も無ぇから、とりあえずの腹ごしらえだ。鷹の目の説明は尤もだし、もしも今すぐ命に関わる事態なら幽体のお前はとっくに消えてんじゃねェのか? けどよ、そんな様子も無ぇし元気そうだ。ならデタラメに治るとも言えねぇよ」

 竹を割ったようなゾロの性格は口振りにもよく表れる。シンプルに確信をつく言葉は大体の場合、他者に活を入れてプラスになるが、今のペローナには全くの逆効果だった。明らかに憤って頬が赤くなり、肩がぷるぷると震え出している。

「ロロノア! お前はここで居残り!! 寝たまんまの可哀そうな私をお世話しろ!!」
「ハァ?! お前ッ! 百歩譲ってカワイソウなのは分かるがそれが人にもの頼む態度か?!」

 ペローナが毛を逆立てゾロに命令すると、ゾロは拒絶をしながら後ずさりした。ペローナの背後には怒った表情をしたホロウたちが現れ始めている。ゾロはホロウたちの能力を嫌というほど知っている。――ゾロとペローナ、両者が動き出したのは同時だった。お世話しろ! 嫌だ! と叫ぶ声も加わって二人は寝室を駆けずり回る。そんな二人を尻目に、ミホークは我関せずと部屋から出る事にした。
 
 ミホークは広間に戻り、中断された朝食を再開しようとした。つかの間の静けさである。すると広間の扉が勢い良く開かれ、追いかけっこをするゾロとペローナが飛び出してきた。

「私の櫛壊すなんて信じらんねー!!」
「俺は言われた通りやっただけだろ!!」

 何だか少し髪がボサボサになったペローナが喚き、ゾロがたじろいで逃げていく。ミホークはハッキリとした溜息をひとつ吐いた。

 
 ※※

 ペローナが幽体のまま戻れなくなり、一日が経過した。実際のところ普段の共同生活との差はあまり無かった。物理的に物を触れなくなったペローナの代わりとして、家事の量がミホークとゾロに増えたぐらいだ。二人はそれらを難なくこなして剣の修行もやった。二日目に差し掛かった時に、ゾロが修行で怪我をして手当てが必要になり、ミホークがその役目をする事になったのは大きな変化だった。男二人が気まずそうに顔を突き合わせて手当てをして、傍で浮かんでいたペローナは大笑いをしていた。

 
 ちょっとしたハプニングがあった二日目も、いつも通りに日が暮れ夜になっていた。就寝時刻も過ぎて城の中は全てが寝静まっている。ミホークだけは、自室のベッドに腰掛けて眠らずに本を読んでいた。
 男がパラパラとページを捲るのは悪魔の実に関連した本である。城の書庫から何冊か持ってきた。しかし知りたい情報は特に載っていなかった。やはり未知数――。何となくペローナの顔を思い浮かべながらミホークはページを進めた。すると、その時。ミホークの自室の扉に何者かの気配が訪れた。

…………どうした」

 この訪問者はノックが出来ない。そう確信するミホークは先に声をかける。男の問いかける声を聞いて、ペローナが扉をすり抜け寝室へ入ってきた。
 ペローナは音もなく浮かんでミホークのいるベッドへ近づく。顔が俯いたままで何か喋る仕草すらない。着ているナイトドレスが僅かに揺れて、白い生地がぼやけて本物の幽霊のように見えた。

……何か用事があって来たのではないのか? そのまま突っ立っているだけなら帰ってもらいたいが」

 ミホークの硬質な声が響いた。特別問い質す節は持っていなくてもペローナは身体をギクリと震わせる。おずおずと頭をもたげると、ようやくミホークと目を合わせた。
 
「う、うぅ……その、なぁ、鷹の目……私の、本体のお世話……してくれないか……髪、梳かすのやって欲しいんだ……

 ペローナはきょろきょろと視線を気まずそうに彷徨わせて、喋り終えた後には頬を赤らめて視線を逸らした。拙い仕草でお願い事を頼まれたミホークの頭に一昨日のやり取りが浮かぶ。ゾロが櫛を壊し、ペローナが怒っていたやり取りだ。

「ロロノアのお鉢がおれに回ってきた訳か……何とも不名誉だな」
「う、わ、私だってこんなお願いしたくないよ! でも……でもさっ、不安なんだよ! 何かしたくても、今の私は何も触れない。不安だし…………寂しいよ……ぬいぐるみも、誰も、自分自身だって……触れないんだ…………

 うんざりした男の物言いにペローナは焦ったような口調で言い返す。しかし喋っていくうちにその口調は弱々しくなった。また頭が俯いていき、桃色の長い髪が垂れてミホークから娘の顔が見えなくなった。ペローナは心許ないのか両手を胸の前で握る。白いナイトドレスが再び揺れ動く。ペローナのシルエットがか細く映り、そのまま透けて消えていく錯覚が一瞬起こった。ミホークは思わず二、三度と瞬きをした。こんなに儚げな、それこそ本物の幽霊のような、暗いペローナは初めてだった。
 
……仕方ない。このままでは呪われそうだ。貴様の願い、聞き入れることにしよう」

 幽霊など一切信じていないミホークでも、目の当たりにすれば何か手を打たねばと思った。ゆったりと腰掛けていたベッドから立ち上がってその幽霊へ言い放つ。桃色の頭が俄に上がって、くりくりした黒い瞳が輝き始めた。ペローナの帯びていた暗い雰囲気があっという間に明るくなっていく。
 ミホークが呪われそうだと思った虚ろな印象はすっかり消え失せてしまった。ミホークはまたひとつ、ハッキリとした溜息を吐いた。